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放課後、乃梨子に言いくるめられて、薔薇の館に来た瞳子。
「あらら。まだ、どなたも来ていませんのね。仕方ありませんわ。掃除でもして待っていますか」
最近、流行りの曲を口ずさみながら、さっそく掃除の準備をしはじめる。
ふと、乃梨子のカップが片付け忘れてられているのを見つけて、お節介な親友が頭に浮かんできた。すると、歌もこう変わってしまう。
♪二条って〜 名字の半分は〜
ヨウ! ヨウ! ヨウ〜♪
どうせヨウなら ごきげんなヨウがい い〜♪
Yo〜〜〜♪
「…瞳子、あんた楽しそうだね……。」
振り向くとそこには乃梨子さんが。
「ののの、乃梨子さん!!?」
「ごきげんよう、乃梨子ちゃんに瞳子ちゃ……ん?」
祐巳が薔薇の館に入ると、そこには、不機嫌そうな乃梨子と
「ごきげんよう……祐巳さま」
背中に「中居」と書かれた紙を貼った瞳子がいたという。
草津の温泉宿へ、二泊三日の卒業旅行。
車を出すと言い張る聖を、必死の説得で説き伏せて、往復は快適な特急列車で悠々自適。のんびりと流れる風景など見ながら、駅弁に舌鼓を打つ。
忙しかった学園生活を思えば、卒業旅行くらいはそんな風にのんびり過ごしたいものだ。
「――って、遅い。遅すぎるっ!」
腕時計を30秒おきに確認しながら、蓉子はとんとんと地面をつま先で叩きながら、何度目かも分からない文句を口にした。
「もう10時。待ち合わせは9時よ!? なんで聖は来ないのよっ!」
「寝坊じゃないの?」
特急への乗り換え時間を考えて、切羽詰った様子の蓉子の隣で、鞄に腰を下ろした江利子が欠伸交じりに応えてくれた。
「それはないわ。今朝、7時に電話で起こしたもの」
「じゃ、二度寝だ」
「そんな馬鹿な!」
断言する江利子に蓉子は首を振る。
「だって、卒業旅行に行こうって言ったのは聖じゃないの! なんでそれで二度寝するのよ!?」
「聖だからねー」
江利子がピコピコと携帯を弄りながら気のない相槌を返す。
「蓉子も学習しないわねー。それで遅れるのが聖じゃないの」
「達観しないでっ!」
蓉子が睨むけれど、江利子は涼しい顔だ。リリアン女学園の生徒であれば、確実に震え上がるであろう元・紅薔薇さまの一喝だけど、それを意に介さない人物が二人だけいる。その一人である江利子はちらりと蓉子を一瞥しただけで、再び携帯に視線を落とした。
「全く、特急に遅れたらどうするのよ。せっかくの卒業旅行が最初からめちゃくちゃだわ。せっかく早目に待ち合わせたのに」
「聖もそれを見越してるんじゃないの? 私も30分遅れてきたし」
「遅れないでよ! ギリギリの時間指定だったらどうするつもりよ!」
「ありえないし」
断言する江利子が憎らしい。そりゃ確かに、この二人と待ち合わせする時は、いつも早目の時間を告げてきたけれど。それを見越してそれ以上に遅れるんだから、本当にどうしようもない。一度痛い目に合えば良いと思っていたけれど、何も自分が巻き込まれる今日、その痛い目が巡ってこなくても良いではないか。
しかも、きっと痛がるのは蓉子一人なのだ。
「あぁ……もうダメ。もう間に合わない。特急が行っちゃう。計画が全部パーだわ」
ついに時刻がリミットの10時15分を指し、蓉子はがっくりと項垂れた。特急列車の快適な旅も、美味しい駅弁も、温泉巡り前の観光も、これで全て白紙撤回である。
「なんでよ……どうして、最後の最後まで」
「蓉子蓉子、ホラ。これ見なさいよ」
脱力する蓉子に、江利子が携帯を蓉子に見せる。
「なによ……?」
「各停の路線図。安心して、私の計算だと夜の10時には現地に到着するから!」
えっへん、と胸を張る江利子に、蓉子の頭のどこかがぷちん、と切れた。
「あんたはー! なんで最初から諦めてんのよー!」
「あっはっはー! 蓉子、こわーい!」
携帯を叩き落とそうとした蓉子の攻撃をひょいとかわしながら、江利子が心底楽しそうに笑っている。
草津の温泉宿へ、二泊三日の卒業旅行。
同行者に江利子と聖を選んだ時点で、優雅な旅など期待したのが間違いだったのだろう。
のっけから人災に次ぐ人災で、二泊三日の卒業旅行の初日は、移動だけで潰れてしまった。
宿に着いたのは深夜2時。既に各駅停車の電車もなく、かなりの長距離をタクシーに頼るという、甚だコストパフォーマンスの悪い方法ながら、それでもどうにか宿の姿が見えて来た時、蓉子は危うく涙を流しそうになった。
とりあえずタクシーの支払いは江利子が持っていたお父様のカードに頼る。今度絶対に返さなくては、と思いながら、蓉子は後部座席で寝息を立てていた聖をよっこいしょ、と背負った。
「うぅ……なんで私が、こんなことまで」
「まぁまぁ。じゃ、私は先に行ってチェックインしてくるから」
「よろしく。――なんかもう、江利子がとても頼りに思えてくるわ……」
もっとも、到着がこんな時間になってしまった原因の半分は、その江利子にあるのだけど。ちなみに残りの半分は、蓉子の背中で健やかな寝息を立てている聖が作ってくれた。
旅行中の女の子を聖がナンパして乗車時間に遅れるわ、江利子が駅の売店で見付けたミニゲームにハマって2時間ロスするわ、聖が迷子になるわ、江利子がふらふらと逆方向の電車に乗るわ――これが名高い薔薇さまの取る行動かと、蓉子は何度マリア様にお伺いを立てただろう。
詳しく思い出すと背中の聖を地面に叩き落したくなるので思い出さないよう努力して、蓉子は宿の玄関をくぐった。
「部屋は203だって」
江利子がチャラチャラと鍵を回しながら言う。
「残念ながら、夕飯は終わっちゃったそうよ」
「当たり前でしょ! ああ……雅コースのお夕飯だったのに」
「まぁまぁ。とりあえず今日はもう寝ましょ。疲れちゃったわよ、私」
「誰のせいだと思ってるのよ!」
まるっきり他人事のように言う江利子に一応怒鳴っておく。どうせ効果はないのだろうけど。
「203だから、二階ね」
案の定、江利子は完全に蓉子を無視して鞄をよいしょと背負う。
「江利子、せめて交代して。意外に、重くて」
「イヤよ、なんで私が。それに聖だって、蓉子ならともかく私に背負われたなんて知ったら、絶対怒るわよ」
「まさか。そんなことで怒るわけないじゃない」
「怒るってば。聖は蓉子ほど私に懐いてないからね」
ひらひらと手を振って先に階段を上がって行く江利子に、蓉子はちょっと背中の聖を振り返った。
ぐっすりと、安心しきった顔で眠っている聖。
江利子の言うことを額面通りに受け取るつもりはないけれど――確かに、こんな風に無防備な聖を見れるようになったのは、ごく最近のことだ。
「――仕方ないわね」
よっと聖を背負い直して、蓉子は階段を上った。階段を上りきったところで待っていた江利子が、にこりと笑う。
「ここで一句。蓉子もおだてりゃ階段を上る」
「江利子ー!」
「蓉子、近所迷惑よー」
けらけらと笑って部屋に向かう江利子を追いかけた蓉子の背中で、聖が少し身じろぎした。
翌日もしっかり寝坊した聖のお陰で、立て直した計画を再修正しつつ、それでも蓉子たちはそれなりに観光を楽しむことが出来た。
温泉は気持ちよかったし、リベンジの雅コースは美味しかったし、それなりに満足な一日だったのだけど――その辺りの話はまた別の機会にして。
事件はその夜。食後の温泉を楽しんだ蓉子が、部屋に戻ったところで起こったのだ。
「あ、蓉子、お帰りー」
すっかりリラックスして戻ってきた蓉子を出迎えたのは、僅かに頬を紅潮させて、上機嫌に手にした缶をひらひら振る聖だった。
「ただい……ま?」
反射的に返事を返した蓉子の視線が、聖の手にした缶に注がれる。
『えびちゅビール』
缶のロゴを読み取った蓉子の顔から、一気に温泉のほてりが吹き飛ぶ。
「聖! あんた、何飲んでるのよ!」
「へ?」
きょとん、とする聖から缶を奪い、蓉子はじっくりと缶を観察する。
『えびちゅビール アルコール分・6%』
じっくり見ても、缶の銘柄は変わらなかった。
「聖! 私たちはまだリリアンの生徒なのよ!? 今月末まで!」
「まぁまぁ、固いこと言わないの」
目を吊り上げる蓉子に、横手から江利子が言う。
「良いじゃない、少しくらい。美味しいわよ〜?」
「江利子まで!」
蓉子は目眩を感じて思わず顔を手で覆った。
そりゃ、卒業旅行なのだし、多少のハメを外したくなる気持ちは分かる。
でもまさか、幼稚舎からリリアン女学園に通っている聖と江利子が、こうもあっさりアルコールに手を出すとは思わなかった。
「信じられないわ……あなたたち、仮にも元・薔薇さまでしょう」
「そうよ。元・薔薇さまよ。今はもう、薔薇さまじゃないわ」
江利子が笑ってぐいっと缶を煽る。
「優等生はもうおしまい。元々、私も江利子もい〜加減な性格だしね」
聖が傍らのビニール袋から新たな缶を取り出してにしし、と笑う。
「だからって、ビールなんて」
「蓉子ってホント、固いわよね。大丈夫よ、ちょっと悲しくなるけど、私たち、どう見ても大学生くらいに見えるって」
「変な貫禄身についちゃったしなぁ〜」
苦笑して、ぐいぐい缶に口をつける江利子と聖。
確かに江利子の言うとおり、十分大学生で通るとは思うけれど、それでもお酒は二十歳からだ。そして蓉子たちはまだ18である。
「でも……」
「あのさ、蓉子。蓉子って一度でも良いから、校則破ったことってある?」
やっぱりダメ、と言おうとした蓉子に、江利子が聞いてくる。
「……ないけど」
「私はあるわよ。破りまくり。しかもみんなの前でプロポーズまでしちゃったわ」
「それなら私は、駆け落ち未遂だ」
軽い口調で言う聖に、蓉子は思わず目を丸くする。
そんな蓉子を見上げて、聖は笑った。
「そーゆう思い出もさ、あっても良いんじゃない? 蓉子にも」
「まぁ卒業旅行でビール、なんてちっちゃい思い出だけど。蓉子にはそのくらいでちょうど良いんじゃないの?」
江利子が立ち上がって、手にした缶を蓉子に差し出す。
続いて聖が、同じく手にした缶を江利子の横に伸ばす。
「乾杯しよう。私たちの友情に!」
聖がにやにや笑いながら言う。
明らかに本気じゃない表情――だけど。
そんな風に言われたら、断れないのが蓉子の性格だ。
「――全く。バレて学校に通報されても知らないわよ?」
「その時は蓉子が守ってくれるから大丈夫」
「誰が守るもんですか」
蓉子は聖を睨んでから、聖から取り上げた缶を、江利子と聖の差し出した缶に触れさせた。
ぼこん、とちょっと情けない音がする。
「乾杯」
渋々ながら缶に口をつけた蓉子に、聖と江利子が満面の笑みを浮かべる。
「勝った!」と言わんばかりの表情に、ちょっと腹が立ったけれど――温泉上がりのビールは思ったよりも美味しかったので、二人を怒鳴るのは止めておいてあげた。
意外にも最初に潰れたのは江利子で、布団に潜り込んだ江利子のために電気を消して、蓉子と聖は窓際の壁に背中を預け、二人で並んで座ってグラスを傾けていた。
「ビールどころか、ワインと日本酒まで。いつの間に手に入れたのよ」
「実は昨日、家から送ったのよ。それで遅刻したってワケ」
「――最悪だわ」
得意げな聖に蓉子は溜息を吐く。
「でも蓉子がこんなに強いとは思わなかった。案外、イケル口じゃないの。本当は結構飲んでるんじゃないの?」
「せいぜいおとそくらいよ。むしろ江利子が弱いのに驚いたわ」
「言えてる。一気にヒートアップしてばったり。まぁ江利子らしいと言えば、江利子らしいけど」
聖が笑いながら日本酒をグラスに注いでくる。蓉子が日本酒、聖がワインって言うのも、なんとなくイメージが逆だった。
日本酒を一口飲んで、蓉子は軽く溜息を吐いた。
「卒業旅行でお酒飲んで大騒ぎ。とても祥子には言えないわね」
「祥子は潔癖だからねー。良いじゃない、私たちだけの秘密ってことで」
聖が蓉子の肩にもたれてくる。普段なら邪険に追い払うところだけど、今日くらいは良いかと、蓉子はおとなしく肩を貸してあげた。
「あー……絶対私の方が強いと思ったのに。ダメだ。蓉子、強すぎ……」
グラスに半分ほど残ったワインを持て余しながら、聖が眠そうな声で言う。
「せっかく、蓉子酔わして悪戯してやろうと思ったのに……」
「それは残念でした」
いかにも聖と江利子が考えそうなことに蓉子は苦笑した。存外にアルコール耐性が強くて助かった。朝起きたら額に『肉』とか、やりかねないから怖い。
「うん、残念。ちゅ〜してやろう、と思ったのに」
「……何バカなこと言ってるのよ」
「いや、ホントに。最後くらい、良いかなって。えっと……旅の恥はかき捨てって言うじゃない?」
「言うけど、用法として間違ってるわよ、それ」
「蓉子は最後まで固いねぇ……」
聖がのろりと体を起こして、ワインの残ったグラスを傍らのテーブルに置いた。
そのまま「ギブアップ〜」と言いながら、蓉子の膝に体を投げ出してくる。
「――もう寝る。おやすみ」
一方的に宣言して、すぐに「くー」と意外に可愛い寝息を立て始める。
散々勧めてきた二人が揃って先に撃沈という展開に、蓉子は苦笑する。この3年間――あるいはもっと前から、いつだって同じ展開だった。
聖と江利子に巻き込まれた蓉子が、結局最後まで残って後始末をするハメになる。山百合会の仕事もそうだったけど、こんな宴会まで同じ展開なのだから、もう笑うしかない。
「でも……それが楽しいのよね、結局」
グラスに残った日本酒を少しずつ飲みながら、蓉子は眠っている聖を見る。
「旅の恥はかき捨て――か」
聖の少し癖のある髪を撫でながら、蓉子は身をかがめた。
用法としては明らかに間違ってる――と思うけれど。
聖の言う通り、最後くらいは良いかな、と蓉子は思った。
「聖……」
聖と出会って6年間。一度も口にしたことのないセリフを、そっと耳元で囁いた。
「好きよ」
目を閉じたままの聖の唇が、「私も」と小さく動いた。
翌朝、目が覚めると江利子が既に起きていた。
「おはよう、蓉子、聖」
昨夜は一人だけ先に潰れてしまったと言うのに、江利子は上機嫌だった。
「もうすぐ朝ごはんだって。早く支度して行きましょうよ」
どこかハイテンションな江利子に促され、蓉子は戸惑いながら部屋を出て大広間へ向かう。
ちょっと頭が重いのは、きっと軽い二日酔いというやつだろう。
それがなければ、もっと早く江利子の様子からピンと来たはずである。
朝ごはんを食べ、最後にもう一度だけ温泉に入ろうと、大浴場の脱衣室に足を踏み入れたところで、蓉子はようやくそれに気付いたのだ。
額に描かれた『肉』の字に。
「え、江利子ーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
旅の恥はかき捨てと言うけれど。
額に肉のまま朝ごはんを食べ、館内を歩き回ったあの旅館には、もう二度と行けないなと、蓉子は思うのだった。
がちゃsレイニーーシリーズです。
篠原さんが書いた、【No:389】過去から未来へと繋ぐ志摩子さんのこころの続きになります。
お姉さまと帰ったその日の夜。
由乃さんから、連絡があった。
「明日、朝早めに来て欲しいんだって、志摩子さんがなんか重要なことを提案したいって」
「うん。……わかった。ありがとう」
そういって、電話を置く。
学校では志摩子さんと瞳子ちゃんの話は白薔薇革命とかいって話題になっている。
「学校行きたくないな」
瞳子ちゃんにあって話をしなくちゃいけない。志摩子さんとも話をしなくちゃいけない。
でも、私は何を言っていいかわからない。
お姉さまが言ってくれたを思い返す。
『私は私、瞳子ちゃんは瞳子ちゃん。瞳子ちゃんに私を重ねていたのは、祐巳の方かもしれないわよ。』
お姉様を重ねていたのは私なんだろうか? わからない。
でも、このままじゃいけないのはわかっている。志摩子さんと、あんな状態でいるのは嫌だし、瞳子ちゃんとの関係もあのままにはしておけない。
何とかしなくちゃいけない。そう思ってはいるけれど、どうしていいかわからない。
このままでは、瞳子ちゃんを志摩子さんに取られてしまう。そんな気持ちが私の中に湧いてきている。
瞳子ちゃんは、私のものではないのに。でも、瞳子ちゃんが志摩子さんに持って行かれてしまう――志摩子さんの妹になってしまうのはのはなぜだかすごく嫌だった。
とりあえず、明日。明日、お昼休みにでも瞳子ちゃんを呼び出してお話ししよう。
お話ししてみれば、どうにかなるかもしれない。元々、莫迦なんだから、考えていてもしょうがないし。
私は大きくため息をつくと、部屋に戻った。
その日は結局、なかなか寝付けず、私が寝たのは朝の5時頃だった。
翌朝、志摩子さんの招集で、薔薇の館に全員が集まった。全員といっても、志摩子さんを含んだ3人の薔薇さまと私と由乃さんと乃梨子ちゃんの6人だけだけれども。
みんなが集まると、志摩子さんは、すぐに口火を切った。
「今日は、朝早くすみませんでした。重要な話を早くしたくて、皆さんをお呼びだてしました」
志摩子さんはそういって頭を下げると、乃梨子ちゃんを見て、私を見た。
「で、わざわざ、呼んだのは何のようなの?」
お姉さまが先を促す。
「まず、報告があります。昨日、私は松平瞳子さんにロザリオを渡し、彼女はそれを受け取りました」
みんなが目を丸く開き、視線が乃梨子ちゃんに集中する。
私は、それを信じられない思いで聞いていた。
目の前が真っ暗になり、さーと血の気の引く音を確かに聞いた。
次の瞬間、おでこに何かがぶつかるような感触とゴンという音がきこえたあと、何もわからなくなった。
チャイムが鳴る音で、私は目を覚ました。
気がつくと私はベッドに寝かされていた。
「保健室?」
天井を見つめながら、ぼんやりとした頭で考える。
えっと確か、薔薇の館で……。
回転しない頭で、必死に考えていると、しめられていたカーテンがが開いた。
「祐巳さん。大丈夫?」
そういって顔を出したのは、由乃さんだった。
「うん。多分。えっと、私よくわかっていないんだけど、何が起きたの?」
「うん。祐巳さん、志摩子さんの話聞いていて、倒れちゃったの。覚えていない? ……えっとね、志摩子さんの提案。要点だけ言うわね。気をしっかり持ってね」
由乃さんはしばらく言いよどんでいたが、性に合わないと感じたのか、話を続けた。
「まず、志摩子さんが、瞳子ちゃんにロザリオを渡したと言うこと。当面、瞳子ちゃんを妹に、乃梨子ちゃんを山百合会手伝いという立場で使いたいと言うこと。そして、姉妹の多夫多婦制の提案」
私は、由乃さんの言うことが理解できなかった
「多夫多婦制ってどういうこと?」
「つまり、一人の姉に、一人の妹という制度を無くして、誰もが何人ものお姉さまと何人もの妹を持つことにしたらどうかという提案。山百合会の承認が得られれば、新聞部に掛け合って、白薔薇さまが妹を二人持ったということを報道してもらうって。姉妹制度自体、元々、明文化されているものではないし、最初に誰かが始めれば、後を追うものはきっといるはずで、志摩子さん自身がその先鞭をつけたい。そんな風に言ってたわ。祐巳さんが倒れちゃったこともあって、この件は保留になっているけど」
「そんな……」
私は、由乃さんの言葉に、ただ絶句するだけだった。
【No:510】へつづく
作者:水『右手にロザリオゼンマイ駆動【No:374】』の、続きなのです。
単なる焼き直しとも言う……
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
教室に入ると。
瞳子がまたイっちゃってた。
「あんた…… 今日はいったい……」
「あ、乃梨子さん! こちらへいらして!」
中庭へと連れ出された。
「何の用? ここ寒いよ」
朝晩かなり凍える季節。
「そうお手間は取らせませんわっ。 乃梨子さんに、ぜひぜひご報告したいことがっ!」
うれしはずかしイヤンバカ〜ン、といった風だ。
「ふーん、で、なに?」
「これを戴いたのですぅっっっ!!」
そう言って胸元から取り出したブツは。 そう、『ロザリオ』風の物。 左右の『腕』が薄い造りになってる。
「今朝マリア様の像の前で祐巳さまがお待ちになっていて何の御用かしらと思いましたら瞳子ちゃんにあげるよと祐巳さまが、あ、いえ、おおおお姉さま、がこれを瞳子の右手に握らせてくださって――――」
一心不乱に熱く語り続ける。 ホントに嬉しそうだ。 泣ける。
「――で首に掛けてくださらなかったのは信じられませんでしたけれどって、聴いてください!! 乃梨子さんっ!!」
「あんたが信じられないって。 それより瞳子」
「なんです?」
「このスイッチなに?」
『ロザリオ』の中心を指し示す。
「あ、詳しくは伺いませんでしたが、なんでも改良してモーター駆動なのだとおっしゃっていましたわ。 省電力長時間動作なのだそうです」
言いながらポケットから単四電池を取り出し、おもむろに取り付け始める。
「ほほう……」
瞳子の顔は期待に満ち溢れて。 乃梨子の胸の内も、ある意味ワクワクしていた。
「これで良いですわね……」
取り付け終わって瞳子がスイッチを入れると、『ロザリオ』の『機首』から何か生えてきた。
ちっさいプロペラ。
「「あ」」
声を揃えるふたりを尻目に『ロザリオ』は飛び立ってゆく。 ネックレスの戒めからも解き放たれて。
見上げるふたり。 『ロザリオ』は勢い良く高度を上げて。
上空でいくらか旋回した後。
「ブゥ〜ン……」
飛び去った。
呆然と見送るふたりの元に、誰かがスタスタと歩いて来る。 大型の女生徒のようだ。
彼女は瞳子の肩のうえにポンと手を置いて。 彼女が何か言うのを聞いてみると。
「いいの? あれ」
と空を指差した。
それから一週間後、乃梨子は真っ黒に雪焼けした瞳子に出くわして。
『ロザリオ』捜索中に槍ヶ岳で遭難した所を祐巳さまが助けに来てくれた、と熱っぽく語られた。
_____________________
作者:水『地球は青かった【No:456】』に続く
これは、作者:水『狸の罠にかかったツンデレ【No:455】』の続きなのだった。
『単なる焼き直し』とも人(私)は言う……
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
教室に入ると。
瞳子がまたまたイっちゃってた。
「あんた…… こりねえな……」
「あ、乃梨子さん! こちらへいらして!」
中庭へと連れ出された。
「何の用? どんな面白イベント?」
なんか寒さも気にならない。
「面白イベントではなく素敵なイベントですっ。 乃梨子さんに、ぜひともご報告させて頂きますわっ!」
うれしはずかしどころか目が血走ってる、といった風だ。
「ふーん、で、今日は?」
「これを、頂戴いたしましたあぁぁぁっ!!」
そう言って胸元から取り出した面白グッズは。 あれ? 割と『ロザリオ』っぽく見える。 やっぱでかいけど……
「今朝マリア様の像の前で祐巳さま、いえお姉さまとバッタリ出くわしまして、瞳子はもう諦めておりましたが、『これ瞳子ちゃんの首に掛けるね』とお姉さまがこれを瞳子の首に掛けてくださって――――」
夢よどうか覚めないで、って感じで語り続ける。 ホントに嬉しそうだ。 たぶん夢だけど。
「――ただ、その後『お姉さま』と呼んでも振り向かれなかった時は、泣きそうになりましたがって、聴きなさいっ!! 乃梨子さんっ!!」
「むしろ泣け。 それより瞳子」
「なんです?」
「ここのお猪口みたいの何?」
『ロザリオ』の下部を指し示す。
「あ、詳しく伺っても分かりませんでしたが、なんでも『LE−5B』のミニチュアが収まっているとか。 その説明書も一緒に頂きましたわ」
言いながらポケットから説明書を取り出し、おもむろに準備を始める。
「よっしゃ……」
瞳子の顔は期待に満ち溢れて。 乃梨子の胸の内も、めちゃくちゃワクワクしていた。
乃梨子が見てると、瞳子は『ロザリオ』を鎖の根元近くで分割して外し、地面にそっと立てた。 その後、鎖に残った部分を握り締めている。 おそらくリモコン。
「これで良いのですわよね……」
説明書を読みつつ瞳子がリモコンを操作すると、『ロザリオ』の下部から何か出てきた。
白煙。
「「うをっ?」」
声を揃えるふたりを尻目に『ロザリオ』は煙を上げる。 リモコンの『停止』も受け付けないようだ。
見守るふたり。 『ロザリオ』は勢い良く煙を上げて。
その場でいくらか振動した後。
「ドンッ!!」
天空へと一気に消え去った。
呆然と見上げるふたりの元に、何かがタシタシと歩いて来る。 小型の哺乳類のようだ。
獣は瞳子の靴のうえにチョンと前足を置いて。 その様子を窺っていると。
「ニャ〜ン」
と一声鳴いた。
そのあと夜のニュースで、気象衛星が太平洋上に墜落したと、キャスターが言っていた。
_______________________
作者:水『ロザリオを汗が伝う【No:470】』に続く
※この記事は削除されました。
きっかけは、何気ない一言でした。
「たまには、別の髪形もいいかもしれませんわね」
「聞いたわよ、瞳子ちゃん」
「まったく、あの方は何を考えてるのでしょうか」
(「大丈夫だって、お互いにキャラかぶってるから分かりゃしないわよ」)
瞳子は女優ですから全く問題ありませんけど、1年椿組で由乃さまがどうしてるかを考えると後悔でいっぱいですわ。祐巳さまと同じ教室という言葉にのせられた瞳子がばかだったのです。この1時間目が終わったらすぐに交代することにいたしましょう。それまで目立たないようにしていませんと。
「…乃、由乃さん」
「は、はい」私のことでしたわ。
「前へ出て、これを解きなさい」
…さすがに2年生の問題は難しいですわね。でも瞳子は毎日メイドさんに鍛えられているのです。
「正解」
おおー。どよめきがあがります。ひょっとしてかなり難しかったのでしょうか。少し抑えたほうが…。
「由乃さん、すごいなあ」
は、祐巳さまが小さく拍手まで。手を抜くなどとんでもないことですわ。
「大丈夫?由乃さん」
「少しはりきりすぎましたわ」いけません、つい口調が。
「今日、ほんとにすごかったからね」
「た、たいしたことないわよ」
「わたしもがんばらなくちゃ」
「祐巳さ…んはがんばればできると思うわよ」
それはそうと、先ほどから黄薔薇さまの視線を感じるのです。ひょっとしなくても見破られているのでしょうか。瞳子は由乃さまのご意向に従っただけなのでどうかご容赦願いたいものです。
それで思い出しましたわ。
「乃梨子ちゃんのクラスでは何か変わったことあったかな?」
様子を聞いておかなくては。
「今、瞳子が野球やってますよ」
「ぶっ」
「由乃さん、失礼だよ。確かに意外だけど」
「昼休みになったら、クラスの有志引き連れて校庭に飛び出していきました」
そう言ってこちらをみつめるその顔は、間違いなく気づいていますわ。
「乃梨子は行かなくてよかったの?」
「いろいろ面白そうでしたけど、こっちの方が気になりましたから」
ほんとうに楽しそうですわね。
放課後です。
「館に行こう、由乃さん。令さまがケーキを焼かれたそうだから急がなくちゃ」
黄薔薇さまのケーキ、それは心惹かれるものがありますが、食べてしまっては由乃さまの恨みを買いそうですし。
「ほら、早く」
仕方ありません。着いてから乃梨子さんに相談いたしましょう。
今度はサッカーに夢中という、乃梨子さんの言葉によりそのままケーキをお相伴することにしたのです。
「令、それにしてもどういう風のふきまわしかしら」
「ご機嫌ですね」
「だって、昔の由乃が帰ってきてくれたから」
「「「ぐっ」」」
「よかったですね」
「ほんとうに」
はからずも判明しましたが、今の反応から祥子お姉さまもお気づきのようですわ。
しかし、急に食べるのが申し訳なくなってきたのですけど。
「ねえ、由乃さん、宿題教えてほしいんだけど」
「あ、はい、いいわよ」
まあ、気にしないことにいたしましょう。今は幸せそうにご覧になってますし。
祐巳は消えた祥子さまを探しに図書室に来ていた。詳しい事情は原作の『イン・ライブラリー』を読んでもらうとして、とにかく図書室の中を丹念に探索していた。
あまり人の来ない目立たない一角で、祐巳は見覚えのある二人を発見した。
人形のようと称される二人の少女が本棚の側面によりかかり、寄り添うように一冊の本(古びてはいるが革貼りの立派な装丁のものだ)を読んでいたその姿はまさに美しい一幅の絵のようで、しばらく遠くから眺めていたいくらいっだった。
と、視線を感じたのか、志摩子さんがふと顔を上げた。
「あら、祐巳さん」
となりの乃梨子ちゃんも祐巳を認めて軽く頭を下げる。
「あ、邪魔しちゃってごめんなさい」
「いえ、ちょうどよかったわ。つい夢中になってしまって。もう1時間もたっていたのね」
時間を確認した志摩子さんが驚いたように言って、開いていた本をパタンを閉じた。
ここで祐巳の話を聞いた二人が祥子さまを一緒に探してくれることになる。
遠慮しようとする祐巳に構わず、志摩子さんが手にした本を棚に戻す時、そのタイトルがチラリと目に入った。
「………????」
読めなかった。
「え? 二人とも英語の本読んでたの?」
「いえ? これはラテン語よ」
「ら、らてんご? って何語?」
動揺した。志摩子さんも少し困ったような顔をして、文字が良く見えるように本の表紙をこちらに向けた。や、当たり前のように言われても見たってわからないから。
「……ええと、これは『ネクロノミコン』のラテン語版なの。この間見かけて、面白そうだったから一度じっくり読んでみたいと思っていたのよ」
「根黒の未婚? ど、どんな本だろ」
聞きたくないのについ言ってしまった。
「古い、魔道書なの」
なんだか嬉しそうに志摩子さんは言った。禁断の知識がいっぱいな本らしいけど。読書家だから本のことを話すのが嬉しいのだろうか。
「魔道書?」
「ええ」
にっこり。何故かひときわ嬉しそうだ。
「あ、じゃあ祥子さまを探す魔法とかないかな」
なんとなく冷や汗をかきながら祐巳は言ってみる。正直、自分でも微妙な提案だと思った。
「そういう、平和的な知識は無いと思うのだけれど、何か試してみましょうか?
