山口真美は新聞部へと急いでいた。
(一面は“各運動部の次期ホープ特集”で良いわね)
頭の中で特に眼を引きそうな次期ホープの写真とインタビューをリリアン瓦版にレイアウトしてゆく。
(それにしても、あの細川可南子さんがねぇ・・・人間、変われば変わるものね)
バスケ部以外にも写真付きで数人、そしてインタビューのみでも数人。頭の中のレイアウトが次第に明確な形になってゆく。
(その下に“風邪の予防法あれこれ”でも持ってきて・・・)
そんな事を考えているうちに新聞部の部室へとたどり着き、真美は無意識にドアを開けた。
カラカラカラカラ
「お帰りなさいませ、ご主人さま」
カラカラカラカラ ピシャン!
(・・・・・・・・・・・・・・え〜と)
思わず扉を閉じた真美は今見たシーンを頭の中で整理する。
(今、メイドがいた?新聞部の部室に?)
真美は何かの見間違いかと思い、再びドアを開けた。
カラカラカラカラ
「お帰りなさいませ、ご主人さま」
ガラガラガラガラ ビシャン!!
今度は謎のメイドと目が合った。
(・・・・・・・・・・・・日出美?!)
そう、部室にいたメイドは真美の妹、高知日出美だった。シックな感じの黒いメイド服に白のシンプルなエプロン。髪はカチューシャでまとめていた。
真美は深呼吸を一つし、もう一度部室のドアを開ける。
カラカラカラカラ
「おかえ・・・」
「何してるの?日出美」
今度は声を出せた。すると日出美はちょっと照れ臭そうにはにかみながらこう言った。
「私、何かおね・・・ご主人さまのお役に立ちたいと思って。でも何をすれば良いのか悩んでいた時に、三奈子さまにアドバイスを頂きまして・・・」
(・・・あの人はホントにもう!・・・・・・どうしてこう次から次へと騒動の種を撒き散らすのかしら?)
真美は頭を抱えた。ふと部室を見渡すと、「私達には三奈子さまを止められませんでした」とでも言いたそうな申し訳無さそうな顔の一年生と「普段冷静な真美さんはこんな時どんなリアクションを取るのかしら?」と興味津々な顔の二年生がこちらの様子を伺っていた。
(まったくどいつもこいつも・・・・・・お姉さまの思うツボじゃないのよ!)
不機嫌な表情になる真美を見て、日出美が不安そうに聞いてくる。
「あの・・・去年はおね・・・ご主人さまもこうしたと聞いたのですが・・・・・・」
少し怯えたような表情で、上目使いに聞いてくる日出美を見て、真美の動きが一瞬止まる。
(うわ可愛い・・・じゃなくて!)
ちょっと心を奪われかけた真美だが、はっと我に帰り窓の外をにらむ。
部室の窓から数メートル離れた樹上に、光の点が五つ輝いていた。
(メガネとレンズと双眼鏡ってところね・・・)
「ああんもう!日出美ちゃんたら押しが足りないわね」
「三奈子さま、良くメイド服なんて持ってましたね」
真美の見立てどおり、樹上にはカメラをかまえた蔦子と双眼鏡を覗く三奈子がいた。
「いつか真美に着せようと思ってたんだけどね。あの子、断固拒否するんだもん!せっかく二人で着ようと思って買ってきたのに・・・」
そう言いながら、傍らに置いた紙袋の中からもう一つのメイド服を取り出す。
「それは是非撮ってみたかったですね」
「でしょう?きっと真美に良く似合うはずなのに」
三奈子は服をしまい、耳に着けたイヤホンをいじっている。
「・・・・・・それは?」
「部室に仕掛けた盗聴器。FM波で音を飛ばすタイプの」
「どこからそんなモノを・・・」
「細川可南子ちゃんが『もういりませんから』って」
「ホントにストーカーだったんだなぁ、あの子」
蔦子が冷や汗を流している横で、三奈子の表情が厳しくなる。
「あら、日出美ちゃんたら、私の名前出しちゃったのね」
「・・・マズくないですか?」
「真美は今更こんな事で切れる子じゃないわ。色々と鍛えたからね」
「・・・どんな鍛え方だったかは、あえて聞きませんよ」
蔦子は心の中で真美に合掌した。
蔦子に密かに同情されているとは思ってもいない真美は、内心溜息をついていた。
(まったく・・・日出美もこんなに簡単に騙されるなんて)
真美は次期編集長としてどうすべきかを決めた。
(ここは一つ、厳しく接して部員にも喝を入れなきゃ)
可愛い妹だが、可愛いからこそ時には怒って正しい方向に導かねばならない。真美は毅然とした態度で日出美に声をかけた。
「日出美」
「なんでしょう?ご主人さま」
ボールを投げてくれるのを待つ子犬のようなキラキラした目で見つめてくる日出美に、真美はキッパリとこう言い放った。
「・・・とりあえず紅茶を入れてくれるかしら?」
「かしこまりました!」
どうやら真美は、自分に向けられる日出美の純粋な瞳のせいで、ダメな方向へ一歩踏み出してしまったようだ。
