【643】 夜の真珠  (朝生行幸 2005-09-26 12:36:17)


 夏休みも半ばのある日、花寺生徒会の面々は、毎年恒例の強化合宿と称して、某海水浴場に来ていた。
 生徒会長である福沢祐麒を筆頭に、小林正念、高田鉄、有栖川金太郎、そして薬師寺昌光朋光兄弟。
 ちなみに薬師寺兄弟は、今年で3回目の参加だった。
 場所は先代生徒会長が選んだところで、人があまり多くなく、しかもなかなか綺麗な海岸。
 その辺の情報網は、さすがと言うところか。
 どこかの、芋しか洗っていないような、人とゴミとクズが集まる海とはえらい違いだった。
 二泊三日のこの合宿、合宿といえば聞こえは良いが、実際のところは、八月後半は学園祭準備で忙しくなるため、とりあえずは数にモノを言わせて出来るだけ宿題を終わらせるために設けられた、いわゆる勉強会なのだった。
 もともと花寺の宿題は、そう多く出ない。
 その気になれば、一日目で全てを終わらせられる程度の量だ。
 問題は、仮にも生徒会の人間が、宿題を忘れた、出来なかった、やらなかったとなると、一般生徒に示しが付かなくなるので、意地でも終わらせなければならないと言う事だ。
 午前中の涼しい間に、写したり写させたり、まだのところは先行して進めたりと、連携してひたすら回答欄を埋めて行くのだった。
「よっし、取りあえずはここまでにしよう」
 小林の音頭で、みな一斉に筆を止める。
 高田と有栖川は、露骨に安堵の溜息を吐いた。
「昼飯食ったら、海な、海」
「海だね」
「海だね」
 元気なのは、小林と薬師寺兄弟だけで、のこりはなんとなくグッタリとした感がある。
「まぁいいけどな。夜はまた宿題の続きだぞ」
「わーってるって。でもな、せっかくの海なんだ。楽しまなくちゃ損だぞ」
「そうよ、この日のために、新しい水着買ってきたんだから」
「ふふ、この鍛えに鍛えた身体を誇るチャンスだしな」
 結局遊ぶこととなると、活き活きとしてくる有栖川と高田。
 好き勝手なことを言う連中を前に、結構真面目な祐麒は、ダメだこりゃと思わずにはいられなかった。

 ひたすら浮き輪で浮きまくった小林に、ひたすら肉体を誇示しつつ焼きまくった高田、ひたすら水を掻きまくった薬師寺兄弟、有栖川に無理矢理“浜辺の追いかけっこ”に付き合わされた祐麒と、花寺の面々は、一人を除いてひたすら海を満喫しまくっていた。
 当然海の家のメニューは、アルコール以外は制覇済みだし、西瓜もガンガン割りまくる。
 祐麒を砂に埋めて、股間を変に盛り上げて辱めるのは当然だし、同じく有栖川を砂に埋めて、セクシーポーズを取らせるのは定番中の定番。
 苦労して薬師寺兄弟の首から下を完全に埋めて、自力脱出させることもした。
 無理だったけど。
「出られないね」
「出られないね」
「小林、いくらなんでも無茶だろう」
「ねぇユキチ、潮が満ちてきたんだけど」
「大丈夫だアリス。潮が引くまで息を止めてれば良い」
「それは名案だね」
「うん、名案だね」
「あーなるほど。日光月光なら不可能じゃないな」
「うん、二人ならやってくれる」
『あははははははは』
「ってんなワケあるか!さっさと掘り出せ!」
 まだ波打ち際から数メートルの距離はあったが、掘り出すのは埋めるよりも手間がかかる。
 ようやく二人を解放出来たのは、波が50cmまで近づいていた時だった。
「なんで遊びでこんなに疲れるんだよ…」
「面白かったね」
「面白かったね」
「助けなきゃ良かった…」
 のーてんきなことをほざいた薬師寺兄弟に対し、物騒なことを呟いた祐麒だった。

