【3783】 許してもらえるかもお腹が空くから弄んでやった  (ものくろめ 2013-10-13 10:01:51)


【短編祭り参加作品】



「んんー、いい天気!」

両手を上にあげて、固まった体をほぐすように伸びをする祐巳。
顔を上に向けると気持ちいいくらいの青空にいくつか浮かぶ白い雲。
少し前までは太陽の下にいるだけで少し汗ばむくらいだったのに、今日は時折吹く風も合わせるとちょうどいいくらいの気温だった。

「今日は絶好のハイキング日和だね、瞳子」
「確かにそうですね。でも、お姉さまは浮かれすぎだと思います」
「えー、だってこんないい天気なんだよ。別に少しくらい浮かれたっていいじゃない」
「子供じゃないんですから、少しは周りも気にしてください」
「周りって……誰もいないじゃない。ここで降りたのも私達だけだったし」

二人の目の前にあるのは車一台止まっていない駅前のロータリー。
その先にはややまばらにある一軒家とまだまだ緑が多い山。
後ろには駅の建物と、線路の下をくぐるようにして反対側へ通り抜けられる通路。
祐巳が片足を軸にして、クルっと一回転するも、人の姿は目に入らなかった。

「えーと……駅員さんとか」
「あーそっか。無人駅じゃないんだもんね」

そういえば改札を出るときにガラス越しに駅員さんの姿を見たなあ、と祐巳。
電車を降りた時、向かいにいた上り電車に乗る人も何人か見かけたし、祐巳が思っているよりも利用者はいるのかもしれない。

「お姉さまはもう少し人目を気にしたほうが良いと思います」
「うぅ、せっかくのハイキングデートなのに瞳子が冷たい……」
「お姉さまは私が注意してちょうどいいくらいです」

わざとらしく肩を落とす祐巳に、瞳子は呆れたようにため息をつく。

「それでどちらにいけばいいんですか? 今日はお姉さまが案内をしてくれるということでしたので、私は何もわかりませんよ」
「えーと、そっちの通路を抜けてまっすぐ行けばいいはず。ちょっと待って、今地図を出してちゃんと確かめるから」

背中のリュックを胸の前に持ってきて、中身を取り出そうとする祐巳。
それを見て瞳子が助け舟を出す。

「お姉さま、そちらにベンチがありますよ」
「あ、本当だ。じゃあ、瞳子もいったんそこに荷物置いちゃいなよ。せっかくだしここで準備運動していこう」
「そうですね。お手洗いもありますし、ここで準備をしたほうがいいみたいですね」
「一応、山に着くまでにもう一箇所あるみたいだけどね」

祐巳が取り出した地図を瞳子の前に広げ、指をさしていく。

「ここが今いる駅で、今日登る山がここだから……うん、やっぱりそっちの通路を抜けてここまでまっすぐだね」
「これはどこからが山道なんですか?」
「ここの沼の横のとこからが山道らしいよ」
「普通の道を歩くほうが長いのですね。これなら思ったよりも楽そうですわ」
「登り道だから地図で見るよりはきついと思うけど。あ、でもそこの山を登ってから行くコースもあるらしいよ」

そう言って祐巳が線路の向こう側を指さす。
そこには緑の木々がほぼ垂直に上へ向かって並んでいた。
少し横に目をやると、家が建っていてその横に細く急な坂道が見える。
おそらく登山道は別にあるのだろうが、あの坂道がそのまままっすぐ山頂に続いていたらどれだけきつい坂道になるなのだろうかと考えてしまう。

「せっかくだから、今からでもそっちのコースにしてみる?」 
「……予定の時間もありますし、今日のところは遠慮しておきますわ」

祐巳だって本気で言ってるわけではない。
そう思ってはいても、瞳子は祐巳の提案をはっきりと断った。
特に高い山というわけではなく、普段見かける程度の高さの山だと思う。
でもだからといって、今からこの山に登って、更にもうひとつの山に登ることになるのはつらい。
中途半端に断った結果、登ることになるのはごめんだった。

