【3464】 舞い踊る木枯らしの中  (海風 2011-03-02 11:10:45)


【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】
【No:3196】【No:3205】【No:3233】【No:3249】【No:3288】【No:3327】【No:3380】【No:3397】【No:3443】から続いています。










 火曜日の放課後。
 とある教室で、ある事件が起こっていた。

「で、これからどうするの?」
「動くなら早い方がいい」
「そうね。それ以外ないわね」
「……やはり“神憑”は来てない?」
「ええ」
「それと“鼬”もか」
「可愛がってた一年生がついてこないなんて、さぞショックでしょうね」
「そう思うなら傷口を抉らないで」
「私、好きな子はついついいじめちゃうタイプだから」
「奇遇ね。かく言う私も、昼食にカレーを持ってきてクラスメイトの顰蹙を買ったことがあるタイプだから」
「……やっぱりあなたの冗談って理解できないわ。面白いとかつまらない以前に理解できない」

 やれやれと首を振る“宵闇の雨(レイン)”を見上げていた“氷女”は、椅子から立ち上がった。

「どれだけ集まった?」
「幹部は“神憑”と“鎌鼬”以外とここに転がっているのを除いて全員。戦闘部隊は一年生を除いて全員、隠密部隊からは有志が数名。作戦はあなたの意向でこれから考えるつもり。それによっては白薔薇勢力外からも要請することになるでしょうね」
「問題は?」
「総統……いえ、“九頭竜”さんの動向ね。私達が動いているように、すでにあの人も動いているはず。でも今は彼女の思惑を読むより、裏を掻くより、計画を急ぐことがあの人を出し抜くことに繋がると思うわ」
「“九頭竜”の動向か。あいつは表立って動くことなど少ない。いつも水面下でこそこそやっているから次の手を完璧に把握できるとは思えない」
「隠密数人張り付かせても掴みづらいわよ。……まあとにかく要注意ね。私達の邪魔をするのも邪魔ができるのも“九頭竜”さんがもっとも可能性が高い。まず手駒を揃えるとは思うけれど」
「だがその手は“レイン”が潰した」
「ええ、この初動の速さと成果には自信がある。白薔薇勢力メンバーの八割は確保したわ。まだ混乱してるから、とりあえずって感じだけどね」
「それで構わない。1日か2日だけで事足りる」
「その後のこと、考えてる?」
「必要ない。勝っても負けても構わないさ」

“氷女”は歩き出した。

「これはけじめだ。私達を捨ててくれた佐藤聖に払わせる代償で、それ以上でもそれ以下でもない」

“宵闇の雨(レイン)”は「ふーん」と鼻を鳴らすと、後ろを振り返った。
 七名の女生徒が倒れている。

「あなたのけじめって痛そうね」




 元白薔薇勢力戦闘部隊隊長“氷女”。
 普段は冷静沈着で文字通り“氷”のような非常さも見せるが、本質は感情的で激情家。過去、“九頭竜”と白薔薇勢力総統の座を争ったほどの実力者で、“九頭竜”ではなく彼女を総統として支持する声も決して少なくなかった。二つ名通りの強力な氷使いで、氷使いとしては恐らくリリアン一である。
 そして、隠密部隊隊長“宵闇の雨(レイン)”。
 白薔薇勢力の諜報活動を仕切っていた人物で、兼任で作戦参謀としても活動していた。――もっとも諜報員でありながら、幹部などという顔出しも業務に含まれる立場にあったので、情報戦は当然として肉弾戦の方もかなりできる。こちらは水使いだ。

“宵闇の雨(レイン)”本人が自慢する通り、作戦参謀が取った初動は早かった。“九頭竜”の予想以上に、そして想定以上に、新生白薔薇勢力へ流れる人員が削られている。むろん、解散直後の現状、皆多かれ少なかれ混乱がある。身の振り方に戸惑う者達を、かつての作戦参謀が「とりあえずの道」を提示することで味方につけたのだ。
 時間を置けば、きっと新たな白薔薇勢力に流れたり、よそのグループに所属したりと白薔薇勢力は確実に散り散りになってしまうだろう。
 しかし、それでも、今確実に八割のメンバーを確保している。即席で、1日か2日程度しか維持できないだろうが、それでも手駒として手中にある。それだけでも充分以上の成果だ。

 だが“宵闇の雨(レイン)”は、この段階で気になることが二つあった。
 一つは、“氷女”にも漏らした“九頭竜”の動向。
“宵闇の雨(レイン)”がこれまでに作り上げてきたコネやらなんやらを総動員して白薔薇勢力のメンバーをかき集めていたその時、“九頭竜”は何をしていたのか? 当然のように有能な人物の確保に奔走するかと思えば、何の動きもなかった。拍子抜けするほどに妨害さえもなかった。しかしあの切れ者の“九頭竜”が動かなかったはずはない。必ず何かしらのアクションは起こしていると断言できる。
 そしてもう一つは、“鎌鼬”の二つ名を持つ一年生のことだ。
 一言で言えば、彼女こそを天才というのだろう、と思う。
 溢れんばかりの才覚に惚れ込んだ“氷女”は、彼女をとても可愛がった。戦闘に関することは全て彼女が教え込んだ。後継者――後の白薔薇勢力総統として期待していた。彼女なら二年生でも充分トップに立てるだろうと大切に育ててきたのだ。
 それを見越して、いや、“氷女”同様に“宵闇の雨(レイン)”も、“鎌鼬”の才能に期待し、だから隠密として自分の手元に置いていた。戦闘部隊に置かなかったのは必要以上の顔出しと戦闘を避けるためで、幹部候補ならば能力を見せること自体を敬遠する必要もあった。それに幹部としてのやり方を間近で見せておきたかったのもあるが――しかし恐るべき才能である。当初はただ隠すだけの理由で傍に置いたのだが、“鎌鼬”は“宵闇の雨(レイン)”の、参謀にして諜報員の手腕さえも恐るべき速度で吸収し、自分の物にしてしまった。“宵闇の雨(レイン)”が三年間磨き上げて高めてきたものを、たったの三、四ヶ月で習得している。
 あの一年生は、所属当時は単純に強かった。実力も思考回路も戦闘センスも並外れていたが、単純に強いだけだった。
 今は違う。
“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”、白薔薇勢力トップクラスの二人の経験を不足なく受け継ぎ、あの頃とは比べ物にならないほどの強者となっている。状況次第では“氷女”にも“宵闇の雨(レイン)”にも勝ってしまうだろう。本気でそう思えるほどに強い。
 どちらかと言うと“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”の二人をフッて敵に回った“鎌鼬”の方が、“九頭竜”を敵に回すことよりも抵抗感が強かった。可愛がっていただけに心情的にも穏やかではいられないものの、それより一個の駒としての有能さの方が気にかかる。弟子のような、片腕のような、妹のような存在だっただけに。自分達の物の考え方ややり方を傍で見聞きし、熟知しているだけに。
 この状況で、“鎌鼬”はどう動くだろうか。
“九頭竜”封じの一手はすぐに思いついたが、もう一人の天才を押さえ込む術が、“宵闇の雨(レイン)”には思いつかなかった。




