【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】
【No:3196】【No:3205】【No:3233】【No:3249】【No:3288】
【No:3327】【No:3380】【No:3397】【No:3443】【No:3464】【No:3498】【No:3501】 解説書【No:3505】
【No:3509】【No:3515】【No:3538】【No:3541】【No:3589】【No:3593】【No:3597】【No:3601】【No:3613】【No:3616】【No:3617】【No:3618】 解説書２【No:3620】から続いています。
☆
「時間切れか」
そう呟いたかと思えば、彼女は立ち上がった。
「まだ納得できてないけど、知りたいことはわかったからこれでいいよ」
その人――“鋼鉄少女”はツケの清算を済ませたらしく、一応満足したようだ。
保健室で、変わらずベッドに横になっている福沢祐巳はほっとした。
島津由乃のアレコレを根掘り葉掘り聞かれたが、肝心の部分は何とか死守できた。たぶん“鋼鉄少女”にも祐巳が隠していることがある、というのは伝わっているはずだが、無理に聞き出すつもりはないようだ。時間的にも。
「祐巳さん」
時間切れの理由は、藤堂志摩子がやってきたからだ。
「じゃあね」
二人に手を振り、“鋼鉄少女”は志摩子と入れ違いに保健室から出て行った。
「……お邪魔したかしら？」
「ううん」
むしろほっとしている。
島津由乃との関係を紐解く上で、必ず通らなければならない「あの写真」のことだけは、絶対に、どんなことがあろうと話せない。
話せばきっと山百合会――それも小笠原祥子に迷惑を掛けるだろう。どんな迷惑を掛けるのか想像もできないが。
何も言わずとも“治療”を始める志摩子は、話には聞いていた祐巳の覚醒をしっかり感じた。
（……“底なし”）
祐巳の身体に触れ、力に触れ、その感覚を間違いようもなく確信する。
そして、志摩子が感じたように、祐巳も感じていた。
「これが“力を感じる”って感覚なんだね」
目覚めたら自然とできるようになるとは聞いていた。
不思議な感じだ。限りなく人肌に近い温かな流れを感じる、という表現が近いだろうか。祐巳の場合は触れなければ感じないし、逆も然りだが。
「祐巳さん、自分の状態、わかる？」
今まで志摩子が“触れて”きた力の中で、祐巳のものはどれとも違う。
何せ祐巳の中は“からっぽ”である。
強大な力があった痕跡だけが残っている。
「大体は。きっと志摩子さんみたいな状態が普通なんだね」
祐巳は従来と真逆である。もはや異質と呼んだ方が近いくらいだ。
肉体疲労のみなのですぐに“治療”も終わり、祐巳はベッドから身を起こした。
「なんて言えばいいんだろう……そう、たぶん――“完全充電型”という感じ」
志摩子は息を飲んだ。合点がいったからだ。
力は自然と回復する。
中には食事をしたり睡眠を取ったりで回復速度が上がる者もいるが、
「祐巳さんは自分で力を回復できないのね」
「うん」
話に聞く“契約者”と取引した直後、覚醒と同時に力を開放し、何事をする前に見事に“底をついた”――その場で“力を使い切った”のだ。
その後、“完全充電型”である祐巳は、“充電”する機会が全くなかった。覚醒直後という自分でも何が変わったのかわからないような状態だったせいで、自分が何をできるのかさえわからない。どうすれば“充電”できるかも当然わからなかった。
しかしだ。
「でも祐巳さん、今まで覚醒した人に触れたことあるわよね？」
「“充電”できることを知らなかったからね。やり方もわからなかったし」
「……今は？」
祐巳は右手の甲の“烙印”を見せた。
「私は“底が抜けた桶”みたいなものでね、力を留めておくことができないみたいなの」
覚醒時も見えた漏れる“黒いオーラ”は、祐巳の力そのものである。つまり、何もしなくても無駄に使い続けているという状態なのだ。
力のない“入れ物”、それも“底が抜けている”ので貯蔵庫にもならない。
それが祐巳の力の正体だった。
――今朝入った、あの“契約者”が創り出した“教室”には、自然治癒力が上がる結界が張られていた。恐らく力の中に入っているという状態が偶然祐巳の力の貯蔵庫と直結され、使用する分だけそれを自然と取り込んだから祐巳の“紅目”が発動していた。しかし“底が抜けている”ので身体に留めることはできず、“黒いオーラ”はでなかった。たぶん結界自体の力も弱かったのだろう。
「“十字架”のおかげで、少しだけ“呑んだ力”が留めていられるみたい。今志摩子さんが私の力を感じたり、私が志摩子さんの力を感じられるのも、力が残っているからだと思う」
「つまり、それを使い切ったら」
「また“充電”しないと前の私に逆戻り」
もっとも、今の祐巳も、そんなに力が残っているわけではないが。
「桂さんには悪いことをしたな……」
「何かしたの？」
「うん……実はね」
祐巳は、昼休みでミルクホールで何があったのか説明する。
白薔薇の蕾である志摩子は、その情報はすでに耳に入れているのだが、祐巳視点での説明は聞くべきだと思い耳を傾ける。
「なんか“黒い人”とぶつかってね」
それは紅薔薇勢力突撃隊副隊長“鵺子”だ。憑依が進むと髪が伸びて、人としての肌の面積が極端に少なくなるので、まあ“黒い人”で間違ってはいない。
「たぶん“敵意”とか“闘争心”とか、そういうのを感じたんだろうね。身体が勝手に反応したんだ」
条件反射、本能的な自己防衛だろう――覚醒した者なら、力による反応ができることもある。
「触れた瞬間、勝手に相手の力を“呑み込んだ”。だけど」