………探す……むしろ呼び寄せる?」
ぱらぱらと本をめくって目を通した志摩子さんは奇妙な言葉を呟きだした。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅる……」
「い、いや、いい! やっぱりいい!!」
猛烈に嫌な予感がして、祐巳は慌てて志摩子さんを止めた。粘っこい空気がまとわりついてきたような気がして、おぞけをふるう。
「そう?」
なにやら残念そうな志摩子さんだが、いったい何を呼び出す気だったのか。祥子さまは邪神じゃないんだから。……たぶん。そもそも敬虔なクリスチャンが邪神なんか呼び出していいのか?
そしてまだ諦めきれないのか志摩子さんは。
「でも、聞いた話だと、なにか変わった生き物が見られるかもしれないそうよ?」
いや、それは間違ってはいないかもしれないが………、誰に何を聞いたのか、祐巳は問い詰めたい気分でいっぱだった。わくわくするわね。とでも言いたげな志摩子さんの様子から、見ただけで発狂しそうな異質で異形の生命体を嬉しそうに撫でている志摩子さんの姿を思い浮かべて、祐巳は眩暈を覚えた。
「とにかくそれは止めておこうよ。ほら、図書室の中に生き物はまずいし、今は祥子さまを探すのが先だし」
「そうだったわね。ごめんなさい」
こうして、祐巳が人知れず世界の危機を救っていたころ、祥子さまはのんきに眠りこけていたというが、それはまあ今回は別の話である。
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とある時間のとある場所。ここは「泉の森」と呼ばれる美しい森です。
森の木こりの祐巳ちゃんは、今日もお仕事へ行くために泉の横を通っていました。
「よさぁ〜くはぁ〜木ぃ〜を〜切るぅ〜♪」
・・・・・・・・与作かよ。
「ミザルーのほうが良かった?」
・・・何でK−1のピーターアーツ入場曲・・・・・・確かにランバージャックって呼ばれてるけども・・・
「ツッコミ多いなぁ」
ネタが判りにくいんだって。もう与作で良いから。
「へいへいほ〜♪へいへい・・・・・・あっ!」
調子に乗って歌いながら歩いていると、斧をぶら下げているベルトが切れて、泉の中に斧を落としてしまいました。
「うわ、どうしよう・・・大事な商売道具が・・・」
祐巳ちゃんがどうやって斧を取り戻そうかと悩んでいると、泉の中から三つ編みの見た目は可憐な女神様が現れました。
「・・・・・・“見た目は”可憐なって、どーゆー意味よ」
話が進まないんでスルーして下さい、青信号の女神さま。
「ちっ・・・後で決着つけてやるからね。・・・・・・あなたが落としたのは金の斧ですか?それとも銀の斧ですか?」
金の斧と銀の斧を持ち、女神様は祐巳ちゃんに問いかけました。しかし祐巳ちゃんは問いかけに答えず、イキナリ泉に突入すると、女神様へ向かって一直線に歩き出しました。
「え?ちょ・・・何?・・・きゃぁぁあ!」
突然の事に驚く女神様を抱き抱え、祐巳ちゃんは水辺へと引き返します。そして陸地に到着すると、こんな事を言い出しました。
「だめじゃない!こんな寒い時期にそんな薄着で泉に入っちゃあ!風邪ひくよ?」
言い忘れましたが、設定では今秋なのでした。
「薄着って・・・女神様らしく薄絹のドレスにしたんだってば。てゆーか泉から突然現れたんだから、少しは驚いてよ」
「えっと・・・たしかリュックの中に予備の上着が・・・」
「聞けよ!人の話をよ!」
女神様の話などお構いなしに、祐巳ちゃんはリュックの中を漁っています。
「あ、あった!私のセーターだけど良かったら・・・」
「いいから話を聞きなさい!」
ドレスの上から厚手のセーターという若干マヌケな格好にさせられそうな女神様は、祐巳ちゃんの頭をガッシリつかむと強引に自分のほうに祐巳ちゃんの顔を向けました。
「・・・ああ、ごめんなさい」
祐巳ちゃんの言葉に女神様はやっと話が進むと思い、用意していたセリフを言います。
「あなたが落としたのは・・・」
「何でこの寒いのに泉になんか入ってたの?私で良かったら話を聞くよ?」
「誰が身の上話を聞けと言ったぁ!!」
女神様はもう血管が切れそうです。
「私じゃあ助けにならないかも知れないけど、話をするだけでも気が楽に・・・」
「あなたが落としたのは金の斧ですか?!それとも銀の斧ですか!!」
どうやら女神様は、あまりにも話が進まないので強引に続ける事にしたようです。祐巳ちゃんに二本の斧を突きつけると力の限りそう叫びました。はたから見ると、まるで斧で襲い掛かる殺人鬼のようです。
「誰が殺人鬼だコラァ!!」
斧二刀流で少女に襲い掛かってるあなたがです。
しかし、肝心の祐巳ちゃんは斧に視線を向けたものの反応がありません。
「・・・・・・・・・」
「・・・あれ?ちょっと聞いてる?もしもーし!」
無言で斧を見つめる祐巳ちゃんの顔の前で、女神様はひらひらと手を振ってみました。
すると突然、祐巳ちゃんは女神様の手をがっしとつかみ、こんな事を言い出しました。
「判った。一緒に警察に行こう?」
「・・・・・・・・・・・・・はい?」
女神様は祐巳ちゃんの言ってる意味が判らず首をかしげます。
「誰でも魔がさす時はあるよ。一緒に行ってあげるから素直に斧返して謝ろう?」
「コレは盗品じゃねぇぇぇぇ!!」
なんかもうすでに女神とは思えない言動で女神様は祐巳ちゃんの胸倉をつかみ、がっくんがっくん揺さぶりながら叫びました。
いきなり胸倉をつかまれてビックリした祐巳ちゃんでしたが、気を取り直して女神様に聞きます。
「え?コレを思わず盗んじゃって、事の重大さに気付いて怖くなって身投げしようとしてたんじゃないの?」
「小心者の犯罪者か私は!コレは私が出したの!」
「“出した”って・・・警察でそんな事言ったら精神鑑定されちゃうよ?」
「サイコさんでもない!!め・が・み!!私は女神様なの!!さっきからナレーションでしつこいくらい繰り返してるでしょうが!!」
「・・・女神様?」
「そうよ!女神!!ゴッデス!!G・O・D・D・E・S・S、GODDESS!!りぴーとあふたーみー!ゴッデス!!」
祐巳ちゃんはふいに優しい笑顔でこう言いました。
「うん、そうだね、そういう事にしとこうか」
「哀れんだ顔で言うなぁぁぁぁ!!」
どう言っても自分の話を聞いてくれず、挙句の果てには可哀そうな人扱いしてくる祐巳ちゃんに、女神様は頭を抱えて絶叫しました。
「いったいどうしたら・・・・・・そうだ!」
女神様は何か思いついたようです。
「ちょっとコレを見なさい」
祐巳ちゃんに自分の手を注目させると、何も無い空中から美しい黄色の薔薇を取り出して見せました。祐巳ちゃんは驚いてこう言いました。
「うわぁ、手品上手いんだねぇ」
「手品ーにゃ!・・・って違う!!じゃあ、あなたの言うとおりの物を出してあげるからリクエストしないさい!」
女神様は律儀に乗りツッコミをした後に祐巳ちゃんに今ここで出して欲しい物を言うように指示しました。
「ん〜と・・・じゃあ、インド象」
「またヤケにでっかい物を・・・良いわ、ホラ!」
女神様はリクエストに答えてインド象を出現させました。
「わぁ!本物のインド象だぁ!この耳の大きさはアフリカ象じゃなくインド象に間違いないわ!」
「ヤケにマニアックねあなた。普通インド象とアフリカ象の見分けなんてつかないわよ。それはそうと、これで信じる気になったでしょう?」
「うわぁ・・・つぶらな瞳がカワイイ!」
「だから話を聞けっつーの」
女神様は象に夢中な祐巳ちゃんの後頭部にツッコミを入れました。
「痛っ!何するのよイキナリ!」
「・・・あなた通知表に“人の話を良く聞かない”とか書かれたクチでしょう」
「な、何でその事を?!もしかしてエスパー?」
「見たまんまじゃない・・・てゆーかエスパーじゃなくて女神だってば」
「・・・・・・本物なんだぁ・・・へぇ〜」
今度こそ素直な驚きを顔に表した祐巳ちゃんに、女神様は満足します。
「じゃあ、話を元に戻すわよ。あなたが落としたのは金の斧ですか?それとも銀の斧ですか?」
「いや、私が落としたのは普通の鉄の斧だよ?」
やっと台本どおり進み始めたので、女神様は上機嫌です。
「あなたは正直者ですね。褒美に金の斧と銀の斧も差し上げましょう」
女神様にそう言われ、祐巳ちゃんは斧を受け取りました。
しかし、金の斧を持ったまま何か考え込んでいます。そして、金の斧と銀の斧を軽く振ってみた後こう言いました。
「いらない」
「何でよ?!」
女神様は思わず祐巳ちゃんの胸倉をつかんで問い詰めました。
「・・・だって・・・重すぎて使えないもの」
「誰がこれで仕事しろって言ったのよ!」
「それにモース硬度2,5くらいの金や銀じゃあ木は切れないと思うな」
「そんな細かい事はどうだって良いんじゃぁぁぁぁ!!良い?これはご褒美!ギフト!正直な人間には必ず良い結果が待っているという訓話的な話よ!だいたい金の斧持ってるなら木こりしなくても生活できるでしょ?!」
血の涙を流さんばかりの魂の叫びを放つ女神様を見て、祐巳ちゃんは問い返します。
「・・・ご褒美?」
「そうよ!」
「・・・・・・ご褒美ならシュークリーム一年分とかのほうが良いなぁ」
「私の斧はシュークリーム以下かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
その後、女神様は二度と泉に落ちてきた斧を拾わなくなったそうな。
【No:436】 『月の光の下で眼鏡を取った蔦子さん』 (無印)、
【No:471】 『気をつけて寒すぎる冬の一日は』 (いばらの森)、
【No:481】 『ダンス・イン・ザ・タイトロープ』 (ロサ・カニーナ)、
【No:889】 『麗しき夢は覚め私に出来ること』 (ウァレンティーヌスの贈り物〔前編〕)、
と同じ世界観ですが、単独でもご賞味いただけます。
原作『マリア様がみてる --黄薔薇革命--』 を読了後、ご覧下さい。
◆◆◆
カシャリ。
天に蒼穹。 地に黄金の絨毯。 妹が呼びかけ、姉が微笑んんでふり返る。
初々しい二人の写真が、私のコレクションにまた一枚加わった。
タイトルはどうしよう。 『はじめての”お姉さま”』 かな?
またきっと祐巳さんは食いついて来るだろう。 ふふふ。
黄薔薇革命とやらから1ヶ月とすこし。 結局あれは、見失ってしまった2人の距離を測り直すための、再出発の儀式だったようだ。 真相を知ってしまえば、成る程と思う節が無くも無い。
由乃さんとは過去に2回、都合4年ほど級友だった事がある。
いく度か見かけた発作のとき、彼女は苦しい表情の中に悔しさ、
苦々しさを滲ませている事があった。
あれは大抵、誰かのお世話になって保健室に行こうと
言う時だったような気がする。
むしろ令さまが駆けつけたときなどは、奇麗に感情を拭い去って、
健気に痛々しく微笑んでさえいたっけ。
色々と複雑なものをお抱えのようで。 と、思ったのを覚えている。
私はかつて苛められ子だったから、人の表情を読み取るのに長けている。 そうでなくては生き残れなかったから。 リリアン娘といえど、幼稚舎にいるのは只の幼女。 無知で無垢で、そして残酷な。 彼女たちは異分子を見つけると徹底的に排除する。 自分たちの居心地の良い環境を整えるために。 今にして思えば、それは生物として間違ってはいないし、当時は辛かったけれど、もう良い思い出になってしまった。 何よりそこで、祐巳さんと出会えたし。
由乃さんはそんな私にとって、苛めて来るでもない、
ただの病弱な少女でしかなく。
初等部の倶楽部活動で写真を撮り始めてからは、
『薄幸の美少女』 というお題の被写体でしかなかった。
とは言え、今の今までそのタイトルでは巧く撮れた試しが無かったのだが。
私にとって、ポートレートというのは被写体の内面まで写しこんでこそ意味があると思っている。
昔は、由乃さんの内面まで切り取れた、という
手ごたえのある写真に限って、現像してみるとなにやら
違和感を覚えるものしか出来なかったのだ。 …そう。
例えて言えば 『レースのリボンを頭に飾った高倉健』 と言うか
『血まみれの長ドスをもったテイタム・オニール』 と言うか。
あくまで印象が、だけれども。
ともかく巧く撮れたと思った美少女が、なにやら
怪獣でも写りこんでいるように妙に迫力を感じて、
自分の腕の悪さにがっかりしたものだ。
だが、ほんの数日前に撮影した 『黄薔薇革命--決着編--』 と呼ぶべきこの一枚を見ると、過去の自分は、撮影の能力の方がどうやら間違っていなかったらしい。
再申し込みをしている妹のほうが誇らしげで、申し込まれている姉は苦笑しっぱなしで。 これが彼女たちの真実ならば、かつて間違っていたのは島津由乃に薄幸の美少女を期待した、私の硬直化した常識と言うものだ。
この彼女たちの距離感。
学園祭からこっち、ずっと悩んできた。 祐巳さんとの距離をどうするか。
いっそ、以前と同じようにその他大勢の被写体の中の一人として接しようか。
それとも祥子さまに対抗して、びったり祐巳さんの身辺に張り付こうか。
言ってみれば望遠レンズの距離か、50mmレンズの距離か。
どちらかを選ぼうとしていた。 でも、由乃さんに教えられた。 自分の立ち居地を見失わなければ、自然な距離で居てもいいと。 そう、24mm〜120mmズームレンズのような。
祐巳さんが好きだと言うこの気持ちと、ちゃんと向き合って決着をつけられるまでは。
普通の距離で、彼女を撮り続けよう。
マリアさまの心のような、蒼い蒼いそら。
黄色い公孫樹の落ち葉を踏みしめながら、蔦子は武道館に向かった。
いつものライフワークのために。
そんな彼女を、マリア様だけが見ていた。
------------------------
って、そうそう。マリア様。
あの白薔薇さま。 なんか同類の匂いがプンプンするんですけど。
もしかして祐巳さんを狙ったりしてませんか?
ちゃんと守護してくださいね。 あなたの子羊を。
「ごっきげんよう」
「ごきげんよう、三奈子さま」
「真美はいるかしら」
「いえ、ちょうど取材中です」
「そう。……………ときに、日出実さん」
「はい」
「先だっての茶話会で、参加者として取材するのが不満だったそうね」
「だ、誰がそんなことを?」
「真美から聞いたのよ♪」
「!」
「わたしはあの娘の判断は正しかったと思うわよ」
「別にお姉さまが間違ってるなんていうつもりありません」
「ふふ。じゃ、どんな…」
「何いってるんですか、お姉さま」
「あら、帰ってきたのね」「お姉さま」
「日出実にかまうのはやめてください」
「かわいい孫のことを気にするのは当然じゃないの」
「大体、あのときのことは…」
「お姉さまは口を出さないでください。これはわたしと三奈子さまの問題です」
「日出実…」
「あら、いいのかしら?日出実ちゃん」
「お姉さまの話なら二人のときにきいたらいいじゃないですか。大体、三奈子さまは、去年の三奈子さまのふるまいで取材にどれだけ支障が出て、お姉さまが心を痛めているかご存知なんですか?」
「そうだったの?真美」
「え、いや、それは…」
「だから、そこでお姉さまに聞くのは卑怯です」
「ふう…」
ため息をつくと真美は、現在リリアン中の同様の事態の原因たる今回の記事へと目が向いてしまった。
『黄薔薇のつぼみ奮闘記〜妹(予定)をこうしてゲットした』
「まさか、三年生のほうが食いつくなんて…」
「祥子お姉さまの意地悪ー」
折しも、風の運んできた叫び声をききながら、
「三年生が一年生に甘いって伝統もこれで終わりかな…」
そんな考えにふけるのだった。
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山口真美は新聞部へと急いでいた。
(一面は“各運動部の次期ホープ特集”で良いわね)
頭の中で特に眼を引きそうな次期ホープの写真とインタビューをリリアン瓦版にレイアウトしてゆく。
(それにしても、あの細川可南子さんがねぇ・・・人間、変われば変わるものね)
バスケ部以外にも写真付きで数人、そしてインタビューのみでも数人。頭の中のレイアウトが次第に明確な形になってゆく。
(その下に“風邪の予防法あれこれ”でも持ってきて・・・)
そんな事を考えているうちに新聞部の部室へとたどり着き、真美は無意識にドアを開けた。
カラカラカラカラ
「お帰りなさいませ、ご主人さま」
カラカラカラカラ ピシャン!
(・・・・・・・・・・・・・・え〜と)
思わず扉を閉じた真美は今見たシーンを頭の中で整理する。
(今、メイドがいた?新聞部の部室に?)
真美は何かの見間違いかと思い、再びドアを開けた。
カラカラカラカラ
「お帰りなさいませ、ご主人さま」
ガラガラガラガラ ビシャン!!
今度は謎のメイドと目が合った。
(・・・・・・・・・・・・日出美?!)
そう、部室にいたメイドは真美の妹、高知日出美だった。シックな感じの黒いメイド服に白のシンプルなエプロン。髪はカチューシャでまとめていた。
真美は深呼吸を一つし、もう一度部室のドアを開ける。
カラカラカラカラ
「おかえ・・・」
「何してるの?日出美」
今度は声を出せた。すると日出美はちょっと照れ臭そうにはにかみながらこう言った。
「私、何かおね・・・ご主人さまのお役に立ちたいと思って。でも何をすれば良いのか悩んでいた時に、三奈子さまにアドバイスを頂きまして・・・」
(・・・あの人はホントにもう!・・・・・・どうしてこう次から次へと騒動の種を撒き散らすのかしら?)
真美は頭を抱えた。ふと部室を見渡すと、「私達には三奈子さまを止められませんでした」とでも言いたそうな申し訳無さそうな顔の一年生と「普段冷静な真美さんはこんな時どんなリアクションを取るのかしら?」と興味津々な顔の二年生がこちらの様子を伺っていた。
(まったくどいつもこいつも・・・・・・お姉さまの思うツボじゃないのよ!)
不機嫌な表情になる真美を見て、日出美が不安そうに聞いてくる。
「あの・・・去年はおね・・・ご主人さまもこうしたと聞いたのですが・・・・・・」
少し怯えたような表情で、上目使いに聞いてくる日出美を見て、真美の動きが一瞬止まる。
(うわ可愛い・・・じゃなくて!)
ちょっと心を奪われかけた真美だが、はっと我に帰り窓の外をにらむ。
部室の窓から数メートル離れた樹上に、光の点が五つ輝いていた。
(メガネとレンズと双眼鏡ってところね・・・)
「ああんもう!日出美ちゃんたら押しが足りないわね」
「三奈子さま、良くメイド服なんて持ってましたね」
真美の見立てどおり、樹上にはカメラをかまえた蔦子と双眼鏡を覗く三奈子がいた。
「いつか真美に着せようと思ってたんだけどね。あの子、断固拒否するんだもん!せっかく二人で着ようと思って買ってきたのに・・・」
そう言いながら、傍らに置いた紙袋の中からもう一つのメイド服を取り出す。
「それは是非撮ってみたかったですね」
「でしょう?きっと真美に良く似合うはずなのに」
三奈子は服をしまい、耳に着けたイヤホンをいじっている。
「・・・・・・それは?」
「部室に仕掛けた盗聴器。FM波で音を飛ばすタイプの」
「どこからそんなモノを・・・」
「細川可南子ちゃんが『もういりませんから』って」
「ホントにストーカーだったんだなぁ、あの子」
蔦子が冷や汗を流している横で、三奈子の表情が厳しくなる。
「あら、日出美ちゃんたら、私の名前出しちゃったのね」
「・・・マズくないですか?」
「真美は今更こんな事で切れる子じゃないわ。色々と鍛えたからね」
「・・・どんな鍛え方だったかは、あえて聞きませんよ」
蔦子は心の中で真美に合掌した。
蔦子に密かに同情されているとは思ってもいない真美は、内心溜息をついていた。
(まったく・・・日出美もこんなに簡単に騙されるなんて)
真美は次期編集長としてどうすべきかを決めた。
(ここは一つ、厳しく接して部員にも喝を入れなきゃ)
可愛い妹だが、可愛いからこそ時には怒って正しい方向に導かねばならない。真美は毅然とした態度で日出美に声をかけた。
「日出美」
「なんでしょう?ご主人さま」
ボールを投げてくれるのを待つ子犬のようなキラキラした目で見つめてくる日出美に、真美はキッパリとこう言い放った。
「・・・とりあえず紅茶を入れてくれるかしら?」
「かしこまりました!」
どうやら真美は、自分に向けられる日出美の純粋な瞳のせいで、ダメな方向へ一歩踏み出してしまったようだ。
いままで見せた事もないような締まりの無い真美の顔に、事の成り行きをうかがっていた新聞部員達は一斉に引いている。まさかあの真美がこんなにもあっけなく壊れるなんて予想もしてなかったから無理も無かったが。
「紅茶です。ご主人さま」
「ありがとう。飲ませてくれるかしら?」
「はい、ご主人さま」
「ちゃんと冷ましてからね?」
「はい、ご主人さま」
真剣な顔で「ふーっ、ふーっ」と紅茶を冷まし始めた日出美を見る真美の鼻から、一筋の血が垂れていた。
締まりの無い満面の笑み(鼻血付き)で日出美を見つめる真美に何か危険なモノを感じ取った新聞部員達は、一人また一人と部室から逃げ出していった。
「おお、意外な展開ね。あの真美さんがメイドにご満悦だわ。しかも鼻血垂らしてるし」
蔦子は夢中でシャッターを切りまくっている。
「三奈子さま、中ではどんな会話が展開されてるんですか?」
「・・・・・・・・・・」
「三奈子さま?」
返事をしない三奈子を不審に思った蔦子がファインダーから目を離して見ると、そこには鬼のような形相の三奈子がいた。つかんだ双眼鏡からミシミシと嫌な音がしている。
蔦子は恐る恐る三奈子に声をかけてみる。
「あの・・・三奈子さま?」
「・・・・・・・・・許せない」
「は?」
「私を差し置いて真美にあんな事を・・・・・・許さん!」
三奈子は双眼鏡を投げ捨てると、樹上からイッキに飛び降りた。両手両足を使い、猫のように音も無く着地する。
「ちょっと?!三奈子さま?」
蔦子の声にも反応せずに、三奈子は紙袋からもう一つのメイド服を取り出すと、部室目がけて全速力で走り出した。
「真美の髪を梳かす役目は私のモノよぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「うわぁ・・・・・・愛され過ぎるのも考え物ね、真美さん」
蔦子は、自らタイを解きながら走り去る三奈子を見送ると、新聞部に向けて合掌した。
そして蔦子はまた新聞部に向けてカメラをかまえる。十数秒後、日出美とは少し違うデザインのメイド服に身を包んだ三奈子が部室に乱入してきた。
濃い紫のメイド服にフリル山盛りのエプロンとヘッドドレス。シンプルでいかにも家事全般を受け持つハウスメイド然とした日出美に対し、やたらゴージャスな印象の三奈子は接客も受け持ついわゆるパーラーメイドであろうか。
窓の外から蔦子が見ていると、いきなり乱入してきた三奈子に真美が慌てている様子が見て取れた。そして、会話は聞こえないが、三奈子に何やら言い含められたらしい真美はおとなしくイスに座り、三奈子に髪を梳かされている。
鼻血は二筋に、つまり両方の穴から垂れ流しだ。
蔦子はフィルムの続く限りシャッターを切り続けた。
「いや〜、面白い写真が撮れたわ。でも真美さんたら、あんなに幸せそうに鼻血垂らしながらメイド姿の姉妹に囲まれて・・・・・・意外とヤバい人だったのね」
「誰がヤバいんですか?」
びくぅっ!!