“宵闇の雨(レイン)”が作戦を立て、動き出し、体裁を整えるに至るまでの所要時間は、およそ半日である。
 火曜日の昼休み以降から、水曜日の早朝まで。
 参謀の面目躍如、極めて優秀な仕事をした“宵闇の雨(レイン)”は、しかし、相も変らぬ不安要素を抱えたままだった。




 そして水曜日。
 切れ者の作戦参謀の不安の種である“鼬”は、

「あははー」
「いやだから行くなよ! いろ! ここに! なんなの!? あなたほんとなんなの!?」

 へらへら笑いながらフラフラして、“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”にガミガミ怒られいた。

「“神憑”さま、この子ほんとになんなんですか!? というか大丈夫なんですか!?」
「大丈夫よ」
「何が、とは聞かない“神憑”さまがステキだわー。あははー」

 二人は“鼬”のツッコミを無視した。

「とても大丈夫には見えないんですが」
「大丈夫よ。……あ、もう隔さなくていいのか」
「はい?」
「その子、次期白薔薇勢力総統だったから。だから大丈夫よ」
「……は?」

 何の冗談だ、と“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”は耳を疑った。

「コレが? 次期総統?」
「ええ」
「でもコレ、一年生でしょ?」
「あははー」
「二年生から総統やってる人、過去にもいたし。そう珍しくもないと思うけれど」
「いや、そういうことでもなくて……え……えー…? コレが……? 総統ってもっと威厳とかある人がやるんじゃないんですか? えーこれが? えー? えー……?」
「そのなんとも言えない微妙ながらも猜疑心旺盛な顔、私もかつてやったわ」

 今話す時間はない。そういう余裕もないのでこれ以上は言わないが。
 しかし“神憑”は、“鎌鼬”という二つ名がついたばかりの一年生が、白薔薇勢力に直接自らを売り込みに来た時のことを思い出していた。
 隠密からの報告ですでに「それなりに強い」という情報が入っていたので、“神憑”含む幹部達は二つ返事で所属を許可し、それからすぐに戦闘部隊隊長“氷女”と隠密部隊隊長“宵闇の雨(レイン)”のお気に入りとなり、二学期開始時にはその二人から「次期白薔薇勢力総統として推薦」という光の速さの出世街道をひた走った“鎌鼬”の実力は、実は“神憑”もまったく知らなかったりする。
 が、“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”の目は確かなので、“鎌鼬”ではなく二人を信じることはできた。彼女らが推薦するなら間違いないだろう、と。

「お偉いさん達が決定しちゃったんでー、一年と二年はまったく認めてませんでしたけどねー。もう嫌われちゃって嫌われちゃってあははー。まいったまいったー」
「そっちの方が気持ちわかるわ」
「えー? “白黒”さまひどーい」
「あー鬱陶しい。スカート引っ張るな」

 確かに嫌われてたな、と“神憑”は思った。そりゃ憧れの三年生のお姉さま方、それも学園屈指の実力者達がどこの馬の骨とも知れない一年生を可愛がり、挙句に次期総統にと推したのだ。二年生達を差し置いて。三年生からすれば自分達のいない来年のことなので、よっぽどのことがなければ口出ししないが、良い印象があるわけもない。
 問題なのは、手柄的なものがなかったからだ。将来有望なのは結構、実力を隠すのも理解はできる。しかし「総統になるに相応しい」と思えるような手柄が一切ないので、それではいくらなんでも認められないだろう。
 そんなことを考えていると、ふと思った。
 ――なぜ“鼬”はここにいるのだろう。
 藤堂志摩子の世話になったから藤堂志摩子の味方につく、という理由は聞いたが、しかし彼女はまったく実戦を行っておらず、志摩子の世話になる機会なんて早々なかったはずだ。

「来ましたよー」

“鼬”の暢気な声に、二人は緩みかけていた緊張の糸を締め直した。
 迎えらしき“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”に挟まれ、待ちわびた佐藤聖が堂々と歩んでいる。充分すぎる距離を取った植え込みの陰からでも、三者からは威圧的なものを感じさせた。

「手負いね」
「そうですね」

 白薔薇・佐藤聖は、予想通り負傷していた。制服はボロボロだし、顔には青アザが伺える。それ以上の外傷はなさそうだが――

「あ、これやばい」

“鼬”が小さく、そして低く漏らした。

「白薔薇、脇の怪我ひどそうですね」

 間延びした口調ではなく、しっかりとした言葉で言った。“神憑”も“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”も“鼬”の豹変に驚くものの、振り返りはしない。

「なんでわかったの?」
「いつもの白薔薇と歩き方が微妙に違う。あれは右足も痛めてますね。左腕もあやしい。……なるほど、“冥界の歌姫”は噂に違わぬ実力者か。その内お相手してもらっちゃおっかなー」

 呆気に取られていた“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”は、ハッと短く笑った。

「読みが当たっていれば確かに秘蔵っ子だわ。腕も期待していいのね?」
「あははー。あなたよりは強いっすよー?」
「なお結構。後日決着つけよう」

 三人が見守る目の前を、佐藤聖達は通過していく。
 息をつく音にさえ気をつけて、些細な動きも見逃さないようじっと観察する――少しでも妙な動きがあれば即座に逃げられるように。気配は断っている。距離も充分以上に取っている。しかしそれでもあの三人なら察知しかねない。あれらはそういう常識を超えてしまった連中だ。
 通り過ぎていった三人を発見し、元白薔薇勢力の見張りが慌しく動き出す。そこまで行ってから植え込みに潜伏する三人は重く肩を撫で下ろした。ただ見送っただけなのに、異常なまでに神経を使ってしまった。

「で、こっからどうします?」
「予定通りのアクション待ち、かしらね……他に手も思い浮かばないし。“鼬”はどう思う?」
「そもそもに疑問があるのですー」
「「は?」」

 お姉さま方二人は「うわ今の言い方本気でバカっぽい」と同じことを思ったが、さすがに言わなかった。そんな二人の心情を知らずに、へらへらしながら“鼬”は言った。

「“氷女”さまも“レイン”さまもプライドが高くてー、見栄っ張りですからー。あの人達に限って人質を取ったり集団で襲い掛かったりとかー、そういうことするかなーってー思ってー、」
「口調が鬱陶しいから簡潔に言って」
「あー……“白黒”さま、私だって時々傷つくんですよ」
「で?」
「超つめたい…………一言で言えば、あの人達は白薔薇の首なんて欲しがってないってことですよ」
「「ほんと?」」

