【723】 またしても杉浦仁美のメランコリーの雨  (ケテル・ウィスパー 2005-10-12 15:14:11)


「ごきげんよう、乃梨子さん……ちょっとよろしいでしょうか?」

 朝1年松組の教室に入るなり、私は乃梨子さんに今の危機的状況を報告することにいたしました。

「……ぅくっ…ぐすっ……はぁ〜…。 ごきげんよう…瞳子……どうしたの?」

 『六千人の命のビザ』を読んで、珍しく感動の涙を流している乃梨子さんが私の方に顔を向けます。

「あの〜、ここではちょっと……よろしいですか?」
「あ〜、いいよ」

 ハンカチで目元を押さえている乃梨子さんを伴って歩いていると、なんだか私が、乃梨子さんを泣かせるような事をしでかしたと勘違いされそうですけれど……。
 階段の影に場所を移して、 教室では言いにくい原因が入っている胸ポケットに手を伸ばします。

「で? どうしたの? まあ、瞳子の背中見たらなんとなく分かったけど」
「じつは……ですね…こんな風になってしまいまして……」

 胸ポケットから ”そろ〜〜〜〜っ”っと取り出したそれを恐る恐る乃梨子さんに渡します。

「ちょっと…これ、もしかして土曜日に渡したの?」
「その……もしかしなくても、土曜日に頂いたものですわ」
「どこ行きゃあ1日でこんなになるのよ!」

 乃梨子さんに手渡した物は ”数珠”。 乃梨子さんが『お守りに使いなよ』と作って頂いた物です。 材料費は私が出していますが。 
 乃梨子さんが選んだ白と無色透明な天然水晶で作った物でした。 それがたった1日で白の石は黒ずみ、透明な石は染みが出来ていたり、表面はつるつるなのに中にヒビが走っていたりと、散々な状況になっているのです。

「はあぁ〜、この数珠はもうだめだね、効力無くなっちゃったよ。 何やってたのよ昨日?」
「その〜……えっと…祐巳さまと……K駅近辺を…少し…」
「………あぁ、デートね。 それだけでこんなになるって、そんなにハードな所なんてあの近辺にはないと思うけれど」
「道路脇に花束があった所がありましたわ。 たぶんそこで…」

 乃梨子さんが、私がお持ち帰りしてしまった霊の霊視をしています。 私自身は幽霊キャッチャーと言うだけでまるで見えませんから困った物ですわ。

「3〜4歳位の女の子と、シスターだ」
「え?」
「女の子の方が交通事故だね、子供はなかなか難しいしな〜言うこと聞いてくれないし。 シスターは……あ〜…そう言うこともあるか…」
「な、なんですの?!」
「……肉欲魔人………ま、そんな感じ」

 一瞬言いよどんだ乃梨子さんの口から、とんでもない単語を聞いたような気がしますけれど。 突っ込んで聞きたくはありませんわ。

「その2体が強く出てるけれど、他にもたくさん背負い込んだね、土曜日一掃したと思ってたけど、瞳子の幽霊キャッチャーの能力の方が一枚上手だったみたいだね。 でもね〜、学園内じゃあ浄霊時間掛かるんだよねぇ〜お伺い立てようか?」
「”神仏の領域”って言うのですわね。 でも、1日位なら大きな影響は受けないでしょうから…」

 神仏の領域の近くで浄霊や除霊をしますと『領域荒らし』と見なされるらしく乃梨子さんが痛い目を見るのだとか。 そのため、乃梨子さんは、まずご自分の守護霊様にお願いして、そこから守護神様に話を上げて、神域からの許可を取り付けてこなければならないのだそうです。

「危険だから数珠が壊れたって事を忘れてない? う〜〜ん、まいったな〜。 今日は放課後薔薇の館で会議があるんだけど……ホントに大丈夫?」
「大丈夫ですわ、1日位耐えて見せます」
「…そう。 一応授業中にお伺い立ててもらうよう頼んでみるけど、この場合なかなか許可が来ないように思うから。 ………遠隔でやれるかな? 取り合えず今夜電話するから。 般若心経5枚かな、やり方はこの前教えた通りにね」
「分かりましたわ。 10時位でお願いしますわ」
「OK、10時頃ね」

 乃梨子さんの霊能力に気が付いた時から、私が取り憑かれ易い、お持ち帰りしやすいと分かった時から何度もしている事、簡単に時間だけを打ち合わせて教室に戻ることにいたしました。

「でもさ、皮肉なもんだよね……」
「なにがですの?」
「マリア祭の時の、数珠を晒しものにしていた瞳子が、今じゃあその数珠をお守りにしているんだからさ」
「………………ほんとうに……でも、皮肉とは言いたくないですわ?」
「なんで?」
「あ〜……、なんでもありませんわ」

 皮肉……とは思いたくありませんわ。 理由はいろいろありますけれど、口に出すつもりなどありません。


 教室に戻ると普段通りに、乃梨子さんは本の続きを読み出して、また涙を流し。 私は、敦子さんや美幸さんと乃梨子さんの周りで『かしらかしら〜♪』などと踊ったりしていました。

* * * * * * * * * * ** * * * * *

 憑いていたシスターの色情霊の怖さを思いっきり味わったのは、その日の昼休みでした。
 
 ええ、もう。 思い出したくもないのですわ! 祐巳さま、ごめんなさい……。


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