【889】 麗しき夢は覚め私に出来ること  (春霞 2005-11-20 02:53:29)


  【No:436】 『月の光の下で眼鏡を取った蔦子さん』 (無印)、 
  【No:463】 『女心と秋の空すなわちそんな一日』  (黄薔薇革命)、
  【No:471】 『気をつけて寒すぎる冬の一日は』    (いばらの森)、
  【No:481】 『ダンス・イン・ザ・タイトロープ』      (ロサ・カニーナ)、
           と同じ世界観ですが、単独でもご賞味いただけます。
           原作『マリア様がみてる --ウァレンティーヌスの贈り物(前編)--』 を読了後、ご覧下さい。


「うわ。これ苦い。 苦いよ蔦子さん。」 
「そりゃあそうよ。 無糖ブラックコーヒだもの。」 考えても御覧なさい って。 何でそんなもの買ってきたのとむくれる祐巳に、蔦子さんは続ける。 折角の甘くて美味しいチョコレートに、ミルクたっぷり砂糖たっぷりの缶コーヒを合わせたんじゃ、チョコレートの美味しさを味わい尽くせない。 やはり甘いものは苦いものとペアにすべきだ。 そもそも発祥以来数百年を研鑚してきた茶道を見れば、苦いものと甘いものの組み合わせがベストマッチングである事は明らかで……云々。 

「うわ。わかった。 わかりました。 降参。 」 立て板に水の弁舌の前に、アップアップと押し流されると。 蔦子さんは眼鏡のフレームを押し上げながら満足そうに微笑んだ。 
「私に口先で勝てるわけ無いじゃない。 」 ちょっとは学習しなさい。 って言われても、つい出ちゃう言葉は仕方ないよ。 本当に弁論部も真っ青な口の巧さね。 
 ごまかすために、また一口。 蔦子さんの買ってきた缶コーヒを口に含むと、やっぱり苦ーい。 背筋がび〜んってするくらい。 ついつい口元がむぎゅぎゅ ってなってしまう祐巳に気が付いて、蔦子さんは今度は優しく苦笑する。 

「だから。 そうやって舌を苦味に反応させて、それから甘いものを含むと、ね? 」 そう言いながら、私の作ってきたトリュフを一つつまむと、あーん、 って差し出してくる。 え? あーん? 
「ど、ど、ど、どういう 」 
「あーん って言ったら一つでしょう? はい。 あーん 」 ますます優しげに微笑む蔦子さんは、有無を言わさずチョコを口元に差し出してくる。 
 うーー。 と暫らく唸ったあと、祐巳は開き直る事にした。 これも蔦子さんなりの一つの友情なんだって事で。 お姉さまにチョコを受け取ってもらえなかった私を、蔦子さんなりに励ましてくれてるんだよね。 きっと。 

「あーん。 」 誰かに手ずから食べさせてもらうのなんて、何年ぶりだろう。 巧く受け取れなくて、唇が蔦子さんの指に触れた。 唾液が付いちゃったかも。 
「ごめんなさい。 汚しちゃった? 」 口の中にチョコを入れたまま、もごもごと謝ると。 
「気にしなさんな。 どうせ、今から暫らくはココアパウダーまみれになるんだし。 」 蔦子さんは そうカラリとわらって、祐巳の唇が触れたココアに汚れた指をぺろりと舐め上げた。 そうしてから、自分も一つつまむ。 
「あら? 美味しいじゃないの。 実質初めてなんでしょう、手作りは。 」 凄いじゃない、って。 どうも本気で誉めてくれているらしい。 混ぜるだけなんだから簡単なんだけど、蔦子さんも普段はお菓子とか作らないのかな? 
「うん、有難う。 いつも義理チョコは市販ので済ませてるから。 こっちも食べてみる? 」 悪戯心を出して、祐巳は本当は白薔薇さまが食べるはずだった、すんごい方を差し出した。 
「へえ、二つも作ってたんだ。 」 本命以外にも作るなんて、一体誰の為かなー? ってニヤニヤしながら手を伸ばす蔦子さん。 なんだかちょっぴり親父がはいっているぞ。 最近流行りなの? 

