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「つり橋効果っていうの知ってる?」
「つり橋効果?」
薔薇の館の前で、由乃さんはなんとなくといった感じにそう言った。
祐巳の疑問は、その言葉自体の意味を聞いているわけではなく、なんで今そんな話を出すのか。
という疑問だった。
「うん。私は思うんだけど……」
「うんうん」
どこか真剣な顔の由乃さんに合わせて、思わず祐巳も真剣に聞き入ってしまい、足も止まってしまう。
「―――志摩子さんは、すごく可愛いと思うの」
「―――はぁ?」
由乃さんは拳をグッと握ってさらに熱弁をする。
「あんな可愛い人を乃梨子ちゃんが1人占めしていていいのだろうか!そんなハズはない!!
志摩子さんの親友である私達にも志摩子さんを独占する権利はあると思うの!!」
「(私達って、すでに私も同意済みになってる!?)」
もはや赤信号になることはない由乃専用信号機が青色のみを点灯させているようで、祐巳は言いそうだった
言葉をグッと飲み込んだ。こういう時は逆に火に油になってしまう。
「…それで、由乃さんはつり橋効果をどうしたいの?」
「普段はおっとりしてて私達には普通に接してる志摩子だけど、つり橋効果を利用すれば乃梨子ちゃんに対する
態度を私達にも見せてくれるかもしれないじゃない?」
じゃない?と聞かれても、祐巳としては困ってしまうわけで。
そんな話をしながら2階への階段を上るのもどこか不釣合いな気がしてきた。
と、そんな時。さらに由乃さんを焚きつけることが起きた。
「きゃあー!!!!」
「!!あれは志摩子さんの声!!?」
由乃さんは会議室から聞こえた志摩子さんの叫び声に反応すると、ものすごいスピードで走っていった。
あのまま由乃さんを放っておくのも、志摩子さん、さらには乃梨子ちゃんにまで悪い気がしたので祐巳も
続いて走ることにした。
会議室の中には、床の一点を見つめて怯えた顔でいる志摩子さんと、どこから取り出したのか新聞紙を
丸めて振りかぶっている由乃さんだけがいた。
志摩子さんが見つめているその一点というのが……
「(あ、Gさんか……)」
黒いあんチクショウこと、Gさん(仮名)が出たようだった。志摩子さんはこれに驚いて声を出したのだろう。
というか、祐巳は自分が案外冷静でいるのに驚いた。まぁ、家でも祐麒といっしょにGさん(仮名)を追い掛け回している
くらいだから当然だね。ということにしておいた。
「成敗ッ!成敗ッ!!」
由乃さんはやけに嬉しそうにGさん(仮名)を追い掛け回している。なので、祐巳はとりあえず志摩子さんの元に
行くことにした。
「大丈夫?志摩子さん」
「あぁ……祐巳さん。ごめんなさい、大声を出してしまって…」
少し苦笑いを浮かべながら、座り込んだ志摩子さんはなかなか『そそる』ものがあって、なるほど由乃さんの言葉も
一理ある。と、祐巳は納得した。
そんな2人のもとに、満面の笑みの由乃さんが近づいてきた。
「志摩子さん!私がちゃんと始末しておいたよ!」
「ごめんなさいね、由乃さん」
おぉ、由乃さんがすごい満面の笑みってレベルを超えた笑みだ。なんだか凄い。
と、どうやら志摩子さんは腰が抜けてしまったみたいだった。Gさん(仮名)と遭遇して腰が抜ける志摩子さん……
「(なるほど、これは可愛い……)」
いつのまにか、由乃さんの思惑通りなのかすっかりと志摩子さんに夢中になっている自分がいたのを、祐巳は自覚した。
「あーあー。志摩子さん怖かったよねーよしよし」
そしてあろう事か、由乃さんは座り込む志摩子さんの隣にしゃがむと、そのまま横から抱きついた。
それには、祐巳どころか志摩子さんも驚いている。
「ちょ…ちょっと由乃さん…」
「えー。いいじゃん志摩子さん怖がってるんだし」
なるほど、一種のつり橋効果か。などと納得してしまった祐巳なので、じょじょに自分も……みたいな感情が出てくる。
志摩子さん自体も、苦笑いを浮かべつつもそんなに嫌そうではない。
「(えぇい、ままよ!)」
いつだか言った言葉をリピートしながら、祐巳も由乃さんとは逆の方から抱きついた。
1人の少女が、2人の少女に挟まれるようにして抱きつかれている。しかも座りながら。
どこかシュールな絵だ。と祐巳は感じた。
「ゆ、祐巳さんまで……」
「大丈夫だった、志摩子さん?」
さすがに志摩子さんも困惑してきたみたいだけど、特に嫌そうではない=じゃあしててもいいや。という謎の思考が働いた。
というか、由乃さんはすでにもういろいろと間違った方向にいっている。髪に顔を埋めているし。
「こうやって見ると、志摩子さんの髪ってすっごくやわらかいねー」
「肌も白くて綺麗だなー」
「ふ、2人とも……あまりジロジロ見ないで……」
いつのまにか、なんだか当初の慰める。っていう流れから逸脱していた。
まぁそういう祐巳も、志摩子さんの肌の白さにうっとりとしているのだけれど。
「いいなー。乃梨子ちゃんってばこんな志摩子さんを1人占めして…」
「いいなー」
なにか、もはやGさん(仮名)とかどうでもよくなってきたように思える。祐巳自身も由乃さんも。
志摩子さんは志摩子さんで、今の状況に落ち着いているのかわりと普通だった。
それはそれで凄いことだけど。
「そんな…私は別に、誰のものでもないわ。乃梨子は可愛い妹だし、由乃さんは大切ないい友達で、祐巳さんだってそうよ」
…あ、今のはズルイ。かなりグッときてしまった。
「志摩子さん……」
どうあら、由乃さんも同じようで、目をウルウルさせている。
「だから、1人占めとかそういうのはないわ。それに私達、親友でしょ?」
トドメの一撃がきた。すごく綺麗な笑みでそれを言われちゃあ、たとえ女の子だろうと誰でも『オチてしまう』。
案の定、由乃さんは……
「……志摩子さんってば大好き!」
なんていいながら、志摩子さんお頬に軽くキスをした。
志摩子さんは、少しの間停止してから、ほんのりと顔を赤らめた。ムムッ。
「私だって志摩子さん大好きだよ!」
なぜかムキになって対抗して、祐巳も反対側の頬にキスをする。
そして、向かいに座る由乃さんと祐巳の視線が合うと、そのまま何故か志摩子さんへキスの応酬が始まった。
当の志摩子さんはというと。
真っ赤な顔で機能停止しているようで、そのあと乃梨子ちゃんが来て般若のような顔をして由乃さんと祐巳を蹴散らすまで
そのままだった。
そして、後に『蕾戦争』とも呼ばれる、志摩子さんをめぐる激しい戦いが1週間続いたのだけど、それはまた別の話。
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※この話は、たぶん誰かがどっかでやってる可能性大なありがちなネタです。
悪のり入ってますので関係各所の皆様にはあらかじめごめんなさいと言うことで……。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
爽やかな朝の挨拶が、澄みきった青空にこだまする。
マリア様の庭に集う乙女達が、今日はハンターのような冷徹な笑顔で、逆三角形の下をくぐり抜けていく。
汚れを知らない心身を包むのは、コスプレでよその学校の制服。
スカートのプリーツは乱さないように、セーラーカラーは翻られせないように、徹夜で仕上げたコピー本の材料満載のキャリーで人を轢かないように、かつ、迅速に行動するのがここでのたしなみ。
もちろん、「走らないでください!」とのスタッフの怒号に応え競歩やスキップで返す茶目っ気も忘れてはならない。
東京ビックサイト、コミックマーケット二日目。 ……それは、乙女(?)の園。
「ああ、夏コミねぇ……」
異常なまでの乗車率で軋む車体に鞭打って、ゆりかもめは戦地へと赴く。
都バス・ゆりかもめ・りんかい線・水上バス。
交通機関はいろいろあるが、タクシーと水上バスは利用しないのがサークル参加者のたしなみだ。
昨夜、というか今朝方印刷の終わったコピー本の材料が重い。
徹夜明けのちょっとハイテンション気味の私、そんな私を知る人間はリリアンには居ない。
……いや、居なかったと言い換えておこう。
車内の異常なまでの乗車率に怯えた赤ちゃんがもの凄い勢いで泣き出す。
いや、乗車率に怯えたのではないかもしれない。
そこに乗っている乙女達の異常なまでのオーラに本能が危険を訴えたのかも。
フジテレビ前で赤ちゃんを抱えた女性は逃げるように降りていった。
そうだ、ここで降りればいい。
この先には地獄が口を開けて待っているのだから。
一般参加者の何処まで続いているのかわからない列を横目で眺めながら、ああ……この人の山が全部この会場に詰め込まれるんだわと少し冷静に考えてゾッとしながらもサークル入場口を目指す。
正確に言うと、この時間に並んでいる人間達にさらに相当量の人間が加算されるのだが、それは考えないでおくことにしよう。
ネットオークションに出品すればプラチナチケットに変貌するそれ(※絶対にやってはいけません)をスタッフに渡してまだ平穏さを残す数時間先に地獄へと化す内へと足を踏み入れる。
まっすぐ自分に与えられた机半分を目指し、心の安全装置を解除する。
そして、自分の城に付くとひたすらに紙とホッチキスとの戦いを繰り広げる。
ここからは時間の勝負だ。
刻一刻と迫ってくる運命の刻を待ちながら折る!折る!折る!閉じる!積み上げる!
