【751】 めでたし、聖寵右往左往  (林 茉莉 2005-10-21 02:47:17)


 十一月も終わりに近づいたある晴れた朝。
 瞳子は今朝も目を閉じ指を絡めて、マリア様にいつもと同じようにお祈りを捧げる。
 (マリア様、どうか今日こそ祐巳さまの前で素直になれるよう、勇気をお与えください)

 このお祈りを、もう一体何度繰り返したことだろう。
 二つの縦ロールを小さく揺らして顔を上げ、ひとしきりマリア様を見つめた後、いつもと同じように自嘲して校舎の方へ歩き出そうとした。と、その時。

『その願い、聞き届けたり』
「!?」
 不意に背中から聞こえた、妙に朗々とした声に驚いて振り向く瞳子だが、今お祈りを済ませたマリア様の前には誰もいない。マリア様の前を素通りする生徒などもちろんいないので、近くに人影もない。
 第一自分は声に出さず、心の中で祈ったはずだ。誰かに聞かれようはずもない。それともうっかり声に出してしまっていたのだろうか。そしてそれを運悪く、誰かに聞かれてしまったのか。
 そう、例えばよく植え込みの中に潜んでいる写真部のエースの方とか、近頃自分をマークしているらしい新聞部のホープとか。
 そう思って茂みの中を覗いてみたが、人影はおろか、誰かが潜んでいたような形跡すら無かった。

(気のせいですわね)
 そう結論づけて再び校舎へ向かおうとした時、今度はさっきよりさらにはっきりとした声が聞こえた。
『気のせいじゃないわよ。一年椿組、演劇部所属、松平瞳子ちゃん』
 驚いて振り向くが、やはりそこには誰もいない。マリア様の像以外には。
「誰ですの? 冗談は止めてください」
『ま、冗談なんてひどいわね。私よ、わーたーし♪』
 まさかと思ってふと見上げたマリア様のお顔は、気のせいかわずかに口角が上がったように見えた。
「……ふっ、あり得ませんわね。瞳子ったら疲れてるんでしょうか」
 そう一人ごちてきびすを返すと、瞳子は足早に校舎へ向かって歩き出した。

『ちょっとお待ちなさい』
「ぐえっ」
 制服のカラーが後ろから引っ張られ、首を絞められる形になった瞳子は思わず女優らしからぬうめき声を上げた。
『そんな邪険にしないでよ』
 せき込みながらその声に振り返ると、微笑んで立っていたのは紛う方なきマリア様だった。

「いやーーーーっ! むぐぐっ」
『ちょ、大きな声出さないの! はしたないわね』
 驚いて悲鳴を上げる瞳子だが、その口はマリア様の手で塞がれてしまった。
「んぐんぐ、もががっ!」
『いいからちょっと落ち着きなさい』
 必死に抗う瞳子を、マリア様はあり得ないような力で近くの茂みの中にズルズルと引っ張っていった。そこでひとしきり暴れて疲れた瞳子がおとなしくなると、マリア様はやっと口を塞いでいた手を離してくれたのだった。

