『がちゃSレイニー』
† † †
「ごめんね。私、気付けなくて」
「あ……」
瞳子の頬にハンカチを当てる祐巳さま。
話している間に、少しずつ瞳に溜まっていた涙だった。だけど、これは安堵の涙。
ずっと心に抱え込んでいた、あの時のことを打ち明けることが出来たのだ。謝ることも。
そして、わかってもらえたから。いま溢れるのは嬉しい涙。
「――瞳子ちゃんがね、居なかったら。今の私はこんな風じゃないと思うんだ。祥子さまだってそう」
「祐巳さまと、祥子さま、も?」
「そう。あのとき喧嘩して、それでも瞳子ちゃんは、いつも私を手伝ってくれてたでしょ?」
「それは……」
「部活で忙しい瞳子ちゃん、手伝ってくれてすごく助かってたんだから」
意地悪だった瞳子のことは、気にされてない様子だから。もうそのことに触れないでおこうと思っていたあの時期。
傍で祐巳さまを見ているうちに、気が付けばいつも目で追いかけている私がいて。
一緒にいると、お人好しでおめでたい祐巳さまに、振り回されもしたけれど。楽しかった。
そんな祐巳さまに惹かれる自分。それに気が付いた時、あの梅雨のことが瞳子の枷となった。
こんな私に資格なんて無いんです。だから見ているだけで、近くに居るだけで良いんです。そう自分に言い聞かせた。
「祐巳さま……」
離れるほどに想いは募る。乃梨子さんに図星を突かれたときは、強がっていたと思う。
由乃さまと、祐巳さまが茶話会で妹を探すのだと聞いた時には、押しつぶされそうだった。
瞳子のことを妹にと、祐巳さまが考えていないことに気付いて、悲しかった。
周りの視線が痛かった。噂も、話し声も聞きたくない。
それよりも。祐巳さまが瞳子のことを、どう思っているのかが気になった。
でも、うやむやにしている自分が腹立たしくて、祐巳さまに憤慨して。忘れようと思って、でも忘れられない想い。茶話会が終わるまで何もしなかった。出来なかった。
「もう、我慢しなくていいよ」
祐巳さまが聞いてくれる。瞳子の言葉を待ってくれているのだ。
今なら言えることがある。聞きたいこともある。でも、これだけは早く伝えたい。だから、
「わ、私っ!」
「な、何?」
「祐巳さまのこと、す……好きです! 大好きなんですっ! だから……」
祐巳さまは驚いていた。
(固まってないで、何か仰ってください。祐巳さまっ!)
演技でなら何ともないのに、今は顔も胸も熱い。胸に掌を当て、早い鼓動を感じる。
でも、なんだか心が軽い。もういいんだって思えた。一番伝えたかったのはこれだったから、続きはなくてもいい……でも。
そのまま何かを考えていた祐巳さまは、にっこりといつもの笑顔に戻って、
「瞳子ちゃん」
「は、はいっ」
「暗くなってきたから……帰ろう」
「は?」
そう言うと祐巳さまは急に立ち上がり、瞳子の手を引いて温室の出口に向かう。
気付けば周りはもう暗くなっていて、祐巳さまと手を繋いでいなければ小さな段差で躓きそうだった。
外は、まだ雪がちらちらと降っていたが、風は収まっていた。
「あの……」
そういえば、祐巳さまは帰り支度をされている。スクールコートも私が腕に抱えているし、それを着ようともなさらないで急いでいる風だ。なにより、薔薇の館のことはよろしいのかしら?
手首の時計を見ると確かに遅い時間だけど、部活が終わるにはまだ少し早い時間帯。少し暗いのは天気と季節の所為だ。
前を歩く祐巳さまは瞳子の手をぎゅっと握り締めているけれど、一度もこちらを振り返らない。その手の温もりが嬉しくもあり、寂しくもあった。
講堂の脇から大学の敷地を横目にマリア様のお庭の前へ。中途半端な時間帯なのだろう、人影もまばらだ。二人並んでマリア様に手を合わせる。祐巳さまは帰ると仰っていたから、このまま正門に向かうのかしら。
「瞳子ちゃん?」
「……何でしょう」
不意に呼ばれて振り向くと、先にお祈りを終えていたらしい祐巳さまが、瞳子を見ていた。
「私のこと好きだって言ってくれてありがとう。何度も言うけれど、瞳子ちゃんのこと大好きだよ」
ああ、そうだ。あの時も瞳子のことを大好きだって言ってくれたのに。馬鹿な私。
瞳子を見る祐巳さまの笑顔、見ていたようでちゃんと見ていなかったのは私。
だって、祐巳さまは瞳子のことをしっかり見ていてくれていたのに。私は自分の気持ちをずっと隠していたのだから。
「だから、私だけの妹になってくれませんか?」
「えっ?! どうして……?」
(何故? 温室では妹に出来ないって仰ってましたのに)
見ればロザリオが、祐巳さまの掌から下がって揺れている。
「妹にしたいのは瞳子ちゃん一人、だから、私だけを選んで欲しいの」
「祐巳さま、だけ……」
ロザリオの鎖を輪のように広げて、胸の前に掲げる祐巳さま。
でも、本当に受けていいのだろうか。
「瞳子で、よろしいのですか?」
「うん、瞳子ちゃんがいいの」
祐巳さまならそう言ってくれるだろうなって思っていても。本当に言われれば、やっぱり嬉しい。
「何があっても、返しませんよ?」
「うん、いいよ」
祐巳さまのロザリオ、返すものですか。ええ、返しませんとも。
「瞳子の姉は、すごーく大変かもしれませんよ?」
「うっ。で、でも私は姉に相応しくないかもしれないけれど、頑張るから。駄目、かな?」
そんなことはありません。私が姉と認めるのは、後にも先にも貴女一人だけです。瞳子をこれだけ振り回せる人は、祐巳さましかいませんよ? だから大変なのは瞳子かもしれないんです。
でもこんなこと、口が裂けても言いませんから。
「お受けします」
「ありがとう、瞳子ちゃん」
「はい……」
雪がゆらゆらと舞う中、祐巳さまはゆっくりとロザリオをかけてくれた。