「ふふっ、そうだね。二人ともハイキング初心者なんだから、ちょっと軽いくらいでちょうどいいと思うよ」

瞳子の答えに祐巳が微笑む。

「なんですか、その顔は?」
「ふふっ。さぁ〜て、なんだろうね?」

わかってます、と言わんばかりに祐巳が再度微笑む。

「さあ、今日歩くコースも決まったし、さっさと準備運動しちゃおうか」
「元からコースは決まっていたじゃありませんか。それをお姉さまが――」
「はい、それはもうおしまい。準備運動始めるよ」
「あ、ちょっと待ってくださいお姉さま」
「まーたない。まずは両手を上に伸ばして――」

抗議しようとする瞳子を放って、両腕を頭の上に伸ばす祐巳。
瞳子は不機嫌そうに頬を少し膨らませながらも、祐巳の動きを真似る。
そうして改札口の横で準備運動を始める二人。
恥ずかしがる瞳子をよそに、次の電車に乗ろうとやってくる人たち全員に祐巳が元気よく挨拶の声をかけるのはもう少し後のことだった。





「そこを左に行けば頂上のはずだよ」

歩き始めて1時間ちょっと。
二人は頂上まで後少しというところまできていた。
標高はそれほど高くないはずだが、木々が太陽の光を遮るためか思ったよりも気温は低く、熱くなった体にはちょうどよく感じられる。
ただ時々吹く風は気持ちいいながらも少し肌寒く、駅では開いていたシャツのボタンは今は閉じられていた。

「やっぱりそうだ。あそこが頂上だから、がんばろう瞳子」
「……はい」

同じ距離を同じ速さで歩いていた二人だったが、山道を登って20分ほどたった頃にはその様子は異なっていた。
後ろを歩く祐巳はまだまだ元気といったところだが、前を歩く瞳子は目線が下がり気味で傍目にも疲れが見て取れる。
日頃演劇の稽古をしている分、祐巳よりも体力には自信のあった瞳子だったが、どうやら山登りは別だったようだ。
瞳子が顔を上げてこれから登る坂道を見る。
傾斜のきつい上り坂の先には、茶色や緑色ではない青色の空が見え、そこが頂上であることを示していた。

「がんばりますわ」

あと少し。
ところどころにある石や木、ちょっと平らになっているところを除くと転がり落ちそうな坂を睨みながら瞳子は気合を入れた。



「着いた―!」
「やりましたわ……」

バンザイをするように両手を上に挙げて喜びを表す祐巳。
一方の瞳子は片手を自分の膝に乗せ、もう片方の手を上に挙げてやりきったという雰囲気を漂わせていた。
瞳子が一息をつくのを待ってから、祐巳が声をかける。

「いいながめだね、瞳子」
「……ふぅ。本当に。いい眺めです。頑張ったかいがありましたわ」
「今日は天気がいいから遠くまでよく見えるね。東があっちだから……リリアンは無理だろうけど、東京タワーなら見えないかな?」
「流石にそれは無理だと思いますけど。あれが私達が乗ってきた電車ですわね。この後に行くお店はあそこら辺ですか?」

瞳子が町の中心部らしいところを指さす。
この後、山を降りたら祐巳が友達におすすめだと聞いたカフェに行ってお昼を食べる。
そして温泉に入ってから着替えをして、先ほど自分たちが降りた駅の一つ前、乗り換えを行った駅から電車に乗って帰るのが今日の予定だった。

「ううん、違うよ。ここからは見えないけどこれから行くお店はこっち」
「え?」

くるりとまわって目の前の景観に背を向けて、祐巳が指したのは瞳子が指した方とはほぼ逆の方向だった。

「大丈夫、もう下りしかないから」
「いや、そうではなくて帰りの駅はあちらですよね」
「ああ、それも大丈夫。駅まではバスで行くから」
「……よかったですわ」

瞳子の口から安堵の溜息がもれた。

「心配した?」

祐巳が瞳子の顔を覗き込む。

「今日はお姉さまがすべてスケジュールを決めましたから」
「え〜と、どういう意味、それ?」
「さあ?」

肩をすくめて瞳子が答える。
感情を悟られないようにしたのが成功したようで、祐巳は疑問符がついた顔をした。
山歩きはダメだったけれど、こういったことなら負けないのだと、ちょっぴり得意になった瞳子だった。
「う〜ん」と唸りながら考える仕草をする祐巳を見ながら、瞳子は2週間前のこと思い出していた。



