【857】 菜々×由乃素朴な疑問  (柊雅史 2005-11-14 22:05:02)


 今日も新生山百合会は平和だ。
「それでですね、美幸さんってばおかしいんですのよ。結局最後まで気付かずに、HRを受けて来たそうですわ。一年生の教室で!」
「ぅわぁ……それは恥ずかしいねぇ」
「あらあら。一年生の誰も注意してくれなかったのかしら?」
「すっかり馴染んでいたそうですわ。これで美幸さんも有名人ですわね」
 基本的にお喋り好きの瞳子を中心に、祐巳さまと志摩子さんが聞き手。山百合会の決裁待ちの案件をほったらかしにして、執務室は一転、臨時茶話会みたいな雰囲気になっていた。
 ここのところ――年度が変わって、志摩子さんたちが三年生になってからというもの、毎日のように見る光景。まぁ、別に仕事が立て込んでるわけでもないし、良いんだけどね。
「――志摩子さん、祐巳さま。お茶のお代わりはいかがですか?」
「そうね、乃梨子。お願いできる?」
「あ、じゃあ私も」
「でしたら、瞳子もお手伝いしますわ。参りましょう、乃梨子さん!」
「はいはい」
 たかがお茶にも全力投球の瞳子に引っ張られながら、乃梨子は給湯室に向かう。
 給湯室で手分けをして、自分たちの分も含めたお茶を4杯揃え、乃梨子は瞳子と揃って執務室へ戻って来た。
 ――そこへ。

 ダッダッダッダッダッダッダッダッダ……。

 階段を、騒々しく駆け上がってくる足音が近付いてきた。
「はぁ……今日も参りましたわ」
「そうみたいだね」
 溜息を吐く瞳子と乃梨子の眼前で、ビスケット扉が勢い良く開き――

「待てこら、菜々! 私の話を聞きなさい!」
「ごきげんよう、紅薔薇さま、白薔薇さま。それとつぼみさま方。本日もご機嫌麗しゅうございます。ああ、この優雅な雰囲気の3%で良いので、お姉さまに分けていただければ!」
「なんですってー! 菜々、あんたが悪いんでしょうが!」
「あら、お姉さま。大変です、トレードマークの三つ編みが崩れてますわ。ぐいぐい」
「あぃた! 引っ張るな!」

