【3716】 私を元気にさせて  (まつのめ・ピノ・ボツィォーリ 2012-12-02 23:25:37)


クゥ〜さまSS(ご注意:これは『マリア様がみてる』と『AQUA』『ARIA』のクロスです)
【No:1328】→【No:1342】→【No:1346】→【No:1373】→【No:1424】→【No:1473】→【No:1670】→【No:2044】→【No:2190】→【No:2374】→【No:3304】

まつのめSS(ご注意2:これはクゥ〜さまのARIAクロスSSのパラレルワールド的な話になると思います)
【No:1912】→【No:1959】→【No:1980】→【No:1990】→【No:2013】→【No:2033】→【No:2036】→【No:2046】→【No:2079】

ケテルさまSS(まつのめのSSをベースに、クゥ〜さまのSSと連結させたもの。乃梨子視点進行のつもりのSS)
【No:3091】>【No:3101】>【No:3111】>【No:3126】
(由乃視点の姫屋編) 
【No:3156】>【No:3192】>【No:3256】>【No:3559】

まつのめ再開(?)
(地下世界についてはケテルさまがほぼまつのめの構想通りの完璧な回答を示してしまい、さらに一つ先の謎まで予知してしまうという超能力者っぷりを発揮されてしまってほとんど同じ流れをトレースするしかないのが実情ですが、なんとなく書けてしまったのでここから再開してます。ケテルさまのとはパラレルってことで)
【No:2079】→これ




 ≪宝探しは秘密の調べ≫


「つまり、この街の何処かに大きな穴が開いてて、その底に小さな椅子があるってことよね?」
 姫屋を出て、ゴンドラを係留してある所に向かう途中で由乃さまと例の紙切れの言葉について話していた。
「由乃さま、それじゃ言葉そのまんまですが……」
 乃梨子が冷静に突っ込みを入れると由乃さまは渋い顔をした。
 いや、何でそういう顔をしたのかはすぐに判った。
 別に無粋な突込みが気に入らないのではない。無意識に出る呼び名はいつも『由乃さま』だから、それを咎めているのだ。
「あのさ……」
「いえ、すみません、由乃先輩」
 そういうと、由乃さま「ふぅっ」とため息をついた。
「あの?」
 由乃さまは俯き気味に言った。
「先輩らしくないものね。乃梨子ちゃんの方がずっとしっかりしてるし……」
「え? いえ、そんなつもりはありませんよ。ただ、ずっとそうお呼びしていたせいで、なかなか変えられてないだけで…」
 と、言葉で言い訳したけれど、由乃さまには説得力が無いのはなんとなく判っていた。
 乃梨子が割と理屈で物事を推し量るのに対して由乃さまはより感覚的だ。
 口でいくら言い訳しても態度(この場合呼び方だけど)が改まっていないのだから、由乃さまにとっては同じことなのだ。
 由乃さまは乃梨子の言い訳を聞いてない風に言った。
「『さま』って付けるのってさ」
「はい?」
「一応敬称だけど、ある意味他人行儀よね」
「はぁ、まあ……」
 上級生の志摩子さんのことを『さま』ではなく『さん』と付けて呼んでいる乃梨子には、由乃さまの言わんとしていることが、なんとなく判った。
 リリアンでは上級生に下の名前にさまを付けて呼ぶのが慣わしで、リリアンの学生なら初対面でもそうするのが普通だ。
 ちょっと酷い言い方だけど、“とくに親しくもない、よく知らない先輩”に対してでも名前を知っているのならとりあえず『さま』を付けておけば間違いないという、ある意味便利な呼称でもある。
 つまり、逆に言えば、リリアンの『さま』は、『よく知らない相手』でも、『上級生だから』というだけの理由で使える呼称なのだ。
 まあ普通の(リリアン以外という意味)学校で上級生の苗字や名前に『先輩』を付けて呼ぶのと似たようなものといえばそうなのだけど、乃梨子の感覚ではリリアンの『さま』はもう少し適用範囲が広く、『先輩』よりも『遠い』気がした。
 そこまで考えて乃梨子は一人呟いた。
「なるほど」
 と思わず呟いて、由乃さまの視線を感じた。
「その『なるほど』は、何を納得したのかしら?」
「え、いえ……」
 乃梨子は口ごもった。
 つまり由乃さまの言うことが「当たってた」ってことだから。
 でもそれは、過去形だ。今は……。
「……あの、多分、こういうことだと」
「なに?」
「私、由乃さまとはそれほど親しくしてきた訳ではないですよね?」
「そりゃそうよね。学年が違うし姉妹でもないし」
「はい、山百合会の仲間ってレベルの付き合いで表面的にはお互いのこと見てきました。だから、ただの先輩後輩って仲でもないですし、じゃあなんなのかなって考えて、思ったんですけど、」
「乃梨子ちゃん、『表面的』でも付き合いは長いんだから私がそういう持ってまわった言い方嫌いなの知ってるわよね?」
 考えながら話していたので、そう感じたようだ。
 ちょっといらついてきたみたいなので乃梨子は結論を急いだ。
「えっと、つまり、そういう関係だったのに、ここに来て、周りは全部異邦人って状況で、文字通り寝食共にして、言ってみれば『同士』って関係で、だから」
 でも乃梨子も明確に判ったわけではなく、答えを探りながらだったので、まとまりのない言葉の羅列になってしまった。
「……」
 由乃さまは黙っていた。その表情は何を考えているのか読めない。
 ポーカーフェースって訳でもないけれど、さっき言った通りで、表情で考えが判るほど親しくはないのだ。
 怒ったかな?
「あ、あの、別に由乃さまのことを軽く見ているとかそういうことではなくって」
「もう、いいわよ」
「え?」
 由乃さま、怒っているかと思ったら、顔は笑っていた。
「それって、私をちゃんと『仲間』って見てくれてるってことでしょ?」
「えっと……」
 単純に『仲間』と言ってもその意味するところはいろいろに解釈出来る。
 さっきも乃梨子は『山百合会の仲間として』という言葉を使ったけど、由乃さまの言う『仲間』はもうちょっと個人的な近しい意味に聞こえた。
「どうやら『先輩の癖に頼りない』とか『邪魔』とか思われてなさそうだから」
「え? そんなこと思っていませんよ!」
 それは、考えが合わなくて憤ったりしたこともあったけど、それはほんの少しだ。今はそんなことは欠片も思っていない。でも、そのニュアンスは正確に伝わってしまって由乃さまはこう言った。
「『今は』でしょ?」
「え……?」
「『一度も思ったこと無い』って言わないあたりは正直ね」
「す、すみません」
 謝るのは認めたってことだけど、由乃さまは別に怒らなかった。
「ごめんね。乃梨子ちゃんって思っていることあんまり顔に出さないから、ちょっと不安だったの。一緒に寝るのだって『嫌だけど仕方ない』とか思ってるかもってさ」
 そう言いながら、ちょっと物憂げに微笑む由乃さまを見て乃梨子は、いままで由乃さまは何があっても飄々としているように見えたけど、もしかして実は結構参っているのでは? と思った。
 もちろん、乃梨子は嫌がってなどいない。
 まあ性格上、その辺はたとえ『仕方が無く』ても表面平然としていただろうけど、由乃さまに関しては決してそうではないのだ。
「由乃さま、私はあまりこういうことは口にしませんけど、私は由乃さまのことは結構尊敬しているんですよ?」
「『結構』なのね?」
 と、由乃さまは一応突っ込んだ後、「どんな所が?」と聞いてきた。
「ええと、言いにくいことでも意見があればズバッと言っちゃう所とか、怒っても後引かないところとか」
 由乃さまは怒りが爆発して理性無くしてるように見えても、後で話を聞くと大抵ちゃんと周りも自分も冷静に分析しているのだ。
 その辺は侮れないというか尊敬に値するところの一つだった。
 あと極めつけはこれ。
「由乃さまと志摩子さんの信頼関係は私には真似できません。私の場合、私が志摩子さんを一方的に好きみたいな所があるけど(もちろん志摩子さんはちゃんと答えてくれる)、対等な関係で信頼を得ているなんて私、嫉妬してしまいます。あと月並みな言葉かもしれませんが、行動力とか前向きな姿勢とか、ここに来てから結構頼りに思っているんですよ? あとは……」
 いつのまにか由乃さまは俯いていた。
「もう、いいわ」
「由乃さま?」
「流石、乃梨子ちゃんパワーね」
「はい?」
 なんなんだ。
「いいのよ。ありがとうね。励ましてくれて。一緒に頑張ろうね?」
 最後にまた顔を上げて乃梨子に向かって笑顔をくれた。
「は、はい」
 結局、何だったのだろう?
 『先輩』と呼ぶとかの話だったのにいつの間にか話がそれて、よくわからない地点に着陸したような感じだ。
 由乃さまが満足しているのならまあ良いか。