突然耳元で聞こえてきた声にすくみ上がった蔦子は、恐る恐る声のした方へ振り返る。
「・・・・・・笙子ちゃん?」
「はい」
蔦子の後ろの枝の上で微笑んでいたのは、最近蔦子と行動を共にする事の多い笙子であった。
「いつの間に・・・・・・」
「最初からいましたよ?」
「最初からって・・・・・・気配すら無かったのに・・・」
「だって、自然な姿の蔦子さまを見つめていたかったんですもの」
きゃっ!恥ずかしい!などと言いつつ照れる笙子を、蔦子は宇宙人でも見るような目で見ていた。
「いつの間にそんな隠密行動ができるように・・・」
「可南子さんから教わりました」
「・・・・・・・・・またアイツか」
がっくりと肩を落す蔦子の肩に、笙子の手がポンと置かれた。
「ときに蔦子さま。蔦子さまはメイド服に興味はおありですか?」
期待に満ちた顔でそんな事を言う笙子の手には、なにやら紙袋が握られていた。
「いや、私は・・・」
そう言って蔦子は枝伝いに一歩下がろうとしたが、笙子の手がしっかりと食い込んでいてピクリとも動けなかった。そして笙子は蔦子を片手一本で木の幹に押し付けると、蔦子に顔を近づけて再びこう聞いてきた。
「メイド服に興味はおありですか?」
笙子の顔は笑顔だったが、目はひとつも笑っていなかった。むしろ爛々と輝いている。
(・・・・・・ここにも一人いたよ。ヤバい人)
退路を絶たれた蔦子は愛想笑いを、ついでに背中に冷や汗を浮かべる事しかできなかった。
この日、蔦子はリリアン入学以来初めて「助けてマリアさま」と心から祈ったという。
その祈りがマリアさまに届いたかどうかは定かではない。
「あれ? 由乃さん?」
「祐巳さん? うわー、偶然ね!」
夏休みの終わりにK駅前の自然公園で開かれる夏祭り。
祥子さまと二人でお祭りに参加した祐巳は、偶然にも公園の入り口で由乃さんと令さまに出会った。
「ごきげんよう、令」
「ごきげんよう、祥子。祥子がこんなところに来るなんて珍しいじゃない?」
「それを言うならあなたこそ。浴衣姿なんて初めて見たわ。中々似合っているじゃない」
「そう? 久しぶりだったから、ちょっと不安だったけど」
照れ笑いを浮かべている令さまはなんかちょっと可愛い。由乃さんも同じく浴衣姿。祐巳も浴衣を着てくれば良かった、と後悔する。
「今日で夏休みも終わりだし、きっと色々な人が来ているんじゃない?」
せっかくなので一緒に回ることにして、屋台の並んだ道をぶらぶら歩きながら、由乃さんが言う。
「なにしろ祐巳さんでさえ来ているんだものね」
「え? それってどういう意味?」
「てっきり宿題が終わらずに泣いてるかと思ってた」
「うわ、酷いなぁ」
由乃さんの中々鋭い指摘に祐巳は苦笑する。実は由乃さんの看過した通り、宿題が終わったのは今日のお昼だったりするのだけど、それは秘密にしておこう。
「噂をすればなんとやらね。志摩子たちがいる」
祐巳たちの会話を聞いていた令さまが、ちょっと驚いたように言った。
「え、どこどこ?」
「もうちょっと先。りんご飴覗いてる」
さすが、頭一つ分群集から飛び出ている令さまは視界良好だ。令さまの言う通り、程なくして見えてきたりんご飴の屋台に、志摩子さんと乃梨子ちゃんがいた。
「志摩子さん、頑張って。じゃんけんで次も勝ったら、32本だよ!」
「く……お嬢ちゃん、なかなかやるじゃねーか。しかし俺も屋台村のじゃんけん王と呼ばれた男! 6連敗はしねぇぜ!」
祐巳たちが近づいてみると、屋台のおじちゃんが汗まみれの顔で「うおおー!」と気合いを入れていた。
『じゃんけんでバイバイゲーム!』と書かれたその屋台では、じゃんけんで勝てば二本、もう一度勝てば四本、更に勝てば八本と、もらえる本数が倍になって行くルールになっていた。
「乃梨子ちゃん、ごきげんよう」
「え? あ、皆さん。ごきげんよう」
由乃さんが声を掛けると乃梨子ちゃんがちょっと驚いたような顔で振り向いた。
「ねぇねぇ、何してるの?」
「ご覧の通り、お姉さまが記録を更新中です」
言われて祐巳たちは志摩子さんを見た。
「いくぜ、嬢ちゃん!」
「(こくこく)」
「じゃーんけーん……ぽい! っぐああああああああっ!」
志摩子さんがぐー、おじさんがちょき。おじさんは頭を抱えて仰け反った。
「バカな……生涯成績8割の勝率を誇る俺様が、6連敗だと……!?」
だらだらと汗を流しているおじさんは、なんかちょっと可哀想だった。志摩子さんも困っているようだ。
「く……しかし、このじゃんけんの辰に二言はねぇ! 持って行け、お嬢ちゃん!」
おじちゃんがぐいと差し出したりんご飴16本を、志摩子さんは困ったように受け取る。既に両手はりんご飴でいっぱい。それどころか志摩子さんの口からは割り箸が8本生えている。ぷっくり膨らんだ頬を見るに、持ちきれないりんご飴8本を、頬張っているのだろう。ちょっと涙目だ。
「さぁ、お嬢ちゃん。次の勝負と行こうじゃないか」
ゆらり、と背中に炎をまとわせておじちゃん――じゃんけんの辰さんが言う。志摩子さんはふるふると首を振ったが、辰さんは聞いていなかった。
「へへへ……俺をここまで追い詰めたのは、ぶち込みのサクラ以来だぜ。だがサクラも7連勝は出来なかった。次の32本勝負に負ければ、俺にはもう今日の商売ダネがねぇ。追い込まれた男の執念、見せてやるぜ……」
ぐっと腰を落とす辰さん。
「行くぞ! じゃーんけーん……ぽん!」
ズザッ!!
合図と共に志摩子さんがバッと浴衣をはだけて両足を開いた。
「あれは……足じゃんけん!?」
何故か由乃さんが驚いたように言う。別に驚くようなものでもないと思うから、多分、ただのノリで驚いたんだと思う。
「ば、バカ、な……」
ぐっと拳を握った辰さんが崩れ落ちる。両足を広げた志摩子さんはパー。志摩子さんの勝利だった。
「へ、へへへ……世界は、広いな。俺もまだ、若造だったということか……」
辰さんが屋台に並んだりんご飴をかき集め、志摩子さんに差し出した。
「持って行け。そして――俺の屍を越えてゆけ!」
志摩子さんがすっごく嫌そうに首を振った。
「結局、みんな揃っちゃったねー」
志摩子さんからりんご飴を分けてもらった祐巳は上機嫌に総勢6人となった一行を見回した。
「こういうのって嬉しいよね。待ち合わせしたわけでもないのに、一緒になるなんて」
「この分だともっと増えてもおかしくないんじゃない?」
由乃さんがきょろきょろと辺りを見回す。
「でもこの人ごみじゃあ、そうそう見付からないんじゃないかな?」
首を傾げた祐巳だが、その直後、いきなり背後からガバッと誰かに抱きつかれた。
「――ひぃあ!?」
「わー、祐巳ちゃんだー! 祐巳ちゃん発見ー」
ぐりぐりと後ろから頭をこすり付けてくる人物の声に祐巳は心当たりがあった。
「せ、聖さま?」
「当た〜り〜♪」
聖さまに解放されて振り向いた祐巳はびっくりした。聖さまの後ろには、苦笑している蓉子さまと江利子さままでがいたのだ。
「祐巳ちゃん、偶然だねー。これはもはや運命? 結婚する?」
「遠慮しておきます」
今度は正面から抱きついてくる聖さまを両手で突っぱねる。蓉子さまがこつんと聖さまの頭を叩き、祐巳を助けてくれた。
「その辺になさい。――みんな、久しぶりね」
「お姉さま、お久しぶりです」
祥子さまが蓉子さまに、令さまが江利子さまに嬉しそうに挨拶をしている。ちょっと由乃さんが不満そうだ。
ちなみに志摩子さんはりんご飴の消費に忙しそうだし、聖さまは祐巳にばかり構ってくる。この二人は相変わらずのようだ。
「お、おおおっ!? な、何この豪華なメンバーは!?」
そこにいきなり驚きの声と共に、パシャッとフラッシュが焚かれる。
「蔦子さん! それに真美さんまで」
「ごきげんよう、祐巳さん、偶然ね。向こうに三奈子さまもいるよ」
くい、と蔦子さんが指差した先には、江利子さまと蓉子さまに挨拶している三奈子さまがいた。
「なんかもう、偶然もありがたみがなくなってきたわねー。一体どれだけのリリアン生がいるのよ!?」
ついに12人に膨らんだ集団に由乃さんが何故か怒ったように言う。
確かに最初は驚いたけど、ここまで来るともう「なんでもアリ」って感じがしてくる。
「あれ? 祐巳さまじゃないですか?」
「ん? ああ、瞳子ちゃん。ごきげんよう」
なので、ひょっこり人ごみから瞳子ちゃんが二人の子と現れても、祐巳は全然驚かなかった。
「な、なんですか、そのどこか呆れたような顔は! 偶然会ったのに、その反応はないんじゃありませんの!?」
「あ、ごめんごめん。驚いてるよ。わー、瞳子ちゃんだびっくりだー」
「全然驚いてないじゃないですかっ!」
瞳子ちゃんが縦ロールをぶるるんと震わせて怒った。
「まーまー。はい、りんご飴あげるから」
「――りんご飴くらいじゃ誤魔化されませんわ」
と言いつつ、瞳子ちゃんはりんご飴を受け取って機嫌を直したのか、同行していた二人――敦子さんと美幸さんを紹介してくれた。
ついにこれで15人の大集団。これだけの集団が道の真ん中に立ち止まっていたら邪魔でしょうがない。ひとまず櫓のある広場へ移動することにした。
「この分だと、更に増えるんじゃないかしら? 他に来そうな人っている?」
由乃さんが指折り数えながら聞いてくる。
「んー……どうだろう。あ、うちの祐麒が友達と来るって行ってたから、会うかも」
「祐麒くんか。そうすると……来るかな、あの人」
「う……そうか。祐麒には会いたくないかも」
げっそりと呟いた祐巳だけど、程なくして聞きなれた「おーい、祐巳ー!」という声に呼び止められた。
「祐巳、偶然じゃん」
「あー……祐麒。うん、そうだね。偶然だね」
「? なんかあったか?」
訝る祐麒の後ろには、祥子さまの別荘に行った時に出会った花寺の面々がいた。小林くんに確か――日光・月光さん。
「やあ、祐巳ちゃん、さっちゃん。久しぶりだね」
そしてもちろん、柏木さんも。
普段なら嫌がるところだけど、なんかもう別に良いや、と祐巳は思った。祥子さまも同様なのか、柏木さんに溜息混じりの挨拶をしただけで、無視を決め込んでいる。
公園に到着した時は祥子さまと二人きりだったのに、広場に到着した時には、総勢20人の大集団。いくら夏休み最後のお祭りとはいえ、みんな参加しすぎである。
まぁ、祐巳も他人のことは言えないんだけど。
「祐巳と二人でゆっくり回ろうと思っていたのに――なんだか、騒がしくなっちゃったわね」
広場に到着したところで、祥子さまが笑いながら話しかけてきた。
「う……すいません……」
「あら、祐巳が謝ることではないわよ。それに、これはこれでなんだか楽しいじゃない? 祐巳と二人というのも良いけれど、偶にはこういう騒々しいのも良いわ」
祥子さまにそう言ってもらえると、祐巳としてはちょっと安堵である。一応、今日誘ったのは祐巳だったから。
「よーし、せっかくだし、踊ろう、令ちゃん!」
櫓の周りの踊りの輪を見て、由乃さんが令さまを誘う。
「あら、令は私と踊るのよ、由乃ちゃん」
「あら、令ちゃんは私と来たんです。江利子さまはどうぞ、あそこの屋台でくまのぬいぐるみでも当てて一緒に踊っててください。って言うか、振られでもしましたか? くまさんに」
「……言ってくれるわね。良いわ、由乃ちゃん、踊りで勝負よ!」
「望むところです!」
「え……? 由乃? お姉さま? わ、私は……!?」
踊りの輪に突進した由乃さんと江利子さまに、取り残された令さまがちょっと哀れだった。
気付けば、志摩子さんと乃梨子ちゃんも踊りの輪に加わっていたし、聖さまが「それじゃあまり物同士で」と蓉子さまの手を引いている。瞳子ちゃんたち三人も仲良く踊りの輪に溶け込んでいたし、祐麒は――祐麒は、なんか柏木さんにズルズル引きずられて行ってしまったけど、とりあえず見なかったことにしよう。
「――私たちも踊りましょうか?」
「そうですね」
祥子さまが差し出した手を握り返して、祐巳は笑った。
夏の終わりの夏祭り。
祥子さまと二人きりでの思い出にはならなかったけど、それ以上に賑やかで騒々しくて楽しい思い出が出来そうだった。
祐巳はそれで良いや、と思う。
だって今夜は、夏の最後を飾るお祭りなのだから。
「え、もう終わりなの?」
広場に到着した彼女は閑散とした櫓周りを見て立ち尽くしていた。
「え? 何? ドッキリ? なんで? なんで私だけ、合流出来ないの!?」
彼女の名前は桂さん。
オチを、ありがとう。
※この記事は削除されました。
これは、作者:水『右手にロザリオゼンマイ駆動【No:374】』『狸の罠にかかったツンデレ【No:455】』『地球は青かった【No:456】』と続く話のラストです。
なるべく上記の話の後にお読みください。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
マリア様の心を思わせるような、真っ青で雲一つ無い晴天が清々しい朝。
まあ、『あの歌』にあまり馴染みの無い乃梨子にそーゆー着想は無いが。
(う〜ん、昨日のはすごかったなぁ……次はいつだろう。 瞳子には悪いんだけど、何だか楽しみにしてる自分がいる……♪)
などと『御心』とは全然関係ない事を考えながら、乃梨子が自分の教室に入ると瞳子は既に来ていた。
乃梨子は「さて、どう慰めたものか」と思案しながら瞳子に近づいたが。
瞳子は愛嬌ある微笑を湛えつつ、お澄ましして机に向かっていた。 何か楽しそうにノートにシャーペンを走らせてる。
そのうえ時おり思い出したように、クスクスと笑ったりもしていて。
(あれ? もっと落ち込んでると思ってたのに……えっ? まさか、とうとう本気で!?)
――――破局……!?
その考えに俄かに危機を覚え、乃梨子は慌てて瞳子に声を掛けた。
「瞳子! あんた大丈夫なの!?」
「あら、乃梨子さん。 ごきげんよう、気持ちの良い朝ですわね」
乃梨子の勢いに関係無く、親友はのんびりとした調子で眩いばかりの笑顔を振りまいてくる。
(こ、これは相当まずいのかも――!?)
乃梨子は心の底から焦りを感じ、瞳子に詰め寄った。
「ごきげんようって、何そんな呑気な事言ってんの!? どうしたの?……あんた昨日の事怒ってる筈だよね? まさか祐巳さまの事諦めたって言わないよね? そんなのって――」
「まあ、乃梨子さんはしたないですわよ。 そんな大きな声を出されなくても。 周りの方のご迷惑にもなりますからもう少しお静かに」
それでも瞳子はサラリとかわし、穏やかに諭してきた。 見ると確かに周りの注目が集まり始めている。 しかたなく乃梨子は声音を下げた。
「だって……あんたの様子が普通じゃないから……」
「もう良いのです、おね、いえ祐巳さまとの事は。 そうですわね……話せば長くなりますので、この続きはお昼休みに致しませんこと。 他人の目もございますし」
「なっ? ま、まだ時間はあるよっ、他人の目だってそんなの――」
乃梨子は再び声を荒げそうになるが、その焦る心を宥めようかと瞳子はあくまで優しい口調で語る。
「お願い致しますわ、ね、乃梨子さん。 後で二人きりで話しましょう?」
「私は……」
「瞳子は大丈夫ですから。 心配要りませんわ」
ニッコリと天使のように微笑む瞳子のまなざしに、何の躊躇いも見えなくて。
(……今は駄目、か……)
乃梨子は引き下がらざるを得なかった。
「うん……分かったよ、けど、絶対早まった真似はしないって私と約束して」
「勿論、約束致しますわ。 さてと、私、今日数学が当たりますので用意をしなくてはなりませんの、もうよろしいですわよね。 さ、乃梨子さんも」
「あ、うん……ゴメン、邪魔して」
「お気になさらずに。 乃梨子さんのお心は確かに承りましたので」
「そう……」
その後お昼休みが来るまで、乃梨子が授業に集中できる筈も無く。
瞳子は心配ないと言っていたが。
乃梨子がどうしても気になるのは瞳子のあの笑顔。 そこには何の嘘や強がりも見えなかった。
乃梨子は(もう駄目なのかなぁ……)と、ついつい考えてしまい、授業中も瞳子から目が離せなかった。
待ち遠しかった筈のお昼を告げるチャイムの音に、乃梨子の心はギクッと動揺を感じたが、それでも平静を装って瞳子を連れ出した。
クラスメイトに後をつけられぬよう、多少回り道して目的の場所へと二人で向かう。 校舎の屋上へと。
「思ったより寒くないですわね」
瞳子の声を聞きながら辺りを見回すと、予想通り屋上は人気が無い。 冬の寒い時期、屋上でお昼を過ごす物好きはあまり居ないから。 今日は風が無いので当てが外れるかも、と思ってもいたが。
今日の屋上は弱いながらも日差しが心地よい。
なるべく暖かい所を選んで二人並んで腰掛けると、乃梨子は内心の動揺を押さえつけて瞳子に切り出した。
「瞳子、早速話を聞かせて。 ねえ、どう言う事なの?」
乃梨子は出来うる限り静かに問いかけたが。
「乃梨子さん、お話はお弁当を頂いてからに致しませんこと? 瞳子お腹が空いちゃいました」
「瞳子!!」
ここに至ってはぐらかして来る瞳子の様子に乃梨子はカッと頭にきて、瞳子を睨み付けた。
「……ふう、乃梨子さんたら、しょうがないですわね。 分かりました、お話いたしますわ」
「うん、お願い……」
瞳子は観念してくれたようだ。 聞き逃さないように、乃梨子は身を乗り出す。
「乃梨子さんのご心配はありがたいのですが、瞳子たちは大丈夫だったのです」
良く分からない。
「だからどう言う事なのよ」
「簡単な事です、これを頂いたのですわ」
瞳子がサラリとそう言って胸元から取り出した物は。 乃梨子の目には、綺麗なロザリオに見える。
「…………えっ?」
「昨日の放課後、お姉さまから頂いたのです」
(……偽者、じゃ無いの?)
瞳子が言っている事が、乃梨子にはちょっと信じられない。
「瞳子、良かったらもうちょっと良く見せてくれないかな」
「……ええ、良いですわ、乃梨子さんになら」
瞳子が差し出してくるロザリオを乃梨子は恐る恐る手に取って。 見落としが無い物かとじっくりと観察してみるが。 それは。
艶やかな光沢も美しい銀のロザリオ。直線的なシルエットのシンプルなデザイン。
何処にも細工の後など見つけられない。
「えーと……」
今度は指で軽く弾いてみる。キーン。金属の澄んだ音が耳に心地よい。
「……本物だ……」
「ええ、本物ですわよ」
信じられない事に。
「まだ信じられないってお顔ですわね、乃梨子さん」
「だって……」
しょうがないじゃないか。
「まあ仕方が無いですわよね、お姉さまのやりようは相当な物でしたから」
「そうだよね、昨日のなんかとんでもなかったし。 だって、ロケットだよ? 祐巳さまって普段からなに考えてんだろって感じで――」
「……乃梨子さん、そこまで言われます?」
「あっ、ゴ、ゴメン……」
「……ふふっ、許してあげますわ。 実を言うと瞳子も全く同感ですから」
「……だろうね」
それから二人、目と目を見合わせて。 大いに笑いあった。
安心したら急にお腹が空いてきて、二人でお弁当広げた。
「そういや瞳子、今朝私が聞いた時に何で直ぐに教えてくれなかったの。 そんな長い話でもなかったじゃない」
「お分かりになりませんの? 瞳子は乃梨子さんにだけ、まず最初にご報告したかったのですわ。 両親にもまだ言ってないのですのよ」
「そ、そっか……ありがと。 うん、嬉しいよ」
乃梨子は自分の顔が真っ赤になるのを感じた。 瞳子の気持ちがすっごく嬉くて。
「後は乃梨子さんの慌てふためく所が見たかったというのもありますが」
「……おい」
何だそりゃ。
「こうして目を閉じると、乃梨子さんが瞳子を心配なされる姿が浮かんできます」
「あんたね……」
「感激いたしましたわぁ……ああ、二人は親友なのですわね……ほぅ……」
瞳子は両手を胸の前に組んで、ウットリと陶酔しきっている。
「……」
呆れたもんだ。 さっきちょっと感動しちゃった自分が何か情けない。 ちょっと仕返ししてやろう。
「……松平瞳子さん」
「えっ、急になんですの? そんなあらたまって」
瞳子のちょっとビックリといった表情を確認して、乃梨子は心からの感情を込めたセリフを続けた。
「松平瞳子さん、福沢祐巳さまとのスール成立おめでとう。 心から祝福させてもらうわよ」
「あ……」
瞳子は見る間に真っ赤になった。 かわいい。
「瞳子、ロザリオ貰えてホント良かったね、ずっと待ってたもんね。 私もとっても嬉しいな。 クラスでも山百合会でもずっと一緒に頑張ろうね」
「乃梨子さん……あ、ありがとう、ございますぅ……う、うぇ…ぇ…」
乃梨子はそこまでするつもりは無かったんだけど、瞳子は感極まって泣き出してしまった。 こっちまで貰い泣きしちゃうよ。
瞳子が泣き止むまで、乃梨子は肩を抱いてあげた。
泣き止んだ後、気恥ずかしさを誤魔化すかのように、瞳子はこんな事を言い出した。
「あっ、そうですわ。 瞳子にも乃梨子さんのロザリオを見せてくださいませ」
「うん、良いよ。 瞳子になら見せてあげる」
だけど、乃梨子がロザリオを差し出しても瞳子は何故か受け取ろうとはしない。 どう言うつもりなんだろう。
「あの……乃梨子さんはいつになったら瞳子に聞いてくださるの?」
「えっ? ……あっ、えーと……瞳子、祐巳さまからどんな風にロザリオ貰ったの? 良かったら私に聞かせて?」
「ええ、良いですわよ。 乃梨子さんだけには教えて差し上げますわ。 昨日の放課後の事なのですが――」
瞳子ののろけ話がこうして始まった。
そのあとは瞳子と二人、お互いのロザリオや姉を褒めあったり自慢したりして、大いに盛り上がった。
そして。
語り合う二人の傍らでは、絡み合う二つのロザリオが透明な光を湛えていた。
「さ、もう教室に戻ろうか」
乃梨子がロザリオを首に戻そうとすると。
「あ、ちょっとおまちになって。 乃梨子さんのロザリオをもう一度見せていただけます?」
瞳子が止めてきた。
「ん、何?」
「この穴なんです?」
瞳子は『ロザリオ』の中心を指し示した。
えんどれす?
【No:436】 『月の光の下で眼鏡を取った蔦子さん』 (無印)、
【No:463】 『女心と秋の空すなわちそんな一日』 (黄薔薇革命)、
【No:481】 『ダンス・イン・ザ・タイトロープ』 (ロサ・カニーナ)、
【No:889】 『麗しき夢は覚め私に出来ること』 (ウァレンティーヌスの贈り物〔前編〕)、 と同じ世界観ですが、単独でもご賞味いただけます。
原作『マリア様がみてる --いばらの森--』 を読了後、ご覧下さい。
◆◆◆
「どうして?」
靴のスナップを留めながら祐巳が尋ねると、 ……
チュキ、チュキ、チュキ、チュキン
チュキ、チュキ、チュキ、チュキン
チュキ、チュキ、チュキ、チュキン
ああ、好い! ちょっと屈んだその姿。
スクールコートの裾からまぶしく覗くふくらはぎ。
私のほうを上目遣いで見つめる小動物のような瞳。
襟元にちらりと輝くロザリオの鎖。
『靴のスナップを留める女子高生』 このタイトルが
これほど麗しくハマルなんて。 祐巳さん最高ー!
って、落ち着け蔦子。 せっかく祐巳さんとお話しているんだから。
とは言え、桂探偵事務所のチーフから大凡の事を聞いているだけに、
この件には、深入りしにくいものが有るわね。
充分に時間をかけて、祐巳さんの会話を楽しんだ上で、
バックボーン情報だけを伝えたほうがいいかな?
(この間、約3.7秒)
「ちょっと、蔦子さん」
「失礼。ちょっと夢中になっちゃって……。 で、何だっけ?」
さーて、巧く話を転がして、引っ張りまわして
放課後の逢瀬を楽しまなくちゃ。
八方美人の祐巳さんの関心を、いまは私だけが独占しているんだから。
写真にうつるのは嫌いだけど、祐巳さんの瞳の中に自分が映り込んでいるのは、
悪くない。 とても、悪くない感じね。
蔦子は、鼻の下が伸びないように注意しながら、祐巳の腕を取った。
◇◇◇
そうして、蔦子が自分のアンテナ(八木博士謹製)を信じて、2、3歩引いた所から傍観しているうちに。 事件はあっさりと収束に向かったようである。 正直、蔦子にとっては祐巳に被害が及ばなければ、暗躍する意思も必要性も無いのだし。 白薔薇さまがどうなろうとさして気に成らなかったが、優しい祐巳さんの悩み事が減ったのは良い事だと思う。
ストーキング中に 『麺食の風景〜つぼみの妹たち』 とか 『おろし髪の紅薔薇のつぼみの妹』 とか、貴重なショットがいくつも手に入ったし。
おニューのカメラの感触を楽しんで。
これから薔薇の館では、新しいコレクションが増える予定。
祐巳さんと白薔薇さまの仲が、ちょっと親密になったような気もする所が微妙だが、まあ概ね上出来。 やっぱり今回の騒ぎには踏み込まないのが正解だったようだ。
達人は達人を知る。 というけれど。 どうも白薔薇様は私のことに気付いているみたいだ。 藪をつつか無いように気をつけないと、祐巳さんの周りに居られなくなるかもしれない。
兎も角いまは、祐巳さんの傍で写真をたくさん撮れればいい。 そう割り切って人生を楽しもう。
(いつか其れだけで満足できなくなる自分を予感しているが、今はまだ耐えられるから。)
吐く息は白く、空は何所までも高く澄んでいた。
武蔵野の、今日はクリスマス・イブ。
蔦子の預かり知らぬ所で、新しい字(あざな)が付けられた事を知る由も無く。
カメラちゃんは狩猟本能(狩猟煩悩?)の命ずるままに、薔薇の館へと向かうのだった。
スキップをしながら。
ねえ祐巳さん。
気をつけて寒すぎる冬の一日は
人肌が恋しくて、私の狩猟本能を逆に燃え立たせてしまうの。
だからあんまり、コケティッシュなポーズはしないでね。
トトツントントン トトツントン ピーフャラピーフャラドンドンドン おはやしが聞こえる。
祥子は初めて縁日なるものに来た。
なんて楽しいのだろう。お父様と、お母様、そして、私しかいない。
親子水入らずなんてことは初めてだった祥子には、それだけで幸せだった、普通の家庭では至極当たり前のことなのだが。
「ねえ?お父さま、これは何ですの?」
「これは綿菓子といってね、とても甘いお菓子なんだよ。」
「これが、このふわふわした綺麗な物が、 お菓子・・・ おいしいんですの?」
「ああ! とってもおいしいよ。 食べてみるかい?」
「はい!! 食べてみたい!!」 パクリ
「おいしい!!」
「ねえねえ?お母さま、あれは何ですの?」
「これはチョコバナナって言うお菓子なのよ、食べてみる?」
「おいしいんですの?」
「さあ? 私は食べたこと無いけれど、とってもおいしいって、話は聞いたことがあるは。」
「なら、一緒にたべる? お母さま?」
「いいわね!! ふふふ」 パクリ
「おいしい!!」 「あら本当、おいしいわね。」
おいしいね、お母さま、お父さま。
楽しいね、お父さま、お母さま。
トトトン、トトトン、ピーヒャララ
近くで、声が聞こえた。
目を向けると、そこには、だだをこねている青い浴衣を着ている男の子が『金魚、金魚ほしいい〜!!』と駄々をこねていた。
きんぎょ?
