「マホ☆ユミ」シリーズ 第2弾 「祐巳の山百合会物語」
第1部 「マリアさまのこころ」
【No:3404】【No:3408】【No:3411】【No:3413】【No:3414】【No:3415】【No:3417】【No:3418】【No:3419】【No:3426】
第2部 「魔杖の名前」
【No:3448】【No:3452】【No:3456】【No:3459】【No:3460】【No:3466】【No:3473】【No:3474】
第3部 「進化する乙女たち」
【No:3506】【No:3508】【No:3510】【No:3513】【No:3516】【No:3517】【No:これ】【No:3521】第3部終了(長い間ありがとうございました)
※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。(カレンダーとはリンクしません)
※ 設定は 第1弾【No:3258】〜【No:3401】 → 番外編【No:3431】〜【No:3445】 から継続しています。 お読みになっていない方はご参照ください。
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〜 7月10日(日) 午前 小寓寺 〜
可南子の気配が消える。
落ち葉や枯れ草、どんぐりなどの木の実も落ちているはずだ。 踏めば音がする小枝なども。
しかし、まったく無音で志摩子から距離をとるように下がっていった可南子はその移動中にすらかすかな音も立てなかった。
(可南子さんの隠形の技・・・。 可南子さんの一番の武器はあの突きなんかじゃない。 この移動術だ)
と、乃梨子は思う。
祐巳の言うところでは、山百合会トップの覇気の量を誇る由乃とほぼ同等。
それだけの覇気を有していながらその気配を消してしまった可南子に舌を巻く。
戦闘状態になればどうしても覇気を高めることが必要になってくるのに。
乃梨子は、二刀の小太刀を構えながら志摩子と相対峙している。
左の小太刀を真っ直ぐに突き出す防御の型。
そして右の小太刀は切っ先を天に向けるようにしながら肩を上げ顔の横でひじを曲げる。
刀身を頬につけるようにしたその姿は弓を引き絞っているかのよう。
背後に護る者がいるときの鉄壁の構え、”陰陽の型” である。
「どこからでもかかってきなさい」
目の前の乃梨子に声をかける志摩子の顔が真剣なものに変わる。
「乃梨子、護りの型は捨てなさい。 まずはわたしに一撃を入れることだけを考えるのよ」
「うん、わかった」 と乃梨子は頷くが、この志摩子のどこに打ち込む隙があると言うのか・・・。
志摩子の巨大なオーラに晒された乃梨子は、思わず "陰陽の型” をとってしまっていたのだ。
(とにかく、少しでもいい。 志摩子さんに隙が出来るとも思えない。 撹乱してどこに消えたかわからない可南子さんに一撃を託すしかないか・・・)
乃梨子は油断なく志摩子を見ながら、その周囲の木や竹の配置を記憶する。
「いくよ、志摩子さん!」
一声かけた乃梨子は、真横にあった杉の木に身を寄せると、一旦身をかがめ跳躍する。
☆
杉の幹を蹴り跳躍した乃梨子は、周囲の杉の幹を蹴り続け空中を飛び回る。
乃梨子の蹴りで頭上の枝が揺れ、乃梨子の体がぶれているように見える。
志摩子は乃梨子の陽動作戦を見ていながら、全神経を周囲に張り巡らせていた。
恐らくこの近くに可南子が潜んでいる。
一瞬でも気を抜いたらあの ”見えない突き” が襲ってくるだろう
それに、気を抜かなかったとしてもいつか切りかかってくるであろう乃梨子の攻撃にあわせ死角から飛んでくるだろう、と予測している。
と・・・。 上空から幾本もの杉の小枝が落ちてきた。
乃梨子が小太刀で杉の枝を払っているのだ。
なにも自分の体だけで陽動作戦をしなければならないものでもない。
落下する杉の小枝に陽動を任せ、その小枝と一緒に乃梨子が志摩子の頭上に降ってくる!
