「逸絵ー!二丁目の高橋さんとこに出前行っといでー!」
「あいあいさー。行って来まーす!」
二学期中間試験直後の、とある土曜日。
リリアン女学園高等部二年松組軽部逸絵は、叔母が経営するラーメン屋で、アルバイトの真っ最中だった。
陸上部で鍛えた俊足を生かし、界隈では最速の出前持ちとして名を馳せている。
「ただいま戻りましたー!」
『速っ!』
五分もしない内に戻って来た逸絵に、叔母は常連客共々、思わず感嘆の声を上げた。
「本当に届けたんだろうね?」
あまりの速さに、少々疑わずには居られない叔母。
「もちろん。なんだったら、高橋さんに聞いてもらってもいいよ」
自身満々の逸絵。
叔母も、本気で疑っているわけではないが、その速さはどうだ。
「まぁいいさ、逸絵が嘘吐くわけがないしね。それじゃ、次の出前を頼むよ」
「いえっさー。んーと、山田さんとこね。行って来まーす」
おかもちを片手に、ダッシュで飛び出す逸絵。
高橋さんちと違って、山田さんちはちょっと遠い。
さっきほど速くは帰って来られまい。
「ただいま戻りましたー!」
『ってオイ!?』
常連共々、再び驚く叔母。
「いくらなんでも速すぎだろ?」
「伊達に陸上部に入っているわけじゃないのよ」
「でもさぁ…」
「疑うんなら、山田さんに電話で…」
「あーもう分かったよ。お疲れさん」
「えへへ。でも、そろそろお腹すいたなぁ」
時刻はそろそろ2時を指そうとしている。
お昼のピークは過ぎたところだ。
「あぁ、いい時間だね。逸絵、何食べる?」
「えーとね、チャーシュー麺とチャーハン大盛り、餃子二人前」
「どれだけ食べるつもりだい」
苦笑いしながらも、旺盛な食欲の逸絵に感心する叔母。
下手な男性客よりも量が多い。
「はいよお待たせ」
「…叔母さんも、非常識なぐらいに速いじゃないのよ」
5分もせずに、逸絵の前には注文通りのメニューがずらり。
「こっちは実績があるんだよ」
「こっちも(ズズ)そうなんだけどね」
「まぁ、お互い様ってとこね」
「そうね(ズズズ)」
親子ほど歳が離れている(当たり前)のに、気が合うのか妙に仲がいい二人だった。
「さぁ、今日は大口のお客様が二組あるよ。逸絵、ご苦労だけど、出前しっかり頼むよ」
「任せてよ。それで、どことどこ?」
「一つ目は、支倉さんとこさ。20人前のラーメン餃子を6時に届けてくれってさ」
「はー、はせく…支倉!?」
逸絵が驚くまいことか、リリアンの生徒会、山百合会幹部、黄薔薇さまこと支倉令の家ではないか。
「どーして令さまの家に…」
「確かあそこは道場やってたね。門下生に振舞うんじゃないのかい?」
「あー、なるほど。でも…」
「どうしたの?」
「なんだか行き難いなぁ。恥ずかしいと言うべきか、バイトしてるところ見られたくないと言うべきか…」
「ちゃんと許可取ってるんだろ?本人がいるとも限らないし。それに仕事は仕事、諦めな」
「はーい。それで、もう一つは?」
「えーとねぇ…」
がさがさと注文ノートを開く叔母。
「あーこれこれ。リリアン女学園高等部…薔薇の館だと」
「なんですとー!?」
逸絵が更に驚くのも無理はない。
薔薇の館といえば、リリアンで最も有名でありながら、最も近づき難い場所。
そんなところに、場違い極まりないラーメンを届けようというのか。
しかも、三角巾に店名が入ったエプロンという格好で。
「ラーメン6人前、チャーハン6人前、餃子12人前を、7時にだって」
普通に考えれば12人前のこの量。
しかし、山百合会関係者は現時点で実質6人しかいないはず。
ということは、同数のゲストでもいるのか。
それとも、6人でこの量を食らい尽くすというのか。