 そうなると、話が違ってくる。

「じゃあこれって白薔薇狩りじゃないってこと?」
「結果的に白薔薇狩りになるからー、それも間違いじゃないかとー。でも私は志摩子さんの心配はしてないですよー。無抵抗な人に手を上げるような情けない人達ならー、私がとっくに潰してますからー。それだけは絶対しないはずですー」

 この一年坊、三勢力の幹部を張っているような存在に向かって大口を叩きやがった。

「志摩子さんの誘拐はー、白薔薇を確実に招待するための布石でしかないはずですよー」
「なんでそれを早く言わないのよ」

“神憑”のツッコミはもっともだったが、

「最悪を想定して動くのが定石でしょー。私は確信してますけどー、それでも私の推測が正しいって証拠も根拠もないですしー。見えない部分の追加要素も多すぎるから断言なんてできないしー。ここまでの“神憑”さまや皆さんの思考に不満もなかったですしー」
「……確かに」

“鼬”の意見には納得できた。確かに、全員が最悪を想定して考え、動いていた。最悪を想定したから“鋼鉄少女”も体育館内へ行ってしまったし、“居眠り猫(キャットウォーク)”立浪繭も助っ人を呼びに走らせたのだ。
“鼬”が語る“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”の人物像は、信憑性は高いとは思うが、本人の言う通り証拠も根拠もない。あの人ならそうするだろう、という予想は根拠にならない。仮に一考に足る仮説であろうとも、仮説である以上は最悪の想定を捨てさせるような価値などない。
 しかし、考えることが一つ増えた。それがプラスに働くかマイナスに働くかはわからないが。

「白薔薇を襲う目的はあるけれど、白薔薇を倒すためだけに集まったわけではない。それがあなたの意見ね?」
「あの二人が主導権を握っているならー、間違いないかとー」
「……なら、白薔薇狩り以外の目的って何かしら? 志摩子さんでもないんでしょ?」

 首を捻る“神憑”に答えたのは、“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”だった。

「いつもならできないこと。こういう時にしかできないこと。私はわかる気がしますけど」
「つまり?」
「白薔薇と闘うこと。そのものが目的、という可能性は?」
「あ、そういうことね」

 闘うことそのものが目的。勝利はあくまでも結果で、勝敗ではなく勝負自体が目的である可能性か。それなら“鼬”が語る“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”の人物像にも反しない。
 だとすると、だ。

「体育館に張ってある“結界”は、具現化封じじゃない可能性が浮上したわね」

 異能なしというハンデを課すなど、それはもう勝負とは言えないだろう。プライドの高い者がやるとも思えない。
“神憑”は、目的のためには手段を選ばない“氷女”の非常さを知っているし、参謀として率先して汚れ役をこなしてきた“宵闇の雨(レイン)”の姿を見てきている。それらの印象が強過ぎて、彼女らの本質を知らない。何より部署違いだったので、直接関わる機会も少なかった。
 しかし、すぐ傍で深く関わってきた“鼬”は、彼女らのことをよく知っていて不思議はない。

「……というか、ただの勝負なら邪魔するのもアレじゃないですか?」

 長く個人活動をしてきた“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”ならではの意見だが、組織の一員として動いてきた“鼬”と“神憑”は違う意志を持っている。

「目的を履き違えちゃダメよ」
「はい?」
「どんな理由があろうとー、真横で何が起こっていようとー、味方が倒れようとー、たとえ薔薇が手折られようとー、私達がやるべきことは志摩子さんを保護することですよーってことですよー」
「…あ、そりゃそうだわ」

“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”は頭を掻き、「まだ意識レベルが低いわ」と呟いた。
 志摩子を救うために集まり、今ここにいるのだ。
 個人の義理や闘う者のたしなみなどで、大事な主人をないがしろになんてできない。

「必要とあれば私が先に突っ込みますしー、私を当て馬にして志摩子さんの保護を優先しないといけないですしー、逆に白薔薇に特攻するってパターンもありえるでしょうしー。何があろうと最優先は志摩子さんですからー」

 「ふーん」と気のない返事をする“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”の横で、“神憑”は少し驚いていた。
“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”が口にした、意識レベルの違い。
 集団行動、組織立っての行動に不慣れな“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”は論外として、元々戦闘要員ではない“神憑”さえも最初から廃し、このメンツならば自分が真っ先に捨て駒にならねばならないという判断を、“鼬”はすでにしていた。
 最悪の想定どころか、最悪の想定の先も考えている。
 ――“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”が気に入った理由が、少しだけわかった気がした。

「つまり、志摩子さんの安否がわからないなら動くべきじゃない、と?」
「できればそうしたいですねー。私達が潰されれば志摩子さんを助け出せる人がいなくなりますからー。慎重に動くべきではあると思いますけどー。まあ理想としてはー、体育館内に先行しているメンバーと内外からのかく乱でー、素早い一撃離脱って線が有効かなーってー、」
「口調が鬱陶しいから手短に言って」
「“白黒”さまはサディストだ」
「で?」
「まじつめたい…………様子見して先行メンバーのアクション待ちが妥当かと」

 体育館周辺からはすでに元白薔薇勢力の見張りははけており、聖ともども体育館内へと消えている。

「当初の予定通りでいいってことですね」
「そうね。様子見して、チャンスと思えば突入ね」
「ここまでの地味に長い会議ってなんだったんですかねー。あははー」

 三方に分かれてまたしばし待つことになった。




“神憑”達の立てた推測は当たっていた。
 これは白薔薇狩りではなく、白薔薇と勝負するためだけに設けられた計画である。
 かつてのメンバーを味方につけるために、“宵闇の雨(レイン)”が説得材料に使ったネタは「白薔薇と闘う場を作るから協力してほしい」である。「今まで無視してくれたお礼をする機会を作るから」と。
 立場的にも、そして実力的に言っても絶対に叶わなかった薔薇との勝負が実現する。
 今まで放置してくれた不満や鬱憤をぶつけることができる。
 闘う者にとって、それはとても魅力的な話だった。この機会を逃せばもう闘うチャンスなど訪れないだろう。そう思った戦闘要員はほぼ全員が“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”の話に乗った。――ちなみに一年生に声を掛けなかった理由は、闘うに値する実力がないと判断したからだ。この勝負自体を見せて勉強させるのも悪くないが、勝負事にまで周囲や下の面倒を見る必要なんてない。相手と自分がいる、それだけで充分だ。
 それともう一つ理由があるが、それはまだ語るべきではない。