☆
(いまだ!) と可南子は駆け出す。
乃梨子とは一切作戦会議もしていないが、少しでも志摩子の注意を逸らそう、と努力した乃梨子の行為を無駄に出来ない。
志摩子の左手に潜んでいた可南子の ”見えない突き” が志摩子の体を捉える。
ガッ! と硬いものに触れた音がする。 だがその音は思ったほど大きくはない。
可南子の突きは志摩子の体に撃ちこまれるほんの一寸手前で別のものを貫いてしまっていた。
(なにっ?) と驚く可南子の背に一瞬熱い感覚。
ついで、ガッ、ドッ! バサッ・・・。 と音が連続して響いた。
何が起こったのか確認しようと振り向いた可南子の視線に落ち葉の上で大の字になっている乃梨子の姿があった。
「打ち合わせ無しにしてはいい連携攻撃だったわ。 その調子よ」
と、優しく微笑む志摩子の声。
「痛ってて・・・。 最後はなんだったの、志摩子さん」
ようやく呻きながらも上半身を起こす乃梨子。
「剣の柄で乃梨子のおなかを攻撃したの。 剣を戻す時間が無かったから」
乃梨子は、志摩子の上空から襲い掛かるとき、自分の体よりも先に、小太刀を二本とも志摩子に向かって投げつけた。
小太刀投擲術、”陰陽撥止”
一本の小太刀の影にもう一本の小太刀を潜ませ、2投目の小太刀を必中のものとする攻撃。
昨日、瞳子に向けて放った技の完成形。
可南子が突き刺したものはそのうちの一刀だったのだ。
そして、可南子の突きを寸前で交わした志摩子はもう一刀を弾くと同時に、苦無を手に襲い掛かった乃梨子を剣の柄の部分で攻撃した、と言うことらしい。
しかも、その陰に隠れた一刀を弾く寸前には攻撃を外した可南子の背を切りつけることまでしておいて。
いったいどれほどこの志摩子と自分たちの間に差があるのか・・・。
障害物だらけのこの場所は可南子の最も得意とする戦場。
乃梨子はこれまで隠していた本来の戦闘能力を解放したはずだ。
それだけ有利になった自分たちを簡単にあしらう志摩子に底知れぬ戦闘力を感じた二人。
だが・・・・。
二人とも、志摩子の動きが小笠原研究所での模擬戦闘よりも遅いことに気がついてしまった。
もちろん、乃梨子や可南子の動きを簡単に凌駕するスピードなのだが、それでも遅い、と二人は感じる。
あの神速の祐巳の攻撃を防ぎきった志摩子の動きではない。
そして、このような訓練を何度も繰り返しているうちに、志摩子の動きがだんだん悪くなってきている。
志摩子が振るう模擬剣の一撃を二本の小太刀で防ぎながら乃梨子はそう思った。
それは、同様に可南子も感じていることだった。
「あの、志摩子さん、調子悪いの? 昨日とは雰囲気が違うんだけど?」
だが、 「なんでもないわ」 と穏やかに返す志摩子。
☆
志摩子は、小笠原研究所での模擬訓練ではミサンガを着けてはいなかった。
昨年の3ヶ月に及ぶ祐巳との山梨での修行中は一日の大半を装着したままで過ごしていたのだが、最近は下宿先である祐巳の家にいるとき以外は着けてはいない。
体の機能を半分に抑制するランダマイザの呪文がかけられたミサンガ。
修行を効率的に行うためには最も優れたアイテムなのだが、それだけ体に無理をきたす。
ずっと装着したままの状態から急に解き放たれた場合、無理な運動をしないのであればそれほど問題は無い。
しかし、突発的に覇気を全開にして戦わなければならなくなるような事態が起こったとき、戦闘後に体組織の一部を損傷する危険性がある。
それは昨年のI公園での戦闘のあと、祐巳の筋繊維が断裂したことでも明らかだった。
このため、祐巳も志摩子も自宅に帰った後、柔軟運動や基礎訓練を行ってからバスタイムまでの時間しか装着しない。 その後はゆっくりと睡眠を取り体力の回復に努める。
できるだけミサンガをつけていない状態でも体力の向上を図れるようになったほうが良いに決まっている。
