【750】 放課後の打ち上げ花火  (沙貴 2005-10-21 01:59:25)


 それは二学期も始まって一週間が過ぎた頃。
 学園祭の準備も俄かに熱を帯びてきて、特に山百合会幹部の間では顔を合わせる度に何かしらの予定確認や調査報告などが欠かさず挟まれるようになった。
 大変と言えば大変、味気ないと言えば味気ない。
 でもそのお陰で、山百合会幹部唯一にして永年称号の噂も高い万年平均点であるところの福沢祐巳は、去年や中学校の頃のように夏休みボケを九月中頃まで引っ張ることなく、例年に比べると多少とは言え、しゃっきりして日々を過ごす現在に至っている。

 ちなみに祐巳のお姉さまにして麗しの紅薔薇さま、小笠原祥子さまは祐巳を三倍くらいしゃっきりさせた感じで薔薇の館で仕事をこなしたり、構内を闊歩されたりしていた。
 どうも先日のOK大作戦での失態を取り返そうと頑張っておられるらしい。懸念の花寺生徒会との公的な会合の日も近い。気が抜けないのだろう。
 だから凄くしゃっきり。
 空気で言うならピリピリ。
 だと言うのに、そのお姿を誤解して「凛々しい紅薔薇さま、何て素敵……」とうっとりする下級生がリリアンでは続発している。
 祐巳からしてみると、お姉さまの気苦労も知らないでけしからん! と思う気持ちが半分。
 もう半分は、そんな彼女達のやっぱり三倍くらいうっとりして「凛々しいお姉さま、何て素敵……」と見惚れる自分が居るので、とてもではないけれど下級生とは言え注意なんて出来ない。ごめんなさい、お姉さま。

 でも妹として、祐巳はそんな祥子さまに少しでも肩の力を抜いて欲しいと色々考えてはいるのだが、如何せん”コレ!”と言うのが浮かばない。
 肩を揉んで欲しがるとは思えないし、ゆっくりした時間を作ってもらおうにも目の前にはじりじりとにじり寄る学園祭の準備。花寺の影。
 不用意な事を言って怒られるのは嫌――、基本的には嫌だけど。それ以上に祥子さまの負担になりたくない気持ちが大きかった。
 どうしたものか。
 祐巳は人知れずうんうん悩みながら日々に忙殺されていた。


 そんなある日のこと。
 足し合わせるとしゃっきり指数が急上昇する紅薔薇姉妹、まだまだ新婚気分が抜け切らなくて足し合わせると甘々指数が急上昇する白薔薇姉妹をさて置いて、夏を過ぎて俄然フルスロットルなのが言わずもがな黄薔薇姉妹だ。
 剣道部の合宿や富士登山を乗り越えて、令さまは勿論由乃さんも体力ゲージはこの夏でぐーんと伸びている。
 良く運動して良く食べて良く眠る、という非常に健康的な生活を続けているので、昨今頻度を増した薔薇の館での事務作業などどうと言うことは無い、とは由乃さんの弁。
 無闇に仰々しい科白と仰け反るように張った胸がとても”らしい”。
 そんな由乃さんはその日、結構な時間になっていたにも関わらず西の空で煌々と燃える夕日に頬を火照らせて突然こんな事を言い放った。

「ねえ今日の放課後、皆で花火をしない?」

 今日は金曜日で、明日は土曜日とは言え学校はちゃんとある。
 何故急にそんな事を言い出したのか、明日では駄目なのか、色々気になるところはあったけれど、それらを祐巳が問い掛ける前に由乃さんはがたっと音を立てて立ち上がった。
「夏休みにやろうと思っていた花火が余っちゃってるの。お姉さまと二人でしても良いんだけれど、どうせなら人数が多い方が楽しいじゃない」
 そう言ってばちんとウィンクした由乃さん。その視線が祐巳に援護射撃を要請している。
 でもこれは祐巳にとって正しく渡りに舟。
 皆で花火、良いじゃないか。
 残暑も厳しい今が、花火をするなら今年最後のチャンスに間違いない。
 祐巳もそこまで花火に思い入れがある訳じゃないけど、したいかしたくないかの二択なら、断然したいに一票を入れる。
 それに何より、これこそ祥子さまのストレス発散の良い機会になると思うのだ。
 ”山百合会”や”紅薔薇さま”から離れてほんの少しでもはしゃぐことが出来れば、今よりずっと楽になる。と思う。祥子さまがはしゃげるかどうかは別の問題だけれど。
 何にせよ祐巳には否定する理由がない。由乃さんの援護射撃、任された。

