【3463】 悪・即・斬!勝利のこの胸の高鳴りを  (朝生行幸 2011-02-28 23:08:39)


「ここか………」
 時折光を放つ、どんよりと灰色に曇った空から降る小さな雨粒をその身に受けながら、一人の男が小さく呟いた。
 威風堂々、その言葉が似合う巨躯に僧衣を纏い、手には自身よりも長い釈杖が握られている。
 昼下がりと言うには遅く、夕暮れと言うには早過ぎる時間にも関わらず、辺りは異様に薄暗いゆえか、男が被った雨笠も相まって、彼の表情は、はっきりとは窺えない。
 本当に通れるのだろうか、と疑問が浮かぶ、まるで獣道のようなその入り口には、『この先、竜神の沼』と書かれた、目立たない小さな看板が立っている。
 ゴロゴロゴロ……と、遠くで雷鳴が響く。
 男は、この辺りには熊が出没すると、地元の人が言っていたのを思い出した。
 薄暗い雨の中、森に向かう獣道、そして熊。
 とかく物騒ではあるが、彼の目的を達成するには、ここは避けて通れない。
 男は、躊躇うことなく泥濘に踏み入った。


 枝葉草木を掻き分け、道なき道を突き進む僧衣の男の歩みには、いささかの迷いも見られない。
 しばらく進むと、数メートル先の茂みが、唐突に不自然な音を立てた。
 男がそちらに目を向けるよりも早く、大きな黒い塊がのそりと動き、男の行方を遮った。
 それは、常人ならば卒倒しかねない咆哮を響かせながら、身を起こした。
 巨大な獣──ヒグマ──。
 両手……いやこの場合は前脚が正しいか、を振り上げ、三メートルにも及ばんとするその巨体に敵うのは、世界中を探しても、そう多くはないだろう。
 しかし男は。

「邪魔だ」

 抑揚の無い一言と同時に己の拳を、無防備なヒグマの腹に叩き込む。
 一瞬動きを止めたヒグマは、そのまま糸の切れた人形の様に、その場にドスンと崩れ落ちた。
 口から泡を吹いて、痙攣しているヒグマに向かって、
「安心しろ、死にはせん」
 たった一撃で巨大な熊を下した男は、言葉が通じないと解っていていながらも一言残して、何事もなかったかのように再び歩みを進めた。


 突然に森が開け、男が姿を現したその場所は、突き出た崖の様になっており、足元には雨粒が作り出す無数の波紋で静かに揺れる、穏やかな水面が広がっていた。
 竜神の沼。
 見た目は沼と言うよりは、大きな池、といった方が正しい雰囲気ではある。
 それでも天気のゆえか、対岸は霞んで見えず、周囲の景色は、あまりにも茫漠としていた。
「くっくっく………」
 男は、崖の上に佇んだまま、口元に不適な笑みを浮かべて、水面を見下ろす。
「はーっはっはっはっはっはっはっは!!!!!」
 雨笠を跳ね除け、男──藤堂賢武──は辺りを憚ることなく、野太い声で呵呵大笑した。
 同時に稲光が走り、凄まじい雷鳴が響き渡り、少し離れた場所に立っていた巨木は、雷霆の一撃を食らい、一瞬にして消し炭と化す。
 青年と壮年、その中間ぐらいの年齢だろう男の表情は、落雷に怯むことなく、まるで楽しいと言わんばかりに綻んでいる。
 降りしきる雨の中だというのに、綺麗に剃り上げられた彼の頭には、一滴の雨水も触れることなく、纏った僧衣にもまったく雨染みが見られない。
 それもそのはず、よく見れば、彼の全身は眩い光のようなもので覆われており、それに触れた雨粒は、残らず弾き飛ばされるか、瞬間で蒸発してしまうのだから。
「得度のため、日本全国を渡り歩き、魑魅魍魎を調伏せしめ、または滅ぼすことその数壱百七、そして壱百八匹目の最後の敵よ、今日が地獄に落ちる日だ。さぁ、姿を現せぃ!!!」
 大喝と共に、釈杖を水面に向ける。
 しかし、何の反応も無し。
 雨音と遠くの雷鳴だけが、静かに聞こえる。
「……そうかそうか。どうやら余りにも長く眠り過ぎて、目がなかなか開かないようだな。それとも、この俺様に恐れを為したか?」
 腕を組んで、一人うんうんと頷いている。
「だぁがしかし! このまま引き下がるわけにも行かないので、さっさと起きやがれこのヘッポコ野郎!?」
 賢武は、辺りに落ちている大小の石や岩を手にすると、次から次へとぽいぽい沼に放り込んだ。
「はーっはっはっは、とっとと出てきやがれ、このっ、このっ、くのっ」
 ぼちゃーん。
 バチャーン。
 どぽん。
 ポチョン。
 一つとして同じではない効果音を発しつつ、様々な大きさの岩石が、雨粒以上の波紋を作り出す。
「ほーれほれほれ、ほーれほれ!!」
 更に数十の石や岩を、どっぽんどっぽん投げ入れたところで。