   ◇



とうわけで。

「由乃先輩、由乃先輩、由乃先輩、由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩、由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩、由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩由乃先輩――。よし!」
「……なにそれ?」
「え? 聞いてたんですか?」
 先ほどの話の後、お手洗いを借りてくるといって姫屋に戻っていた由乃さまがいつのまにか戻って来ていて、ちょっと距離を置いてなにやら怯えた顔でこちらを見ていた。
「間違えないように練習してたんですけど、なにか?」
「こわいわ」
「酷っ!」
 そう呼べと言ったのは由乃先輩なのに……。


   ◇


 さて、話が迂回してしまったけれど、宝探しに戻らなければ。
 ゴンドラに乗り込みながら、由乃さまは言った。
「でさあ、大きな穴って結局なにかしら?」
「井戸か何かでしょうかね?」
「『地面に』じゃ無くって、わざわざ『地面の下』って書いてあるってことは、隠れているってこと?」
「そうかもしれませんね」
「じゃあ『黒眼鏡、黒マント』は?」
「何かの暗号じゃ……」
 乃梨子は『ないですか?』と続けるつもりだったのだけど、言葉が途中で途切れてしまった。
「どうしたの?」
 その時、乃梨子はどんな表情をしていただろう?
 驚くと言うか、呆れるというか、そんな何ともいえない表情だったに違いない。
 ただ乃梨子は志摩子さん目撃の件で自分の視覚に自信を持てなくなっていた。
 だから黙って由乃さまの背後、桟橋の向こうを指差した。
「なによ?」
 由乃さまは訝しげに指差した方へと振り向いた。
「何に見えます?」
「……黒マントと、黒ぶち眼鏡?」
 そこには顔に黒いフレームの丸っこい眼鏡をし、肩には黒いマントを羽織った小柄な男の子が立っていたのだ。


