これは以前掲載したお話を別視点から描いたものです。
先にこちら↓をお読みいただかないと、理解しづらい迷惑な代物です。
『祐巳side』
【No:2557】→【No:2605】→【No:2616】→【No:2818】→【No:2947】→【No:2966】→【No:3130】→【No:3138】→【No:3149】→【No:3172】(了)
『祥子side』別名:濃い口Ver.
【No:3475】→【No:3483】→【No:3486】→【No:3540】→【No:3604】→【No:3657】→これ。
ぬるめの湯を張ったバスタブに入り、深く息をつく。
こうして生まれたままの姿を見下ろしてみると、服を身に着けている時よりも一層違和感を覚える。
この小さな身体が自分のものだなんてとても思えない。
浴室にため息が響く。
思ったよりも大きな声になってしまったので、ごまかすように両手でお湯をパシャパシャ叩いた。
憂鬱になっているのを祐巳に覚られたくない。
さっき私と入れ違いに祐巳はお風呂を出たから、きっとドライヤーで髪を乾かしている頃だろう。
大丈夫。聞こえてはいないはずだ。
それでも、気を付けなければと反省した。
祐巳にこれ以上の心配はかけたくない。
私と過ごす時間を楽しいと思っていてほしかった。
それがエゴだと分かっていながらも。
浴室内にはボディーソープの香りがしていた。
祐巳が使った時の残り香だろう。
いつもと同じ匂いのはずなのに、今日はとても良い香りに感じる。
……明日からもずっと、祐巳に先にお風呂に入ってもらおうかしら。
先にお風呂に入るよう私に言われた時の祐巳を思い出して、つい笑ってしまう。
お姉さまより先にお風呂に入るということに祐巳は抵抗があるらしく、手をわたわたさせながら恐縮していた。
べつに気にしなくてもいいのに。
私がそうしてほしくてお願いしているのだから。
かつてはこの身体だったことを考えればおかしな話だが、私は今の身体に慣れていない。
急激なサイズの変化にうまく感覚が掴めないでいる。
これまで経験してきた成長とは逆の変化だから余計に馴染めないのだろう。
これまであたりまえにできていたことが今の私にはとても難しい。
入浴もそのひとつだった。
バスタブに入るのにも苦労するし、手が小さいせいか髪や身体を洗うのだって大変だ。
必然的にとても長風呂になってしまう。
祐巳は明日も学校があるし、慣れない環境で気疲れもあるだろうから早くリラックスさせてあげたくて先に入浴してもらったのだけれど……
あの恐縮ぶりではかえって疲れさせてしまったかもしれない。
『じゃあ一緒に入ればいいじゃない』
フッと浮かんできた思考に呆然となる。
何を考えているのだ私は……。
そんなことダメに決まっているのに。
さっさと身体を洗って出よう。
さっきからずっと頭がぼんやりとして、すっきりしない。
それほど長湯をしたつもりはなかったけれど、どうやらのぼせてしまったようだ。
バスタオルが重くてしかたがない。
雑に拭いた身体にネグリジェを纏う。
ふらつくほどではないけれど、さっさとベッドに横になった方が良さそうだ。
「あの、お姉さま。よろしければ私がやりましょうか?」
自分の長い髪にうんざりしながらドライヤーを使っていると、祐巳がそんなことを言ってきた。
お風呂でのぼせて未だにぼんやりしている私に気が付いたのかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。
気付いたのならばもっと心配そうな顔をしているはずだ。
けれど今の祐巳はどちらかというと不安そうな、私の様子を窺うような顔をしている。
私に叱られたらどうしよう、とか思っている顔だ。これは。
たぶん祐巳には私がドライヤーを扱いかねているように見えたのだろう。