「お父さま、金魚ってそんなにすごいものなんですの?」
「う〜ん、すごいかどうかは判らないが、可愛いし、とても気分が和むものなんだよ、祥子も欲しいかい?」
「よく、分かりません。」
「ははは、 そうだね。 それじゃあ、後で覗いてみようか、それも一つの経験だよ?」
「そうですわね、お父さま。」
縁日とは、とても面白い、色んなお店、色んな人、色とりどりの服装、何もかも祥子にとっては新鮮で斬新で見るもの全てが楽しかった、でも、なんといっても、ここには父と、母が一緒に居る、それだけで最高に幸せだった。
お父さまとお母さまの手を引き、色々な出店を廻った、其の時、祥子の目にお揃いのピンクの浴衣に身を着ている一組の姉妹の姿が目に入った。
「お姉ちゃん、ねえ、お父さんは? お母さんはどこ?」もう目にいっぱいに涙を溜め、今にも泣き出しそう。どうやら、迷子のようだ。
「大丈夫!! すぐに見つかるから、ね? だから泣いちゃだめなんだよ? お姉ちゃんが付いているんだから、ね?」
「でも、でも・・・ うわああ〜〜ん!! お父さん、お母さ〜〜ん!!」もうたまらなくなったのか、妹はとうとう泣き出してしまった。
その姿を見ていたお姉も、瞳に涙を溜めている、けど、その涙を一生懸命堪た、妹にこれ以上の不安を与えないように、気丈に振舞っていた。
「ゆうちゃん!! 泣いてたって、お母さんも、お父さんも来ないよ!! だから、ね?行こう?」
祥子はなぜか、その姉妹のことがすごく気になり、お父さまとお母さまの手を離し2人のそばに駆け寄った。
「ねえ? 彼方たちは迷子になってしまったの?」私は声をかけた。髪の毛を頭の両端で結んでいるなんとも可愛らしい女の子だった。
突然の声に少し驚いていたが、 「うん。」 と返事をした。
妹に不安を与えまいと、必死に平然を装う姉、隣では、突然の部外者の出現に不安を感じている妹。
娘の行動に気づき、お母さまも祥子たちのところにやってきた。
「可愛いお嬢ちゃん、お名前を聞いてもいいかしら?」ゆみの目線まで身体をかがめ、やさしくお母様が問いかける。
「ゆ、ゆみ・・・」
「そう!! ゆみちゃんって言うのね、いいお名前。」 お母さまはニコッと微笑むと。
お母さまは、『ゆみ』の頭をやさしく撫でてあげた。
「あらあら、お姉ちゃんの陰に隠れている可愛いあなたのお名前は。」 お母さまが聞いたが、ゆみの後ろに隠れ、出てこない。
「ゆうちゃん、お返事は?」少し小声に。
「それじゃあ、当ててみようかしら、う〜〜ん 判った!! ゆうちゃんね?」
「「ど、どうして、しってるの!?」」ゆみとゆうちゃんは目を丸くしてお母さまに聞いた。 「お、お姉さん!! 魔法使い!?」
自分で言っておいて・・・かなりの天然だ。
「じゃ!ちょっと行ってくるよ。」 お父さまは迷子センターへ。
なので今、祥子たちは4人でぶらぶらしている。
祥子の左手にはゆみの右手、祥子の右手と、ゆみの左手には大きな綿飴、ゆうちゃんはお母様に抱かれている。 泣きつかれと、安心感なのか、今はお母様の腕の中でスヤスヤ眠っている。
『お姉さん』といわれてお母さまも上機嫌。
ゆうちゃんの頬に自分の頬をすりすり、ゆみの頭をなでなで、「ふふふ、一気に娘が増えたようで、何か楽しいわ。」
一方ゆみのほうはといえば、逆に、妹が寝てしまったこと、安心したこと、疲れていること、不安なこと、いろんなことがあり一気に自分の感情が流れ出てきたようだ。
祥子の手をぎゅっと掴みながら、しゃがみ込んでしまった。
「どうしたの? ゆみ? 」
「お、お母さん・・・ お父さん・・・ どこ? こわい・こわいよ !!」 ぼろぼろと涙を流しだした。
祥子には、どうして良いか判らなかった、でも、この子を守りたい、守っていきたい、なぜかそんな感情で胸がいっぱいになった。
いったいなんだろうこの気持ちは? 私は無意識にゆみを ギュッと抱きしめ。
「大丈夫よ、ゆみ、すぐにお父さんや、お母さんも迎えに来るから。 だから泣かないの。」
「本当?」うっく、うっく、 まだ、泣きながらしゃくりあげている。
「本当よ、お姉ちゃんに任せなさい。」
「うん・・・ ありがとうおねえちゃん。」
そのとき、
「ゆみちゃん、金魚すくいしてみない?」その声にゆみの涙は一時引っ込んだ
「お、お母さま!!」
「き、金魚すくい? で、でも、」
「そう、金魚すくい、ゆみちゃんはとっても上手そう、 大丈夫よ、ゆうちゃんは私がちゃんと見てるから、ね?」
「で、でも・・・」まだ、不安は隠しきれない。
お母さまが軽く祥子にウインクする。
「ゆみ、あなた、本当は金魚が怖いんじゃないの?」
「ううん、全然怖くないもん。」
「そうなの、私は・・・ ちょっと不安なんだけど・・・ 」にぱっと、ゆみが笑顔になる。
「じゃあ、ゆみが、お姉ちゃんのお手伝いする!!」
「でも、ゆみは泣き虫さんだから、どうなのかしら? 本当にできるの?」
「ゆみ! 泣き虫じゃないもん!! できるもん!! 」
「じゃあ、一緒に金魚すくいしてみる?」
「うん!!」
「お姉ちゃん!! 見て!! 取れたよ金魚、ねえ? すごい? すごいでしょう?」
祥子とゆみは各々一匹ずつ金魚を取ることができた。 祥子の一匹はたまたま飛び跳ねた金魚が器に入ったものだったが。
「ゆみは、じょうずなのね、感心したわ。」 私はゆみの頭を撫でてあげた。
「・・・えへへ、 ありがと〜〜 お姉ちゃん。」頬を赤らめ満面の笑みを浮かべる、しかし、なんてまぶしい、なんてかわいい笑顔をするんだろう、例えるなら向日葵のよう、不思議と祥子の心の中が暖かくなってくる。と、同時に自分には持ちえることのないものを持っているゆみがうらやましかった。
2人で金魚の入った袋をながめた。
「小さいね、可愛いね、お姉ちゃん。」
「ほんと、小さくて可愛いわね、ゆみ。」
もともと小笠原家の一人娘、周りにはいつも大人達ばかり、いつもつまらなく、とてもさびしい思いをしている日々、でも、今日の祥子はとても幸せな気分でいっぱいだった。
「ゆみちゃん!! ゆうちゃん!!」 その声を聞き、その姿を見たゆみは、祥子の手を離すと、一目散に走って行き、飛びついた。
「お、お母さん、お母さ〜〜ん」胸に飛び込み泣きじゃくるゆみ。
「ごめんね、ごめんね・・・ 寂しかったね・・・ 怖かったね・・・ 本当にごめんね」 母親もゆみを抱きしめ、大粒の涙を流している。
「本当にありがとうございました、迷子になったこの子達の面倒を見ていただいただけでなく、金魚まで頂いてしまって。」
「いえいえ、良いんですよ、このまま保護者が来なかったら、ウチの子にしようかと本気で思っていたくらいなんですから。」
隣で力いっぱい『うん、うん、』とうなずく祥子。
「は、はあ・・・ ともあれ、本当にありがとうございました。 ほら、ゆみちゃんもお礼しなさい。」 妹はお父さまに抱かれたまま、未だスヤスヤと可愛い寝息を立てている。
「お姉ちゃん、ありがとう。」笑顔でお礼を言うゆみを見て、なぜか祥子の心は苦しくなった、このままお別れしたくない、もっともっと一緒にいたい、この笑顔をずっと見ていたい。
「お姉ちゃん。」 悶々としている祥子にゆみが言った。
「お姉ちゃんの金魚と、ゆみの金魚交換しない?」
「あ、あら、どうして?」
「ん〜〜とね、ゆみと、お姉ちゃんがお友達になった記念、それでね、どっちの金魚のほうが大きくなったか競争するの、ね? きっと面白いよ。」
「いいわね、じゃ、交換。」ゆみと金魚を交換した。そのときお父さまが2人の金魚を覗き込み 「おやおや、ゆみちゃん、祥子、ちょっと良く見てごらん、この金魚のお口のところ、おひげが生えているね。」
「ああ〜〜!! ホントだ!! おひげがある!!」 「じゃあお父さま、この子達、『コイ』ですわね。」
「そうだね、金魚の中に小さな『コイ』が混じっていたようだね、 2人で一緒に採ったんだ、今は小さいけど、きっと大きくて、素晴らしい『コイ』になるよ、ゆみちゃんと祥子の『小さなコイ』は。」
その後、結局、お互いの連絡先もわからないので、金魚競争はなあなあになった。
時は過ぎ・・・
(2人で一緒に採ったんだ、今は小さいけど、きっと大きくて、素晴らしい『コイ』になるよ、ゆみちゃんと祥子の『小さなコイ』は)
なんともまあ、懐かしい夢を見たもの、カーテンの隙間から照りさす朝日によって、いつもよりずいぶん早く私は目覚めてしまった。でも、いつも以上にすごくすがすがしい朝だった。
私の隣では未だスヤスヤと可愛い寝顔で横たわっている祐巳。 色々と忙しく、なかなか2人の時間が持てなかった私たち、たまたま合った休日ということもあり祐巳は私の家に泊まりに来ていた。(隣で祐巳が寝ていることに、野暮な突っ込みは無用、祥子からのお願い♪)すがすがしい朝の要因はこのことも関係しているのは間違いない。
ともあれ、隣にいる祐巳の寝顔に、私はなんとも愛おしくなり、そっとその頬にキスをした。
「ふああ〜〜 あ、おはようございます、お姉さま。」 今のキスで祐巳を起こしてしまったようだ。
「ごめんなさい祐巳、起こしてしまったようね、でもまだ早いから寝ててもいいのよ。」 でも、祐巳は身をおこし。
「いいえ、せっかく早起きしたんですもの、その分お姉さまとお話でもしたいです。 あ! それじゃあ庭で朝のお散歩ってのはどうですか?」
「いいわね、それじゃあ、朝のお散歩でもしましょうか。」
私と祐巳は中庭まで進んだ、中庭には少し小さめな池があり、そこには一匹の大きな鯉が泳いでいた。夢の金魚と池の鯉が重なった。
「お姉さま、何かあったんですか? 何か難しいお顔をしていますよ? こんなすがすがしい朝にはお姉さまの笑顔が見たいです。 私のわがままですけど。」 少し照れたように笑う祐巳。その心がなんとも嬉しい。
「祐巳、昨夜とても懐かしくて素敵な思い出の夢を見たの。あのね、この鯉、実は昔、私が小さいときに、いったい何処だったのかは覚えていないけど、縁日で貰った金魚なのよ。 いえ、違うは、取替えっこしたの、とってもとっても可愛い子と。
「そ、そうなんですか・・・どんな子? でした?」
「そうね、改めて思い出してみると、祐巳、あなたに似ているような感じがするはね、とっても素敵な笑顔をするの、そして2人の金魚を交換した。たまたま鯉が混じって居たんだけど、今ではこんなに大きくなったわ、あんなに小さな鯉がこんなに大きくなるなんて、何か、すごいわね。」 なぜかびっくりした様子で私を見ている祐巳。ポカーンと口をあけている。
「祐巳あなた、 朝からだらしない顔はおやめなさい!!」
「す、すす、すみません、 でも、私には夢でなく、今も素敵な思い出として残っていることがあるんです、小さい頃山梨のおばあちゃんの家に行ったとき、恒例の夏祭りに行ったんです、でも私と祐麒は両親からはぐれちゃって・・・ でも、其の時とてもやさしくて、綺麗なお姉さんに助けてもらったんです、綿飴をもらい、そして金魚すくいをさせていただきました・・・ そして、交換した・・・」
え? 金魚すくい・・・・・・って!?
(ゆみと、お姉ちゃんがお友達になった記念、それでね、どっちの金魚のほうが大きくなったか競争するの)
「昔私の、山梨のおばあちゃんの家の池に小さな鯉を放しました、縁日で出会った素敵な人と交換した鯉が。今ではここの池の鯉と負けない同じくらい大きくなっているんですよ。」
「あ、あの、祐巳!! 私の記憶だと、2人ともピンクの浴衣を着た姉妹だったけど?」
祐巳は、目に涙を溜めている、今にもこぼれそう。
「祐麒は小さい頃、お母さんの趣味で女の子の格好をさせられてました。 『ゆみちゃん、ゆうちゃん』って、私も小さい頃は祐麒のこと、女の子、妹と思ってましたから。」
たしかに、祐麒君は姉の顔の祐巳とそっくり、言ってみればいわば女顔、小さい頃はさぞかし女の子と間違えられたでしょう。
ん? んん〜〜? てことは、お待ちなさい? へ? あれは・・・ 全てを理解した、
私は祐巳を見た、祐巳も私を見ていた、そして・・・・・・ ゆみが言った、大粒の涙をこぼしながら、
「おねえちゃん、また・・・会えたね・・・ 」
「 『ゆみ』・・・ お久しぶり、 泣き虫さんはまだ、ていうか、全然治ってないみたいだけど。」 私の胸にも熱いものが込みあげてくる。
「はい!! でも・・・今は泣き虫でいたいです。」 涙を拭いつつ、祐巳はすごく元気に返事をした。
私は、祐巳をきつく抱きしめた、「お、お姉さま、苦しいです」 真っ赤になった祐巳、でも祐巳に振りほどこうという動きは感じられない。
祐巳、実は私、あの時小さな『コイ』をもう一匹貰っていたのよ、心の中に。そしてその『コイ』は今ではこの池では到底入らないほどに成長しているのよ。
「お姉さま、実は私、あの縁日のとき、もう一匹『コイ』を貰ったんです。小さな『コイ』を・・・心の中に、そして高等部に進学して、お姉さまにあったとき、まるで冬眠から覚めたようにその『コイ』は一気に大きくなりました、心の中の『コイ』を・・・感じて頂けますか?」
「ええ、感じているは、あなただって私の心の中の『コイ』がとても大きくなっていることに気づいている、そうじゃなくって?」
「はい、今更ながらですが、その言葉を・・・私は本気で信じていいんですね?」
「当たり前でしょ、祐巳 私はあなたを愛してる、 本当に、本気で愛してる、 誰にも渡したくない、 私のこの言葉に、うそ偽りはないわ!!」
「ありがとうございます、祥子様」 祐巳は私に深いキスをくれた。
1秒が1分に感じられるくらいのキスの後、祐巳は耳元で 『愛しています』 と呟いた。
「ところで、祐巳、私たちが愛し合っていることをもう一度確認したいわ。」
「そ・そんなにはっきり言わないで下さい・・・ 恥ずかしいじゃないですか・・・」テレテレ
「照れてないで仰い!! 愛してるの? 愛していないの? さあどっち?」
「そ、その・・・あ、愛しています!! ・・・です。お姉さま・・・」トーンを下げつつゴニョゴニョとつぶやく祐巳、お顔真っ赤。
「まあ、そうでしょうね、だから事前に式場を決めてきたから。」
「へ? 式場って・・・? 何ですか?」
「私たちの結婚式場に決まっているじゃない、何トンチンカンなこと言ってるの、あなたは。」
「ああ、私たちの結婚式なんですね・・・ って!! えええ〜〜〜!?」
私は祐巳を抱きしめ、言った。
「雨が降ろうが、槍が降ろうが、私は、彼方を守り続けるは、祐巳。」 うふ・うふふふふふふ・・・・・・
「お姉さま、暴走しすぎです・・・」 ううう・・・
『ええっ?』
その時福沢家で驚きの声が三つ重なった。 その驚きの原因の祐巳はもう一回繰り返した。
「だから、今日から麦茶を作るときにお砂糖は入れないようにしてね、お母さん」
「ど、ど、どうしちゃったの、祐巳ちゃん? お熱があるのかしら……それともダイエット?」
「ゆ、祐巳? な、なに恐ろしい事を……お前自分が何を言ってるのか分かってんのかよ……?」
「ふむう、そりゃ……厳しいな、それは……う〜ん厳しい……」
それぞれ三者三様の表情だけど、みんなが揃っているのは理解不能だって事。 だから理解できるように祐巳は説明を続けた。
「だって、今日学校でみんなに笑われたんだもん……みんな麦茶にお砂糖どれ位入れてるって聞いたら」
「……なんて笑われたのさ?」
「普通は誰も入れないよって……」
『ええっ!?』
再び驚きの声が揃う。 それはそうだ、祐巳もまだ完全に納得できた訳じゃないし。
「なにがどこでどうなってそうなるのかしら……?」
「お、お前担がれたんじゃないのかよ」
「う〜ん……そう言われると、随分昔にひい爺さんに聞いたことがあったような気も」
「あっ、お父さんも聞いたことあったんだね」
「うん、祐巳ちゃん。 うろ覚えだけど多分……おそらく……」
「お、親父もかよ……それじゃあ……」
「お父さんまで言うんなら、そうね……」
「うん……」
今度は一家揃って。
『そうだったんだ……』
みんなで揃って、ふか〜〜くため息。
「あ、でも祐巳ちゃん。 お家だけで隠れて飲む分には分からないのじゃないかしら?」
「そうだよ、お母さんの言う通りだって。 なあ祐巳、そうしようぜ」
「それは駄目だよ。 普段から充分慣れておかなくちゃ、いざって言うときとても飲めないもん」
「そうだなあ、祐巳ちゃんの言うのも確かに一理あるなあ」
揃って。
『う〜〜ん……』
悩む。
「試しにそうしてみましょうか。お母さんはお家だから良いけど、みんなはお外で我慢しなくちゃいけないものね」
「うう、俺はイヤだけど、恥掻くの分かってる訳だしなぁ……しょうがない、試してみるか」
「そうだよね、試しにやってみるのも悪くないって。 やってみたら慣れるかもしれないよ?」
「祐巳ちゃんの為ならお父さんはOKだよ。 それにそろそろお父さんもお腹が気になってきたし」
「だよね、最近ズボンがきつそうだもんね」
「(グサッ)ゆ、祐巳ちゃん、きついこと言うなあ……」
「それより祐巳。 お前が一番早くギブアップするんじゃないの?」
「うっ。 が、頑張るもん……」
「決まりね。 じゃあ今日から家族みんなで頑張りましょうね。 名付けて『麦茶修行』。 さあ、みんなで掛け声よ、さん、はいっ」
『エイ、エイ、オ〜!!』
家族みんなで揃って断固たる決意の声をあげた。 絶対やってみせるって。
でも、ホントに直ぐに『麦茶修行』は終わりを迎えた。 たったの一日。
何故って?
それは『麦茶修行』に苦しむ祐巳が、本能で裏ワザを発見したから。
外で麦茶を飲むときには、あらかじめ口に飴玉放り込めば良いんだって。
「お姉さまであいうえお作文?」
「そうよ、あいうえお作文」
鼻歌を歌いながら紙と筆記用具を準備する由乃さんに、祐巳と乃梨子ちゃんはちょっと顔を見合わせた。
珍しく、つぼみの三人だけが揃った薔薇の館。ちょっと暇だな、と思い始めた頃に由乃さんが突然言い出したのだ。
暇つぶしに『お姉さまあいうえお作文』でもやろうか――って。
「ルールは知ってる?」
「何度か見たことはありますけど……」
画用紙と筆記用具を渡されて、乃梨子ちゃんが戸惑ったように言う。
「それを、お姉さまの名前でやるわけですよね?」
「そうよ。フルネームでも良いし、名前だけでも、苗字だけでも良いわ」
言いながら、由乃さんはきゅっきゅっとマジックで『はせくられい』と書く。由乃さんの場合はフルネームでも6文字だから楽だ。でも祐巳の場合は『おがさわらさちこ』で8文字もあるからちょっとキツイ。乃梨子ちゃんは7文字。
「私は名前だけにします。フルネームは大変そうですから」
乃梨子ちゃんが宣言して、画用紙に『しまこ』と書いた。
「なによ、愛がないわねー。祐巳さんはもちろん、フルネームよね?」
「えぇ〜。私が一番長いのに」
「人生、何事もチャレンジよ、祐巳さん。さ、出来た人から挙手ね」
由乃さんが画用紙と睨めっこを始める。乃梨子ちゃんも軽く首を傾げながら、考え始めた。なんだかんだ言って、つぼみ三人はかなり暇を持て余していたのである。
「――出来ました」
はい、と乃梨子ちゃんが手を挙げる。さすが乃梨子ちゃん、頭の回転が速くて羨ましい。
「はい、乃梨子ちゃん。どうぞー」
由乃さんに促されて、乃梨子ちゃんが画用紙を読み上げる。
「えーと。
『し』ろ薔薇さまと呼ばれ
『ま』リアさまのように優しくて綺麗な
『こ』れぞ正に、お姉さまの鑑です!
――で、どうでしょう?」
「うわー、のろけてるよこの子」
由乃さんが笑う。祐巳もついつい笑ってしまった。
スラスラとこんなあいうえお作文を作っちゃうなんて、乃梨子ちゃんは本当に志摩子さんのことが好きなんだな、と思う。
「でも、白薔薇さまはロサ・ギガンティアと読むのが正しいから、減点ね」
由乃さんがそう指摘して、再び画用紙に向き直る。
「んー……中々難しいわねー」
由乃さんと祐巳は引き続き苦悩。作品を仕上げた乃梨子ちゃんは余裕綽々だ。のんびりと次の作品を考えている。
「よし、出来た!」
程なくして由乃さんがはい、と手を挙げる。
「はい、では由乃さま」
「行くわよ〜。
『は』んぱに優しくて
『せ』けんていを気にして
『く』のうばかりしている
『ら』イトノベルと恋愛小説が大好きな
『れ』いぞく体質バリバリの
『い』んちき剣士、令ちゃんです
――どう!?」
「容赦ないですねー」
「令さま、可哀想」
同情する乃梨子ちゃんと祐巳だけど、口元は笑っている。
「ちなみにこの『れいぞく』ってのは『隷属』のことね。令ちゃん、私とか江利子さまの奴隷っぽいし」
「そこまで言いますか」
呆れた様子の乃梨子ちゃんだけど、由乃さんは「本当のことだもーん」と意に介さない。
令さまには頑張って生きてもらいたい、と祐巳は思った。
「これで残るは祐巳さんね」
「頑張ってくださいね」
「うー……ちょっと待って……」
二人に促されて、祐巳は頭を抱えて単語を探す。
「えーと……それで、最後が……こうで……うん、出来た!」
「はい、祐巳さん、どうぞ!」
「あまり上手く出来なかったけど……
『お』こると怖くて
『が』が強くて
『さ』くらが嫌いで
『わ』がままいっぱいで
『ら』いじんさまもびっくりの……」
「――へぇ、祐巳はそんな風に私のことを見ていたのね」
「へ?」
画用紙の表を読み終わったところで、いきなりそんな声が聞こえ、祐巳は振り返り。
そして、見た。
背後に暴風雨のイメージを背負っている、祥子さまを!!
「お、お姉さま!? こ、これは……」
「ふふふ……祐巳、ちょっといらっしゃい? あっちで少〜し、お話しましょう?」
「だ、だから、その、これはまだ途中……」
「いいからいらっしゃいっ!!」
「はいぃっ!」
それこそ雷神さまもびっくりの雷を落とされて、祐巳は慌てて立ち上がった。
由乃さんと乃梨子ちゃんが、ご愁傷様、という視線を向けてくる。
どうやら、助けてくれるつもりはないらしい。
祐巳はちょっと、涙した。
「――タイミングが悪かったみたいね」
消えた祐巳さまと祥子さまを見送り、落ち込んだ令さまを宥めている由乃さまの隣で、のんびりと志摩子さんが言った。
「悪いも何も、最悪です。どうしてあのタイミングで来るんですかね、祥子さまって」
「仕方ないわ、きっとそういう運命なのよ」
志摩子さんがちょっと笑って、床に落ちていた祐巳さまの画用紙を拾い上げる。
祐巳さまの作品は、表に『おがさわら』が書かれていて。
裏には『さちこ』の分が続いていた。
『さ』いこうに素敵で無敵で優しくて
『ち』ょっとだけ怖い
『こ』んなお姉さまが私は大好きです!
「……本当に、タイミングが悪いわね」
祥子さまの指定席に画用紙の裏側を上にして置いて、志摩子さんが優しい笑顔を浮かべた。
祐巳さまたちが消えた給湯室では、今頃きっと大嵐が巻き起こっているだろうけど。
台風が去った後には、大抵快晴がやってくるもんだ。
「お互いの名前であいうえお作文ですか?」
「そうだよ、あいうえお作文」
鼻歌を歌いながら紙と筆記用具を準備する祐巳さまに、瞳子は戸惑いの視線を乃梨子に向けてきた。
珍しく、祐巳さまと乃梨子と瞳子だけが揃った薔薇の館。ちょっと暇だな、と思い始めた頃に祐巳さまが突然言い出したのだ。
暇つぶしに『お互いの名前であいうえお作文』でもやろうか――って。
「ルールは分かる?」
「何度か見たことはありますけど……」
画用紙と筆記用具を渡されて、瞳子が戸惑ったように言う。
「それを、お互いの名前でやるわけですわね?」
「そうだよ。フルネームでも良いし、名前だけでも、苗字だけでも良いからね」
言いながら、祐巳さまはきゅっきゅっとマジックで『まつだいらとうこ』と書く。前回、8文字の祥子さまをこなした祐巳さまは、7文字の瞳子だということで余裕の表情だ。
しかし、懲りないお人だな、と乃梨子は思う。
「瞳子ちゃんは名前だけにする? それでも構わないよ?」
「む……祐巳さまがフルネームなら、私もフルネームにしますわ、もちろん」
変なところで負けん気を発揮する子だ。瞳子は。
「じゃ、出来たら挙手してね。乃梨子ちゃんは今回は審査員」
言って祐巳さまが画用紙と睨めっこを始める。瞳子も慌てて画用紙に『ふくざわゆみ』と書き込んで、うんうんと唸り始めた。
平和だなーと、乃梨子は窓の外を眺めてみたりする。
「うぅ……思った以上に、難しいですわ……」
瞳子が眉間に皺を寄せて苦悩していた。一方で、祐巳さまはスラスラと文字を書き込んで行く。
その様子をちらりと見て、瞳子は悔しそうに唇を噛んだ。
「――よし、出来た!」
はい、と祐巳さまが手を挙げる。
「はい、それでは祐巳さま。どうぞ」
「えーとね、
『ま』けず嫌いで
『つ』んつんしてて
『だ』き心地が最高で
『い』つもついついかまっちゃう
『ら』ブリーな
『と』゙リルがチャームポイントの
『う』しろ姿が可愛いから
『こ』うやって抱きしめたくなっちゃいまーす!
