「あいたー」
昼休み、額に手を当てて天を仰ぎながら呻いたのは、白薔薇のつぼみ二条乃梨子だった。
「どうなさったの乃梨子さん?」
「あー瞳子。参ったなぁ、体操服忘れちゃったのよ」
無いと分かっていながらも、カバンの中を探らずにはいられない乃梨子。
5時限目は体育の授業で、休憩時間終了まで10分しか残っていない。
「体調が悪いことにして、見学でもします?」
「忘れ物をした挙句ずる休みなんて、白薔薇さまの名を汚すようなことはしたくないわ」
「じゃぁ、どなたかに借りるしかないですわね」
「そうね…。仕方がない、借りてくるね」
「急いだ方がよろしいですわよ。私は先に行っておりますわ」
心の中では大慌てだが、態度は粛々として教室を後にした乃梨子だった。
「ごきげんよう。申し訳ありませんが、白薔薇さまにお取次ぎください」
「あら、ごきげんよう白薔薇のつぼみ。お待ちになって」
入口近くに居た上級生に、乃梨子は取次ぎを頼んだ。
「どうしたの?」
「ゴメン志摩子さん、実は体操服を忘れちゃって…。持ってたら貸してくれないかな」
「いいわよ。でも4時限目が体育だったから、一度着てしまっているけど、それでも構わないなら」
「あぁ、うん。その方が好都合」
「え?」
「あ?いやえっと、未使用の服を私が先に着るよりは、後の方が良いってことで、変な意味じゃないの」
何故か顔を赤らめる乃梨子。
「そう。ちょっと待ってて」
席に戻り、体操服を持って戻って来た志摩子、服が入った巾着袋を乃梨子に渡した。
「ありがとう志摩子さん。洗って返すから」
「いいのよ、授業が済んだらすぐに返してくれればいいから」
「そうはいかないよ…って時間がないんだ。それじゃ!」
ちょっと複雑な表情をしながら、乃梨子の背中を見つめ続ける志摩子だった。
志摩子の体操服を抱えたまま、更衣室に飛び込んだ乃梨子。
すでに誰も居なかったが、本鈴が鳴るまでに着替える余裕は十分にある、ホッと一息吐くと、制服を脱ぎ始めた。
下着姿のまま、体操服を袋から取り出した瞬間、立ち昇る志摩子の匂い。
普段の嗅ぎ慣れた匂いに、微妙に混ざった汗の匂い。
乃梨子は、思わずクラリと来てしまった。
(うう、いかん…。これじゃまるでヘンタイさんだよ)
首を振り振り変な考えを振り払い、気を取り直して志摩子の制服を身に纏う。
脚を通せば身体に電流が走ったような感覚が襲い、袖を通せば背筋が痺れるような感覚がもたらされる。
(志摩子さんが一度着た体操服…、志摩子さんの体操服、志摩子さんの体操服…)
力が抜けたように、その場でしゃがみ込んでしまった乃梨子。
立とうとするも、身体に力が入らない。
(あーうー…、ずるいよ志摩子さん。頭の中だけでなく、身体まで…)
心臓ドギマギ、呼吸はハァハァ、脚はガクガク。
体が火照ってどうしようもなくなってきたその時。
「乃梨子さん!?」
現れたのは、松平瞳子だった。
「どうなさったの?」
「あー瞳子、助かった…」
瞳子が姿を見せたお陰で、なんとか意識を持ち直すことが出来た乃梨子。
「顔が真っ赤ですわよ!?その汗は何!?」
「もう大丈夫だから。お昼食べて間が無いのに急いで走ってきたから、ちょっと息切れしてただけ。大丈夫よ」
「そう…ですか?」
半信半疑の様子だが、本当のことなんて言えるはずがない。
瞳子には悪いとは思いながらも、そのまま押し通すしかない。
「それで、瞳子はどうして戻って来たの?」
「あぁそうそう、ハチマキを忘れてしまったのですわ」
「あーそうなんだ…、って私、椿組のハチマキないんだわ」
「あら…」
結局乃梨子は、志摩子の香りに包まれながら、ウェストがきつく胸元に余裕がある体操服(ハチマキ無し)で授業を受けたのだった…。
「乃梨子、体操服返してもらえるかしら」
「え?いいよ、ちゃんと洗って返すから」
放課後の薔薇の館。
志摩子は、乃梨子に貸した体操服の返却を迫っていた。
「いいのよ。明日も体育の授業があるし、疑っているわけじゃないけど、忘れると困るから」
「そう?じゃぁ…。はい、ありがとう志摩子さん」
何故か嬉しそうな顔で、自分の体操服を受け取る志摩子だった。
もちろん帰宅後、志摩子は乃梨子が着た自分の体操服を、改めて身に纏ったのは言うまでも…ない?こともない?どっち?