「ねえ、今度のデートだけど山に行かない?」
「ええ、いいですけど」

事の発端は祐巳からの電話だった。
祐巳と瞳子大体月一で休日を一緒に過ごしているが、たいていはショッピングにいったり映画を観にいったりと、街中で過ごすことが多い。
長期休みとなれば別ではあったが、そうでもないのに遠出をするというのは久しぶりだった。

「紅葉にはちょっと早いかもしれないけどさ、友達がこの前行ったカフェがすごくよかったらしくて興味があるんだ」
「それと山に行くのとどう関係があるのですか?」
「ほら、もうそろそろ秋でしょ?」
「ええ、そうですが」

「わかるでしょう?」と言わんばかりの祐巳に、瞳子は戸惑う。
こういう突飛なところは祐巳らしいとは思うけれど、いい加減に直して欲しいとも思う。

「秋と言えば?」
「……芸術の秋?」
「ブー、はずれ。それもあるけど、今回は運動と食欲の秋! 山を歩いてお腹をすかしてから美味しいランチを食べようってこと」
「はあ」
「細かい予定は来週までに渡すから。それじゃあ、おやすみ瞳子」
「あ、はい、おやすみなさい」

祐巳のテンションの高さに圧倒されたまま、瞳子は通話を切った。
後日会った時には祐巳から手作りの予定表(表紙には「遠足のしおり」と書いてあったが無視した)まで渡された。
思えば最初から祐巳に任せっきりなのが今日のデートだった。



「それじゃあ、そろそろ行こうか」

景観を楽しんだ後、二人は山頂にあったベンチに並んで座りながら、行動食として持ってきたお菓子を食べていた。
それも一段落し、そろそろ出発しようとベンチから腰を上げて、「よしっ」と気合を入れる祐巳。
その隣で瞳子がリュックに水筒をしまう。

「そうですね。休んで私も元気が戻りましたし」
「よかった。さっき歩いた距離の半分くらいだし頑張ろうね」
「あとは下りだけでしたら大丈夫ですよ」
「そうだね。でも、滑ると危ないから気をつけてね」

最後にもう一度景色を眺めてから、祐巳は慎重に坂道を下り始めた。





「私はキッシュのセットで。瞳子はどうする?」
「このマフィンのセットをお願いします」

山頂を出発して1時間弱。
三角屋根の可愛らしいカフェ、というよりは店内で食べることのできるケーキ屋といった方が正解かもしれない。
店内に入ると、まずショーケースの入ったスイーツが目につくが、横に目をやると木のテーブルが3つ並んでいて店内で食べられるようになっている。
お昼の時間には少し遅いせいか、店内にいるお客は祐巳と瞳子の二人だけだった。

「友達の話だとランチセットの量はけっこうあるらしいけど、食べられるならケーキも頼みたいなあ」
「このセットにもデザートがついてるらしいですよ」
「でも、本当にちょっとした感じらしいよ」
「まあ、この値段だとそうなのでしょうけど」

1000円でお釣りがくるランチセット――スープ、サラダ、ドリンク、デザート付き――なのだからそれでも十分だと思う。

「友達がこの前に来た時は小さめのかき氷だったって」
「かき氷ですか……」

まだまだ暑さが続いているとはいえ、かき氷を食べるにはちょっとつらい気がする。

「まあ、友達が来たのは夏だったらしいから今は違うだろうけどね」
「そうですよね」
「そうだ、一つを二人で分けるってのでもいいかも」
「お友達の話では量が多いのではなかったのですか?」
「大丈夫、そのために運動してお腹をすかせてきたんだから」