 その男の子は桟橋の手前に立ってきょろきょろとあたりを見回していた。
「ちょっと、そこの子供!」
 由乃さまがそう叫んだ。
「え!? 僕ですか?」
「ほかに誰が居るの? 黒ずくめのあなたのことよ!」
 相手が子供にしても話しかけ方ってものがあるでしょうに、と乃梨子は思ったのだけど、由乃さまは良くも悪くもこういうキャラクターだった。
 いきなり失礼な呼びかけをしたにも関わらず、その黒ずくめの男の子は河岸から張り出している木製の桟橋の、乃梨子たちの乗るゴンドラの前まで寄ってきて言った。
「えーと、お嬢さん方、なにかお困りですか?」
「へ?」
 乃梨子が変な声をあげてしまったのは、男の子の口調と表情が、自分の想像していたのと違い、あまりに大人っぽく感じたから。
「僕で良ければお手伝いしますよ? いかがされました?」
 そう言って彼は微笑んだのだけど、それを見て由乃さまは言った。。
「……なんか生意気な子ね」
「由乃先輩……」
 呼びつけておいてそれはないでしょうに。
 そう言われても平然とニコニコしているこの男の子は、自分勝手な由乃さまよりずっと大人にみえた。
 由乃さまは彼に言った。
「あなたに聞きたいことがあるんだけど」
「はい、なんでしょう」
「この言葉に何か心当たりない?」
 そう言って例の紙切れを彼に見せた。

『地面の下に大きな穴
 底にある小さな椅子
 黒マントと黒眼鏡に聞きなさい』

 「ふむ」と彼はそれを見て考え込んだ。
 そして言った。
「これは謎ですねぇ」
 それを聞いて由乃さまが眉をヒクつかせているのだけどそれは置いといて、乃梨子は彼に話しかけた。
「思い当たりませんか?」
「ええと、その前にこの紙は何なんですか?」
 ああ、いきなりこんな物見せられたら誰だって困るよね。
 乃梨子は「実は私たちの先輩方の企画で……」と宝探しについて説明した。

「ああ、なるほど」
 心当たりありまくりのようで、しきりに頷いた後こう続けた。
「それで藍華さんは僕にあんなこと言ったんですね」
「「ええっ!?」」
 と、声をそろえてしまったのは、彼の口からするりと仕掛け人の名前が出てきたからに決まってる。
「……じゃあなたもグルだったのね?」
 と、由乃さまに詰め寄られて、男の子は慌てて言った。
「いいええ、違いますよ、僕は頼まれただけで」
「「頼まれた?」」
 また声が揃ってしまう。
「はい、このあたりに困っている見習いウンディーネさんが居るから助けてあげてと」
「それっていつの話ですか?」
「ついさっきですよ。今日は買い物があって地上に来てまして、藍華さんには偶然会ったんです」
 ってことは、『仕掛けた側』の仲間って訳でもないのか。
 でも藍華さんとは知り合いのようだ。
 それより、ちょっと気になるワードがあった。
「あの、『地上に来て』って?」
「ああ、僕はノームですから」
「濃霧?」
 

   ◇


「妖精の名前の職業ですか……」
 “濃い霧”ではなくて言葉としては北欧の民話に登場する精霊の“ノーム”だった。
 水先案内人はウンディーネ、地重管理人のノーム。そして他にサラマンダーとシルフと名のつく職業があるとのこと。
 えらいファンタジックな命名をするものだと乃梨子は感心はしたが、違和感は感じなかった。
 かつてナニナニアンブゥトンプティスールなどと口にするリリアンのお嬢様方に対しては、はじめに遭遇してからしばらく違和感感じまくりだったのだけど、ガチで地球外惑星で未来世界でもあるこの“アクアのネオ・ベネツィア”は単なる私立学園とは流石に格が違ってた。だってたった数日でここまで乃梨子を馴染ませてしまったのだから。
 そしてそれ自体別に悪いことなどと感じてないあたり、
「染まってるなぁ……」
「なあに?」
「いえ、こちらの話。それより、『地重管理人』ってどんな仕事なんですか?」

 良い質問です、と前置きしてから彼は説明してくれた。
「本来のアクアの重力がマンホームのより弱いことはご存知ですか?」
「あ、はい。一応」
「地重管理人はそれを1Gに保つために働いているんです」
「あなたがそのノーム……」
「はい。といっても実は僕まだ半人前なんですけどね」
 などといって人懐っこそうな笑顔を見せる彼だったのだけど、
「あの、つかぬ事お伺いしますが」
 と、乃梨子は改まって切り出した。
「なんでしょう?」
「歳はおいくつなんですか? いえ、なんか見た目よりもだいぶ年上のような気がして」
 大人っぽい物腰に、働いているというお話なので。
「あははは、判ってくれましたか。実はですね……」
 ……なんと彼は乃梨子より五歳も年上だった。ノームの人はみんな小柄なんだそうだ。

「申し遅れました、僕はアルバート・ピットと申します。『アル』とお呼び下さい」
「あ、私は二条乃梨子といいます」
「……私は島津由乃よ。見ての通りウンディーネの見習い……です」
 由乃さまはこのくらいの歳の男性と話し慣れていないのか、年上と聞いて接し方に戸惑っているみたいだった。
 