「ハァ、ハァ、あなた、ハァ、ハァ、一体、何なん、ですの」
『何って見ての通り、迷える子羊を優しく見守るマリア様よ。あなたも私に毎朝お祈りしてるでしょ?』
 マリア様は通路から見えないように、生け垣の陰にしゃがんで小声で答えた。
「私がお祈りしているのは、人を羽交い締めにして植え込みに連れ込むようなマリア様ではありませんわ!」
『仕方ないじゃない。あなたが往来で大声を出すんだから』
「それにマリア様ならいつものようにあそこにいらっしゃるじゃありませんか!」
『バカね、人気者の私がいなくなったらみんな悲しむでしょ? だから今あなたの目の前にいるのは言ってみれば、んー、そうねぇ。……中の人? そんなことより聞いて聞いて。あなたね、年に一度のラッキーチャンスに当選したのよ。おめでとう!』
 マリア様はうれしそうにそう言って瞳子の両手を取ると、ブンブンと上下に振り回した。
「は? 何をおっしゃってるのか分かりませんわ」
『んもう、鈍い子ね。だからあなたは今年度私にお祈りを捧げた、ちょうど延べ一万人目の子羊なのよ。毎年記念すべき一万人目には願いを一つだけ叶えてあげることになってるの。どう? うれしい?』
「結構です。生憎瞳子は人にかなえていただきたい願いなどありませんから。例えあったとしても自分で何とかしますわ!」
 人のお世話をすることは好きだが、世話になることは嫌いな瞳子はいつもの調子で断る。しかしマリア様は薄笑いを浮かべて余裕で切り返してきた。
『そんなこと言っちゃって、素直じゃないわね。あなたこのところずっと同じお祈りをしてるじゃない。マリア様はみてるのよ』
「な、何のことか分かりませんわ!」
 マリア様はプイッと横を向く瞳子の頬に、人差し指をグリグリと押しつけて言った。
『またぁ、とぼけちゃってこのぉ。毎朝毎晩同じこと聞かされるからすっかり覚えちゃったわ。やってみせましょうか? お目々をきらきらさせちゃって、『マリア様、どうか祐巳さまと一日も早くラブラブになれますように』 なーんてね♪ いやーん、恥ずかし〜ぃ!』
 マリア様は両手で赤らめた頬を押さえ、クネクネと身悶えている。
「なっ、嘘です! 瞳子、そんなこと言ってませんわ!」
 傍目には自分はそんな風に見えているのか。瞳子は恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤になって否定するが、マリア様は鼻で笑って言う。
『いーや、言ってるね』
「言ってませんったら言ってません!」
 いきり立って立ち上がった瞳子の腕を取り、改めてしゃがませると、挑発するようにマリア様は言う。
『ふぅーん、じゃあ何て言ってるの?』
「瞳子はただ祐巳さまの前で素直になれますようにと……」
『で、そうお祈りするようになってはや三月、と』
 腕を組み、うんうんと頷くマリア様。
「もうほっといてください!」
『だからぁ、あなたのその恥ずかしい願いを叶えてあげるって言ってるじゃない。叶えて欲しいからお祈りしてる訳で、まさに渡りに船、地獄に仏とはこのことじゃない?』
「……地獄に仏って、あなたマリア様じゃないんですの?」
『あらやだ私ったら。でもシスターになりたいっていうお寺の娘さんがいるくらいですもの。私が御仏におすがりしたって別に、ねえ』
「そんなこと瞳子に同意を求められても困りますわ。とにかく! あなたのご厚意だけは頂いておきますが、これは瞳子の問題ですから、瞳子が自分でなんとかします! 朝拝に遅れますのでこれで失礼します!」

 そう言って立ち上がると、瞳子はガサガサと生け垣をかき分けて通路へ戻り、校舎の方へ急ぎ足で歩いていく。
 しかし結構ですと言われてはいそうですかと引き下がっては沽券にかかわると思ったのか、マリア様も生け垣を飛び越え瞳子の後を追う。そして追いついて横に並ぶと腕をガバッと肩に回して言った。
『遠慮すること無いのよ。あなたと私の仲じゃない』
「遠慮なんかしてませんわ。それについさっき初めて会ったばかりですけど」
『もうずっと毎日会ってるわよ』
「知りません! もう付いて来ないでください!」
『いいからいから♪』