自信満々に微笑む祐巳。
瞳子はその顔に見とれるべきなのか、呆れるべきなのか少し悩む。
と、そこで瞳子は山を歩いている途中に疑問に思ったことがあったのを思い出して言った。

「そういえば、お姉さまは今日の山歩きは疲れなかったのですか?」
「うーん、その後の楽しみを考えてたら疲労は感じなかったかなあー」

ややわざとらしく視線を上に逸らしながら答える祐巳。

「なるほど。で、本当のところはどうなんですか?」
「実は今年に入ってから、友達と何回か山歩きに行ってるんだ」
「どうりで服装や靴がすでに使ってあるように見えたわけですわね」
「あはは、瞳子のは新品って感じだもんね」

祐巳も瞳子も一般的に山ガールといわれるような服装だが、瞳子のそれは明らかに新品とわかるものだった。
それもそのはず、瞳子の装備は祐巳から予定表を渡されてから買ってきたものなのだから。
といっても先ほど山を歩いてきた後なので、今はもう今朝のような真新しさはなくなってきているが。

「あ、料理がきましたね」
「うん、もう私お腹ペコペコ」
「お姉さまったら。まあ、私もですけど」
「ふふっ、そうだよね」

お盆の上にはスープとサラダが二つずつ、それにマフィンとキッシュが乗ったお皿。
マフィンセットにはチーズ焼き、キッシュには小さめのマフィンが付いていた。
一つ一つの量は少なめだけれど、これだけあれば十分お腹は膨れそうだった。
これに食後の紅茶とデザートが付くのだからこれはお得だ。
食事の挨拶を忘れずに行ない、二人は目の前のランチを楽しみ始めた。



「バスの時間は大丈夫ですか?」
「まだ大丈夫」

バスがあるといっても、都内とは違ってその本数は一時間に一本というところ。
最寄りのバス停にバスが着く時刻にはまだ余裕があるので、二人は店内で座りながらゆっくりとしていた。
ランチセットは確かに結構な量があったものの、山歩きをしてきた二人には十分食べられる量だった。
結局セットについていたスイーツ以外も食べたかったことから、追加で一つケーキを頼み、それを二人で分けて食べているところだった。

「あ、ほっぺに生クリーム付いてるよ」
「えっ、どちらですか? って、お姉さま!」

瞳子が頬を拭こうとしたところに、いきなり祐巳が顔を近づけてくる。
その顔が明るい店内に不似合いな妖しさを感じさせて、思わず驚きの声を上げる瞳子。

「気にしない気にしない――」
「っーー!?」

艶っぽい小声を出しながら祐巳の顔が近づいてくる。
声にならない声を出して、瞳子は思わず目をつぶった。

「…………?」

目をつぶって数秒。
瞳子が期待していた感触は頬に訪れなかった。

「――なんてね♪ 瞳子から見て右側だよ」

瞳子が目をあけると、悪戯っぽい笑みを浮かべた祐巳が目に入った。

「うぅ〜、からかいましたね」
「さあ?」

顔を真っ赤にする瞳子とそれをみてクスクスと笑う祐巳。

「まったく、もう!」

瞳子はおしぼりで頬のクリームを拭いて、ぷんっと顔を横にそむける。
その理由はからかわれたからか、期待したことをしてもらえなかったからか。
瞳子が高等部を卒業してからというもの、祐巳はそういったことに対するタガが外れてしまったらしい。
そして素直に口に出したりはしないが、瞳子もそれを受け入れていた。
普段だったら周りの目があっても関係なくやるくせに。
今ならお店の人も裏にいるのか姿が見えないし、まったく問題なかったのに。
決して口には出さない祐巳に対する文句を心の中で叫ぶ瞳子。
それを察したのか祐巳はそっと目の前にある瞳子の耳に顔を近づけて囁く。

「また後でね。ソッチの方もお腹が空いている方が美味しく感じるでしょう?」


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