【718】 乃梨子と祐巳は秘密冒険者  (きら 2005-10-11 02:40:08)


はじめまして、いつもこちらの掲示板を見て楽しませてもらってたのですが、ピピッと来たタイトルが出たので挑戦してみました。
無駄に長い&迷走しててごめんなさい……orz

 †

今日の薔薇の館はいつもと比べてかなり静かだった。
おもしろいようにメンバーの用事が重なり、館にいるのは祐巳さまと私だけ。
私たちはしばらく二人きりで黙々と作業をしていたが――
「う〜ん。乃梨子ちゃん、なかなかはかどらないね……」
「やはり2人だけで作業するには無理があるのでは?」
テーブルの上に広げた書類に突っ伏す祐巳さまを見て、私は紅茶を入れに席を立った。
「あ、乃梨子ちゃん私も手伝うよ」
「いえ、大丈夫ですよ」
「2人きりしかいないのに乃梨子ちゃんだけにやらせたら、なんだか私が偉そうな先輩みたいじゃない」
「はぁ……」
別に誰かが見てる訳でもないのに、と心の中で突っ込んでみたが、口には出さなかった。
祐巳さま――紅薔薇のつぼみの性格を、私はいまだに掴みきれていない。


特に会話もなく2人で並んでお茶の準備をする。
季節は秋に入り、だんだんと日が短くなってきていた。
薔薇の館に差し込む夕日が部屋と2人を茜色に染める。
すこし肌寒さを感じるほどに下がった気温と、夕暮れ時の切ない感じが重なり、私は急に寂しさのようなものを感じた。急激に心が重く鈍くなり、世界が色褪せて見える。寂しいというよりも、心が乾いている、と言ったほうが近いかもしれない。
なんで急にこんな気分になったんだろう。考えてみる。否、正確には考えるポーズを取っただけ。
考えるまでもない、それは薔薇の館に志摩子さんがいないから――
「……ちゃん、乃梨子ちゃん!」
「っ!?」
気づけば目の前に祐巳さまの顔がどアップで迫っていた。
「どうしたの? ぼーっとしちゃって」
「あ、いえ、何でもありません……」
「そうぉ?」
すこし心配そうな顔でこちらを見る祐巳さまに笑顔を返そうとしたが、なんだか頬の筋肉が重くて上手くいかなかった。


まいったな、ここまで重症だったなんて。依存しすぎってやつなのかな。
私は志摩子さんがいないだけでまったく調子の出ない自分にちょっとショックを受けていた。けれどそんなことを考えていても、渇きが癒されるわけもない。
せめて物理的にでも潤いと温もりを得ようとティーカップに口をつけた瞬間、祐巳さまが口を開いた。
「乃梨子ちゃん、もしかして志摩子さんがいなくて寂しいの?」
「んぐっ! げほっ、げほごほ……!」
「の、乃梨子ちゃん大丈夫!?」
なんでこんなタイミングでそんなこと聞くかな……うぅ、恥ずかしい。こんなリアクションを取ってしまっては、そうですと認めたようなものだ。今さらはいともいいえとも答えられない私を見て、祐巳さまは突然席を立った。
「ね、乃梨子ちゃん。今から薔薇の館を冒険しない?」


「へっ?」
思わず目の前の誰かさんのような間の抜けた声を出してしまう。
「冒険、ですか?」
「うんそう、冒険。私と乃梨子ちゃんとで薔薇の館を冒険するの」
「といいましても……」
冒険もなにも、この狭い館内で何をどうすると言うのだろう。
「いい? 乃梨子ちゃん。敵は『影』よ」
「はぁ……影、ですか?」
「そう。明るく華やかな薔薇の館は今、影に侵略されているの。そこで私たちは影を踏まないように光の道を進み、影の親玉を倒すの」
「えーとつまり……影の部分を踏まずに進めばいいということですか?」
「うん、簡単に言えばそういうこと」
そういって祐巳さまはにっこり微笑んだ。やっぱりこの人はよく分からない……。
「さ、そうと決まれば開始しよう! じゃあ行くよー」
「ちょ、ちょっと祐巳さま……」
なんだかペースに巻き込まれてる。なぜか縦ロールヘアのクラスメイトの顔が頭を掠めた。


まずは出入り口のビスケット扉に向かう。床には窓枠の細い影が走っているが、普通に歩いてまたげるものだ。
「おっと、いきなり難関かも」
扉の1メートル手前で私たちは立ち止まった。窓から差し込む夕日が作る道と扉の間に、大きな影が出来ている。
「乃梨子ちゃん、これで足場を作ってくれないかな?」
と祐巳さまが私に何かを手渡した。
「なるほど、鏡、ですか」
「扉の近くに、足場を作ってもらえるかな」
「はぁ……、わかりました」
いまいちノリの悪い私に比べ、祐巳さまはやる気満々だ。
「ん、しょっと……」
携帯用の手鏡の向きを上手く調節し、10cm×30cmほどの長方形の足場を作る。鏡で太陽光を反射させるなんて何だかずいぶん久しぶりのことで、ちょっと新鮮な気分だった。
「オッケー、乃梨子ちゃん。そのまま動かさないでね〜」
祐巳さまは片足で光の上に立つと、扉を大きく開け放ち、廊下に出た。
「よし、これで扉は突破だね! 乃梨子ちゃんは悪いけど、ジャンプして飛び越えてくれるかな?」
「分かりました」
およそ80cmほどの幅の影。私は体重を後ろにかけた後、そのまま前方へ体重移動し跳躍する。廊下の光が当たっている部分に着地する予定だったのだが、ちょっと勢いが良すぎた。
「わっ!うわっ……」
着地した後も勢いを殺しきれず、そのまま前方の影の部分に足を踏み出しそうになり――