「だけど？」
「なぜかその人の“怪我”まで“呑んだ”みたいで、とにかく身体中が痛くなって」
祐巳は「これ見て」と、襟をずらして胸元を開いた。
志摩子は驚いた。
「刀傷ね」
左肩から右脇腹に掛けてばっさりと続く傷。もう薄く残っている程度で血は止まっているし、祐巳としても痛くないが、これは紛れもなく刀傷の傷跡である。
――二人は知らないが、直前に闘っていた支倉令の必殺技「参閃“杯花”」で付けられたものだ。そして、佐藤聖の“シロイハコ”の骨折もプラスである。骨折はもう治っているが。
「それはたぶん憑依中だったからだと思う」
「ひょうい？」
「えっと……大まかに言えば、“鎧”の能力で、その“鎧”が傷ついていて、だから傷ごと祐巳さんの中に入った……とか、そんな感じかしら」
「へえ、力が傷つくってケースもあるんだね」
志摩子だってこんなケース自体が初めてだ。あくまでも近いと思われるたとえを出しただけなので、信憑性は怪しいものだが。しかし祐巳は納得したようだ。
「偶然だったのね」
“敵意”に触れることで身体が反応した――逆に言えば、だから祐巳はこれまで異常がなかったと言える。
力のない一般生徒に危害を加える者がいなかった、ということだ。
今回のことだって、傷を負ってボロボロの“鵺子”がよろめいて、祐巳に触れたせいで起こったことだ。決して襲われたわけではなく、限りなく事故に近い。いや、事実だけ見るなら、“鵺子”の方が被害者だったのかもしれない。よろめいて当たっただけで“奪われた”のであれば。
「この“怪我”のせいで、近くにいた桂さんから根こそぎ力を“貰”っちゃって」
祐巳にとっての“充電”は、未覚醒者が覚醒するようなものである。力さえあれば基礎能力も上がる。当然、自然治癒力も上昇する。
“鵺子”の憑依を丸のまま“呑み込んだ”時点で、祐巳は理性ではなく本能で動くようになった。まず己の傷を癒すために、近くにあるエネルギーを“摂取”した――桂の力である。
そしてその後、近くにいる最も力の強い者からの“摂取”を試みる。“底が抜けている”せいもあるのだろうが、端的に言えば“鵺子”と桂の力だけでは足りなかったのだ。
だから、鳥居江利子を狙った。
まず聖に向かったのは、聖が江利子の前にいたからだ。江利子を襲うのに聖が邪魔だったのである。
「あとは普通に黄薔薇にやられてこの通り」
黄薔薇にやられている時点で、断じて普通ではないが。三薔薇がルーキーの相手なんてまずしない。
「“完全充電型”……」
由乃と同じく、志摩子の心中も複雑だった。
祐巳の力が明確になったせいで、恐らく祐巳も闘いの世界に踏み込むことになる。
これだけ特殊な力だ。放っておかれるとは思えない。
もう平穏とは無縁になるだろう。
「そういえば、祥子さまは？」
「私のロザリオを持ち主に返しに行ったよ」
言われてみれば祐巳の首回りが身軽になっているではないか。見慣れているせいで逆に寂しげに見えるくらいだ。
いや、今はそれはいい。
「それって、祐巳さんを妹にしたいってこと？」
「……そう言ってた」
「……そう」
どアップの祥子を思い出し羞恥に顔を伏せる祐巳に、これからの祐巳を想って顔を伏せる志摩子。
山百合会は激戦区の住人である。
誰もがいつでも闘う覚悟をし、いつでも闘えるよう心構えをしている。闘わない志摩子だって戦闘に巻き込まれることは多々あった。
ただでさえ劇の一件で悪目立ちしてしまった祐巳である。山百合会の後ろ盾もあったが、覚醒していないから放っておかれた部分も大きい。
しかし、もしこの上山百合会入りを果たしたら、きっと祐巳は方々から戦闘を仕掛けられることになるだろう。ニューフェイスに挨拶もかねて。
リリアンにおける山百合会メンバーへの挨拶は、だいたい手荒であるからして。
「あまり立ち入ったことを聞くのは悪いと思うけれど、……祥子さまの妹になるの？」
「まだ決めてない」
「祐巳さんの中では、可能性はあるのね」
「……祥子さまが本気なら、本気で考えなきゃ失礼だから」
相手が祐巳ではなく力だけを求めていたとしてもか――なんて志摩子には言えなかった。
理想だけならなんとでも言える。山百合会入りに力の有無は非常に大きい。それがないと由乃以上の苦労が付いてくるからだ。そういう意味では、むしろ祥子は優しいだろう。本人の意向より優先して、山百合会の激務に耐えられる相手を求めているのだから。
何より、山百合会はリリアンを護るための組織でもある。いろんなものを護るために身体を張るのが義務になる。
力なき正義は、無力である。そしてもしかしたら罪でさえあるのかもしれない。
「老婆心ながら言うけれど、祥子さまの妹になったら、これからずっと闘い続けることになるわ。ただでさえ祐巳さんは目立ってしまった。今でも危険な状態にあると言っていいわ」
志摩子は、保健室付近で待ち伏せしている者を何人も見た。恐らくは昼休みの噂――三薔薇の二人にケンカを売り、あまつさえ佐藤聖を殴り飛ばしたという、有力なルーキーを探るために。
場合によっては仕掛けるし、場合によってはより最悪のケースが待っているだろう。
「うぅ……好きでやったわけじゃないのに……」
祐巳の不安げな顔を未て、しかし志摩子は少し安心した。
色々大変なことを起こしてしまった祐巳だが、特に変わってしまったわけではないようだ。いつもの気弱で気持ちが露骨に顔に出る、志摩子がよく知る福沢祐巳だ。
「……なんとかならない？」
「……ちょっと手遅れかしら」
もう知れ渡ってしまっている。今リリアンは祐巳の噂で持ちきりだ。
「目撃者が多すぎるわ。それにやってしまった事も大きすぎるから」