「それ良いね。うちも今年は忙しくて家族で花火も出来なかったし、何か物足りないと思ってたんだ」
 パンチ力不足は否めないけれど、それでも”賛成”の意思表示にはなった筈。
 見ると、由乃さんは少しだけ眉を寄せて「仕方がないなぁ」って顔をしていた。むむ、やっぱりちょっと不満が残りましたか。少し悔しい。
「でもどうして今日なんです? 来週なら連休もありますし、それにせめて明日なら翌日が休みなのですが」
 そんな事を思っている間に、先ほど祐巳が(というより恐らく皆が)思っていた疑問をストレートにぶつける声が上がった。
 物怖じしないはっきりとした物言いは、一年生ながら既に白薔薇のつぼみの貫禄たっぷりな乃梨子ちゃん。
 挑戦的とは言わないまでも、真剣な瞳で純粋に思った疑問を投げてきた。
 乃梨子ちゃんの疑問も無理は無い。祐巳だって援護射撃の要請が無ければ聞いていただろう。何で今日なの、って。

 由乃さんは頷いた。
「尤もな疑問よね、でも今日じゃないと駄目なの。先ず、来週の連休は剣道部の方で練習試合が入っちゃってるからどうしても抜けられないのよ。流石に試合の前後で花火が出来るほど私もパワフルじゃないわ」
 そうなの? と口に出そうとした祐巳は寸前でそれを撃墜することに成功した。
 由乃さんの中では”味方”側であろう祐巳からの突っ込みは、獅子身中の虫とも取られかねない。
 祐巳がそんな些細なことに肝を冷やしているなんて露知らず、由乃さんの熱弁は続いていた。
「明日は私用で申し訳ないのだけれど、家族で食事に出ることになっているの。それに花火をするなら少しでも広い方が良いから島津と支倉の庭でやろうと思うのよ。だから私とお姉さまが確定で参加できる日、となると意外に合わなくてね。今日を逃すと多分花火の時期じゃなくなっちゃう」

 すると乃梨子ちゃんは志摩子さんの方を見たので、祐巳も祥子さまの方を見た。
 祥子さまは書類を手に取っていたけれど、視線は由乃さんに向いていたから真剣に仕事をしていた風ではない。
「お姉さま、如何ですか?」
 祐巳がそう問うと、祥子さまは「そうね」と答えて祐巳の方を向いてはくれたものの、表情から察するに余り乗り気では無さそう。
 やはり突発的過ぎたか。それとも、いや、考えてみれば祥子さまは”皆集まって庭で花火”自体が未体験なのかも知れない。
 祥子さまは負けるのがお嫌いだから、未知から逃げるような真似はしないけれど、好き好んで未知に飛び込むほど好奇心旺盛な訳でもない。
 でもここは頑張りどころだ、とお腹に力を入れてみる。
「最近お姉さま、少しお疲れのようでしたし……偶にはお仕事もお休みしては」

「そうそう。祥子は生真面目だからねー、あんまり肩に力入れっぱなしでも駄目でしょ」
 すると意外なところから助け舟。
 現山百合会で祥子さまを呼び捨てに出来る只一人、黄薔薇さまの令さまがいつの間にか由乃さんから目を離して紅薔薇姉妹を眺めていた。
「それに打ち上げ花火とかも入ってる大きな袋が余っているんだ。人数は本当、多い方が寧ろ助かる」
 令さまが両手を広げて”大きな”を表現すると、その大袈裟な動きに祥子さまはくすりと苦笑する。
「まあ令、それじゃあ私は頭数合わせなのかしら」
「祥子が来れば祐巳ちゃんは確定でしょう? 逆に祥子が来ないと祐巳ちゃんも多分来れないし、来ても楽しめない。このセットを逃す手は無いなぁ」
「全く、憎たらしいわね」
 そう言いながらも祥子さまは笑っていた。
 流石は令さま、祐巳とは違うアプローチで祥子さまを誘導している。
 あんな風に軽んじるような言い方をすれば、生粋のお嬢様である祥子さまはプライドが邪魔して中々断り辛いはずだ。
「きっと楽しいですよ。少し時期は遅いですが、花火と言えば風流ですし」
 祐巳が最後の一押し。
 祥子さまはそこでやっと、「仕方ないわね」って頷いて下さった。


