【3496】 過去の未来この瞬間は永遠なんだ  (蛙サラダ 2011-04-27 01:48:53)


祐巳さん、私って実は、過去からやってきたの。


と、真美さんが大真面目な顔で言い出したのは、お昼休みの教室でのことだった。
その日、私と真美さんと蔦子さんは一緒にお弁当を食べていて、
世間一般の女子高生らしいおしゃべりに花を咲かせていた。
やがてそれに疲れて、皆の口数が少なくなってきた頃である。
ふと腕時計に目をやれば、針は昼休み終了20分前を指していた。


私は腕時計から正面の真美さんに視線を戻す。
隣の蔦子さんはカメラのレンズを布で拭いていたのだけれど、
その手を休めて、真美さんを見ていた。
突拍子もないことを言い出した真美さんの真意を、私達ははかりかねていた。


「……って言ったら、祐巳さんは信じてくれる?」


そう言って真美さんはさっきより幾分か、表情を和らげた。
あぁ、そういうことかと思った。
お昼休みの残り時間、真美さんの余興に付き合ってあげても良いかもしれない。


「うーん」


お腹はすっかり満たされ、幸福と眠気が良い具合に混ざり合っている。
私は目をこすりながら、返答をゆっくりと頭の中に巡らせた。


「真美さんのお話次第かなぁ」


「面白い話なら、真偽はともかく歓迎してあげるわ」


と、再びカメラの手入れを始めながら、蔦子さん。


「あら、ご期待に添えられるかしら」


「期待しているわよ、敏腕記者さん」


真美さんも蔦子さんも気だるげで、でも楽しそうな口調だった。


「じゃあ質問。過去って、いつ頃からきたの?」


真美さんはあご先に指を添えて、小さく唸った。


「えぇっと、今でいう第一次世界大戦の直後ね。大戦景気で、日本は好景気で沸いていたわ」


「ずいぶん昔だねぇ。その時代から現代に来たんだから、もう驚くことばっかりだったんじゃない?」


まったくね、と真美さんはかぶりを振った。


「ご飯は炊飯器で簡単に炊けるし、お風呂もスイッチ一つで沸かせるし、
 冷暖房のおかげで快適に過ごせるし、道路には車がたくさん走っているし、誰もが携帯電話なんて持ってる。
 インターネットで世界中のニュースがすぐに入手できて、宇宙には打ち上げられた人工衛星がいくつも周ってる。
 あらゆるところで効率的な手段が確立されていて、なのに人々は何だか忙しない。
 理解できないことだらけで、慣れるまではむしろ悪夢だったわね」


真美さんは大げさに溜め息をついてみせた。
演技がかったその仕草が、何だか面白おかしい。


「それで真美さんは、何をしていたの?」


「私? 私は東京の女学校の生徒だったわ。リリアンではなくて、他のね。
 でもちゃんと格式のある学校だったし、それに名家かどうかはともかく、生徒は裕福な家の子ばかりだった」


「それって、成金っていうやつ?」


「そう。かくいう私も、成金の子よ。華族のご息女たちからはずいぶんと小ばかにされたものだわ。
 そばを通りかかっただけで露骨にハンカチで鼻をおさえて、あら卑しい臭いがするわ、一体どこからかしら、なんてね」


「あらら、それは大変。いつの時代も、新しいものは目の敵にされるわねぇ」


と、カメラを専用のケースにしまいながら、蔦子さん。


「もっとも私は気にしてなかったけどね。それよりも、学園内報を作るのに夢中だったから」


それを聞いて私はつい吹き出してしまった。
真美さんは、その頃からちゃんと真美さんだったというわけだ。


「最初は普通の学園報だったのよ。学校行事の様子とか、誰々がこんな賞を受賞しましたとか。
 でもありきたりな内報じゃ満足できなくて、ちょっと過激なことも書くようになったわ。
 それに伴って問題もたくさん起こした。だから私は、教師たちからの評判も良くなかったわね。
 それこそまるで不良生徒みたいな扱い。それでもやめなかったけど」


