【948】 変わりゆく頭痛のタネ  (沙貴 2005-12-08 02:12:51)


 
 リリアン体育祭の当日、昼休み古い温室にて。
 松平瞳子は紅薔薇さまを見かけた。
 まだまだ残暑厳しい秋の頭、折りしもその日は絶好の日和だった所為で、温室内の温度と湿度はかなり酷いものになっていたに違いない。
 けれど紅薔薇さまは苦しそうな素振り一つ見せずに、膝の上に広げたお弁当を楽しげに摘んでいて。
 寧ろ微笑みすら浮かべているそのお顔を眺めていると、温室内が暑苦しかろうと想像した自分が余りにも俗っぽく思えて嫌な感じがした。
 
 手早く昼食を取り終わって、腹ごなしの散歩途中で温室に寄った瞳子は、そんなガラス越しに見えた紅薔薇さまの微笑みに足を止める。
 余り見たことのない笑みだ。
 いや、それは少し嘘。余り見せてもらったことのない笑みだ。
「ま、当然ですわよね」
 そう呟いて軽く息を吐く瞳子の視線の先には、同じように暑かろう温室で朗らかに笑う紅薔薇のつぼみ、福沢祐巳さまが居た。
 紅薔薇さまのあの微笑みは、現在ではもう殆ど世界で只一人の祐巳さまだけに向けられる特別製になっている。
 だから、あの笑顔の紅薔薇さまの傍には祐巳さまが居ることが”当然”なのだ。
 更に言えば、祐巳さま”だけ”が居ることが当然。例え祐巳さまが相手でも、校内の例えば銀杏並木なんかでは紅薔薇さまは”ああ”は笑わない。
 事実上学校を引っ張る薔薇さまのお一人であるから、不用意に笑うこともままならないのだ。
 まぁ、紅薔薇さまが単に意地っ張りで人に弱みを見せたがらないと言うことも大きいのだろうけど。
 
 紅薔薇さま――祥子お姉さまの微笑み。
 その輝きを一身に受けるのは自分だと信じて疑わなかった時期もあったが、今では冗談でもそんな事は言えない。色んな意味で。
 悔しくないと言えば嘘になるけれど、今更言っても仕方のないこと。
 紅薔薇さまと出会ったのは瞳子が先だけど、内面に踏み込んだのは祐巳さまが先だった。
 笑って、泣いて、時に怒って紅薔薇さまを振り回す祐巳さまと、ひたすら腕に縋って甘える瞳子。これじゃあ勝負にもならない。
 はぁ、と再び息が漏れる。
「そんなに寂しいなら飛び込めば良いじゃん」
 すると、そんな声が瞳子の背中にかけられた。
 振り向かずとも判る、淑女に有るまじき乱暴な言葉遣いの同級生は瞳子の知る限り一人しか居ないから。
「私もそこまでお邪魔虫を徹底するつもりはありませんわ。それに寂しいだなんてどこの誰が」
「目の前の瞳子が、だよ。瞳子、周りに誰もいないと思うと気が抜けるから良く判る」
 そう言ってくすりと笑った乃梨子さんは、今も温室を眺める瞳子の隣にそっと並んだ。
 
 並木道の多いリリアンのこと、身を隠す木陰は辺りに多い。
 今、瞳子と乃梨子さんが立っている位置もその一つで、こちらから温室は全景が見えるもののあちら側からは目を凝らさないと判らないだろう。
 丁度時刻も昼過ぎで、日向の部分は照り返しが凄い。その分、影で暗い場所は一層に見え辛くなっている筈だ。
 その証拠に、乃梨子さんが横に並んだ所為で目立ちやすくなったにも関わらず、祐巳さまも紅薔薇さまも瞳子らのことに全く気付かない。
 とは言え、多分にお互いしか見ていないから周りに気付かない、と言うこともあるのは瞳子だって判っていた。
「失礼ですわね。私これでも女優の端くれ、いつだって気なんて抜いたりしませんわ」
 漸く祐巳さまらから目を逸らし(いつの間に祐巳さまを見ていたんだろう? 初めは紅薔薇さまを見ていたのに)、乃梨子さんを軽く睨みつける瞳子。
 すると乃梨子さんは「おお、怖」なんて漏らしながら全然怖くなさそうに肩を竦める。
 その仕草で一気に毒気が抜けた。
 何だか最近、乃梨子さんの前では随分ペースを崩されるようになってきている気がする。
 元々何処か達観めいた、飄々とした部分のあった乃梨子さんだけれど、リリアンに通い始めて早半年。
 ”異世界”への戸惑いがなくなって余裕が出てきたと言うところだろうか。
 勿論、瞳子との距離が狭まっていることも大きいだろうけど。大きい筈だ。大きい。うん。
 それが嫌な訳では無いのだけれど、何故だか無性に悔しい。
 