 体育館に踏み込んだ聖は、二十を越えるかつての味方に囲まれた。
 この広い空間に行き届かないところなどない、とばかりに充満する殺気と闘気は、全てが聖に向けられている。
 この質にして、この数。
 聖は率直に、自らの身の危険を本気で感じていた。
 だがそれと同じくらい、心が躍る。
 ――佐藤聖も戦闘狂である。
 最も頂点に近しい場に立つ狂った獣である。
 正直に言えば“冥界の歌姫”蟹名静戦では、まだまだ燃え足りなかったのだ。中途半端に火が点いてしまい、中途半端に放り出されてしまった。
 きっと危機感の差だろう。
 本能が訴える危険信号が足りなかったせいで、本気になりきれなかった。

「で? どんな趣向でゲストを楽しませてくれるわけ?」

“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”、ほか元幹部がいる一角に言葉を投げてみると、こういう返事がやってきた。

「ここにいる者全てが、あなたと闘いたがっている。――あなたが一人ずつ指名して、全員と順番に闘え。望みはそれだけ。勝っても負けても志摩子さんは解放する」
「一対一……ふふっ」

 聖は笑った。

「一気に来なくていいの? 全員ねじ伏せちゃうよ?」
「私は今すぐ一対一で闘ってもあなたに勝つ自信がある。負けるつもりはない」
「あっそう。じゃあ“氷女”は最後に取っておこうかな」
「……」

 戦闘部隊隊長。
 言葉通り、白薔薇勢力内でもっとも強く、もっとも最前線で闘ってきた者の肩書きである。いつもは同部隊の指揮を執るが、総統“九頭竜”や参謀“宵闇の雨(レイン)”が指揮を執る場合は、切り込み役や孤軍奮闘による囮やかく乱、単騎駆けの特攻決戦という過酷にして危険な仕事をこなしてきた。
 類を見ないほどの戦績と実戦回数、多様の戦局を乗り越えてきた豊富な経験、非常な手段さえ迷わず取る並外れた判断力。
 誰もが認める白薔薇最強の戦士である。
 当然、こんなのを後に回せば後に回すほど、そこに辿りつくまで消耗し続けるだろう聖には不利になる。
 舐めている、わけではない。
 ここにいる元仲間に対する、聖なりのけじめである。

「これが白薔薇としてあなた達にできる最後の務めになりそうだから、全員に等しく言い訳一つできない完敗をあげようじゃない」

 白薔薇として、どんなに不利でも今日も明日も必ず勝つ、というけじめだ。
 それでこそ、ここにいる子羊達が惚れ込み、仕えた存在である。そうじゃなければ困る。
 ――聖から、心臓を鷲掴みにされるかような闘気が漏れ出す。
 二十数名あまりが発する殺気をたった一人で押しとどめ、なお押し返すほどの重圧。曇りなき覇王の気迫とでも言うべきか、それともシンプルに怪物と言うべきだろうか。

「そっちから順に来なさい。不意打ちOK、お友達と連れ立っての挑戦も可。ただし手加減しないわよ?」

 だが、全員がよく知っている。

「早くおいで。授業には出たいからさ」

 佐藤聖は白薔薇で、間違いなくリリアン最強の一人であることを。



 息を殺して待っていたその時が、ついにやってきた。
 体育館倉庫に詰められている面々は、ここでようやく動きを見せる。
 壮絶な破壊の音と、断末魔のような叫び声。
 猛る怒号。
 濃厚な殺意と、獣の息吹が途絶える気配。
 次々と強い意志が呆気なく折れていく激しい戦闘が、ドア一枚を隔てた向こう側で始まった。
 次期白薔薇を守護する“複製する狐(コピーフォックス)”と“鋼鉄少女”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”、黄薔薇の蕾の妹“玩具使い(トイ・メーカー)”島津由乃、華の名を語る者“竜胆”は、何があろうとすぐ動けるよう心構えを切り替える――自分達も混戦の中に突っ込み、場合によっては白薔薇・佐藤聖にさえ牙を剥く覚悟をする。
 勝っても負けても藤堂志摩子の無事は確保してある。なので多少気は楽である。もちろん痛いのは嫌ではあるが。

「“鋼鉄”、やって」
「あいよ」

“鋼鉄少女”は自前のチェックのハンカチを右手に巻き、硬く握り締める。この体育館倉庫には異能封じの“結界”が張られているので、いつものように“鉄拳”が使えない。拳を痛めないようにの配慮である。
 このメンツの中で、もっとも基礎能力が高い“鋼鉄少女”は、出入り口を開けるという任が与えられた。(実は“竜胆”の方が基礎能力全般上回っているが、本人含めて誰もそのことを知らない)
 両開きのドアの前に立ち、軽く腰を落とす。

「……」

 チラッと振り返った。由乃を。

「……(にこり)」
「ひっ! 優しく微笑みかけるな!」

 ついさきほど、強い恐怖心を植えつけられた由乃は、反射的に傍にいた“竜胆”の背後に隠れて叫んだ。

「私のいいところ、ちゃんと見ててよ?」
「いいから早くしろ!」

 ついさきほど、わりと本気で貞操の危機を感じてしまった由乃は、“竜胆”を盾にして叫んだ。

「好きになってもいいからね?」
「ほんとに早くやってくれない?」

 横から“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”がうんざりして口を挟むと、「へいへい」とおざなりな返事をして、“鋼鉄少女”は改めて構えた。
 凛、と、風鈴の澄んだ音が響いたような気がした。
 ぐだぐだした空気が一変した。
“鋼鉄少女”の気が、研ぎ澄ませた金属――刀のような鋭利にして美しく、洗練された武闘家の隙のないものへと変化する。
 彼女は思いっきりふざけているし空気も読めないし由乃のことが異常に好きで結構いやかなりバカだが、誰もが認める強者である。
 刀のような気が、更に細くなり、鋭利になり、切れ味だけを残したまま糸のように存在が0に近付いていく――なんという穏やかな剛の気配だろう。柔にはない力強さを兼ねながら、剛であるのに柔らかさを失っていない。

「へえ」

 バカの部分しか見ていない“竜胆”は感心した。荒々しく力強い気なら嫌って言うほど感じてきたが、その逆の静かで濁りのない気というのは始めて感じた。

「すごいでしょ。あれで我流なんだから大したセンスだと思うわ」

 背後の由乃がこそっと耳打ちした。

「面白いだけの人じゃないのね」

 あれだけの域に達するには、どれだけの修練を積まなければならないのか。経験不足の“竜胆”にとっては、彼女も遥か高みの存在である。単純な実力も、きっと精神面も。

「“竜胆”さんはまだまだだね」
「……うん、まあ」

 アレに引き換え自分はなんと中途半端なことか――“竜胆”は自己嫌悪に陥りそうになったが、なんとか留まる。迷いは躊躇いになる。今それは必要ない。
 しかし、まあ、アレだ。
 誰かを盾にしてその陰に隠れているような人に言われたくはない気もするが。逃げ腰で言われても。気持ちで負けてる人に言われても。