「ところで祐巳」
「はい?」
 志摩子さんもいつの間にか賛成に回っていて、結局少なからず拗れていたのは祥子さまのところだけだったようで。
 話が纏まると同時に皆して帰り支度を始めた中で、祥子さまはそっと耳打ちするように祐巳に聞いた。「あなた、どんな格好で由乃ちゃんのお宅にお邪魔するの?」って。
 さて、どんな格好ときた。
 流石に制服でとはならないので一旦解散してから集合と言う形にはなると思うのだけれど、別に学校的に重大なイベントと言う訳でもなければ街に出る訳じゃないから衆目に晒されることもあんまりない筈だ。そもそも宵の集まりだし。
 でも全く動かないかと言えばそうでもない。
 手持ち花火を提灯代わりに夜道を歩くのは楽しいし、仕掛け花火は往々にして逃げる必要性が出てくる場合があるから、咄嗟に動けないロングスカートとかはちょっと。残暑とは言え朝夕はそれなりに冷えるからフレアーもアウト。
 となると、必然的にパンツルックになってくる。
 だから普通に長袖TシャツにGパンとか、いわゆる――
「普通の格好、のつもりですが」
「普通の格好、ね」
「はい、普通の格好、です」
 別に祥子さまを馬鹿にしているわけじゃないけれど、そうとしか答えようが無かった。

 しかし待てよ、祐巳。
 自分と祥子さまの”普通”が一緒じゃないことは今まで何度もあった。
 ”普通”と言うある意味一般常識的なものに期待してなあなあに済ますことは良くない。
 この場合、齟齬があると恥をかくのは他ならぬ祥子さまなのだから。
「あのお姉さま」
「でも意外にと言うと失礼だけど、令の家も凄いわね。打ち上げ花火まで用意しているなんて」
 ――ほら。
 ほら、ほら、ほら。こんな所にも落とし穴がぽっかり開いている。
 祥子さまの脳裏には、イベントの開始や終幕の際に天高く花開く、盛大なスターマインが打ち上がっている筈だ。
 確かに打ち上げ花火と言えば普通そちらだけど、それは幾ら領地を二つ合わせて広いとは言え住宅街のど真ん中である島津・支倉両家でやって良いものではない。
 綺麗だの凄いだの言う前に煩いし何より近隣の皆さんから大ヒンシュクを買ってしまう。

「えっとお姉さま。打ち上げ花火と申しましても、それではありません」
「それ、って。私は何も言っていないわよ」
 祐巳は軽く首を振った。
「お姉さまのことでしたら大体判ってしまいますので。良いですかお姉さま、お姉さまは手持ちの花火はご存知でしょうか? これくらいの長さで、先端に火を――」
「失礼ね。それくらい知っているわ、テレビでやっていたもの」
 言い換えればご自身ではやったことがない、と言うことですね。
 確かに手持ち花火、ネズミ花火なんかは派手だしドラマなんかでも結構小道具として使われるシーンは多いから、観たことがあるのは納得できる。
 しかし打ち上げ花火、いわゆる仕掛け花火まで使われるかどうかと言えば微妙だ。
 使われたとしても、実際に目の当たりにしないと何からどうやって火と光が出ているのかが判らない可能性の方が高い。
「ごめんなさい、それで令さまが仰っていたのはそう言った類の打ち上げ花火だと思われます。手持ち花火を三本くらい纏めて上に向かって噴き出す感じのものです」
 「まあ」と口に手を当てた祥子さまの美しいお顔が微かに歪んだ。恐らく想像の範疇を超えたのだろう。
 言った祐巳だって手持ち花火を三本まとめて上に向ける、とだけ聞いても実際の仕掛け花火の想像には到達しない。
 何だか良くわからない筒状のモノが上に向かって燃えているイメージになってしまう。
 でも重要なのはそこじゃない。打ち上げ花火=スターマイン、と言う等式を破壊することが大事なのだ。

「一度観て頂ければ判ると思います。手持ちの花火よりは派手ですし、物に因りますがとても綺麗ですから」
 祐巳がそう言うと、祥子さまは納得したような釈然としていないような微妙な顔のまま頷いた。
 こればっかりは実際に観てもらった方が早いと思った祐巳は、それ以上とんちんかんな解説を続けることはしなかった。多分この選択は正解だったと思う。
 
 でも、お陰で大事な事を言うのをすっかり忘れていたのだ。


 〜 〜 〜


「ああ、お姉さま――」
 そして気づいた時には大体遅い。
 そりゃあもう、遅すぎる。気付いたと言う時点で、もう修正しようにもどうにも間に合わないのだ。
 祐巳は三秒きっかり見惚れてから、改めて頭を抱えた。
 祥子さまの打ち上げ花火がスターマインだったように、祥子さまの花火大会用衣装の”普通”は何と浴衣だった。
 勿論皆で着るならそれも楽しいのだけれど、元々住宅街のど真ん中でやるこじんまりとした花火大会だからということで皆それぞれラフな格好で来ている。
 祐巳や由乃さん、令さんは勿論志摩子さんもストレートジーンズやスラックスのパンツルックだし、意外にも唯一スカートを穿いていた乃梨子ちゃんの丈も、おしとやかと言うよりは結構活動的な膝までの短さだ。
 その中で、祥子さまお一人だけシックな色合とは言え滲み出る気品と艶やかさは隠せない浴衣で現れた。