……実際そうなのだが、今日はのぼせているせいで特にたどたどしい動きになっている。
祐巳が気を遣うのも無理はない。
けれどはっきりとそれを言ってしまうと私が気を悪くすると思ったのだろう。
「じゃあ、お願いするわ」
私は祐巳の言葉に甘えることにした。
普段なら断っていたかもしれないが今日は無理だ。
本当に、今すぐにでもベッドに倒れこみたい気分だった。
申し訳ないと思いつつ差し出したドライヤーを、祐巳はとても嬉しそうな顔で受け取ってくれた。
温かな風と、やわらかな祐巳の手が私の髪を撫でている。
頭の中に霞がかかっていく。
それはけして不快なものではなくて、
優しく……、心地良い……、まどろみ……。
――何か聞こえた気がした。
ふと見ると、目の前に祐巳がいる。
いつもどおりの可愛らしい笑顔で祐巳が私を見ている。
祐巳は私に何かを言っているようだった。
けれど、よく聞こえない。こんなに近くにいるのに。
まるで私と祐巳の間に何か透明な仕切りでもあるみたいだ。
気付けば小さな腕が2本、祐巳に向かって伸ばされていた。
落ち着きがない様子の祐巳を見ているうちに、それが自分の腕であると認識する。
と同時に私と祐巳を隔てていた透明な仕切りが突然消え去った。
一気に状況を理解した私の頬に熱が集まる。
何をしているのだ私は。
これじゃあ、まるで祐巳に抱っこをねだっているみたいじゃないか。
「あの、お姉さま?」
おそるおそる声をかけてきた祐巳に慌てて背を向ける。
「な、なんでもないわ。もう寝ましょう」
ベッドに逃げ込もうとした私の身体がふわりと宙に浮かぶ。
抱き上げられていると気付いてじたばたする私を祐巳が強く抱きしめた。
祐巳の温もりを感じ、抵抗する気が失せていく。
祐巳は私をベッドにそっと下ろし、向かいあうように座った。
ひどく真面目な顔をしている。
いったい何を考えているのだろう。
まさか私と同じことだろうか。
だとしたら――
「ごめんなさいお姉さま。ベッドに上がるの、大変ですよね? 気付くのが遅くてすいません」
――バカね。
一瞬でも祐巳が私と同じ気持ちだと思うなんて。
そんなわけ、あるはずないのに……。
恥ずかしくなって私はベッドの中へと逃げ込んだ。
何も知らない祐巳が無防備に私の隣に寝転がる。
無言で抱きつくと祐巳はやさしく抱き返してくれた。
私はこうやって祐巳に触れることができる。
温もりを感じることも、やわらかさを確かめることも、甘い匂いに包まれることすらできる。
けれど、それだけだ。
今以上に深く祐巳を感じることは……たぶん永遠にない。
私だけを見てほしいという傲慢な願いも、叶うことはない。
心の奥底に隠しているこの想いを告げることも、私が私でありつづけるかぎり、ないだろう。
すり寄った私を祐巳がぎゅっとしてくれる。
こんなにも近くにいるのに。
こんなにも祐巳を想っているのに。
私と祐巳の心が重なり合う日は――
『強欲なくせに意気地がないだなんて、本当にどうしようもないわね』
まどろみの中、声が聞こえた気がした。
『まぁ、いいわ。どうせその程度だと思っていたし』
声の主は分からない。
夢か現かの判断もできない。
分かるのは私への明確な悪意だけ。
『いいかげん飽きたわ。そろそろ私が――』
ビクッと顔を上げると申し訳なさそうな祐巳と目が合った。
「ご、ごめんなさいお姉さま。起こしてしまいましたね」
どうやらあまりにくっつきすぎていて、祐巳が身じろぎした際に眠りから覚めてしまったらしい。
寝入りばなだったのでしかたがない。
眠りが深くなればお互い気にならなくなるだろう。
まだ謝っている祐巳に小さく首を振ると、私は再び祐巳の胸の中へ潜り込んだ。
優しく手を引かれるように、ゆっくりと眠りの世界へ沈んでいく――。
誰かの笑い声が聞こえた。
『――代わってあげる』