【793】 初期不良ドリティック・ロール  (朝生行幸 2005-11-01 16:03:21)


 ウィーン、キリキリキリ…
 ウィーン、キリキリキリ…
 私がいるクラス、一年椿組では、さっきからこんな音がひっきりなしに響いていた。
 音が聞こえるたびに、可南子さんのシャーペンの芯が、ぽきりぽきりと折れてゆく。
 音が鳴るたびに、敦子さんと美幸さんが、すがるような目付きで私を見る。
 音がするたびに、教師のチョークが、黒板の上で嫌な引っ掻き音を放つ。
 今、椿組を支配しているのは、怯えたような感情のみ。
 この中で苛立ちという別の感情を持っているのは、私と可南子さん、そして音の発生源である松平瞳子の三人だけではないだろうか…。

 チャイムが鳴るやいなや立ち上がった私、二条乃梨子は、同時に席を立った可南子さんとともに瞳子の腕を取ると、半ば強引に教室から連れ出し、階段の踊り場辺りまで引っ張っていった。
 ウィーン、キリキリキリ…
「な、なんですのお二人とも!?」
 若干の怯えを見せる瞳子には構わず、その肩をグッと押える。
 ウィーン、キリキリキリ…
「いったい何なの?さっきから無意味に…」
 ウィーン、キリキリキリ…
「回転するその妙な物体は」
 腕を組んで、うんうん頷く可南子さん。
 ウィーン、キリキリキリ…
「妙な物体って失礼ですわね。私のトレードマークとも言うべき…」
 ウィーン、キリキリキリ…
「麗しのド縦ロールに決まっているではありませんか」
「(ド?)麗しいかどうかはともかく、まぁ百歩譲ってトレードマークなのは認めるけど…」
 ウィーン、キリキリキリ…
「私が聞きたいのは、なぜ中途半端な回転を繰り返しているのかってこと」
 ウィーン、キリキリキリ…
「なななな、なんのことかしら?これはいつもと全然変わっていませんわよ」
「どこが!?昨日までは、回転も怪音もしてなかったはずなんだけどね」
 ウィーン、キリキリキリ…
「うぅ…」
「止められないの?」
 ウィーン、キリキリキリ…
「…無理です。今朝、新しいのを取り付けたまでは良かったのですけれど」
 ウィーン、キリキリキリ…
「学校に来てからは、回転しては止まり、回転しては止まりで、まったくコントロールが効きませんのよ」
「とっとと外せよ」
 ウィーン、キリキリキリ…
「外すには専用の工具が必要ですし、『作業を行うには、確実に停止した状態でないと危険です』と取扱説明書にも書いてありましたので…」
「なんでそんなややこしい物装備してるのよ!?」
 ウィーン、キリキリキリ…
「何をおっしゃるの乃梨子さん!私のアイデンティティを否定なさるおつもり!?」
「そんなこたどうでもいいの。耳障りで目障りだから、どうにかして止めるなり外すなりしなさい!」
「無理です!私の意思ではどうにもなりません!」
 ウィーン、キリキリキリ…
「分かったわ。こうしましょう」
「可南子さん?」
 言うが早いか、可南子さんが放った強烈なボディブローが、瞳子に深々と突き刺さった。
 まるで、まくのうちのガゼルパンチを彷彿とさせる。
 ウィーン、キリキリ…キリ…キ…
「ぐ…」 
 崩れ落ちそうになった瞳子をさっと抱き上げる可南子さん。
「ちょっと無茶よ!」
「止まりましたか?」
 気を失った瞳子を見れば、確かにド縦ロールの回転は止まっており、力なくぶら下がっているだけだった。
「…止まったみたいね」
「おそらく2〜3時間は目を覚まさないと思います。紅薔薇さまにお伝えして、瞳子さんが気付かない間に帰宅させるのが一番かと」
「…分かった、伝えてくるわ。悪いけど、瞳子を保健室までお願い」
「ええ」

「──ということがあったのです」
「それでお姉さまは早く帰ったんだね」
「そうです。祐巳さまにはご心配になられたでしょうが…」
「いいのよ。原因がはっきり分かったんだから」
 不安そうだった祐巳さまの表情に生気が戻り、ようやくホッとすることが出来た。
 まったく紅薔薇の血筋って、どうも積極性に欠けるような気がする。
 先代紅薔薇さまは、積極的で面倒見が良いって聞いていたけど、これでは本当かどうか疑わしいぐらいだ。
「明日になれば、お二人とも元気に登校してくるでしょう」
「うん。それにしても…」
「はい?」
「やっぱり、あのド縦ロールって回転できたんだね…」
「そうですね。私も目の当たりにしなければ、とても信じられなかったと思います」
「抱き付くときは注意しないと、顔を抉られちゃうかもしれないね」
 いえ、そんな心配するのは祐巳さまだけです。

 そもそも、瞳子に抱き付く物好…ゴホン、抱き付きたがるのは、リリアン広しといえども祐巳さまだけでしょう。
 え?私?
 私はもちろん、志摩子さん一筋。
 理由は…、まぁ、祐巳さまが瞳子に対して持っている感情と同じ、ってことにしときましょうか。


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