「乃梨子さんはどうしてこちらへ?」
 悔しさを振り払うように瞳子が言うと、乃梨子さんは「どうして?」と首を傾げた。
「ちなみに私は、散歩の途中でたまたま紅薔薇さまをお見かけしたから、ですけれど」
 先んじるように続けて言うと、乃梨子さんはくっくと(くすりと微笑むよりは余程似合う笑顔で)笑う。
「誰も瞳子の理由は聞いてないけど……私も似たようなものだよ。食後の散歩をしてれば見慣れたモノが見えたから」
 モノ、と言いながら瞳子の左縦ロールを指でつんと突ついた。
 弾かれた髪が頬に当たってこそばゆい。
 こそばゆさの半分は勿論、髪の感触だけど、残りの半分は”乃梨子さんが突ついた”こと。
 思えばお互い気安くなったものだ。
「もう。重ね重ね失礼ですわね、私は髪の付属品ですか?」
 その気安さで持って、未だ突つき続ける乃梨子さんの手を払う。
 乃梨子さんはにかっと笑って(ああ、それも似合う)「まさか」と言った。
「勿論、縦ロールこそ瞳子の付属品だよ。今じゃね」
 
「昔は逆だった、と言うことでしょう?」
「だってインパクトありすぎだもん」

 全く、本当に気安い。
 瞳子も、乃梨子さんも。
 
 
 不意に、視線を感じた。
 本当なら感じる訳は無い、だって瞳子らは只ですら見え辛い場所に居る上に周りに人気だって殆ど無いのだから。
 けれど女優の感か親戚の縁か、瞳子は気付いた。
 そして振り返る温室、こちらを向いていた紅薔薇さまとガラス越しに視線が交差する。
「あ――」
 思わず声が漏れた。
 それは本当に突然のことで、乃梨子さんのじゃれあっている最中で、頭が付いていかなくて。
 例え遠く離れていても、ガラス越しであっても、紅薔薇さまの驚いたようなお顔はやっぱり綺麗で。
 今まで何度も見た、祥子お姉さまの顔で。
 やがて柔らかく微笑まれても、それはさっきまで祐巳さまに向けていた笑顔とはどこか違っていて。
 それが判るくらいには、人の顔を観察してきた自分が空しくて。
 気付きたくなかった。
 そう思った時には、視線が落ちていた。
 
 祥子お姉さまは、瞳子が腕にしがみ付いていた頃から変わって欲しくなかった。
 瞳子は、祥子お姉さまの傍に、祥子お姉さまの傍だけに幸せを感じていた頃から変わりたくなかった。
 祥子お姉さまは、瞳子だけを「仕様が無いわね」と言う目で見つめていて欲しかった。
 瞳子は、祥子お姉さまだけを大好きで居たかった。
 
 知りたくなかった。
 祥子お姉さまの腕にしがみ付ける人が瞳子以外に居ることを。
 瞳子は祥子お姉さまの傍でなくても、幸せを知れるくらいには大人になったことを。
 祥子お姉さまの――紅薔薇さまの目は、今やたった一人に惜しげもなく注がれていることを。
 瞳子は、祥子お姉さま以外の――方、を、気にかけてしまうようになるなんてことを。
 気付きたくなかった。
 苦しみだか後悔だか、何だか判らないそんな感情は頭の奥底に血が溜まったような鈍痛になって、瞳子の眉を寄せた。
 
「瞳子」
 俯いた瞳子の肩に手を置いて、乃梨子さんは言う。
「そろそろ、行こうか」
 それはとても優しい声で。顔を伏せたまま目だけ向けると、乃梨子さんは小さく頷いた。
 顔を上げる。
 紅薔薇さまは再び祐巳さまの方を向いて、何か話されていた。朗らかに笑う。笑い声が聞こえてきそうなほどに。
 祐巳さまに瞳子らのことは言わなかったようだ。
 その心遣いがただ嬉しくて、瞳子はぺこりと温室に頭を下げた。
 
