「強化合宿をするわよ!」
木枯らしが吹き始めた初冬のある日、放課後の新聞部部室で三奈子はいきなりそう宣言した。
「・・・・・・受験勉強はどうしたんですか?お姉さま」
何だか妙に張り切っている三奈子に比べ、真美は冷めた調子で姉を問い詰める。
「・・・そんなの今更少しくらい頑張ったって急に偏差値が上がる訳でもないじゃない」
「今、一瞬言葉に詰まりましたね?」
「今はそれよりも大事な事があるのよ!」
妹の図星な追及をかわそうとでもいうように、三奈子はさらにテンションを上げた。
「大事な事って・・・合宿がですか?」
そう恐る恐る聞いたのは、真美の妹の日出美だった。今、部室には新聞部三姉妹しかいない。
「日出美、お姉さまの口車に乗っちゃ『そうよ日出美ちゃん!!』・・・・・・」
ここがチャンスと思ったのか、三奈子が真美の言葉をさえぎり日出美に詰め寄る。急に肩を掴まれた日出美はビクっと身をすくめたまま固まってしまっている。そして三奈子は尚も畳み掛ける。
「もう実質は真美が部長だけど、まだ私は部長としての全てを伝えた訳ではないわ。だからここらで一つ、合宿で新聞部部長の何たるかを真美に伝授しようかと思うのよ!」
拳を握りながら一応もっともらしい事を言う三奈子に日出美はすでに丸め込まれ始めているらしく、感心したような顔をしている。真美は「どうせ受験勉強に飽きたから息抜きしたいだけなのにもっともらしい事を・・・」と、内心溜息をついていたが。
そして真美は三奈子が何か握り締めているのに気付いた。
「・・・・・・その右手に握り締めている物は何ですか?」
「親戚が青梅の温泉旅館の無料宿泊券くれたのよ♪」
三奈子は「良いでしょう?」とでも言うように宿泊券の入っているらしい封筒をヒラヒラと振って見せた。
「なるほど。それをもらったから強化合宿なんて理由を思いついたんですね?」
「そう・・・・・・ち、ち、ち、違うわよ!私はあくまでも真美に部長の何たるかを教えるために・・・」
素直に認めそうになった三奈子は慌てて首を振りながら言い訳をする。そんな姉を見て真美は「この人は何と言うか・・・人間としてのサイズが普通より大きいのかも知れない」などと考えていた。いくら押さえようとしても真美の斜め上をすり抜けて暴走するところなど特に。真美はもう三奈子を止める事を諦めた。
「三奈子さま。お姉さまも心配なさっていますし、今は受験勉強に・・・」
「日出美ちゃんの分もあるのよ?無料宿泊券」
「ホントですか?!」
心配そうな顔で三奈子に意見しようとしていた日出美だが、三奈子の一言でモノスゴイ笑顔になった。
(この子も所々規格外のサイズで出来てるかも・・・)
真美は頭を抱えた。
(こうなったら、お姉さまがはしゃぎすぎないように見張るくらいしかないか・・・)
一人悲壮な決意をする真美の前で、おばあちゃんと孫は楽しそうに「東京温泉MAP」などという雑誌に見入っていた。
夕暮れの迫る旅館の一室で、真美は疲れた体を緑茶で癒していた。
(疲れた・・・・・・・・・・ホントに疲れた)
無理も無い。今日一日、三奈子の暴走を一人で体を張って食い止めていたのだから。
(しかし、日出美まであんなにはしゃぐなんて・・・)
正直、三奈子が二人に増えたような気がしたものだ。でも、妹の可愛い一面を見られて嬉しかったという思いもある。なんだかんだ言っても、真美もかなりの姉バカのようだ。
「それにしても、本当に部長の引継ぎみたいな事をするとは思わなかったなぁ・・・」
そう、遊びまくってはいたが、三奈子は要所要所で土産物屋の店員などを相手にインタビューや写真撮影のコツ等を真美に伝授していったのだ。
「・・・・・・・・・部長交代か」
真美はふいに声に出してみる。急に三奈子が遠くへ行ってしまうような気がして、夕日を眺めながら少し寂しい気持ちになっていく。
三奈子の卒業。頭では理解していても心のどこかでは何時までも三奈子が姉であり続けて欲しいという葛藤が自分の中にあると、真美はあらためて気付いてしまった。
真美は何気なく部屋の中に視線を移した。今、部屋の中には真美一人だった。