「――よっ」

 軽い掛け声に反する、高速どころか音速さえ超えていそうな速過ぎる拳。簡素で飾り気のないただの正拳突きなのに、それは特別な名を持つ必殺技のように見えた。
 熟練の技一つに使い手の心が宿っていた。ふざけた表向きの性格ではなく、“鋼鉄少女”の本質が拳に現れていた。
 ベキリと派手な音を発て、いともたやすく拳はドアを貫通した。
 ――恐ろしい拳である。ドアを破壊するわけでも吹き飛ばすわけでもなく、一点のみを貫いた。まさに槍のような一撃だ。

「よし、脱出だ!」
「「おう!」」

 カギがついていたらしき部分のみを破壊した“鋼鉄少女”は、扉を開いた。今の打撃音だけで脱出の意志は向こう側にバレたはず。ならば囲まれる前に脱出を急ぐだけだ。

 ――ちなみに“罪深き相貌(ギルティ・アイ)”武嶋蔦子は、体育館倉庫の隅の方に隠れている。こっちは闇雲に乱戦を突っ切るのではなく、隙を見て脱出を試みる本命の一人だった。


 だが、打診も計算も、心配さえも必要なかった。




 昨日、白薔薇勢力が解散した直後の事件である。

「――あなた達を呼んだのは他でもない」

 とある教室に、“氷女”の姿があった。冷たい眼差しで呼び出した七名の元幹部、あるいは元部下、あるいは元隠密を見据える。

「けじめを取るためだ」

“氷女”から霧のような冷気が漏れ始めた。なんのことを言っているのかわからない七名は、戸惑い、互いに顔を見合わせる。

「もう“九頭竜”は関係なくなった。だから」

 誰も身構えていなかった。
 それでも“氷女”は構わなかった。

「……潰す! その腐った性根ごと氷付けにしてやる!」

 ――それは戦闘と言うのもおこがましい、一方的な暴力だった。
 激昂する“氷女”に七人は怯え、震え上がり、戦意なんて微塵も湧かなかった。襲われる理由さえわからず、許しを乞う言葉は彼女の耳には届かない。
 仮に立ち向かおうとも、結果は同じだっただろう。
 逃げ惑う七人を血祭りに上げるのに、“氷女”の実力では三分も掛からなかったのだから。

 放置を選んだ“九頭竜”に従い、“氷女”は口を挟まなかった。
 しかし、何もしなかったわけではない。
 佐藤聖への不満と反感を煽り、不信感という芽を育ててきた者達――反乱分子の特定など、とっくの昔に済ませていた。根は深く大きく広がっていたが、主犯と傾倒の強いこの七名を狩ることで、意思を変える者も出てくるだろう。
 まあ、勢力が解散した今更ではあるが。
 これはただのけじめだ。
 無遠慮に、そして不躾に勢力を……いや、自分の部下にくだらないことを吹き込んだことに対するけじめだ。勢力全体のことは“九頭竜”が担うべきことだが、自分の部下にちょっかいを出したことは許せなかった。そういう意味で、彼女らは“氷女”の個人的な怒りを買ってしまっていた。

「安心しろ。今頃あなた達の本命は“レイン”が潰している」

 ――同時刻、別の場所で、ここにいる七名が所属する中規模組織が崩壊。
“宵闇の雨(レイン)”率いる隠密部隊による襲撃で、リーダーおよび幹部連が敗北。戦闘にさえならずに敗北するという屈辱的な最期を迎えていた。

 先程のお聖堂前で、“九頭竜”が簡単に聖を一人行かせたのは、何も藤堂志摩子を人質に取られたから、というだけではない。
 知っていたからだ。
“氷女”も“宵闇の雨(レイン)”も、人質を取って勝利を掴もうなどという浅ましいことは考えないことを。それもリリアンでは普通に常套手段ではあるが、リリアン最大勢力の一つの幹部が打つべき手ではない。あの二人は実力に伴う誇りはちゃんと持ち合わせている――任務のためなら、組織の一員としてなら選択肢の一つに上げるだろうが、そういう縛りはもうなくなっている。
 ――“九頭竜”が志摩子の心配をしたのは、志摩子を狙うであろう反乱分子の動向の方である。
 さっさと“氷女”が処理してしまったことを知らず、だから案じていた。彼女らなら志摩子を人質にして聖の敗北を狙おうとしても不思議ではない。
 行く先で何が起こるかもわからない。事態が不透明すぎる。そして志摩子の身柄を押さえられた時点で、更なる慎重な判断が必要となる。
 だから“九頭竜”は必要以上に触れなかった。状況がわからない以上、判断なんて下せない。
 一手間違えたら、志摩子の身の危険は格段に増すのだから。




 そこにいたのは、一匹の化け物である。
 もはや血に飢えた獣でもなく、闘士と呼ぶには異形で、一介の子羊というには無理がある。
 放たれる気は強烈すぎて、近付くことさえ躊躇われるほどだ。

「――ははっ。次!」

 聖は瞳を輝かせ、所々に返り血を浴び、薄く笑っていた。
 倉庫から飛び出した面々が、思わず足を止めてしまうほどの存在感をもって、体育館の中央で、人ならざる気配をまとっている。
 戦闘が始まってまだ二分と経っていないが、聖の周りにはすでに十名ほどの生徒が倒れていた。

「……覚醒してるわね」
「覚醒してるね」

“複製する狐(コピーフォックス)”と“鋼鉄少女”は、一年前に、このような状態になっている佐藤聖を見たことがある。
 覚醒。
 別に聖が特別な力を使っているわけではなく、言ってみれば集中力が最大まで高まり、感覚が鋭くなり、ありえないほどの万能感を覚えている状態のことで、これは接戦時によくある。由乃などは接戦を多く経験しすぎたせいで、少しでも相手が強いと思うとすぐ覚醒できるし、経験不足の“竜胆”さえも蟹名静との稽古中に経験している。単純にいえば集中力が極まってテンションが最高に高まっている状態のことだが、「覚醒」という表現が正しく思えるほど、その時の本人は正気じゃなかったりする。全ての思考が勢い任せ、といった具合に。
 言うまでもなく、この状態に入った者は、非常に強い。ただしほとんど見境がなくなるので、味方も入り混じった乱戦中はほとんど入れず、後方の憂いがまったくない時のみ、このように覚醒できる。
 これぞ戦闘狂の極みだ。
 この状態に入りたいがために闘っている者も少なくないだろう。肉体の束縛から抜け出すような開放感と、できないことなどないと錯覚するほどの万能感。闘うことが楽しくて仕方なくなるのだ。

「――あなた達」
「「あっ」」

 珍しい状態の聖に目を奪われていた脱出組は、“宵闇の雨(レイン)”の接近にまったく気付いていなかった。
 全員が身構えるも、“宵闇の雨(レイン)”は反応せず苦笑している。