今は、着けたり外したりを繰り返しても、日常生活ではそれほど違和感無く生活できるレベルにまでなっているのだが、生活リズムの一環として基礎訓練からの数時間だけを装着タイムと決めていた。
その志摩子がこの日、乃梨子と可南子の二人を相手に訓練する間、ミサンガを装着している。
それは、あまりにも違いすぎるレベルのため、少しでも同列に近い力量の持ち主として訓練したかったから、ということが一つの理由。
スピードでもパワーでも圧倒的に違いすぎるレベルの相手と真剣勝負するより、ぎりぎり上の力量との相手と対戦したほうが伸びが速い。
あまりにもレベルが違いすぎると、最初から勝つことをあきらめてしまい、無理な攻撃をしたり投げやりな防御になったりしがちなもの。
それに、乃梨子の覇気コントロール能力の向上にはこの訓練方法が向いている、というのが江利子の分析だった。
出来るだけ近い力量の相手と様々なシミュレーション戦闘を繰り返し、その中でもっとも効率的な覇気の集中度を体に覚えこませること。
それが第2の理由である。
一方、可南子についてはとにかく志摩子のスピードに付いていける歩舞術を身につけることが求められている。
一撃必殺の突きを繰り出すとき以外でもあのスピードを出せるようにすること。
その外には、特に可南子と志摩子への注文は無かった。
だが、共に修行をする乃梨子に状況を合わせること、と言うことだけが江利子のアドバイス。
可南子の隠形の技と、そこからの鋭敏な突き技は恐るべきものではあるが、一度その攻撃を見た志摩子は掠らせもしなかった。
水野蓉子の ”寸居の見切り” を受け継ぐ志摩子にとって例え視認できないほど鋭い可南子の突きであってもかわす事は造作もないこと。
江利子は無理を承知で可南子に、志摩子を相手に 「一撃入れてみせなさい」、と命じた。
そのためには、最低でも風身で脅威の動きを実現させる上に先読みの力まで持った志摩子に付いていけるだけのスピードが求められる、と言うことなのだ。
☆
「ねぇ、志摩子さん、ほんとに大丈夫なの?」
曖昧に、「なんでもないわ」 と答えた志摩子に乃梨子は重ねて問う。
なにせ、昨日はこれまで乃梨子が経験したことがないほどの激しい戦闘訓練が行われたのだ。
しかも、志摩子は乃梨子を守るため、祐巳と江利子の攻撃に晒され続けた。
乃梨子は祐巳の動きが全く見えなかった。
白い光が突っ込んできた、と見えた瞬間には自分の目の前で祐巳と志摩子が切り結んでいる。
一瞬のうちに数合の絡み。
志摩子の模擬剣を弾き飛ばすばかりに鋭い祐巳の薙ぎ払いからの打ち下ろし。
(志摩子さんをやらせはしない!) と突っ込もう落とした瞬間、目の前を一筋の黒い軌跡が・・・
えっ?! と思った瞬間、志摩子を打ち据えようとしていた祐巳の杖の先端が乃梨子の鳩尾に食い込んでいた。
祐巳は志摩子が杖の切り落としを弾き返すのを読み、弾かれた杖の軌道を乃梨子がいる方向に向けたのだ。
「迂闊だったわ・・・」 と、志摩子が呻く。
「こめんね、志摩子さん。 でもこっちも真剣だから」 と、すまなそうな顔で志摩子に返す祐巳。
最初の戦闘訓練で瞬く間に祐巳に敗れた志摩子・乃梨子チームはその後は完全に戦略を切り替え善戦した。
祐巳と江利子の攻撃を志摩子が防ぎ、乃梨子は直接戦闘要員ではない祥子、瞳子を攻撃すること。
また、志摩子に余裕が生まれれば、乃梨子と共に祐巳と江利子以外の攻撃に参加する、というもの。
やはり、乃梨子、可南子、瞳子の一年生三人と、格闘経験の少ない祥子が、江利子、志摩子、そして祐巳という、歴代のリリアンを見ても十指に入る戦闘能力を持つ3人と対戦して勝てる訳もない。
乃梨子を守るため、志摩子は ”リリアン最強” の祐巳の猛攻を耐え凌ぎ、 ”神をも射殺す” 必中の矢を放つ江利子の攻撃をかすらせもしなかったのだ。
(志摩子さんに無理させすぎたんじゃ・・・。 その疲れが今日でているんじゃないの?)