『ド喧しいわ愚か者めがー!!』

 水面割って姿を現したのは、ちょっとしたビルに匹敵する巨体を持った、一体の蛇。
 その瞳は、怒りのあまりか、燃えるように真っ赤な光を放っている。
「へっ、やっと目を覚ましやがったか。神話の時代より数千年を生きてきた古の邪蛇め。歳をとり過ぎて、起きるのが億劫になっちまったか?」
『ほざくな下郎! 我をヤマタノオロチと知った上での狼藉か!?』
 そう、その巨大な蛇こそ、全国壱百八の魑魅魍魎、その首魁である“ヤマタノオロチ”。
 賢武が打倒すべき、最後の大物だ。
「酒と女にうつつを抜かし、挙句うっかり始末されそうになった老い耄れダメ親父が、デケェ口叩くんじゃねぇよ」
 僅かも恐れることなく、不敵に嘲笑する賢武。
『痴れ者め!』
 オロチが放った不可視の衝撃波が、避ける間もなく賢武を直撃する。
 数十本の木々を薙ぎ倒しながら、賢武の身体は彼方まで吹っ飛ばされた。
「ぐはっ、スゲェ力だ……って、おぉ!?」
 ごろごろ転がってなんとか立ち上がるも、オロチが放った衝撃が、再び賢武を直撃した。
「ぐはぁ!?」
 壁面に、まるで昔の漫画のように、自身の形をした穴を開けて、賢武の身体が数十センチめり込んだ。
『我に歯向かう愚を、あの世で後悔するが……なにぃ!?』
 オロチが、驚きの声を上げる。
「だーっはっはっはっはっは!!!」
 哄笑しながら、賢武がうんとこどっこいしょーと、我が身を穴から引っ張り出す。
「くぅ、流石に強ぇな。だが、今ので気合が入ったぜ。こっからは手加減無しだ!」
『まさか無傷とはな……。しかし、お前如きでは我に勝てん』
「んなもん、やってみなけりゃ分かんねーよ! 行くぜ! 力ずくで三途の川を渡してやる」
 坊主らしからぬ罰当たりな言葉を吐きながら、“まるちれいど”とか言う、ヘンテコリンで大して面白くないゲームの様に、眩い光が賢武を包み込み、彼の身体が宙を舞った。