「行ってもいいし見学してもいいけれど、邪魔だけはしないで。これは白薔薇のけじめ、らしいから」

 何なら志摩子さんも連れて行っていいし――と言ったところで、脱出組の一人が“宵闇の雨(レイン)”の前に出てきた。
“竜胆”だ。

「静さまはどうなりましたか?」
「しずか? ……あ、“冥界の歌姫”ね。普通に白薔薇が勝ったんじゃない?」

 そう答えた途端、まだ目視さえしていなかった聖が、“竜胆”を振り返った。

「あ、ちょっと」

 由乃の静止の声など、聞こえなかった。
“竜胆”は歩く。
 ――自然と漏れ出した殺気も、力も、“竜胆”には自覚がなかった。
 しかしその強すぎる力は、聖の注視を呼び、他所事どころじゃない元白薔薇勢力のお姉さま方の視線をも集めた。

「邪魔」

 聖の次の相手である者を押しのけ、“竜胆”はついに、聖の目の前に立った。

「静さまは?」
「私が勝った。それだけ」

 パンと、小さな破裂音が走る。“竜胆”の髪をまとめていたゴムが切れた音だ。
 蒼いオーラが全身から立ち上る。
 髪は広がってうねり、風もないのにスカートが揺れる。

「静さまはどうなった?」
「さあ? 今頃保健室で寝てるんじゃない?」

 カチリ。左手に具現化した刀の鍔が鳴った。

「静さまに何をした?」
「本人に聞いたら? まだ意識ないと思うけど」

 ここまでが限界だった。
 本人も予想していた通り、“竜胆”はキレてしまった。
 正直、ここまで激しく「怒る」という感情があることに、自分で驚いたくらいに見事に。
 大切な人を叩きのめしたという目の前の人物が憎くて仕方なかった。

「――んっ!?」

 その動きは、聖の予想を超えるものだった。予想通りの居合い一閃じゃなければ、どこかを斬られていただろう。
 鋭かった。
 反応速度も優れている聖が、服を掠らせるほどに。胴から真横に制服を裂かれた。
 かわせなければ一撃で致命傷だっただろう。

「あ、あぶな…」

 覚醒中の聖でさえ肝を冷やした。抜き手がほとんど見えなかった。

「……ま、いいでしょ。ついでに相手してあげる」

 イレギュラーな飛び入りだが、その初手で“竜胆”は聖の興味を引いた。興味を引けなければ相手なんてしてもらえなかっただろう。

 ――だが、その実力差は、大人と子供並である。

「はい、おしまい」

  ドン

 簡単に足払いで蹴倒された“竜胆”は、振り下ろされる“シロイハコ”そのものに押し潰された。あまり知られていないが、聖の“シロイハコ”は“冥界の歌姫”に殴られても揺らがないほどの超重量武器である。持ち運びなんて使用者でも不可能で、この重さだからこそ単純な力強さと頑丈さを発揮する。

「私に報復したいなら、あと壁二つは越えてきなさい。ここにいる全員はそれを経ているんだから」

 その言葉は“竜胆”に聞こえてはいたが、彼女の意識はすでに遠くなっていた。




「あれが噂の“重力空間使い”ね。なかなかいいじゃない」
「ええ。最初に会った時より随分強くなってます」

“宵闇の雨(レイン)”の言葉に由乃は頷く。まだまだ洗練された動きは一切ないが、ルーキーと括れば相当なものだ。スピードとパワーを両立してあそこまで動けるなら、素質の高さに注目せざるを得ない。鍛えれば間違いなく強くなるだろう。

「あー……めんどくさいけど回収行ってきます」

 本気で面倒臭そうな顔をして、由乃も歩き出した。
 この状況、どう見ても白薔薇狩りなどではなく、ただの勝負事のようだ。“結界”も具現化封じではなく、この損壊のなさから察するに“物理保管”だ。この体育館はどんなに暴れようと壊れないし、床も抜けない。そういう“結界”だ。

「あれ? 由乃ちゃん、なんでいるの?」
「そのうち話しますよ。今は話よりパンチの方が欲しいんでしょう?」
「銃弾でも別に構わないけど?」
「大変魅力的ではあると思うんですけどね」

 あの白薔薇と闘える――そんなおいしいエサが目の前にぶら下がっているものの、由乃は食いつかなかった。
 代わりに、倒れている“竜胆”を抱き上げる。見事に失神していた。

「白薔薇が身体を張ってやっているお勤めを邪魔なんてできません。本当はこの子も止めたかったんですけれど。お手を煩わせてすみませんでした……って私が謝るのも変ですけど」
「気にしてないよ。自分の師匠をやられて怒らないようなら、そっちの方が問題だ」
「横槍を入れていい理由にはなりません」
「厳しいね」
「他がルーズですから」

 幹部としても一リリアン生としても誠実とは言えないが、闘う者のたしなみだけは、由乃は結構守っているつもりだ。勝負の邪魔はしない、プライドを賭けている相手には相応に答える、目覚めていない者を極力巻き込まない、などなど。
 由乃が“竜胆”を回収すると、戦闘は何事もなかったかのように続行された。
 脱出組は(いつの間にか蔦子も合流して)、滅多に見られない聖の暴れっぷりを見学する。こんな貴重なものを見逃す手はない。
 それにしても、佐藤聖は強い。
 最小限の動きで次々と精鋭達を叩いて行く。見事としか言いようのない見切りと間合いの調整。そして長距離からでも仕掛けられる“シロイハコ”。あれは強靭な盾としても使えるバランスの良い武器だ。
 そして、動きはすごいが、まだ全力を出していない。
“シロイハコ”の使い方が甘い――あれはまだ、汎用性を突き詰めただけの、誰に見せてもいい類の使い方だ。
 しかしそれでも、精鋭達にとっては強すぎる相手だった。一度に掛かるならともかく、一対一ではこうなるのも無理はない。経験も地力も違いすぎる。
 だが、それでも全員が粘り強く立ち回り、敵わないまでも一発くらい叩き込んでやろうという気概はひしひしと感じられる――まさに誇り高きリリアンの子羊に相応しい闘いである。実際に何発かは入っている。浅くクリーンヒットはしていないが、元々手負いで消耗もしている聖には、小技でも強烈な一撃に等しいものとなっている。
 いくら覚醒して痛みがかなり飛んでいようとも、意識は加速しても身体が付いて行かなくなる。息は切れ、肩は上下し、動きは鈍くなっている。

「そろそろ私の出番かしら」

 そのまま近くにいた“宵闇の雨(レイン)”は、そう呟くと、ゆっくりと白薔薇に向かって歩き出した。
 あと五名。
 ここから先は幹部達である。




「中、楽しそうね」
「そうね」
「……ちょっと覗いちゃう?」
「やめときなさいって。“氷女”さまにやられるわよ。本気で」
「あー……あの人怖いもんねー」
「でも身内受けはかなりいいらしいよ」
「え、何それ?」
「直属の部下は可愛がるんだって。すごく」
「かわいがる……? ど、どのように…?」
「――こんな感じー」