志摩子は、心配そうに覗き込む乃梨子に本当のことを告げようか、と悩む。
本来なら、ランダマイザで体力を落としている、ということは教えたくは無かった。
しかし、昨日の疲れが出ているのではないか、それは自分の責任じゃないのか・・・、と泣きそうな顔で迫る乃梨子にとうとう根負けしてしまった。
「乃梨子は、パワー・アンクル、とかの体に負荷をかける道具は知っているわよね?」
と、志摩子。
もちろんパワー・アンクル程度は乃梨子も可南子も知っている。
中学生時代は体力をつけるために両手、両足に計数キロの重りをつけてジョギングをしたこともある。
「パワー・アンクルの強化版と思ってくれたらいいわ。 それがこのミサンガ」
そう言いながら右手首に巻いたミサンガを二人に見せる。
「このミサンガはわたしと祐巳さんが修行のために身につけているものなの。
慣れないうちは呼吸をすることすら困難になるほどのものなのだけれど、その分体力の向上にはこれほど優れたアイテムは無いわ。
言いにくいのだけれど、今のあなた達のスピードでは二人がかりでもまだわたしに及ばない。
だから、わたしに追いつくことが出来るまでは、修行中にこのミサンガをつけて置くことにしたのよ」
乃梨子と可南子は志摩子の右手首にまかれた白いミサンガをじっと見つめる。
それは糸を撚り込んだだけの質素なもの。 このなんの変哲も無い糸に 「パワー・アンクルの強化版」 と言われるほどの効力があるとも思えない。
「えっと・・・。 それ、そんなに効果があるのなら少し貸してくださいませんか?
わたしも早く志摩子さんに少しでも追いつきたいし・・・」
「あの、わたくしにも一つ貸してはいただけませんでしょうか?」
乃梨子も可南子もこのミサンガに興味津々。
だが、志摩子は一本しか持っていないし、そもそも貸すことなど考えてもいなかった。
だが、どうしても、と食い下がる二人に、 「ほんの少しだけよ」 と気乗りしない顔でミサンガを外して渡した。
まず、ミサンガを手に取ったのは乃梨子。 さすがに姉妹間が先だろう、と可南子が譲ったのだ。
・・・ そして、乃梨子が手首にミサンガを巻いたとたん・・・
「う・・・?!」 っと一声呻いてその場にしゃがみこむ乃梨子。
(な・・・なにこれ?! 呼吸が出来ない! め・・・眩暈がする・・・)
みるみる真っ青な顔になる乃梨子。
だが、志摩子はすでにこの状況を去年経験している。
落ち着いて乃梨子の背をさすりながら、
「あわてないでいいわ。 このミサンガにはとても強力な呪文が練りこまれてあるの。
落ち着いてゆっくり浅く呼吸をして見なさい。 決して深呼吸しようとしてはダメ。
出来る範囲で浅く軽く呼吸をして」
とアドバイスをおくった。
乃梨子はその言葉に従って四つんばいの状態のまま、陸に打ち上げられた魚のようにパクパクと浅い呼吸をはじめる。
しばらくたつとその呼吸法にもなれ、だんだん眩暈が治まってきた。
「長時間は体に毒だからこれくらいでいいでしょう? 外すわよ」
と、乃梨子の意思も確認せずにミサンガを外してしまう志摩子。
ランダマイザの呪縛から解放された乃梨子は、ぜーっ、はーっ、と大きく深呼吸をしている。
(志摩子さん・・・。 こんなものつけてあの動きをしてたのか・・・。 わたし、とんでもない人の妹になっちゃったなぁ・・・)
蹲ったまま、苦しい息使いの中でそう乃梨子が思っていると・・・
「次はわたくしですわね」
と、苦しげに蹲っている乃梨子を見ているというのに毅然と言い放つ可南子。
「いいの? 乃梨子の様子をみたでしょう。 ほんとに苦しいのよ?」
と、心配そうな志摩子。
「いえ。 そのミサンガはロサ・ギガンティアだけではなく祐巳さまもしておられたのでしょう?