 さて、互いに何者かが判った所で、謎解きの続きである。
「藍華さんが仕掛け人ってことならこの『大きな穴』っていうのはノームたちが暮らしている地下世界で間違いないでしょう」
「『大きな穴』なんですか?」
「ええ。案内しますよ。ちょうど僕もこれから帰る所ですから」
「それは助かります」
「ええとじゃあ次の『底にある小さな椅子』って判ります?」
「うーん、何でしょうねぇ。とにかく行ってみましょうよ。多分藍華さんが来た事のある場所の何処かの筈ですから」
 というわけで、地重管理人のアルさんが案内してくれることになった。



 ≪地下の人たち≫



「え、ゴンドラ?」
 こちらです、と言って歩いていくので徒歩で行った先に入り口があるとばかり思っていたのだけれど、そこにあったのは水路に留められたゴンドラだった。
 アルさんは「買い物に来た」と言っていたのだけど、ゴンドラには既に荷物が乗っていて買い物はもう済んているらしかった。
「ネオ・ベネツィア内の移動は水路の方が便利ですからね。地下世界への入り口へも水路がのびてるんですよ」
「そうでしたか」

 ――地球のベネツィアはラグーナ、つまり干潟に大量の杭を打って土台とし、その上に建てられた街だという。
 いきなり話題が飛んで申しわけないが、つまりベネツィアの街には地面の起伏の差が殆ど無い、と言いたいのだ。
 いや街には無数の水路が張り巡らされ主要な交通手段が水上輸送なのだからそれは当たり前の事なのだろうけど、実はそのベネツィアを再現したはずのアクアのネオ・ベネツィアにはちょっとした起伏があった。
 乃梨子はそれをここに飛ばされた初日、海に浮かぶネオ・ベネツィアの街を遠くから眺めた時に目撃していたのだ。

(※漫画もアニメもネオ・ベネツィアの地理的描写が矛盾しまくる不思議空間なのでこういう事にしてます)

 ただし、本島の大運河、カナル・グランデが蛇行する街の主要部分はまさしく水の都でそういうことはない。
 おそらくこの周辺、つまり観光スポットが点在する周辺はちゃんとベネツィアを再現してるのであろう。
 そんな街中からは建物が邪魔をして島の起伏を認識することはほとんど出来ない。
 けれどそんな観光スポット周辺から外れた所に丘のように盛り上がった結構大きな区画があったのだ。
 乃梨子は地球のベネツィアの地理にそれほど詳しくないので、ベネツィアとネオ・ベネツィアのどこがどのくらい違っているのか正確に語る事は出来ないのだけど、昔写真で見たベネツィア本島はどこまでも平かで、そういう丘は無かったと記憶している――。

 そしてようやくどうしてこんな話が出てきたの話になるのだけど、それはつまりアルさんのゴンドラの進んだ先はそんな丘の“中”、すなわち水路はまさにこれから「地下に入ります」と言わんばかりにトンネルの中へと進んでいったからに他ならない。

「こんなトンネルがあったんですね……」
「地下世界への入り口です。ネオ・ベネツィアにはこんな入り口がいくつかあるんですよ」
 その逆U字形のトンネルはゴンドラが余裕で通れるほどの幅があり、天井も高くそこには照明が一定間隔で設置されていた。
 外と違い水面は黒く見え、照明の光がちらちらと反射していた。

 アルさんのゴンドラはウンディーネが使うのより一回り小さく、座席も付いていないので二人は板張りの舟底に直に座っていた。
 乃梨子よりも後ろに座っていた由乃さまは、トンネルの入り口付近では興味深げにきょろきょろと周りを見回していたのだけど中に進み周りの景色が壁ばかりになってからは詰まらないそうにしていた。

「あの、ネオ・ベネツィアの方って日常的にゴンドラを漕いでいるんですか?」
 なんだか間が持たないので、そんなことを聞いてみた。トンネル内に少し声が反響してる。
「どうなんでしょう? 僕は仕事でこんな風に大量の買い物を運ぶことが多いのでゴンドラを使ってるんですけど、その他は職業によって色々でしょうね」
 業務上必要な人は使う、といったところか。
「あ、あとレガッタに出場している方はゴンドラで練習してますね」
「レガッタ?」
「手漕ぎの舟レースのことですよ。年に何回か大会あって、その季節になると海で練習風景をよく見かけるそうです。僕は殆ど地下世界に居るのであまり見た事無いんですけどね」
 それは『日常的』とはいえないのだけど、間が持たなくて話題を振っただけなのでそういう無粋なツッコミは入れない。
「でも、ネオ・ベネツィアでレガッタといえばレガッタ祭りが有名ですね」
「祭り? それも舟のレースなんですか?」
「文字通りお祭りですよ。こちらも年に数回あるんですけど一番有名なのは秋の歴史的レガッタ祭り(レガッタ・ストーリカ)です。そういえばもうすぐですね」
「レガッタ・ストーリカ?」
「ええ。マンホームのベネツィアで行われていたお祭りを再現したもので、祭りの中で競技ももちろん行われるんですけど、その前に伝統的衣装に身を包んだ人たちが装飾されたゴンドラに乗ってカナル・グランデでパレードするんです。華やかなゴンドラが運河いっぱいに並んで凄いんですよ」
「へえー。それは是非見てみたいですね」