「「ぎゃあっ!!」」

 お尻をまさぐられた二人は飛び上がって驚き、振り返ることもなく一目散に逃げ出した。

「……悪いことしちゃったなー」

 お尻をまさぐった“鼬”は大して罪悪感もなく、ぼんやり呟いた。
 きっとあの二人は、植え込みに隠れて何か――恐らく外部から内部への繋ぎの役割を担って潜伏していた偵察要員だろう。二人一組というのも合点がいく。
 外で張っていた三人は、三方に別れて体育館へと近付き、すぐに飛び込めるだろう距離で「待ち」の一手を打っている。さっきの逃げ出した二人は、“鼬”が向かった先にたまたまいた先客だった。
 中では白薔薇が暴れていると思しき戦闘の音と、気配。
 戦闘要員、それもそれなりの熟練者じゃなければ、こんなところにいれば嫌でも緊張し、嫌でも警戒心が強くなり、危機感だって抱いてしまうだろう。そこで不意にお尻なんて触られれば脇目も振らずに逃げたくもなるってものだ。
 
(さて、どういった状況だ?)

 戦闘の音が聞こえるし、目まぐるしく動く気配も感じられる。
 ならば聖が志摩子を人質に取られて一方的にやられている、という線は消える。
 それに音の数からして、乱戦とは思えない。途切れたり、ポツリポツリと聞こえたり。怒声も悲鳴も重ならず、常に一つずつ。

(一対一を繰り返してる、かな?)

 ――それはあの人達らしいな、と“鼬”は思った。プライドの高いあの人達なら、そういうことをしそうだ。“鼬”の知っているあの人達なら、絶対に一斉攻撃なんてはしたない真似はしないだろう。

(中の人達のアクションもないな)

 すでにやられているのか、どこぞに拘束されたままなのか、または――

(まさか堂々と見学とかしてたりして)

 元々“鼬”の読みは、「志摩子の誘拐は白薔薇を確実に迎えるためのものだ」と思っているので、戦闘が実現した時点で志摩子は用済みなのだ。
 用済みなら、中に入り込んだ護衛と一緒に出てくればいい。だがそれでも出てこないのは、興味深い白薔薇の戦闘を見学しているからではないか。
 可能性は低くないな、と“鼬”は思った。勘だが。何せ自分だってその立場にあれば見たいのだから。

(あの人達は“白黒”さまと一緒だからなー)

 組織の人間なら、どんなことがあろうと目的達成を第一に考える。この状況なら藤堂志摩子を安全圏まで連れ出すことだ。“鼬”はそうする。横で誰が何をしていようとそうする。
 しかし、中に行ってしまった三人――“複製する狐(コピーフォックス)”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”と“鋼鉄少女”は、つい昨日辺りまで野を駆ける獣だった。すぐに集団行動や組織行動に意識が働くとは思えない。どんなに優秀だろうとそれとこれとは種類が違う。
 つまり、志摩子の保護をほったらかしにして白薔薇の闘いを見学している可能性は、やはり低くないということになる。

(このまま様子見してても時間の無駄かもな……)

 佐藤聖は闘っている。
 一方的にやられているのではなく、闘っている。
 ならば藤堂志摩子を人質に取られている、という予想は限りなく低くなる。人質を取って「闘え」と強要されている可能性はなくはないが、そんなことしなくても聖は遠慮なく闘うはずだ。
 少しだけ悩んだ“鼬”は、意を決して駆け出した。
 ――仮に自分がやられても、後続に“神憑”と“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”がいる。後続に状況が伝えられるのであれば、充分捨て駒の役目は果たせるだろう。
 今もっとも最悪なのは、「護衛を倒されて志摩子が人質に取られている場合」だ。自分が突っ込むことで、その最悪は判明する。
“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”はともかく、“神憑”は長く組織で生きてきた者だ。すぐに“鼬”の行動の意味を察し、臨機応変に動いてくれるだろう。
 素早く堂々と正面から出入り口に向かった“鼬”は、そのままドアに手を掛けた。
 妨害も、静止の声もない。
 数名の視線はなんとなく感じるが、どれにも敵意や害意を感じない。腕の立つお姉さま方は全員が中でお楽しみなのだろう。

「……あ、やっぱり」

 見張りがいない時点で、予想はついたが。案の定ドアにはカギが掛かっていた――いや、違うか。
 カギではなく、“結界”による出入り口の封鎖だろう。カギなんて目覚めている者なら多少強引にでもこじ開けられる。
 ドアではなく、そのすぐ横の壁でも破壊して穴を開ける、という手もあるにはあるが、それをさせないためにも“結界”の封鎖だ。今体育館は巨大な密室同然で、誰も出入りできない状態に違いない。
 それほどまでに、中の様子を外に漏らさないよう注意しているということだ。案外これが中からのアクションがない理由でもあるのかもしれない。

「んー……」

 随分と入念な準備をしている。きっと“宵闇の雨(レイン)”の仕事だ。そつがない。昨日の今日でここまでお膳立てできるのかと感心してしまうくらいに。白薔薇勢力だけではなく、外部からもかなりの使い手が投入されているに違いない。
 こうなってしまうと、外からの突入は難しいだろう。“結界”の使い手を捕まえて解除させるのが手っ取り早いが、その使い手まで中にいたらアウトである。そもそも探す手段がない。

「……まいったなー」

 打つ手なし。
 出入り口の前で、“鼬”は行き詰ってしまった。

 ――そんな“鼬”の背後に、ある一団が近付きつつあった。




「……あー、しんどー」

 立っている者は残りわずか。
 息も絶え絶え、隔していた脇腹の傷も周囲に知れ、更にここまでに至る道のりで消耗した体力と身体。
 だがそれでも聖の瞳は獲物を狙う狩人のままで、闘気は更に大きくなっている。
 ――残り二名である。

「さすがに強いわね、白薔薇。こんなに短時間で私の番が回ってくるとは思わなかったわ」

 隠密部隊隊長“宵闇の雨(レイン)”が、聖の前に立つ。

「ここで“レイン”ちゃんとか地獄だわね。やっぱり幹部から先にやっとくべきだった」
「負けたら慰めてあげる。だから安心して倒れなさいよ」
「やめてよ。そんな魅力的なこと言われたら負けたくなっちゃうじゃない」
「負けちゃえば?」