 くるりと踵を返して、乃梨子さんを追い越しながら瞳子は言った。
「戻りましょうか。午後の部は割とのんびり始まりますけれど、早めに戻って体力を回復させておくのも大事ですわ」
 「あ、ちょっと瞳子!」、なんて慌てた乃梨子さんの声は無視。
 木陰を出ると、肌を刺すように厳しい日光が燦々と眩しかった。
 やっぱり暑いじゃないだろうかと少しだけ振り返る。でも生憎と、温室の方向は丁度駆けてくる乃梨子さんで塞がれて見えなかった。
 何だか、それが少し嬉しかった。
 
 
「午後って何からだっけ? 袴競争?」
 瞳子の隣に改めて並んで、少し上を向きながら乃梨子さんがぼやく。
 どうでも良いけれど、そんなに注意力散漫だと転んでしまわないのだろうか。
「先に教職員リレーがありますわ。袴競争はその次ですわね」
 そう答えた丁度のタイミングで案の定躓いた乃梨子さんは、けれど「っと」なんて軽く体勢を立て直した。
 でも流石にそれだけでは勢いは殺しきれずに、乃梨子さんはととっと更に二歩ほど前に進んで振り返る。
「ああ、あったね。そんなの」
「そんなの、って乃梨子さん」
 二歩歩いて追いついて。
 どこまでも御座なりに切り捨てた乃梨子さんに少し呆れて咎めるように言ったけれど、本人はどこ吹く風で笑っていた。
「だって私は参加しないし、お姉さまの居る二年生も参加しない。それどころか三年生だって参加しないんだもん、期待しろって方が無理だと思うけど?」
 
 乃梨子さんの言い方は乱暴だけれど、大筋では瞳子も同じだ。
 かと言って同意するわけにもいかないので、軽く首を振って瞳子は乃梨子さんの脇を通り過ぎる。当然、乃梨子さんは合わせて歩き出した。
「ああ、それじゃあもしかして袴競争には白薔薇さまと出場されるのかしら?」
 それなら教職員リレーから意識が飛んでいてもおかしくは無い。いやいや、そんなことを考える余裕なんて全くない筈だ。
 何せ袴競争といえば、一つの袴に姉妹の二人で入り、協力してゴールを目指すリリアンならではの競技。
 古来の和服である袴を使っているのにリリアンならでは、と言う辺りに微妙な矛盾がある気がするけど、それはこの際気にしない。
 名実共に白薔薇さまにメロメロな乃梨子さんであれば、袴競争を控えている今なら血圧だってかなり高いだろう。
「ううん、それは無い。私は兎も角、お姉さまは――」

 間。

「あんまり、前に出るの好きじゃないから。多分。きっと」
 と言いつつも顔を引き攣らせる乃梨子さん。
 何かいやーな予感を感じているようで、そわそわと二の腕を摩ったりし始めた。
「まぁ、白薔薇さまが出る、と仰れば乃梨子さんに拒否権は無いのでしょうけれど。良いじゃないですの、姉妹仲良く袴に入って」
 自然とにやついてしまう口元を堪えながら言うと、乃梨子さんは心底嫌そうに顔を顰める。
「ごめん、嘘ついた。お姉さまが、って言うより私がちょっと嫌だわ」
 でしょうとも。
 瞳子は唇だけでそう呟いた。
 気安くなったとは言え乃梨子さんは乃梨子さん。
 白薔薇のつぼみという立場にいても、未だに目立つことは結構嫌う傾向にある。
 漸く一矢報えた瞳子はそれで、くすくす笑った。
 
 
 〜 〜 〜
 
 
 赤チームである為鉢巻や横断幕で真っ赤に染まった瞳子ら一年椿組の席付近は、まだまだ昼休みも中盤だからだろうか閑散としていた。
 皆思い思いの場所で昼食を取っていたり、のんびり家族や友人、姉妹と過ごしていたりするのだろう。
 姉妹はいないけれど、昼休みの間中をべったりと家族と過ごすほど家に懐いている訳ではない瞳子と、実家の関係で大人の方々に良く知られている白薔薇さまを昼休みに連れ出すことを失敗した乃梨子さんくらいなものだ。
 昼食後に散歩をしてクラスに戻り、尚時間をたっぷり余してしまっているようなレア・ケースは。
 