(一人だから、こんなに感傷的なのかしらね・・・)
今日泊まる和室の中には三奈子と日出美の二人の着替えが散乱していた。三奈子は宿についてすぐに温泉に入ろうと誘ってきたのだが、日出美の「そういえばロビーに土産物屋がありましたね」の一言に反応し、二人して着替えをほっぽり出してロビーを探検しに行ってしまったのだ。
(そう言えば急に仲良くなったわね、あの二人)
今までは三奈子を数々の伝説(?)的な瓦版を書いた記者として崇拝していたらしく、少し緊張感の漂う態度で接していた日出美だが、今日一日ですっかり打ち解けてしまったようだ。
(よっぽど楽しかったのね・・・)
真美はクスリと笑った。妹の成長とも言える変化、しかし、それすらも時の流れを意識させ、益々三奈子の卒業を実感してしまう。微笑んでいるはずの横顔も、どことなく寂しげだ。真美は無言で部屋の中を見つめている。
「・・・・・・・・・・・・ん?」
真美はテーブルの横に落ちている物に気付き、それを拾い上げた。
「これは・・・」
それは白いブラジャーだった。しかも真美よりも2サイズはカップが大きい。
「・・・お姉さま意外とグラマーだからなぁ・・・」
なんとなく負けたような気がして、真美は先程とは違う意味で溜息をついた。
「いや〜、何でお土産って変なモノが多いのかしらね?」
「何処にいっても必ず何か変なモノってありますよね」
真美がブラジャーを見つめながら溜息をついていると、三奈子と日出美が談笑しながら帰ってきた。真美はそんな二人を見て微笑んだが、仮にもリリアンの乙女がブラを放置して外出してしまった事を注意しようと表情を引き締めて二人のところへ歩み寄った。
・・・・・・ブラのサイズで大敗した敗北感からくる八つ当たりかも知れないが。
「お姉さま、ちょっと・・・」
真美はそう呼びかけて三奈子に近付いたが、ブラを持ったまま近付いてきた真美を見て反応を見せたのは何故か日出美だった。
「あ!すいません。私ったら下着を出しっぱなしで出かけてしまって・・・」
そう言って日出美は恥ずかしそうに真美の手からブラを取り返した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
真美は宇宙人でも見るような目で日出美を見た。
(え?日出美の?・・・・・・・そ、そんな・・・)
真美がかつて無い敗北感に打ちのめされて愕然としている横で、日出美は自分のブラを見て何かに気付いたらしく、少し驚いた顔をする。
「やだ!間違えてサイズ違うやつ持ってきちゃった」
そんな日出美の呟きを聞き、真美は自分の心が急速に落ち着いていくのを感じていた。
(そうよね・・・日出美もグラマーだろうけど、あのサイズは無いわよね)
おおかたお母さまか誰かの物と間違えたのだろうと真美が予想していると、日出美はこんな事を言い出した。
「コレ去年のやつだからもうキツくて入らないのに・・・」
あまりの衝撃に真美が固まっていると、三奈子もこんな事を言い出した。
「あら日出美ちゃん。ソレがキツいなんて、私とブラのサイズ変わらないのねぇ」
真美の心には「追い討ち」と言う単語が浮かんでいた。
真美は遠い目をして窓際の椅子に座り、夕日を眺めながら黄昏ている。
「どうしたの?真美。急に深刻な顔して・・・」
「・・・今はそっとしといて下さい」
「お姉さま?」
「・・・・・・・・・お願いだから一人にして」
急に様子のおかしくなった真美に、二人は心配気な顔をしている。そして三奈子は真美を元気付けようと、こんな提案をしてきた。
「そうだ!とりあえず三人で温泉入りましょうよ!きっと疲れが取れるわよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それだけはカンベンして下さい」
逆効果だった。
真美の落ち込んでいる理由が解からずにオロオロしている二人の横で、真美はただ黄昏続けるのであった。
(牛乳飲むと大きくなるってホントかなぁ・・・)
ボンヤリとそんな事を考えながら。