「カナル・グランデはゴンドラで混んどらー」






「……」

「……」

「え、えっと今のはですね、ゴンドラに混んでることをかけたマンホームに伝わる高等古典で……」
「あー。何か見えてきましたね。あそこが地下世界の入り口ですか?」
「えーっ?」
 空気が凍り付くのでスルーさせていただいた。
 というか、アルさんがああいう事言う人だってことがちょっとショックだった。
 おそらく由乃さまもだろう。額を押さえて俯いてしまった。
 なにやらアルさんが落ち込んでいるけれど、とにかくもう忘れよう。

 さて。

 トンネルの先に白熱電球のような暖色の灯りに照らされて明るくなった場所が見えて来た。
「……ええと、あそこが?」
「は、はい。地下世界への入り口ですよ」
 そこはちょっとしたフロアになっていて奥にいくつか扉があった。そして手前が岸壁でゴンドラを横付けできるようになっていた。
「手伝いますね? あ、それとも触ったら不味いものですか?」
「ああ、すみません大丈夫です。ほとんど食品なので」
「食品? 壊れやすいものとか入ってますか?」
 卵とか。
「いえ、大丈夫ですよ」
 というわけで、乃梨子は由乃さまと一緒に岸壁に横付けされたゴンドラから荷物を上げるのを手伝った。
 案内してもらっているのでお返しにこの位はすべきだ。
 一抱えある買い物袋が三個あって、持ち上げてみると大きさの割に軽かったので乾物なのであろう。
「何処に運ぶんですか?」
「いえ、その前に、とりあえず扉の向こうを見ましょうよ」
「え? はい……」
 『大きな穴』を見せてくれるのだろうか?
 荷物はとりあえず置いて由乃さまとともにアルさんに付いていく。

 ギィ…っと鉄が擦れる音がして扉が開くと、同時に止まっていたその場の空気に匂いの違う風が勢い良く流れ込んできた。
 風には微かな生活臭。この先は人の住む空間のようだ。
 
「わ……」
「え、なに……」

 扉の向こうはバルコニーのようになっていて先に手すりがあり、その先は『広くて暗い空間』。
 そこが『何』なのか、トンネルの狭い空間との落差に感覚が付いていけず認識するのに時間がかかってしまった。

 次に認識できたのはバルコニーの前方に点在する明かり。
 明かりは全部水平より下方に見えるので、乃梨子たちの居るバルコニーはその空間の最上部のようだった。

 そしてその明かり一つ一つの周囲にぼんやり浮かび上がる『壁』をたどる事でようやく『暗い空間』の周りが円筒の内側のような垂直の壁である事が認識でき、これが『大きな縦穴』であることが判明する。

「すご……」

 隣で由乃さまが声を漏らす。

「……ええと、窓明かり?」
「じゃ無くて、あれ『家』みたいよ?」
「え?」

 縦穴の壁に小さな窓でも開いているのかと思ったのだけど、目が慣れてきて構造が見えてくると実はもっと大きなものだと判った。

 スケール感が付いていってなかったのだ。

 由乃さまが指さすので右を向くとそこは壁伝いに下りの階段になっていて、その階段から見上げるような位置にどーんと『家』というか建物というか窓のある構造物があった。
 その構造物は壁から飛び出しているので当然下側はオーバーハングで、そのスケール感と相まって見ててちょっと怖かった。
 怖いと言えば、この足下のテラスもそんな風に『壁』に張り付いてるんだと想像したら、ちょっと足がすくんでしまう。

「……あの明かりが全部こんな感じなんですか?」
「ええ、そうですよ。家とかお店とか、色々です」
 とアルさんが説明してくれた。

 手前の建物をサンプルにするとこの垂直の壁に囲まれた空間が相当に大きいものであることが判る。
 底に至っては何処まで続いているやら。
 恐る恐る覗き込むと遠くの明かりが空気の揺らぎにちらちらと瞬いていた。
 
「まさに『地面の下に大きな穴』ですね……」
「本当に『地下世界』だわ……」

「さて、それでは僕の仕事場に向かいましょう」
 二人の驚きっぷりに満足したようで、そう言うとアルさんはトンネルの方に戻って行った。
 この扉から入ったのはこの『大きな穴』を見せるためだけだったようだ。

「あ、運ぶんですね?」
 扉からトンネル側に戻ると、アルさんが荷物の袋を抱え持っていた。
 乃梨子も下に置いてある袋の一つを抱え上げた。
「ああどうも。これからそこのエレベータで一番下まで行きます。そこに僕たちノームの仕事場があるんですよ」
「一番下……」
「『底にある小さな椅子』ね?」

 由乃さまと一緒にアルさんの荷物をエレベータに運んだ。
 エレベーターは見た目クラシカルな代物で扉も乃梨子の時代の日本ではまず見かけない鉄の格子で閉まるタイプのものだった。

 がしゃがしゃと音を立てて格子状の扉が閉まり、三人を乗せた箱はゆっくりと穴の底に向かって移動を始めた。
 一定の間隔で格子の外が明るくなり上へと通過していく。
 
「エレベーターは……ふむ」
「?」
 何事か呟くアルさんだけど、乃梨子はなにか嫌な予感がした。
 でも、彼は普通に話題を振って来た。
「階段もあるんですけど、今日みたいに荷物の多い日はやっぱりエレベーターにせざるを得ないですね」
「じゃあ、階段で降りられる事もあるんですか? あんな距離を?」
「ええ。地下世界の散歩もなかなかオツなものですよ」
 こともなくそんなことを言うアルさんだけど、あんな暗い中を延々と降りていくなんて乃梨子だったら気が滅入ってしまいそうだ。
 そんな心情を察したのかアルさんは言った。
「ああ、でも地上の皆さんにはちょっと辛いかもしれませんね。僕たちノームは夜目が利きますから」
 慣れというものだろうか?
「でも私はやっぱりエレベーターが良いですね」
 油断してた。
 やっぱり最初の予感にしたがって警戒しておけば良かった。
 思えばそれは全てこのための前振りだったのだ。
 すなわち、

「エレベーターがえらばれたー」








「……」

「……ぷぷっ」

「……由乃先輩」

 由乃さま、乃梨子はあなたが判らなくなりました。
 もしかしてさっきも吹き出すのを我慢してたんですか? 