そうであるなら、わたくしにも挑戦させてください」
そうだった・・・。 祐巳は可南子にとって唯一絶対の崇拝の対象。
そんな可南子に 『祐巳さんもしていた』 と言ってしまえば後に引くことは無いだろう。
可南子は志摩子からミサンガを受け取ると大きく深呼吸をしながら手首にあてがう。
その顔には悲壮感さえも浮かべて。
志摩子は祐巳の ”守護剣士” となるためにこのミサンガを身につけ、信じられないほどの戦闘力を身につけたのだろう、と可南子は推測する。
その立場こそ可南子の望むもの。 決して ”妹” として護られる存在に収まるつもりなど毛頭ない。
祐巳を護り抜くことこそ可南子の唯一絶対の願いなのだから。
(石に噛り付いてでもこの試練に耐え抜いてみせる!)
覇気を全身に巡らせながら、可南子はミサンガを腕に巻きつけた。
☆★☆
〜 7月10日(日) 夕方 福沢家 〜
一日中、志摩子の元で修行に明け暮れた乃梨子と可南子は、夜6時過ぎ、志摩子と共に福沢家を訪れた。
志摩子は明日からのリリアンへの登校のため福沢家に帰った、ということなのだが、乃梨子と可南子は別の目的があった。
それは、祐巳の持つもう一本のランダマイザが練りこまれたミサンガを受け継ぐため、それとその使用に対する注意点を聞くため。
「祐巳さん、ただいま〜」 と、志摩子がドアを開けると、玄関に祐巳の靴の他にもう一足。
可愛らしい茶色の靴が仲良く祐巳の靴の隣に並んでいる。
「あら? どなたかお客様かしら?」
と、志摩子が訝しげな顔になっていると、
「あ、志摩子さん、おかえり〜。 夕食、まだでしょ〜?」
とても楽しそうな祐巳の声がダイニングのほうから聞こえてきた。
「乃梨子、可南子ちゃん。 祐巳さん帰っているわ。 早く上がって」
二人に声をかけた志摩子は、そのままリビングに向かう。
そこに座っていたのは松平瞳子。
「ごきげんよう、ロサ・ギアンティア。 お邪魔しています」
すっと立ち上がって一礼する瞳子に、志摩子が驚いた顔になる。
「え・・・? どうして瞳子ちゃんが?」
「瞳子もいるの?!」 と、志摩子の後ろからリビングに入ってきた乃梨子も驚いた顔になる。
「ごきげんよう、乃梨子さん。 あ、可南子さんもいらっしゃったのね?」
「え?! 乃梨子ちゃんも可南子ちゃんも来たの?! あ〜・・・」
まさか、こんなにお客さんが増えるとは思わなかったぞ、とダイニングから顔を出した祐巳の百面相が語っている。
「ごきげんよう、祐巳さま」 と、まず真っ先に祐巳にお辞儀をする可南子。
「ごきげんよう。 あの、祐巳さま、おかまいなく。 お話がすんだらすぐお暇しますので」
乃梨子も祐巳に挨拶をしながら気を使う。
「え〜。 せっかく来てくれたんだからゆっくりしていって。 いま夕食の準備をしてるのよ。 一緒に食べよう?