 笑いながら構える“宵闇の雨(レイン)”に、

「悪い。加減できないから先に謝っておく」

 初めて聖も構えた。
 双方三年生で、一年の頃から面識があり、ある程度の実力も知っている。
 三年生は軒並み強いが、この“宵闇の雨(レイン)”と“氷女”の強さは群を抜いている――だからこその部隊長だが、総統“九頭竜”にさえ届きそうなほどの駒だと言えば、他の勢力と比べても頭一つ分は飛びぬけて優秀である。
 ――水面を滑る風のごとく、“宵闇の雨(レイン)”が動く。
 正面からの右の拳。聖はそれを正確に掴み、“雨”に降られた。一瞬で全身ずぶぬれになりながら、しかし聖の視線は揺らがない。
“宵闇の雨(レイン)”の能力は“水”の具現化および操作だ。降らせた“雨”を解除すれば嘘のようにすぐに乾くが、水の性質そのまま任意で濡れたまま残しておくこともできる。
 聖の真下、床に溜まった“水”が、まるで生き物のように走り出す。“水溜り”は聖の足元から右後方へと逃げ、牙を剥いた。床から跳ね上がりバレーボールほどの球体となり、聖の痛めている脇腹目掛けて襲い掛かる。
 聖は視線を向けることなく、空いた手でそれを払った。しかし相手は“水”である。何度崩れても粉砕されても次の瞬間には球体になってまた襲ってくる。
 しかし、それでも聖は動かず、密着したまま“水球”を操作し攻撃を仕掛けてくる“宵闇の雨(レイン)”から目を離さない。
 ――どちらも狙っているのだ。一撃必殺を。
 この状況、戦闘が長引けば“宵闇の雨(レイン)”の有利だ。だがそれを許さないのが佐藤聖である。護りに入ったり逃げ腰でいると、あっと言う間もなく追い詰められるだろう。下手に立ち向かうことをやめると、それこそ隙ができる。
 そして聖は、単に、もう余裕がないからだ。この勝負自体、最初の一人目から、切り札を出さずに一撃必殺で仕留め続けるという離れ業をやってのけている。イレギュラーだった“竜胆”も同じで。最小限の動きをキープし、最小限の消耗で凌いできた。もはや長期戦を選ぶだけの体力は残っていないし、身体のあちこちが痛みを訴えてきている。激しい動きなど絶対に避けたい。痛覚に身体を乗っ取られてそのまま動けなくなりそうだ。
 その時だった。

「あっ」

 執拗に脇腹だけを狙い続ける“水球”の手触りが、感触が、変わった。

  ドン!

 まるで爆弾のような衝撃を受け、聖の右腕が強く弾かれた。“水”を圧縮し、それを解除したのだ――この辺の理屈は鳥居江利子の“QB”と同じである。
 ダメージはない。
 だが、体勢がわずかに崩された。
 当然ここで“宵闇の雨(レイン)”は攻勢に出た。触れたままの右拳から“水”を出し、圧縮し、同じように聖のガードを弾く。
 細かく砕けた水しぶきが、霧のように舞う。

「もらった!」

“宵闇の雨(レイン)”の左の爪先が弧を描く。高速のハイキック――しかしそれだけではない。足から直線状に噴出する“水圧カッター”が聖の首を狙う。

「くっ!」

 聖は上半身をのけぞらせ、それをやりすごす。
 この次の瞬間に受けるであろう不可避の一手を予想し、少々の絶望を思い出しながら。

“水圧カッター”は回避した。
 しかし、しつこく飛び回る“圧縮水球”が、予想通りに痛めた脇腹に直撃した。
“水”が爆ぜる。
 聖は派手に吹き飛び、床を転がった。

 ――この勝負始まって以来の、見事なクリーンヒットだった。




「おや?」

 気配を感じて振り返った“鼬”の前に、十四名の一団が駆けて来た。
 七名ほど、見覚えのあるメンツだった。
 なぜだか全員怪我をしているが。

「あははー。お急ぎですか、お姉さま方ー」

 今すぐ襲い掛かられそうなほどの剣呑な雰囲気の中、殺気走った刺すような視線が“鼬”に集まる。

「“鼬”さん、どきなさい」

 白薔薇勢力戦闘部二年生長“完全防護服(フルメタルジャケット)”は、ひたと“鼬”を見据える。視線で殺しかねないほど危ない眼光を放って。

「えー? なんでー?」

 対する“鼬”は、いつも通りへらへら笑う。

「何こいつ? 誰?」

 見覚えのない誰かが問うと、“完全防護服(フルメタルジャケット)”は吐き捨てるように言った。

「“氷女”と“レイン”のお気に入りよ。おまけに次期白薔薇勢力総統だった一年」
「は? え? これが!? 次期総統!?」
「誰も認めてないけどね、こんな子。“氷女”と“レイン”がごり押ししてただけよ」
「うわー。超嫌われてるよ私ー。あははー」
「相変わらず腹の立つバカ面ね。痛い目に遭いたくなければ早くどきなさい」
「あははー。そういう愛のない文句はー、あんまり好きじゃないなー」
「はあ?」
「なんなのこれ。ほんとにバカなの?」
「バカでーす。あははー」

 何を言われてもへらへら笑う“鼬”に、その一団は呆れていた。
 ――そして、ようやく“鼬”も、この連中が何なのか察しがついた。彼女らがここに至る流れまでも。
 そういえば、そういう人達もいたな、と。

「“氷女”さまも存外甘いですよねー」

 本当に、甘いと思った。
 そこが良いところでもあり、“鼬”が好きなところでもあるが。

「だからあの人はー、総統になれなかったんですよー」

“氷女”は非常な判断を下すが、非常になりきれない。徹することができない。そんな自分を自覚していたから、彼女は総統の座を自ら諦めた。信認の問題もあったが、それ以上に本人の問題の方が大きかったのだ。

「あなた、何を言っているの?」

“鼬”から笑みが消えた。

「あの人がお姉さま方に据えた灸が甘すぎるって言ったんです。そしてお姉さま方はあの人の温情が理解できないからここにいるわけでしょう?」

“鼬”から明確な敵意が発せられる。

「今すぐ失せろ。じゃないと私が完全に潰す。私はあの人ほど甘くない」





 久しぶりだった。
 地面に転がるのも、倒されるのも。

「あー、いったーい」

 身体が痛い。
 ずっと悲鳴を上げている。
 だが、心はどこか晴れやかだ。
 きっと楽しいからだろう。

「いててて」

 呻きながら、ゆっくりと聖は立ち上がる。捻った足もかなり痛くなってきたし、さっき外れた左肩も熱を帯び段々上がらなくなってきた。脇腹は言うに及ばず、その他にも色々とダメージを食らってしまった。
 楽しい。
 良い闘いだ。
 まるでがむしゃらに暴れていただけの一年生の頃を思い出すようだ。
 残量わずかだが、それでもまだ、聖の燃料は尽きていないし、故障だらけの身体もまだまだ動く。




「――さ、続きやろうか?」

 と、佐藤聖はボロボロの顔で笑った。
















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