――えいっ!」
「ひぃあ! ちょ……離してください、祐巳さまっ!」
「ダメー♪ うーん、やっぱり抱き心地最高〜♪」
ひとしきりじたばたと暴れる瞳子を堪能していた祐巳さまは、そこでふと瞳子の手元を覗き見た。
「あれ? 瞳子ちゃん、もう出来てるじゃない」
「そ、それはちが……っ!」
「えーと、どれどれ〜?」
慌てる瞳子の手を華麗なステップでかわして、祐巳さまが画用紙を広げて読み上げる。
「お題、ふくざわゆみ!
『ふ』いに抱きついたり
『く』っついてきたりすると
『ざ』わざわと
『わ』たしの心は揺れてしまう
『ゆ』みさまに
『み』りょうされてしまったのでしょうか……?
――だって。えへへ〜」
「そ、それは違うんです! た、ただのあいうえお作文ですわ! こ、心にもないことですけど、仕方なく! 仕方なく単語を当てはめただけです!」
「分かってるよ〜。でもこれ、記念にもらうね」
「か、返してくださいませっ!」
「ダメー!」
画用紙を奪おうとする瞳子を、またもや祐巳さまが華麗なステップでかわす。なんでこの人は、こんな時だけ妙に機敏になるんだろう。
きゃいきゃいと戯れている二人を生暖かい目で見守り、乃梨子は判定を下した。
「この勝負、両者脳みそ溶けまくってるのでドロ〜」
「祐巳さん、今度のは何の作戦?」
「うん、題して『最近ちょっとスイーツを食べ過ぎてほんのちょっと太ったみたいだから食べ過ぎを防止するガーディアンを大募集する大作戦』」
「この上なく分かりやすい作戦ね。じゃ、これからお茶のときのお菓子を…」
「令ちゃんはだまってて。祐巳さん、ダイエットなんて必要ないわよ。まだ成長期なんだから」
「そうね、無理はいけないわ。また倒れたら大変よ」
「そうそう、ストレッチマラソンってすごくお腹すくんだし。毎日のおやつがなくなったら」
「由乃さん、それ本音…」
「う、じゃ祐巳さんも何か運動はじめるとか…」
「いいえ、だめよ」
「お姉さま」
「太ってないあなたなんて、あなたじゃないわ」
「え…」
「この顔、お腹、背中に(中略)、この弾力すべてが祐巳じゃないの」
「ああ、お姉さまも以前、『本来一ヶ所にあるべき脂肪がまんべんなく配置された奇跡の肉体』と褒めていらしたわ」
「そうよ。そのためにこっそりお茶の時間を増やしてるのよ。もうこんなことはいわないで、祐巳」
「お、お姉さま…」
こうして、SG大作戦の舞台は家庭に移されることになったのだが、一家全員が音を上げるまでたいして時間はかからなかったという。
No.428 紛れもないパワー強力マスコットガール くにぃさん作
No.430 女王恋と危険渦巻くキャンペーン実施中 くま一号さん作の設定を拝借してます。
yPodとの交換条件で祐巳さまの1/1フィギュアを瞳子に納めてからしばらく経った、ある日曜日。
私は瞳子に呼ばれ、彼女の家を訪れていた。
「で、見せたいものってなにさ。もしかしてまたyPodみたいなヤツ?」
「確かに、デジタルガジェットの一種と言えなくはないかもしれませんわね」
「ふーん、なら前みたいに、学校に持ってくれば良かったじゃない?」
「さすがに学校へ持っていけるような大きさではありませんもの」
「大きい?……もしかして、パソコンとか?」
ふむ、それなら有り得るな。起動音が祐巳さまの声だったり、ログオン画面や、壁紙が全部祐巳さまの画像だったり。
「ちがいますわ。今回はペットロボットです。その名はYIBOと言うんですの」「……AIB○?」
「YIBO!ワイボです!!超画期的4足歩行自律型ロボットYIBOですのよ!」
「……瞳子。日本企業の商品のパクリはさすがにやばいと思うよ」
「パクリとはなんですか、失礼な。可愛さと機能性を追及したらたまたま結果として、犬っぽいペットロボットって所がそこはかとなく、なんとなく方向性が似通ってしまったというだけでしてよ」
「犬っぽい……やっぱり似てるんじゃないか……で、やっぱり祐巳さま仕様で?」
「もっちろん。乃梨子さん、私を誰だと思って?」
「祐巳さま大好きなのに、本人を目の前にすると素直になれない、プリンセス・オブ・あまのじゃくの松平瞳子さんです」
「……はぁ」「なんですかその溜息は」「別に」
「まぁ、よろしいですわ……とりあえず2台作成したのですけれどね、妥協のないリアルさを追求した結果、あまりにコストやら時間やらかかりすぎてしまうと言う事で非常に残念ながら……プロジェクト中止ということになってしまいましたの」
本当に残念そうに語る瞳子。
でも今出しても、市場にはあらゆる種類のペットロボットが氾濫しているし、流石にちょっとブームも過ぎているように見えるし、まぁ、懸命な判断じゃないかな。
「でも、せっかく作ったんですもの。このままお蔵入りにするのも忍びないではありませんか?で、乃梨子さんには先日あんなにすばらしい祐巳さまをお納めいただきましたから、もし乃梨子さんがお気に入りになったのでしたら、一台差し上げてもよろしいんですのよ」
「え、いやアレを喜んでもらえたならなによりだけどさ。でもほらアレ自体yPodの代価だったじゃない?悪いよそれは」
「そんな事ありませんわ。私、まさか乃梨子さんがあれほどのものを作られるとはまったく思っておりませんでしたもの。現物を拝見して、本当に感動してしまいましたの。だから、私の気持ちだと思って。じゃないと私の気が済みませんの」
「そ、そう?そこまで瞳子が言うのなら」
「もちろん、白薔薇さま仕様に調整いたしますわよ」
「し、志摩子さん仕様」
志摩子さん仕様ってどういうのかな……志摩子さんの声で話すAIB○てこと?
志摩子さんの声で甘えるAIB○……
志摩子さんのようにふんわり柔らかで、ちょっとだけ天然入ってて……
いいなぁ、志摩子さん仕様。私だけの志摩子さん仕様。ああ、私の志摩子さん……
「の、乃梨子さん?」
「……いや、ごめん。えっと、じゃあ見せてもらえるかな?」
「え、ええ。では少々お待ちいただけますか?」
「これで今日のような休日にも祐巳さまに出会えなくとも、まったくもって寂しくなどないのですわ」
「寂しかったんだね、瞳子」
「ええ、まったく。家族と食事をしていても、宿題をしようと机に向かっても、いつのまにやら祐巳さまが私の頭を占領して私はため息をつかされるばかり……ああ、なんてあなたは罪なお方なのですか!……って、なにを言わせますの!」
「あんたが勝手に言い出したことでしょうが……あんたさ。ほんとそろそろ祐巳さまの前でも素直になりなよ。病気になっても知らないよ」
いやまぁ、ある意味病気だけどなぁ。お医者様でも草津の湯でもってやつか。
「だ、だって……」
「はいはい。それじゃ見せてよ。その、祐巳さまに似せたっていうペットロボットを」
「え、ええ!すぐ連れてきますわ。そちらのソファにおかけになってお待ちくださいましね!」
おそらく自分の部屋にだろう。とても嬉しそうにかけていく瞳子。
まったく、瞳子にあんな表情をさせる祐巳さまは……そんなことを考えながら私は大きなため息をついた。
瞳子が、休日に祐巳さまを想ってつくため息はこの比ではないのだろう。
それを考えると、また溜息が出た。
ふと気が付くと向かいのソファの下あたりでガサゴソと何かが動き回る物音がする。
ひょっこり影から見えたのは人の顔。それも乃梨子が良く知る……
「え……祐巳さま?」
そう、そこにいるのは確かに紅薔薇のつぼみである福沢祐巳さま、その人の顔であった。
あれ?祐巳さまもいらっしゃってたのか。瞳子もそうならそうと言ってくれれば良かったのに。
「えっと、祐巳さま、ごきげん……よう……?」
「ごきげんよう、乃梨子ちゃん。その白いワンピース、とってもよく似合っているよ」
「え?あ、ありがとうござ……」
あれ、ちょっと待て。ちょっと待てよ。なにかがおかしい。ありえない……危険な信号が頭の隅でチカチカと点滅しているのを感じる。
「ああ、学校でもないのにごきげんようはおかしいよな、はは!」
恐ろしい予感が全身を走る中、思わず現実逃避したくなる。
でも、まったくもってこれは無理はないなと思う。だって、このゆ、祐巳さまは……
「う、うわあああああああぁああああああああああああ?!?!?!」
「ど、どうしましたの、乃梨子さん?!」
「あ、あああああれあれ!祐巳さまの、祐巳さまの生首ぃ!!」
「え、祐巳さまの?!……ああっ、こんな所まで来てましたのね。もう、すっかり探してしまいましたわよ、祐巳さまぁ」
へ?
「乃梨子さん、よくご覧くださいな。どこが生首ですかどこが」
そう言いながら、瞳子はその祐巳さまと思しき生首を抱き上げほお擦りをした。
いや、確かにその祐巳さまは首だけではなかった。
その首の先に祐巳さまの可憐なお顔とはまったくもってアンバランスなものがくっついていた。
瞳子は今度は何を作ったと言っていた?
ペットロボット?
えっと『犬っぽい』?『祐巳さま仕様の』?
そう。祐巳さまの首の先にくっついていたのは、とってもリアルな『犬の身体』。
リアルすぎだろいくらなんでも、おい。
毛もえらくフサフサで……肉球まで。うわ、触感がすごいリアル。
当然のことながら私はAIB○そのもの、ちょっと近未来的デザインのいかにもロボットロボットしたものを想像していた私にとって、目の前のものがどれほどの衝撃であるか。
「くすぐったいよ、乃梨子ちゃーん」
「うわあっ?!しゃ、しゃべった。しゃべったよ、瞳子!?」
「さっきからずっとしゃべってましたわよ?」
そ、そうだっけ。あまりの事にどうやら少しだけトリップしてしまっていたらしい。
しかし、身体は犬なのに、顔は祐巳さまで、祐巳さまの声でしゃべる。な、なんてシュールな光景……
「ふっふっふ。どうですか、乃梨子さん!今度は顔と声だけではありませんのよ。百面相と言われる祐巳さまのあんな表情もこぉんな表情も、癖も仕草も研究に研究を重ねてインプットして……」
この、えっと……犬型?ペット?ロボット?の魅力について猛アピールをする瞳子。
瞳子が語り続ける間、彼女に抱かれた祐巳さまは目を細め、優しい瞳で見守っているように見える。身体、犬だけど!
それはまるで包み込んで守る姉であるかのよう。なんとも微笑ましくも麗しい姉妹の姿に見えなくもない。顔の周りだけ、だけど!
……ふむ、確かに祐巳さまは可愛らしい。志摩子さんと瞳子の次くらいに可愛い。
一年生のうちで妹にしたいお姉さまナンバーワンと言われているのも、よくわかる。
そうだな、祐巳さまは可愛い。ならば祐巳さまの顔をしたこの犬ロボットも……
「かわいいわけあるかーい!キモイわ!ぶっちゃけとてつもなく怖いわ!!」
「ま、まあ!いくら乃梨子さんでも言っていい事と、悪いことがありましてよ!祐巳さまのお顔を気持ち悪いだとか、怖いだとか、締りがなくて甘ったるいだとか!なんたる侮辱ですか!!」
「いやいやいやいや、そこまでは言ってないし!ってか、そんなもん作っちゃってるあんたの方が侮辱してるってーの!わかれよ!!」
「……ああ、乃梨子さんったら。わかっておりますわ、白薔薇さま仕様のYIBOを早くよこせって事ですのね?もう、乃梨子さんのせっ・か・ち・さん♪
あ、開いた口が塞がらないとは正にこの事だ。
恐るべき松平電機産業も、さすがにこれはやばいと思ったのかもしれない。
コストが云々という話も、瞳子を納得させるための苦肉の策だったりして、案外。
などと思いながら、なおYIBOっていうか、人面犬ロボットと戯れながら熱っぽく、その魅力について語り続ける瞳子を、私は生暖かい目で見守っていた。いつまでもいつまでも。
後日。我に返った瞳子が、YIBOの処分方法に苦心惨憺するのだけれど……
はぁ〜……
放課後の薔薇の館に、瞳子が久々に姿を見せていた。
用向きは演劇部の書類の提出。茶話会以来、祐巳にどう接して良いのか迷っていた瞳子は書類を出すとすぐに帰ろうとしたが、祐巳の「せっかくだからお茶でも飲んでいってよ」の一言で引き止められていた。
祐巳にどう接して良いのか判らないくせに祐巳の言葉には逆らえない。そんな自分に瞳子は少し自己嫌悪におちいっていた。
(私・・・何がしたいんだろう)
祐巳を意識してしまうあまり気軽にお喋りすらできずにいる瞳子は、一人静かに紅茶を飲みながら自問する。
(それにしても、自分で引き止めておいてほったらかしだなんて・・・)
恨めしげに祐巳を盗み見る瞳子。肝心の祐巳は瞳子の隣りに座っているが、何やら乃梨子とヒソヒソ話している。
(何を話しているのかしら?)
気になるのなら聞いてみれば良い、少なくとも今までの瞳子ならそうしたはずだ。でも今は、どうやって祐巳に話しかければ良いかも判らなかった。
(自意識過剰ってやつかしら・・・)
段々と気持ちが沈んでゆく瞳子。館の中にはこの三人しかいなかったので、他に雑談をする相手すらいない事が重苦しい気分を加速させる。
そういえば今まではどうやって話しかけていたのだろう?そんな事を考えてみるが、不思議な事に全く思い浮かばない。
(・・・そうか、何かあると祐巳さまの方から話しかけてきてくれてたんだっけ)
考えてみると自分は祐巳に近付くために何もしていない。そんな事実に愕然としていると、祐巳の楽しそうな声が聞こえてきた。
「そう!柴犬!言われてみれば柴犬と一緒かも!」
「でしょう?」
乃梨子の相づちも聞こえる。
「そっかぁ・・・言われてみればそのとおりだね。あの一見ツンと澄ました顔と良い・・・」
「澄ましてるくせに、心を許した相手には甘えるところと良い・・・」
「ねー!そのまんまかもね。ホントはすごく可愛い一面を持ってるのに、なかなかそれを見せてくれないトコなんか特にね」
乃梨子の相づちに祐巳は上機嫌ではしゃいでいる。
何を話しているのだろう?瞳子はやはり祐巳の事が気になって仕方が無かった。
「そう言えば、あのくるんと巻いたシッポもアレと似てるねぇ」
そんな祐巳の言葉に、乃梨子が珍しくぶっと吹き出している。
自分をほったらかしにして楽しそうな二人の様子に悶々とする瞳子。でもやはり「何のお話しですの?」とは聞けずにいる。自分も仲間に入れて欲しいくせに、どうすれば良いのか判らない。そんな時、乃梨子の言葉が聞こえてきた。
「自分にかまってほしいくせに、気の無い素振りをしちゃうトコなんかも・・・ね?」
瞳子は自分の気持ちを見抜かれたかと思いドキっとした。ドキドキしながら乃梨子のほうをそっと見ると、祐巳と目が合った。
突然の事に瞳子が目もそらせずに固まっていると、祐巳が話しかけてきた。
「瞳子ちゃんもそう思う?」
「は?」
いきなり同意を求められて困惑していると、祐巳はこう聞いてきた。
「あ、聞いてなかった?」
「いえ・・・あの、それは・・・」
まさか「気の無いふりをしてきっちり盗み聞きしてました」とも言えない瞳子がしどろもどろしていると、祐巳は続けてこう言う。
「瞳子ちゃんの反応が柴犬と一緒だっていう話」
「私の事だったんですか?!」
こんな返事をしては「さっきの話は全部盗み聞きしてました」と白状したも同然なのだが、瞳子は驚きのあまりその事にも気付かない。
「一見ツンと澄ましてて取っ付きにくいけど、慣れてくれれば可愛い顔を見せてくれる所なんか、そのものズバリだと思うんだけど・・・」
祐巳は同意を求めて微笑んでいる。素直になれない自分をあまりにも的確に表現されて、瞳子は絶句する。「可愛い顔」などと言われた事で、瞳子は赤くなり始めていたが、ふと先程の会話を思い出し、祐巳に確認してみる。
「さっきシッポと似ているとか言ってたのは・・・」
「コレ!」
祐巳は嬉しそうに瞳子の縦ロールに指を絡める。
「犬のシッポと一緒にしないで下さい!」
瞳子はそう怒鳴ったが、祐巳の手を振り払おうとはしなかった。不本意である事を示すために、ぷいと祐巳から顔はそらしたが。
「そうやって機嫌を損ねると無視しようとするトコなんかも似てるかも〜」
そう言って祐巳は瞳子の頭を撫で始めた。久しぶりの祐巳の手のひらの感触に、瞳子は自分の中に暖かいモノが広がるのを感じていた。
しかし、自分が喜んでいるのに気付かれるのが嫌な瞳子は、一応祐巳の事をにらんだりする。その瞳には全く迫力がなかったが。
「あ、そうだ」
祐巳は突然自分のカバンの中身を漁り始めた。
「・・・何を探しているんです?」
何か嫌な予感がした瞳子は祐巳に聞いてみる。
「柴犬さんは鎖で縛っとかないと・・・」
祐巳はそんな事を言い出し、カバンから細い鎖を取り出そうとしていた。
「私は犬じゃありません!!」
さすがに憤慨した瞳子は、勢い良く席を立ち、そのままビスケット扉を開いて出て行ってしまった。
「瞳子ちゃん?」
祐巳の呼びかけにも瞳子は応えてくれなかった。
音を立てて階段を降りながら、瞳子は早くも会議室を飛び出した事を後悔していた。
(次にここへ来る理由も無いのに・・・)
祐巳の傍に居たかった。でも、素直じゃない自分は、理由が無ければ祐巳に近づけない。今日はせっかく薔薇の館へ来る理由を、祐巳の傍へ来る理由を手に入れていたのに・・・
(あの人は私の気持ちになんか気付いて無いんでしょうけど・・・あんなふうにいつもの調子でからかわれてたら、伝えたい言葉も伝えられませんわ)
瞳子はトボトボと薔薇の館を後にした。
「・・・・・・・うまく行かないモノだねぇ」
瞳子の逃げ出した後の館では、祐巳が苦笑いでそんな事を呟いていた。
「祐巳さま、それを出すタイミングが少しだけ遅かったんですよ」
「そうだね」
乃梨子に言われた祐巳は、カバンから先程の鎖を取り出した。
その鎖の先には、金色に輝く小さなロザリオがぶら下がっていた。
どうやら最初の雑談も含めて、祐巳と乃梨子はグルだったようだ。全ては瞳子にロザリオを渡すための前フリだったらしい。
「・・・・・・祐巳さま。こんな回りくどい方法じゃなくて、真正面からロザリオを渡してやってくれませんか?」
乃梨子が真面目な顔で頼んできた。
「だって!今更真顔で『妹になって』なんて言うの恥ずかしいもん!」
逆切れしてくる祐巳に、乃梨子はガックリと肩を落とした。
(瞳子もあまのじゃくだけど、この人も意外と素直じゃないよなぁ・・・)
祐巳は次の方法を考えているらしく、うんうん唸っている。
そんな祐巳を見て、乃梨子は溜息をつきながら思う。
(まあ良いか。お互いに姉妹になりたがってるのは間違いないし。しばらくほっといても問題無いでしょ)
祐巳は悩みすぎて「考える人」のポーズになっている。
(・・・・・・・でも、お互いに求め合ってるって事は二人には教えてあげないけどね。そのほうが見てて面白いし)
どうやら山百合会には、あまのじゃくが豊富に生息しているらしい。
* * * 私のHP内のSS『瞳子のリリアン摩訶不思議報告』の設定を使っています。 ただし時間は進んでいましてそれぞれ進級しています。 御多分に漏れず祐巳の妹は瞳子、由乃の妹は菜々で行かせていただきます。 私のSSのお約束ですが由乃と祐麒は付き合ってます。 今回祐麒は名前だけですが・・・・・・。* * *
「え〜〜と……その……こ、今度の………日曜日は…」
「……紅薔薇さま……」
「は、はい!!」
黄薔薇さまである由乃さまに声を掛けられたお姉さま……祐巳さまは体をビクッっと震わせて少し涙目になりながら由乃さまの方をソ〜〜っとご覧になりました。 お姉さまファイトですわ!! まあ、無理もありませんけれど、あんなに睨まれては……。
「はっきり言って。 ようするに今度の日曜日は”出て来なければならない”の? ”出て来なくてもいい”の?」
「………ごめんなさい……出て来て下さい……」
「……白薔薇さまもそれでいいのね?」
「ええ、私はかまないのだけれど……由乃は、いいの?」
「………しょうがないでしょ…この場合。 仕事量もかなりあるし、それに薔薇さまが休みなんて格好がつかないし決も取れないでしょ」
ここのところ非情と言えるほど仕事量が増えている山百合会。 閉門時間まで残るのは当たり前、菜々ちゃんと由乃さまは部活もお休み。 休日出勤上等、っていう感じですわ。 ことに由乃さま、彼氏の祐麒さんとのデートの約束が6週連続延期になっていらっしゃるとか。 電話やメールで連絡されていらっしゃるでしょうし、祐麒さんも生徒会長をされていらして祐巳さまの弟さんですから、ご理解いただいているはずですが、やっぱりお会いしたいのでしょう。
「ごめんね由乃さん……」
「お姉さま、今度のデートは私が行きましょうか?」
「「「「「いやそれはだめでしょう!!」」」」」
「冗談です」
菜々ちゃん、さらっと不穏なことを言ってくれます、将来が心配ですわ。 でも、落ち込みかけていた由乃さまを復帰させるには十分なインパクトのある言葉でしたわ。
「はぁ〜なんでだろ? 会おうとすると急に仕事が増えたりしてなかなか会えないなんて。 呪われている私たちって? どう、志摩子さん……」
ちょっと弱気な由乃さま、呪いだなんて。
「そうね………呪いって言うことはなさそうだけれど……私もある程度見えるだけだから、詳しくは分からないわ」
「やっぱり見えるんだ志摩子さんって」
「見えるだけ、その後どうすることも出来ないわ。 ただ……」
「ただ?」
「知り合いにリリアンで有名な霊能者はいるわ」
え? 私は乃梨子さんの方に視線をめぐらすと乃梨子さんもこちら目を向けています。 以前『話してはいないけれど気付いてはいるはず』と言っていらしましたわね。
「二人とも〜、ここで怖い話はやめようよ〜」
情けないことをおっしゃっている祐巳さま。 当然のように祐巳さまの発言はスルーされてしまいました。 情けなさ過ぎですお姉さま、でもそこが……。
「リリアンで有名な霊能者? って、この前リリアンかわら版に載っていた人?」
「ええ。 ねぇ、乃梨子」
覚悟を決めていたらしい乃梨子さんは、ため息を一つ吐いて志摩子さまの方を向きます。
「やっぱり気が付いていたんですね。 お姉さま」
「ええ、いつも私や祐巳さんに憑いていた霊(もの)を祓ってくれていたでしょう? 由乃さんのことを視てやってくれないかしら?」
「たしか、『六条梨々(ろくじょう りり)』だったっけ? え? 乃梨子ちゃんがその『六条梨々』なの?」
「ええ、そうよ。 ね、瞳子ちゃん、ふふふ『杉浦仁美(すぎうら ひとみ)』ちゃんだったわね」
こちらもお見とおしですか、当然ですわね。 祐巳さまも由乃さまも目を丸くしていらっしゃいます。 こちらも当然ですわね。 お姉さま方には話していませんもの。
『六条梨々』は私が乃梨子さんの偽名として考えたもの、『杉浦仁美』は私の偽名ですわ。
一ヶ月ほど前この偽名を使って、私が体験し乃梨子さんが解決した霊体験を綴った『仁美のリリアン摩訶不思議報告』がリリアンかわら版に掲載されて結構な評判になったのですわ。
「どうします由乃さま? お姉さまに言われたことですけれど、最終的にどうするかは由乃さまに決めていただかないと……」
「視るかどうかね? いいわ視てちょうだい。 何か憑いているなんて言われたら気味悪くてしょうがないじゃない」
「分かりました。 ちょっとお待ちください」
そう言うと乃梨子さんは愛用のお数珠をカバンから取り出して手に絡めます。 その大きな長いお数珠に驚いている皆さん。 祐巳さまが私の袖をクイクイっと引っ張ります。
「ねぇねぇ瞳子ちゃん。 瞳子ちゃんが『杉浦仁美』って言うことは、霊を拾いやすいってほんとなの?」
「はぁ、そのようですわ」
「い、いまも何か憑かれているとかないよね?」
「どうでしょう? 一応乃梨子さんのアドバイスで通学路は変えましたし、お守りもいただきましたから大丈夫だと思いますけれど」
「いま瞳子は守りが憑いているだけで危険な霊(もの)は憑いてい無いですよ。 由乃さま、いま主に視えるのは二人です。 一人が影響を及ぼしていますが、こちらは生霊ですね。 もう一人は…志摩子さんが視たのがこっちだと思いますけれど………後でお話します………お話してもいいですが、真偽はご自分でお確かめください、ご両親に聞けば分かると思います」
何かつかんだようですわね乃梨子さん、早速両手を合わせておそらく生霊を説得しているようです。
「何をやっているんですか今?」
「たぶん、生霊の方の説得だと思いますわ。 って菜々ちゃん何しようっていうんですの?!」
「いま脅かしたらどうなるのかと思いまして」
菜々ちゃんは乃梨子さんの後ろに回って背中から脅かそうと身構えていますわ。
「……菜々ちゃんが呪われたいならいいだろうけど、もう終わったから」
「あら、すばやい……」
「で? 誰の生霊だったの?」
「………………令さま………です」
「ふ〜〜〜〜ん。 そうなんだ〜。 ……折檻決定!」
「いやあの、本人は生霊を飛ばしているなんて自覚はありませんから…その……ほどほどに………」
止めないんですのね。 止めても無駄でしょうが。 菜々ちゃんがいたずらできなかったことなどまったく気にしないような軽い足取りで自分の席に戻ります。 由乃さまため息を吐かれています、大変そうですわね菜々さんのコントロールは。
「で? 令ちゃんの生霊の件は後で落とし前をつけるとして。 もう一人憑いているのって何なの?」
「……由乃さまは、ご自分が生まれた時のことをご両親から聞いていらっしゃいますか? 死んでいてもおかしく無かったって言うことを」
「………聞いているわ」
「え? 由乃さん……どういうこと?」
「生まれた時呼吸して無かったって……聞いたことがあるわ。 治療が遅れていたら今頃私はこの世にいないでしょうね」
何とびっくりなことをおっしゃいます。 出生時のことを言い当てられたからか、由乃さまは真剣に乃梨子さんの言葉に耳を傾けていらっしゃいますわ。
「治療に成功して息を吹き返されたわけですね………でも……」
「『でも』? って? え? え?」
……祐巳さま…………。
「一緒に生まれて、でも、治療の甲斐も無くそのまま亡くなった、由乃さまの双子のお姉さま……。 もう一人憑いているのはその方です」
「?!」
思わぬ展開に、私も含めて皆さんが乃梨子さんの声に耳を傾けます。
「そ、そんなこと……お姉ちゃんが‥‥いたなんて聞いてないよ私……」
「乃梨子。 私には水子には見えないのだけれど?」
「成仏していらっしゃらないということですか?」
「水子とは言えないよ守護霊とも違うね、だってこの霊(ひと)由乃さまと一緒に成長しているんだもの。 それと瞳子、この霊(ひと)の場合は一般の成仏と一緒には語れないわ。 たぶんこのまま由乃さまと一緒だと思う。 そしてその方がお二人のためだと思う。 もしこの霊(ひと)を除霊もしくは浄霊してしまうと、由乃さまは精神的にかなり不安定になってしまうでしょうね」
「名前……名前ってついているの? 私に言いたいこととかあるのかな?」
自分を落ち着かせようと深呼吸をされてから由乃さまは顔を上げて乃梨子さんに問われました。
「…………『よしき』…由乃さまの『由』に”おきさきさま”の『妃』で『由妃』さまですね」
「由妃……」
後で分かったことですが、死産の場合戸籍には記載されないのだそうですわ。
「伝えたいことは………『一歩立ち止まって周りを見て、それで少しは変わるはずよ』だそうです」
「ねえねえ乃梨子ちゃん、お姉さんってどんな人?」
興味深々っという感じの祐巳さまは、身を前に乗り出して乃梨子さんに聞いてきます。 それは私も聞いてみたいですわね。
「お顔は、やっぱり由乃さんに似ているわね、もう少し目元は優しい感じに見えるけれど。 ふふふ、何故かしら? スタイルはいいみたいね」
「どうせ!!」
「まあまあ、あくまで”そうなりたい”と言う体型なわけですから。 芸が無い表現ですが。 物静かな優しい方みたいですね。 でも内に秘めた強さは由乃さまと同じですね」
たしかに良くある双子の性格付けですけれど。
優しい姉に、元気な妹。 ひょっとしたらありえた世界かもしれません。 それはどのような世界になるのでしょうか。
「祐麒さんのことは、由乃さまと同じですね。 好感を持っていますね」
その日はこの話で終始して、たまっていた仕事は明日に持ち越しということになってしまいました。
校門に向かう途中、菜々ちゃんを見つめる由乃さまの眼差しが、いつも以上に優しく感じられたのは、私の気のせいなのでしょうか?