「まだまだ暑いですわね」
「そうだね」
「あら、可愛い。幼稚舎の子でしょうか」
「どこどこ?」
「ほら、あちら」
「ああ、本当だ。可愛いね」

 なんて身があったり無かったり、大概は身の無い会話を続けるともなく続けながら、瞳子は乃梨子と一緒に居た。
 午後の喧騒は校庭の各所から上がって、トラックに隣接している瞳子らの居る生徒の応援席の辺りこそが酷く静かで。
 そのギャップが瞳子らがまるで世界から切り離されたかのような浮遊感を生んでいた。
 けれどそれが怖かったり、寂しかったりするような感傷は何故だか浮かばなかった。
 勿論、荒唐無稽な幻想に過ぎないと瞳子が知っていたこともあるけれど、やはり隣に誰かが居るという安心感がそうさせてくれるんだろうと思う。
 瞳子は乃梨子さんを見た。
 でも今の乃梨子さんは履き古したスニーカーで地面をぐりぐりやるのに夢中で、そんな視線には全く気付きもしない。
 全身から発せられる気楽さが、でも、やっぱり瞳子を安心させるのだ。
 
 そう思って少し微笑んだ瞳子は、しかし俯いてその顔を隠した。
 何故なら、被ってしまったから。
 気楽さ、瞳子を信頼して全く無くしてしまっている緊張感。
 それは乃梨子さんだけの専売特許じゃない。一人、瞳子は同じものを持っている先輩を知っている。
 その方と、眼前の乃梨子さんの姿が微かに被った。
 想像の中で跳ねる二房のくせっ毛が日光に映える、ふわふわと軽やかに笑うそれは祐巳さま。
 先程まで温室で紅薔薇さまと談笑していた、瞳子の祥子お姉さまを盗っていった”妹さま”だ。
 
 
 端的に振り返ると、気に食わなかった。
 その一言で全てを説明出来る、瞳子の祐巳さまへの感情。
 後からしゃしゃり出てきた癖に瞳子の専用席であった筈の祥子さまの隣にいきなり居座ったのだから、瞳子には一つや二つ、三つや四つの恨み言を言う権利くらいあるだろう。
 けれど紅薔薇姉妹破局の危機にまで追い込む気は無かった。
 あれは祐巳さまが不甲斐なかったこともあるけれど、瞳子にも勿論責任はある。それくらい判っている。
 今にしてみれば汗顔の至り、蒸し返されると言葉も無い。誰も蒸し返すことなんてしないけれど。

 あの頃、瞳子は良く頭痛を抱えていたように思う。
 頭痛、と言うには少し違うだろうか。苛立ち、不快、嫌悪、それらがごちゃ混ぜになった、つまりが”悪意”。それが瞳子の頭の奥を刺激していた。
 脳の底で疼いていた。
 そしてそれは実は、今も時折瞳子の頭を刺激する。
 後悔、謝意、羨望、切望、負では無いかも知れないけれど正の感情でも決してないそれらがごちゃ混ぜになった何か。
 祐巳さまを見ていると、そのどこか危うい言動を見ているとそれが疼く。
 紅薔薇さまの傍に居る祐巳さまを見ていると更に、細川可南子の隣に居る祐巳さまを見ていると尚も痛む。
 思えば、瞳子にとって祐巳さまは常に頭痛の種だったのだ。
 その理由こそ、移ろい続けているかも知れないけれども。
 
 
 突然鳴り出した、軽やかな音楽に瞳子の顔が上がる。
 見れば幾人かの生徒が校庭の真中に集まって、大きな円を描くようにして並んでいた。
「フォークダンスか」
 呟いた乃梨子さんの言葉通りそれは有志参加のフォークダンス、残り僅かとなった昼休みの余興だ。
 既にダンスは始まって、最初から参加していた彼女らは楽しげにステップを踏んでいる。
 最初のペアの大概は姉妹なのだろうか。どのペアも同学年ではちょっと無い身長差が見受けられた。
 軽快な音楽と、日光に勝るとも劣らず輝く笑顔が眩しい。
 少し陰鬱な自己分析の袋小路に向かっていた瞳子を引っ張り上げるには十分だった。
 
「行ってみませんか、乃梨子さん。楽しそうですわよ?」
 瞳子は何の気なしに言った。
 乃梨子さんと違って瞳子は目立つことは大好きだ。
 例え目立てなくても、楽しそうな人の輪があるのにそれを遠巻きに見詰め続けるだけ、なんてことは我慢できない。
 その輪に入って、一緒に楽しんで、笑って。
 それが途方も無い幸せに繋がるんだってことを瞳子は良く知っている。
 人に取り入ることは瞳子の処世術だけど、それと同じくらい瞳子は人が好きなのだ。
 だと言うのに。
「いやー、私は良いよ。遠慮しとく」
 乃梨子さんはやっぱり、首を振ってしまった。
 手と首を一緒に振るということは心底に嫌なのだろう。
 確かに、乃梨子さんとフォークダンスはややミスマッチな部分がある、ような気もする。イメージ的に。
 とは言え、瞳子が誘って振られたのは間違いが無くて。
「そんなこと言わずに、乃梨子さんたらぁ」
 科を作って食い下がるものの、乃梨子さんたら「その手には乗らない」と言わんばかりに薄ら笑って後退った。
 