徹夜はお肌に大敵なんて気にしたら負けだ。
三日寝てなくたって、目の下にクマができたって、そんなのまわりを見ればみんな一緒だ。
「さて、もうすぐ開場時間よ。 準備はいい?」
売り子の子に、確認し準備はほぼ整った。
開場してしばらくは買い物を担当してもらう彼女に謎リストを渡す。
任務は過酷になるだろうが、必ず全うしてもらいたい。
そして……大地が大きく揺れた。
灼熱地獄・満員電車・人の壁。
この世に、こんなおそろしいところがあるなんて普通の人間は多分知らない。
日本は平和な国だねなんて思っていられる人達はきっと幸せなのだ。
ラッシュ時の山の手線に一日中乗っている感覚。
汗で失われていく水分と、薄くなっていく酸素。
極限状態で消耗していく体力とは裏腹にテンションだけはあがっていく。
「どうぞ、手に取ってご覧下さい〜」
「300円になります」
「ありがとうございました〜」
「ハガレン、豆×無能(反転)エロで〜す。 どうぞ、手に取ってご覧下さい」
こんな事しているのを学園の天使達が見たらどう思うだろうか。
そんな背徳感にエクスタシーを感じながら、媚薬を配布し続ける。
これが、私の本性。
人の道に背く、男性と男性の恋愛を愛して病まない落ちた駄天使の姿。
「げっ……蔦子さん!?」
突然、目の前に現れたその少女は見慣れた顔をしていた。
「真美さん!?」
……こんな所で出会ってしまうとはなんとも運命というのは残酷なのだろう。
だが、ある意味最悪な人間と出会ってしまったとも言えるのに私は冷静だった。
それは、彼女があわてて後ろに隠した物と動揺している彼女のおかげだ。
「ごきげんよう、真美さん。 こんな所で会うなんて偶然ね」
だから、いつもと変わらない口調で居ることが出来る。
テニスの王子さまのキャラクターがあられもない姿で絡み合う、表紙を見ただけで露骨に内容がわかってしまうその本は彼女にとって命取りだったろう。
それは、私が並べている本達と比べても遜色ない濃さを醸し出している。
「ぐ、偶然ね……蔦子さん」
たぶん、彼女はこの島を訪れたことをこれから後悔し続けることになるだろう。
学園の天使達は新聞部の次期部長であり才女な彼女が、まさかこんな本を求めてこんな所にいるなどとは思っても居ないだろう。
それは、お互いに相手の事を大勢に向けて暴露できない良き材料となることだろう。
だが、状況はすこしだけ私に有利な展開と思える。
「真美さんがこういう趣味の人だってしらなかったわ」
「私だって……」
「ふふっ、日出美ちゃんが知ったら面白いことになるかもしれないわね」
私は早速、彼女にとって一番脆い箇所をつついてみることにした。
去年の茶話会で妹にした日出美ちゃんに真美さんは良き姉を演じ続けている。
この姉の失態を知ったら彼女はどう思うだろう。
もっとも、それを知るにはあまりにリスクは大きすぎるのだが。
「……お願い、日出美には言わないで」
「ほう、幽白もお好きとはいい趣味をしてらっしゃる」
チラッと見えた他の本についても言及すると、彼女の焦り様はどんどん増していく。
こりゃ、結構濃い本を沢山お持ちのようだ。
「つ、蔦子さんも笙子ちゃんには知られたくないでしょ? ねっ?」
お互いに、大勢に向けて暴露は出来ないとわかっている。
しかし、相手の知られたくない人間にピンポイントで暴露する可能性はゼロではない。
私が日出美ちゃんを持ち出したことで、彼女なりに反撃というか防護策を打ったつもりなのだろうが……ふふっ、あなたの負けね真美さん。
「蔦子さまぁ〜、WJの島と西の企業ブース、ハガレン無能受系全て任務完了しました!」
午後から、売り子をしてくれる私のかわいい天使が戻ってきた。
その声は、真美さんにとっては絶望だった。
「……わかったわ、あなたの代わりにこのリストを回ればいいんでしょ?」
「ええ、必ず新刊を押さえてくること」
「それができたら、日出美には内緒にしていてくれるんでしょ?」
「約束するわ、私からは絶対に喋ったりはしない。 そのリストの物をきちんとゲットしてきてくれたならね」
「えっと、一つ目は東2、サークルBear One……これ、外周サークルばっかりじゃないの。 今から並んだらどれも夕方までかかるわ」
「頑張ってくださいね、真美さま」
隣で私のかわいい天使が微笑む。
「……じゃあ、行ってくる」
肩を落とし、ふらふらと最初の目的地を目指そうとしている彼女に私は声をかける。
「あ、待って。 くれぐれも、リストは上から順に優先でお願いね」
「……わかったわ」
振り返りもせず、力無く手を振り返す彼女が人の狭間に消えていく。
「……でも、よかったんでしょうか蔦子さま」
「よく言うわ、ちゃっかり笙子ちゃんも欲しいものをリストに書き足した癖に」
「ですよね〜」
そう言って小悪魔のように微笑む彼女もとても愛おしい。
さて、リストの最後に記されたサークルで真美さんはどんな顔をするだろう。
それが楽しみだ。
「ひ、日出美……どうしてこんな所で!」
「お、お姉さま!?」
(終わっとけ)
注:18歳未満はサークル参加できないとか、入場前にコスプレしてちゃ駄目じゃんとか、そもそも高校生な蔦子さんがエロ本出しちゃ駄目じゃんとかそういうツッコミは無しの方向で。
(おまけ) ←7/2 15:18追記
笙子が西の企業ブースへ向かっていた頃、その近く。
「ちょ、ちょっと……なんで笙子が居るわけ?!」
妹は昨日「明日は蔦子さまとでぇと♪〜」と鏡の前でくるくる回って浮かれていたはずだ。
内藤克美は柱の陰に隠れ、妹に気づかれずにやり過ごせることを神に祈った。
普段の彼女を知るものにはおおよそ想像できない出で立ち。
可愛らしいピンクの魔女っ娘衣装。
こんな姿でこんな所にいることを妹に知られてしまったら、厳格で真面目な理想の姉の仮面をかぶり続けていた努力が全てふいになってしまう。
そう、本棚の半分ぐらいは参考書に見せかけたや○い本。
勉強と言いつつ、部屋に鍵をかけコスプレ衣装を作り続ける毎日。
これがリリアンの鉄薔薇と呼ばれた内藤克美の真の姿なのだ。
「あの〜、写真いいですか?」
高そうなカメラを手にしたオタクが克美に群がる。
「は〜い」
最大限の笑顔でそれに応え、着ている衣装のアニメで主人公の少女が口にする決めゼリフとポーズ。
『汝のあるべき姿に戻れ、くろーかーど(ビシッ)」
シャッターの小気味のよい音が、魔女っ娘姿の克美をネガに焼き付ける。
女の子に産まれたからにはかわいい服を着る権利は誰にだってあるんだから。
でも。
絶対に誰にも知られてはいけない。 内藤克美のひ・み・つ♪
その数日後、武嶋蔦子から内藤克美宛に一通の封書が届いた。
同封されていた写真数枚を見て克美もまた彼女の下僕と成り果てることになるのだが、それは別のお話。
♪だぁれも知らない、知られちゃいけない〜
「つい先日のことですが、スーパーに買い物に行った時のことです」
それは薔薇の館で仕事が一息ついてみんなでお茶を飲んでいたときのこと。
暇潰しの雑談で何か話をするように言われ、乃梨子はちょっと考えた後、話し始めた。
「そう、それはレトルトカレーの売場を見た時のことでした」
「レトルトカレー?」
祥子さまの言葉に乃梨子は即座にフォローを入れる。
「レトルトカレーというのは調理済みのカレーを袋に入れて密封、殺菌したもので――」
「それくらいは知っています」
「失礼しました」
「そういうものをよく利用するのかと思っただけよ」
「よくというほどではありません。時々です」
「まあ、話の続きを聞こうよ」
令さまの言葉に乃梨子は頷いて続ける。
「とにかく、そこで私は見てしまったんです」
ごくり、と唾を飲み込む音をさせて祐巳さまが問いかけてくる。
「な、何を?」
「サ○カー日本代表チームカレー」
「「うわぁ」」
由乃さまと令さまが思わず、といった風にうめく。
「しかも、半額でした」
ちょっと遠い目をして乃梨子は言った。
「ああ、それは……」
限りない慈悲と哀れみの視線を向ける志摩子さんに、乃梨子はひとつ頷いて見せる。
「半額で山と詰まれているのを目にした時は、さすがにちょっとほろりとくるものがありました」
「ホロリとくるイイ話ですわねえ」
いつのまにかわいて出た瞳子が、そっと目頭を押さえて見せる。
うんうんとおおいに共感した様子の黄薔薇姉妹と、ひたすら「?」マークをとばす紅薔薇姉妹。
そして一仕事終えたような達成感に包まれて満足げな白薔薇姉妹。
大丈夫なのか山百合会は。
たまたま訪れた可南子が不安になるくらい、薔薇の館は今日も平和なのだった。
(注意)妄想度∞のバカ小説です。さらっとお見逃しを
リリアンには「伝説」とされる人物が幾人か居る。
その中の一人に『最強の紅薔薇さま』と言われた人物が居た。
彼女の名前は「福沢祐巳」
彼女は一姉一妹が原則のリリアンのスール制度において、何故か一姉多妹を赦された人物だった。
「ごきげんようお姉様」
いつもの様にマリア様の前でお祈りをする祐巳にそう声を掛けてきたのは1年椿組の細川可南子。
周囲からは『祐巳の妹1号』と称される少女だった。
「ごきげんよう可南子、今日も綺麗な髪だね♪」
くっついたり離れたり、挙げ句の果てには賭までやってやっとのこさ紆余曲折の末ようやく関係を結んだ妹を褒める事を
忘れないのは彼女の美徳の一つだ。
180近い長身なのにその腰付近まである長い黒髪はある意味可南子の宝物の一つだったのだ。
(ちなみに最高の宝は祐巳とのXXXなモノらしいが詳しくは不明)
「有り難う御座います、お姉様」
『天使の微笑み』と共に最愛の姉にそう褒められては悪い気がしないどころではない。正に天に昇る感じな可南子だった。
(ああ、お姉様に褒められた…今日も夜明け前から手入れをしておいて良かったわ…
そうだ!あとで薔薇の館でいつもの様に後ろから抱きしめて貰って梳いて梳いて梳きまくって貰わなきゃ…)
祐巳の可南子だけに与えられる愛情行動(?)を脳内で反芻しややトリップし掛けてる所へ、その妄想を打ち破る声が響く。
「ごきげんよう、お姉様、可南子さん」
100m先からでもその姿を判別出来ると言われる、縦巻きロールを軽く揺らせながら来たのは1年椿組の松平瞳子。
周囲からは『祐巳の妹2号』と認識されている少女だった。
「ごきげんよう瞳子、今日も元気そうでお姉様は嬉しいよ」
一時期は『福沢祐巳親衛団』なる謎の組織から即時抹殺指令が下されていたとも揶揄されてた程劣悪な関係状態だった事もあったようだが、数々のドラマを経て何故かスールの座に納まった。
まぶしい程の微笑みを直に受けて瞳子の顔がいっぺんに沸騰する。散々つれない事をして来た反動か、いざその懐に包まれる様になると、瞳子は感情とそれに伴う表情を抑えられなくなる様だ。後に天下の大女優と揶揄される彼女も最愛の姉の前では…まぁ致し方無かろう。
ちなみにその姿を見て現黄薔薇の蕾であり祐巳の大親友の一人である島津由乃女史は「百面相の妹はやっぱり百面相ね」と零したとか零さなかったとか…
「あ、あ、あ、あり、ありがとうご、ござ、ございます…お、お姉様…」
リリアン演劇部TOP女優とは思えない狼狽っぷりに、クラスメートを含め影で『真の最強ツンデレ御嬢様』と呼ばれているらしい。
「瞳子さんは未だにお姉様の笑顔に慣れませんのね…困ったモノですね」
「し、仕方ないですわ!可南子さんと違って私はまだお姉様とスールになって日が浅いんですから!」
解りきってはいるものの彼女のためを思いわざと憎たらしい事を言う可南子。そしてその言葉でフリーズから解かれる瞳子。
実に良いコンビだった。
とてもではないが最初は天と地程に仲違いしていたとは思えない二人だった。
とりあえず3人一緒にお祈りを済ませ薔薇の館に向かう祐巳達。
「いやぁ両手に花って良いよね可南子、瞳子」
ややだらしがないかな?とも取られそうな幸せ溢れる崩れかかった笑みを浮かべる祐巳に対し、可南子と瞳子は困惑顔だった。
何せ最愛の姉と腕組み状態だった。
もちろん今はやや早い時刻とは言え登校時間、一般衆人―て言うか他の生徒の目がある前である。
嬉しいが、それ以上に恥ずかしいのである。『せめて他人の目のない所で…』は共通の悩みであった。
さて、同様の困惑顔を見せる可南子と瞳子だが、その表情には微妙な違いがあった。
まず可南子の方だが極々自然で平然と見える。
しかしながらその心中表現は羽化登仙状態だった。正しく祐巳顔の天使がハレルヤコーラス大合唱付きで緩やかに飛び回るとでも言えばいいだろうか?
そして瞳子の方はさっきから真っ赤な顔して俯いてばかり。何やらぶつぶつとつぶやいている。
聞き取れない程でもないが、その内容は微妙に危なっかしそうな感じなモノがこれまたてんこ盛り状態フィーバー大回転なので放っておきたい。
「姉」の『姉』と同じ系列の端麗な容姿で成績優秀運動抜群だが、その実非常にドリーマーでちょっぴりわがままでそこそこ欲張り。
確固たるポリシーを持った容姿外見とは裏腹に強気に見て実はとってもか弱い、あからさまな程のツンデレでそこそこの能力を満遍なく網羅する。
実の話その所属メンバーはリリアンの中で最も個性の強い人物が集まっている山百合会に於いても彼女は遜色なく存在している。
ドラマチックで決して一筋縄では行かなかったな祐巳の妹たちはいつも元気にお姉様の愛情を受けている。
そして祐巳の知らずのウチに楽しみを増やして続けている。
「うん、やっぱ可南子と瞳子が妹になってくれたおかげで私、スッゴイ幸せだよ!」
そうして妹たちの苦悩を知ってか知らずか、またもや熾天使級のパニッシャースマイルで臆面もなくそう微笑むのであった。
「ふぅ祐巳さんも人が悪いわよね…ま、私もこうして素晴らしい写真が撮れるのだからよしとしますか♪
さて、焼き増しして置かないとね次期紅薔薇さまの御命とあらばってね」
あれ?裏で何か暗躍してる?