 いきなりドタバタと室内に転がり込んできた黄薔薇姉妹の、いつも通りの騒々しさに、乃梨子と瞳子は揃って盛大な溜息を吐いた。



 訂正。
 今日も新生山百合会は騒々しくて物騒だ。
 ――黄薔薇姉妹のお陰で。



「とにかく二人とも、竹刀は危ないからしまおうよ」
 祐巳さまが間に入り、とりあえず黄薔薇姉妹は間に祐巳さまと志摩子さんを挟んで離れた位置に腰を降ろした。
「ぁう、そこ、私の席ですのに……」
 当然のように祐巳さまの隣を確保し、置いてあった瞳子の筆記用具をわざわざ横に追いやる由乃さまに、瞳子が無念そうに呟く。
 諦めろ、瞳子。
「ちょっと祐巳さん、聞いてよ。菜々ってば酷いのよ! 祐巳さんからも叱ってやってちょうだい! あの子、全然私の言うこと聞かないんだから!」
「んーと、事情が分からないし……ほら、基本的に他所の家のことはノータッチであるべきって、蓉子さまの代から」
「じゃあ聞いてよ! 聞けば祐巳さんも私の気持ちが分かるから!」
「う、うん。聞く聞く。聞くから……」
 こくこく頷く祐巳さまに、瞳子は不満顔いっぱいで淹れたばかりのお茶を差し出す。
「お姉さま、どうぞ」
「あ、うん。ありがとう」
 にっこり祐巳さまが笑って瞳子の柳眉が和らいだ瞬間――
 横手から伸びた手が、祐巳さまのカップをかっさらい、一気にぐびぐびぐびーとカップの中身を飲み干していた。
「ぅああ!?」
 瞳子がそれはもう珍妙な奇声を上げて、カップをさらった主、由乃さまを凝視する。
「くはぁ……。祐巳さんの妹は出来た子ね。とても美味しいお茶だったわ。部活動を終えたばかりの先輩にお茶を淹れてくれるなんて素晴らしいわ! 私の妹は全然、その気がないみたいですけど!」
「……由乃さまのために淹れたわけではないですわ」
 ぶすっとした表情で呟く瞳子だけど、もちろん由乃さまは聞いていない。
「はぁ……白薔薇さま、聞いてください。うちのお姉さまは勝手に他人のお茶を飲んだりするんです。妹としてコレほど情けないことがありましょうか」
 一方で菜々ちゃんがそう嘆きながら、乃梨子が志摩子さんの前に置いたカップをぐびぐびと飲み干す。
「をいちょっと待てコラ」
 思わず呟く乃梨子に、志摩子さんが「まぁまぁ」と笑顔で宥めてくる。紅薔薇姉妹は紅薔薇姉妹で、同じように祐巳さまが瞳子を宥めていた。
「全くもう……由乃さん、今日の喧嘩の原因はなんなのよ?」
 首尾よく瞳子を説得し、お茶を淹れ直すべく給湯室へ追い払った祐巳さまが、呆れたように由乃さまに尋ねる。
「原因? それはね、菜々が私の顔を潰したのよ!」
「それは心外な。私はただ、本気でお姉さまと戦っただけです」
「だからって開始2秒で一本取るなんて酷いじゃない! 剣道部は失笑の嵐よ!」
「それはだって……お姉さまの悔しそうな顔を見たかったんですもの」
「それが本音かぁー!」
 うがー、と由乃さまが頭を抱える。祐巳さまは困ったように、由乃さまと菜々ちゃんの顔を交互に見た。
「あぁ……あのお姉さまの呆然とした表情! みるみる内に真っ赤になるお顔! 屈辱に震える唇! 素敵!」
「アホかー! 菜々のお陰で武道派・黄薔薇さまの名が潰されたのよ!」
「大丈夫です、お姉さま。お姉さまが黄薔薇さま=弱いというレッテルを確立しても、私が来年、名誉挽回してみせます! ああ、美しき姉妹愛!」
「どこがよ!」
 だんだんと机を叩く由乃さまに、この場にいない瞳子以外の面々が揃って溜息を吐いて黄薔薇姉妹を見た。
「……くだらないなぁ」
 呟いた乃梨子はこの場に瞳子がいなくて良かったと安堵した。あの子も意外と沸点低いから、そんな理由で一生懸命淹れたお茶を横取りされたなんて知ったら、黄薔薇姉妹の喧嘩に参戦しかねない。
 祐巳さまが黄薔薇姉妹の間を取り持っている様子を眺めながら、乃梨子はちょっぴり昔を懐かしむ。
 毎日が平和だったあの頃が懐かしいなぁ――



 翌日も新生山百合会は平和だった。
「それでですね、敦子さんってばおかしいんですのよ。結局最後まで気付かずに、体育着を前後ろで過ごしたのですわ」
「ぅわぁ……それは恥ずかしいねぇ」
「あらあら。クラスの誰も注意してくれなかったのかしら?」
 瞳子のお喋りに、今日も祐巳さまと志摩子さんが付き合っている。まぁ今日も仕事がないから別に良いけれど。
「――それはそれとして、そろそろ由乃さまたちが来る頃ですわね」
 ふと時計を見て、瞳子が溜息を吐く。
「全く……そもそも、どうしてアレだけ毎日やりあっている二人が、姉妹なのでしょうか。あれだけ衝突してばかりなのに、由乃さまも何を思って菜々を妹にしたのでしょうか」
「んー、そうだねぇ……」
 祐巳さまがちょっと考えて、にっこり微笑む。
「きっと由乃さんは、それが楽しくて菜々ちゃんを妹にしたんだと思うよ」
「そ、そうなのですか……?」
「菜々ちゃんに振り回されている時の由乃さんって、凄く楽しそうだもん」
 祐巳さまがそう言った瞬間――

 ダッダッダッダッダッダッダッダッダ……。

 今日もまた、階段を騒々しく駆け上がってくる足音が近付いてきた。
 またか、と思って一同がビスケット扉を見詰めると、案の定扉が勢い良く開かれて――

「ちょっと祐巳さん、聞いてよ!」

 由乃さまが、それはもう輝くような生き生きとした顔で飛び込んできた。



 黄薔薇姉妹を加えた山百合会は、今日も少し騒々しいけれど。
 やっぱり平和みたいです。


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