それと電話ならそこにあるから、お家に電話しておいて」
「あぁ、帰ってくる前に電話しておいたの。 乃梨子の大叔母様は快く御了承して下さったわ」
「うちの大叔母ったら、志摩子さんがリリアンのロサ・ギガンティア、って言ったら一発で了承してくれたんです」
と、嬉しそうな乃梨子。
「うちは、母の帰りが遅いので・・・」 と、可南子は静かに微笑む。
可南子の母親はキャリア・ウーマンで毎日帰りが遅い。
今日も日曜日だと言うのに仕事の接待で夜遅くになる、と言っていた。
電話をしてみたが出なかったので、今日も深夜になるのだろう、と説明する。
3人が挨拶している間にもキッチンから、ぐつぐつと鍋が小気味良い音を立てているのが聞こえる。
ミートソースのいい匂いも漂ってきた。
「あら、夕食の準備中だったのね、祐巳さん。 わたしも手伝うわ」
「うん、ありがとう。 乃梨子ちゃんも可南子ちゃんも座って待ってて」
「あの、お手伝いを・・・」
「いいのいいの、すぐできるから待ってて」
と、祐巳と志摩子はキッチンに向かう。
「祐巳さまが、ミートスパゲティを作ってくださっていたんですの。 一緒に夕食を食べよう、っておっしゃっていただいたので」
「ありゃ、それはほんとにお邪魔してしまったみたいだね」
「いいえ、ロサ・ギガンティアはこの時間に帰ってくるだろうから、って。 なので3人分作ってくださっていたんですの」
「ふ〜ん。 気を使わせちゃってまずかったかなぁ。 でも始めて来たけど、祐巳さまの家ってあったかい雰囲気だね〜」
「あら、クーラーは効いていますわよ」
「いや、そっちじゃなくて!」
「うふふ。 ところで、どうして乃梨子さんと可南子さんがここに来たのかしら?」
「ん? あぁ、まぁいろいろあって。 あとで教えるよ」
瞳子と乃梨子が楽しげに談笑する横で可南子はじっと黙ったまま。
修行で疲れているのか、祐巳の家に来たことに感激しているのか。
二人の会話にまったく加わらず、どこかうっとりとした顔でキッチンのほうを見ている。
そこにはクルクルとこまねずみのように動き回る祐巳と穏やかに微笑みながらその手伝いをする志摩子。
「いいなぁ、まるで新婚生活みたい」 と、ぼそっと呟く乃梨子。
今まさにその事を妄想していた可南子は、思わずキッと乃梨子を睨みつけた。
☆
「祐巳さま、とっても美味しいです!」
「ほんと! 祐巳さまってお料理も上手だったんですね〜」
祐巳の作ったミートスパゲティを5人で分けて、それと志摩子が手早く作ったサラダとコンソメスープ。
そんな簡単な夕食だと言うのに3人の一年生たちはとても幸せそうな顔。
なにせ、祐巳と志摩子というリリアン女学園のアイドル二人が自分たちのために振舞ってくれた夕食なのだ。
「皆が来るってわかってたらもっと豪華な夕食を準備したんだけどね」
「いいえ! これだけでも十分です! とても美味しくって優しい味がします」
どちらかと言えばおとなしい白薔薇姉妹に寡黙な可南子を含めた5人なのだが、さすがに年頃の女子高生。
5人も集まれば話題に事欠かない。
「去年は、聖さまや蓉子さまもよく泊まって行ってくれたの。 それに、令さまからいろいろお料理を教えてもらったりしたんだよ。
でも、やっぱり和食は志摩子さんのほうがずっと美味しいんだ。 特に煮物なんか最高だよ」
「あら、祐巳さんだって随分京風のお料理が上手になったじゃないの。 お吸い物なんかいい味出してたわよ」
なんだか、夫婦漫才のようになってきている志摩子と祐巳。
普段は祐麒が一緒に食卓に付くのだが、さすがに今日は呼び出すわけには行かない。
まだ、この3人には祐麒が魔王・マルバスだと打ち明けていないからだ。
「でも、やっぱり薔薇さまの威光ってすごいんだねぇ。 去年も聖さまがいればどんなに遅くなっても叱られなかったもん」
祐巳は去年蓉子が言った、『リリアンの薔薇がどれだけ信頼されているかわかるわ』 という言葉を思い出していた。
薔薇さまになる、ということは生徒の信任を受けている、というだけではない。
妖精王からもその資質、人間性を認められているか、を示すものであるのだ。
誇り高いリリアンの生徒の頂点に君臨する薔薇にはそれだけの責任も求められる。
☆★☆
〜 7月10日(日) 夜 福沢家 リビング 〜
楽しい時間は瞬く間に過ぎてゆく。
一年生それぞれの親には了承をもらっているのだが、やはりあまり遅くになるのはまずいだろう。