「まるで今の三奈子さまみたいね」


「ま、私も丸くなったってことよ」


からかうような蔦子さんの言葉に、真美さんはふんぞり返って余裕を含ませた笑みを返した。
何だかんだで、真美さんのお遊戯を蔦子さんも楽しんでいるようで、
机に頬杖をつきながら話の続きを催促していた。


「私の書く記事は低俗だとか何とかって散々批判されたわ。
 でもそうして声を荒げる人ほど、実は熱心に読んでたりするのよね。
 そういうの、昔も今も変わらないのよ。
 皆、倫理や道徳でキレイに着飾っているけど、その裏では狂おしいくらい毒を求めているんだわ」


何となく真美さんの言うことは分かる気がする。
狂気を覗きたいという気持ちがむくりと起き上がるのを、ふと自覚するときがあるからだ。
もちろん私は立場もあるから、口には出さなかったけれど。
ちなみに蔦子さんはというと、大きく頷いてそれに賛同しているようだった。


「割と敵の多かった私だけど、ちゃんと仲良くしてくれる人もいた。
 その中でも一番親しかったのが、福沢さん」


「へ?」


思わず上げてしまった、素っ頓狂な声。
福沢さんって。


「わ、私?」


「違うわよ。福沢さんは福沢さんでも、違う福沢さん」


真美さんは笑いながら言った。


「でも祐巳さんにそっくりだったから、多分、貴女のご先祖さまね。違うのは髪形くらいだもの」


「何だもう、驚かさないでよ。……それでもびっくりだけど」


「ちなみに真美さん、私のご先祖さまはいらっしゃらなかったの?」


「蔦子さんのご先祖さまは……」


目を閉じて、真美さんは必死に考え込んでいる。


「うーん、知らないわね。でもきっと、どこかで写真撮ってたんじゃないかしら。
 だって貴女のご先祖さまだもの」


「むむ、確かに。何しろ私のご先祖さまだからなぁ。
 そして祐巳さんのご先祖さまはやっぱり子狸ちゃんだった、と」


「もう二人とも、何よそれ」


くすくすと3人で笑いあう。
時計で時間を確認すると、お昼休み終了15分前。
退屈な授業の足音が聞こえてきて、少し憂鬱になった。


「ちなみに真美さん、私のご先祖さまのお名前は?」


「福沢祐里さん」


即答だった。
まるで、すでにそう決めていたかのように。
或いは、本当に実在する人物であるかのように。


「ふくざわ、ゆりさん」


私の復唱を聞いて、真美さんは懐かしそうな眼差しを向けてきた。


「そう。彼女は私の大の親友で、一番の理解者だったわ。
 祐里さんも私と同じ、新興のお家のご息女だったけれど、でもちょっと変わっていたわね。
 彼女の場合、華族の子とも仲良くしていたから。
 ……もちろん、誰とも仲が良かったというわけではないわ。
 祐里さんのことが気に入らないって、陰湿な嫌がらせをする子もたくさんいた。
 それで祐里さんも悩んでいたことだってある。
 でも対立の垣根を取り払って等しくあり続けていたのは、あの時は祐里さんだけだった。
 これって凄いことなのよ。あの時代、あの学校で、そんなことをやってのけるなんて」


話を聞いているうちに、何だか妙に気恥ずかしくなってきた。
いや、あくまで真美さんが創作した福沢祐里さんの話なんだから、私には関係ないのだけれど。
しかし福沢祐里さんのことを話している真美さんは、どこか真剣なのだ。


真美さんの、祐里さんとの思い出話は、創作の源泉を使い切ってしまうかのように、長く長く続いた。
それはほとんど独白と言っても変わりなく、私と蔦子さんは、ただ黙って耳を傾けていた。




…………




私と祐里さんが知り合ったきっかけは、私の作った学園報だった。
まだ最初の方の、本当にありきたりで凡庸な内容のものを書いてた頃のものよ。
ある日祐里さんがそれを持って来て、こう言ったの。


