祥子さまとの遊園地デートから1週間後。クリスマスも近くなってきて、少しずつ肌寒くなっている。
柏木さんは祥子さまに関して私の『同志』だと言った。その意味を私は正確に理解できていないと思う。
祥子さまと私の関係は姉妹という絆で結ばれている。じゃあ、姉妹とは何なのだろう。志摩子さんが言うような『与えられるもの』を共有した存在なのだろうか。蓉子さまが言うような『包み込んで守るのが姉、妹は支え』なんだろうか。
百組いれば百通りと言うけれど、私と祥子さまの関係はどんな関係なのだろうか。祥子さまは私がいつも力をくれると言っていた。でもそれだけじゃ駄目だということもおぼろげながら判っていた。
祥子さまとのデート以来、気が付くとそんなことばかり考えている自分に気が付いた。
§
クラブ棟の喧噪の中でさえ、ばたばたとした足音が聞こえてきた。
ちょうどコーヒーを入れていた真美は、溜め息をついて棚からもうひとつコーヒーカップを取り出した。
「スクープよ、スクープ!」
真美は飛び込んできた足音の主を軽く一瞥すると、冷ややかに苦情を言った。
「お姉さま。仮にもリリアン生が怪獣もかくやという足音でどたばた走ってこないでください。お姉さまだけが後ろ指さされるのでしたら、どうぞご自由にと言いたいところですけど、姉妹である私の品性までもが疑われます。ひいては日出実にも迷惑がかかるんですよ?」
「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃない。締め切り間際で困っている可愛い妹を見かねて、ネタをかき集めてきたのに」
日出実ちゃんには優しいのに、私には冷たいんだからと、三奈子さまは少し口を尖らせた。
そんなお姉さまは可愛かったし、可愛い妹を見かねてという言葉もちょっと嬉しかったので、私は煎れたばかりのコーヒーを差し出した。ここまで走ってきたお姉さまのために、濃かったり熱すぎたりしないよう少し水を注したものだ。
確かにネタには困っていた。山百合会関連の話と言えば、茶話会からこっち何もない。由乃さんが急に部活に打ち込んでると聞いて探りを入れてみたが、剣道部に妹候補がいる様子もなかった。しぶしぶ委員会紹介なんていうつまらない記事を書いていたところだ。
「判りました。どうせ大したことはないと思いますがお話を伺いましょう」
「瞳子さん支援委員会が結成されたそうよ」
「は? 瞳子さんって、祐巳さんの妹候補のあの松平瞳子ですよね? 何を支援するって言うんです?」
「そこまで自分で言ったのなら判るでしょう?」
真美は口に手をあて一瞬考えるそぶりをして、答えを導き出した。
「そうですね。さしずめ祐巳さんの妹になれるよう支援する有志の集まりと言うところですか」
「そういうこと。一年生が中心のね」
「でも瞳子さんはアンチ派も多いでしょう?」
「茶話会の前はそうだったわ。でも元アンチ派がその委員会に積極的に参加しているみたいなのよね。想像するに、祐巳さんと瞳子さんは学園祭であれだけ仲が良さそうにしていたのに、祐巳さんは茶話会なんかを開いた。瞳子さんを妹に据える出来レースかと思いきや、瞳子さんは参加せず、妹候補を山百合会にお手伝いとして呼ぶ始末。瞳子さんは祐巳さまに捨てられたのか? それとも自分たちが騒いだせいで瞳子さんは参加できなくなったんじゃないか、とか」
「はあ。同情と懺悔ですか」
「さしずめそんなところでしょうけど、真美。あなたってばホント辛辣ね」
呆れたように三奈子さまが言う。ええ、お姉さまの前でだけですけどと心の中で言って、それでもいつもの口調で答える。
「ただ客観的かつ端的に表現しただけです。でも気持ちは判りますよ。祐巳さん、瞳子さんは祥子さまが好きっていうことが頭にあるせいか、瞳子さんのこと妹にって言われてもぜんぜんピンと来てないみたいですし。あれだけアプローチをかけてる瞳子さんが可哀想ですから」
「やっぱり、瞳子さんは祐巳さんが好きだって思う?」
真美の瞳を覗き込むように三奈子さまは尋ねた。その言葉は確認という響き以外にも意味を持つように思えた。
「やっぱりってお姉さま、何か知ってるようですね?」
「この前の祥子さま探しの一件で、瞳子さんと少しだけ話したから。そういう真美こそ何か知ってるようね」
どうやら三奈子さまは図書館で祥子さまがうたた寝をなさったことを言っているらしい。そういうことにかけては勘の鋭い方だから、その洞察は間違いないだろう。
「日出実から体育祭や学園祭での瞳子さんの様子を聞いています。きっと、祐巳さんを好きになったけど、以前祥子さまとのことで揉めた手前、素直に自分から言い出せないという所でしょう。一端作ってしまった関係や態度を覆すのは難しいですから」
