【712】 幸せになれますように  (いぬいぬ 2005-10-09 01:41:53)


「聖父と聖子と聖霊との御名によりて・・・Amen」
 寒さが肌に染み入るような冬の礼拝堂で、私は今日もマリア様に祈りを捧げる。
 
 大切なあの人との別離を決意したあの聖夜から二週間が過ぎた。リリアンから遠く離れたこの北の地での生活にも、ようやく慣れてきた気がする。
 外は一面の銀世界。純白の雪が、全ての罪を覆い隠してくれるようで、正直私はほっとしていた。まだ私はあの人への思いを断ち切れていないから。
 もし今あの人が私の前に現れたら、私は落ち着いていられる自信が無い。そう思うと、この雪が私をあの人から隔離してくれているようで、少し安心してしまう。まるで罪から逃げる罪人のようだ。
 ・・・いや、「罪人のよう」ではなく罪人なのだろう。私はマリア様の教えに背き、あの人を愛したのだから。
 だから今日も私はマリア様に祈る。心穏やかにすごせますようにと。
 そんな私の背後から、コツコツと杖を突く音が聞こえてきた。
「おはよう栞。今日も早いね」
 声をかけてくださったのは、この教会の老シスター。行き場の無かった私を受け入れてくれた方だ。
「おはようございますシスター」
 私の返答に、シスターはうなずく。もう90近いお年らしいが、膝が悪い事以外はとてもそうは見えないほどだ。失礼ながら背は低いが、姿勢も良く威厳のある方だと思う。
 初めてお会いした時は怖そうな方だと思ったが、私にあてがわれた部屋に案内された時、部屋が綺麗に掃除されていたのと「これでも飲んで、さっさと眠りな」と無愛想に渡されたティーセットに、シスターの優しさが感じられて嬉しかったのを鮮明に覚えている。あの紅茶の香りがどれだけ私の心に安心をもたらしてくれただろうか? シスターには、いくら感謝をしても足りないくらいだ。
 私はシスターに少しでも恩返しをすべく、日々教会のために動いている。まあ、この教会にはシスターと私の二人しかいないので、自然にそうなってしまうのだけど。
「今日もマリア様に祈ってるのかい?」
 物思いにふけっていた私に、シスターは突然そんな事を聞いてくる。
「はい」
 そう返答する私をシスターはしばらく黙って見つめていたが、やがて静かに語り出した。
「・・・・・・それは本当に『祈り』かい?」
「え?」
 私は意味が解からず問い返す。
「おせっかいはガラじゃないんだけどね・・・ あんたのそれは『祈り』なんかじゃないと思うよ」
「・・・どういうことですか?」
 益々意味が解からず、私はシスターに答えを求めた。
「マリア様の前に跪いてる自分の顔を鏡で見てごらん。そりゃあ苦しげな顔をしてるよ」
「私が・・・そんな顔を?」
 あっけに取られる私に、シスターは「やっぱり自覚が無かったのかい・・・」と嘆きつつ、こんな事をおっしゃった。
「あんたのソレは『祈り』じゃない。まるで罪人が許しを請うているようなもんさ」
 罪人という言葉に、私はドキッとした。まるで心を読まれたかのようだったから。
「まあ教会には赦しを請いに来る人間もいるけどね。でもあんたのは赦しを請うって言うよりも、言い訳してるみたいだよ」
「そんな!私は・・・」
 普段、厳しいが優しいシスターの言葉とは思えず、私は言葉に詰まる。
 いや、言葉に詰まったのは、心のどこかでシスターの言葉を認めているからだろうか?
「悪いがあんたの事情は全部聞いてるんだよ、学園長からね。あんたは祈る事で自分が女を愛した事に贖罪を求めてるのかい?」
 私はシスターの言葉に反論できなかった。
「あんたは自分が人を愛した事を『罪』だと考えてるのかい?自分の愛を『無かった事』にして欲しいのかい?」
「そんなこと・・・」
「あの愛は勘違いでした。愛したと思ってた人は、実は大して好きでもありませんでした。そう言ってマリア様に赦しを・・・」
「違います!」
 気付くと私は涙を流してした。
「私は・・・私は聖を愛していました!・・・いえ、きっと今も・・・」
 激高し叫んだ私を見たシスターが、微かに微笑んだのが判った。
「そうかい・・・」
 少し嬉しそうにうなずくシスターの顔に、私は誘導尋問されていた事に気付いた。でも何故こんな事を? 私の疑問に答えるように、シスターは静かに語り出した。
「ねえ栞。確かに教会は同性愛を禁じてる。でもね、人を愛する事まで禁じちゃあいないんだよ?」
 シスターは私のそばまで歩いてくると、私の肩に手をかけながら語り続ける。
「あたしはね、愛に種類なんか付けて区別する必要なんて無いと思うのさ。親が子を想う愛。男が女を想う愛。愛には色々な形があって良いと思うんだ。愛をもって接するという事は、それがどんな対象に向けられていたとしても尊い物さ。見返りも求めずに与える純粋な愛ならば、その全てがね」
 そう言って微笑むシスターの顔に浮かぶのは、確かに『慈愛』という名の愛だろう。
「だから栞。あんたが愛した人に向けた想いが、何の見返りも求めない真っ直ぐな物なら、それも確かに愛なんだよ? それは誇って良い物だよ」
 気付くと私はまた涙を流していた。
「だからね、あんたは何も心配しなくても良いんだ。何も臆する事無く、安心してここで愛する者達のために、自分のために、『祈り』を捧げてれば良いんだよ」
 そう言いながら、シスターはそっと私を抱きしめてくれた。
「・・・・・・ありがとうございます」
 全て赦されたような気がした私はシスターに感謝の言葉を送りたかったが、やっと口に出せたのはそれだけだった。
「・・・まあ、こんな事言ってたってのは、他の教会には内緒だよ? 中には保守的な奴らもいるからね。・・・いや、もう遅いか?昔からこんな調子だからこそ、こんな僻地の神父もいないような教会に飛ばされてきたんだからねぇ・・・」
 シスターは悪戯っぽく微笑んで見せてくれた。私も涙に濡れた顔で、何とか微笑む事ができたと思う。
 そういえば、あの聖夜以来、初めて笑ったような気がする。
「さて・・・腹が減ったね。 栞、『祈り』が済んだら朝食の準備をしとくれ」
 そう言って、シスターは立ち去る。
「はい」
 私は穏やかな気持ちで、再びマリア様に向き直る。
 朝日に照らされたマリア様は、リリアンのお聖堂で見た時と同じように輝いている。
 私は静かに跪いた。そして、ここへ来てからおそらく初めての『祈り』を捧げる。
「聖が・・・私の愛したあの人が幸せになれますように」
 
 愛するあの人のために祈る私を、マリア様がみてる。


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