「瞳子さん?」
「なんですの敦子さん」
「やはり戻ったほうが・・・」
「そうですわ。今ならまだ中等部の敷地内ですし・・・」
「何をおっしゃるの美幸さんまで。私達はたまたま高等部の敷地に近付いているだけですわ」
リリアン中等部三年の、瞳子、敦子、美幸の三人は、高等部と中等部の境目となる地点まで来ていた。
瞳子は平然としているが、敦子はいくぶん腰が引けていた。
「・・・わざわざコートでリボンを隠して?」
「寒いからですわ」
瞳子はさらりと言い訳を口にするが、美幸も不安さを隠せないでいる。
「・・・みんなして髪型まで変えて?」
「気分転換ですわ」
不安げな二人と対照的に、瞳子はなんでもないという口調ですらすらと答える。おそらく、何かあった時のために頭の中でシミュレーションを繰り返したのだろう。
三人は中等部のリボンが見えないようにコートを着込み、それぞれ髪型を変えていた。
瞳子など、特徴的な縦ロールが無く髪を降ろしているので、クラスメートですら気付かないかも知れない。
「もう!お二人とも最初は乗り気だったじゃありませんか!」
「・・・・・・でも」
「まさかこんなに近付くなんて・・・」
今日は二月十四日。高等部で薔薇の蕾達の一日デート権を賭けたバレンタインのイベントが開催されているのである。瞳子達は、その様子を伺おうと、こうして軽い変装までして高等部の敷地すれすれまで来ていたのである。
「お二人とも少し緊張し過ぎですわ。別に高等部に入り込んでイベントに参加しようって訳じゃないのですから、もう少し堂々としていて下さい」
瞳子は演劇部に所属しているので、何かあってもうまく演技で切り抜けられる自信があるのだろう。だが、演技の経験など無い他の二人は、そこまで開き直れなかった。キョロキョロと辺りを見回し、もう逃げ出すタイミングを伺っているようだ。
「もし高等部の方に何か聞かれても瞳子がお答えしますから、お二人は堂々としているだけで良いですわ」
「・・・・・・そういう事なら」
「もう少しだけ近付いてみましょうか?」
現金なもので、厄介ごとは瞳子が請け負うと宣言したのを聞き、二人は笑顔で相談し始めた。まるで帰る様子を見せない瞳子の落ち着きぶりに、二人もやっと安心したようだ。
急に元気を取り戻してきゃあきゃあと喋り始めた二人に、瞳子も思わず苦笑していた。
その時、三人のすぐ隣りの茂みから、一人の少女が突然飛び出してきた。
『きゃあ!』
突然の事に、瞳子までも小さく悲鳴を上げて驚いている。飛び出してきたほうの少女は、一瞬ぽかんとした表情をしたが、三人に気付くと慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!脅かすつもりじゃなかったんですけど・・・」
そう言ってうつむく彼女の胸元には、高等部の証であるタイが結ばれていた。どうやら彼女は瞳子達と違い、正真正銘の高等部のようだ。
瞳子は先程の悲鳴を打ち消すように、コホンと一つ咳払いをすると、茂みから駆け出してきた少女に問いかけた。
「こんな所で何をなさってるんです?」
「あれ?・・・そう言えばココってどの辺だろう?」
「・・・・・・もしもし?」
「あ、あれって中等部の校舎だ。逃げ回ってるうちにこんなトコまで来ちゃったんだ・・・」
「あの・・・私の話、聞いてます?」
会話の噛み合わない少女の様子に、瞳子もどうしたものかと思っていると、突然その少女が問いかけてきた。
「今何時ですか?!」
「え・・・よ、四時三十分です」
あまりに勢い込んで聞かれたもので、瞳子は思わず腕時計を見て素直に答えてしまった。
「あと十分・・・やっぱりあの場所に賭けるしか・・・」
少女とはやはり会話が噛み合わない。一人ブツブツと呟く彼女に、瞳子は慎重に聞いてみた。
「あの・・・紅薔薇の蕾の・・・・・・祥子ぉ・・・さまのカードはもう見つかったのですか?」
「えっ?!」
彼女は突然警戒するように振り返ってこちらを見た。
「紅薔薇の蕾の妹も参加なさっているんでしょう?さしずめ彼女ならカードを見つける最有力候補かしら?」
瞳子は警戒されないよう注意を払いながらも自分の欲しい情報を引き出そうとしていた。しかし、茂みから現れた少女は不思議そうにこちらを見ている。
(何か変な事言ったかしら?)