 そんな風にマリア様と口論しながら下足箱のある昇降口までやってくると、そこでは乃梨子さんがちょうど靴を上履きに履き替えているところだった。
「助けてください、乃梨子さん」
「ごきげんよう、どうしたの? 藪から棒に」
「どうしたもこうしたも、この迷惑な人にいい加減離れるように、乃梨子さんからも言ってやってください」
 振りほどこうにも両腕で頑強に首に巻き付いて、結局ここまで付いて来てしまった背中のマリア様を親指で指して瞳子は言った。
 ところが乃梨子さんは困惑の色を顔に浮かべて、聞き返してきた。
「は? 迷惑な人って?」
「だからこの朝からマリア様のコスプレをした、なんだか危ない人ですわ」
「……言ってることがよく分からないんだけど」
「ですから……。あの、まさか、もしかして見えていないとか……」
「瞳子の話がさっぱり見えないわ」
『あのね、瞳子ちゃん。私の姿は当選者にしか見えないの。私ってば人気者だから、みんなに見えちゃったら大変でしょ? だから迂闊なことを言うと、あなたが危ない人に見えちゃうから気を付けてね』
 突然会話に割り込んできたマリア様に、驚いた瞳子は聞き返した。
「え? じゃああなた、一体何なんですの? 幽霊?」
『失礼ね。だからさっきからマリア様だって言ってるじゃない。これで分かったでしょ』
「ちょっと、さっきから独り言言ったりして、よく分からないけど大丈夫?」
「な、何のことですの? それより早くしないと朝拝に遅れますわよ」
 訝しむ乃梨子さんの追求を何とか誤魔化して、瞳子は乃梨子さんとともに一年椿組の教室へ向かった。もちろんマリア様におんぶお化けのごとく貼り付かれたまま。




 キーンコーン、カーンコーン。
 (ふう、やっと午前の授業が終わった。……疲れましたわ)
 瞳子はぐったりと机に突っ伏してそっとつぶやいた。

『どうしたの? 大丈夫?』
「どうしたのって、誰のおかげだと思っているんですか! あなたが授業中、あの先生は去年はもっと髪が薄かったからきっとヅラにしたんだとか、この先生は毎年ここで同じ冗談を言っているとか、下らないことを際限なく話しかけてくるからじゃないですか!」
「私、授業中に話し掛けてないけど……」
 マリア様に小声でキビシク説教する瞳子が顔を上げると、困惑顔で答えたのは乃梨子さんだった。
「ごめんなさい! 瞳子ったらどうかしてましたわ」
「あんた授業中ずっとブツブツつぶやいてたみたいだけど、ほんとに大丈夫なの?」
「な、何のことかさっぱり分かりませんわ。瞳子は普段通りですわよ」
 心配げに聞いてくる乃梨子さんに、日頃鍛えた女優としての実力を総動員して笑顔でそう答えると、瞳子は席を立ちよろよろとミルクホールへ向かった。

『勉強したらお腹すいちゃったわね。今日のお昼は何かしら』
「……瞳子はすっかり食欲が失せましたわ」
 ミルクホールへ向かう道々、ウキウキと話しかけるマリア様にうんざりとした調子で返す瞳子。
『育ち盛りなんだから、ちゃんと食べなきゃ大きくなれないわよ。色々な所が』
「大きなお世話です」
『祐巳ちゃんってあなたと同じでお胸が慎ましいじゃない。でも周りにいる人は結構豊かな人が多いわよね。』
「……」
『私の睨んだところ、コンプレックスの裏返しで、彼女きっと巨乳好きよ。だからぁ、頑張って大きくすればきっと気に入ってもらえると思うの♪ 私ね、いい豊胸体操』 「ごきげんよう、瞳子ちゃん」 『知ってるのよ』
「ああもう、うるさい、うるさい、うるさーい!」
 マリア様の下世話な話を無視してズンズン歩いていたが、我慢も限界に来て瞳子はとうとう声に出してしまった。
 そしてその時不幸にも、自分に掛けられた挨拶をうっかり聞き逃してしまっていたのだった。

「あ、 ご、ごめんね」
 その声に我に返り恐る恐る振り向くと、そこにいたのははたして、いきなりの剣幕にびっくりして固まっている祐巳さまだった。
「ゆ、祐巳さま!? その、今のは祐巳さまに言ったんじゃありませんから!」
 
 あわてて頭を下げる瞳子に、祐巳さまは目を白黒させつつも気を取り直して話し掛ける。
「……そう? ねえ、よかったら」 『あらあら、やっちゃったわね。でもまかせて。ちゃんとフォローしてあげるから』 「これから一緒にお昼しない?」
「もうこれ以上瞳子に構わないでください!」
「そ、そうなの?」
「す、すみません。祐巳さまに言ってるんじゃないんです!」