何日も前から計画されていた『合宿』などならまだしも、さすがに今日の電話ですぐに深夜になる、と言うことは避けたい。
夕食が終わり、お茶の準備をしてリビングに全員が移動すると、すぐに志摩子が本題の口火を切る。
「今日、乃梨子と可南子ちゃんの3人で戦闘訓練をしたわ」
「うん、どうだった?」
「いろいろありすぎて、どれから話していいものか・・・。
まず、乃梨子は祐巳さんが想像していたとおり。 みごとな小太刀二刀流を使いこなした」
「お〜。 乃梨子ちゃん、やっぱり剣術も出来たんだね。 でもどうして黙ってたのかな?」
「乃梨子は・・・」 と、ちらり、と瞳子を見る志摩子。
「志摩子さん、わたしから言います」
全員をゆっくりと見渡して乃梨子が宣言する。
「わたしは、千葉の隠里から来ました。 忍びの里です。 わたしは幼いことから忍者として育てられてきました」
「うん」 と、軽く頷く祐巳。
もちろん、乃梨子が忍びの技を身につけていることは随分前からわかっていたし、小笠原研究所での戦闘訓練でもその片鱗は十分伺えた。
予測どおりの答え、だったのであまり驚きも無い。
・・・ ただ、この場で唯一瞳子だけが大きく眼を見開いた。
「現在の忍者はほとんどが名も知られぬまま、重要人物の影の護衛についています。
わたしも将来SPとして働くことになると思います。 その時に素性が割れるわけには参りません。
だから・・・。 黙っていました。 申し訳ありません」
(卑怯だけど・・・。 祐巳さまと志摩子さんにはばれてるだろうけど・・・。 ここまでで許してください・・・)
乃梨子は口に出した謝罪の言葉に、心の中の謝罪の言葉を重ね、頭をたれたまま唇をかみ締める。
忍びの組織が、リリアンの戦女神たちの力量に注視し、その力を身につけたがっている、ということはさすがに言えなかった。
まして、そのために自分がリリアンに送り込まれた、などということは。
どんなに志摩子が擁護してくれたとしても。
それでは志摩子の妹になるためにどんな画策をしたのか、志摩子のことを好きでもなんでもないのに、目的のためだけに妹になったのか、という噂が流れるのは絶対に避けたかった。
志摩子への想いは 『妹にしてください』 と、小寓寺を訪ねて志摩子に懇願したときよりもさらに強くなっている。
それだけは、絶対の自信がある。
そして、その事を一番理解してくれているのが志摩子だ、とも思っている。
しかし・・・。 祐巳をはじめ、瞳子にも可南子にも、ほかのどのリリアンの生徒にも言いたくはなかった。
かみ締めた唇が僅かに震えていたのは、やはり口にするのが苦しかったから、なんだろうなぁ、と乃梨子は俯きながら思っていた。
と・・・。 可南子が椅子から立ち上がったかと思うと、無表情のままぼそっと一言。
「わたくしの先祖は ”暗殺者” です。 わたくしの技は人殺しの術です」
そう一言だけ口にすると、すっと音も立てず椅子に座る。
なんの脈絡も無いまま、突然打ち明けられた一同は驚いたように可南子を見つめる。
それは、可南子の初めての告白。 もし、他人に知られたら恐れられるどころか気味悪がられ、誰も近づいては来ないだろう。
だから、誰にも話さなかった。
もし、誰かと親しくなったとしても、親しければそれだけ秘密がばれやすい。
親しくなったものが可南子の秘密を知ったとたん、急に引きつったような顔になり自分から離れて行くかもしれない。
そう考えると恐ろしくて、誰とも深い付き合いが出来ないまま高等部の一年生まで過ごしてしまった可南子。
だが、このことを告白する気になったのは祐巳が励ましてくれたから。
自分の身に付けた技を祐巳が認めてくれたから。
それと、自分と同じように人に言えない悩みを抱えていた親友・乃梨子の心の葛藤に気付かなかった負い目。
乃梨子だけを、 『忍びの者だ』 と恐れられる存在にはしない。
無意識のうちに、自分がこのことを打ち明けることで乃梨子の心の負担が少しでも減るのなら・・・、と可南子は思ったのかもしれない。
先ほどまで明るく華やかな笑い声が響いていた福沢家のリビングが、急に温度が下がったように重苦しい雰囲気に支配される。
☆
「ぷっ」
と、祐巳が堪えきれなくなったように吹き出す。
えっ、と驚いた顔で祐巳を見つめる乃梨子と可南子。
人が一世一代の告白をした、というのに、何で笑わなければならないのだ?
