「う〜ん…」
胸が苦しい。
まるで、何かに締め付けられるように。
心臓の手術を無事に終え、おおかた一年が経過しようというのに、胸周り全体を押さえつけるかのような苦しみが、近頃毎晩のように襲い掛かって来るのだ。
目覚めれば、枕どころか下着まで寝汗でべっとりと濡れる始末。
寝間着を脱ぎ捨て、不快な下着を外せば、ようやく苦しみが去ってゆく。
一体、自分の身体に何が起きたのだろう。
不安を胸にしながらシャワーに向かう、黄薔薇のつぼみ島津由乃だった。
ようやく人心地ついたところ、鏡の前に立ち、自身の身体を確認する。
特に腫れや赤味といった以上は無い。
下着の跡が、残っているぐらいだ。
「何なんだろう…、病院に行った方がいいのかな」
術後の検査入院以外、医者に一度もかかっていなかったというのに。
ちょっと身体を動かしてみても、ちょっと走ってみても、多少動悸はするものの、普段とそう変わらない。
心臓は問題なく機能しているようだ。
「……」
なんだか良くわからないが、考えていても仕方がない。
制服に着替えるため、由乃は自室に戻った。
身体にバスタオルを巻いたままで、ドライヤーを当てながら髪を梳き、纏め、編み上げるといういつもの作業。
そして、新しい下着を取り出し、身に着ける。
しかし…。
「…あれ?」
留まらない。
いや、届かない、と言った方が適切か。
下はともかくブラの方は、背中の金具が届かない。
「まさか…?」
信じられない現象を前に、しばし固まる由乃。
しかし、再び動き出した彼女の行動は素早かった。
急ぎ携帯電話を手に取ると、一番良く使う番号を呼び出した。
『もしもし、おはよ…』
「令ちゃん、すぐ私の部屋に来て!」
『ちょっと由乃?いったい…』
「いいから早く!」
ブツ。
10秒もかからず終わる通話。
おそらく、二人の間で最も短い会話だった。
どどどどどどどど。
「どーした由乃ぅ!」
「ノックぐらいしろバカーっ!!」
スパカーン。
「げふっ!」
由乃が投げたドライヤーが、哀れ令の顔面に直撃した。
「う、ぐぅ…、で、で由乃、いったい何が…?」
「計って」
「え?」
「だから、計って」
「だから何を?」
「私の胸よ胸、バスト!」
「なんで?」
「いいからとっとと計れやワレー!」
カポーン。
「がはっ!」
再び、由乃が投げた巻尺が令の顔面を直撃した。
鼻血をダラダラ流しながらも、少し嬉しそうな顔で由乃のバストサイズを計る令。
なんだかちょっと、鼻息が荒い。
「えーっとね(はぁ)、ななじゅう(はぁはぁ)…いや、はちじゅう…は行き過ぎか?むう、どっちだ?」
「早くしてよ」
「ちょっと動かないで、はっきりしないでしょ。えーと…」
令が口にしたサイズは、由乃の予想を裏付けるものだった。
「…くっくっくっくっく、うっふっふっふっふ、あっはっはっはっはっは」
「あの、由乃さん?」
「くわーっはっはっはっは!見とれよ祐巳すけ乃梨すけドリ太郎!」
勝ち誇ったような高笑いが、朝の島津家に響き渡った。
「ごきげんよう!」
放課後の薔薇の館。
今日このタイミングの為に、体調が悪いふりをして、祐巳やクラスメイトたちを欺いてきた由乃。
紅薔薇さまと令がいないのを確認した上で、ビスケット扉をバタムと開けた。
部屋には、白薔薇姉妹と祐巳、瞳子の4人。
「ふっふっふ…」
「ごきげんよう由乃さん。…体調は大丈夫なの?」
「いやーねもうばっちりよかんぺきもんだいなし!」
あまりの不気味さに、顔を見合す4人。
体調はともかく、頭も大丈夫かと問いたくなる。
いつもに増して、青信号…どころか、エンジン暴走ブレーキ故障ってな有様。
「と、こ、ろ、で!」
腰に手を当て胸を張り、辺りを睥睨する由乃。
「今日の私、一味違うでしょ!」
まじまじと由乃を観察するも、違いが分からない4人。
「…どこが?」
「いつもと変わらないようですが」
「特に違いは見当たらないけれど」
「分かりませんわね」
「どーして分からないのよ!」
プチ。
『(あ、切れた)』
警戒する一同。
「この、大胆かつセクシーな胸元を見て、なんとも思わないの〜!?」
「いつも通りペッタ…ゴホンゴホン」
「まったい…げふんげふん」
「あら可愛い」
「洗濯い…あーあー、喉が…」
ブチ。
『(あ、本当に切れた)』
「これでも、分から…!?」
「待った由乃ー!!」
制服を捲り上げ、脱ごうとした由乃に、下着が見える直前に抱き付いて引き止めたのは、居るはずの無い令だった。
「どうして令ちゃんが居るのよ!」
「こんなことだろうと思って、隣の部屋に潜んでたのよ」
「まぁいいわ。令ちゃん、皆に教えてあげて、私の輝ける成長の記録を!」
大仰に手を振る。
「はぁ…。あのね、由乃ったらねぇ」
しぶしぶ…といった風情を漂わせつつも、半ば嬉々として説明を始める令。
「…だったのよ」
令が口にした由乃のサイズを聞いた4人の反応。
志摩子は余裕の微笑を浮かべているが、これはまあ仕方がない。
反面、祐巳と瞳子は、頬が引き攣っていた。
予想通りの祐巳と瞳子の反応に満足する由乃。
しかし、まったく無反応だった乃梨子には納得がいかない。
「乃梨子ちゃん?」
「なんでしょうか由乃さま」
「貴方はなんとも思わないわけ?」
「なんとも、とは?」
「新しい私のサイズに、感想はないの?」
詰め寄る由乃。
「あぁ、そういうことですか」
「そういうことよ。どうなの?」
更に詰め寄る由乃に、大きくなった喜びは分からないでもないが、少々くどいなと思った乃梨子。
“白”薔薇のつぼみなのに、“黒”い意識がむくむくと頭をもたげて来た。
そして取った態度とは。
「…フン」
鼻であしらうことだった。
「ムッキ〜〜〜!!!!!!」
今度こそ、本当にブチ切れた由乃だった。
帰宅後、由乃が令に八つ当たりしたのは言うまでもない。