「ごきげんよう」
 呆気に取られる面子を一人一人見渡すように、余裕を持って微笑みながら挨拶する祥子さまは髪をアップに纏められた所為もあっていつにも増して色っぽくてお美しかった。
 でも、祐巳は気付いてしまった。
 会場(と言うより島津家の門から一歩中)へ脚を踏み入れた瞬間の、戸惑い。
 図らずも浮いてしまった自分への不快感。
 それらを歩み進める中で一見払拭してしまった風に装える祥子さまは流石と言うしかない。言うしかないけれど、でもそれは。
 でもそれは、辛い強さだ。
 これが小笠原祥子なのだと言う強さを見せつけるような、痛々しいまでの強さだ。
 
 だから祐巳はすぐに我を取り戻して駆け寄った。
 祥子さまの眼前にまで辿り着くや否や、急いで頭を下げる。
「ごめんなさい、お姉さま。私、お衣装のことでご相談されていたのに」
 口に出してから気が付いた。そうだ、夕方――帰宅する前に一度祐巳は祥子さまから格好に関して相談を受けていたのだ。
 あれは質問ではなく相談だった。
 祥子さまご自身も薄々気付かれていた祐巳達とのギャップを埋める為の相談だったのだ。
 それに正しい回答をするどころか失念して、祥子さまの不安を拭って差し上げることが出来なかった。そして現状を招いた。
 祐巳の所為だ。
 そう思うと目の奥が急に熱くなった。
 祥子さまは今日もいつもと変わらずお美しい、でもその美しさは時として強烈な浮遊感を本人と周りに与えてしまう。今日のことが良い例だった。
 祐巳の所為だ。

「ごめんなさい、ごめんなさいお姉さま」
 口にする度に胸が締めつけれられるような痛みが走った。
 祥子さまに楽しんで頂く為に、祥子さまの肩に圧し掛かった重荷を少しでも一時でも降ろしてもらう為に半ば無理矢理に来て頂いたのに。
 袖を通している気の抜けたTシャツが責めてくるようだった。
 でも、祥子さまは顔の上げられない祐巳の頬をそっと撫でて仰った。
「馬鹿な子ね。あなたが謝ることではなくてよ」
「でも」
 顔を上げた祐巳を正面から見据えて、祥子さまは微笑んだ。
 その微笑は本当に優しくて柔らかくて暖かくて。
 自分は何て無力なんだろうと思い知らされると同時に、それだけで途方もなく救われる自分を感じる。
「元々私は静かに眺めているつもりだったから。それに、その分あなたが綺麗な花火を見せてくれれば良いわ」
 だから涙をお拭きなさい、って。
 どこからか取り出して頬に当てて下さったハンカチからは、和風の出で立ちとは正反対のラベンダーが柔らかく匂った。


 それから始まった花火大会は、何もかもがきらきらしていた。
 花火は勿論綺麗だったし、ネオンの少ない住宅街だと秋の澄んだ空気に広がる星空も良く見えた。

 手持ち花火を提灯代わりに、街路へ飛び出した由乃さんを追って令さまが駆ける。
 でもそんな令さまの手には帰り用の灯りのつもりか、予備の手持ち花火が握られていた。多分、あれらが燃え尽きるまでは帰ってこないだろう。
「あ、令ちゃんナイス! 丁度切れちゃったのよー」
 通りの向こうから何て弾むような声が聞こえて、祐巳は祥子さまと顔を見合わせて笑った。
 支倉家側の庭の片隅で、志摩子さんが蹲って何かを観ていた。地面で燃える炎と、その根元からしゅるしゅる動く不気味なそれ。
 ヘビ花火。渋い。渋すぎる。
「志摩子さん……面白い?」
 珍しく戸惑ったような乃梨子ちゃんの声が静かに届いた。
 すると志摩子さんはにっこり笑って「ええ、とっても」。乃梨子ちゃんはもう苦笑うしかないみたいだった。