不安を煽るだけになりそうなので志摩子は言わないが、もし祥子が素早く保健室の封鎖を始めていなければ、祐巳は今無事でいられなかったかもしれない。人によってはそれくらい大変なことをしたのだ。
――あまり二人きりで話してはいけないのかもしれない。
祥子がすでに動いているのであれば、紅薔薇勢力が動くまでそれほど時間も掛からないだろう。祥子の妹云々は別として、強い新人はぜひとも欲しいはずだ。「あの白薔薇を殴り飛ばした新人」ならハッタリにしても信じがたい伝説級の逸話付きだ。
紅薔薇勢力が祐巳確保に動き出せば、白薔薇の妹である志摩子は、敵として排除――はしないまでも、近づけるのを拒むくらいはするはず。
何より、祐巳の傍にいると祐巳の心象も悪くなる。
事の決着は祐巳が決めるべきことで、それを左右するようなことはしてはいけない、と思う。
しかし、どうしても肩入れしたくなる。
昼休み、祥子に、今朝の祐巳の異変のことを話したのも、祐巳に肩入れしたからだ。今となっては無駄なことだったのかもしれないが、言わずにはいられなかった。
そして、祥子は祐巳をどうするか、選んだのだ。
――祐巳を妹にする、と。
「もう少し休んでいて」
「あれ？ どこか行くの？」
立ち上がった志摩子は頷き、そのまま保健室を出た。
「……」
封鎖している“鍔鳴”が出てきた志摩子を見、何も言わなかった。
放課後も志摩子の護衛についている元白薔薇勢力隠密部隊副隊長“鼬”も、窓際に立って背中を向けていた――志摩子が出てきたことに気付いていないわけではないだろう。きっと志摩子が移動する気がないことをわかっているからだ。
やはり周辺にはここを見ている数名の視線を感じる。襲い掛かってくる気配はないが、油断はできない。
所在なく、志摩子も“鍔鳴”の隣に立った。
「追い出された？」
「いえ。一緒にいない方がいいと思いまして」
「志摩子さんも気苦労が絶えないね」
「おかげさまで」
白薔薇勢力は解散し、佐藤聖は孤立し、志摩子はいつまた今朝のように誘拐されるかわからないし、更には友人が敵に回るかもしれないという現在。護衛の“鼬”は、志摩子の都合や安全というより、自分のために志摩子の傍にいる――だから状況が変われば敵になるかもしれない。
自分の悩み事は解消できたが、悩みの種は他にもいっぱいある。
確かに気苦労が絶えないな、と志摩子は思った。
廊下の先で、そんな志摩子と“鍔鳴”を見ていた目が、そっとその場から離れる。
島津由乃だ。
腹の底の底、絶対に言わないだろうと思っていた言葉を言わされてしまったおかげで、今は志摩子と顔を合わせられない。平気な顔でいられる自信がない。先程薔薇の館で行われた会議中でだって苦労したのに。二人きりになんてなったら発狂するかもしれない。
志摩子と同じく、由乃も祐巳が心配で、会議が終わり次第保健室に駆けつけたのだ。
“鍔鳴”がドアの前にいた時点で封鎖されていることを悟り、自分が通れないことは確実にわかっていたので、遠くから様子を伺っていた。
志摩子が保健室から出たのなら、祐巳の“治療”は終わったという証だ。“治療”が終わらないと志摩子は傍から離れない。
（あの力か……）
あの“教室”で見た“黒いオーラ”を再び祐巳が発現した、とは由乃の耳にも入っている。
あの力は異常だった。
強さも質も桁違いだが、根本が違うような感じがした。
不可解な現象も起こったようで、その辺からおぼろげに祐巳の能力の推測が――
「あ」
考え事をしていたせいで気付かなかったが、目の前から歩いてくる人物がようやく視界に入った。
――元白薔薇勢力総統“九頭竜”だ。
迷いなく歩くその姿は、何気ないようで一切の隙と油断がない。勢力が解散したばかりだというのに、何一つ変わりないようだ。まあ、昼休みにもちょっと見かけたが。
このまま無言で睨み合うような形でやり過ごそうかと思ったが、
「由乃ちゃん」
向こうから話かけてきた。
「ごきげんよう、“九頭竜”のお姉さま。今は遊んであげません」
「一度も遊んだことないじゃない」
「あなたが逃げ回るからですけど」
「やり合う理由がないもの」
この“九頭竜”は曲者だ。
三勢力総統は誰もが段違いに優秀だが、それに加えて“九頭竜”は何を考えているのかわからない不気味さがある。
強者と聞けば誰彼構わず接触する。そして無茶な経験を積む――そんな無謀極まりないスタイルを通している由乃だ、この“九頭竜”にも何度かちょっかいを出したことがある。だが、“九頭竜”はどんなに挑発しても侮辱的な言葉を投げても意に介さない。総統職として他勢力の者、それも一年生にからかわれたら、普通はなんとかするものだ。それも瞬殺レベルで。自分がやってもいいし、配下を使って汚名返上したりでもいい。しかし“九頭竜”は一切動かなかった。
温厚というのとは違う。
平和主義なわけでもない。
――たぶん由乃は、“九頭竜”の視界にさえ入っていないのだ。取るに足らない相手だと思っている。そして一度構うと後々まで引きずることを知っている。
彼女と比べるなら、紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”のなんと優しいことか。あの“炎の獣”は弱い相手でも相手にしてくれるのだから。
まあ、悔しいが納得せざるを得ない。
ちょうど今日の昼休み、たった１分も三勢力総統の相手が務まらないことは証明されてしまったから。
「福沢祐巳さん、保健室にまだいる？」
「……なぜそれを私に聞くんですか？」
「由乃ちゃんが今まで保健室にいたと思うから」
――だから不気味だと言うのだ。
“九頭竜”は時々こうやって相手の行動を信じられない精度で見抜く。まるで見ていたかのように。