 まるで、昭和の怪獣映画を髣髴とさせる戦闘が展開されていた。
 賢武が放つ七色の光球がオロチに向かうも跳ね返され、オロチの放つ稲妻が賢武の振るう釈杖に霧散し、賢武が蹴りを叩き込めば、オロチの鋼のような鱗には微塵も効かず。
 互いに一進一退の様には見えるが、オロチにはまだまだ余裕がありそうだ。
(くっそ〜、歯が立たねぇ。出来ればコイツは使いたくなかったが……)
 一旦オロチから離れ、賢武が袖から取り出したのは、一具の数珠……のような物。
 勾玉に似た形をした色違いの珠が四つ付いており、それを首に掛けた賢武は、印を結びながら経を唱え始めた。
 淡い光を放ち始めた数珠を手に、最後の印を結ぶ。
「召喚!!」
 賢武は、叫びながら数珠を力任せに引き千切った。
 彼を包囲するかのように、青い珠は東に、赤い珠は南に、白い珠は西に、黒い珠は北に位置し、爆発したような眩い光を発した。
「四天王!!」
 賢武の召喚に応じ、彼の周りに降り立ったのは、威厳溢れる四体の武者の姿。
 東方持国天、南方増長天、西方広目天、北方多聞天。
 六欲天の第一天である四大王衆天に住まい、天上界を如何なる敵からも守り通してきた、仏法の守護者たち。
「さぁ、仕切り直しだぜ!」
 四天王を従え、再びオロチに挑む賢武。
『ほほぅ、人の身の分際で、四天王を呼び寄せられるとはな。だが!』
 オロチの目が光り、地面が大きく揺れた。
『我の名を忘れたか!!』
 水面を割って、新たな影が身を躍らせる。
 オロチの左右に、四本づつの首。
 八つの股を持つ九本の巨大な首が、辺りに凄まじい咆哮を響き渡らせた。
 まさにその名に相応しい“ヤマタノオロチ”が、真の姿を現す。
「げっ!? そんなの聞いてねーぞ!?」
 思わずうろたえる賢武。
 無理は無い、一本の首でもあれだけ手こずったというのに、更に八本も増えた日には、例え四天王の協力を得ても、勝ち目なんてあるかどうか。
 それに、一般的にはヤマタノオロチの首は八本とされているのに、実は九本でしたーなんて、詐欺だ騙しだインチキだ。
 しかし、何時までも怯んでいられない。
 勇気を奮い立たせ、四天王と共にオロチに立ち向かった。
 だが、やはり力の違いは圧倒的で、四天王の力を持ってしても、オロチの力には敵わない。
 ダメージを与えても、底無しの回復力で、あっと言う間に治ってしまう。
 事前に酒でも用意しておこうかと思ったが、いくら長い年月が経ったと言え、同じ手が通用するはずもないし、重いし運ぶのも面倒くさい。
「ええい、形振り構ってもいられねぇ! 四天王、ちょっと時間を稼いでくれ!!」
 オロチから距離を取った賢武は、再び袖から、一具の数珠を取り出した。
 色違いの八つの宝珠が付いたその数珠を広げて地面に置き、中央に立つ。
 賢武は、複雑な印を結び、経を唱え始めた。
 宝珠が輝きを放ち、浮かび上がった数珠が、賢武を中心にして回転し始める。
「召喚!!」
 最後の印を結んだ直後、釈杖を地面に突き立て叫んだ。
「八部衆!!」
 澄んだ音を立てて宝珠が砕け散り、賢武の周りに、清浄なる雰囲気と凄まじい迫力を伴った、異形の八体が姿を現した。
 威を纏う若武者、天王。
 竜鱗を纏う武者、竜王。
 中性的な見目の武者、夜叉王。
 三面六臂の若武者、阿修羅王。
 有翼鳥頭の武者、迦楼羅王。
 鳥体の美女、緊那羅王。
 馬体の武者、乾闥婆王。
 蛇頭の武者、摩ゴ羅伽王。
 何の打ち合わせもすることなく、即座に彼らは、新たに現れた八本の首に向かった。
『なんと!! 八部衆まで従えおるか!?』
 これは予想外だったのか、オロチは驚きを隠そうともしない。
 無限の力を持つ仏法の守護者たる八部衆だけでなく、更に四天王まで相手にするとなれば、いくらオロチといえども無事ではいられない。
 先ほどまでの余裕も何処へやら、今のオロチには、焦りさえ窺える。
 九本の首プラス一本の尾に対し、賢武・四天王・八部衆の十三人が襲い掛かる。
 しかしオロチも然る者、それでも互角に戦っているのは流石と言わざるを得ない。
「くそっ、爬虫類野郎め、これでも未だ足りねぇってのか!?」
 オロチの強さは、某TRPGで例えれば、9〜10レベルはありそうだ。
 これまで戦ってきた相手なんて、強くて3〜4レベルが良いところ。
 それに比べれば、強敵過ぎるにも程がある。
 悪態を吐きつつも、オロチの弱点は何処なのか、必死に頭を回転させる。
 八部衆の攻撃力は凄まじく、オロチの鱗を切り裂き、剥がし、確実にダメージを与えてはいるが、それでも異常なまでの回復力で、片っ端から治して行く。
 動き回る九本の首、振り回される一本の尾。
 必殺の一撃が、双方無数に繰り返し放たれる。
「……そうか!」
 見抜いた。
 オロチの弱点を。
 巨大な生物は、その巨体ゆえ、大地が盾になることに頼り、腹部が弱点となることが多い。
 竜神の沼に来る前に倒した熊、あれも腹部が弱点だったではないか。
 だが実は、この解釈は明らかに賢武の誤解で、巨大な熊の皮下脂肪は厚く、恐らくバットで一撃を加えても、あまり痛みを感じたりはしないだろう。
 並外れた格闘技術を身に着けた賢武だからこそ、あの方法で倒せたのであって、とても常人に真似出来るはずがない。
 しかし、その誤解のおかげで、幸いにも正解に辿り着けた。
 賢武は、仏道に従う者だけが理解できる念を、四天王と八部衆に送った。
 下手をすれば、数千年を生きたオロチだ、その念を理解して知られてしまう恐れもあったが、悠長なことも言っていられない。
 一瞬動きを止めた八部衆は、なんとか無事に伝わったらしく、オロチから距離を取って、飛び道具で攻撃し始めた。
 単調な攻撃を、ちくちくちくちくと執拗なまでに繰り返す。
『ええぃ、ちまちまと!!』
 鬱陶しい攻撃に業を煮やしたか、オロチが八部衆に近付こうと、その首を伸ばす。
 尾を支えにし、オロチが身を上げたそこには、頑なに見せなかった腹が、無防備に晒された。
(今だ!!)
 賢武は、四天王を従え、意識を八部衆に捕らわれたオロチの腹を目がけて、釈杖を構えて全力で突撃した。
「地獄に落ちろや〜〜〜!!」
『しまっ……!?』
 もちろんオロチもバカではない。
 八部衆に苛立たされながらも、中央の首は、賢武と四天王から意識を逸らしてはいなかった。
 しかし、八本の首が八部衆に構いきりで、賢武への対応が追い付かなかった。
「うおおおおおおおおりゃあああああああ!!!!!」
 一条の光と化した賢武と四天王が、弱点とも言えるオロチの腹を突き破る。
『がはぁ!?』
 思わず動きを止めるヤマタノオロチ。
 賢武は、そのまま腹の中から、中央の首に沿って上昇し、その頭頂を貫いた。
 同時に八部衆が、全身全霊の力を持って、八つの首に必殺の一撃を加える。
『バカ……な、我が、人、如きに………』
 最後まで言うことを許されずオロチは、その巨体を爆裂四散させた。