「さっき乃梨子ちゃんから、朝から瞳子ちゃんの」 『チャンスよ! こういう時はわざと弱いところを見せて相手の保護欲につけ込むの!』 「様子がおかしいって聞いたんだけど……」
「瞳子、そういうの嫌いです!」
「そ、そうだよね。瞳子ちゃん、私なんかよりずっとしっかりしてるもんね」
「だから違うって言ってますのに!」

「……なんだかよく分からないけど……。でもほら、このごろ瞳子ちゃんと」 『あなたってやればやるほど墓穴を掘るタイプだったのね』 「おしゃべりする機会がなかったから、やっぱりいっしょに、ね?」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
「わ、私のせいだったの?」 『意地を張るのもほどほどにね』
「いいからもう黙っててください!!」

 ついに爆発してしまった瞳子だが、ふと気づけば祐巳さまと瞳子(とマリア様)の周りには結構な人だかりが出来ていた。
 祐巳さまと瞳子は、ある意味リリアンで今最も注目を集めている二人なのだ。その二人が昼のミルクホールで口論をしていれば、いやでも人が集まろうというものだ。例え当事者は口論をしているつもりが無かったとしても。

「みなさま、お騒がせして申し訳ございませんでした。別にこれは何でもありませんの。みなさまこの後も引き続き楽しいお昼のひとときをお過ごしくださいませ。さっ、祐巳さま、参りましょう」
 にっこり笑って周囲を見回してそう言うと、瞳子は百面相に忙しい祐巳さまの手を取って足早に人垣をくぐり抜けていった。




 祐巳さまの手を引いて中庭にやって来ると、瞳子は出し抜けに頭を下げて言った。
「先ほどは申し訳ありませんでした」
「うん、別に気にしてないけど、ほんとに何だかおかしいよ。何かあったの?」
 祐巳さまは小首を傾げて聞いてくる。そんな仕草が可愛らしくてとっても素敵です。
 でもはたしてこれが、説明して納得してもらえるようなことだろうか。良くて医務室行き、悪ければ救急車を呼ばれて病院送り、がオチだ。
 だから仕方なく瞳子はしらを切り通すことにした。

「本当の本当に何でもありませんから」
「そう? ちょっと見せてみて」
 そう言うと祐巳さまは瞳子の前髪をかき分けて、瞳子の額に右の手のひらをあてがってきた。
 そんな思わぬ不意打ちに瞳子は真っ赤になって飛びずさった。
「な、何するんですか、いきなり!」
「もしかして熱でもあるのかなって思って」
「だから何でも無いって言ってるじゃないですか!」
「でも何だか顔が赤いよ」
「これはその、祐巳さまが……」
「私が?」
「とにかく何でも無いったら無いんです!」
 顔が赤いって、誰のせいだと思ってるんですか。今日ばかりは祐巳さまの鈍さにうんざりする瞳子だった。
 ところがそんな瞳子の思いを知らぬ気に、今度はなんと自分のおでこを瞳子の額にくっつけてきて、その上逃げられないように両手で肩をつかまれてしまった。それは見方によってはまるで……。
「うあぁっ☆」
「やっぱり熱があるよ。すっごく熱いもん。あれ? どうしたの? 瞳子ちゃん? しっかりして、瞳子ちゃん!」
 不意に訪れた至福の中、頭に上った血が臨界点に達した瞳子は遠ざかる意識の中でつぶやていた。
 ならば取り敢えず、そのお顔を遠ざけてください、と。




 気がつくと、白いカーテンに囲まれたベッドに寝ていた。どうやら自分は気を失って医務室に担ぎ込まれたらしい。瞳子はまだぼんやりとした頭でそんな現状を確認した。
 腕時計を見ると、もう午後の授業は終わっているようだ。窓の外の空は、もう暮れ始めていた。

 それにしても今日は何て一日だったんだろう。
 朝から変なお化けに取り憑かれてずっと振り回され、お昼休みにはミルクホールであんな醜態を晒してしまい。
 でも最後は祐巳さまのお顔をあんなに間近で見られて……。
 フフフッ。
 思い出すと自然に笑みが浮かんできて、照れくさいような、暖かいような心地が湧いてくる。