「祐巳さんに何の用ですか、って聞くまでもないですね」
「そうね」
スカウトだ。新しい白薔薇勢力が立ち上がろうとしていることは由乃の耳にも入っている。確信はなかったが、この“九頭竜”が無関係とも思えなかった。
何せ祐巳は、噂では「あの白薔薇を殴り飛ばした者」である。目撃情報があるのでそれは間違いない――経緯にもよるが。しかしその事実だけでも実力の裏づけになる。
「もう紅薔薇勢力が動いてますよ。出入り口も封鎖してるし」
「あら。……出遅れたわね」
仕方ないだろう。あの紅薔薇・水野蓉子に声を掛けられ協力を頼まれれば、断るわけにはいかない。新聞部部長・築山三奈子はすぐに開放してくれたが、それでも間に合わなかったようだ。
「見張りを倒して踏み込んだらどうです？」
無責任に炊きつけるも、予想通り首を横に振った。
「祐巳さんに悪い印象を与えそうだからパスね」
「ちっ」
露骨に舌打ちする由乃に、“九頭竜”は笑った。
「わかりやすい」
「うるさいです」
やはり相手にされていない。むしろ遊ばれている。
「まあ、冗談はともかく。由乃ちゃんはどう思う？」
「どうして三年生になると底意地が悪い人ばかりになるんでしょうねと思います」
「下級生をからかうのは上級生の特権だからよ」
嫌な特権だ、と由乃は思った。だがたぶん三年生になったら由乃も特権を行使するだろう。
「真面目な話、祐巳さんは白薔薇勢力に向いていると思うの」
「どこが……いや、そうかもしれませんね」
性格的に祐巳は好戦的ではなく、気が強いわけでもない。きっと殴る蹴るの世界など好きになれないだろう。
そこを見ると、白薔薇勢力は違う。
“九頭竜”がこれから作ろうとしている白薔薇勢力は、“反逆者”藤堂志摩子を頂上に据えた組織だ。ならば侵略や勢力拡大による戦闘は起こらないし起こさないだろう。必要以上に闘うこともないはずだ。
だが、既存の紅薔薇勢力と黄薔薇勢力は違う。
紅薔薇勢力は好戦的とは言わないがしっかり周囲に睨みを利かせているし、黄薔薇勢力は由乃も含めて好戦的な者も多い。どちらも本人にその気がなくとも戦闘に借り出される、それが手を結ぶ仲間関係だ。
それらと比べるなら、白薔薇勢力の方針を鑑みるに、闘う回数は確実に少ないだろう。
まあ、最初はかなり苦労するだろうが。
しかし志摩子と一緒に苦労するのであれば、祐巳にとってはそこまで嫌ではないかもしれない。由乃がよく知る他の者は、志摩子のために身体を張るのが嫌じゃないから話に乗っているのだ。
「それに祐巳さんは、志摩子さんと仲が良い。志摩子さんを支えることをそう嫌がるとは思えない」
「……」
むしろ喜んで支えそうだ。祐巳はお人好しだから。
「やはり一度は会ってみたいわね。――でも今は無理か」
注目しているのは“九頭竜”だけではない。三勢力以外のスカウトもすでに動いているだろう。なのに封鎖がなされているということは、相応の実力者が塞いでいるということになる。
排除するにも、きっと時間が掛かるだろう。
――今はよそを回った方がいい。“九頭竜”には立ち止まっている時間はない。
「ところで由乃ちゃん、これからどこへ？」
「当ててみればどうです？ そういうの得意でしょ？」
挑発的な瞳で由乃は“九頭竜”を見上げる。対する“九頭竜”は、穏やかな水面に落とした枯葉のように静かだ。
「……図書室か、新聞部……いえ、山口真美さんを探すために掲示板前、かしら」
「…………」
「当たった？」
「なんでわかるんですか！？ なんで！？」
候補に考えていた両方を的中された。そう、由乃はまず図書室に行って“鴉”から色々話を聞き、次に情報を求めて山口真美を探すつもりだった。きっと新聞部を訪ねるか、人が集まる掲示板前へ行ってみただろう。
「だから、由乃ちゃんはわかりやすいからよ」
「どこが！？ 顔に出てますか！？」
「自覚がないところが可愛いと思うわ。江利子さんも気に入るはずよね」
「……もういいです」
由乃は全然納得いっていないが、これ以上ごねても答えは得られそうにないので諦めた。本当に不気味な三年生である。
――トラブルに首を突っ込むのが大好きな一年生は、事件を起こした者を訪ねる可能性が高いというだけだ。
図書室には、昼休みに小笠原祥子と闘った“鴉”を訪ねて。祥子の能力や闘いっぷりの探りを入れるためにだ。
山口真美を探すのは、他に目ぼしい情報がないか聞くためだ。
「“契約書”はもういいの？」
「いい、とまでは言いませんけど。でも明日からそれどころじゃなくなるでしょう？」
「まあね」
“桜草”のことである。山百合会と有力人員が互いに会議を終え、明日の闘いに協力することになっているのは知っている。
「図書室なら一緒に行きましょうか。私もそこに人を待たせているから」
「は？ なんで“九頭竜”さまと？」
「“鴉”さんと揉めそうになったら止めてあげる」
実は由乃、すでに何度か“鴉”と揉め、数でも質でも結構な事件を起こしている。“鴉”が図書館に戦闘の話題さえ持ち込ませないようになったのは、ちょくちょく由乃が訪ねているせいだ。
やり合うと決めた時、“鴉”は方法もタイミングも選ばない。「今からあなたを殴りますよ」なんて丁寧な挨拶をするような者はいないが、やり合う雰囲気くらいは見せてくれるものだ。場所を変えるなり、それなりの言葉を言うなり。
しかしそれらがない“鴉”は、襲ってくるタイミングがわからない。実力はともかく経験は豊富な由乃でさえわからない。それで負けたのも一度や二度ではない――今ならなんとか対応できるが。
だから、止めてくれるという“九頭竜”の言葉は、非常に魅力的だった。結果そうなるだけで、由乃だって決して闘いたいだけではない。