「あぶない!」
すんでのところで祐巳さまに抱きとめられた。
「ひゃ〜、あぶなかったね」
「た、助かりました……。ありがとうございます」
「いや〜私も咄嗟だったから、上手く止められて良かったよ」
私たちはお互いの顔を見てクスリと笑う。
「よし、じゃあ次は階段を下りよう」
「了解です」
踊り場のステンドグラスが作る色とりどりの光の階段を、手すりの影をよけながら降りていく。ちょっと綺麗かも、などと足元を見ながら進んでいると、
「あ、忘れてた。赤い色の部分は踏んじゃダメだから」
「ええっ!?」
まさに赤い色のついた段を踏もうとしていた足を急停止させる。
「あはは、うそうそ冗談」
「祐巳さま……」
おそらくふくれっ面になっていたのだろう、私の顔を見て祐巳さまは楽しそうに笑う。むー……ちょっと悔しい。
またしばらく進んだ所で私は報復を試みた。
「あ、祐巳さま。今ちょっと影踏みましたよ?」
「えぇっ!? そんな、私ちゃんと――」
「なーんて、冗談です」
祐巳さまはこちらをぽかんと見たあと、してやられたという顔になり、赤くほっぺを膨らませて抗議してきた。
「んもー、乃梨子ちゃんたら」
なんだかその様子がとても無防備で可愛くて、思わず笑みがこぼれる。
「ふふっ、仕返しですよ」
「あー、笑ったな」
「すみません。だって祐巳さまがあんまり……」
「あんまり、何?」
「あ、いえ、何でもないです」
「えぇー! 途中でやめないでよ、気になるじゃない!」
「ごめんなさい、内緒です」
「うーん……まぁいいわ、今日のところは不問にしてあげましょう」
由乃さまの調子を真似て、すまし顔で言う祐巳さま。
「ははー、ありがたき幸せ」
私もおどけて少しずれた返事をし、二人で階段を降りていった。


私は先に一階に降りた祐巳さまの隣に立った。
祐巳さまはある方向を見つめている。視線の先を追うと、そこは階段の下だった。
もうこの時間では真っ暗になっており、奥に置いてあるはずのダンボールを視認することもできない。ちょっと立ち入りがたい雰囲気だった。
「あそこに影の親玉がいるの」
「……ちょっと、気味が悪いですね」
「でしょう? 私もこの時間帯にここを見るたびにそう思ってたの」
そういうと祐巳さまは私の手を握った。
「でも今日は……」
祐巳さまは私と向かいあう形で、私の手を引いて後ろに下がる。
程なく私たちは一番闇の濃い隅っこにたどり着いた。
「っわ……」
「おっと」
足元にあった何かにつまづき、私は祐巳さまの胸に飛び込む姿勢になった。
「すみませ――」
離れようとした瞬間、またしても抱き止められた。
「ふふっ、なぁんだ」
「祐巳さま?」
「二人なら、ぜ〜んぜん怖くないや」
「……そうですね」
私とほとんど背の変わらない祐巳さまの腕は、とても温かかった。


私たちは2階に戻るとカップを片づけ家帰り支度をした。
それにしてもなぜ祐巳さまはいきなりあんなこと――冒険などを始めたのだろう。私を元気付けるため? 確かに祐巳さまはそういう気遣いも出来る方だ。けれど今日のは……

あ。

「祐巳さま」
「ん? なあに乃梨子ちゃん」
「もしかして祥子さまがいらっしゃらなくて寂しかったんですか?」
「えっ!? どどどど」
「どうしてそれを?」
「どどど、どうかなー?」
「……。寂しかったんでしょう?」
「どど、どうかなー?」
「寂しかったんですよね?」
「ど、どうかなー……」


「……でも」
「はい?」
「もしもあの夕日の中で私一人だけだったら、もしかしたら……ううん、きっと私泣いちゃってたかな」
「……」
私は思い出す。私はまだ当分お姉さまと一緒にいられるが、祐巳さまのお姉さま――祥子さまは、あと数ヶ月で卒業なさってしまうということを。
「祐巳さま」
「ん? なぁに?」
「どんな影が相手だろうと、私は祐巳さまと一緒に戦う仲間ですから。いいえ、私だけじゃないです。もちろん志摩子さんや由乃さまだって」

「……ありがとう、乃梨子ちゃん」

「いいえ、祐巳さま。私こそ……」

二人の秘密の冒険。
気づけば私は渇きなどとっくに忘れていた。


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