 由乃さまの反応も含めてどっと疲れてしまった乃梨子であった。

 この後、“エレベーターをエラバレターとかけたマンホームの高等古典だ”などと解説するアルさんをスルーしたりしているうちにエレベーターはその終点、地下世界の最下層へと到着した。


  ◇


「ようこそアクアの底へ! あ、荷物はこの台車に乗せてくださいね」
 エレベーターから出ると、さっき見た垂直の壁にせり出した建物群とは雰囲気が違っていた。
 むき出しになった配管や骨材、そして絡み付くケーブル。いかにも作業場然としてて生活臭はない。

 そんな中で荷物を積んだ台車を押していくアルさん。
 そしてそれに付いていくウンディーネ服を着た二人。

「……由乃先輩、なにか聞こえません?」
「聞こえるわ。何の音かしら?」

 からからと台車を転がす音に紛れて、カーンというかカラーンというか、何とも表現し難い不思議な音が鳴り響いているのが聞こえていた。

「もう少し行くともっと良く聞こえますよ」
「これ、何の音なんですか?」
「重力石が地中に張り巡らされたパイプを流れる音です」
「重力石?」
「はい。重力石というのは大きな質量を持つ特殊な石なんです。それを地中に張り巡らしたパイプを通してアクアの地中深くに送り込むことで地重管理人はアクアの重力をコントロールしているんですよ」
「送り込む……?」
 ここでアルさんは「簡単に説明しますと」と言って、相対論的効果がどうのと解説してくれたのだけど、ちっとも簡単でなかったことだけを記しておく。
 これについては聞き返してこれ以上詳しい説明を聞いても到底理解できるとは思えないので『そういうもの』だと思うことにした。

 そんな話を聞いてるうちに例の不思議な音はだんだん大きくなり周りのあらゆる方向から響いてくるようになってきた。
「……すごいわね」
「そうですね。神秘的というか……」
 聞いた事の無い音、というか演奏?
 そう、『演奏』という言葉がしっくりくる。そんな音の響きに囲まれていた。

「重力石の実物が見られますよ」
「え?」
「この先に製造装置があるんです」

 少し行くと通路の片側に、ガラス製? のような透明な瓶が並んでいるのが見えた。
 その瓶の中には飴玉のようなカラフルな玉。あれが重力石のようだ。
 その瓶の上部から何か粘度の高い原材料らしきものが滴り落ちてきて、それがそのカラフルな玉に変化していた。

 そしてそこを過ぎて少し進むと、ちょっと広くなった場所が見えて来て、その行き止まりになにやら沢山のパイプが集合していた。
「……パイプオルガン?」
 そう。
 その縦になった銀色のパイプの集合体はいつか写真で見たパイプオルガンそっくりだった。
 
「あそこが僕たちの仕事場です」
 パイプの根元になる場所に席があり、その先にあるのは操作パネルだろうか? 
 乃梨子が視線を向けているのに気づいてアルさんは言った。
「あそこで重力石を地中に送り込むコントロールをしてるんです。紹介しますね」
「え?」
 アルさんは既に台車を置き、買い物袋の一つを抱えてそのパイプオルガン(?)の根元に向かっていた。
 乃梨子たちも後に続く。
 そこにはちょうどまさにオルガンの奏者用のような背もたれのある椅子があり、椅子の前には……。
「……鍵盤?」
「どう見てもパイプオルガンに見えますが」
「深く考えない方が良さそう」
「そうですね……」
 などと感想を述べていると、椅子の近くに立ったアルさんが言った。
「僕の上司のアパじいさんです」
「おお、アル帰ったか。言ったもん買って来たか?」
 椅子がそう答えた。
「「え!?」」
 いや、背もたれの向こうに隠れていた人が言ったのだ。
「あ、……初めまして」
 見える所まで移動すると椅子には『小さな人』が座っていた。
 この人がアルさんの上司?
 アルさんのように黒いマントを羽織り、何故か地下なのに真っ黒な丸いサングラスをかけ、髭を蓄えたおじいさんだった。
 いや、見た目は確かにおじいさんなのだけど、彼は小さな椅子の背もたれに隠れてしまう程小さい。
 ノームは小柄だと聞いていたがこれ程だったとは。
 アクア住人は地球からの移民じゃなかったのか? アクア150年の歴史の間に人類に一体何があったのか? とか、もしかしたら火星への移民に紛れた宇宙人の末裔なのか等等色々勘ぐってしまったのだけど、取り合えずそれを口に出す事はしなかった。