瞳子が内心ドキドキしている後ろで、敦子と美幸はジリジリと中等部の敷地内へと後ずさっていた。どうやら瞳子をイケニエにして自分達だけでも逃げるつもりらしい。
(・・・・・・イベントに参加しているのに私の顔を知らない?それに後ろの二人、何で中等部の敷地のほうにジリジリと?・・・・・・あ!もしかしてこの子達、中等部?!)
普段はニブイくせに変な時に鋭い祐巳は、瞳子達の正体に気付いたようだ。
(なんか必死で取り繕ってるところが微笑ましいなぁ・・・)
大勢の追跡者に追われているのも忘れ、祐巳は思わず微笑んでいた。
その人懐っこい笑顔につられ、瞳子も微笑んでしまう。
(・・・・・・・・はっ!なんで私まで微笑んでるのかしら?意外と侮れないかも知れないわね、この人。・・・・・・顔は子狸みたいだけど)
少し顔の赤くなった瞳子はそう思い、慌てて笑顔を消した。瞳子が内心失礼な事を思っていると、彼女は服に付いたホコリを払って歩き出そうとしていた。
(祥子お姉さまのカードについての情報は聞けず終いかしら・・・)
瞳子が少し残念に思っていると、彼女はまた唐突に喋り始めた。
「・・・紅薔薇の蕾の妹は、カードの在りかにだいたいの当りをつけて、頑張って走ってると思うよ。・・・彼女をヒントにカードを探してる追跡者を巻きながらね」
それを聞いた瞳子は、少し憤慨してこう言った。
「まあ、そんな卑怯な方達には祥子ぉ・・・さまのカードを見つけて欲しくありませんわね。蕾の妹には是非とも頑張って欲しいものですわ」
勝負するなら正々堂々と行きたいタチの瞳子は、思わず顔も知らない蕾の妹にエールを送ってしまった。それを聞いた高等部の少女は、一瞬キョトンとした顔をしていたが、急に瞳子の両手を掴み、ブンブン上下に振りながらこう言った。
「うん!頑張る・・・ように伝えとくよ!ありがとう!」
またさっきのような人を引き付ける笑顔を浮かべながら。
瞳子は急に顔が熱くなってきた事で、自分が赤面している事に気付いた。
「べ・・・別に応援している訳じゃあ・・・」
そっぽを向きながら、もごもごと言い訳じみた事を呟く。
(私、何でこんなに動揺しているのかしら?・・・きっと急に手を握られたりしたからね、うん。そうよ、それだけよ)
自分の気持ちに無理矢理整理をつけている瞳子に、彼女は尚も微笑みかけてきた。
「ん、でも私も何か元気出たし。やっぱりありがとう!それじゃ、私もそろそろ行くね!」
「あ・・・」
急に離されて熱を失った自分の手を、瞳子は少し寂しい気持ちで見ていた。
(いえ、別に寂しくなんかありませんわ!ただちょっと急に手が寒くなっただけで・・・)
心の中で言い訳をしている瞳子を置いて、彼女は走りだそうとしていた。
「あ!」
彼女は突然急停止して、三人の方にクルリと向き直った。
「誰かに見つからないうちに中等部に帰ったほうが良いかもよ?」
笑顔のまま、そんな事を言い出した。
突然自分達の正体を見破られて、三人は固まってしまっていた。
そんな三人を見て、彼女はもう一度微笑むと、今度こそ何処かへ向かい駆け出していった。スカートのプリーツをばっさばさとひるがえしながら。
彼女が自分達の事を咎める事も無く駆けて行くのを見て、三人はやっと緊張を解く事ができた。
「・・・高等部のお姉さまの余裕ってやつなのかしら?」
走り行く彼女を見送りながら、敦子が呟く。
「少しカッコイイと思いません?あんな方がお姉さまなら良いかも・・・」
なんだか嬉しそうに美幸までもが呟く。
瞳子はさっきまで暖かい手に包まれていた自分の手を見下ろし、
「・・・・・・・・・そうかも知れませんわね」
珍しく素直に同意している。
後ろで「高等部に入ったら、どんなお姉さまと出会えるかしら?」などと喋り出した二人の声を聞きながら、瞳子は彼女の姿が見えなくなるまで、その後ろ姿を見送っていた。
その特徴的なツインテールを。