「もう、人が折角――」
 説得を諦めて、やっぱり一人でも参加しようかそれとも大人しく見ているだけにしようかと悩み始めた瞳子の目の前を横切る人影。
 いや、本当はずっとずっと遠くなのだが瞳子の視力はかなり良いから。
 例えぱらぱらと輪へ向かう人の群に紛れていたとしても、知っている――気にかけている方の顔ははっきりと見出せる。
 祐巳さま。
 もとい。
 紅薔薇さま。祥子お姉さまが祐巳さまに手引かれて輪の中へと加わった。
 
 瞳子は立ち上がる。参加するかしないかに結論が出たからだ。
「ん、行くの?」
 隣から掛けられた乃梨子さんの声に「ええ」とだけ軽く答えて、グランドの中央へ向かい始めた瞳子は、中途で我を忘れたように駆け始めた。
 紅薔薇さま、及び紅薔薇のつぼみがフォークダンスに参加されたことで一斉に増えた輪への参加者に気後れした訳ではない。
 一刻でも早く紅薔薇さまに御手を取って頂いて踊って頂こうと、ミーハー魂を燃やしたわけでも、無い。
 
 高い瞳子の視力は捕らえてしまったのだ。
 瞳子に先んじて輪に参加した、薄気味が悪いほど伸びた長いワンレングスの黒髪。紅薔薇さまと同じような髪型なのに、瞳子は未だそこに一切の類似性を見出せていない。
 そして不気味さで言えば髪のそれには比べ物にならない、その高過ぎる身長。
 細川可南子。
 間違いなかった。
 
 
 ダンスの輪まで辿り着いた瞳子は、既に参加している細川可南子のすぐ隣に割り込むように身を捻じ込んだ。
 元々そこにいた方には少しだけずれて貰って、それが多少心苦しかったけれどそれ以上にその場所を確保することがその時の瞳子にとって大事だった。
 細川可南子を放って置けない。そう思ったことは事実だったから。
 勿論それは、彼女を心配していると言う風な意味では決して無かったけれども。
 だから瞳子が。
 背の低い自分が場違いな男性パートに紛れてしまったことや、このまま進めば程無く祐巳さまと踊ることになる、ということに気付いたのは踊り始めてからのことだった。

(はぁ、オクラホマ・ミキサーは男女の身長差がある方が映えますのに。災難ですわ)
 愚痴るような胸中はけれど億尾にも出さず、瞳子は踊る。
 そして曲が流れてパートナーチェンジとなると、不恰好にならない程度に少しだけ爪先立って見た。
 苦しくはあるが、しかし見っとも無く肩を上げて女性パートの後ろから手を回すよりはましだろう。
(これくらいのフォローは私の方で必要でしょうね。あの方は抜けているから)
 
 曲が進む。
 人が流れる。
 祐巳さまが近付いてくる。
(ああけれど、それ以前に祐巳さまの場合私がいきなり目の前に出てくる事の方が驚かれる気がしますわ。情けない悲鳴なんて上げられたくはないですけれど)
 ちらっと細川可南子を見て、視線を戻す。
(細川可南子と踊りたくないから、とでも先に言っておけば良いでしょうか。他に――)
 再び素早く視線を走らせる。
 随分と遠く離れたところに、見覚えのある上品な後頭部を見つけて再び顔を戻した。
(紅薔薇さまが男性パートだから女性パートに入り損ねた、も良いですわね。余り細川可南子に傾倒していると思われるのも癪ですし)
 
 人が流れる。
 祐巳さまが近付いてくる。
 楽しげに笑い、踊る祐巳さまが。
 後、二人。
 胸がざわめく。
 頭のどこから微かに疼く。
 
 祐巳さまが近付いてくる。
 一歩、また一歩と。
 先程考えた胸中の台詞を復唱する。大丈夫。言える。澱みなく言える。
 後、一人。
 そしてその手を握ったのは細川可南子だった。
 
 
 ――。
 
 
 ずき、と。
 また、頭の片隅が傷む。
 
 次のパートナーチェンジが、酷く遠かった。


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