これって、退屈だね。


あまりにも無遠慮な物言いに、私は怒ったわ。
無性に腹が立った。
それはそうでしょう。
だって今まで全く接点がなかった人から、いきなり面と向かって批判されたんだもの。


でも、彼女は悪気があって言ったんじゃなかったって、後で気づいた。
祐里さんの言葉はいつも正直だったから。
祐巳さんの表情がいつも正直であるみたいにね。


私が過激な記事を書くようになったのは、それからよ。
祐里さんを見返してやりたかった。
退屈だなんて言い放った彼女と、無難に収まろうとしていた私自身が許せなかった。
どんな些細な噂話でも、絶対に逃すまいと必死に拾い集めて、裏づけを求めた。
皆の好奇心を刺激して、それを満たすようなものを作りたかった。


その末に生み出されていったものは、ものすごい非難を受けたわ。
お嬢さまが通う女学校の学園報にしては、あまりにも内容が際どすぎた。
教師たちからは何度も厳重注意を受けたし、華族の子たちからは品がないって嘲笑された。


でも祐里さんは違った。
祐里さんは、本当に面白いって、そう言ってくれたの。
一つの嘘偽りなく、まっすぐに。
その時の彼女の笑顔は、今でも忘れられないわ。
もしかしたら私はその笑顔を見たくて、がむしゃらに記事を書いていたのかもしれない。


自然と私達は仲良くなっていったわ。
私達、不思議なくらいにウマが合ってね。
彼女とは色んな話をした。
学校生活のこととか、流行のこととか、悩みごととか、将来のこととか。
そうやってたくさん一緒に時間を過ごした。
ケンカも何度かしたし、何かにつけて競争もした。
私の青春には、彼女の存在が常にあった。
それが当たり前になっていて、あまりにも当たり前すぎて。
これからもこんな風に私達は過ごしていくんだろうなって、漠然と思っていたわ。


真美さん、人生って、劇的であるべきだと思うの。


祐里さんはよくそう言っていた。
そしてこんなに劇的な記事を書けるのは真美さんだけだよ、とも言ってくれたわ。
だから真美さんとお近づきになれて本当に良かった、って。
その時の嬉しさって言ったら、……何て表現すれば良いのかしらね。


そうした日常が何年か続いて、私の学園報にもある程度の支持層ができた頃だったかしら。
ある日、彼女が小さな声で私に言ったの。
真美さん、ちょっとしたネタがあるんだけれど、って。
それで私は聞き返したの。
何か良いネタでもあるの? 悪いけどちょっとやそっとのネタじゃ、記事にはできないわよ、って。
そうしたら祐里さん、困った顔になって、少しの間考え込んでから、言ったのよ。
見出しは無理だけど、紙面の片隅に2〜3行くらいなら書けるかも、って。


その後の祐里さんの表情と言葉を、今でもはっきり覚えてるわ。


私、学校中退するの。
結婚が決まったんだって。
私、まだ一度も会ったことのない人のところに、嫁ぎにいかないといけないんだって。


……祐里さん、泣きそうな顔で、でも精一杯我慢して、そう言った。
私は何も言えなかった。
あまりにも突然すぎて、少しも彼女の言っていることが理解できなかった。
夢かとさえ思ったわ。
何しろそれまで当たり前にあったものが、呆気なく消えてしまうと言うんだもの。


長い長い沈黙の後に、祐里さんは言ったわ。


真美さん、今までありがとう。
私、すごい楽しかった。
貴女と会えて、本当に良かった。
それにしても、昨日まで平凡な女学生だったのに、いきなり結婚が決まっただなんて、私の人生って劇的だね。
はは、私の望み通りだね。
やっぱり人生はこうでなくちゃね。

…………ううん、嘘。
私、やっぱり嫌。
こんなの嫌。
私、少しも知らない人なんかと結婚したくない。
嫌。
嫌だよ。
これでお別れなんて、嫌。
劇的なんかじゃなくていい。
平凡でいい。
だから、もっとこの学校にいたい。
真美さんの書く学園報を読みたい。
真美さんと一緒にいたい、……。