「……一緒に行くわけじゃないですからね。たまたま行く先が一緒なだけですからね」
「はいはい」
クラブハウス前で、紅薔薇勢力突撃隊隊長“十架（クロス）”は囲まれていた。
黄薔薇勢力総統“銃乙女（ガン・ヴァルキリー）”と“複製する狐（コピーフォックス）”と、紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”。そして出待ちしていた紅薔薇突撃隊副隊長“鵺子”に。
「う、うそだろ……そんな馬鹿な……」
だが囲まれている“十架（クロス）”ではなく、“銃乙女（ガン・ヴァルキリー）”がものすごく深刻な顔をしている。
「この世にいったい何があったの？ 私が寝ている間に世界はどうなったの？ まさかこれがマヤの予言だとでも……？」
“十架（クロス）”は不安げに眉を寄せ、自分の二の腕を擦る――こんなにも小さな彼女の姿を、誰も見たことはない。そして、そんな不安げな先輩をこれまた不安そうに見ている“鵺子”。
「……はぁ」
“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”は溜息をついた。
「うふ、うふふふふふ」
そして“複製する狐（コピーフォックス）”は、いつもの胡散臭い笑いではなく、笑いを堪えられないようで、堪えながら笑っている。決壊まであと一押しだろう――本当にろくなことをしない奴だ。
「あなた達、バカじゃないの。ていうかバカだわ」
“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”がこれ以外何が言えるのかという真実を口にすると、いらんことしかしない“狐”がぶはっと吹き出して背中を向けて、もはや無駄だというのに必死で笑いを堪える。全身を震わせながら。
「な、なんだと“犬”め！ バカっていう奴がバカだ！」
「悪いけれど総統、こればっかりは“銃マニア”に同意するわ。あなたは間違っている」
間違いだらけの奴が言うな、と思ったが、“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”は言わなかった。呆れて言えなかったのだ。
「そりゃ確かに驚くけどさ。でも普通に考えてそれは――」
「普通じゃないから驚いてるのよ！」
「というか普通に考えて、って何よ！ 普通に考えられる案件じゃないわ！ 総統はどうしてそんなに冷静でいられるのよ！」
“銃乙女（ガン・ヴァルキリー）”が熱くなるのはいつものことだが、“十架（クロス）”が熱くなるのは非常に珍しい。これまでに数えるほどしか見たことがない。
それほどまでにショックだったのか。アレが。
トップに立つ総統と、自分の直の上役である隊長が揉めているので“鵺子”は何も言えないままおろおろし、非難の目しか向けられない“狐”は相変わらず背中で笑いを押さえている。
「ああ……じゃあもういいわよ」
ようやく復帰した“十架（クロス）”と、これまでの間に起こった事件や情報をゆっくり話したかったが、“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”はもう諦めた。
今の内にやっておきたいこともあるので、話をするくらい後回しでいいだろう。
「どう思う？」
「まさかプ●キュアが実在するなんて、ね……」
「いや待て。“狐”の嘘って可能性もあるんじゃ？」
「嘘だったら後が怖いでしょ。だから普通に考えて嘘ではないはずよ」
「……岡山か……」
「……なんて県だ……」
もう“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”は本当に諦めた。こいつらダメだ、と。“鵺子”に“十架（クロス）”のことを頼み、笑う“狐”にドシッとわざとぶつかり、その場を後にした。
「――どちらへ？」
なぜか“複製する狐（コピーフォックス）”が付いてきた。“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”を挑発するように真後ろを歩いている。
「言う必要ないでしょ」
「必要はないけど気にはなりますね」
“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”の足が止まる。“複製する狐（コピーフォックス）”も立ち止まる。
肩越しに、本気の殺意を込めて、振り返る。
「あなたがやったこと、忘れていないのよ？」
昼休み、この“狐”は間違いなく紅薔薇勢力に悪意を向けた。おかげで紅薔薇の蕾・小笠原祥子は衆人環視で本気で闘うことになり、“鵺子”も怪我をさせられた。
結果的に損害はそこまでひどくない。
だがそれは致命的ではないだけであって、無視できるものではない。
「あれであいこでいいですよ」
「あいこ？」
ふざけていた“狐”の瞳に、滅多に見せない殺意が宿る。
「――あなた由乃ちゃんやっただろ。なんなら直接この手で潰してやりたいくらいだわ」
“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”は驚いた。意外な矛先が向けられていたものだ。
「……なんてね。驚きました？ へっへっ」
変わらず殺気を向けている“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”に対し、“複製する狐（コピーフォックス）”は殺気を引っ込め頭の後ろで手を組み、「冗談冗談」と言いながら“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”の真横を無防備に通り過ぎる。