「ぐっ!?」
 ドスンと音を立てて、賢武の身体が、沼の畔に落下した。
 全身に力が入らず、とても立ち上がれそうに無い。
 無理も無い話だ。
 修行僧の身でありながら、四天王と八部衆を召喚し、オロチと死を賭して戦ったのだ。
 勝てたのは、奇蹟に等しい。
 賢武の傍らに、静かに降り立つ八部衆。
 竜王は、賢武の隣に、盾の様に大きいオロチの鱗を横たえると、彼に向かって、グッと親指を立てた。
 それに応じて、賢武もサムアップサインを返す。
 八部衆は、互いに頷き合うと、姿を光の球に代え、次々と天に帰って行く。
 四天王も、賢武に向かって大きく頷くと、一体また一体と、姿を消していった。
「みんな、ありがとよ………」
 今尚降り続く雨に濡れながら、賢武は小さくお礼の言葉を呟いた。


「おっしょさま、おっしょさま〜!!!」
 身体の彼方此方に包帯を巻き、絆創膏を貼った賢武は、自身が修行している寺の廊下を、鱗を背負ったまま、大声でズカズカと歩いていた。
 あの戦いの後、行きがけに遭遇したヒグマに助けられ、近場の民家までなんとか辿り着けた賢武は、応急処置ももどかしく、つい先ほど戻ってきた次第。
 写経をしていた他の修行僧が、迷惑そうな顔で、賢武を一瞥する。
 彼は、意にも介さず、師である人物を無遠慮に探しまくる。
「これ賢武、大声で騒ぐでない」
「おっしょさま!!」
 賢武の半分ぐらいしかない(ように見える)おっしょさまは、彼を従えて別室に移動した。
「おっしょさま、この藤堂賢武、得度のための試練を終えて、ただいま帰還いたしました! ホラ、これが証拠です。なんと、ヤマタノオロチの鱗ですよ!? 信じていない様ですけど本物です。今ならもう一個お付けしますよ?」
「……ふむ」
 確かに、多少の邪気は感じるが、少しずつ希薄になっていくとこを見ると、放っておいても害は無さそうだ。
「これで、俺も終に、本物の坊主になれるんですよね? 丸儲けなんですよね?」
「……あー、そのことなんじゃが」
 なんちゅー言い方か、と思いつつも、鱗を軽く突付きながら、おっしょさまは口を開く。
「先ほどまで、天上界に赴いておったのじゃがのう。お前、無許可で四天王と八部衆を召喚したらしいな?」
 賢武の顔が、露骨に引き攣った。
「八部衆のみならず、天上界の門を守る四天王を勝手に呼び寄せるとは何事かと、帝釈天と釈迦如来に、こっ酷くお叱りを受けてしもうたわい」
「あ、いやぁ、オロチを倒す為には仕方が無くてですね……」
「そんなワケで残念ながら、今回の得度のための試練は、無かったことにする。ま、仕方あるまい。しばらく養生して、傷ををしっかりと治して来い。話はそれからじゃな」
 賢武の申し開きに耳も貸さず、呆然とした彼はそのままに、おっしょさまは静かに退室した。


「そんな、俺のこれまでの苦労は何だったんだ〜〜〜〜〜!!!???」
 八つ当たり気味に暴れ回る賢武のせいで、巻き込まれた四十二人の修行僧と五人の住職が、哀れなるかな病院送りになってしまった。
 更に駄目押しの様に、一週間の謹慎を申し渡される始末。


 その後しばらくして、再び得度のための試練を受け、なんとか一人前の僧侶と認められた賢武であったが、その経緯はまた後日……。


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