生徒が学校で出前を取っていいのか、という疑問はまるで浮かばない逸絵だった。
ラーメンと餃子が乗った6段の大きなお盆を担いで、支倉宅まで走る逸絵。
さすがに重くて遠いが、根性だけは人並み以上の自信がある。
5時45分に店を出て、丁度6時に到着した。
根性どころか、体力も脚力も人並み以上だ。
案の定、支倉道場には多くの門下生が居るだけで、令と由乃は居なかった。
やはり、薔薇の館にいるのだろう。
代金を受け取り、すぐさま店に取って返した。
「お疲れさん。次のが出来てるよ」
「了〜解。すぐに行って来ます」
3段に積み上げられた大きなお盆を担いで、再び同じ道を走る逸絵。
次の目的地リリアン女学園は、支倉家から更に10分ほど離れた場所にある。
さっきより大分軽くはあるが、距離が増えた分、苦労は変わらない。
更なる根性で、走る走る。
最速の出前持ちの面目躍如だ。
念の為持って来た生徒手帳を門衛に提示し、首尾よく高等部敷地内に入った逸絵。
涼しくなった秋口の夕暮れではあったが、汗が流れ落ちる。
これは、部活よりもしんどい。
敷地内では、歩きながら呼吸を整える。
息も絶え絶え、汗がだくだくでは失礼ってものだ。
館の前で大きく深呼吸して、扉をノックする。
「失礼しまーす」
「はい」
時間に合わせて待機していたのだろうか、すぐに扉が開き、顔を見せたのは、祐巳と由乃のつぼみコンビ。
「あれ?」
「あら?」
『ひょっとして、逸絵さん?』
「毎度。ご注文の品、お届けにあがりました」
2階の会議室に入ってみれば、なんと驚いたことに、山百合会関係者以外にも、意外な顔ぶれがいた。
生徒会活動を手伝っていた瞳子と可南子はまぁ分かる。
しかし、写真部の蔦子と笙子、新聞部の真美と日出実まで居ようとは。
「お待たせしました。…けど、パーティーか何かですか?」
「ま、いろいろ兼ねた慰労会ってところね」
「お姉さまと瞳子ちゃんが、ラーメン食べたことが無いっていうから、ちょうどいい機会だし、誰も反対しなかったんで、こうなったわけ」
小声で、逸絵に説明する祐巳。
「それにしても…」
逸絵の姿を、上から下までまじまじと見つめる由乃。
「制服と体操服以外の逸絵さんって、初めて見るから新鮮ね」
「うんうん、よく似合ってるよ。まるでラーメン屋さんみたい」
ラーメン屋だよ、ともう少しで祐巳に突っ込むところだった。
「まさか、注文したお店が、逸絵さんの家だったなんてねぇ」
「正しくは、叔母の店なんだけどね。小遣い稼ぎのために手伝ってるの」
「わ、それってアルバイトじゃないの?叱られるよ?」
「大丈夫よ。ちゃんと許可は取ってるから」
「部活はどうしたのよ」
「もちろんやってるわ。手伝いは時間がある時だけ。結構良い運動になるから、鍛錬にもなるし、お金ももらえるし、一石二鳥ってやつね」
「バイトか…、一度やってみたいんだけどね」
「ラーメン屋はやめた方が良いわよ。おかもち持って走り回るんだから、由乃さんには無理ね」
「ぶぅ」
膨れっ面した由乃を見て、微笑む逸絵。
「それじゃ、失礼します。鉢は後日引取りに参りますので」
「ご苦労様」
代金を受け取り、薔薇の館を辞す逸絵。
ラーメンをずぞぞぞと啜る山百合会の面々を想像して、思わず笑みが洩れる。
由乃と令が交換しながら食べているとか、祥子と瞳子に食べ方を教える祐巳とか、考えるだけで面白い。
みんなが食べているところを見たかったなぁと、帰り道で思うのだった。
早く帰って、夕飯にチャーシュー麺とチャーハン大盛り、餃子二人前を食べよう。
そして、学校に行ったら聞いてみよう。
どう?美味しかった?と。