どこまで本気なのか本当にわからない――なんとも“狐”に化かされた気分だ。
「二つ名持ちの一対一に理由なく横槍入れたり、結果にケチをつけたりするほど礼儀知らずじゃないですよ。戦略的に有効だと思ったからやった。どこの勢力相手でも同じことやりましたよ。恨んでくれも構いませんけど、この件で“忠犬”さまが私をどうこうするほど狭量じゃないことは知っています。こんなつまんないことで報復とかして、紅薔薇の顔に泥を塗りたくないですもんねぇ？」
「……いい性格してるわ」
「よく言われます。へっへっ」
さすがは無所属で二つ名持ちの二年生である。どこいつもこいつも変わり者で生意気だが、実力は本物だ。頭も腕っ節も必ず平均以上に高いのだから無視できない。
早くに勢力に属する者にはない、誰にも頼らないことを決めている強さを持っている。
その強さはとても独特で、時々腹立たしいほど羨ましくなる。
ふと、狡猾な“狐”は人をバカにしたような笑みを浮かべて振り返った。
「行かないんですか？ 保健室」
「……」
「福沢祐巳さんに会いに行くんでしょ？ あなたと一緒なら私も入れそうだから連れてってくださいよ」
それは、紅薔薇勢力が保健室を封鎖していることを確信している言葉だ。
どこで情報を仕入れたのか、それとも推測を立てたのか。
あの一件――福沢祐巳のことは、もう小笠原祥子に任せてある。が、会ってみたいとは思っていた。色々とごたついて忙しくなる前に。
「あなたを連れて行って私に得があるの？」
「いいことを教えてあげましょう」
「取引？ 有用な情報ならいいわよ」
「実は」
“複製する狐（コピーフォックス）”は言った。
「実は、超時空シンデ●ラも実在する」
「さようなら」
「ちょっと待ってー」
早足で去る“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”。“複製する狐（コピーフォックス）”は付かず離れずで追いかける。
面倒だし時間ももったいないので、追っ払うこともせず、保健室に足を向ける。
“鴉”は図書室にいなかった。
「珍しい」
「珍しいわね」
図書室に到着した“九頭竜”と島津由乃は、カウンターの特等席に座る図書委員を見て、何気なく呟く。
あの築山三奈子は、無駄に時間を取らせるようなことはしない。だからもう会議は終わっているはずだ。もう“鴉”も戻ってきていてもいいはずなのに。
何か寄り道でもしているのかもしれない。
「“鴉”さんならまだ来てませんよ」
視線に気付いたカウンターの図書委員が、聞かれる前にそう答えた――由乃は常連なので用件くらいすぐわかったのだろう。
「じゃしょうがないな……“九頭竜”さまのお客さんって？」
「あそこで遊んでるわね」
「お、おぉ……びっくりした。何事？」
図書室の隅っこで固まる５、６人の人垣――の内の一人から、淡く輝く“白いマリア様”の思念体が浮かんでいた。
あんなものは“九頭竜”も始めてみた。行けばわかるので人垣に歩み寄る。後に由乃も続く。微妙に“九頭竜”を盾にしつつ。
「――マリアさんマリアさん、“鍔鳴”さんとデートできますか？」
ひょいと上から覗き込むと、そんな声が聞こえる。“マリア様”を背負っているのは、案の定“雪の下”だった――“九頭竜”が約束していた相手である。
む
り
じ
ゃ
よ
「無理って何？ 無理って何！？」
「無理ってことよ」
「無理よね」
「無理だわ」
「無理って何！？ 無理って何が！？ キー！」
一人半狂乱になってしまったが、察するに占いの類らしい。由乃が「何やってるの」という意味を込めて“九頭竜”の制服を引っ張っているが、無視だ。
「ではいよいよ私の番というわけだ」
次に中心に出てきたのは“竜胆”だ。
「静さまとの初デートはどこへ行けば成功するのか教えて」
「どこでもいいのでは？」
「確かに好きな者同士ならどこに行こうと幸せだ。でも静さまシャイだから。もう少し開放的になってほしい。そんなデートスポットに行きたい」
「はあ……では占ってみましょうか」
「マリアさんマリアさん」――と呪文を唱え、“竜胆”を占う。痺れを切らしたのか由乃が“九頭竜”の背中に昇り、肩越しに覗き込んだ。
せ
い
の
い
え
い
け
ば
？
「せいのいえいけば？」
「――聖の家行けば、じゃないの？」
口を出したのは由乃だ。“九頭竜”と由乃に気付いて人垣が広がった――トラブルメーカーから離れるように。どうやら周囲に集まっていたのは一般生徒のようだ。
「聖の家？ 誰の家？」
平気なのは、“竜胆”と“雪の下”である。
「佐藤聖。白薔薇」
「……」
“竜胆”はじっと“九頭竜”に背負われているような形の由乃をしばし見上げ、きっぱりと言った。
「“雪”、この占いは全然当たらないね」
「失礼ですね。……確かに信憑性は怪しいですが、そう的外れでもないはずですよ」
まあ、それはいいとして。
「お邪魔してごめんなさい。少し彼女を貸してちょうだい」
一般生徒達に詫びを入れ、“九頭竜”は“雪の下”に、廊下に出るよう手で示す。
「ここではいけませんか？」
「“鴉”さんが戻ってきたら嫌がるから」
その言葉に納得したようで、“雪の下”は頷いた。なぜか“竜胆”もついてきて、
「遅かったね」
少し離れたところにいたらしい“鳴子百合”も寄ってきた。何気に“契約した者”勢ぞろいである。
「なんで背負われてるの？」
「“九頭竜”さまが好きだから」
見上げる“竜胆”に、由乃は平然と答えた。どうやらこのまま話にも参加するつもりらしい。
「“九頭竜”さまはどうして背負ってるんですか？」
「背負っていないけれど、強いて言うなら由乃ちゃんが好きだから」