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「ごきげんよう、静さま」
「あら、志摩子さん。ごきげんよう」
マリア様の前でご挨拶。
未だ早朝、人通りは少ない。
「お早いですね、部活ですか?」
「ええ。志摩子さんは?」
「私は、委員会で少し」
と、そこを通り過ぎる人影。
ごきげんようロサ・カニーナ、などと声かけられる。
「黒薔薇さま、ですか?」
「ふふ、祐巳さんに聞いたのかしら」
二人して小さく笑う。
と、静の胸元に目がいく志摩子。
よくよく見れば、タイが少しばかり曲がっている。
「静さま、タイが……」
静さまのタイが。
ロサ・カニーナのタイが。
黒薔薇さまのタイが。
「……ブラックタイガー?」
「誰が甲殻類よ」
突然何を言い出す。
「カニなだけに?」
「ブラックタイガーはエビよ」
「ロサ・エビーナ?」
「何でそっちを変えるのよ」
「黒海老様?」
「いいかげん甲殻類から離れなさい」
周りに人がいなくてよかったと思う蟹名静。
一方止まらぬ藤堂志摩子。
「日本産……」
「産とか言わないで」
「輸出先はイタリアでしたか?」
「留学先よ」
「海鮮パスタに……」
「食べないで」
そこへ通りかかるは佐藤聖。
「おや、ごきげんよう志摩子、静」
「ごきげんよう、お姉さま」
「ごきげんよう、白薔薇さま……」
応えるは、いつもと変わらぬ藤堂志摩子と、どこか疲れた蟹名静。
はてと首をかしげ静を見れば、タイが曲がっている様子。
「静、タイが曲がってるよ」
と、慣れた手つきでちょちょいと直す。
それを見て、志摩子が一言。
「エビがタイで釣る……」
その日以来、蟹名静がエビを目の敵にしていたという記録は、残念ながら残っていない。
自分で書いたクロスオーバー(【No:1624】【No:1631】)のパロディですが、突発型の設定改変モノと思っていただいた方がいいと思います。
あるよく晴れた日の昼休み。
薔薇の館で昼食をとっていた祐巳は、向かいで同じようにお弁当を広げている由乃さんに話し掛けた。
「由乃さん」
「ん?」
「わたし、魔王になっちゃった」
椅子からずり落ちそうになった由乃さんは、無言でガタガタと音を立てて、また座り直して何事も無かったようにまたお弁当に箸を伸ばした。
なんだか無理に興味が無い振りをしているみたいにも見える。
由乃さんは視線はお弁当に向けたまま言った。
「いつよ?」
「今朝。気が付いたらなってたの」
「ふうん」
口に運んだご飯をもぐもぐと味わいながらまた箸をお弁当にのばし、今度は何を考えたのか、綺麗な造型のタコさんウインナーを一つ箸でつまんで、そのまま祐巳のお弁当のご飯の上に置いた。
「生贄」
「いらない」
「魔王が、好き嫌いしちゃダメでしょ?」
「信じてないでしょ」
由乃さんは、祐巳の言い分をてきとうにあしらってお弁当を味わうのに集中しているようだ。
頬を膨らませて不満をアピールするも完璧に無視を決められて、祐巳は「ふぅ」とため息を一つ。
まあいい。急いで信じてくれなくても。祐巳だって急なことで戸惑っているのだから。
由乃さんのくれた『生贄』を箸で摘み上げつつ言った。
「とにかくね、私もなったからにはちゃんと自分の役割を果たしたいと思っているんだ」
魔王といったらキリストさまのお父さまたる天の創造主さまとは敵対する存在だ。
仏教では第六天魔王といって一応、六道の最上位の天の中でも最高位にあり、絶大な力を持つがゆえに創造主に逆らい六道世界を支配しようとする悪しき存在といわれている。
カトリック系の女学園に通ってる女子高生がいきなりそれになるなんて笑っちゃう。
「でも、魔王ってなにをしたらいいのかな……」
窓の外に視線をやり、そう呟いた。
ああ、いい天気。今日みたいな日は外でお昼寝すると気持ちが良さそう。
「とりあえず、」
由乃さんはなんだか詰まらなそうな口調で言った。
「小テストの予習でしょ」
「やっぱ信じてない」
午後の授業の小テストが目の前の問題で、お弁当を食べ終わったらのんびり過ごすわけにはいかなかった。
いつもイケイケ青信号な由乃さんが妙に詰まらなそうにしているのはその辺も関係している。
その抜き打ち小テストの情報はクラスの違う志摩子さんからもたらされたのだけど……。
「今、魔王の話をしてたわよね? 祐巳さん?」
その、ちょっと離れて乃梨子ちゃんと一緒にお弁当を食べていた志摩子さんが、いつのまにか食べかけのお弁当を手に祐巳の隣に立っていた。何が嬉しいのか向日葵みたいに微笑んで。
「え? う、うん」
志摩子さんはお弁当を祐巳の隣の席に起き、椅子を引いて祐巳の方に向いて座り、目をキラキラ輝かせて言った。
「わたしも気づいていたわ。今日の祐巳さんは一味違うって」
「え? わかったの?」
「家がお寺だから判るのかしら?」
なんか由乃さんが興味なさそうに突っ込み(?)を入れた。
確かに志摩子さんはお寺の娘だけどあまり関係ない気がする。
志摩子さんはテーブルの方に向いて座り直し、両手を胸の前で組んで回想するようにして言った。
「遅刻しそうになって廊下を走ってシスターに咎められていた祐巳さんは、昨日と違う!」
そして、目を見開いたかと思う上体ごと祐巳のほうを振り向いて続けた。
「禍禍しいオーラに満ちていたわ!」
やはり、わかる人にはわかるのだ。
由乃さんも思い当たったかもしれないので訊いてみた。
「由乃さん、禍禍しかった? 私?」
「堂々とはしていたけど。遅刻して来た割には」
すげない由乃さんの答えは置いといて。
「で、志摩子さん?」
「なあに?」
志摩子さんはマリアさまみたいに微笑んで祐巳を見ていた。
「魔王って何をしたらいいの?」
祐巳のことを魔王と見抜いた志摩子さんならきっと判るに違いない。
そう思ったのだけど、志摩子さんはきっぱりこう言った。
「それを私に聞くのは間違いよ」
「え? そうなの?」
「ええ。私は途上とはいえ神職を業とする人間よ」
そう言うと志摩子さんは急に椅子を蹴って立ち上がり、ロザリオを十字架が見えるように巻いた手を祐巳の方にかざして言った。
「なあに?」
「さあ、祐巳さん、大人しく降伏されなさい!」
「えーっと……」
そう言われても。
「ねえ、志摩子さん、私、何をしたらいいのかな?」
志摩子さんのロザリオを輝きを見ながら訊いてみた。
「わからないわ」
はあ、志摩子さんでも判らないんだ。
ちょっと期待しただけにガッカリ。
志摩子さんはそんな祐巳の手を取って言った。
「判らないなら、調べましょう?」
「協力してくれるの?」
「ええ、祐巳さんが立派な魔王になれるように。そうしないと張り合いが無いもの」
「あ、ありがとう」
手を取り合う祐巳と志摩子さんに由乃さんが言った。
「あなたたち、どこをツッコンだらいいか判らないわ」
*
「魔王といったら勇者と戦うものよ」
「うん」
というわけで、ここは武道館。
「えーっと、祐巳ちゃん。武術の心得は?」
竹刀を構えて困惑しているのは『勇者』こと令さまだ。
祐巳たちは武道館で自主練習していた剣道部に乱入したのだ。
いきなりの薔薇さまとつぼみたちの登場に驚いていた剣道部員や武道館に居た人たちだけど、彼女達は今、興味津々なギャラリーと化していた。
「えっと、無いです」
と、令さまの問いに答えた祐巳は丸腰だった。
竹刀を構える令さまの前にただ突っ立っているだけ。
「さあ、祐巳さん、魔法を使って勇者を苦しめるのよ!」
「えー? わかんないよ」
「令さま、遠慮なくやっちゃってください」
「そう言われても……」
実は祐巳の後ろで由乃さんが腕組みして『祐巳さんを傷つけたら承知しないからね』みたいに睨みをきかせているのだ。
さっきからやる気、いや、やらせる気なのは志摩子さんだけなのだけど。
「大丈夫ですよ。祐巳さんは魔王です。竹刀なんて令さまごと魔法で蒸発させることも可能ですから」
「それはいやだなぁ」
苦笑しつつ令さまがそう言うと、志摩子さんは促すように一言。
「令さま」
微笑みつつも志摩子さんなんか迫力があった。
令さまはちょっと引きつつ言った。
「あ、あのね志摩子、そうだ、せめて祐巳ちゃんにも竹刀持たせてよ。無防備な人相手じゃやりにくくて」
志摩子さんにびびりつつ、令さまはそう提案した。
「そうね。本来はいらないのだけど、じゃあ祐巳さん、魔法の杖の代わりに」
そう言って志摩子さんは他の剣道部員から竹刀を借りて祐巳に渡した。
というか、志摩子さんが妙に魔王に詳しそうなのは何で?
結局、条件を同じにってことで令さまは着けていた防具を外した。
「じゃ、軽く行くよ」
「あ、はい」
祐巳は見よう見真似で竹刀を構えた。
令さまが動いたと思ったら、祐巳の竹刀が軽くはじかれ、スパンと竹刀が祐巳の頭にあたった。
さすが有段者。まるで祐巳の竹刀が無かったみたいにスムーズだ。
でも。
「痛い」
結構痛かった。
「祐巳さん、魔法出さなきゃ駄目じゃない」
「そんなの判らないよ……」
祐巳は頭を抑えてしゃがみこんだ。
そのとき後ろの方から由乃さんの低めの声が聞こえた。
「令ちゃん」
「よ、由乃?」
「ちょっと来て」
由乃さんは令さまを連れて武道館から出て行ってしまった。
「ちょっと方法を変えた方がいいかしら?」
由乃さんに引きずられるようにして出て行く令さまの後姿を眺めながら、志摩子さんが言った。
*
今度は薔薇の館。
「えーっと?」
ビスケットの扉の前だ。
「中には祥子さましか居ないわ」
「う、うん」
令さまは由乃さんとどっか行っちゃって帰ってきていない。
「さあ、祥子さまを支配するのよ」
「ええっ! どうやって?」
「どうやってもいいのよ。人一人支配出来なくて世界征服なんてできないわよ?」
「魔王って世界を征服するの?」
「それも一つの目的よ。欲望のままに強大な力を行使するのが魔王なんだから」
「そうか。そうだよね。頑張ってみる」
そんな会話を普通の声でしているもんだから、中から祥子さまの声が聞こえてきた。
「祐巳、そこにいるの?」
「あ、はい!」
志摩子さんは「ほら」と言って祐巳をドアの中に押し込んだ。
「ごきげんよう、祐巳」
「ご、ごきげんようお姉さま」
「一人?」
「え?」
振り返ると、祐巳からは見える位置に居た志摩子さんが微笑んでいた。怖い雰囲気で。
「は、はい、一人です」
「そう」
そう言って祥子さまは、おそらく今まで読まれていたであろう文庫本に視線を戻された。
「お茶のお代わりは如何でしょう?」
「いいわ。いれたばかりよ」
そういうことなので、祐巳は自分のお茶だけいれて祥子さまの隣に座った。
座ったはいいが、祐巳はビスケット扉の方から視線を感じて落ち着かなかった。
なにか言わなくちゃ。
「あ、あの、お姉さま」
「なあに?」
本に視線を向けたままだけど、祥子さまはちゃんと聞いてくれている。
「実は私、魔王になりました」
「聞いてるわ」
「あ、そうですか」
話題が途切れる。
また、茶色い扉の微妙に開いた隙間から視線が突き刺さる。
(うーっ、どうしよう)
「あ、あの」
「なにかしら?」
祥子さまのお顔を見ると、読書の邪魔をされてお不快という表情でもない。
ここは伝えるべきことを伝えてしまおう。
「私、魔王ですから、お姉さまを支配しないといけないんです」
言った後で、ちょっと変だったかななんて思ったが、祥子さまは文庫本の活字から視線を上げて祐巳を見た。
「あら?」
そして見詰め合って沈黙。
「……あ、あの」
「何をしてくれるのかしら?」
そう言った。
「え、えーと、まず魔力でお姉さまを魅了……」
って何を言ってるんだ。十人並みのタヌキ娘が。
「……出来たらなぁって」
祐巳は思わず俯いてしまった。
あ、なんか扉からの視線も痛い。
「うふふ」
何故だか祥子さまは微笑まれていた。
「それは必要ないわ」
「へ?」
「だって、私はもう祐巳に夢中ですもの」
(えー、えーっ!)