 宿に戻って風呂に入り、夕食の後再び宿題を進めて、10時ごろには当たり前のように枕投げを堪能したあと、さすがに疲れたのか、11時には全員寝入っていた。
 一人を除いて。
 なんとなく寝付けなかった祐麒は、海岸に面した窓から表に出ると、満月に近い月明かりの元、岩場まで歩いていった。
 静かに、繰り返し訪れる波の音が、耳に心地よい。
 しばらく目を閉じて、波の音を聞いていると、どこからともなく、歌のようなものが聞こえてきた。
 それらしい方向に目を向ければ、少し離れた海面から顔を出した小さな岩の上に、人影らしきものが見える。
(なんであんなところに人が…?)
 不信に思いつつも、そっと近づいてゆく。
 そこには、明らかに人がいた。
 いや、人と言っていいのだろうか、なにせその人影は、腰から下は、まるで魚のようだったからだ。
 思わず見とれてしまい、足元がおろそかになる。
 岩場に足音が響いた瞬間、その人影は歌うのをやめて、こちらを振り向いた。
 目と目が合う祐麒とその人影。
 祐麒の目に映るのは、二つ分けにして左右で纏めた髪をした、丸顔に大きな目、細い肩に大きな胸、やたらと細こい腰周りに魚のような下半身。
 そう、祐麒の実の姉である祐巳に、顔だけはそっくりな“人魚”だった。
 一瞬、自分をからかうために祐巳が悪戯でやってるのかと思ったが、場所は知らないはずだし、しかも目の前の人魚は、実際の祐巳にくらべ、随分と胸がでかい。
 別人?なのは明らかだった。
「あの、えーと…」
 とにかくなんとか意思疎通を図ろうとするも、人魚はそのまま身を翻し、小さな水飛沫と共に海に消えていった。
「なん…なんだいったい。人魚?寝ぼけているのか…?」
 ワケも分からず祐麒は、首を捻りながら宿に戻った。

 翌日、同じようなスケジュールをこなす面々。
 若さ爆発とはこのことか。
 そして、同じように疲れきって寝入った一同の中、祐麒だけは、昨晩のことが気がかりで眠ることができなかった。
(もう一度…行ってみるか)
 再び、例の岩場に足を運ぶ祐麒。
 近づくにつれ、あの歌声が聞こえてくる。
 満月の光に照らされた、美しい人魚の姿がそこにあった。
 祐麒の気配に気付いたのか、こちらを振り返る人魚。
 再び目が合う二人。
 人魚は、昨日の少し怯えた表情とは打って変わって、ニッコリとした笑みを浮かべると、祐麒をそっと手招いた。
 真正面から見た人魚は、やはり祐巳にそっくりで、スマートなのにグラマーという、二律背反している身体を、月明かりの元、惜しげもなく晒していた。
 若い女性の裸にはあまり免疫がない祐麒、赤面するのを自覚していた。
 手招かれるままに近づく祐麒。
 しかし、岩場が途切れているため、それ以上近づくことは出来なかった。
 お互い手を伸ばせば触れ合える微妙な距離を挟んで、見詰め合う二人。
 人魚は、再びあの歌を歌いながら、耳元にそっと手を添える。
 そして、何かを持った右手を、祐麒に差し出した。
 同じく手を差し出す祐麒。
 祐麒の手に、微かに触れた人魚の指先は、冷たくも温かい、不思議な感覚をもたらした。
 その手の平に乗せられたのは、白い貝殻と真珠のような玉で出来たイヤリング。
 月の明りに照らされ、ほのかに光を放っていた。
 イヤリングに目を奪われた隙に、ポチャン、と水が跳ねる音。
 顔を上げた祐麒の目の前には、既に人魚の姿はなく、穏やかな波紋が広がるだけだった。
 祐麒は、イヤリングを手に、静かに打ち寄せる波の音を聞きながら、岩場に立ち尽くしていた。

「お帰り祐麒。合宿どうだった?」
「んー、まぁまぁだったんじゃないかな」
「随分焼けたのね」
「そりゃ、二日も海にいればね」
 なんとなく、祐巳と目を合わせられない祐麒。
「あ、そうだ。ほい、お土産」
「えー、なになに?」
「開けてみな」
 宿の土産物売り場にある小さな紙袋を貰って、例のイヤリングを入れておいた。
「わー、素敵なイヤリングだね。高かったんじゃないの?」
「ん?い、いや、大したことないよ。着けてみてくれないかな」
 祐麒のリクエストに答え、イヤリングを着ける祐巳。
「どう?」
 一瞬、祐巳の姿が裸の人魚と重なり、ドキンと心臓が跳ね上がる。
「う、うん、いいよ。よく似合ってる」
 と言いつつも、あからさまに視線を逸らす祐麒。
「なによ、適当なこと言ってない?」
「言ってない言ってない。いやホント良く似合ってるって」
「そう?えへへー、ありがと」
 照れつつも微笑む祐巳の表情は、あの人魚とまったく同じだったわけで。
 結局祐麒は、夏休みが終わるまで、祐巳の姿をまともに見ることが出来なかった。

「祐麒って、変なの」


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