「おや? 初めて見る顔じゃな」
 乃梨子たちの存在に気付いてそんなことを言うアパおじいさん。
「また可愛いウンディーネさんの知り合い作りおったか。おまえなかなかプレイボーイじゃなあ」
「い、いえ、そんなんじゃありませんよ! ああ、お菓子買ってきましたよ」
 そういってアルさんは椅子のすぐそばに買い物袋を置いた。
「おお、そうじゃったワシはこれが好物でな」
 アパおじいさんは早速スナック菓子を取り出し袋を開けて口に運んでいた。
「向こうの台車にもありますから」
「おう、その辺に置いておいてくれ」
 って、全部お菓子ですか。どんだけ好きなんだ。

 由乃さまがねえねえと服を摘んで引っ張る。
「『黒マントに黒眼鏡』ってこの人の事じゃない?」
「そうですね。じゃあ『底にある小さな椅子』って?」
「この椅子じゃない?」
「小さくないじゃないですか」
 座る所の高さは確かに低めだけど、どう見ても大きくも小さくもない普通サイズの椅子だった。
 だからこそアパおじいさんの『小ささ』が際立っているのだけど。

 乃梨子たちが他に椅子は無いかときょろきょろ見回していると、おじいさんが二人に話しかけて来た。
「どうした、お嬢ちゃんたち。探し物ならワシの足元にあるぞい」
「「え?」」
 
「……ちょっと失礼します」
 と、横でしゃがんで椅子の下を見る。
 あ、アパおじいさん、この椅子でも足が床についてないや。
「そっちじゃないわい。ほれ足の下」
 そういっておじいさんが足で指し示していた。
「ああ、これ」
 ありました。
 多分おじいさんが椅子に登るための踏み台兼足置きだろう。
 背もたれこそ無いが、形状はまさに『小さな椅子』だった。
「今朝方アルの友達の、藍華君だったかな? が、ここに来てな、なにやらイベントの仕込みで物を隠させて欲しいと頼まれてな」
「そうだったんですか」
 とアルさんが相づち。アパおじいさんは話を続ける。
「女の子が二人探しに来たら場所を教えてやってくれって言われてたんじゃよ」
 そんな会話を聞きながら、乃梨子がその踏み台をひっくり返してみた所、
「あ、あった!」
 下から小箱が出て来た。多分これで間違いないでしょう。
「どれどれ?」
 アパおじいさんの横で床に膝をついて座り、箱の外側を検分していると由乃さまが寄ってきた。
 なので早速箱を開けてみる。
 ……やはり中には手紙が入っていた。

 『お空に浮かんだ大釜で
   火を操る精霊は
    日の出前の東空』

「なるほど」
「由乃先輩、判るんですか?」
「いや、半分くらい?」

 とりあえず、ノームのアパおじいさんには感謝の意を伝え、地上に戻る事にした。
「またゆっくり来るといいぞ、今度はアルにうまい飯食える所でも案内してもらえ」
「はい、ありがとうございました」
「仕事中にお邪魔しました」

「ほれ、アル。お嬢ちゃんたちを送ってやれ」
「あ、はい」


  ◇


「……宇宙人、ですか?」
「いえ、それは妄想なんですけど、それでもノームをやる人の特別な血統でもあるのかなって」
 アパおじいさんが“小柄すぎる”件だ。
 気になっていたので帰りの道中ついアルさんに聞いてしまったのだ。
「僕は浮き島出身ですけど、確かにそれはあるかもしれませんね」
「あるんですか? じゃあアルさんもご両親のどちらかがノームの血統の出身なんですか?」
「というか、かつてのマンホームのベネツィアでは伝統技能の多くは世襲して受け継いでいたと聞きます。つまり血統ですよね」
「え? ええと、それはわかります。何となく」
「今のネオ・ベネツィアではそんな厳しい世襲制はないようですけど、その手の職業は親戚が同職につく場合が多いみたいですよ。ノームもその傾向が強いようです」
「ええと、つまりノームという職業はかつて小柄な一族が担っていてその流れで今も小柄の人が多いとか?」
「僕にもその一族の血が流れているのかもしれませんね」
 この軽い話し方からするに、ノームが小柄な理由に何か確固とした考察があるわけではなさそうだった。
「アルさんが職業にノームを選んだのはそれと関係してるんですか?」
「あはは、その辺はご想像にお任せしますよ」
 まあ、今日会ったばかりの人に根掘り葉掘り聞くことではないか。
「ノームという職業に血統を呼び寄せる何かがあるんでしょうかね……?」
 そんなファンタジーあるわけ無い、と言いたいところなのだけど、ファンタジーの真っただ中に巻き込まれ中の乃梨子が声を大にして言える事ではない。

「ノームの血統は、」
 あ、しまった。これ前振りだ。

「結構な血統だ!」







「……」

「……いまいち」
「えっ」

「由乃先輩?」

「……乃梨子ちゃん、前にアリスとここの食べ物がおいしくて油断すると太っちゃうって話したじゃない」
 なにやら違う話題を振って来た。もしかして由乃さまもネタ振りですか?
「確かにそういう話はしましたけど、いきなりなんですか?」
「特に甘いものはヤバいわよ。血糖値あがりまくりで」
「まあ甘いものに限らず食べ過ぎは成人病の原因ですけど」
「そういうのってさ、幼い頃からの生活習慣とか遺伝とかもあるでしょ? 血糖値の上がりやすい家系とか」
 まあ予想してましたけど。
「……『血糖の血統』とかいうんじゃないでしょうね?」

