「ご相談があります。よろしいですか?」
さっきまでは、夕方の廊下で偶然会った瞳子ちゃんに、祐巳が絡んで瞳子ちゃんが迷惑そうにするという、いつものやりとり、というかじゃれあいをしていたはずだが、瞳子ちゃんが急にそんなことを言ってきた。
何か強烈な皮肉の伏線かなとも思ったけれども、どうやらそうではないらしい。
瞳子ちゃんの瞳は真剣で、祐巳も表情を引き締めた。もはや、定番になってる温室へと導く。
温室に入り二人きりなのが確認されると、瞳子ちゃんは前置きもなく口を開いた。
「演劇部の友人のことなんです」
てっきり瞳子ちゃんの話かと思っていた祐巳は拍子抜けしてしまう。でも瞳子ちゃんの表情が真剣なのを見て、再びお腹に力を入れる。
「その子は意見の食い違いがあって、入部したての頃はよく部活のある先輩と口喧嘩をしてました」
「うわ〜、すごい。先輩に対しても意見言っちゃうんだ。リリアン演劇部がレベル高いって言うのは、そういうことができるからなのかな?」
「……その話は横に置いておきます」
瞳子ちゃんがちょっと睨んで、話を本来の流れに戻す。
「あ、ごめん。関係ない話だよね。それで?」
「その子はちょっとやり過ぎって位、その先輩のことにつっかかってたんですが、その先輩は他の1年生同様、その子のこともちゃんと大切にしてくれたんです」
「ふ〜ん、優しい人だったんだね。それでそれで?」
「その子はその人のことを好きになってしまって、昔つっかかってたことを後悔してるんですけど、気まずくてなかなか謝れないわけです」
「わかるなあ。一度勢いで言っちゃった言葉って引っ込みつかないし、訂正する時を見失うと辛いんだよね」
「少なくとも、その子のことを特別に思ってないってことだけは確かみたいで……」
「ちょっと待って、違うよ。それはない! そんな優しい人なら、きっとその子のことをとても気にかけてるはずだよ」
「……それは、面倒な後輩だなとか、そういう……」
「違うって、そんなことない! って、ごめん、瞳子ちゃんに言っても仕方ないのか。その子に直接言ってあげないと」
気付くと瞳子ちゃんの二の腕をぎゅっと掴んでいた。慌ててごめんと手を離す。瞳子ちゃんはいえと、服の皺を整えた。
「判らないかなあ。きっとその人は関わってくれた人みんな特別なんだよ。その子が、一歩踏み込めば、踏み込んだだけ大事に思ってくれると思うよ」
「そう……ですか」
でも、この話、なんか人ごとじゃない気がする。それでちょっと熱くなっちゃったんだけど。えっとその友人と先輩って誰のことかな……
「祐巳さま、すいません。ひとつ嘘をつきました。そんな話、演劇部にはありません。瞳子の作り話です」
「な、なんだ……嘘なんだ。誰か判ったらおせっかいでもなんでも手を貸そうと思ってたのに……。でも、それじゃ、なんでこんな話を?」
せっかく感情移入までしたのにって、ちょっと不満だったけど、作り話なら作り話で瞳子ちゃんがこの話を始めた理由がわからない。
「ただの愚痴です」
「愚痴ぃ? 確かに私、辛くなったら愚痴言いに来てって言ったけど……。そ、そりゃ、瞳子ちゃんが私なんかを頼って愚痴言ってくれるのは嬉しいけど……」
えーと、どの辺が愚痴だったのかな? 頭に疑問符をたくさん浮かべた。
「判らないならいいんです。お時間取らせてすいませんでした」
悩んでるのが顔に出たのか、瞳子ちゃんは苦笑しながらお礼を言ってくれる。そして踵を返し、温室から出て行こうとする。
「あ、ちょっと待ってよ」
悩んだまま放置なんてあんまりだ。
祐巳が慌てて追いかけると、瞳子ちゃんの横顔にはすっきりしたような笑顔が浮かんでいるのが一瞬だけ見えた。その笑顔を見て、ま、いいか、と思って追いかけるのを止める。
急に立ち止まった祐巳に気づいて振り返った瞳子ちゃんは、いつものすました瞳子ちゃんだった。