見上げる“竜胆”に、“九頭竜”はものすごく気のない言葉で答えた。確かに“九頭竜”は背負っていない。由乃が腕と足を絡ませて離れないだけだ。そして由乃がいようがいまいがそんなものは別にどうでもいいらしい。
「……これがベテランか」
「これがベテランだね」
「え。これが？ ベテラン？ ……どの辺が？」
なぜか感心する“鳴子百合”に何も考えず“竜胆”が同意し、“雪の下”はどこがベテランなのか計りかねる。
どちらかと言うと、今回は珍しく“雪の下”の方が正しいだろうか。
ずっと探していた“雪の下”は、昼休み終盤に捕まえることができた。
黄薔薇勢力の遊撃隊数名に追われる“竜胆”と、更にそれを追いかける“雪の下”、その姿を見かけて距離を詰めた“九頭竜”と“鳴子百合”は、無事にお聖堂付近で接触できた。
とりあえず“竜胆”の戦闘を見守り（助っ人に駆けた“雪の下”も手出し無用を言われた）、ルーキーにしてはそれなりに善戦しつつ順調にボコボコにされている最中に、紅薔薇・水野蓉子が乱入。それで黄薔薇の遊撃隊は一旦引き上げた。“九頭竜”が“桜草”のことで協力を求められたのもこの時だ。
昼休みに話すには時間がなかったので、“雪の下”と放課後のアポイントを取り付け、その場は解散した。
その時、偶然“契約した者”三人がその場にいたので、約束の場所を知られてしまった。だからこうして“竜胆”と“鳴子百合”は関係ないのに来ている。
いや、関係ないとも言えないのかもしれない。
“竜胆”も“鳴子百合”も、“雪の下”は志摩子の味方になるかもしれないと思っている。というか、“雪の下”にとってもその方がいいと思っている。
あまり口出しする気はないが、仲間として、話の行方は見守りたかった。
図書室を出たところで、すぐに“九頭竜”は本題に入った。
「私はこれから新しい白薔薇勢力を作りたい。そのためにあなたの力が欲しいの」
「無理です。私はこれでも華の名を語る者ですから」
その返答に迷いはなかった。意外だが、“竜胆”と“鳴子百合”より意志がはっきりしているように感じられた。
“九頭竜”は内心眉を寄せる。
――どうやら想像以上に難物のようだ。
“雪の下”にはブレがなかった。
もうリリアンでの生き方を決めているのであれば、その意志を曲げさせるのは至難である。決めるとはそういうことだ。
「新しい白薔薇勢力は、既存にない形になると思う。周囲を威嚇し、攻めるのではなく、護るために存在する保守的なスタイルになるはず。攻めるためではなく護るための力をあなたに求めたい」
「護るために？ それは誰をですか？」
「藤堂志摩子」
「……なるほど、ならば確かに既存にない形になるかもしれませんね」
「志摩子さんに手を貸すのは嫌？」
「いいえ。彼女に限らず、困っているなら喜んで手を貸しますよ。特にあの人は絶対にリリアンに必要だと思いますから」
「じゃあ」
「でもダメです。私はもう主君を決めています。彼女以外に従う気はありません。たとえ華の名を手折られても心変わりはしません」
やはり無理そうだ。“雪の下”は、“竜胆”と“鳴子百合”より、よっぽど覚悟を決めている。
「……なら、暫定で手を貸してくれないかしら？」
「暫定？」
「その、あなたの主君。その人の意に添わない、またはその人があなたを必要とする時まで力を貸して。もちろん嫌なことはしなくていい。闘うことを強要もしない。納得できなければすぐに辞めて構わない。あなたに求めることは、ただ志摩子さんを護ってほしいということだけ。それでもダメ？」
「……」
“雪の下”は“九頭竜”を見詰める。思案に耽っている、というより、どこまでが本心かを覗き込むように。
「仮に、私の主君が、大儀のために志摩子さんを襲えと命じた場合、私はそれに従います。その時は迷いもしないでしょう。それでも私を欲しいと言えますか？」
「言えるわね」
「裏切ることがわかっていても？」
「裏切らないことがわかっているから。もしその時が来たら、あなたは主君の命に背く。あなたはそういう人だから」
「わかりませんよ。私は華の名を語る者で、山百合会の敵ですから」
「返答はしたわ。意味のない問答をしているほど暇じゃない。――仮に裏切るのなら、私の見る目がなかったというだけの話よ。あなたが責任を負わなくていいわ」
「……そうですか」
“雪の下”は、“鳴子百合”と“竜胆”を見た。二人は特に何も言わず、感情の見えない顔で“雪の下”を見ていた。
自分で決めろ、と。その目が語っている。
「……暫定ですよ？ それと、志摩子さんを護ること以外で私が闘うことはありません。私の主君はただ一人だけで、その方の意志で離れることもあるかもしれません。それでいいですね？」
「結構よ」
――暫定だが、なんとか捕まえることができたようだ。
「うちじゃダメですか？ 優遇しますよ」
ここで由乃が口を出した。“九頭竜”の耳元で。堂々と。
「黄薔薇勢力に私の居場所はないでしょう？」
「ふーん……“竜胆”さんは？」
「私、昼休みに、あなたのところの遊撃隊にぼこぼこにされたんだけど。それを知った上で勧誘に乗ると思う？」
「“鳴子百合”さまは？」
「私は無所属を通そうかなって思ってるから。もう三年だしね」
「……なんだよー。つまんないなー」
本当につまらなそうな声を出す由乃。まあ、大して期待もしていなかっただろうが。
「“雪の下”さん、明日からよろしく」
「明日からでいいんですか？」
「ええ。というか争奪戦中は基本的に自由にしていいから。まあ、できれば志摩子さんと直接話は通しておいてほしいから、挨拶だけは済ませておいて」
「挨拶。わかりました」
「それじゃ。まだ勧誘したい人材がいるから」