※この記事は削除されました。
【No:436】 『月の光の下で眼鏡を取った蔦子さん』 (無印)、
【No:463】 『女心と秋の空すなわちそんな一日』 (黄薔薇革命)、
【No:471】 『気をつけて寒すぎる冬の一日は』 (いばらの森)、
【No:889】 『麗しき夢は覚め私に出来ること』 (ウァレンティーヌスの贈り物〔前編〕)、
と同じ世界観ですが、単独でもご賞味いただけます。
原作『マリア様がみてる --ロサ・カニーナ--』 を読了後、ご覧下さい。
◆◆◆
あなたの存在意義。
あなたにしかない魅力。
『魅力、って? 子だぬきみたいに愛嬌のある顔? それとも、生まれながらの天然ボケ?』
なんと微笑ましい返事だろう。
『そういう表面的なこと言ってるんじゃないんだけど』
あなたは気付いていない。 あなた自身の魅力にも、その魅力に気が付いた私たちの苦しい想いにも。
小笠原祥子さま、佐藤聖さま。 きっとまだ増えていくのだろう。 貴女の信奉者たちが。 紅色の薔薇の花の傍らに寄り添い、惜しみなく日照(ひ)を降り注がせる小さな太陽を見出して。
リリアンにはどちらかと言えば恵まれた少女たちが集う。 その中に漂って居れば、あなたは誰にも気が付かれる事無く卒業し、 やがて妻となり、母となり、祖母となって、穏やかに生涯を過ごしただろう。
それを私だけが写真に収めつづける。 素敵な未来はもう来ない。
「結局、自業自得なんだけど」
リリアンにも生息する、心に冷たい棘が刺さったまま、日常という試練と戦っている者にとって。 笑い、泣き、怒り、驚き、戯れる。 あなたの素直な感情は何と眩しい事だろう。
日常。 昨日と同じ今日。 今日と同じ明日。 何も変わらない焦燥。
心を鎧い、表情を創って日々をやり過ごすものにとって。 貴女の真っ直ぐな心根は何と妬ましい事だろう。
誘蛾灯に引かれる虫のようなものだ。
こんなにも眩しく、暖かく、愛しいものを見つけて。 無視することなんて出来ない。
あの、抜き身の日本刀のようにピリピリとしていた紅薔薇のつぼみが、わずか数ヶ月で見事な拵えの鞘に収まった刀となるとは。 『よい刀とは鞘に収まった刀の事だ』----誰の言葉だったか。
あの、なによりも自分自身を憎んでいるよな白薔薇さまが、あれほど真正面から自分の妹と向き合う時が来るとは。
手を貸したい。 守りたい。 庇いたい。
……閉じ込めたい。 私だけの福沢祐巳にしたい。
間違うな。 武嶋蔦子。 自分自身への誓いを思い出せ。
彼女の悩みも、悲しみも、苦しみも。 全て彼女だけのもの。
手を貸すのは良い。 相談に乗るのも良い。 慰めるのも良いだろう。
だが、見極めろ。 守りつづける事で彼女の心を鈍らせていないか?
庇いつづける事で彼女の靭よさを損なっていないか?
答えを出すのは、彼女自身でなくてはならない。
姉でもなく、妹でもない。 『単なるお友達』 たり続ける自分の在りようを見失うな。
彼女の健やかな成長を望む。
その思いの背中に寄り添うように、人は誰もが堕ちるものだという暗い笑みを浮かべた自分が居る。 彼女が歪むさまが見たい。 その時自分は何を思うだろう。 悦びか、諦念か。
恍惚と不安。 まるで2人の自分がタイトロープの上で剣の舞を踊っているようだ。
「私は私の誓いを違えない」 蔦子は全ての始まりのポートレートを額に押し当て呟いた。
「我が名は蔦子。 我は見守るもの。 我は愛しむもの」
自分自身の悪意と戦う少女を、マリア様がみていた。
【ご注意!】ネタ元は、柊雅史さまの作品『あいうえお作文台風接近【No:474】』『祐瞳あいうえお作文【No:475】』です。比べないで……
「お題は私、かつらです……」
『か』なしく無いよ?
『つ』らいって良く分かんない
『ら』いせがあるんだもん……」
「そうだね」
「そうよね」
「そうね」
「そうそう」
「そうよ」
「ひ、ひどい……うえぇ〜〜ん……」
『あっ、桂さん大丈夫!?』
(えへへ……出番げっと……♪)
ある日の放課後、乃梨子は薔薇の館に行く途中、祐巳さまを見かけた。
道をちょいと外れた所でしゃがんでなんかやっている。
「祐巳さま? そんな所で何をなさってるんです?」
「あっ、乃梨子ちゃん。今、瞳子ちゃんの絵を描いてるんだよ」
見ると、祐巳さまは棒で地面にぐりぐりとやってらっしゃる。なるほど、瞳子だ。
「そりゃまた、何でです?」
「だって、最近会ってないから淋しいんだもん」
そう言って祐巳さまはぐりぐりする。なんかもう夢中で。
「あ、瞳子と言えば。祐巳さま、私の新作見ませんか?」
乃梨子は鞄の中から包みを取り出し、こちらに怪訝な顔を向ける祐巳さまに中身を開いて見せた。
「ふわ〜〜? こ、これ……!」
十分の一サイズ、瞳子人形。祐巳さまの目はもう釘付けだ。
「ふふふ、私の持ってる技術の粋を集めて作りました」
「じゃ、じゃあ、奥義全身ドリルも出来るの?」
「は? 奥義? 何です、それ」
「え〜、なんで〜。それじゃあ動かないの、このドリル?」
「いえ、それは勿論動きますよ、当然じゃないですか。私の技術の粋は今作ではそこだけに集中してるんですから。可動範囲もバッチリです」
馬鹿にしないで欲しい。この二条乃梨子を誰だと思っているんですか。モーターライズは基本ですよ。
「じゃあ大丈夫だね。ねえ乃梨子ちゃん、これちょうだい?」
祐巳さまは目は瞳子人形に釘付けのまま、ストレートに訊いて来た。乃梨子の蒔いた餌に上手く掛かったようだ。ニヤリ。心の中でほくそえむ。
「なら、対価を頂きませんと」
乃梨子もストレートに返す。真剣な商談に自然、二人ともキリっと真面目な表情になる。
「うん、良いよ。いつもので良い?」
「はい、結構です」
ゴクリ。喉が鳴った。
「う〜んと……この間の雨の日の帰りに一緒になったんだけど、傘から落ちたしずくが制服の襟から入っちゃって、志摩子さん『ひゃぁぁっ』って言ってたよ」
「……商談成立ですね。良い取引でした」
ふたりとも爽やかな笑顔で固く握手をした。
「ところで祐巳さま、先ほど奥義がどうのと言っておられたのは?」
「あっ、奥義全身ドリルだね。乃梨子ちゃんも知りたい?」
祐巳さまときたら、それはもう天使のような笑顔で。
「それはまあ。次回作に生かせるものがあるかも知れませんし」
「じゃあ、教えてあげるよ。え〜とねえ……」
祐巳さまは生き生きとして、瞳子人形をいじり始めた。
「まずはドリルを両方とも上に向けます。この時左右のドリルを前か後ろ、それぞれ別の方向にちょっと傾けるのがポイントです」
祐巳さまは何故か説明口調だ。
「そうしたら瞳子ちゃんを逆さまにしちゃって、ドリルを地面につけてあげるの。この時瞳子ちゃんを持ってる手は軽く添えるだけなんだよ、危ないんだから」
今度は随分フランクに。興奮してきたのだろう。そしておもむろに。
「で、スイッチオン♪」
うぃ〜〜ん、どりどりどり。
「な、なんとまあ……」
「すごいでしょ♪ これが奥義なんだよ!」
本当に嬉しそうな祐巳さまの声を耳にしながら、乃梨子はその様子を見つめ続けた。うぃ〜〜ん、どりどりどり。
逆立ちで地面を少しずつ掘って行く瞳子人形。角度を付けたドリルの作用で人形全体が回っている。これは確かに全身ドリルだ。流石は奥義。
「ほおぉ……」
乃梨子が感心して見ているうちにも、奥義は確実に掘り進んでいって。もう見えてるのは足首辺りだけ。ん?
「あっ!!」
慌てて乃梨子は穴に手を突っ込んで、瞳子人形を一気に引き上げスイッチを切った。危なかった。
乃梨子が乱れた呼吸を落ち着けていると、祐巳さまの呑気な声が。
「どうしたの? 瞳子ちゃんはまだまだ掘れるんだよ?」
「……その後どうやって回収するんです?」
「え? んん? ……あっ! そうかぁ。私、分かんなかったよ……乃梨子ちゃん、瞳子ちゃんを止めてくれてどうもありがとう」
祐巳さまは何も考えてなかったようで、感心した様子の後、乃梨子に頭をペコリと下げた。
「いえ、私も作品が行方不明になるのはイヤですから。それより祐巳さま、もう奥義全身ドリルは封印ですね……」
「うん、封印するよ。しょうがないよね……」
奥義破れる――!! この事実に二人はうな垂れた。
と言うか、乃梨子がリモコン操縦の可能性について思索していると。
「ああっ!! そうだ〜〜!!」
それまで静かだった祐巳さまが、いきなり大声を上げた。何か考えていたらしい。乃梨子にはそうは見えなかったが。
「どうされました?」
「ど、どうしよう、乃梨子ちゃん。瞳子ちゃんに早く言わないと!」
「なんです?」
「奥義は絶対使わないでって。教えてあげないと瞳子ちゃんが地の底に消えてっちゃうよ!」
「あ、それは大丈夫かと……」
半分予想通りの内容に、乃梨子は落ち着いて返答したが、祐巳さまは聞いちゃ居ない。
「私、瞳子ちゃんに奥義全身ドリルは危ないんだって教えてくるよ! 乃梨子ちゃんは瞳子ちゃんの居場所に見当付かない?」
「はあ、あの……」
どうしたもんだか。この勢いの祐巳さまを止められるのは紅薔薇さまか――
「それには及びませんですわっっ!!」
奴か。
「久しぶりに祐巳さまにもご挨拶をと、瞳子がお近くまで寄ってみれば、お二人してなんと言うお話をされているのですっ!!」
「で、でも瞳子ちゃん、奥義はホントに危ないんだよ……」
祐巳さまはそう言って瞳子人形をギュッと胸に抱いた。それを見た瞳子は顔を赤らめながらも無視して話を進める。
「何のお話ですかっっ! 奥義などと訳の分からない事をおっしゃって。覚悟はおよろしいのですわね。乃梨子さんも」
「えっ? 私はただ人形を――」
「瞳子ちゃん、危ないんだよ――」
「問答無用なのですわっっ!!」
乃梨子は祐巳さまと二人、瞳子からの罰として駅前でハイジとクララの演技をさせられた。
「かしらかしら」
「小悪魔かしら」
とある昼休み。自分の席で、なるほど、と頷きながら『失礼ながら、その売り方ではモノは売れません』を読んでいた乃梨子の元に、敦子と美幸はどこで見つけてきたのか、「↑↑」な感じの触角と「↓」な感じの尻尾を装着し、先割れスプーンをぴこぴこ振りながら、何やらにやにやくすくすと現れたのであった。
「かしらかしら」
「小悪魔かしら」
「・・・どこが?」
本から一向に目を離さず、とりあえずといった風におざなりな声を返した乃梨子に、敦子と美幸は「えいえい」と先割れスプーンで乃梨子を突きながら、再びにやにやくすくすと笑みを零す。
「・・・地味に痛いんだけど。何なの、それ?」
「いえ、ちょうど良い三叉のものがなかったもので」
「コンビニでカレーを買った際に付いてきた、お匙で代用してます」
「いや、そのスプーンの事じゃなくて、お二人の格好のことを聞いてるんだけど」
嫌が応にも目に付く「↑↑」と「↓」を、乃梨子は、むず、と鷲掴みにして引っこ抜きたい衝動に駆られながらも、そこでようやく本から顔を上げ、にやにやくすくす笑う敦子と美幸を見る。
「ですから、小悪魔なのですわ」
「小悪魔?」
「小悪魔です。ですから、イタズラをするのですわ」
言うなり、再びちくちくと己を突き始めた敦子と美幸に、乃梨子はこの上ない鬱陶しさを感じながらも、穏便な状況打破の方法を考えていたが、つい、と視線をやった先に居た人物を確認すると、にやっと二人に負けず劣らずの含み笑いを浮かべ、「甘いわね!」と、ちくちく忙しない二人を振り返る。
「あなたたちは、全然『小悪魔』ってものを分かってないわ」
「え?!」
「どーゆーことですの?」
「彼女を見てごらん!」
敦子と美幸は、乃梨子が指した指先を振り返り、そしてゆっくりと同時に乃梨子に視線を戻してくる。
「・・・瞳子さんが、どうしたのですか?」
「小悪魔というのは彼女みたいな事を言うのよ。・・・試しにその触角と尻尾を、瞳子に付けてみてごらん」
「・・・はぁ」
乃梨子の言葉に半信半疑な表情を浮かべながらも、二人は言われた通りに、イチゴミルクをずずーいと啜っていた瞳子に、手早く「↑↑」と「↓」を装着する。
「・・・一体、何が始まったんですの?」
「はっ! こっ、これは!」
「すっ、すごい似合ってますわ! 瞳子さん!!」
「?」
訝しげな表情とも相まって、まるで本当に「↑↑」「↓」が生えているかのような、その見事な小悪魔具合に、敦子と美幸は恐れおののくようにその場に跪く。
「どう?! これで分かったでしょう? こーゆーのを小悪魔というのよ!」
「・・・小悪魔? どーゆー事なんですの? 乃梨子さん」
「瞳子、ちょっと『ふふん』って顔してみて」
「は?」
「いーから!」
何が何だか・・・とぶつぶつ呟きながらも、瞳子は一度大きく深呼吸をして呼吸を整えると、くいっ、と斜に構え、腕を組んだポーズを取ると、言われた通りの表情を浮かべる。
── ふふん。
「は、はぁぁぁっっ!!」
「こ、小悪魔がここに居ますわっ!!」
「はっはっは。これで君たちがまだまだと言う事が分かっただらう? うん、もうそんなバカな事はやめて、大人しくしていることだな!」
「・・・・・・だから、一体何なんですの?」
それから数日のあいだ、乃梨子は平穏な昼休みを満喫し、存分に読書にも勤しめたのであったが、しばらく経って瞳子に弟子入りした敦子と美幸に、机にドラえもんの落書きをされたり、上靴にクリップを入れられたりして、余計鬱陶しさが増す事になるのだが、まぁそれは因果応報というものなのであり、結局、乃梨子はあの二人に悩まされつづけるのであった。
「かしらかしら」
「青田買いかしら」
とある昼休み。自分の席で、それはどうかな、と首を傾げながら『押○学の人生哲学』を学んでいた乃梨子の元に、敦子と美幸は左右にドリルとノッポを、背後にプチ凸りんを引き連れながら、ふわふわした足取りで現れたのであった。
「かしらかしら」
「青田買いかしら」
「…いや、シリーズ違うし」
本から一向に目を離さず、受信した電波に従って意味不明な声を返した乃梨子に、敦子と美幸は「かしらかしら」と笑いながら乃梨子の周りを回る。
「…第一、青田買い同好会は解散したはずじゃないの?」
「確かに青田買い同好会も青田買い地下組織も解散しましたけど」
「乃梨子さんのたゆまぬ努力の姿勢に感動して復活したのですわ」
「いや、むしろすげー迷惑なんですけど」
ふらふらと視界の端っこの方をうろちょろする敦子と美幸に、むしろこの二人を狩ってやろうかという衝動に駆られながらも、乃梨子はそこでようやく本から顔を上げ、ふわふわしている二人を見る。
「などと言いつつ、勉強熱心ですわ」
「勉強?」
「押○学です。彼を学ぶことは即ち人を魅了する術を学ぶに等しいのですわ」
それは誤解だ、と乃梨子は弁明したかった。少なくとも押○学哲学で魅了される妹だけは、断固として御免こうむる。
「乃梨子さんが乗り気になってくださって、嬉しいですわ」
「早速、中等部に吶喊して可愛い妹候補をGETして唾つけて差し押さえですわ」
「まぁ、唾つけるなんてはしたないですわ」
ぐいぐい乃梨子の両腕に取り付いて引っ張ってくる敦子と美幸に、乃梨子は仕方なく席を立った。なんていうか、多分抵抗するだけ無駄だと思う。
「かしらかしら」
「青田買いかしら」
「中等部の子達を誑かすかしら〜」
というわけで。
「あ、あの子結構可愛いかもですわ」
「いえいえあちらの方のほうが美人って感じですわ」
「ちょっときつそうじゃありませんこと?」
再び、昇降口近くの茂みに隠れて行き交う女子中学生を物色、もとい観察しているのだ。
「あの子は陸上部のホープで、既に去年の内に陸上部の先輩と内定済みです」
「それは残念ですわ」
「内定取り消しを上訴しますわ」
唯一前回と違うのは、オブザーバーとして正体不明の中等部の生徒が最初から加わっているので、黄薔薇地雷の誤爆だけは避けられる点だろう。もうそれだけが唯一乃梨子のポジティブ・シンキングを支える砦だった。
「そうですわ、まず最初にすることを忘れていましたわ」
「まぁ大変。敦子さん、うっかりさんですわ」
敦子が何かを思い出して鞄を漁り始めた。何を思い出したか分からないけれど、思い出さないでくれれば良かったのにと、内容を聞かずして乃梨子は思う。
「じゃん。同好会のたすきですわ」
「まぁ素敵。友情のたすきリレーですわ」
敦子が取り出した『青田買い同好会』と書かれたたすきを全員に配り始める。もちろん乃梨子にも。
「どうぞ、乃梨子さんの分ですわ」
「きっとお似合いですわ」
「――って私会長かよ!」
渡されたたすきに書かれた『青田買い同好会会長』の文字を見て、乃梨子はたすきをベシッと地面にたたきつけた。
「お気に召しませんでしたか? 残念ですわ」
敦子がにこやかに笑って代わりのたすきを取り出す。会長の文字がないだけマシだったけど、丸文字で『青田買い同好会』と書かれたたすきを下げている自分の姿を見下ろして、乃梨子は少し泣きそうになった。
「――あの子はどうでしょう?」
乃梨子がたすきを装着したところで、真剣に中等部の生徒を吟味していた瞳子が口を開いた。
「ちょっと愛嬌のある顔立ちが中々祐巳さまっぽくて高得点――」
「むしろお前は妹より姉をどうにかしろよ!」
「そ、それはまた別問題ですわ!」
乃梨子の指摘に瞳子が顔を赤くして頬を膨らませる。痛いところを衝いてやったようだ。ざまぁみろ。悔しかったらこの傍若無人な友人二名の暴走を止めてください、お願いします。
「確かに中々の逸材ですわ」
「それでは、まずは私が参りますわ」
美幸が気合いを入れて茂みから立ち上がり、てってって、とその中等部の生徒に近付いていった。
「スニーカーは私の基本。動きやすいですわ」
「……は?」
「虎舞竜なら13章かかるところも、私なら2小節ですわ」
「あ、あの……」
「最近コンビニの募金箱に1万円入れましたわ」
「そこで押○学かよ!」
目が点の中等部の生徒を見るに見かねて、乃梨子は美幸を茂みに引き戻した。声を掛けられた可愛い後輩は、半泣き状態で逃げて行く。変なトラウマにならないことを祈るばかりだ。
「乃梨子さん、邪魔しないで下さいませ」
「邪魔じゃないしスニーカーじゃないし何が2小節だか分かんないしでも募金したのは偉いけど意味不明っ!」
とりあえず溜まったものを一気に吐き出してみた乃梨子に、可南子が「全くです」と神妙な顔で頷く。
「そこは普通、5月で24になってるけど、心はいつまでも17でいたいと声を掛けるべきで――」
「みんなまだ16歳だ!」
乃梨子の指摘に、敦子と美幸が「まぁ」と声を上げる。
「かしらかしら」
「勝負ありかしら」
「……は?」
ふわふわと踊るように言い出した乃梨子の眼前で、敦子と美幸が揃ってたすきをひっくり返す。
「かしらかしら」
「セブンの負けかしら」
たすきの裏に書かれていたのは『乃梨子さんに突っ込まれ隊』の文字。
「今回の順位は敦子さん、私、美幸さん、可南子さんですわね」
「あ〜、だからこのシチュエーションは不利ですってば」
生徒手帳を取り出して何事か記入する瞳子に、中等部の子が不満げに口を尖らせている。
乃梨子の目は点になっていた。
「かしらかしら」
「第1回の会合は終了かしら」
「第2回が楽しみですわね」
「今回は負けなかったし、よしとするわ」
「うー……次は負けませんよ!」
思い思いに感想を述べて「それでは解散ですわ」とにこやかに解散宣言する5人を見送って、乃梨子はがくりとその場に崩れ落ちた。
「――生きていたのかよ乃梨子さんに突っ込まれ隊」
第1回乃梨子さんに突っ込まれ隊会合が終わり、ゆっくりと日が暮れていく中。
乃梨子はひっそりと涙した。
「しかも、第2回やるのかよ……」
ザザアァァァ
人の形をしたモノが、風に吹かれ、砂となって散っていく。
それを凍てついた目で見下ろしていた法衣の人物は、ハッとしたように振り向いた。
月の光の下に白い人影が浮かび上がる。
その人物は、悪びれた風もなく穏やかな笑顔を浮かべて口を開いた。
「ごきげんよう」
「………ミス・ホワイト」
冷たい汗が流れる。
「気配を消して後ろから近づくのは、いい趣味とはいえませんね」
「ごめんなさい。気を散らさない方が良いと思って」
「それはどうも」
どこまで本気かわからない相手の言葉に、つい皮肉めいた言葉が漏れた。
「ところで、『戦慄の白』と呼ばれたあなたが何故ここに?」
「偶然、通りかかっただけなのだけれど……」
苦笑する気配。
「『弓』と呼ばれるあなたがここにいるということは、この街に吸血鬼が?」
同じように問い返してくる。どちらも、教会に連なるものの間では知られた名だ。
「答える必要はありません」
そう応えて、しかし軽くため息をつく。
風にのって散っていく砂……いや、灰を目で追うように視線を流しているのを見れば、気付いていたのは明白だろう。
「確かに、答える必要はありませんね、代行者。あなたがここにいるのだから」
代行者。それは教会から派遣され、人外のモノを狩る非公式の存在だ。
「これは私の任務です。邪魔は……」
「あなたのお仕事に干渉する気はありません。こちらに被害が及ばないかぎりは」
それは被害が及んできたら干渉すると言っているに等しい。隠しの中の投擲武器に手が伸びる。
「私達一般人に極力被害が広がらないよう、迅速な対処を望みます」
「誰が一般人ですか」
はき捨てるように呟く。カチャリ、と剣先が擦れる。
「何か?」
「あなたに言われるまでもありません。すぐに終わらせてさっさと引き上げます」
「ええ、お願いしますね」
そう言って間合いを外すように闇に溶け込んでいく。
「では、ごきげんよう」
その言葉を最後に、気配は消えた。
「……誰が一般人ですか」
忌々しげにもう一度だけ呟く。見上げた月は嫌になる程明るかった。満月になるまでに終わらせなければいろいろと面倒なことになる。
即座に気持ちを切り替えて、月明かりを避けるように闇の中へ駆け出した。
後には風に散らされた灰だけが、わずかな時間、舞うだけだった。
「かしらかしら」
「友情かしら」
昼休み、もう周囲には絶対耳を貸さない決意で乃梨子が「わらびもち屋はなぜつぶれないのか」を読んでいると、例によって現れた敦子美幸の二人組。きょうは二人だけで連れはないらしい。
「ちょっとお。まだやるのお?」
「わたくしたちの友情は永遠なのですわ。」
「そう、永遠なのですわ。」
うるうるした目で両手を組み、乃梨子の方へ訴えかける二人はなんだかわからないけど、ものすご〜く警戒した方がいい気がする。あのね、私はマリア様じゃないんだから。
「友情ってあのねえ。今日は、瞳子や可南子はどうしたのよ。」
「可南子さんは人物紹介から消えてしまいましたし。」
「瞳子さんはご自分の姉問題でそれどころではないし。」
「いまや、乃梨子さんだけが頼りなのですわ。」
「なのですわ。」
「だあから、なにがって。」
「このまま聖書朗読同好会にだれもはいっていただけなくて」
「目立った活躍もできなくて」
「このまま、わたくしたちが2年生になって一年椿組の皆様と違うクラスになってしまえば」
「しまえば」
「「出番がなくなるのですわーーーーーーー。」」
そりゃ、言えてるわ。この二代目並薔薇ズ。
「はあ、そりゃまあ、はっきりいってそうだろうけど。それと私とどう関係があるのよ。」
「だから、今のうちに本来主役の乃梨子さんと『印象的なエピソード』をつくっておいて。」
「マリア様がみてる〜夏〜での出番を確保するのですわ。」
「印象的なエピソードって。」
「たとえば、乃梨子さんが志摩子さんに冷たくされて雨の中でひとり立ちつくす時に助けに現れるとか。」
「あ、それだめ。せいぜい車が迎えに着たのを知らせるくらいの役しかもらえないから。しかもアニメだと日出実ちゃんあたりにその役もとられるから。」
「それじゃあ、学園内で黄薔薇革命みたいな大事件が起きた時に乃梨子さんに知らせに来る役」
「うーん、アニメだとなんとか出てたけど、漫画だともう最初から存在してないし。笙子ちゃんにその役はとられるわね。」
「冷たいですわ。乃梨子さん。」
「どうしても、わたくしたちをおいてきぼりにするつもりなんですか。」
「ちょっと待ちなさい。」
乃梨子が振り返ると、どこかで見たような二年生・・・・・・・って思い出せない。
「どなたでしたっけ。」
「忘れないでー。桂よ桂。」
「ごきげんよう、桂さま。」
「ごきげんよう、あの、正直に申し上げて桂さまにはあまり近づきたくないのですが。」
「なんてこというの。私だってまだ新刊で名前くらいは出てくるんだから。」
「土俵際で残っていらっしゃいますね。」
「もはや死に体。」
「ちーがーうっ。とにかく、薔薇さまかつぼみの誰かと同じクラスというのは死守するのよ。」
「はあ、今の桂さまの存在意義は白薔薇様と同じクラスで」
「白薔薇さまの動静を祐巳さまにお伝えするただそれだけの役割ですもの。」
「それも本人出演できずに伝聞で。」
「そうなのよ、もともと学内の情報を主人公に伝えるのが私たちの役目。所詮、影の存在なのよ。脇に徹する青春なのよっ。」
ぐっ、と握り拳を固める桂さん。
「つまり、乃梨子さんと同じクラスというのを死守しなければいけないのですわ。」
「そうすると、学年主任の先生を落とさなければなりませんね。」
3人の会話をジト目でながめながら聞いていた乃梨子がわざとらしいほど優雅にひとこと。
「そういえば、あなたがた、苗字はなんておっしゃいましたかしら?」
「きゃああ、言ってはならないことを。」
「ありますわ、ちゃんとあるんですわ。」
「三枝。」
「ゴンザレス。」
「うっく。」
「乃梨子さん、お恨みいたしますわっ。」走り去る敦子、あれ美幸かな?もうどっちかわからなくなった。
「あ、待って。」追いかける、先に走り出した方じゃない方。
「3人まとまったら使ってもらえるかも知れないわ、希望を持つのよ。」
・・・・・うちら陽気な姓なしむすめ・・・・・
ふう。静かになった。
椿組はキャラ多すぎるからねえ。次のシリーズにはたぶん出ないわね。
がちゃSあたりで静かに余生を送るのよ。
白い哀れみを込めて見送る乃梨子だった。
−−−−−
「祐巳さま。がちゃS投稿ヘルパーのデバッグのためのテスト投稿はいいんですけど。」
「そうよ瞳子ちゃん。もうちょっとなんだから。」
「まさか動作チェックのたびにSS一つずつ作るなんて考えてないでしょうね。」
「だって、欠番作るのも申し訳ないし。これはテストです、なんて書いちゃうのは迷惑だし。」
「おめでたいですっ。今週は本職が忙しいって言ったのは祐巳さまですよっ。」
「いや、プログラムの方を作ってると書きたくなって。」
「・・・・・・・要するに書きたいんですね。」
「・・・・・・・うん。」
「・・・・・・・数こなすと質落ちますよ。」
「・・・・・・・私たち、それ、もともとだから。」
「かしらかしら」
「青田買いかしら」
とある昼休み。乃梨子がわりと集中して『フェルマーの最終定理―最近純粋数学ってどうよ?』を読んでいると敦子美幸がこの二人にしては珍しい取り合わせのしかし良く知った二人を従えて現れた。
「聞いたわよ乃梨子さん」
「青田買いですって?」
「…どうして喰いつくかな、日出美さんに笙子さん」
興味津々な次世代報道コンビに乃梨子は頭を抱えた。
「乃梨子さん、この方々も同好会に参加したいと申してくださったのですわ」
「会の趣旨に賛同してくださったのですわ」
「参加って……」
これ以上増やしてどうする。
既に廃棄処分になってるってのに、この勢いはなんなのだ。
「……大方可南子あたりが入会を取材の条件にしたんじゃないの?」
「それなら話が早いわ。白薔薇のつぼみが祐巳さま似の可愛らしい後輩を妹に内定したんですって?」
「是非、写真を1枚。できればツーショットで」
予想通りであった。
乃梨子は、片やメモ帳にペンを持って、方やデジカメを構えて迫る二人に思わずのけぞった。
というか、いつからそういう話になったのか。
「「そして、これがその噂の妹ですわ!」」
「なんだってー!?」
「さあ」と敦子と美幸に促されて教室の入り口から控えめに入ってきた中等部の制服に身を包んだ一人の少女。俯いていて顔はよく分からないが、祐巳さまのような髪型のツインテールは少しだけくるくると癖がついていて志摩子さんっぽいかなと思った。
どこから拉致ってきたんだ。
「白薔薇さまの妹に内定した感想は?」
「あ、その恥ずかしつつ嬉しいそうな表情が!」
早速取材にかかる日出美と写真を撮りまくる笙子。
その少女は頬を赤らめて小さな声で受け答えしているようだ。
相変わらず俯いていて目が良く見えないが。
でも口元の表情や仕草から「今私、幸せ」ってなオーラがほとばしっているのが判る。
あ、涙が。
初々しくて良いよね。きっと内気な子で「こんな私が」って感激したんだろうね。
「よかったですわね」とか敦子と美幸はそばでもらい泣き。
乃梨子はおいてきぼりだ。
「さあ、乃梨子さんも人事みたいに眺めてないでこちらへ」
だって人事だもん。身に覚えないし。
敦子と美幸に引っ張られて問題の少女の前に出た。
長めに切りそろえられた前髪で目を隠しているのは内気な子だからなのか。頬を真っ赤にして俯き加減に畏まる少女は乃梨子の目にもなにかこう、くるものがあった。
ぶっちゃけ萌えた。
いや、それは置いといて。
「えっと、あなた、名前は?」
「……祐巳子です」
「じゃあユミコちゃん、聞いて」
「はい」
「あなた、騙されてるわよ」
そう、こんな異次元空間はさっさと終わらせるに限るのだ。
「え?」
先ほどの幸せいっぱいが一変して超不安なオーラになった。
「こんなこというのは残酷かもしれないけど、私、妹を内定した覚えなんてないの」
がーん
と効果音付きで驚愕する少女。
っていうか効果音!?