もちろん状況証拠ばかりの推測だ。でも間違っていないだけの自信はある。お姉さまならこれだけの材料で素敵な記事になるだろうし、私が書いたってそこそこの記事になるだろう。
でも……。
「当事者の気持ちが判ったところで、この件記事にする? 一応、あなたが編集長だから、あなたが決めることだと思うけど」
でもこれは書いて良いのだろうか。黄薔薇革命の記事は、生徒に大きな影響を与えた。当時は正しいと信じて書いた記事は、今の由乃さんを見れば誤りだったと判る。
記事を元に破局を迎えた多くの姉妹はすぐ復縁して事なきを得たが、みゆきさんの姉妹は復縁するまでそうとう苦労していた。お姉さまに会って貰うこともできずに追い詰められていったみゆきさんのことを思い出すと今でも心が痛む。
記事にして発表するということはそういう可能性を作るということだ。すべての人にとって良いニュースばかりを伝えられない以上、仕方がないけれども、それゆえに報道する側の良識が問われるだろう。
「一応じゃなく正真正銘、私が編集長です。そうですね、書いたら瞳子さんは意固地になるでしょうし、祐巳さんは嫌がるでしょう」
「まだ、書けない?」
書いたら面白い記事になるのにと、ちょっと心残りそうに尋ねる。
「ええ、せいぜい取材を続行というところですね」
「私だったら記事にするけど。いいわ、真美がそう言うなら」
三奈子さまは意外にあっさりとそう言った。きっと三奈子さまも去年の反省から判っているのだ。報道が踏み込んでは行けない領域を。
「そうしてください。『一応』、私が編集長ですから」
そう言うと真美と三奈子さまは同時に吹き出した。
「蔦子さま、何だか楽しそうですね」
笙子の声で我に返り、蔦子はレンズを磨いていた手を再び動かし始めた。
背中を壁に預け、隣から漏れ聞こえる会話のキャッチボールに耳を傾けていたのだが、つい微笑ましくなってそれが顔に出ていたらしい。
今は部室に笙子しかいないから良かったものの、他の人から見ればまるで怪しい人だ。笙子に見られるのは良いのかと問われると、笙子には見られたくないという気持ちと笙子になら見せても良いかなという気持ちがあって、正直よく判らない。
私は背後の写真部に面した壁に視線を向け、理由を説明した。
「なに、あの姉妹はあの姉妹で仲いいのよねえ、と思っただけよ。まるで次に相手が言う言葉が判っているかのような会話だなって」
笙子はそれだけで誰のことを言っているのかおおよそ察したらしく整った顔をふんわり和らげた。モデルだったのだから顔立ちが整っているのはもちろんだが、こういう表情をすると本当に柔らかな雰囲気になる。
笙子はその笑顔のまま椅子を引き寄せ、蔦子の隣にちょこんと座った。そして手に持ったカメラを思わず向けたくなるようなとびっきりの笑顔を浮かべて囁く。
「素敵ですよね。そんな姉妹に憧れちゃいます。蔦子さまもそう思いません?」
穏やかでいて真剣さをちょっぴり混ぜた瞳に見つめられ、蔦子の頬は急速に火照っていく。そんな露骨に来られては、どんなに弁論が長けていてもさりげなく話を逸らすのは不可能だった。
「た、確かに素敵だと思うよ。……え、えーっと。あ、そうだ、昨日撮ったネガ、焼かなくちゃ」
くすぐったいような嬉しいような恥ずかしさに蔦子は耐えきれず、顔を明後日にそむけ答えを返した。微かに触れあった肩が熱くなってるせいで少々声が裏返ってしまっているのが情けない。
「もう、蔦子さまったらあ」
立ち上がる蔦子に、笙子はえへへとばかりに小さく舌を出した。そして小走りに蔦子を追いかけ、現像を手伝うため薬品庫の在庫をチェックし始めた。
そう言えば、中等部の時にフライング参加したバレンタインの変装として高等部の制服着てきたり、パネルの中でキラキラ輝きたいという理由で山百合会に入ろうしたり、笙子ちゃんはどんなことでも徹底している。このアプローチだって計算されたものに違いない。
まいった。写真部のエースともあろうものが、徹底的に振り回されてる。しかもそれがちょっと嬉しかったりするのだから自分自身に呆れるしかない。
一枚も二枚も上手らしい後輩の姿を横目で見ながら、写真部のエースも年貢の納め時なのかもと蔦子は空を仰いだ。
大いなる命題に思い悩んでいた蔦子には気付くよしも無かったが、この時、隣の部室では、まさに扉をばたんと音を立ててスクープが飛び込んだ所だった。
「お姉さま! あの可南子さんが紅薔薇のつぼみを振ったそうです!! しかも既に茶話会の前に!」
それはこの後の数日間の騒動の始まりを告げる鬨の声だった。