慌しく“九頭竜”は去っていく。
“契約した者達”は何気にそれを見送る。
「……由乃さんごと行く気なのかな？」
「……間違いなくベテランの姿だわ」
「……あれはベテランがどうこうという話なのですか？」
いや、ただの悪ふざけである。両方の。
新聞部での会議が終わった後、挨拶もそこそこに“鴉”は早々にクラブハウスを離れる。
向かう先は図書室――ではない。
校舎に入り、廊下を行き、階段に足を掛け二階に昇ったそこが、目的の場所だ。
「お待たせ」
何事か話していた二人が振り返る。
“冥界の歌姫”蟹名静と、新聞部一年生・山口真美だ。
「意外と早かったわね」
「三奈子さんが弁えているから、といったところね。さすがだった」
新聞部部長・築山三奈子は、会議にあまり時間を掛けなかった。
余計な情報と推測を省き、事実だけを述べるという非常に簡略的な説明をし、すぐに解散させた。各々が忙しいことを知っていたのだろう。
そして何より、必要最小限を話せば皆わかるだろう、という正確な目算だ。三奈子は誰よりも冷静に物事を見ているかもしれない。
あまり話したことはなかったが、新聞部部長の肩書きに違わぬ切れ者だと“鴉”は思った。
「体調は？」
「昼休みの時と変わらない」
「なら大丈夫ね」
――昼休み、“雪の下”に“契約書”を渡した直後、“鴉”はここへやってきた。
思えばどこに集まるのかさえ話していなかったが、「これから調査する」という真美の言葉から、久保栞が活動した現場であるここしか心当たりがなかった。まあ結局当たりだったわけだが。
だが、合流した“鴉”を見て、昼休みでの調査は延期したのだ。
あまりにも“鴉”がボロボロだったから。
怪我は治っていたが、制服はひどいものだった。染み込んだ血がポタポタ垂れ、穴だらけで、乾いた血が“鴉”の白い肌にこびりつき……とにかくぎょっとした。顔も怖いのになんて格好だ、と。ゾンビかおまえは、と。
そんな有様だったので、昼休みの活動は諦めたのだ。何より昼休みの残り時間も不安だった。ならばいっそ放課後にゆっくりやろう、ということで、今この時にずれ込んだ。
「調査の前に話したいことがある」
“鴉”は、会議で聞いた情報――久保栞のことを話した。
二人には「会議に呼ばれた」とだけ話して遅刻したわけだが、その会議内容がこちらの調査内容にピタリと一致している。
三奈子は、特に秘密にしろとは言わなかった。わかっていることはわずかで、そのわずかなことも明日の朝イチに配布される号外に書き、注意を呼びかけるそうだ。ならば話しても問題ないだろう。
「“桜草”？」
「その“桜草”っていうのが、久保栞の思念体使い？」
「そうみたい。ちなみにそれ以上のことはわからないから」
わからないから、やはり調査は必要だ、ということになる。
「色々考えたくはあるけれど……まあ、それは後ででもできるわね」
「そうですね」
静はともかく、真美は自身のお姉さまが動いているという事実を掴んだ。ならば情報さえ拾えれば必ず三奈子の役にも立てる。それは気合も入るというものだ。
怪我の功名というかなんというか、“鴉”の会議のおかげで一般生徒の多くもすでに下校し、走り回るには不便しない。
「真美さん、始めましょう」
「はい」
蟹名静達が調査を始めたその真上である三階に、小笠原祥子がいた。
「これで全部ね」
福沢祐巳の首から持ってきたロザリオ計９本は、今し方全て持ち主に返し終えた。
「ありがとう、“影”さん。“瑠璃蝶草”さんも付き合わせてごめんなさい」
祥子達は四人いた。見た目は三人だが。
ロザリオの持ち主を探すのに、“影”の“戯言を囁く地図（バベル・クラフト）”で手伝ってもらったのだ。“登録”している相手でさえあれば、ちょっと手を加えれば残留物と結びつけることもできる。さすがはトップクラスの情報処理能力だ。
「いや、貴重なものを見せてもらった」
表情こそ変わらないが、“瑠璃蝶草”は“影”の力の応用力に驚いていた。こんな器用なこともできるのか、と。
伊達に三薔薇の隠密をやっていない。“見えない”だけの護衛なんてちゃちなものではない。
「“氷女”さまには言いませんよ」
「それでいい」
その“瑠璃蝶草”の護衛についている元白薔薇勢力戦闘部隊隊長“氷女”は、護衛として動いているだけなので礼は受け取らない。そんなことは祥子にもわかっている。
祐巳にロザリオをかけたのは、誰も彼もが二つ名を持たない半端な異能使いだった。まあ、一般生徒にちょっかいを出して喜んでいるような輩は、その程度だろうとは思っていたが。――何気にすごいのは、“影”は闘うほどの力を持たない異能使いでも漏れなく“登録”をしていたことだ。勤勉にして有能である。
「もういい？ なら約束を果たしてほしいのけれど」
「もちろんよ。行きましょう」
今は護衛として“影”を使役している以上、“影”の力を借りるには“瑠璃蝶草”の許可が必要だった。
“瑠璃蝶草”は、祥子の手伝いに協力する代わりに、祐巳との面会を頼んでいた。
――祐巳が覚醒した。
そう聞かされれば、やはり一度は会いたい。祥子が祐巳を妹にしたがっているという意志も本人から聞いているが、できれば様々なしがらみを得るその前に会っておきたい。
紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬（ケルベロス）”と、“複製する狐（コピーフォックス）”と。
藤堂志摩子に付き添いつきで会いに来た“雪の下”ら“契約した者達”と。
そして、小笠原祥子と“瑠璃蝶草”と、その護衛と。
そんな一癖二癖はあろうという面々が、示し合わせたかのように保健室前で合流することになる。