胸がどっきんどっきんしてる。
祐巳は熱くなった頬に両手を当てて動揺が収まるのを待った。
というか、お姉さまいきなり爆弾落とさないでください。
ちらっと祥子さまの方に視線をやると、なんだか楽しそうに微笑まれていた。
(うーっ)
手玉に取られてしまった。
扉の向こうにいるであろう志摩子さんの視線が痛い痛い。
*
結局、放課後に仕切りなおしとなった。
今度は屋上だ。
空は良く晴れていて、いい天気。
由乃さんもなんとなく付いてきてる。
「まだやるの?」
「祐巳さん。そんなことじゃ立派な魔王になれないわよ」
「っていうかもう魔王」
「だったら頑張らないと」
「う、うん」
というわけで。
「さあ、嵐を呼ぶのよ!」
「呼んでどうするの?」
「祐巳さんは威厳に欠けるから」
「そりゃ、女子高生だし」
「だから威容を示すのよ」
「どうやって?」
「ほら、あの一番高いところに立って雷と嵐を背景にこう言うの『我こそ、魔王祐巳なり!』って」
そう言って志摩子さんは校舎のてっぺんを指差した。
なるほど。
祐巳は自分がどす黒い空と稲光を背景に校舎の上に立っているところを想像してみた。
なんか違和感ありまくり。
「……そういうの、私の趣味じゃないんだけど」
「趣味じゃなくても、嵐くらい呼べないと魔王とは言えないでしょ?」
「そりゃそうだけど」
魔王というくらいだからそのくらいの魔法は使えて当然だ。やったこと無いけど。
「だったら頑張ってくれるわよね?」
「う、うん」
「祐巳さん丸め込まれてるわよ?」
由乃さんのツッコミが入る。
これじゃどっちが魔王なのか判らないよ。
結構、志摩子さんって魔王の素質あったりして。
「あら? 祐巳さん、なあに?」
「い、いえ」
やっぱり、志摩子さんは怖い。
そして。
「あめよー、かぜよー」
「祐巳さん頑張って!」
「かみなりよー」
祐巳は屋上の真ん中に立って、雨乞い(?)をしていたのだけど。
「……全然駄目ね」
由乃さんは白けきってるし。
「頑張りが足りないのよ」
志摩子さんは何を考えてるやらよく判らないし。
空は青いし。
雲は白いし。
「もう疲れたよ」
「そうね。でも何がいけないのかしら? 祐巳さん魔王になったのでしょう?」
「うん、なったよ?」
そんな、人が聞けばバカっぽいと思われるような会話をしていたら、由乃さんが言った。
「あのさ」
「なあに?」
「私、思ったんだけどさ、魔王って、こういうことは手下にやらせるんじゃないの?」
「「え?」」
「だって王様なんでしょ?」
思わず顔を見合わせる祐巳と志摩子さん。
「それは盲点だったわ」
「そうだったんだ」
確かに。自分で嵐呼んだりとかより手下にやらせるって方が魔王っぽいかも。
そして、志摩子さんは由乃さんの手を取って、目をキラキラさせて言った。
「その通りだわ。さすが由乃さんだわ」
「い、いや、そこまで感動するのはどうかと」
「じゃあ、祐巳さん試しにやってみて」
「え? 何を?」
「手下の魔物に命令するのよ」
「手下って?」
「由乃さん」
「ああ、なるほど」
「マテや」
いきなりの言葉のデッドボールに由乃さんの額に青筋がたった。
でも、言われて納得できてしまったのは何故なんだろう?
「え、えーっと……」
「誰が手下なのよ!」
「あら、魔王の直属の部下なんて凄いじゃない」
すごくない、すごくない。
「いつ決まったのよ! そんなこと!」
ちょっと収拾がつかなくなりそうなので祐巳は言った。
「由乃さん、とりあえず嵐を呼んでみて?」
「あんたまで言うか! 本当に呼んだろか!」
その瞬間、ピカッと空が光った。
「「え?」」
そして一瞬遅れてどっかーんと大きな音がした。
下の方から「キャー」と悲鳴が聞こえる。
「雷が落ちたようね」
志摩子さんが平然と言った。
「晴れてるのに?」
「いいえ、ほら空が」
志摩子さんが見上げているのでそれに倣って上を見ると、
「ああ!?」
どす黒い雲が空を覆っている最中だった。
時々稲妻が光り雷の音がゴロゴロと鳴っていた。
「あ、嵐になる?」
「そりゃ呼んだから」
「凄いわ、祐巳さん」
*
三人は薔薇の館に戻っていた。
「止まないわね」
「うん」
外は大雨。
大粒の雨を窓に叩きつけて降り続いていた。
「ねえ由乃さん」
「いやよ」
雨を止ませてもらおうと思って祐巳は由乃さんにお願いしたのだけど、拒否されたのだ。
「でもこれじゃ帰れないよ?」
傘を差しても意味が無いくらいの激しい雨と風なのだ。
「って、なんで私に言うのよ。こんなの偶然に決まってるじゃない。そのうち止むわよ」
「でも由乃さん」
「とにかく、私に変なこと頼まないで!」
こんなやり取りをさっきから続けているのだ。
「祐巳さん」
「なあに? 志摩子さん」
「ちょっと」
志摩子さんは祐巳をビスケット扉の外に誘い、階段の手前あたりで祐巳に言った。
「あれじゃ多分駄目よ」
「駄目って?」
「屋上のときと何処が違うか考えていたのだけど」
「違うところ?」
「ええ、『お願い』するんじゃなくて、『命令』しないとだめなのよ、きっと」
「命令?」
「ここに来てから祐巳さんは由乃さんにお願いしかしていないでしょ?」
「うん。だって由乃さんは友達だから」
「そうかしら? そうね例えば……」
その時ちょうど乃梨子ちゃんが一階のドアから入ってきた。
「あ! 志摩子さん、祐巳さまもごきげんよう」
「あら、どうしたの、乃梨子」
乃梨子ちゃんは一応傘をさしてきたようだけど、水をかぶったみたいな有様で髪の毛からも水が滴っていた。
「うん、教室に忘れ物取りに行って来たんだけど、雨が降り出しちゃって、でもにわか雨だと思ってたら……」
いつまでも止まないでむしろ本降りになって来たから仕方なく傘をさして来たのだそうだ。でも。
「急に滝みたいに降ってきて……」
しかも突風まで吹いて、足元は川みたいで、その上風に煽られて転んだそうだ。
その割に汚れていないのは雨で洗い流されてしまったとか。
「そうだわ、乃梨子」
スカートの裾を絞っていた乃梨子ちゃんに向かって志摩子さんは言った。
「なに?」
「私と祐巳さん、鞄を教室に置いて来てしまったのよ。乃梨子、取ってきて」
「え? でも」
戸惑う乃梨子ちゃんに志摩子さんはにっこり微笑んでまた言った。
「取ってきて」
「うっ、……うん」
「あ、鞄は濡らしたら駄目よ?」
「は、はいっ!」
顔を青くした乃梨子ちゃんはたった今畳んだ傘を持って外に出ようと扉を開けた。
でもいきなり雨が吹き込んできて、慌てて扉を閉めた。
そしてちょっと祐巳と志摩子さんがいるほうに視線を向けてから、諦めたように視線を戻し、傘を置いてから暴風雨の中に飛び込んでいった。
その間、志摩子さんはずっと微笑んでいた。
……志摩子さん怖い。
「判った?」
「え? なにが」
「命令っていうのはこういう風にするのよ」
それを祐巳が由乃さんにしろと?
「あ」
そのときちょっと思いつくいたことがあった。
「なあに?」
「もしかして志摩子さんにしてもいいのかな?」
またもや志摩子さんは『にっこり』笑って言った。
「いいわよ? してみて」
『できるものなら』
志摩子さんの背後にそんな文字が浮かんでいるような気がした。
「や、やっぱり止めとく」
怖すぎる。
「そう、じゃあやっぱり由乃さんね」
「何を話してるの? 今、乃梨子ちゃんの声が聞こえたみたいだけど?」
なんかタイミング良く由乃さんが茶色の扉から顔を出した。
祐巳は扉の方に向かって歩いて行き、廊下の角を曲がったあたりで、
「えーっと、由乃さん聞いて」
そのまま由乃さんのいる扉の前まで行った。
「なによ」
「雨、止めて」
「はぁ? まだそんなこと言ってるの? そんなことできるわけないでしょ」
「いや、出来るとか出来ないとかは良いから、止めて」
「ちょっと祐巳さん言ってる事がめちゃくちゃよ?」
祐巳は由乃さんの手を掴んだ。
「由乃さん、早くしないと、中庭が池みたいになちゃうよ」
はっきり言って異常な豪雨だった。
雨足は強まる事はあっても全然止む気配がないのだ。
さっきから雷もひっきりなしに続いているし。
「だからぁ……」
「いいから止めて!」
そのまま由乃さんを引っ張って廊下を進んだ。
「って、ちょっとっ!」
由乃さんは剣道部に入ったはいえ、まだまだ基礎体力では祐巳の方が上だったようだ。
抵抗したけれど、強引に引っ張ったら割と簡単についてきた。
「簡単だから」
「簡単って」
そのままぎしぎしと音をたてて階段を降りる。
「ちょっ、祐巳さん危ないから」
「危なくないよー」
雨はまだ続いていた。
外への扉を開けると、思い切り雨が吹き付けてきた。
シャワー浴びてるみたいだ。
「ちょっと濡れちゃうじゃない!」
「だから早く止めないと」
「誰がよ!」
「由乃さんでしょ」
そのまま一緒に外に出る。
足元は本当に川みたいになっていた。
「よいしょ」
さらにその『川』に足を踏み入れる。
「こらっ! なによこれー」
もう、頭はびっしょり。雨は下着にまで進入してきた。
どかーん、ごろごろと雷も。
結局、命令とはいっても由乃さんがその気にならないと駄目だって思ったから、祐巳は由乃さんをここまで引っ張ってきたのだ。
でも由乃さんだけ放り出すのはあんまりなので祐巳も付き合うことにした。
祐巳は由乃さんを目を真っ直ぐ見詰めて言った。
「由乃さん、雨止めて」
前髪から水が滴り落ちる、というよりもう途切れなく流れて落ちている。
当然服は下着まで完全に浸水している。
「うーっ」
由乃さんが悔しそうに唸る。
「由乃さん」
もう一押しだ。
「もうっ! 判ったわよ!」
やけくそのようにそう叫んたあと、顔に雨があたるのも構わず空を見上げて、
「雨も風も消えろっ!」
その瞬間。
「……」
「……」
雨も。
風も。
空を覆っていたどす黒い雲も。
「……消えたね」
「……消えたわ」
流石に足元を流れていた川はすぐには消えなかったけれど。
晴れ渡った空に、傾きかけた太陽。
雨で洗い流された木々や建物に残った水滴たちが陽に照らされて輝いている。
「祐巳さん!」
志摩子さんが薔薇の館から呼んでいた。
「戻ろ」
「うん」
*
さて、暴風雨は消すことが出来たけれど、濡れ鼠が二匹残った。いやもう一匹。
「志摩子さ、あ、いえお姉さま」
「あら、乃梨子お帰り」
乃梨子ちゃんが祐巳と志摩子さんの鞄を持ってきた。
『濡らさないで』という命令に従順に、どこで入手したのか大きなポリ袋で鞄を包んで抱えていた。もちろんスカートからも髪の毛からも水を滴らせて。
「雨、止みましたね……どうなさったんですか?」
乃梨子ちゃんは祐巳と由乃さんの姿をまじまじと見つめてそう言った。
「見ての通りよ……」
由乃さんが横でお手上げのポーズをした。
祐巳はそれに付け加えて言った。
「由乃さんのせいで」
「なんで私のせいなのよ」
「だって、なかなか止めてくれなかったから」
「それは、そもそも祐巳さんが変な命令をするからでしょ」
「でも最初に嵐だって言ったの志摩子さんだよ」
そんな会話を聞いていた乃梨子ちゃんは言った。
「なんの話ですか?」
それには志摩子さんが答えた。
「祐巳さんが魔王になったのよ」
「それは聞きましたけど」
「だからね、立派な魔王になれるように祐巳さんを手伝っていたのよ」
「じゃあ、今の雨ってもしかして祐巳さまが?」
「そうね。正確には祐巳さんの命令で由乃さんが」
志摩子さんは、祐巳の魔王としての力は誰かに何かをするように命令することで発現するらしいということを、乃梨子ちゃんに説明した。
本当だろうか?
祐巳がそれに疑問を挟んだら乃梨子ちゃんは言った。
「試したら良いんじゃないですか?」
「試す?」
「ええ、丁度良いですから、祐巳さまと由乃さまと私の服をその力で乾かしてみたらどうです?」
なるほど。上手くいけば一石二鳥。
祐巳たちはどうにもならないほど濡れてしまって一階の吹き抜けのところで立ち話をしていたのだ。
「じゃあ、志摩子さん。お願いできる?」
「祐巳さん、お願いじゃないでしょ?」
志摩子さんは微笑みつつ答えた。
「あ、そうか、じゃあ、志摩子さん、私達の服を乾かして」
「了解したわ」
そして、志摩子さんはしばらく目を瞑り、そして両手を見えない何かを乗せているように上向きにそろえて胸の前に差し出し、そのままその何かを空中に撒き散らすようにすばやく手を上に伸ばした。
「うわっ」
本当にレモン色に光った何かが吹き抜けの空間に撒き散らされ、それらはゆっくりと祐巳たちの上に降ってきた。
乃梨子ちゃんはその光を手に受け止めて言った。
「暖かい?」
「うん、なんか気持ちいい」
「あ、服が」
そのレモン色の光が触れたところから、湿って濃い色になっていた服が乾いていつもの色に変わっていった。
やがて、撒き散らされた光が全部降り積もった頃には、服も髪もすっかり乾いて濡れる前の状態に戻っていた。
ついでに雨に遭って冷えた身体もなんかぽかぽかしていい感じになっていた。
「なんか素敵」とは乃梨子ちゃんの感想。
やがて光ったつぶつぶは消えて、三人はすっかり元通りに乾いていた。
「これって私の力?」
「そうだと思うわ。祐巳さんの命令に従おうと思った瞬間に何をすればいいのかが判ったから」
「由乃さんは?」
「うーん、そんなような気がするけど……」
そうか。
なんかちょっと使いにくい気がするけど、とりあえず祐巳の言うことを聞いてくれる人がいれば何でも出来そうだ。
「志摩子さんがあのキラキラした魔法?」
「なあに、由乃さん」
由乃さん、なにか言いたいことがあるようだ。
「で、私が暴風雨?」
「どうしたの?」
由乃さんは薔薇の館に響き渡る声で叫んだ。
「納得いかないわー!」
そんな魔王になったお話。
「祐巳、ちょっと良いかしら?」
放課後の薔薇の館に今日はお姉さまと二人きり。
静かな時間を過ごしていた時に、ふとお姉さまが何かを思い出されたようだ。
「今度の日曜日にお出掛けに付き合って欲しいのだけれど、時間は空いているかしら?」
「あ、はい。えーっと、特に用事は無かったと思います」
「そう、それじゃM駅前に10時ね」
ふふふふ、お姉さまとお出掛け。自然と顔が緩んでいくのがわかる。
どこへ行くのかな?