「これは何かしら、祐巳?」
 不憫な乃梨子ちゃんに胸中で合掌していると、祥子さまは置いてあった花火の袋から何かを取り出した。
 元々大きな袋一杯に花火が入っていたとは言え、アクセル全開の由乃さんと祥子さまに綺麗な花火を見てもらおうと張り切った祐巳のお陰で中身は粗方消化されている。
 そんな中で残るものと言えば、最後の締めに置いてある仕掛け花火。打ち上げ式のものを令さまに頼んでこっそり置いて頂いている。
 そして、もう一種類。どうしても残る花火があった。
「あ、それは線香花火ですね。多分お姉さまも観たことはあるんじゃないでしょうか?」
 線香花火と言えば、ドラマの小道具としても結構な王道だ。
 しかもこちらは手持ち花火やネズミ花火と言った中盤のイベントで発生する花火大会よりも、物語のクライマックスで発生する花火大会なんかで使われやすい。
 だからドラマで手持ち花火を観たことがあると仰った祥子さまなら知っているだろうと思って祐巳はそう言ったのだが、意外にも祥子さまは首を横に振った。
「判らないわ。火が点けば思い出すかも知れないけれど」
 それが祥子さまのお誘いだと気付けない程祐巳は鈍感ではない。
 急いで少し離れた所の石に蝋で立てられていた蝋燭をおっかなびっくり持ってきた。

 二十本くらい入っている袋から祥子さまと祐巳で一本ずつ線香花火を抜き取る。
 凄く近くで屈みこんでいるから祥子さまの良い匂いが火薬の匂いに交じって香った。
 お手本と言う訳では無いけれど、湿気ていないかの確認も兼ねて祐巳が先に花火を蝋燭の上に翳す。
 程無くぱちっと音がして線香花火の先端に火が灯ると、あっという間に火薬部分が赤く丸く纏まった。
「ああ、これは」
 祥子さまが至極納得した風に何度か頷かれるのに呼応するようにぱち、ぱち、と線香花火から火花が散る。
 やっぱり祥子さまも観たことがあるみたい。
 何だかそれが嬉しくて顔を上げると、祥子さまは祐巳の動きをトレースするように花火を静かに炎で炙り、程無くぱちぱちと音を立てさせ始めた。

 それから少し、長いような短いような、沈黙の時間が降りた。
 それはとても安らぐ時間で。
 まるで世界が祐巳と祥子さまだけを残して閉じてしまったかのように静かで。
 ぱちぱち立てる花火の音だけが耳に付いた。
 仄かな灯りに照らされる祥子さまは今まで見た中でも一番にお美しくて。
 その正面。
 傍に自分が居られる奇跡を祐巳は改めて夜空に感謝した。

「あ」
 でも線香花火はやがて落ちてしまう。
 祐巳の花火が落ちてからすぐに祥子さまのそれも灯を無くした。
 消えた線香花火を二人で摘んだまま、蝋燭の炎に頬を照らして。
 寂しいかな、って祐巳は少しだけ思ったけれど。
 すぐ正面に祥子さまが居られるから、落ちた線香花火を想うのではなくて次の花火を差し出せる。
 次の花火を、火が落ちても、また次の花火を。
 そうすればずっとずうっと祥子さまと遊んでいられる。
 そんな気がした。


 祥子さまと二人きりで静かに炎と戯れたこの瞬間を祐巳は一生忘れない。


 最後に残しておいた打ち上げ花火に火を点けて、突発的山百合会親睦花火大会in島津・支倉家はフィナーレとなった。
 素早く仕掛け花火に火を点けて対比する令さまは手慣れていて、きっと由乃さんと今まで何度もやってきたんだろうなと祐巳は思った。静かに見えてくるそんなエピソードに胸が少し温かくなる。
 点火の大役を果たした令さまを抱きつくように迎え入れ、頬を摺り寄せるストレートな由乃さんの愛情表現や。
 打ち上がる瞬間を待ち侘びながら寄り添う志摩子さんと乃梨子ちゃんらの姿が愛しくて、また少しずつ胸が温かくなった。
 祐巳の隣で花火の導火線を見つめるのは祥子さま。
 一歩近寄って祥子さまの肩に頭を乗せると、祥子さまは何も言わずに支えて下さった。
 微かに触れ合う腕と、心持凭れ掛かる頭の部分から祥子さまの体温が伝わる。
 令さまのように抱き寄せることはしないけれど、しっかりと支えて下さってくれている。
 それだけで祐巳は幸せだった。

 お姉さま。
 私は本当に、あなたの妹になれて良かったです。
 あなたの傍に居ることが出来て良かったです。
 これからも、ずっと。
 一緒に居たいです。

 そんな、短い祐巳の祈りが終わるのを待ち構えていたように。
 六人の美少女達の視線を独占していた打ち上げ花火から、一発の火薬弾が勢い良く夜空へと舞い上がった。


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