【802】 家政婦はミタ探偵砂糖甘味大戦争  (柊雅史 2005-11-03 17:05:10)


 皆さま、ごきげんよう。
 私は松平家に勤める、名もないメイド。家政婦でございます。
 さて、本日私がお話しするのは、私が偶然目撃したある恐ろしい事件のこと。
 ええ、分かっております。家政婦たるものお勤めするお家で起こった出来事は、見ず・関わらず・他言せず。それこそ空気のようなものと心得て、存在を主張しないのが正しい家政婦です。どこかのおばさん家政婦のように「あら」とかのんびり呟いて、御主人様方の醜聞を盗み見た挙句、得意げに事件解決するのは、家政婦としては大いに失格と言うべきでしょう。
 それなのに本日私がこの事件をお話しするのは、私が目撃した事件が、私の心の中だけに収めておくには、あまりにも衝撃的すぎたからです。
 どうかしばらくのお時間をお貸し頂いて、私の心にかかる暗雲を取り払って下さいませ。


 それはバレンタインデーを3日後に控えた、2月11日のことでした。
 毎年、瞳子お嬢様はこの日一日をかけて、バレンタインデー用のチョコレートを手作りなさいます。お料理の腕は時々大ポカをしでかす愛すべき才能をお持ちのお嬢様ですが、もう何年も続けているチョコレート作りだけは、うちのパティシエも太鼓判を押す程に上達しております。私たちメイド一同も、お嬢様から頂くチョコレートを、毎年楽しみにしているくらいです。甘さは控え目で、ピリッとした苦味が効いていて、後味は爽やか。市販のチョコレートなんて、それはもう目ではありませんとも。
 今年も瞳子お嬢様は、朝からチョコレート作りに取り掛かりました。業務用のチョコレートの塊に、お砂糖、カカオパウダーなどなど。うちのパティシエが取り揃えた、一流の材料をででんとお嬢様専用の台所に並べて、花柄のエプロンを装着なさいます。
「彩子さん、髪の毛やって下さいませー」
「はい、お嬢様」
 お嬢様に呼ばれて私は瞳子お嬢様の髪の毛を料理仕様にして差し上げます。ご存知のようにお嬢様の髪型は大変可愛らしいものの非常に特徴的で、料理に専念するには些か不適当なものであります。くるくると伸びた縦ロールが、溶けたチョコレートに垂れでもしたら大変です。
 私は両脇の縦ロールの端を摘むと、それを頭の上に持って行き、先端をクリップで留めました。くるくるの巻き毛が頭の脇をこう、ぐるっと回って頭頂部でドッキングしている様は、それはもう可愛らしいものです。
「……ぷ」
「な、なんで笑うのです!?」
「いえいえ、とても可愛らしゅうございます。あ、そうです。こうしたらもっと可愛らしいですよ」
 私は髪を留めたクリップを隠すようにして、大きなリボンを結んで差し上げました。元々縦ロールの根元をリボンで縛っているお嬢様ですから、上・右・左と3つのリボンが咲き誇ったということになります。ええ、それはもうとても可愛らしいお姿です。
「……ぶふぅ!」
「ちょ……我慢できないほどですの!?」
「い、いえいえ。とてもお似合いです、お嬢様。ぐふっ」
「……今日は誰が来てもお通ししないように。良いですわね!」
 お嬢様は顔を赤くしながらそう宣言し、それではとお料理に取り掛かりました。お嬢様が動く度に、頭の上の大きなリボンがふわふわと左右に揺れて、きっと私が猫だったら真っ先に飛び掛っていたことでしょう。
「……くすくす」
 その様子を見守る若いメイドたちも、小さな笑い声を漏らしています。当然、私はそんな若いメイドたちを嗜めましたとも。
「あなたたち、何を笑っているのぐふぅ!」
 やはりメイドたるもの、主人を笑うなんてことをしてはいけません。
 瞳子お嬢様は手際よく業務用の大きなチョコレートの塊を刻むと、ゆっくりと湯煎にかけ始めます。かつて銅鍋で直接火にかけたのが、懐かしく思い出される光景です。
 チョコレートを丁寧に溶かしながら、メレンゲを作ったり、ココアパウダーに薄力粉を混ぜたり。どうやら今年はチョコレートケーキのようです。お嬢様の流れるような手際を追いながら、私もついついこれから出来上がるであろうケーキの出来に思いを馳せます。
 祥子お嬢様の好みに合わせて、瞳子お嬢様の作るチョコレートケーキは、ビターな大人の味。最近、こってりと甘いお菓子は胃にもたれる私としては、祥子お嬢様の味覚に感謝です。いえ、私まだまだ若いですけど。
 さて、事件はこの直後に起こりました。ええ、ここまではただの前振りなのです。いやそんな、もう少しなので帰るとか言わないで下さい。
 事件は、お嬢様が甘みを整えるために加える砂糖を量り始めた時に起こりました。瞳子お嬢様が慎重に秤にかけながら、砂糖を盛っていきます。
 1匙・2匙・3匙・4匙……。
 11・12・13・14……。
 21・22・23・24――
「――ってお嬢様、ウェイト・ア・ミニッツ!」
 こんもり山積みになった砂糖の山に顔色を変え、私が瞳子お嬢様の腕を抱きとめると、瞳子お嬢様が胡乱げな視線を私に向けてきました。
「彩子さん、何をするのですか。邪魔をしないで――」
「いや、いやいやいや! お嬢様、気付いてくださいっ! なんかもう1匙盛るごとに山が崩れてるくらいにチョモランマですよ!?」
「あら、本当ですわ。ありがとう、彩子さん」
「いえいえ」
 瞳子お嬢様がお砂糖のチョモランマを脇へ置くのを確認し、私はほっと胸を撫で下ろしました。ちょっと驚きましたけど、瞳子お嬢様も人の子、時にはぼんやりとしてしまうこともあるのでしょう。
「えーと。25、26、27――」
「なんで続きから盛るんですっ!?」
 再び私が腕にすがりつくと、お嬢様はそれはもう胡乱げな視線をパワーアップさせて私を見ました。
「なんで邪魔をするんですの!?」
「いやお嬢様現実を見てください! どこの料理本に砂糖・大匙25杯なんてレシピが載っていますか! 最近は小学生でも成人病になるんですよ!?」
「レシピはレシピですわ。これで良いのです。いえ、むしろまだまだ足りないくらいですとも。にじゅうはち」
「ぅわそんな手掴みではしたない! 瞳子お嬢様は水戸泉ですか!?」
「失礼なにじゅうきゅう。瞳子は撒いていませんわさんじゅう」
「さりげなく盛らないで下さい! こ、この大量な砂糖を、どうするおつもりですか!?」
「愚問ですわね。砂糖はチョコレートに溶かすものですわ」
 澄ました表情で瞳子お嬢様がズザーと砂糖のチョモランマをチョコレートに流し込む。その様は正にナイアガラの滝。わー、チョモランマとナイアガラですね、世界一周旅行みたいですぅ、なんて感動するには、私には少々理性があり過ぎました。
「あ、あああ……」
「ふんふんふ〜ん♪」
 愕然とする私の前で、お嬢様は鼻歌交じりにどろどろのペースト状に変化したチョコレートをかき混ぜています。徐々に砂糖も溶け込んで、ペースト状の物体は滑らかになったものの、近付くとむわ〜んと甘い匂いが立ち上り、私は「うっ!」と思わず口元を押さえましたとも。
「こんな感じですわね。彩子さん、そこのメレンゲを取って下さいませ。気を抜くと焦げてしまいそうですわ、これ」
「……分かりました」
 いっそ焦げてしまえと思いつつも、メイドとしての責務を思い出してメレンゲを手渡します。お嬢様が手馴れた手付きでメレンゲを混ぜ始めるのをしばし眺めてから、私はふらふらと甘い匂いの満ちる台所を後にしました。