そこで彼女は堪え切れなくなったのか、顔を両手で隠して、声を上げて泣き出してしまったの。
祐里さんの手首から涙が伝って落ちて、地面にいくつも染みができていた。
それを見て私はようやく、祐里さんは遠くに行ってしまうんだと、実感した。
手の届かない、遠い遠いどこかに。


……そうしたら急に悲しみが込み上げてきてね。
言葉が見つからなくて、でも離れるのが嫌だったから、祐里さんを思い切り抱きしめていたわ。
もう二人して大泣きよ。
人目もはばからずにあんなに泣いたのは、あれが初めてだったわ。
そして、これからもないと思う。




…………




「祐巳さん」


真美さんに名前を呼ばれて、私ははっとした。
すっかり真美さんの世界に引き込まれてしまっていた。
それほどに彼女の話は血が通って、生き生きとしていたのだ。


「えっと、どうしたの真美さん」


「私、その時に、祐里さんに言えなかったことがあるの」


「言えなかったこと?」


真美さんは、とても優しい顔をしていた。
今まで見たことのない、柔らかな表情。
私と真美さんの間の空気が澄んでいって、
同時に心臓の鼓動が高鳴っていくのが、はっきりと感じ取られた。


「私も幸せだったわ。
 祐里さんといられて、本当に良かった。
 でも私も、離れたくなんかない。
 祐里さんともっとずっと一緒にいたい。
 ……祐里さん、私は、」


そこで突然、真美さんの言葉を遮るように響いた、カメラのシャッター音。
驚いて視線を向けると、いつの間にそうしていたのか、カメラを構えている蔦子さんの姿があった。


ふふ、と真美さんは小さく笑みをこぼした。


「今の話、蔦子さんは気に入って頂けたかしら?」


「おかげさまで。良い写真が撮れました」


真美さんの悪戯っぽい言葉に、蔦子さんは笑顔で返した。


「良い暇つぶしになったわ。それにしても驚きね。
 真美さんにストーリーテラーの才能もあったなんて」


「お褒めに預かり光栄ね。祐巳さんは、どうだった?」


「へ?」


私は慌てて言葉を探した。


「あ、うん。今の話、とても面白かったよ。素敵だった」


まるで、本当のことだったみたいに。
真美さんの実体験を聞いているかのように。
いや、或いは、もしかして……。


「それは良かった」


真美さんはそう言って立ち上がり、両腕を天に突き上げて思い切り背筋を伸ばした。
そして気持ち良さそうに欠伸をして、まるでさっきまでの真美さんとは別人のようだった。
変な言い方だけど、私の知っている真美さんだ。
祐里さんに伝えられなかった言葉を話していた時の真美さんとは、違う。


「さて、そろそろ授業の準備しないとね。5限って何だったっけ?」


「英語だよ。……ねぇ、真美さん」


「うん? なぁに、祐巳さん」


これを訊ねるのは、滑稽なことだ。
それは自分でもよく分かっている。
でも今聞かないと駄目なのだ。
そう、今しかない。


「あのさ、真美さんって本当に、」


しかし私の問いかけは、予鈴のチャイムでかき消されて、真美さんに届くことはなかった。
あぁ、と思った。
タイミングが悪い。
さっきの真美さんにしても、今の私にしても。
肝心な言葉が、結局分からずじまい。


でも、それで良いのかなと思った。
何もかもがはっきりしているなんて、面白くない。
曖昧なままだからわくわくするし、そこに可能性が広がっている。
そしてそこから繋がっていくのだ。
思いもよらない道筋へと。


「ごめん祐巳さん、何か言った?」


私はゆっくりと頭を横に振った。


「うん、いや、何でもないよ。ただ、何て言うかな。
 人生は劇的であるべきだなぁって。そう思っただけ」


真美さんは一瞬きょとんとして、そして優しく笑った。
私も同じ風に笑った。
きっと真美さんが見てきた風景に、今私はいるのだと思った。


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