「えーっと、どのような御用なのでしょうか?もしかして小父様や小母様の頼まれものとかですか?」
「いいえ、昨夜、お母さまと一緒にテレビを観ている時に紹介されていたお店に行ってみたいの」
おー、お姉さまがテレビとは珍しい。
でも、超高級店とかだと私のお小遣いではお供できなくなるかもしれない。そう考えていると、表情に出てしまったようで。
「心配しなくても私達のお小遣いで行けるくらいのお店よ。経済情報番組で出ていたのだけれど、私もお母さまもそんな有名なお店だと知らなくてビックリしたの」
私達のお小遣いで行けて有名なお店?
「日本国内に一千店舗以上も展開するチェーン店だそうだけれど、ちょっと作法が分からなくて、教えてくれる?」
「は、はい!お姉さまのためでしたらどのようなお店でもお供致します」
懐かしいなぁ、あのバレンタインデートの時のお姉さま。ハンバーガー屋でナイフとフォークを探してたっけ・・・。
普通の高校生らしさに憧れるお姉さまだから、庶民のお店に行きたいのかな?
「ところで、どちらのお店に参られるのですか?」
「ちょっと待ってちょうだい・・・えーっと」
そう言ってカバンの中を探して、四つ折りされたメモ紙を取り出した。
「これ、このお店」
「拝見しますね。えっと・・・・・・」
そこに書いてあったのは、庶民の味方の超有名店、UNI●LO、100円均一、吉●家と書かれてあった。
「今月のお小遣い、残りが30万円ほどしかないのだけれど、足りるかしら?」
足りますよ、足りますとも!私のお小遣い何年分だよ!山ほど買ってもお釣りがきますってば。
これだからブルジョアは・・・私の肩は小刻みにプルプルと震え、なぜだか悔し涙が零れ落ちそうだった。
「お姉さま……」
お姉さまが舞台袖に現れたとき、私は思わず立ち上がりそうつぶやいた。だって、お姉さまは来ないと思っていたから。
「志摩子」
お姉さまは私に近づいて、私の頬にそっとふれた。
しばらくじっと私をみた後、お姉さまは私にこういった。
「私は強要しなかったわよ。これはあくまで、あなたが決めたこと。だから、当選したら、最後まで責任持ちなさいね」
「それ、言葉間違えてませんか。白薔薇さま」
端から聞いたら、あまりにも投げやりな態度に、祐巳さんが抗議をしてくれた。
「あらら、祐巳ちゃん元気復活だね。何? 私の言葉が間違っている? どこが?」
「あの普通は、『がんばってね』とか『応援してるわ』とか」
「でも、心にもないこといえないでしょ」
「心にもって――」
祐巳さんが、そんな言葉はあんまりだという表情を浮かべてお姉さまに抗議するのを私は祐巳さんの肩に手を乗せることで遮った。
「いいのよ、祐巳さん」
私は、微笑みを浮かべて言葉を続ける。
「あのね。今のお姉さまの言葉ね、私には最大級の励ましなの」
「え?」
その言葉に、愕然とした表情を浮かべる祐巳さん。
祐巳さんはすぐにお姉さまの方を向くと、お姉さまはあさって方を向いて、「さあどうでしょうね」と言った。
そのときの祐巳さんは、本当に訳がわからないといった顔を浮かべていた。
令さまの演説が終わり、司会が静さまの名前を呼んだ。
「はい!」
静さまは立ち上がると、ちらりとこちらをみてから、壇上へと向かった。
数瞬の沈黙のあと、静さまはゆっくりと所信表明演説を開始した。
私はそれを聴きながら、先ほどお姉さまが言ってくれた言葉を思い返していた。
『私は強要しなかったわよ。これはあくまで、あなたが決めたこと。だから、当選したら、最後まで責任持ちなさいね』
お姉さまは私に立候補を強要しなかった。それは、お姉さまがいない後、山百合会に無理に所属しなくてもいいという意思表示。
私にとって、山百合会というのはリリアンという場所に私を縛り付けている唯一の枷だ。
お姉さまはその跡を継がず、その枷をとってもいいんだよと、何も言わないことで言ってくれたのだ。
『当選したら、最後まで責任持ちなさいね』
という言葉は、その枷に縛られることを選ぶのであれば、ずっとそこにいられるように頑張りなさい。
そういう意味なのだ。
祐巳さんは、いや、あの場にいたすべての人はきっとお姉さまの言葉を理解できなかっただろうが、私にとっては、間違いなく最上級の励ましだった。
あそこで、祐巳さんがお姉さまに抗議してくれたのも、祐巳さんには言わなかったけれども私にとっては、何よりの励ましだった。
私には、お姉さまの他にも、私のことを大切と思ってくれる友人がいる。そう理解できたから。
不意に、拍手が鳴り響いた。
気がつくと、静さまの演説が終わっていた。
静さまが壇上から降りると、選挙管理員会の私の名前を呼んだ。
「藤堂志摩子さん」
私は立ち上がると、ゆっくりと壇上に向かった。
壇上から降りてくる静さまと目が合いすれ違う。
思えば、選挙に出ようか迷っていた私の背中を押して、選挙に出る決意をさせたのは、静さまだった。
『現在の白薔薇さまが卒業なさった後私はあなたを妹に迎えるつもりよ』
あの言葉さえなければ、私はこの場に立っていなかったと思う。
多分、静さまのことは嫌いではない。でも、私とお姉さまの関係に、横から入ってこられるのは許せなかった。
私のお姉さまは一人しかいないから。私をきちんと理解してくれる人は佐藤聖しかいないから。
私はあのとき、明確にお姉さまの後を継ぐ。そう意識した。静さまのことをお姉さまとは呼びたくなかったし、お姉さまと私の間に第三者が入り込むのが嫌だったから。
候補者が4人になった場合、私と静さまの一騎打ちになることは間違いない。
一年生の私が、二年生の静さまと選挙をして勝てるかどうかわからない。
でも、あんな考えを持つ静さまに、何もしないで『白薔薇さま』というお姉さまの称号を渡したくなかった。
だから、私は立候補したのだ。
壇上に立った。
目の前に広がる人の海。
私はマイクの前で深呼吸をすると、最初の言葉を発した。
環境整備委員会の定例会が終わると、時計は13時35分を指していた。
選挙の開票結果が出るのが14:00時が目安だったはずだ。
「結果、どうなったのかしら………」
落選したのは静さまか、それとも私か………。
普段勝負事にはそれほどこだわらない私だが、今回の結果は大いに気になった。
「ちょっと早いけど………」
そう思いながら、私は選挙結果が発表される講堂前の掲示板へと足を向けた。
私が、掲示板につくと、そこはすでにすごい数の人が集まっていた。
関係者ならともかく、たかが生徒会選挙の結果に、こんな人数が集まっているとは私には信じられなかった。
何も張られていない掲示板を遠くから眺めて、張り出されたら、ゆっくり確認しよう。そう考えていたのだが、この状況では、それも難しそうだ。
薔薇の館に行って時間をつぶしてこようか。
そう思ったときに私を呼び止める声がした。
「白薔薇のつぼみ、こちらへどうぞ」
その言葉に、掲示板の前にいたすべての人が私のことを注目し、そして、それに呼応するかのように、私の前に掲示板へと続く道ができてしまった。
「ありがとうございます」
こうなってしまっては、今更戻ることもできないだろう。私は、軽く頭を下げてから掲示板の前へと移動した。
開票結果が掲示された。
「おめでとうございます。白薔薇のつぼみ」
次々と祝福の声が私の元に届く。
生徒会役員選挙。当選者は、小笠原祥子・支倉令・藤堂志摩子の3名だった。
私は、その結果を何度も見直した。
しかし、何度見直しても。その結果が覆ることがなかった。
しばらく、喧噪の中でぼんやりしていると、お姉さまと祐巳さんがこちらの方にやってきた。
「とりあえず、3人ともおめでとう」
「ありがとうございます」
「楽勝だったじゃん」
お姉さまは投票結果をちらりと見て、私にそういった。
「そうでもないです」
わたしは首を振ってそう答えた。
正直、私は選挙に負けると思っていたから。
2年生の静さまの方が、より生徒会役員にはふさわしいと思っていたから。
私が立候補したのは、ただ、お姉さまとの関係に割り込まれたくない。ただそれだけの理由だったのだから。
こんな私が、この場所にまだいてもいいのだろうか?
そんなことを考えていると、お姉さまは、ゆっくりと近寄ってきて、私の頬にそっと触れた。
そして一言こういった。
「志摩子。がんばってね」
その言葉で、私の中でわだかまっていたモノがすべてすとんと落ちていった。
そしてその瞬間、私の中で何かが切れた。
目から、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
(どうして?)