『ほらね、願いが叶ったでしょ? それにしても失礼ね。お化けって何よ、お化けって』
 寝返りをうって声のする方を見ると、ベッドの脇にマリア様がたたずんでいた。
「……まだいたんですか」
『まだあなたから感謝の言葉を聞いてないからね』
 ため息混じりの瞳子の言葉に、マリア様はそううそぶいた。

「感謝って、あなた結局邪魔しかしてないじゃないですか」
『でも結果オーライだったでしょ? だったらいいじゃない。大体あなたね、神頼みなんかより先ず自助努力が大切なのよ。神は自ら助く者を助くっていうでしょ』
「それがマリア様のセリフですか。それに瞳子は最初から自分で何とかするって言いましたわ」
『そうだったかしら、ホホホのホー。でも私たち、何だか気が合いそうね。だからこれからも特別に遊んであ・げ・る。そうね、あなたが祐巳ちゃんからロザリオを受けるその日まで』
「結構です。瞳子は気が合いそうにありませんわ」
『またまたぁ、照れちゃって可愛い♪ 知ってるわよ。そういうの、ツンデレっていうんでしょ?』

 カッチーン。
 人は図星を突かれると立腹する。
 一番言われたくないことを言われた瞳子は布団をはね除け、ガバッと上体を起こして言った。
「ツンデレ言うな! それと」
 ちょうどその時マリア様の後方のカーテンが開かれ、絶妙のタイミングで祐巳さまが乃梨子さんとともに入ってきた。
「具合はどう? 瞳子ちゃん」
「二度と瞳子の前に現れないでください!」
 そう叫んでマリア様をズビシッと差した瞳子の指は、マリア様が見えない祐巳さまと乃梨子さんには、真っ直ぐに祐巳さまに向けられているように見えたことだろう。
 祐巳さまはその場で凍りつき、乃梨子さんは「やっちゃったー」という風に片手で顔を覆っている。

 やがて解凍した祐巳さまは悲しげな笑みを浮かべて言った。
「……やっぱりそうだったんだ。ごめんね、今まで気が付かなくて。これからはなるべく瞳子ちゃんの前に現れないように気を付けるから……」
「ち、違います! そうじゃないんですの!」
 しかし祐巳さまは瞳子の弁解を聞くこともなく、身を翻して駆けていってしまった。

「心配して見に来てくれた祐巳さまに向かって、あんたなんてことを」
 そう言い捨てると、祐巳さまを追って乃梨子さんも出ていった。
 いつもは何かと瞳子の味方をしてくれる乃梨子さんだが、その時の、今までに見たこともないような冷たい目が瞳子には痛かった。
「いえ、あの、違います! 誤解ですわ!」
 静かになった医務室には、瞳子の言い訳だけが空しく響いていた。

『さ、さーてと、そろそろお暇しようかしら。これでも私結構忙しくてね。これからちょっとゴロンタちゃんの人生相談にのってあげなきゃいけないの』
 引きつった笑顔を浮かべ、聞かれてもいないことをしゃべりながらマリア様はこの場から退散しようとしていた。
 だが俯いたまま、背中に「ゴゴゴゴゴゴゴゴ……」という書き文字を背負った瞳子が静かに、しかし地獄の底から響くような声で呼び止める。
「……ちょっと待ちなさい」
『やーね、怒っちゃだめよ。人生こんなこともあるわ。人間万事塞翁が馬。待てば海路の日和あり。照る日もあれば曇る日も。重いコンダラ試練の道を、三歩進んで二歩下がる♪ これからもあなたのこと、マリア様がみてるわ。それじゃね。アデュー♪』
 矢継ぎ早に言うだけ言って、マリア様は消えてしまった。

「く、……このっ、バカーーーーーーーーーーーーッ!!」
 日頃鍛えた腹式呼吸による発声の賜物で、瞳子の心の叫びは高等部の全ての生徒の耳に届いたのだった。




 その日以来、瞳子はマリア様にお祈りをする代わりにものすごい目で睨みつけるようになり、それはめでたく紅薔薇のつぼみの妹になれた日まで続いたという。
 一方瞳子に睨まれる時のマリア様の像はといえば、目をそらして頬に一筋の汗を浮かべている、とまことしやかに囁かれるのだった。


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