「おおっ!」
「……先に言わないでよ」

「由乃先輩」
「なあに? なにか言いたい事がありそうね?」

「実は私の大叔母さまのお友達で糖尿病で入院している方がいるそうなんですけど」
「それは大変ね」
「加齢によるインスリン分泌能力低下も糖尿病の原因の一つなんだそうです。そのご友人も年配の方で元々の血糖値の上がりやすい体質と重なって入院する程重くなってしまったみたいです」
「それで?」
「糖尿病は単に尿に糖が出るってだけでなくて、放っておけば全身のあらゆる器官に合併症が起きる可能性のある恐ろしい病気なんだそうです。それで死ぬ人もいるって話で」
「ちょっと、話が重たいわよ?」
「まあ、聞いてください。その方は幸い治療の甲斐あって快方に向かったそうですけど、血糖値が上がりやすい体質というのは当人にとってはシャレにならない深刻な問題なんですよ?」
「そ、そうね。その通りだわ」
「私が言いたい事、判ります?」
「ええと、病気ネタは不謹慎?」
「そこまで言ってませんけど、気をつけた方がいいですよって話」
 由乃さまとアルさんまで何やら期待してたようだけど残念ながらそういう前振りではなかったのだ。

「乃梨子ちゃんはこういう言葉遊びみたいの好きじゃないのね」
「別に人が嗜むのを止めたりしませんよ。ただ……」
「ただ、なに?」
「こういうのって人を和ませてこそのモノですよね? アルさん?」
「え、ええ。そうですね」
 と、アルさんが申し訳なさそうに同意するのでフォローしておく。
「いえ、アルさんの下手な語呂合わせを披露して自爆するという芸風は十分完成されていると思いますけど」
「えー……」
 いや、フォローしたのに何で落ち込むかな?
「と、とにかく、ネタを披露するなら、時と場合とそして話す相手の事もよく考えてから披露すべきだって言いたかったんです。言葉一つで人を笑顔にっていうのがそういった芸能の神髄ですよね?」
「た、確かにその通りです!」
 と、アルさんがもの凄く感心しているのだけど。
「難しいですね。さすが『高等古典』と呼ばれるだけあって奥が深いです。乃梨子さん、」
「はい?」
「あなたの見識の深さには感服しました」
 そんな大げさな。
 アルさんがなにやらキラキラした視線を乃梨子に送っていた。
「……『師匠』と呼んでいいですか?」
「やめてください」


  ◇


 結局、帰りは最初にゴンドラに乗ったところまでアルさんに送ってもらった。

「じゃあ、僕はこれで」
「わざわざここまでありがとうございました」
「いや、エレベータまでだと地下世界の入り口からここまで来るのに困るでしょうから」
「はい助かりました」

 ではまた、とアルさんは去っていった。


  ◇


 さて、今は姫屋の前のゴンドラを留め置いた桟橋に向かって歩いているところ。
 まだ午前中でお昼までもうひと働きといったくらいの時間だった。
 日はもう高く、建物に挟まれた路地の路面まで陽の光が届いていた。

「次は『お空に浮かんだ大釜』よ!」
 乃梨子は(精神的に)若干疲れ気味なのだけど、由乃さまは元気いっぱいだ。
「あれですよね」
「そうね」
 と、上を見上げる。
 『浮き島』だ。
 気象制御装置で、大気を暖める働きをしていると聞いた。
 見た目の形も「暖める」っていう働きも『大釜』ってイメージで合っている。
「じゃあ、次の目的地は浮き島ってことで良いですね?」
「そうよ! とっとと行きましょ!」
 そういう由乃さまのテンションがちょっと高めだ。
「もしかして、嬉しいんですか?」
「乃梨子ちゃんは嬉しくないの? 私あそこ行ってみたかったのよね」
「ええと、面白そうだとは思ってますけど」
「……いまいち固いわね。もっと素直に喜べば良いのに」
「いえ、喜んでますよ? それより行くのは良いですけど、暗号を解かないと目的が果たせませんよ」
「……そうだったわね」
 謎は三つあった。一つ目の『お空に浮かぶ大釜』は浮き島で間違いないだろう。
 次は『火を操る精霊』。 
「これって、アルさんの言っていたサラマンダー?」
「おそらくそうでしょうね。サラマンダーがどういう職業なのかは聞いてないけど」
 名前だけがさらっと出て来て聞き返すタイミングが無かったのだ。
「アルさんに聞いておけば良かったですね。サラマンダーについて」
 『高等古典』なんていうどうでもいい事を話していないで宝探しの謎解きを話題にすればよかったと今さら悔いてももう遅い。

「まあ、何とかなるでしょ?」
「はぁ……、まあそうでしょうね」

 宝探し自体『楽しんでくれ』と言われている位だから由乃さまくらいの気楽な姿勢が正解なのだろう。


  ◇ ― ◇ ― ◇ ― ◇ ― ◇


 ARIAって良かったなーと先日突如思い立ちアニメを観なおしてここのSSを読み返してあげくはベネツィア画像を検索しまくったりグーグルマップでベネツィアを散策してみたりこれもう完全にまたARIA熱発症してるよ、おそるべしARIA。
 というかまあ先日といっても数ヶ月前なんですが、あれから書き溜めてようやく形になった次第。HNに余分なものを付け加えたのは、あれからもう六年ということで当時の中学生がもう高校卒業しているような期間を経て作風も変わってしまってるでしょうってことでこうなりました。名前から類推できる通りARIA系SSのためだけのHNです。


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