泣くつもりなんか無かったのに、次から次へと涙が目からあふれていた。
「志摩子」
お姉さまはそんな私を優しく抱きしめてくれた。
普段、そう言うことを全くやらないお姉さまの体温は、私にとって、甘く、優しく、温かかった。
「そろそろ帰ろうか………」
気がつくと、掲示板の前には人がほとんどいなくなり、薔薇の館の面々もすでに姿が見えなくなっていた。
私たちは、ゆっくり歩き、バス停の方に向かう。
何も語らない沈黙の時間。何もしないという時間は私たちにとって無為ではない。
その場にお互いが存在していることが重要なのだから。でも、これからは、そういった姉妹で過ごせる時間は、短くなっていってしまう。
寂しさが胸でいっぱいになりそうになったとき、お姉さまはぎゅっと手を握ってくれた。
「志摩子。がんばってね」
そしてもう一度、お姉さまはそう言った。
私はこぼれ落ちそうになる涙を、こらえながら、ぎゅっと、お姉さまの手を握りかえした。
手を握りながら私は一つお姉さまにわがままを言う。
「お姉さま。今日、うちに泊まりに来てくれませんか?」
今日はこの手を離したくなかったから。
「じゃあ、家族内の役員選挙のお祝いに交ぜてもらおうかな」
お姉さまは、ひどく驚いた表情を浮かべたけど、すぐに優しい表情になって、そう言ってくれた。
そして、私たちは家に向かう。いつもはつながない手をぎゅっと握り合ったまま。
※この記事は削除されました。
今日は、私一人だった。
乃梨子は用事があるとかで、先に帰ってしまったし、
紅薔薇姉妹も黄薔薇姉妹も今日はデートをするとかでそうそうに帰ってしまっていた。
そんな中、私は、今まで一人で仕事していた。
何となく、早く帰りたくなかったのだ。
今日はなぜだか家に帰りたくないと思っている自分がいた。
お茶を飲んだあとの食器を片づけ、バス停に向かう途中で、わたしは寄り道をした。
のろのろと歩いていても、やがて目的にはたどり着く。私は立ち止まり、じっとその方向を見つめた。
見つめる先は大学の校舎。遅い時間の講義が終わったのか、幾人もの人が、バス停へと向かって歩いていく。
よっぽどのことがないと来ない、むしろよっぽどのことがあっても来ないこの場所に私は来ていた。
いつもは我慢できるのだけれど、今日はなぜか無性にお姉さまに逢いたかった。
普段は話さなくても離れていても寂しいと思わない。それこそ、数秒でも視界に存在すればお互いに満足してしまう。そんな関係だった。
そんな関係が卒業という絶対的なものによって破壊されてから、3ヶ月以上経った。
当時は結構辛い思いも多かったが、今は乃梨子という妹もいるし、普段は寂しいと思わない。
でも、時には、感傷的になってしまう。
それは、今日が七夕だからかも知れない。
流れていく人を見て、向こうにはお姉さまがいる。この人並みの中に、お姉さまがいる。それはなぜだか確信できた。
それは、距離は離れていても、心はつながっている、でも、近づきすぎると壊れてしまうそんな姉妹だからかも知れない。
お姉さまに会いたい。でも、突然押しかけたら、迷惑になってしまうかも知れない。
だから、私は高校の敷地内で、流れていく大学生を見ていることしかできなかった。
そう、私にとって、高校と大学を挟むこの道は、天の川にも等しい物なのだ。
だから高校と大学を結ぶこの道を乗り越えるのは、私にとって物凄く大変なことだった。
だから、じっと、川の水のように流れていく大学生を見つめることしかできなかった。
「あれ? 志摩子どうしたの?」
見知った顔が、川の水をかき分けてこちらにやってきた。
それは、私にとっての、彦星。
今日会いたかったまさにその人物だった。
「ごきげんよう。お姉さま。よかったら、薔薇の館でお茶でも飲んでいきませんか?」
そう言いながら、私は返事も聞かずに、お姉さまの手を取り、薔薇の館へと歩き出す。
「なに? どうしたの?」
目をぱちくりさせながらも、お姉さまは私の後ついてくる。
「今日は、ちょっとうちに帰る気分ではなかったので………」
今日、どうして家に帰りたく無かったのか……。
それは、多分七夕だから。
毎日のように会えていた二人が引き離され、一年に一度七夕の日だけ、逢うことが許される。
そんな伝説を持った日だから。
「じゃあ、今日はトクベツに私が紅茶を入れてあげよう」
お姉さまは私の言葉にほほえむと、つないでいた手をほどき、私の隣に並んだ。
ちょうどこぶし一個分の距離。これが、私たちの距離。
その距離が今はとても心地よかった。
このお話は最新刊
マリア様がみてる ――仮面のアクトレス――
のネタバレを含みます。
未読の方はご注意下さい。
☆ ☆ ☆
「さっ、入って」
令ちゃんとの手合わせを終えて、シャワーを浴びて着替えた菜々を、私は自室に招いた。
あんなに激しい互格稽古の後で、休憩もさせずにハイさようならって訳にもいかないし、それより何よりせっかくここまで訪ねて来てくれたのに、ろくに話もせずに帰したくなかったのだ。
☆ ☆ ☆
「失礼します。……素敵なお部屋ですね」
菜々は部屋の中を見回して言った。
アイボリーの壁に焦げ茶色の机、棚、窓枠。淡い色無地のカーテン、ベッドカバー、コタツ掛け。
自分にとって居心地のいい部屋を菜々に褒められたのは、ちょっぴりうれしかった。
「フフッ、ありがとう。祐巳さんに言わせると、女の子っぽくないらしいけどね」
「由乃さまらしいです」
「なんかちょっと引っ掛かるわね」
……持ち上げておいてすぐに落とすのは、菜々のいつものことだ。もう慣れたわよ。
「まぁいいわ。今お茶淹れてくるから、その辺に座ってて」
「お構いなく」
私は一端部屋を出て、階段を下りていった。
紅茶と、用意しておいたパウンドケーキをそれぞれ二人分トレーに載せて戻ってくると、菜々は行儀良くコタツにおさまっていた。
「おまたせ。楽にしてね。これね、令ちゃんが菜々に食べてもらいたくて、今朝焼いたの」
言いながら、フォークと二切れのケーキが載ったお皿を紅茶と一緒に菜々に勧める。
「そうですか。いただきます」
私も自分の皿のケーキをフォークで切り分け、菜々と同じように口に運ぶ。
すると、口の中いっぱいに優しい甘さが広がる。
うん、今日も令ちゃんの腕は確かだ。
菜々が一口食べ終わって、紅茶を口にした後訊いてみた。
「……どう?」
「とっても美味しいです」
普段余り表情を変えない菜々が、微笑んで言った。
女の子だもん、やっぱり甘いものが好きなのね。
「よかった。お土産もあるから、よかったらお姉さんたちにも食べてもらって」
「ありがとうございます」
令さまが焼いたって言ったら、姉たち、きっとびっくりすると思います。そう言って菜々は笑った。
令ちゃんの外見と剣道の実力しか知らない人が、実は家ではケーキを焼いたりする女の子らしいところがあるなんて知ったら、そりゃやっぱりびっくりするだろうな。
あとでお姉さんたちの反応教えてね、と私も笑う。
☆ ☆ ☆
「それにしてもあなたも無茶するわね。互格稽古なんて」
「無茶でしたか?」
私の言葉に、菜々は意外そうに応える。
「無茶よ。だって始めてすぐに判ったもん、実力が段違いだなって」
「最初に言ったじゃありませんか。段持ってませんよって」
「四姉妹の中であなただけが有馬を名乗ってるから、段を持ってないだけで、本当はすごく強いのかと思ったのよ」
状況から考えれば、そう思っても不自然ではないだろう。
でも菜々は意に介する様子もない。
「実力なら、一番上の姉が一番です」
「ふーん。でもね、四人の中で菜々の剣道が一番好きだって、令ちゃんが言ってたわよ」
「そうですか」
菜々はうれしそうに笑った。
「それより」
いつもの真顔に戻って、菜々が言う。
「ん? なに?」
「私、判りました」
「何が?」
「どうして令さまとお手合わせをしたかったのかが、です」
そこまで言われて、私はやっと手合わせ前に自分が投げかけた問いを思い出した。
「ああ。それで、どうしてだったの?」
「私、令さまと二人でお話がしたかったんです」
一瞬、胸の奥がドキンッと鳴った。
菜々が令ちゃんと話したいことって?
剣道談義とか? でもそれだったら初めから判らないって事はないだろうし。
そうするとやっぱり私の事なのかな。
まさかとは思うけど、「妹にされそうなんですけど、どうすればいいでしょう」なんて事じゃ無いわよね。
「そうだったの。ちょっと待ってて、令ちゃん呼んでくるから。何だったら私、席外すし」
何も気にしていない風を装ってコタツから立ち上がり掛けた私を、菜々は制した。
「いえ、もういいんです」
「どうして? 遠慮すること無いのに」
「いえ、そうじゃなくって、なんて言ったらいいのか……。訊きたいことや、聞いてもらいたいことは全部済んだから、って言ったら判ってもらえます?」
「さっきの稽古でってこと?」
「はい」
その言葉に、私は菜々をじっと見つめた。菜々も同じように、私を見つめ返してくる。
思えばこんなに真剣に菜々と見つめ合ったのは初めてだ。そう、これはまるで真剣勝負。生半可な返事は許さない。菜々の瞳がそう訴えているように私には思えた。
そこで私ははっと気がついた。菜々と令ちゃんはさっきの互格稽古で、きっとこんな風に向かい合っていたのだろう。
私は必死で考えた。どんなに打たれても、ふらふらになっても令ちゃんに向かっていった菜々の気持ちに応える為にも。
でも、判らない。いつものように思いついたことを反射的に答えるなんてできっこない。
私は正直に降参した。
「……よく判らないわ」
「そうですよね……」
「もし不都合がないようなら教えてもらえる?」
菜々もやっぱり私と同じように真剣だったのだろう。ふぅっと小さく息をつくと目線をコタツの天板の上に落とし、カップを持って紅茶で口を湿らせた。
そしてもう一度私に視線を戻すと、落ち着いた声で言う。
「由乃さまは私を妹にするおつもりですか」
「えっ!? いや、あの、それは……」
普段なら勢いで「そうよ!」と断言しそうな問い掛けだった。でもその時は余りに唐突で、思ってもみない方向から不意に打ち下ろされたその剣に、私は思わず狼狽えてしまった。
そんな私に構わず、菜々は続ける。
「由乃さまと初めてお会いしたのは去年の十一月、交流試合の時でしたね。そのあと休みの日にお茶に誘われて、勢いで令さまのお見合い現場まで引っ張り回されて」
ちょっと待て、それは菜々が自分でついて行きたがったんだろう、と言いたい言葉を飲み込んで私は目で先を促した。
「山百合会のクリスマスパーティに、中等部の私が招待されたり……」
「迷惑だった?」
「いえ、楽しかったです。由乃さまといるのはとっても楽しかったです」
「そう、それはよかったわ。で?」
「由乃さまがこれだけ構ってくるということは、多分私を妹にと考えてらっしゃるんだろうと思ったわけです。半分は自惚れですが」
ちぇっ、やっぱりバレバレだったのね。
私はいたずらを見つかった子供のように、少しバツが悪そうに、苦笑いと共に言う。
「自惚れじゃないわ」
「そうですか。でも妹になる可能性を自覚した時、思ったんです。私はこのままこの人の妹になってもいいんだろうかって」
「つまり私が姉では不足かもしれないと」
直球ど真ん中の私の言葉には答えず、菜々は普段通りに続ける。
「そうじゃありません。ただ、一緒にいて楽しいからって理由で姉妹になるのはどうなのかなって思ったんです」
「うん」
「友人に訊くと、姉妹制度っていうのは姉が妹を教え導くものだって言うんですが、今ひとつピンと来なくて」
突っ走ったり、転んだり、キレたり。そんなところばかり見られたんじゃ、確かに導くって感じじゃないわね。
私はこれまで菜々の前で晒してきた失敗の数々を思い、心の中で深く溜息をつき、眉間を押さえていた。
「由乃さまのことだってよく知ってる訳じゃありませんし。それで山百合会の事に詳しい友人に由乃さまの事を訊いてみたんです」
「なんて言ってたの?」
「一口で言えば、素敵なお姉さまという事です。訊くだけ野暮というものでした」
「どういう意味かしら」
何よそれ。菜々の中では私は素敵なお姉さまじゃないって訳?
私の言葉には険があったかもしれない。菜々はすぐに否定した。
「あ、すみません。由乃さまと直接会った事もない友人が、私より知ってるはずがないという意味です。そんな訳で、ずっと胸の中でモヤモヤしていて。こんな事、実の姉に相談する訳にもいきませんし」
「それで令ちゃんに訊いてみようと?」
「別に訊いてみようと思った訳じゃありません。ただ、このモヤモヤをぶつける先として、なんとなく黄薔薇さまが思い浮かんだんです」
ここまで聞いて、私は少し感動していた。今まで自分の事を余り積極的に話さなかった菜々が、心の中を打ち明けてくれたから。しかも私との事をこんなにも真剣に考えてくれて。
わたしの気持ちは決して一方通行じゃなかったんだ。例えそれがどっち向きであろうと。
「それでモヤモヤは晴れたって訳ね」
「はい」
今まではあまり表情を変えずに訥々と話していた菜々が、その時やっと微笑んだ。
「互格稽古を受けてもらえてうれしかったです」
「うん」
「打ち合っている最中は無我夢中でした」
菜々は窓から外を見るともなく見やり、その時の余韻を反芻するように言う。
それは傍目に見ていてもよく判った。確かに実力の差はあるが、菜々も令ちゃんも本当に真剣に打ち合っていた。
紅茶を飲んで一呼吸置くと、菜々は続ける。
「途中、私が令さまの突きに飛ばされて倒れた時、由乃さま、駆け寄って来ましたよね」
「そうだったわね」
あの時は私も夢中だった。令ちゃんとの約束も忘れて、飛び出していた。
「その時の由乃さまのお顔を見て、何でだか判りませんが思ったんです。『あっ。私、この人好きなんだな』って。」
「えっ!?」
思いもよらない突然の告白に、心臓の鼓動が高鳴り、体温が急上昇するのが判る。
だけどそんな私の気持ちも知らぬ気に、菜々はただ事実をありのまま言っただけ、という風だ。
菜々は構わず続ける。
「そうしたら急にどうしても令さまに一矢報いたくなって。結果はまぁあの通りで、とても一矢を報いたなんて言えるようなものじゃないけど、令さまはお見事と言って下さいました」
「……」
言葉もなく、私はただ菜々の次の言葉を待った。
「結局私は、自分が由乃さまの妹になっていいという正当な、自分を納得させる理由が欲しかったんだと思うんです。でも気づいたんです。大切なのは、なっていいかどうかじゃなくて、なりたいかどうかだっていう事に」
「……うん」
私は小さく頷いた。
鼻の奥がツンッてしてくる。
ちくしょう、うれしいじゃないか。
令ちゃん以外の人に、こんな気持ちになるなんて思わなかったぜ。
「そんな理由(わけ)で」
菜々は膝立ちでコタツから出ると、座布団のない床にキチンと座り直して言う。
「もしよろしければ、私を由乃さまの」
「ストーップ!」
コタツのこちら側からめいっぱい右手を伸ばした私は、言い掛けた菜々の言葉を遮った。
「!?」
びっくりした顔で、菜々は私を見つめてくる。
チッチッチッ。その右手の人差し指を左右に振って、真顔で言う。
「だめよ」
「どうして……」
それは初めて見る、菜々の不安気な顔だった。
「それはね」
人差し指でクルクルッと空中をかき混ぜて、いたずらっぽくウィンク。
「私が言うの。菜々が高等部に進級した日に。令ちゃんからもらった、あのロザリオと一緒にね」
「……はい!」
そしてそれは初めて見る、菜々の満面の笑顔だった。
ネタバレ注意
その人物は唐突に現れた。
いつか見た私服と、白いウエスタンハットを被った姿で現れた。
「や、電動ドリルちゃん。偶然だね」
選挙の当選発表が終わってまだ1時間も経っていない、このタイミングで、先代白薔薇様 佐藤聖は私の前に現れた。
「なんのようですか」
唐突の出現に、警戒している私をよそに、全くの無防備な笑顔で、聖さまは近づいて来る。
「『なんのようですか』って、そんなに警戒しないでよ。ただ私は貴方の手際を讃えにわざわざ来たんだからさ」
「…………」
言葉とは裏腹に、その軽薄そうな表情とは裏腹に、その目は笑っていない。
「まさかまさか、ここまで大業な手段を使うなんて、私も思わなかったよ。まさにチェック・メイト!詰みって感じだね」
「何の事か測りかねますわ」
全く表情を変えずにとぼけて見せたが、しかし、佐藤聖は止まらない。
「この手なら、祐巳ちゃんもかなり困難になるだろうね。いや、下手したら無理かもしれなくなる。そこまでして、祐巳ちゃんを嫌いになりたいのかな?」
そして、聖さまは私の前まで近づき肩に手を置く。
「どうなのかな?松平瞳子ちゃん」
私は黙ってその手を払いのける。
「関係ありません。それに私は祐巳さまのことは大嫌いです」
あんな優しさ、同情と言うのもおこがましい。
本当に、最悪だ。
だから、私は、祐巳さまの妹には決してならない。
********************
去っていく瞳子ちゃんを見ながら、私は紅薔薇の系譜の厄介さをつくづく思いしらされた。
全く、蓉子といい祥子といい、なんであんな厄介な人達しかいないのだろうか?祐巳ちゃんは本当に例外的な存在だ。
だからこそ、私の抱きマクラなのだが。
「……祐巳ちゃんに言った、出番なんてほとんど無い、みたいな事、撤回しようかなぁ」
史上最強のツンデレを前に、祐巳ちゃんだけでは酷だろう。こういう時こその、祐巳ちゃん専用ヒーロー、佐藤聖だ。
「そうと決まれば、さっそく祐巳ちゃんを抱きしめに行かねば!!」
最近、祐巳ちゃんのプクプク感を味わってなかったしね。
《道化師のアクトレス後日談 end》
ネタバレ注意
乃梨子さんが教室に戻ると、このところ一人でお弁当を食べているはずの瞳子さんが居なかった。
瞳子さんの椅子に近寄ると座布団に触れている。かすかに残る温もりを感じたのか。
「温かい・・・」
と呟いた。やってみてからTVドラマみたいでちょっと恥ずかしくなったのか頬が赤くなっている。
乃梨子さんは自分の席に空のお弁当箱を置くと、瞳子さんを探しに教室を飛び出して行った。
「ご覧になりまして、美幸さん」
「えぇ、敦子さん。乃梨子さんは瞳子さんの座布団をお触りになって『温かい』とおっしゃってましたわ」
「しかも、その後にほんのりと頬を染めてらして」
美幸さんと敦子さん(あんどその他)はガッシリとスクラムを組むと。
「禁断の愛ですわ!!」
と雄叫びを上げた。
「私、クラブのお姉さま方から聞いたことがありますの。先代の白薔薇さまは女の方しか愛せないお方だったと」
「今の白薔薇さまも乃梨子さんやつぼみの方々と、かなり親密なご関係だとか」
「乃梨子さんも禁断の愛に目覚めてしまっておられるのね?」
って、代々の白薔薇さまは同性愛者ですか?