いままで見せた事もないような締まりの無い真美の顔に、事の成り行きをうかがっていた新聞部員達は一斉に引いている。まさかあの真美がこんなにもあっけなく壊れるなんて予想もしてなかったから無理も無かったが。
「紅茶です。ご主人さま」
「ありがとう。飲ませてくれるかしら?」
「はい、ご主人さま」
「ちゃんと冷ましてからね?」
「はい、ご主人さま」
真剣な顔で「ふーっ、ふーっ」と紅茶を冷まし始めた日出美を見る真美の鼻から、一筋の血が垂れていた。
締まりの無い満面の笑み(鼻血付き)で日出美を見つめる真美に何か危険なモノを感じ取った新聞部員達は、一人また一人と部室から逃げ出していった。
「おお、意外な展開ね。あの真美さんがメイドにご満悦だわ。しかも鼻血垂らしてるし」
蔦子は夢中でシャッターを切りまくっている。
「三奈子さま、中ではどんな会話が展開されてるんですか?」
「・・・・・・・・・・」
「三奈子さま?」
返事をしない三奈子を不審に思った蔦子がファインダーから目を離して見ると、そこには鬼のような形相の三奈子がいた。つかんだ双眼鏡からミシミシと嫌な音がしている。
蔦子は恐る恐る三奈子に声をかけてみる。
「あの・・・三奈子さま?」
「・・・・・・・・・許せない」
「は?」
「私を差し置いて真美にあんな事を・・・・・・許さん!」
三奈子は双眼鏡を投げ捨てると、樹上からイッキに飛び降りた。両手両足を使い、猫のように音も無く着地する。
「ちょっと?!三奈子さま?」
蔦子の声にも反応せずに、三奈子は紙袋からもう一つのメイド服を取り出すと、部室目がけて全速力で走り出した。
「真美の髪を梳かす役目は私のモノよぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「うわぁ・・・・・・愛され過ぎるのも考え物ね、真美さん」
蔦子は、自らタイを解きながら走り去る三奈子を見送ると、新聞部に向けて合掌した。
そして蔦子はまた新聞部に向けてカメラをかまえる。十数秒後、日出美とは少し違うデザインのメイド服に身を包んだ三奈子が部室に乱入してきた。
濃い紫のメイド服にフリル山盛りのエプロンとヘッドドレス。シンプルでいかにも家事全般を受け持つハウスメイド然とした日出美に対し、やたらゴージャスな印象の三奈子は接客も受け持ついわゆるパーラーメイドであろうか。
窓の外から蔦子が見ていると、いきなり乱入してきた三奈子に真美が慌てている様子が見て取れた。そして、会話は聞こえないが、三奈子に何やら言い含められたらしい真美はおとなしくイスに座り、三奈子に髪を梳かされている。
鼻血は二筋に、つまり両方の穴から垂れ流しだ。
蔦子はフィルムの続く限りシャッターを切り続けた。
「いや〜、面白い写真が撮れたわ。でも真美さんたら、あんなに幸せそうに鼻血垂らしながらメイド姿の姉妹に囲まれて・・・・・・意外とヤバい人だったのね」
「誰がヤバいんですか?」
びくぅっ!!
突然耳元で聞こえてきた声にすくみ上がった蔦子は、恐る恐る声のした方へ振り返る。
「・・・・・・笙子ちゃん?」
「はい」
蔦子の後ろの枝の上で微笑んでいたのは、最近蔦子と行動を共にする事の多い笙子であった。
「いつの間に・・・・・・」
「最初からいましたよ?」
「最初からって・・・・・・気配すら無かったのに・・・」
「だって、自然な姿の蔦子さまを見つめていたかったんですもの」
きゃっ!恥ずかしい!などと言いつつ照れる笙子を、蔦子は宇宙人でも見るような目で見ていた。
「いつの間にそんな隠密行動ができるように・・・」
「可南子さんから教わりました」
「・・・・・・・・・またアイツか」
がっくりと肩を落す蔦子の肩に、笙子の手がポンと置かれた。
「ときに蔦子さま。蔦子さまはメイド服に興味はおありですか?」
期待に満ちた顔でそんな事を言う笙子の手には、なにやら紙袋が握られていた。
「いや、私は・・・」
そう言って蔦子は枝伝いに一歩下がろうとしたが、笙子の手がしっかりと食い込んでいてピクリとも動けなかった。そして笙子は蔦子を片手一本で木の幹に押し付けると、蔦子に顔を近づけて再びこう聞いてきた。
「メイド服に興味はおありですか?」
笙子の顔は笑顔だったが、目はひとつも笑っていなかった。むしろ爛々と輝いている。
(・・・・・・ここにも一人いたよ。ヤバい人)
退路を絶たれた蔦子は愛想笑いを、ついでに背中に冷や汗を浮かべる事しかできなかった。
この日、蔦子はリリアン入学以来初めて「助けてマリアさま」と心から祈ったという。
その祈りがマリアさまに届いたかどうかは定かではない。