 食べて驚く姿を想像して、にまにましながら指先の動きを見つめていると、不意に蔦子さんが真顔になって目を細めた。 
「うん。 ちょっとは浮上したみたいだね。 よかった。 」 そのままぽいっと口の中に放り込む。 
「ま、まって! 食べちゃ駄目!   ……って、遅かった? 」  おそるおそる上目遣いに確認すると、 数秒間硬直していた蔦子さんは、何とか再起動に成功したみたいで。 
「ま、まあ。 なかなか個性的な味ね。 斬新ね。 」 って。 うんうんと頷いているけど。 こめかみからだらだら汗が落ちているよ。 
「本当にごめんなさい。 悪戯のつもりで、すごく不味いのも持ってきてたの。 白薔薇さまに渡すつもりだったんだけど。 」 平謝りする祐巳に、蔦子さんは今度は本当の微笑を向ける。 
「不味くは、無いよ。 これは本当。 」 硬直しちゃったのは、甘い味を予想していたところに、凄くスパイシーで個性的な刺激が襲ってきたからで、実際、よく味わってみればこれも趣があっていい。 って。 いろいろ説明してくれるけど、やっぱり悪戯しようと思ったのは祐巳のほうが悪いんだから。 
「ほんとうに、ごめんなさい。 」 ここでは、蔦子さんの口車に乗っちゃいけないよね。 謝るべき事は謝らないと。 蔦子さんの折角の真剣な友情を茶化しちゃったのは良くないもの。 

「ほんとうに、いいのよ。 だいたい私にとって、祐巳さんが作ってくれたものは、それだけで何もかも素晴らしいものなんだから。 」 

 え? 

 いまは2月。 武蔵野の日暮れは早い。 斜陽のなかの蔦子さんは、なんだかいつもと違うようで。 何が違うのかもよく判らないまま、祐巳は背筋が震えるのを感じた。 

「も、もうかえりましょう。 遅いし。 バスがなくなっちゃう。 」 少し上ずった声で立ち上がる祐巳に。 
「そうね。 祐巳さんは先に帰ってて。 私は現像の続きが有るから、もう少し残るわね。 」 立ち上がりざまに、2つの小箱を取り上げて、 蔦子さんは部室に戻っていく。 これ陣中見舞いに貰っておくわ。 いいでしょう? 

 疑問形でも、断られるとは思っていない。 自信家なんだね。 



 颯爽と去ってゆくのを見送り。 祐巳は、ふと。 蔦子の指が触れた唇を、人差し指でなぞった。  そこは少しだけ火照っていた。 


                                ◆◆◆ 


「取りあえず作ってみて、やっぱりプレゼントできなかったら私に声かけて。教室で一緒に食べてあげるからさ」 

 バレンタインまで一週間を切った昼休み。 そんなふうに祐巳さんに声をかけながら、蔦子の頭の一部では、自分に都合のいい。 都合のよすぎる想像が突っ走っていた。 我ながら、祐巳さん中毒だなあと思いながら。 蔦子は、いやいや、こんな妄想は実現しない方がいい。 祐巳さんが幸せな方がいいよ。 祐巳さんが祥子さまにちゃんとチョコを渡せて、それで自分にもちょっとだけおこぼれがあれば、それがベストなんだ。 そう言い聞かせながら、自分の頭の中の天使と悪魔の戦いを、ある意味楽しんでも居るのだった。 


 これって、ある意味青春の苦悩、ってことでしょう? そういうのも良いものよ。 私も女子高生なんだし、ね? 




                                ◆◆◆ 


 乙女達の園。 マリア様に見守られて、少しつよくなった少女が そこにいた。 


---v0.1:2005/11/20 18:35


一つ戻る   一つ進む