「さて、愛する人の座布団に頬擦りして温もりを確かめる、ガチな乃梨子さんに私達ができることは何でしょう?」
おいおい、いつ頬擦りしたよ?
「愛しい人の温もりに頬を染めるガチ薔薇のつぼみを、そっと応援して差し上げることでしょうか」
だから、あれは自分の行動が恥ずかしかったんだろうって。しかし、さっそくガチ薔薇呼ばわりか?
「では皆さん、私達はこれから『ガチ薔薇のつぼみの禁断の愛をこっそりと応援し隊』として二人を見守る、ということで参りましょう」
「「「「「おーーー!!」」」」」
いや、全然こっそりじゃないから。
この学園のノリには慣れたつもりでいたのだけれど、やっぱり慣れたくは無いなぁ、とも思う細川可南子であった。
※この記事は削除されました。
皆様、初めまして。
携帯からの投稿ですので、ちゃんと成功するのか不安です。
コメント頂けたら嬉しいです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私達三年生が山百合会の皆と過ごす、最後のクリスマス・パーティーも終わった。
「お姉さま、本当によろしいんですの?」
「ええ、大丈夫よ。ちゃんと後片づけしておくから」
「ですが、お一人では…」
「あまり祐巳ちゃんを待たせないの。早く行ってあげなさい」
なおも言い募ろうとする祥子よりも先に、聖が口を開いた。
「祥子、私も残るよ。それなら安心かな?」
「白薔薇さま?」
「ありがとうございます、白薔薇さま」
「どーいたしまして。さあ、早く帰った帰った」
「白薔薇さま!そんな言い方は…」
「もう、白薔薇さまったら。それでは、お先に失礼いたします。ごきげんよう、お姉さま方」
「ごきげんよう、祥子。気をつけて帰るのよ」
「はい、ごきげんよう。祐巳ちゃんによろしく言っといて♪」
「それはお約束できません」
「「祥子!?」」
「冗談ですわ」
あっけにとられた私達に笑顔を残して、祥子はビスケット扉を出ていった。
(あの子が冗談を言うなんて…)
「祥子も言うようになったねー。祐巳ちゃんのおかげかな。さ、片付けようか」
「ええ」
手を動かしながらも私は聖の事を考える。
(貴女も変わったわよ、聖…)
そう、聖は変わった。栞さんに志摩子、それに祐巳ちゃんと出会って。
今でも時折、暗い瞳をしたりするけど、初めて出会った中等部の頃からは想像できない暖かい顔で笑うようになった。
(結局、私は何もできなかった…。聖にとって私なんて、単なる口煩いお節介の同級生よね)
でも、その関係も終わるのだ。卒業してしまえば、滅多に会わなくなるだろう。
(聖と会えなくなったら、私はどうなるのかしら…)
「…子。蓉子?」
そんな事を考えていたら、手が止まっていたようだ。聖に呼ばれて目を上げると、部屋の中は片付いていた。
「ごめんなさい、聖。すっかり片付けてもらったわね」
「ん、いいけど。それよりさ、これどうする?ゴミ袋に入れといて、年明けに捨てようか」
そう言って七夕飾りもどきを指差すので、私は慌てた。
「嫌よ!それは捨てたらダメなの!」
私の剣幕に聖は驚いたようだ。
「こんな簡単に作れる飾り、何にするの?」
「この段ボール箱に入れて、しまっておくわ」
私は用意しておいた段ボール箱に丁寧にしまうと、マジックで『クリスマスパーティー用』と蓋にだけ書いた。
「あれ?しまっとくのに箱の側面には目印を書かないの?」
「ええ。来年この箱が見つからないなら見つからないで、いいの」
「それって、しまっとく意味あるの?」
「あるのよ」
(私にはあるの…)
聖は合点がいかない様子だったけど、理由なんて言えない。
初めて聖と一緒のクリスマスパーティーだったから、すごく楽しかったから、その思い出として保存しておきたい、だなんて。
別に来年のパーティーの時に見つからなくてもいい。
自分の目の前で捨てられるのが嫌なだけ。
「ふーん。ま、いいや。どうせ一階の倉庫にしまうんでしょ?」
「ええ」
「はい」と手を出されて、私は戸惑った。
「?」
小首を傾げる私に苦笑しながら、聖は私の頭を指差した。
「気に入ってくれたのは嬉しいんだけどさ、そのまま帰る気?」
「あ」
私は王冠を被っていたままだった。
厚紙とホイルで出来た王冠。
聖が作ってくれた王冠。
この楽しかったパーティーの象徴のように思えて、手放したくなかったけど。
「ほら」
ちょうどいい言い訳も思い付かないうちに、聖に取られてしまった。
段ボール箱に王冠をしまった聖は、そのまま私の髪を撫でる。
「癖がついちゃったね。なかなか直らないなあ…」
何度も何度も撫でつける、聖の手。
(温かい…)
気持ち良くて、目を開けていられない。
(え…?)
ふと額に湿った物が触れて、目を開けると。
思いがけない程近くに聖の顔があった。
「でこチューしちゃったー♪」
「せせせ聖!?」
(さっきの感触は聖の唇だったの!?)
「顔が真っ赤だよ、蓉子♪」
「誰のせいよ!」
「いーじゃん、減るもんじゃなし」
「乙女心の何かが減るのよ!」
「何それ(笑)」
笑い転げる聖を放っておいて、帰り支度をする。
「もうっ、帰るわよ、聖!」
「待ってよ、蓉子。今日はうちに泊まらない?」
「え?」
「うち、明日の夜まで誰も居ないんだ」
「でも何も用意してないし…」
「服や下着なら私のを貸すから!」
迷ってる私に真剣な顔で聖が言う。
「一人で居たくないんだ。お願い、蓉子…」
(聖…)
「…わかったわ。家には途中で連絡するから、とりあえず帰りましょう」
「うん♪」
嬉しそうな聖と正門まで歩く。
途中で家に電話すると、あっさりと外泊許可はおりた。
「本当に受験生の親なのかしらね」
「まあ、クリスマス・イブだし」
「それより、私の日頃の行いがいいからじゃないの?」
「自分で言うかなー?じゃあ、間をとって、私の人徳ということで(笑)」
「それ、間じゃないわよ(笑)」
笑いながらバス停に着くと、ふいに聖が言った。
「蓉子、寄り道していいかな?M駅なんだけど」
(え…?)
「いい…わよ」
その後、バスに乗っている間の会話は覚えていない。
M駅に着くと聖は真っ直ぐに三、四番線ホームの先頭へ歩いていき、しばらくベンチに座っていた。
私は、その姿を黙って見ているだけだった。
(結局、去年と同じ。何もできないままね…)
ふっ、と息を吐いた聖が立ち上がる。
私の方を振り向くと、顔色を変えて走って来た。
「どうしたの、蓉子!」
(…え?)
「真っ青じゃない!そんなに寒いなら、早く言ってくれたら…!」
(…寒い?私が?)
「すぐ帰ろう!」
M駅からはタクシーで帰った。
聖の家は門灯が点いているだけで、あとは暗かった。
「お風呂の用意してくるから、暖かくして待ってて」
聖は私を毛布でグルグルと巻いてから部屋を出ていった。
「これじゃ動けないじゃない…」
何もせずに聖を待っていると、どうしても駅での事を考えてしまう。
(何を見ていたの、聖?一人だと栞さんを思い出して辛いから、私を誘ったの…?)
「ただいま、蓉子。お湯が溜まるまで、これでも飲んでて」
両手にココアの入ったカップを持って、聖が帰ってきた。
「手が出ないから飲めないわよ」
「あ、そっか」
毛布を脱いで(おかしな表現だけど)ココアを飲む。
少し気持ちが落ち着くと、思い詰めていた言葉が勝手に口を出た。
「ねえ、聖…」
「んー?お風呂ならまだだよ」
「お風呂じゃなくてね。…どうして今日M駅に行ったの?」
「!」
(ダメ)
「ベンチに座って何を見てたの?」
「蓉子」
(言ってはダメ)
「一人にならない為なら、私じゃなくても誰でも良かったんじゃないの?」
「蓉子、違う」
(これを言ったら…!)
「貴女は今でも栞さんを…」
「蓉子!!」
聖に抱き締められている、と気付くのに数秒かかった。
「違うの、蓉子、聞いて」
(何が違うの…?)