何処に潜んでいたのか可南子がカセットレコーダーを操作している。
「そ、そんな……」
不可に崩れ落ちた少女がハンカチを噛みながら涙を流す。
「ちょ、ちょっと」
なんだこの子。
「あのとき、優しい言葉をかけてくださったのに」
「いや、そんなときないって」
「『ずっと一緒に居ようね』ってそれで私は『はい、乃梨子さまが嫌でも離れません』って」
「いや、あのね……」
もしかしてこの子誰かと勘違いしてない?
「そう! それは桜が満開になる季節のことでした」
「は?」
彼女はいきなり拳を握りしめて立ち上がった。
「三年生になった姉である白薔薇さまも受験のためあまり乃梨子に構っていられない。そんな寂しさのためか早朝一本の桜の木の下に佇んでいた乃梨子が出会った一人の少女!」
「っていきなり語り!? 未来の話!?」
「桜吹雪の中、『ごめんなさい』と言って去っていった少女は実はかつて青田買いで乃梨子が声をかけた少女だった!」
「そんな彼女と乃梨子さんのロマンスを描く問題作ですわ」
「主演は乃梨子さんですわ」
「企画は青田買い推進委員会ですわ」
「というわけで乃梨子さん。よろしくですわ」
……
…………
………………。
「……ってあんた瞳子じゃない!!」
人間、突込みどころが多すぎると手近なところに突っ込むものなんですね。
「ごきげんよう、有馬菜々ちゃん」
「ごきげんよう、鳥居江利子さま」
「少しお話したいのだけど、いいかしら?」
「わたしのほうはかまいませんが…」
「なにかしら」
「しばらくそっとしておかれるはずだったと思いますけど?」
ぴく。
「何のお話かはわかりませんけど、少し間をおかれたほうが効果もあるのではないでしょうか」
「それもそうね。しばらく我慢するわ、ごきげんよう」
「ごきげんよう、江利子さま」
「菜々、江利子さまになに言われたの?」
「いえ、別になにも」
「うそ、二人で話してるのを見たってきいたんだから」
「ああ、でも何もきかずに帰っていただきました」
「そんなはずないわよ。あのかたがそんな引き下がるなんてありえないわ」
「でも」
「いいわ。とにかく、絶対ききだすから。あとで待ってなさい」
本当なのに。まあ、デートできるし。…一応ありがとうございます、鳥居江利子さま。
祥子さまとの遊園地デートから1週間後。クリスマスも近くなってきて、少しずつ肌寒くなっている。
柏木さんは祥子さまに関して私の『同志』だと言った。その意味を私は正確に理解できていないと思う。
祥子さまと私の関係は姉妹という絆で結ばれている。じゃあ、姉妹とは何なのだろう。志摩子さんが言うような『与えられるもの』を共有した存在なのだろうか。蓉子さまが言うような『包み込んで守るのが姉、妹は支え』なんだろうか。
百組いれば百通りと言うけれど、私と祥子さまの関係はどんな関係なのだろうか。祥子さまは私がいつも力をくれると言っていた。でもそれだけじゃ駄目だということもおぼろげながら判っていた。
祥子さまとのデート以来、気が付くとそんなことばかり考えている自分に気が付いた。
§
クラブ棟の喧噪の中でさえ、ばたばたとした足音が聞こえてきた。
ちょうどコーヒーを入れていた真美は、溜め息をついて棚からもうひとつコーヒーカップを取り出した。
「スクープよ、スクープ!」
真美は飛び込んできた足音の主を軽く一瞥すると、冷ややかに苦情を言った。
「お姉さま。仮にもリリアン生が怪獣もかくやという足音でどたばた走ってこないでください。お姉さまだけが後ろ指さされるのでしたら、どうぞご自由にと言いたいところですけど、姉妹である私の品性までもが疑われます。ひいては日出実にも迷惑がかかるんですよ?」
「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃない。締め切り間際で困っている可愛い妹を見かねて、ネタをかき集めてきたのに」
日出実ちゃんには優しいのに、私には冷たいんだからと、三奈子さまは少し口を尖らせた。
そんなお姉さまは可愛かったし、可愛い妹を見かねてという言葉もちょっと嬉しかったので、私は煎れたばかりのコーヒーを差し出した。ここまで走ってきたお姉さまのために、濃かったり熱すぎたりしないよう少し水を注したものだ。
確かにネタには困っていた。山百合会関連の話と言えば、茶話会からこっち何もない。由乃さんが急に部活に打ち込んでると聞いて探りを入れてみたが、剣道部に妹候補がいる様子もなかった。しぶしぶ委員会紹介なんていうつまらない記事を書いていたところだ。
「判りました。どうせ大したことはないと思いますがお話を伺いましょう」
「瞳子さん支援委員会が結成されたそうよ」
「は? 瞳子さんって、祐巳さんの妹候補のあの松平瞳子ですよね? 何を支援するって言うんです?」
「そこまで自分で言ったのなら判るでしょう?」
真美は口に手をあて一瞬考えるそぶりをして、答えを導き出した。
「そうですね。さしずめ祐巳さんの妹になれるよう支援する有志の集まりと言うところですか」
「そういうこと。一年生が中心のね」
「でも瞳子さんはアンチ派も多いでしょう?」
「茶話会の前はそうだったわ。でも元アンチ派がその委員会に積極的に参加しているみたいなのよね。想像するに、祐巳さんと瞳子さんは学園祭であれだけ仲が良さそうにしていたのに、祐巳さんは茶話会なんかを開いた。瞳子さんを妹に据える出来レースかと思いきや、瞳子さんは参加せず、妹候補を山百合会にお手伝いとして呼ぶ始末。瞳子さんは祐巳さまに捨てられたのか? それとも自分たちが騒いだせいで瞳子さんは参加できなくなったんじゃないか、とか」
「はあ。同情と懺悔ですか」
「さしずめそんなところでしょうけど、真美。あなたってばホント辛辣ね」
呆れたように三奈子さまが言う。ええ、お姉さまの前でだけですけどと心の中で言って、それでもいつもの口調で答える。
「ただ客観的かつ端的に表現しただけです。でも気持ちは判りますよ。祐巳さん、瞳子さんは祥子さまが好きっていうことが頭にあるせいか、瞳子さんのこと妹にって言われてもぜんぜんピンと来てないみたいですし。あれだけアプローチをかけてる瞳子さんが可哀想ですから」
「やっぱり、瞳子さんは祐巳さんが好きだって思う?」
真美の瞳を覗き込むように三奈子さまは尋ねた。その言葉は確認という響き以外にも意味を持つように思えた。
「やっぱりってお姉さま、何か知ってるようですね?」
「この前の祥子さま探しの一件で、瞳子さんと少しだけ話したから。そういう真美こそ何か知ってるようね」
どうやら三奈子さまは図書館で祥子さまがうたた寝をなさったことを言っているらしい。そういうことにかけては勘の鋭い方だから、その洞察は間違いないだろう。
「日出実から体育祭や学園祭での瞳子さんの様子を聞いています。きっと、祐巳さんを好きになったけど、以前祥子さまとのことで揉めた手前、素直に自分から言い出せないという所でしょう。一端作ってしまった関係や態度を覆すのは難しいですから」
もちろん状況証拠ばかりの推測だ。でも間違っていないだけの自信はある。お姉さまならこれだけの材料で素敵な記事になるだろうし、私が書いたってそこそこの記事になるだろう。
でも……。
「当事者の気持ちが判ったところで、この件記事にする? 一応、あなたが編集長だから、あなたが決めることだと思うけど」
でもこれは書いて良いのだろうか。黄薔薇革命の記事は、生徒に大きな影響を与えた。当時は正しいと信じて書いた記事は、今の由乃さんを見れば誤りだったと判る。
記事を元に破局を迎えた多くの姉妹はすぐ復縁して事なきを得たが、みゆきさんの姉妹は復縁するまでそうとう苦労していた。お姉さまに会って貰うこともできずに追い詰められていったみゆきさんのことを思い出すと今でも心が痛む。
記事にして発表するということはそういう可能性を作るということだ。すべての人にとって良いニュースばかりを伝えられない以上、仕方がないけれども、それゆえに報道する側の良識が問われるだろう。
「一応じゃなく正真正銘、私が編集長です。そうですね、書いたら瞳子さんは意固地になるでしょうし、祐巳さんは嫌がるでしょう」
「まだ、書けない?」
書いたら面白い記事になるのにと、ちょっと心残りそうに尋ねる。
「ええ、せいぜい取材を続行というところですね」
「私だったら記事にするけど。いいわ、真美がそう言うなら」
三奈子さまは意外にあっさりとそう言った。きっと三奈子さまも去年の反省から判っているのだ。報道が踏み込んでは行けない領域を。
「そうしてください。『一応』、私が編集長ですから」
そう言うと真美と三奈子さまは同時に吹き出した。
「蔦子さま、何だか楽しそうですね」
笙子の声で我に返り、蔦子はレンズを磨いていた手を再び動かし始めた。
背中を壁に預け、隣から漏れ聞こえる会話のキャッチボールに耳を傾けていたのだが、つい微笑ましくなってそれが顔に出ていたらしい。
今は部室に笙子しかいないから良かったものの、他の人から見ればまるで怪しい人だ。笙子に見られるのは良いのかと問われると、笙子には見られたくないという気持ちと笙子になら見せても良いかなという気持ちがあって、正直よく判らない。
私は背後の写真部に面した壁に視線を向け、理由を説明した。
「なに、あの姉妹はあの姉妹で仲いいのよねえ、と思っただけよ。まるで次に相手が言う言葉が判っているかのような会話だなって」
笙子はそれだけで誰のことを言っているのかおおよそ察したらしく整った顔をふんわり和らげた。モデルだったのだから顔立ちが整っているのはもちろんだが、こういう表情をすると本当に柔らかな雰囲気になる。
笙子はその笑顔のまま椅子を引き寄せ、蔦子の隣にちょこんと座った。そして手に持ったカメラを思わず向けたくなるようなとびっきりの笑顔を浮かべて囁く。
「素敵ですよね。そんな姉妹に憧れちゃいます。蔦子さまもそう思いません?」
穏やかでいて真剣さをちょっぴり混ぜた瞳に見つめられ、蔦子の頬は急速に火照っていく。そんな露骨に来られては、どんなに弁論が長けていてもさりげなく話を逸らすのは不可能だった。
「た、確かに素敵だと思うよ。……え、えーっと。あ、そうだ、昨日撮ったネガ、焼かなくちゃ」
くすぐったいような嬉しいような恥ずかしさに蔦子は耐えきれず、顔を明後日にそむけ答えを返した。微かに触れあった肩が熱くなってるせいで少々声が裏返ってしまっているのが情けない。
「もう、蔦子さまったらあ」
立ち上がる蔦子に、笙子はえへへとばかりに小さく舌を出した。そして小走りに蔦子を追いかけ、現像を手伝うため薬品庫の在庫をチェックし始めた。
そう言えば、中等部の時にフライング参加したバレンタインの変装として高等部の制服着てきたり、パネルの中でキラキラ輝きたいという理由で山百合会に入ろうしたり、笙子ちゃんはどんなことでも徹底している。このアプローチだって計算されたものに違いない。
まいった。写真部のエースともあろうものが、徹底的に振り回されてる。しかもそれがちょっと嬉しかったりするのだから自分自身に呆れるしかない。
一枚も二枚も上手らしい後輩の姿を横目で見ながら、写真部のエースも年貢の納め時なのかもと蔦子は空を仰いだ。
大いなる命題に思い悩んでいた蔦子には気付くよしも無かったが、この時、隣の部室では、まさに扉をばたんと音を立ててスクープが飛び込んだ所だった。
「お姉さま! あの可南子さんが紅薔薇のつぼみを振ったそうです!! しかも既に茶話会の前に!」
それはこの後の数日間の騒動の始まりを告げる鬨の声だった。
吹き抜ける風に冬の匂いが混ざり始めた小春日和。祐巳、志摩子、由乃の三人は、中庭で仲良くお昼御飯を食べていた。
お弁当も食べ終え、のんびりとくつろぐ三人の前に、ひょっこりとゴロンタが姿を現した。
「あ、ゴロンタ久しぶりじゃない!最近ドコ行ってたのよ?」
由乃は満腹感とうららかな陽射しが作る満足感から、上機嫌でゴロンタに声をかける。
ゴロンタは鼻をヒクヒクさせながらこちらを伺っている。どうやらお弁当の匂いに釣られてきたらしい。
「お?何か欲しいの?・・・・・・でも、もうお弁当全部食べ終わっちゃったしなぁ・・・」
由乃は空のお弁当箱とゴロンタを交互に見やる。
「由乃さん、良かったら・・・」
そう言って志摩子が差し出したのは、プルトップ付きの鯖缶だった。
「あら、志摩子さんたら良い物持ってるじゃない♪」
由乃は喜んで鯖缶を受け取った。
「ウチにたくさんあった物なの」
「そうなんだ〜」
由乃がゴロンタに歩み寄りながらプルトップに爪をかけた時、祐巳はある事に気付いた。
「?・・・・・・由乃さん、その鯖缶なんだか膨らんでムグッ!」
志摩子は祐巳の口を背後から塞ぐと、そのまま無言で祐巳を引きずって由乃から3mほど距離を取った。
「今お魚あげるからね〜」
由乃がニコニコしながらプルトップを引いた。
プシッ!! ブシャアアァァァァァァ!!
その瞬間、鯖缶から強烈な生臭さと共にイイ感じに白濁した汁が勢い良く噴き出した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
由乃は全身異臭と汁にまみれながら無言で立ち尽くしている。
「・・・・・・・・・志摩子さんコレは?」
地の底から湧き出るような声で由乃は志摩子に問いかける。
「ウチの非常持ち出し袋に大量に入ってたのだけど・・・」
「だけど?」
由乃は前髪からポタポタと生臭い汁を滴らせながら志摩子のほうへ無表情で振り向いた。
すると志摩子はさらっとこんな事を言い出す。
「やっぱり八年も放置してると缶詰でも腐るのね」
言うと同時に志摩子は全速力で逃走し始めた。
「待てやコラァァァァ!!」
「うわクサッ!?」
志摩子追撃に向かう由乃が横を通り抜けた瞬間、祐巳は猛烈な異臭に思わず鼻をつまんだ。
「わざとじゃないのよ?由乃さん」
志摩子が走りながらそんな事を言ってくる。
「嘘つけぇぇぇぇ!!自分は安全圏に逃げたクセにっ!!」
「ただ由乃さんが何の疑問も持たずに受け取ったものだからつい面白そうだと思って見殺しにしただけで・・・」
「ぶっとばぁすっ!!」
二人は叫びながら尚も全力疾走し、祐巳の視界から消えていってしまった。
「仲が良いんだか悪いんだか・・・トムとジェリーみたいだなぁ」
祐巳は二人の消えた方向を見ながら、そんな事を呟いていた。
「お昼休み終わる前に帰ってくるかな?ねえゴロンタ・・・・・・・・・ゴロンタ?!」
祐巳がゴロンタに目を向けると、白目を剥いたゴロンタがピクピクと痙攣していた。
今回の一番の犠牲者は、空腹時に人間よりも鋭敏な嗅覚でいきなり強烈な腐敗臭を嗅がされたゴロンタかも知れない。
尚、余談だが、“三”つ編みの髪の“毛”を振り乱しながら“猫”のように牙と爪をムキ出して志摩子を追いかける由乃の姿を目撃したリリアンの子羊達は、影でこっそり由乃の事を“猛る三毛猫”と呼んだという。
「・・・魚臭いところも猫っぽいわよね」
「誰のせいだぁぁぁぁぁ!!」
祐「瞳子ちゃーん!」
瞳「何ですの?祐巳さま」
祐「プール行こ!」
瞳「な、なんですかっ!いきなりっ!」
祐「近所にね、プールができたんだ。だから瞳子ちゃんと行こうと思って」
瞳「・・・」
祐「ね?行こうよ」
瞳「(祐巳さまとプール祐巳さまとプール祐巳さまとプール…)し、仕方ありませんわね。
瞳子がご一緒いたしましょう」
祐「わぁっ!行ってくれるのっ!うれしー!(ぎゅ)」
瞳「(祐巳さまっ、抱きつかれたら、瞳子の理性が・・・っ!)
で、そのプールはどこなんですか?」
祐「○○の所の、××市営プールだよ。待ち合わせとか、あとで連絡するね〜!」
乃「・・・で、なんで私に?のろけたいだけ?」
瞳「違いますわっ・・・その・・・」
乃「ん?」
瞳「・・・市営プールがどんなものか、知りたくて・・・」
そう、瞳子は市営プールに行ったことがない。
遊泳は、高級ホテルのプールや、リゾート地の海だけである。
乃「え、知らないの?市が運営する・・・」
瞳「そのくらい知ってますっ!
私が聞きたいのは、印象ですわっ!」
乃「印象って・・・、
人が多いとか?割とごった返すとか?子供が多いとか?」
瞳「そうなんですか?」
結構世間知らずらしい。
瞳「水着・・・はどんなのが?」
乃「私が最後に行った時は・・・中学生だったけど、スクール水着だったわよ。
市営なんだから、スクール水着でいいんじゃない?」
瞳「スクール…水着…」
祐「とーうっこちゃーんっ!」
瞳「ごきげんよう」
瞳子は準備万端。服の下には水着も着込んである。
祐「じゃ、行こうか」
瞳(だ、だまされましたわ―――――っっ!!)
祐「瞳子ちゃん?どうかした?」
瞳「い、いいえっ、なんでもありませんわ」
乃梨子から聞いていた話とは、全く違う。
とにかく綺麗で、新しくて、設備もよくて、子供やファミリーより、中高生やカップル向け
だった。
瞳(脱衣所も綺麗・・・)
祐「わっ!瞳子ちゃん、スクール水着だ!かっわい〜!」
瞳「えっえっえっ!?」
祐(ぎゅう)
瞳「ふぎゃっ!」
祐「恐竜の赤ちゃん、ここにもはっけーん!(ぎゅ――!)」
瞳「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
誰もいない更衣室に、断末魔の声が上がった・・・。
くりくりした丸い目玉。
ふさふさで真っ白な毛皮。
ちっちゃいくて、可愛い姿。
知ってる人は知っている。
ポルボォーラであ〜る。
それが、何故か、薔薇の館の椅子の上でチョコレートをパクパク食べている。
「……ごきげんよう、祐巳さん。何してるの…?」
「あ、由乃さん、ごきげんよう。見て見て。可愛いでしょ?」
祐巳はそう言いながら、『ポルボォーラ』の頭を優しく撫でている。
「……あー、そうね。可愛いわね。」
由乃はそう言いつつ、すぐさま回れ右をして歩き始める。つまり、扉に向かって。
「…?どうしたの?由乃さん?」
『ポルボォーラ』にチョコを手渡しながら、怪訝そうに尋ねる。
「私、今日用事があって帰るから、それを伝えに来ただけなの。だから、もう帰るわ。」
と言いつつ、足早に扉に向かう。
「じゃあね、祐巳さん。ごきげんよう。」
そして、祐巳が何か言う前に、あっという間に部屋から出ていった。
「……変な由乃さん。」
そして、改めて『ポルボォーラ』に向かい合う。
「さあ、チョコレートだよ〜」
そこにはポルボォーラのぬいぐるみ(?)を被った瞳子がいたそうな。
蓉子と江利子と聖が、薔薇の館で仕事をしていました。
何かの書類をホッチキスでがっちゃんがっちゃん綴じている模様です。
蓉子はいつもの通り、聖もめずらしくがんばっていましたが、江利子は気だるそうな表情を浮かべて、まったく手を動かしていません。
蓉子は腹を立てながらも、江利子の分の作業までしていましたが、ようやく手を動かしたかと思えば、
「・・・こうよ。大胆に」
と、かなりいい加減に書類を綴じたその様子に、とうとう我慢の限界です。残り僅かになっていた書類を引っ掴むと、
ばしっ、と江利子の前に叩きつけました。
「居るだけ? 四部残り、江利子の分よ!」
「気だるい・・・」
書類を前にしても全く意に介さず、だる〜んと机に突っ伏す江利子に、蓉子はもう怒り心頭、大爆発寸前です。
しかし、そこは聖が何とか押し留めました。
「・・・忍耐だ、蓉子」
そう。この瞬間、波乱は起きていたのであった。
何と、蓉子たち三人の台詞が 「なかきよ」 になっていたのである!
