【923】 梅雨明け宣言いといとし  (8人目 2005-11-28 00:39:16)


『がちゃSレイニー』

     †     †     †

「ごめんね。私、気付けなくて」
「あ……」

 瞳子の頬にハンカチを当てる祐巳さま。
 話している間に、少しずつ瞳に溜まっていた涙だった。だけど、これは安堵の涙。
 ずっと心に抱え込んでいた、あの時のことを打ち明けることが出来たのだ。謝ることも。
 そして、わかってもらえたから。いま溢れるのは嬉しい涙。

「――瞳子ちゃんがね、居なかったら。今の私はこんな風じゃないと思うんだ。祥子さまだってそう」
「祐巳さまと、祥子さま、も?」
「そう。あのとき喧嘩して、それでも瞳子ちゃんは、いつも私を手伝ってくれてたでしょ?」
「それは……」
「部活で忙しい瞳子ちゃん、手伝ってくれてすごく助かってたんだから」

 意地悪だった瞳子のことは、気にされてない様子だから。もうそのことに触れないでおこうと思っていたあの時期。
 傍で祐巳さまを見ているうちに、気が付けばいつも目で追いかけている私がいて。
 一緒にいると、お人好しでおめでたい祐巳さまに、振り回されもしたけれど。楽しかった。
 そんな祐巳さまに惹かれる自分。それに気が付いた時、あの梅雨のことが瞳子の枷となった。
 こんな私に資格なんて無いんです。だから見ているだけで、近くに居るだけで良いんです。そう自分に言い聞かせた。

「祐巳さま……」

 離れるほどに想いは募る。乃梨子さんに図星を突かれたときは、強がっていたと思う。
 由乃さまと、祐巳さまが茶話会で妹を探すのだと聞いた時には、押しつぶされそうだった。
 瞳子のことを妹にと、祐巳さまが考えていないことに気付いて、悲しかった。

 周りの視線が痛かった。噂も、話し声も聞きたくない。
 それよりも。祐巳さまが瞳子のことを、どう思っているのかが気になった。
 でも、うやむやにしている自分が腹立たしくて、祐巳さまに憤慨して。忘れようと思って、でも忘れられない想い。茶話会が終わるまで何もしなかった。出来なかった。

「もう、我慢しなくていいよ」

 祐巳さまが聞いてくれる。瞳子の言葉を待ってくれているのだ。
 今なら言えることがある。聞きたいこともある。でも、これだけは早く伝えたい。だから、

「わ、私っ!」
「な、何?」
「祐巳さまのこと、す……好きです! 大好きなんですっ! だから……」

 祐巳さまは驚いていた。
(固まってないで、何か仰ってください。祐巳さまっ!)
 演技でなら何ともないのに、今は顔も胸も熱い。胸に掌を当て、早い鼓動を感じる。
 でも、なんだか心が軽い。もういいんだって思えた。一番伝えたかったのはこれだったから、続きはなくてもいい……でも。

 そのまま何かを考えていた祐巳さまは、にっこりといつもの笑顔に戻って、

「瞳子ちゃん」
「は、はいっ」
「暗くなってきたから……帰ろう」
「は?」

 そう言うと祐巳さまは急に立ち上がり、瞳子の手を引いて温室の出口に向かう。
 気付けば周りはもう暗くなっていて、祐巳さまと手を繋いでいなければ小さな段差で躓きそうだった。
 外は、まだ雪がちらちらと降っていたが、風は収まっていた。

「あの……」

 そういえば、祐巳さまは帰り支度をされている。スクールコートも私が腕に抱えているし、それを着ようともなさらないで急いでいる風だ。なにより、薔薇の館のことはよろしいのかしら?
 手首の時計を見ると確かに遅い時間だけど、部活が終わるにはまだ少し早い時間帯。少し暗いのは天気と季節の所為だ。

 前を歩く祐巳さまは瞳子の手をぎゅっと握り締めているけれど、一度もこちらを振り返らない。その手の温もりが嬉しくもあり、寂しくもあった。
 講堂の脇から大学の敷地を横目にマリア様のお庭の前へ。中途半端な時間帯なのだろう、人影もまばらだ。二人並んでマリア様に手を合わせる。祐巳さまは帰ると仰っていたから、このまま正門に向かうのかしら。

「瞳子ちゃん?」
「……何でしょう」

 不意に呼ばれて振り向くと、先にお祈りを終えていたらしい祐巳さまが、瞳子を見ていた。

「私のこと好きだって言ってくれてありがとう。何度も言うけれど、瞳子ちゃんのこと大好きだよ」

 ああ、そうだ。あの時も瞳子のことを大好きだって言ってくれたのに。馬鹿な私。
 瞳子を見る祐巳さまの笑顔、見ていたようでちゃんと見ていなかったのは私。
 だって、祐巳さまは瞳子のことをしっかり見ていてくれていたのに。私は自分の気持ちをずっと隠していたのだから。

「だから、私だけの妹になってくれませんか?」
「えっ?! どうして……?」

(何故? 温室では妹に出来ないって仰ってましたのに)
 見ればロザリオが、祐巳さまの掌から下がって揺れている。

「妹にしたいのは瞳子ちゃん一人、だから、私だけを選んで欲しいの」
「祐巳さま、だけ……」

 ロザリオの鎖を輪のように広げて、胸の前に掲げる祐巳さま。
 でも、本当に受けていいのだろうか。

「瞳子で、よろしいのですか?」
「うん、瞳子ちゃんがいいの」

 祐巳さまならそう言ってくれるだろうなって思っていても。本当に言われれば、やっぱり嬉しい。

「何があっても、返しませんよ?」
「うん、いいよ」

 祐巳さまのロザリオ、返すものですか。ええ、返しませんとも。

「瞳子の姉は、すごーく大変かもしれませんよ?」
「うっ。で、でも私は姉に相応しくないかもしれないけれど、頑張るから。駄目、かな?」

 そんなことはありません。私が姉と認めるのは、後にも先にも貴女一人だけです。瞳子をこれだけ振り回せる人は、祐巳さましかいませんよ? だから大変なのは瞳子かもしれないんです。
 でもこんなこと、口が裂けても言いませんから。

「お受けします」
「ありがとう、瞳子ちゃん」
「はい……」

 雪がゆらゆらと舞う中、祐巳さまはゆっくりとロザリオをかけてくれた。


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