【776】 貴女の心に  (琴吹 邑 2005-10-27 14:21:01)


がちゃSレイニーシリーズです。

風さんが書かれた『密かに膝枕ビター・テイスト  【No:774】』の続きになります。


「それではごきげんよう」
 SHRが終わると蔦子さんがあっという間に教室を飛び出していった、何か約束があるのだろうか?
 そんな蔦子さんを見送くった後、私は祐巳さんを見た。
 5時間目と6時間目の間に帰ってきた祐巳さんは、疲れたのかくたりと机に突っ伏していた。
 帰ってきたときの祐巳さんの言葉からすれば、これから瞳子ちゃんと最後の対決のはずだけど、大丈夫なのだろうか?
 声を掛けようと思って、祐巳さんに前に行くと、不意に祐巳さんが顔を上げた。
「行かないの?」
「行くよ。掃除が終わったら」
 その言葉に少しあきれる。確かに祐巳さんは今週掃除当番だけど、今はそれより優先させなければいけないことがあるはずだ。
「掃除? そんな物手近な友達に任せて、祐巳さんはととっと瞳子ちゃんを捕まえてきなさい」
「うん。えっと……じゃあ、由乃さん。掃除当番代わってもらえるかな?」
「もちろん!」
 友達という言葉を受けて、直ぐに私に掃除を振ってくれたのが嬉しかった。
「ありがとう。それじゃあ、行ってくるね」
 そういったときの祐巳さんは、不安げで、まだ何か迷っているように思えた。
「祐巳さん。今日は薔薇の館に来なくていいからね」
「うん。わかった」
「それから……」
 だから、私は祐巳さんの後ろに回り、ぽんと背中を軽くたたいた。
 私の青信号を祐巳さんに分けてあげる気持ちで。
「頑張って!」
 もう、立ち止まっている時期は過ぎたから。後は青信号で突っ走るしかないから。
「うん。ありがとう」
 その気持ちが伝わったのか、その祐巳さんの言葉から先ほどの迷いは感じられなかった。




 SHRが終わって、教室から出ると廊下に志摩子さんがいた。
「瞳子は戻ってきませんでした」
 唇をかみしめ、そう志摩子さんに報告する。
 祐巳さまは、瞳子に追いついたんだろうか? 結局そのあとどうなったんだろうか?
 知りたいことはいっぱいあったが、私の元に入ってきた情報は、校外まで瞳子を追いかけていった祐巳さまが戻ってきた。ただそれだけだった。
「そう」
 その報告に志摩子のさんの心配の色も濃くなる。
「お姉さま……」
 瞳子と祐巳さまを何とかしたいと始めた今回の件だけど、その結果がこれだ。志摩子さんは後悔しているのかも知れない。
 そう思うと悔しくて、ぎゅっと拳を握りしめた。
 志摩子さんはそんな私の様子に気が付いたのか。
 握りしめた拳を手に取ると言った。
「大丈夫よ。乃梨子。大丈夫……きっとマリア様が見てるから」
 そういって、私に微笑む志摩子さんを見て、私も何とか微笑み返すことが出来た。





 乃梨子と別れてから私は銀杏並木に来ていた。並木道の向こうに見える私服の集団。少し踏み出せば、そこは大学の敷地。
 しばらく、並木道の向こうを行き交う大学生をじっと眺める。
 頼ってはいけないと思う。でも、もし、こうやってここに立っているだけでお姉さまに会えるとしたら、それは頼っても良いのではないか。
 乃梨子の手前ああは言ったが、正直もうどうしたらいいのかわからなかった。
 すがるような気持ちで、5分、いや10分くらいその場で行き交う大学生を見ていたけど、お姉さまは通らなかった。
 もう卒業したお姉さまに頼るのは、やっぱり良くない事よね。そう思い直し、お聖堂と向かった。
 愛すべき鈍感な友人と、素直でない後輩の仲を祈るために。
 私にできることはもうそれくらいしかなかったから。





 教室から温室へ向かっている途中で、お姉さまと令さまにあった。
「祐巳ちゃん、戻ってきてたんだね? どうだった?」
「はい、これから、瞳子ちゃんとちゃんと話をする予定なんです。瞳子ちゃんが来てくれればですけど」
「そう、頑張ってね」
「祐巳。今日は、薔薇の館に来なくていいわ。でも、明日は、少し早く来なさい」
「はい、お姉さま」
「それから……タイが曲がっていてよ」
 お姉さまはそういっていつもの通り私のタイを直してくれた。
「いってらっしゃい」
 その言葉に見送られ、私は温室へと向かう。

 温室へ向かいながら、朝温室で考えたことを、思い返す。

 瞳子ちゃんに言わなきゃいけないこと。それは、私の正直な気持ち。
 瞳子ちゃんに妹にしてくださいと言われた時には見えなかった気持ちが、休んでいたときにはおぼろげだった気持ちが、学校に着たときは揺れていた気持ちが、今は完全に固まっていた。

 それから、瞳子ちゃんに言ってもらわなきゃいけないこと。
 あの雨の日の出来事。瞳子ちゃんが持っているあの雨の日の蒼い色を別の色に塗りつぶさない限りは妹にできない
 それだけは、しっかりもう一度しっかりと頭に入れておかないと。

 あとは、瞳子ちゃんと話をするだけ。問題は瞳子ちゃんと会えるかどうかわからないことだけど。
 でも、瞳子ちゃんは来てくれる。不安に思いながらもなぜか心のどこかでそう確信している自分がいた。



 温室にはいると、すぐにロサ・キネンシスの前に向かう。瞳子ちゃんと話をする場所はここに決めていたから。
 ここは、お姉さまとの想い出の場所で、だからこそ、瞳子ちゃんとの想い出の場所にもしたかったから。
 そのロサ・キネンシスの前には先客がいた。
 それは見覚えのある人影。そして、その人影を見て、心から安堵する。
 少なくても、話し合うことなく、別れてしまうことだけはなくなった事に。
 「瞳子……」
 呼びかけようと思って、彼女が眠っているのに気がついた。
 いろいろあったし疲れたんだろうなと思う。
 私は彼女のそばに座るとゆっくり彼女を膝の上に倒し、風邪を引かないように、着ていたスクールコートを彼女にかけた。


 彼女の寝顔を見ながら、私は彼女の目が覚めるまでずっと彼女の頭を撫でていた。


 それは、彼女と私との間に久しぶりに訪れたとても穏やかで、優しい時間だった。


【No:783】へ続く


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