6月も終わりのある放課後、薔薇の館では薔薇さまとそのつぼみ達が静かに仕事に勤しんでいた
梅雨明けも近いとは言え、まだまだ鬱陶しい雨が続く毎日
各部からの申請書を処理していた瞳子は、ふと横の席でぼんやりとしている姉の姿を目に止めた
「お姉さま?どうなさいました?」
「・・・」
瞳子が覗き込むように声をかけてみたけれど反応が無い
「お姉さま!」
「へっ?・・・あ、瞳子、なに?」
「なに?ではありません、なにをぼんやりされて居るんですか、しっかりしてくださいまし」
「あ、うん、ごめん・・・ちょっとね」
お姉さまはもともとぼんやりしたところがある方ですが、ここ最近は特にひどいような気がします
もしかして体調を崩されているのでしょうか?瞳子は心配ですわ
そう思っていると、黄薔薇さまがお姉さまに声をおかけになりました
「祐巳さん、気分が悪いなら先に帰ってもいいよ
急ぎの仕事も無いし」
「えぇ、無理はしない方がいいわ
瞳子ちゃん、祐巳さんを送って行ってあげて」
「はい、黄薔薇さま、白薔薇さま
お姉さま今日はお帰りになった方がよろしいかと」
「・・・大丈夫。ちょっとぼーっとしちゃっただけだから」
「でも、本当に大丈夫なの?」
「うん、私は元気だけが取柄だからね。ありがとう、由乃さん、志摩子さん」
一時間ほど仕事をして、由乃さまと菜々ちゃんは令さまに稽古をつけてもらうのだとか言って帰って行った
乃梨子さんも志摩子さまと一緒に週末の予定をこれから話し合うのだと先に帰った
薔薇の館には私とお姉さまが取り残された形になったのだけれど
「・・・ふぅ」
「お姉さま、やはり気分が悪いのではありませんか?」
「ん?うーん、ちょっと気が滅入ってるだけよ・・・雨に」
「雨に?どういうことなのでしょう?」
お姉さまが特に雨が嫌いだとは聞いたことも無い、なにか嫌なことでもあったのだろうか?
「昨日もお姉さまから電話があったんだ」
「祥子さまからですか?それなのに喜んでおられないようですが」
「うん、・・・お姉さまも落ち込んでるらしいんだ・・・この雨で。
・・・また私が消えてしまうんじゃないかって」
「!!」
そうだった・・・去年の梅雨の出来事が走馬灯のように頭の中に浮かんできた
あのとき、私が何をしたのか、あのときお姉さまと祥子さまがどうなっていたのか・・・
「私もお姉さまがどこか遠くに行くような気がして、気分が乗らなくてね。
多分、梅雨が明ければ元に戻るから、それまでは見逃して、ね。瞳子」
「うぅ・・・うっく・・・」
「瞳子!?どうしたの、急に泣き出して。私、なにかまずいこと言っちゃった?」
「わ、私のせいで・・・お姉さまが・・・お姉さまが・・・」
「ちょっと瞳子?!」
あふれ出した涙を抑えることも出来ず、お姉さまの前でただ泣き崩れることしか出来なかった
お姉さまに抱きしめられ、髪を撫でてもらっている間に涙も止まり、ようやく落ち着いて話が出来るようになった
私がハンカチで涙の跡を拭っている間に、お姉さまがハーブティを淹れてくださった
「・・・落ち着いた?」
「はい、ご迷惑をおかけしました」
「びっくりしたよ。いったい、どうしたの?」
優しく声をかけてくださるお姉さまに申し訳無い気持ちでいっぱいでつい俯いたまま
「お姉さま・・・やはり去年のことは忘れることはできないのでしょうか。
私がお姉さまと祥子さまの仲を裂こうとした、あの日のことは」
「瞳子・・・忘れることはできないと思う・・・でもね、それも思い出なんだよ」
「でも、そんな嫌な思い出なんて!」
「大事な思い出だよ。私達の絆が強くなって、優しさと強さを知ることができた、大事な思い出なの」
「お姉さま・・・でも、私はお姉さまを傷つけて・・・」
「瞳子、それならなぜ私は瞳子にそばに居てって言ったのかな?
瞳子のことが嫌いならそんなことはしないよね?」
お姉さまの両手が私の頬に触れ、くいっと顔を持ち上げられて、まっすぐな瞳で見つめられる
「瞳子が好きだよ。ただ、時間がまだ足りないだけでね」
「時間ですか?」
「時間はね人の心を癒す薬なんだよ」
そう言ってお姉さまは私の額に触れるようなキスを一つ落として、「帰ろうか?」と呟いた
いつの間にか雨も止み、夕焼けが空を茜色に染めようとしていた
マリア様の前でお祈りを済ませると、お姉さまは優しく儚げな笑顔をお見せになりこう言った
「大丈夫、止まない雨は無いから。夏が来ればきっと、ね。
そうだ、夏休みにお姉さまの別荘に招待されてるんだけど、瞳子も一緒に行こう。
三人でゴロゴロして過ごすの」
「ごろごろ?」
「そう、何もせず、寝転んで三人だけの楽しい時間を過ごすの。
一緒に楽しい思い出を作ろう。雨の記憶に上書きできるような。ね!」
「・・・はい!お姉さま。きっと、きっとですよ」
もうすぐ、梅雨が明ける・・・