琴吹が書いた【No:446】「天使に会った」の続きになります。
物語を最初から確認したい場合は【No:417】へ
「二条さんは本当に仏像好きなんだね。30分以上見てるとは思わなかったよ」
祐麒さんはそういって私を見て微笑んだ。
羽藕観音を見せてもらってから、1時間がたっていた。
今はM駅近くの喫茶店に二人で入って、お茶を飲んでいるところだ。
テーブルの上にはすでに、ホットコーヒーとミルクティーが置かれている。
「すみません、あまりにも珍しかったので、つい見入ってしまって」
あの仏像を見た瞬間、私は祐麒さんのことをすっかり、失念し、30分もあの観音様を見つめていたのだった。
「気にしないで、元々あれが目的だったわけだし。しかし、仏教とキリスト教って、意外と近いところにあるんだね。調べてみると面白いかも」
「私たちの文化祭のクラス展示がそんな感じの展示だったんですよ。『他教のそら似展』キリスト教と他の宗教のに照るところを比べてみようという企画だったんです」
「それ見たかったなあ・・・。当日は小林たちについて行ったから、そういう文化的な展示はよらなかったんだよね」
「そうですか、それは残念です」
見てくれていたら、この話で、もう少し話ができたのにと思う。だから、私はメモ帳に+1とつけた。
「さて、これからどうしようか。解散する?」
「そうですね……」
今日祐麒さんとあっているのは、花音寺の秘仏を花寺の生徒会長というコネを使って見せてもらうためというのが最大の理由だ。
祐麒さんにはそう説明してある。だから、それがすんでしまえば、解散するというもの至極当然な成り行きだろう。
でも、祐麒さんに言っていない目的があるし、その目的をなしにしても、このまま別れてしまうのは惜しい気がした。
私がそう告げようと思ったときに、祐麒さんが口を開いた。
「二条さんが忙しくなければ、一緒に映画でも見に行かない?」
私は、目をぱちくりして祐麒さんを見た。
そんな私を見て、あわてて祐麒さんが言葉を付け加える。
「もちろん二条さんが嫌じゃなければだけど」
おずおずとから慌ててにめまぐるしく表情が変わるのは、やはり姉弟だからなのだろうか。
「最近は、どんな映画が面白いんですかね?」
私はそう言うと祐麒さんに向かって微笑んだ。
その私の言葉を聞いて明らかにほっとする祐麒さんの表情見ていると、私の心の中に何かが灯った。
それはとても暖かく、優しい感じのするものだった。
【No:531】に続く
No314 真説逆行でGO → No318 → No326 → No333 → No336 → No.340の後。微妙に裏。
「聖、なんてことしてくれたの?」
今日ここに来て二杯目のコーヒーを自ら作り、席に戻って来た私に蓉子が言った。
蓉子は一緒に来た祥子にあの二人を送らせて先に帰し、今ここには私と蓉子の二人だけだった。
「……なんのことよ」
「祐巳ちゃん怯えてたわよ」
「……」
カップからあがる湯気を見つめながら蓉子の言葉を聞いていた。
「どうかしてるわ。距離を置くならともかくあからさまに拒絶するなんて」
蓉子の言うことも判る。
お姉さまは私に「大切なものが出来たら距離を置きなさい」といった。これは蓉子にも話してある。
しかし。
「無理だったわ」
「なにが無理なのよ?」
不意打ちだったのだ。あの子との出会いは。
距離を置く暇も無く心臓を鷲掴みにされた。
あの子の前ではもはや冷静では居られないだろう。
だから最初、志摩子ちゃんが一緒に来て正直助かったと思った。
二人きりでなければ何とか平静を保てると思ったのだ。
だが逆だった。
藤堂志摩子。
蓉子に改めてその名前を聞いたときは「そういえばそんな名前だったかな」というくらいの認識でしかなかった。
しかし、あの桜の木の下で初めて出会ったとき、彼女の瞳に見たかつての私の姿は決して桜の妖精に魅せられた私の心が作り出した幻影では無かったのだ。
彼女の言葉を聞きながら、私はかつての自分に攻め立てられているような気がしていた。
「嫌いな振りをして離れようとしても無駄だ」と「もはやおまえに待っているのは破滅しかないのだ」と。
「もう私はあの子達に会わないわ」
いや『会わない』のではなく『会えない』のだ。
正直、会って話をしたいという気持ちはある。もしちゃんと適切な距離を保てるなら。
でも祐巳ちゃんといつも一緒にいるあの志摩子って子は私を、押さえつけていなければいけない私の心を鏡のように映し出し突きつけてくるのだ。
「聖……」
「蓉子が気に入ってるんなら手伝いを頼めばいいわ。でも私はここに来ない」
ではなく来れないのだ。
あの二人のそばにいたら私は狂ってしまう。
「……わかったわ。あの子を呼ぶときは、ちゃんと聖に伝える」
「そうしてくれると助かるわ」
こうして蓉子にはいつも世話になってしまう。
「だけど、こんなことで山百合会を辞めるなんて言わないでね」
「そんなこと言わないわ」
そう答えてからようやくさっき入れたコーヒーに口をつけた。
慣れている筈のブラックコーヒーが何故かやけに苦く感じた。
「ごっきげんよ〜」
片手を挙げながらビスケット扉を開けたのは元白薔薇、佐藤聖様だった。
「ありゃ?」
いつもなら誰かは居てごきげんようと返してくれるのだが、今日に限っては誰も居ない。
窓は開いているし、誰かの鞄は置いてあるので一時的に席を外しているだけだろう。
「ま、いっか」
かって知ったるなんとやら、荷物を机に置くと流しに向かう。
(コーヒー、コーヒー♪)
「えーっと、ありゃ?」
流しの下の収納場所を見るも、タイミングが悪いのかコーヒーは置いてなかった。
見れば、紅茶も緑茶もある。
それどころか抹茶に昆布茶に玄米茶、その隣に『祐巳専用』と書かれた麦茶のパックまである。
(む〜〜)
別に、他の物でもいいのだが未だ誰も戻ってこないし、何より聖は暇だった。
こうなってくると何が何でもコーヒーを見つけたくなるのが人情。
ガサゴソとあさっていると出てくるわ出てくるわ。
「いったい誰が持ち込んだんだこんなもの」
青汁と書かれた箱をぽいっと後ろに放る。
「そういえば出てきたこと無いわね」
カルピスの瓶を横にどける。
がさがさ
「む、なんだこりゃ?」
ひとしきり中のものを外に放り出したら、何故か怪しい匂いのするダンボール箱がひとつ。
ご丁寧にも封と書かれたガムテープが貼ってある。
これを聖は躊躇もせず破り開ける。
この後に惨劇が待つとも知らずに・・・。
びりびりびり、がさがさ。
「こ、これは!」
思わず手にとってしまった。
「で、何を漁っているのですか聖様」
ビクッ
首をぐぎぎと回すと既にヒステリーモードの祥子と目が合う。
(あ、青筋立ってる)
「いや、コ、コーヒーないあかなぁって・・・」
思わず握り締めていたものをズボンの後ろのポケットに突っ込む。
「それで、なぜコーヒーを探しているはずの聖様が・・・って、そ、それは!」
そう言うとものすごい勢いで祥子が飛び掛ってくる。
「うわぁ、ご、ごめん」
とっさに頭をかばうが、どうやら祥子はそれ処では無いらしい。
飛び掛ったのは段ボール箱の方で、ズリズリと聖から離すとキッと睨み付けた。
「聖様、見ましたね」
「い、いや。まだ見てないよ。ガムテープを剥がしただけで・・・」
「そうですか・・・」
「う、うん。そうだよ。まだ私は中を見てないし、誰の物かもわか・・・しまっ!」
「ふふ、ふふふふふふ・・・」
ゆらりとダークなオーラを纏いつつ祥子が立ち上がる。
「そうですか、誰のかはわからないと・・・」
(笑ってる、祥子が笑ってる。でも、目が目がーー)
「しょうがありません。聖様には消えていただきましょう」
おもむろに取り出した携帯を手早く操作して・・・
「え、な、なんで!てか、祥子どこに電話して・・・」
ガシャーーン!!!
「うわぁ」
聖が窓のほうに振り向くと黒尽くめの男が三人立っていた。
手にしている素敵な黒い物を聖に向けて・・・。
「私が苦労してあちこちから収集した祐巳の下着は誰にも渡しませんことよ!」
「誰の下着と言ったんですか?お姉様」
「ゆ、祐巳!」
何時の間に来たのか祐巳ちゃんが側に立って笑っていた。
ごたごたで気がつかなかったけど入り口の扉は開いたままだった。
「ち、違うのよ祐巳。これは、私が大切にしまっていた物を聖様が・・・」
「とりあえずお姉様、お話があるので下までよろしいですか?」
笑っているはずの祐巳ちゃんを前にして祥子が怯えている。
「ご、ごめんなさい祐巳。でも、聞いて!ただ私は・・・」
「早くこちらにお姉様。それから足立さん方にも帰ってもらってください!」
(あ、祥子が耳を引っ張られていく・・・)
足立さん方と呼ばれた3人組も「おい、どうする?」などといいながらも結局窓から帰っていった。
「な、なんだったんだ・・・」
「いたっ!や、やめて祐巳。お願いだから鎖骨は止めてーーーー!!!」
しばらく聞こえていた祥子の悲鳴も聞こえなくなった。
どうやら、今回は助かったらしい。
「いえ、お姉様残念ながら」
「ひょえーーって志摩子!」
何故か私の後ろに志摩子が立っていてするするとポケットから先ほどのぶつを取り出す。
「説明していただけますよね」
「えと、その。コーヒーが」
「それは先ほど聞きました」
(先ほどって、い、何時から!)
思わず聖の背中を嫌〜な汗が伝う。
「ではお姉様もいきましょうか」
にっこり
「え?いくってど。痛い痛い!!耳で引っ張っていかないでー!!!」
掃除が手間取って少し遅れてしまった由乃と、教務室に用のあった令がたまたま廊下であったので二人で薔薇の館に向かっていた。
「さっきのは誰だったんだろうね令ちゃん?」
「さあ、シスターに挨拶していたから学校関係者だとは思うけど」
「でも・・・」
「志摩子ごめんなさいーーー!!お願いだから腕ひしぎは止めてーーー!!!!」
由乃たちが薔薇の館に着くと、何故か窓ガラスが割れていて『私は獣です』と書かれたカードを首から提げた紅薔薇と聖様が正座していた。
マリア様像前で。
「ごきげんようにゃん。瞳子ちゃん」
「あら祐巳様ごきげんよう。って……どうなさったんですか?!その発言と……格好。」
「にゃに?変かな?」
「い、いえ。その……。」
そのネコミミと尻尾ですわ。祐巳様。
茶色のネコミミと尻尾で、祐巳様の色素の薄い髪の色によく合っていて、その、とてもとてもかわいらしいですわ。
でも。
「祐巳様は紅薔薇のつぼみなんです!そのようなおもちゃをお付けになって!もうちょっときちんとなさってください!それにその言葉遣いもお改めになった方がよろしいのではないですか!」
瞳子は祐巳様の保護者にして女優。内心でどんなにかわいいと思っても叱ってあげないといけませんわ。
「にゃ〜ん。そんにゃ〜。」
シュンとうなだれる祐巳様。
どういうわけか、ネコミミも一緒になってピコンとうなだれてしまった。
か、可愛い……。
「せっかく瞳子ちゃんのも作ってきたのににゃ〜。」
「い、いりません!そんなもの!」
「にゃ〜ん。そんにゃこと言わずに今日だけでいいから着けてみてにゃ〜。」
「瞳子はそんなものつ・け・ま・せ・ん・!」
「お願いにゃん〜。」
「もう!勝手にお一人でやっててください!瞳子はHRにまいります!」
カツカツカツ。
危ない危ない。これ以上祐巳様のネコミミ猫語攻撃を受けてたら陥落させられるところでしたわ。
それにしても、猫祐巳様、かわいったですわね……。
ぺろん。
「ぎゃう!ゆ、祐巳様、何を?!」
「お・ね・が・い・にゃ〜ん・♪ぺろん」
瞳子、陥落。
教室で。
「ごきげんようにゃん、由乃さん。」
「ごきげんよう。……って、祐巳さん、朝から脳みそとけてる?」
祥子様になにか言われたのかしら。
それにしても、……かわいいわね。
「にゃんのこと?それより……ごそごそ……はい、これ。由乃さんの分にゃ。」
「え゛?!私につけろってこと?」
「そうにゃん♪」
これは……。
黒のネコミミと黒のネコ尻尾。
確かにかわいいけど……ちょっとねぇ。
「う〜ん、ちょっとねぇ。私はパス。」
「そうだにゃ〜。由乃さんには似合わないかもにゃ〜。黒だと大人の女性じゃないと。由乃さんはかわいらしすぎるにゃ。ちょっと無理にゃ。他をあたるにゃ〜。」
「ちょっと待って!!」
あたしには無理?大人の女性?
ふん、上等じゃない。
伊達にミスターリリアンの妹やってないわ。
エスコートのされ方ならあたしが一番!
大人の女性だって演出してやろうじゃないの!
「やっぱりもらうわ。」
「にゃん♪さすが由乃さん。じゃあ……はいこれ。菜々ちゃんと令様の分にゃ。」
由乃、陥落。
昼休み。薔薇の館。
「ごきげんようにゃん。お姉さま。」
「ごきげんぶっ……。」
「だ、大丈夫ですかにゃん?!お姉さま!」
「え、ええ。大丈夫よ。ちょっと鼻血が出ただけ。今日は少し暑いわね。」
か、かわいすぎるわ!祐巳。
ネコミミネコ尻尾。に、肉球まで?!
「祐巳、ちょっといらっしゃい。」
「にゃ〜ん?」
いつものようにタイを直す。
スルスル。キュ。
「みだしなみはいつもきちんとね。」
「にゃ〜ん♪」
祐巳が動くたびに耳がピコンピコンゆれて……。
ああ、祐巳。
かわいい。かわいいわ!
「にゃん。そうだ、お姉さま。プレゼントがあるんだにゃ。」
「なあに?」
祥子、戦線放棄。
放課後。薔薇の館。
え〜っと、今日の予定は、広報委員会と美化委員会の定例会だから、後で委員長に議事録をもらって……。あと、今日は少し暑いから志摩子さんにアイスティーをいれてあげて……。
ギシギシ。ばたん。
「ごきげんようにゃん。乃梨子ちゃん」
「ごきげんよう。………っ?!」
一瞬、わが目を疑った。
祐巳様を真ん中にゴロゴロと甘えまくっている紅薔薇姉妹と瞳子。
祥子様は目がいっちゃってるし、瞳子は……見たことも無い緩んだ表情をしてる。
その隣では由乃さんを中心に黄薔薇姉妹と菜々ちゃんが。
由乃様にかしづいている令様と。それをながめてクスクス笑っている由乃様と菜々ちゃん。
菜々ちゃんは中等部じゃなかっただろうか。
私が入り口でボーゼンとしていると・・・・・。
「ごきげんよう、乃梨子。」
「志摩子さん、これはどういう・・・・・っ?!」
振り返ると、これまたネコミミの志摩子さんが。
しかもドアップで!
「はいこれ。乃梨子の分よ。」
「えっ?えっ???」
わけがわからない。
志摩子さんをボーゼンとみつめてしまう。
「……。」
「……。」
ネコミミの志摩子さん・・・・・。
「……。」
「……。」
ネコミミの・・・・・。
「……。」
「……にゃ〜ん♪」
乃梨子、轟沈。
カシャ。カシャ。
「うふふふふふふ。」( ̄ー ̄ )ニヤリッ
「ねぇ桂」
テニス部の部室で、私は可愛い妹の名を呼んだ。
「はい、お姉さま」
一度は破局を迎えた私達だけど、今ではそれがかえって絆を深めているように感じる。
「来週から全国大会ね。調子はどう?」
「バッチリです。少なくとも、一回戦負けはありえません」
私の問いに、自信があるのか謙虚なのか、判断に迷うことを言う。そう、私の妹、桂は、地区予選を予想以上の奮戦で勝ち抜き、関東二区代表として全国大会に出場することになったのだ。
「頑張るのよ」
「ハイ!」
「そうそう、新聞部があなたを取材したいそうよ。そろそろ…」
私の言葉が終わる前に、部室の扉をノックする音。
「失礼します」
返事を待たずに、声と共に扉を開けたのは、新聞部部長山口真美さんと、写真部の武嶋蔦子さんだった。
「真美さん、蔦子さん」
「ご了承いただき、ありがとうございます」
真美さんは、真っ先に私に頭を下げて、礼を言った。
「いいのよ、妹のせっかくの晴れ舞台だもの」
実際、私は桂を誇りに思っている。
「え、ちょっと?今からですか?」
「もちろんよ。テニス部のエース、桂さん?」
慌てる桂にカメラを向けて、ニヤリと笑みを浮かべる蔦子さん。
「全国大会出場おめでとうございます」
いきなりレコーダーを桂に向けて、早速取材を開始する真美さん。
「あ、ありがとうございます」
「今の気持ちをお聞かせください」
「桂さん、もっとリラックスして」
手帳を開き書き込む真美さんに、アングルを変えながら、写真を取り捲る蔦子さん。
ふふふ、緊張しちゃって。まぁ、並とか影が薄いとか、出番が無いとか出番を目の前の人に奪われたとか、名前しか出ないとか出たと思ったら植物の名前だったとか、いろいろ酷い…よく考えたら結構腹が立つことを言われてきた桂が、今回は主役。
良かったわね桂。思わず涙した私は、ハンカチでそっと目元を拭った。
「では、姉妹でプレイしている様子を撮影しますので、お二人はコートに出ていただけます?」
そりゃもちろん。妹のためには、多少の労なんて厭わないわ。慌ててハンカチをポケットに戻し、ラケットを手にしてコートに向かった。
さすが、偶然かもしれないけど全国大会に出場できる腕前を持つ妹、一発一発のレシーブ、サーブが、重い重い。強くなったわね、嬉しいと同時に、ちょっと嫉妬もしちゃうけど。
「はーい、以上で終了です。お疲れ様でしたー」
蔦子さんが、インタビュー及び撮影の終了を告げた。
「良い記事になりそうよ。今回のリリアンかわら版の主役は、桂さんで決まりね」
「良い写真も撮れたしね」
照れて俯く桂の肩を、そっと抱いてやる。
「それでは失礼します。ごきげんよう」
「ごきげんよう。ご苦労様」
ふふふ、かわら版の完成が楽しみね。
「ぐわぁ!」
かわら版の完成を待ちきれず、私が新聞部部室に顔を出した途端、真美さんが大声で叫んだ。
「な、なに?どうしたの?」
思わず声をかける。
「ああ、いいところに!」
抱き付くように、私に迫る真美さん。泣くようなことだったの?
「桂さんのお姉さまなら知ってますよね?」
まぁ、妹のことなら、大抵のことは知っているけど。
「で、真美さん。いったい何を聞きたいの?」
「ここを見てください!」
真美さんが指さした、桂のインタビューの冒頭部分。
「ええと、『この度、高校生テニス夏の全国大会に出場する、二年藤組…』」
「ええ」
「それで?」
「桂さんのフルネームって、なんでしたっけ?」
「…え?」
姉だというのに、妹のフルネームを知らないという前代未聞の大珍事。しばしの落胆と幻滅ののち、さすがは新聞部部長の真美さん、とんでもないアイデアを口にした。
「じゃぁ、クイズにして、答えを募集しましょう」
そして、無事にかわら版が発行されたにもかかわらず、結局桂のフルネームは判明しなかった(泣)。
こんな私は、姉失格ですか…?
「とぉーこちゃんっ♪」
「ひぁっ☆ な、何なさるんですか! やめてください、いつもいつも!」
「え〜、だって瞳子ちゃんのリアクションが可愛いんだもん。何度やってもいい反応してくれて」
「瞳子は祐巳さまのおもちゃではありませんわ! いい加減にしてください!」
「とまあ、最近では毎日こんな調子ですの」
「ああそう」
さも困ったという顔をして嘆息する瞳子だが、本当はまんざらでもないことを乃梨子は知っていた。いや、まんざらでもないどころか、むしろ祐巳さまに一日一回構われないと落ち着かないというところまで来ていることを。
瞳子が祐巳さまと遭遇するのは大抵お昼休み、校舎からミルクホールへ向かう道すがらなのだが、このところ用もないのに何度も校舎とミルクホールの間を往復する瞳子が多くの生徒に目撃されている。このあまりにあからさまな行動がリリアンかわら版に載らないのが不思議なくらいだ。
そんな風だから乃梨子の返事も自ずとおざなりになるのも無理もないというものだ。
「で、つまり何が言いたいの? ノロケ?」
「違います! どこをどう聞いたらノロケに聞こえるんですか? いいですか? このまま祐巳さまのいいようにされっぱなしでは瞳子の沽券にかかわりますわ。ですから反撃することにしましたの」
「反撃って何するの?」
「目には目を、歯には歯を、抱きつきには抱きつきを、ですわ! ご自分がされればどんなに迷惑か、いくら鈍い祐巳さまでもきっとお分かりになりますわ」
「それってただ単に、あんたが祐巳さまに抱きつきたいだけなんじゃ」
「何を言っているんですの! これはいわば正義の鉄槌ですわ! 瞳子は決して祐巳さまの柔らかい体に触れたいとか、体温を感じたいとか、可愛い悲鳴を聞きたいとか考えているわけではありませんわ!」
「よく分かった。つまり抱きつかれるだけじゃ満足できなくなって、自分も抱きつきたくなったと」
腕組みをしてうんうん、分かる分かるとうなずく乃梨子に、瞳子は真っ赤になって反論する。
「違いますったら! どう言ったら分かってもらえますの!」
「どう聞いてもそうとしか聞こえないけど」
「もういいです! とにかく瞳子はやりますわ! そして祐巳さまに思い知っていただきますわ!」
なんだかやたらテンションの高い瞳子を生温かく見やりつつ、でも祐巳さまの百面相も見てみたい、あわよくば怪獣の子供のようなと称される祐巳さまの悲鳴も聞いてみたい、などと乃梨子は密かに考えていた。だから瞳子の背中を押してみることにした。
「じゃあ今日の放課後はチャンスだよ。今日は由乃さまは部活で薔薇の館には行けないって言ってたから、祐巳さま一人で薔薇の館に向かうはずだから」
「そうですの。では早速放課後決行ですわ! 祐巳さまに目にもの見せて差し上げますわよ!」
そう言って目を輝かす瞳子の表情はどう見ても復讐ではなく、歓喜のそれだった。それを証明するように瞳子の右手は握りこぶしではなく、なにかワキワキと動いている。
「いい? 祐巳さまは薔薇の館へ行くのにいつも同じコースを通るの。その中でこの辺りが一番人が少ないから、ここでやれば驚いてきっといい反応見せてくれるよ」
校舎から薔薇の館へ向かう途中にある生け垣の中に潜み、乃梨子は瞳子とともに祐巳さまが来るの今や遅しと待っていた。
「お力添えありがとうございます。でも祐巳さまの行動は可南子さんから聞き出して全て把握してますわ」
「へぇー、そう」
色々ツッコみたい乃梨子だったが、ここは作戦を前に自重することにした。
生け垣の中にしゃがんで待つことしばし、ついに校舎から薔薇の館に向かうおなじみのツインテールの背中が見えた。
「来たよ」
「来ましたわね」
「ちょっと離れてるけど、気づかれないように近づくんだよ」
「大丈夫ですわ。気配の消し方は可南子さん直伝ですから」
「……」
あんたと可南子さんは今一体どういう関係なんだ、と乃梨子は問い詰めたい衝動に駆られるが、それでは目の前の祐巳さまに逃げられてしまうので、それは後の楽しみ(?)に取っておくことにした。
「では行ってきますわ」
「行ってこい。健闘を祈る」
失敗しても骨は拾ってやるからな、というのは口に出すのはやめておいた。盛り上がってる気持ちに今冷水を浴びせることもないだろう。
瞳子を送り出すと、乃梨子は息を潜めて二人の様子を注視する。幸い周りに人影はなく、また可南子さん直伝という業が奏功して、祐巳さまは背後から忍び寄る瞳子に全く気づく様子がない。
「行け。今だ」
乃梨子が小さく呟くのと同時に、瞳子は祐巳さまの背中にムギュッと抱きついた。
「きゃっ」
遠くてよく聞こえなかったが、祐巳さまの悲鳴は乃梨子が想像していたものと少し違っていた。怪獣の子供にしてはちょっと上品過ぎるような。なんだかまるで……。
「どう? うまくいってる?」
「うん、今のところは……って、わぁっ!」
瞳子たちの様子に集中していた乃梨子は背後から掛けられた声に無意識に応えたが、振り向いて声の主を見るとそこにはあろうことか、祐巳さまがしゃがみ込んで微笑んでいるではないか。乃梨子は口から半分飛び出した心臓をあわてて人差し指で押し込んで嚥下した。
「ごきげんよう、乃梨子ちゃん」
「どどどど……」
色々などうしてが一度に去来して、さすがの乃梨子の怜悧な頭脳もオーバーフローしたようだ。その様子を察して、祐巳さまは疑問の内の一つに答えてくれた。
「私の気配の消し方もなかなかのものでしょ。可南子ちゃん直伝なの」
「可南子さんって一体……。いや、それよりあそこにいる祐巳さまは……」
「乃梨子ちゃんの大好きな人」
「……やっぱり」
それを聞いて乃梨子はがっくりとうなだれた。今瞳子が抱きついているのは、悲鳴を聞いたとき脳裏に浮かんだその人だったのだ。
「おーい、瞳子ちゃーん、ごきげんよーぅ!」
生け垣の中から立ち上がり、祐巳さまは瞳子に声を掛ける。
今抱きついているはずの人に背後から声を掛けられた瞳子は『なんでですのーーっ!』という顔で、さっきの乃梨子以上に哀れなほどパニくっている。
「瞳子ちゃん、ちょっと苦しいわ」
驚愕のあまり腕に力が入ってしまったのか、抱きしめられている人は瞳子に言った。その声を聞いて瞳子はあわてて一歩引き下がる。
「白薔薇さま……。な、なんで」
「祐巳さんに頼まれたの」
ツインテールのウィッグを取って振り返り、志摩子さんはにっこり微笑んだ。
「志摩子さん、どうだった?」
乃梨子と一緒に生け垣を出た祐巳さまは、いつもの笑顔で二人に歩み寄る。
「ええ、なかなか素敵だったわ。瞳子ちゃんって意外と胸あるのね」
志摩子さんの言葉に、祐巳さまは心底がっかりしたような顔で言った。
「ちぇーっ、やっぱり自分でやればよかった。瞳子ちゃん、今度は私にお願いね。それで次はいつやるの?」
「し、知りません! 祐巳さまなんか、祐巳さまなんか大嫌いです!」
そう叫んで走り去る瞳子の背中を目で追いながら乃梨子は思った。役者が違い過ぎる、女優は瞳子の方なのに、と。
「乃梨子ちゃん、おいたはダメよ」
「は、はい。申し訳ありません」
祐巳さまは乃梨子に微笑み掛ける。怖い。笑ってるのに怖いよ、祐巳さま。
「祐巳さん、ここは私に免じて許してやって」
「志摩子さんがそう言うなら。じゃあ乃梨子ちゃん、罰ゲームとして瞳子ちゃんを慰めてあげてね」
志摩子さんが庇ってくれて、縮み上がった乃梨子はつまった息をやっと吐き出すことが出来たのだった。
「でも、どうして分かったんですか? 今日のこと」
薔薇の館へ向かう途中、乃梨子の質問に、志摩子さんと祐巳さまはお互いに顔を見合わせると、ふふふっ、と笑ったきり答えてくれなかった。
そんな二人を見て、もう二度と瞳子のバカな企ての片棒を担ぐのはやめようと、堅く心に誓う乃梨子だった。