「あはは。 あ〜、ほんとにみんな気を使いすぎだよ?
志摩子さんが悪いんだからね。 リリアンはどんな生徒だって受け入れてくれるんだよ。
お寺の娘でも、神社の孫娘でも、先祖が忍者だの、先祖に人を殺した人がいる、なんて関係ないんだよ?
だって、わたしは、みんながそういうものだから、って気にしてないし。
別に、そんなことが知りたいわけでも、知ったからって友達にならない、なんてことはないんだ」
あっけに取られている全員を見ながらくすくす笑う祐巳。
「一年前ね〜、志摩子さんったら、たった一人でお弁当を食べようとしているの。
クラスの誰とも仲良くしてなかったんだよ? 可笑しいでしょ〜。 こんなに美人なのに。
だって、たかが実家がお寺だ、ってだけで友達も作ろうとしなかったんだから。
わたしなんて、巫女修行を3年もしてきたって言うのに」
一年前・・・、入学直後の切羽詰っていた頃のことを指摘されて真っ赤になる志摩子。
「えっ?! 祐巳さま、巫女さまなんですか? じゃ、将来は神社に?」
その事を知らなかった瞳子と可南子が驚いた顔になる。
「ん〜。 それも選択肢の一つではあるけれど、将来のことなんてまだ全然決めていないの。
でも、巫女のわたしをリリアンは何の問題も無く受け入れてくれたわ」
「そう。 わたしは祐巳さんに手を引かれて今もリリアンに居るんだわ。
それに山百合会の皆さんがわたしの事情なんて関係ない、って簡単に言ってくださって」
「家が財閥だろうが、神社だろうがそんなことは問題じゃないんだよ。
わたしが皆のことを好きなの。
皆のことを信頼しているから友達になりたいの。
友達になったあと、その人の事情を知ったからって友達でいることをやめるわけがないじゃない。
だって、そんなことを知らないうちに友達になっているんだよ?
それ以上に必要なことって何もないんじゃないかな?」
「祐巳さんの言うように、まずは友達になること。
そして自分がその友達の 『かけがえのない親友』 になること。
そうすれば、その親友は絶対にあなたを裏切ったりしない。 自分自身と同じように大事に思える存在になるのよ」
志摩子は、3人の一年生を見つめながら語る。
それは、祐巳と知り合って1年以上になる志摩子が、祐巳の行動から学び取った最も大事な教えだった。
祐巳自身はそれを教えたつもりは無いだろう。
だって、それは祐巳にとっては、本当に自然なことなのだから。
乃梨子と可南子の肩から、ほっと力が抜けていく。
そうだ・・・。 ここに居るメンバーなら乃梨子が、そして可南子が不利になるようなことを他人に言うことは絶対にないだろう。
もちろん、瞳子も含めて。
ここ最近、一番祐巳に近いところに居るのが瞳子なのだ。
祐巳の信頼を裏切るような、祐巳を悲しませるようなことを瞳子がするわけも無い。
「だから、乃梨子も可南子ちゃんも安心していいわ」
ね、気にすることなんて何にも無かったでしょう? と、志摩子の瞳が乃梨子に微笑みかけている。
一方、やり取りの一部始終を眺めていた瞳子も目頭が熱くなるのを必死でこらえていた。
秘密を抱えていたのは自分だけではなかった、と。
そして、心無い大人たち、そして残酷な陰口を叩く銘家のお嬢様たち。 そんな人たちに比べ、なんと素敵な人たちなのだろう、と瞳子は思う。
自分も、いつかこの重荷を担いで歩くことが出来なくなるときが来たら・・・。
その時に、力づけてくれるような存在が欲しい。
一緒に泣いてくれる人が欲しい・・・。
そんな存在が近くに居ることを瞳子は既にわかっている。
リリアンを、そしてこの世界を照らす大きな太陽の存在を。
その太陽の光の下へ正々堂々と胸を張って出て行くことが出来たなら・・・。
だが、その事をまだ自分の口から言う勇気のない瞳子だった。