 2月14日、バレンタインデー。
 かくして私の目の前には、一口だけ口にした瞳子お嬢様のバレンタイン・チョコレートケーキが鎮座しているわけですが。
 冷蔵庫でしっかり保存されていたケーキは、奇跡が起こって甘みが軽減されていました、という展開を希望していたのですが、奇跡は起きないから奇跡なのです。一口口に運んだ瞬間、口の中いっぱいに広がる甘み。くどくて重くて胃にもたれる保証120%。一口食べた瞬間、私はフォークを置いて思わず瞑想を始めてしまいましたとも。
 これはもはやお菓子ではない、一種の兵器ではないでしょうか。たった一口で血糖値が跳ね上がった気がするのは気のせいではないでしょう。胃の中から湧き上がってくる奇妙な感覚――それが『甘み』だと理解した時、私は甘味料で人を殺せるのだと知りました。ええ、そうです! これはもう瞳子お嬢様による甘味毒殺未遂事件ですとも! 私を殺す気ですかお嬢様!?
「――彩子さん、彩子さん?」
「――ハッ!? 私ったら、今何を!?」
「彩子さん、トリップしたい気持ちは分かりますが、お嬢様がお紅茶を入れて欲しいと」
「紅茶? ああ、そうでした。お嬢様のお友達が来ていらっしゃるのでしたね」
 私は一瞬視界に入った黒い殺人兵器に顔をしかめてから、紅茶の準備に取り掛かりました。
 それにしても理解出来ないのは、何故ゆえ自身もビターなチョコレートが好みだった瞳子お嬢様が、こんな殺人兵器を作ったのか、ということです。祥子お嬢様もこんな殺人兵器をもらって大変でしょう。あの方も私に輪をかけて甘い物が苦手ですから。
「――お嬢様、紅茶をお持ちしました」
 扉をノックしながら声を掛けると、中から「どうぞ♪」とお嬢様の弾んだ声が返ってきました。なにやら機嫌がよろしいようです。
「失礼いたします――」
 静かにドアを開け――その瞬間、私は見たのです! その衝撃的な光景を!!

「ぅわ〜、瞳子ちゃん、これ美味しいね、ちょっと甘さ控え目だけど♪」

 アマサヒカエメダケド……?
 にこにこと殺人兵器を口に運ぶそのお客様を見た瞬間、私は叫んでいましたとも。

「あ、あなたが原因ですかーーーーーーーーーーっ!!」




 以上が私の見た衝撃の事件の顛末です。
 ええ、そうです。原因は既に分かっていますとも。私の心を覆い尽くす暗雲とは、お嬢様の奇行の原因がなんなのか、という問題ではありません。
 一番の問題は、来年のバレンタインでも同じことが――いえ、あの方が『甘さ控え目』などという地獄の言葉を口にした以上、今年以上の惨劇が確実に待っているということなのです!
「あ、彩子さん、それは本当ですか!?」
「今年で既に致死量ギリギリなのに、これ以上!?」
「お、お嬢様は私たちを殺す気なのですか!?」
「わ、私、小笠原家に出向願いを出しますっ!!」
 メイド一同、私の目撃した事件に、戦々恐々です。
 どうか切に――切に!
 私たちの未来を覆い尽くす暗雲を払って下さいませっ!!



                    【家政婦はミタ探偵 砂糖甘味大戦争 −未解決−】


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