「私は貴女を…蓉子を愛してる」
信じられなかった。
「嘘…」
「嘘じゃない、本当だよ」
「じゃあ、M駅で何してたの?」
「心の中で栞に手紙を書いてたんだ。『ごめんね』と『ありがとう』、そして『とても愛してる人がいる』って…」
聖の顔を見ると、とても穏やかな顔をしていた。
こんな顔で栞さんの話ができるようになったのね…。
「蓉子、返事は?」
「返事?」
「私は『貴女を愛してる』って言ったよ」
「…あ」
すごく恥ずかしい。恥ずかしいけど、ちゃんと聖の顔を見て私の気持ちを伝えなくちゃ。
「愛してるわ、聖」
今まで見てきた中で一番優しい聖の顔が、ゆっくりと近づいてきて。
唇が重なった。
ARIAクロス……久々ですみません。
それでも大きな進展なしなので、てろてろと読んでくだされば幸いです。
【No:1328】―【No:1342】―【No:1446】―【No:1424】―【No:1473】
夏、忙しい日々が続いていた。
地球=マンホームではもう海で泳げないらしく、火星=AQUAの海を楽しみに来る観光客が増える季節。
勿論、ネオ・ヴェネツィアの一大観光業であるゴンドラ業の水先案内人=ウンディーネも大忙し。
半人前=シングルのウンディーネである祐巳も一人前=プリマのウンディーネである灯里さんやアリシアさんの助手として、プリマだけに許されている白いゴンドラに同乗してお手伝い兼研修の日々を過ごしていた。
まだまだ、シングルの祐巳は自主練習が必要だが、合同練習をしていたオレンジ・ぷらねっとのアリスさんがプリマに昇格したため。
会社に、同期のいない祐巳は一人で練習することが増えていた。
「よし!!久々の自主練習がんばろー!!」
「ぷいにゅー!!」
祐巳は練習用の黒いゴンドラに、アリア社長を乗せ。
ゴンドラを運河に漕ぎ出す。
祐巳は手にしたネオ・ヴェネツィアの地図を見ながら今日の目的地を考える。
「う〜ん……そうだ!!ネオ・アドリア海の方に出て日本村においなりさんを買いに行きましょうか?」
ネオ・アドリア海はいくつもの島が浮かんでいる多島海、その中で昔、日本から多くの人が入植した島々のことを日本村と称して言う。
「ぷい!!にゅ!!!!」
祐巳の提案にアリア社長はコレ以上ないくらい乗り気で賛成してくれる。
ネオ・ヴェネチアというかAQUAには本当に素朴で美味しいものが多い。祐巳も何時しかお気に入りのバール=カフェやジャガバター屋さんなどが出来ていたが、美味しいおいなりさんはやっぱり日本村が一番だ。
「じゃ、行きますよ!!」
祐巳はオールを漕ぎ、ゴンドラを海へと進める。
今日はいい天気。空を泳ぐ風追配達人=シルフの人たちも暑さを気にせず楽しそうだ。
――ちり〜ん、ちり〜ん。
潮風に夜光鈴の結晶が涼しげな音色を響かせる。
ネオ・ヴェネチアから日本村へは一時間ほど。
周りは海、誰もいない。
「よし!!」
祐巳は気合を入れ舟謳=カンツォーネを口ずさむ。
一応、ウンディーネの練習であることは忘れていないのだ。
「ぷいにゅー!!」
「あぁ、見えてきましたね」
祐巳の前に小さな島が見えてくる。島の入り口には赤い鳥居と石の台に乗ったお稲荷さん。
そういえば乃梨子ちゃんは仏像には興味があった様だが、こういったお稲荷さんはどうだったのだろう?
今はもう聞けないこと。
祐巳は首を振って、島にゴンドラを着ける。
森が深いためかセミの声が凄く、祐巳は少し耳を押さえながら鳥居の横の茶店に向かう。
「ごきげんよう」
「あら、ごきげんよう」
「こんにちわ」
茶店の前には、品のよさそうな二人のおばあさんが座ってお茶を飲んでいた。
祐巳は挨拶をして、茶店のおばちゃんに声をかける。
「ごきげんよう、おばちゃん。おいなり十個入りを一つと五個入り一つ出来る?」
「あいよ〜、少し待っていてくれんかい。今、アゲを煮ているところやから」
おばちゃんはニコニコと笑って答え、祐巳の鼻腔を甘い揚げの香りがくすぐる。
「わかりました……あの、ここよろしい……あぁ!!アリア社長!!」
祐巳は少し待つことにした。長椅子に座るおばあちゃん達の横に座ろうとして、アリア社長がちゃかりとおばあさんの一人の膝の上にいることに気がつく。
「あぁ、すみません!!」
「いいのよ、アリア社長とは知り合いだから」
祐巳が慌ててアリア社長を受け取ろうとするが、そのおばあさんはそっと祐巳の手を押さえる。
「そうなのですか?」
「ぷいにゅう!!」
祐巳の質問に答えたのはアリア社長だった。アリア社長はVサインを出していた……たぶん、大丈夫の意味だろう。
「それでアリア社長とはどういったお知り合いで」
「古い友人よ」
「古い友人?」
「えぇ、火星猫は長生きだから、ふふふ。それよりも貴女はARIAカンパニーのウンディーネさんなのかしら?」
「あ、はい……半人前ですが」
「そう……」
祐巳の言葉に頷いたのは、もう一人のおばあさん。アリア社長を知っているならARIAカンパニーも知っていて当然だろう。
「どうかした?」
「あ、いえ、すみません」
祐巳はもう一人のおばあさんをジッと見ていた。初めて会う人なのに何故か懐かしさを覚える人だった。
「ふふふ、いいのよ」
優しい笑顔で祐巳を見ている。
「それにしても、おいなりさん十五個は多いわね。ウンディーネさんが全部食べるのかしら?」
「いえ、それはお土産と……五個はお供え物です」
「あら、そうなの?」
「はい、私は体験していないのですが、会社の先輩が此処で狐の嫁入りを見たとかで此処のおいなりを買うときはお供え用に小さいのを買うようにと言われているんですよ」
「あらあら、それは素敵なことね」
二人のおばあさんはニコニコと笑っていた。
祐巳は本当に狐の嫁入りを見たら怖いなぁと思っていた。
……狸合戦の方がいいかな。
この前見た遥か昔のアニメーションを思い出す。
意外なことに姫屋の藍華さんがそういうのを持っているのだ。
「お嬢ちゃん、出来たわよ〜」
「は〜い」
祐巳は代金を払うと十個入りの方をお店に預け、五個入りを持って鳥居の並ぶ道へと向かう。
「アリア社長、行きますか?」
だが、アリア社長はおばあさんの膝の上の方がいいのか動かない。
「ぱいぱいにゅ〜」
祐巳に手を振って行ってらっしゃいと言っているようだ。
「あら、どちらに行くのかしら?」
「お稲荷さまに挨拶を」
そう言って祐巳は五個入りのいなりを見せる。
「あらあら」
「おやおや」
「あの、すみませんがアリア社長を少しお願いできますか?」
「あら、それは困ったわね。もうすぐ迎えの船が来るのだけど」
「その間で構いませんから」
祐巳のお願いに二人のおばあちゃんは頷いてくれる。まぁ、アリア社長がアレだけ信頼している人なら問題は無いだろう。
祐巳は長いスカートをパタパタ乱しながら鳥居に向かう。
「お嬢さん!!」
「はい?」
「スカートは乱さないようにね」
「あ、すみません」
祐巳は、おばあさんに注意され素直に従い鳥居をくぐる。
赤い、赤い道が続いていた。
何所までも続く赤い世界、左右に茂る青々とした木々の木漏れ日が鳥居の中を照らし出す。
赤い鳥居の道は一本道なのに何だか迷宮のようだ。
夏だというのに赤い迷宮を吹きぬける風は冷たい。
セミの声も聞こえない。
「あぁ、本当、このまま別の世界に行きそう」
前も後ろも赤い道。
赤いトンネル。
立ち止まって、目を瞑り、一回転してみればどっちから来たかもう分からないだろう。
まぁ、そんな遊びはしないが……。
「……あれ?」
変なことを思ってしまったのがいけなかったのか、鳥居の道がえらく長く感じてしまう。
少し怖い。
「あはは」
笑って怖さを消し、祐巳は少し早歩きで進んでいく。
赤い道は何所までも続いている。
……本気で狐に化かされてる?
それとも灯里さんの見た、狐の嫁入りでも見れるのだろうか?
鳥居の間から見える空は晴天。
これで雨が降れば狐の嫁入りなのだが……雨は降ってこない。
「大丈夫だよね」
小さく恐々と呟く。
ここで動物の鳴き声でも聞こえれば祐巳は飛び上がって走り出すだろう。
恐々と進んでいく。これまで何回か来たことがあるが、こんなに怖いと思ったのは初めてだ。
今日は一人でいるからそう思うのだろうか?
早くお供えして戻ろうと思って、祐巳は走りだす。おばあさんの注意されたことは覚えているが、そんな事を実行している余裕は祐巳に無かった。
祐巳は駆け出していた。
「あっ!」
祐巳はゆっくりと速度を落とし、歩きに変える。
駆け出すとすぐに、鳥居の向こうから歩いてくる人影を見つけ。祐巳は、少しホッとして走るのを止めたのだ。
祐巳はそのまま鳥居の道を進んでいくが、今度はその足が止まった。
「……そ、そんな」
祐巳は鳥居の向こうから歩いてくる人を見つめていた。
「……お姉さま?」
いったいどのくらいそう呼んでいないのだろう?
「祐巳」
いったい何時からそう呼ばれていないのだろう?
「これは夢なのかしら?」
そこにいたのは祐巳の大事なお姉さまである祥子さま。
「……そうかも知れませんね」
もしくは祐巳が狐に化かされているのかだ。それでも、祐巳の声は震えていた。
「夢……そう、でも、それでも貴女に合えたのならいいわよね、祐巳」
祥子さまの声も震えている。
「お、お姉さま!!」
祥子さまが祐巳にしがみついて来た。
「……貴女を失って、私は一人だった。貴女との別れはいつか来るとは分かっていたのに、突然いなくなるなんて考えてもいなかったのよ……」
お姉さまは泣いていた。抱きしめるお姉さまの腕が食い込んで痛い。
「……ごめんなさい、お姉さま」
これは現実なのだろうか……?
「祐巳、貴女は何所にいるの……祐巳」
祥子さまは本物なのだろうか?
それとも、本当に化かされているのだろうか?
祐巳の頬を涙が流れる。
これが本当の祥子さまなのか、狐が化かしているのか、祐巳には分からない。それがとても悲しく苦しい。
「お姉さま……」
暖かい温もり。
狐さんに化かされているのかも知れないけど、今はそれでもいい。あの懐かしい優しさに触れていたい。
祥子さまから甘い香りが漂ってくる。
「祥子さま……信じられないかも知れませんが……」
香水?
「私は……」
甘い、甘い香り。
「未来の……」
甘い。
「AQUAにいます」
甘い油揚げの香りがした。
――ジィワージィワー、ジジジ、ジワージワー!!
五月蝿いセミの声。
「あ……う」
目の前には石で出来たお稲荷さんの顔。
周囲を見ればお地蔵さんたちがお稲荷さまを囲む。
しばらくジッと狐さんの顔を見ていた。
「……化かされた?……やっぱり、化かされたぁ!!!!!」
心臓がドキドキしている。
最後の言葉は届いたのだろうか?
いや、化かされたのだから最後の言葉も何も無いか。
ショックな気持ちが小さいのは、祐巳がもう戻る事を諦めているからだろう。
祐巳が、振り返るといつの間にか鳥居を抜けて社の前。
もしやとは思っていたが、本当に化かされていたなんて信じられない。
それにしても……。
「油揚げの匂いで夢から覚めるなんて」
祐巳はガックとうなだれ照れ笑いを浮かべ、手に持ったおいなりさんを供物台に置く。
お祈りはしない。
「狐さんは昔からイタズラが好きと聞くけど、ほどほどにしてくださいね……」
祐巳は溜め息交じりにお稲荷さんたちを見つめ、来た道を戻っていく。
「次ぎもこんなイタズラしたら供物なしですよ?」
祐巳は鳥居の入り口の前で一度振り返り呟くと、何所からか動物の鳴き声が聞こえた。
……。
…………。
「アリア社長、帰りましょうか……あれ?」
祐巳が長い鳥居のトンネルを今度は無事に戻ってくると、アリア社長だけがお店屋さんの前の長椅子に座っていた。
「おばあさん達はどうしたんですか?」
「ぷいにゅう」
アリア社長は海の方を指差す。そういえば迎えが来ると言っていた……。
「それじゃ、帰りますか」
祐巳はそう言ってお店のおばちゃんからおいなりさんを貰う。
「はい、お参りは出来たかい」
「えぇ、ついでに化かされましたが」
「おやおや、それは災難だったね。狐さまはイタズラが大好きだからね」
溜め息をつく祐巳を見て、おばちゃんは楽しそうに笑った。
「それじゃ、おばちゃん」
「あぁ、またおいで」
見送るおばちゃんとお稲荷さんに手を振って、ゴンドラを島から離しゆっくりとネオ・ヴェネツィアに戻っていく。
「お昼は、おいなりさんとソーメンにしましょうか?」
「ぷいにゅう!!」
そういうことで、今日のお昼はおいなりさんとソーメンだった。
「この麺つゆ、美味しいですね」
「そう?今度、作り方教えてあげるわね」
「はい」
祐巳はアリシアさんお手製の麺つゆでソーメンを美味しくいただく。
「そうそう、祐巳ちゃん」
「はい、何でしょう?」
「今年のレデントーレの主催して頂戴ね」
「はい?……レデントーレですか」――ちゅるちゅる〜もぐもぐ。
「そう、AQUAの夏の風物詩の一つで毎年しているのよ。それで今年は祐巳ちゃんに主に準備してもらおうと思ってね」――もぐもぐ、ちゅる〜ん「あぁ、勿論、灯里ちゃんや藍華ちゃん、アリスちゃんがサポートするけど」
「はぁ、そういうことでしたら構いませんが、レデントーレってなにをするんですか?パーティか何か?」
「うん?そう人を呼んでのパーティよ。ただ、場所は屋形船なの」
「もぐもぐ……屋形船?……て!!、えぇぇぇぇ!!!!」
ただのパーティならまだ良かったのだが、祐巳は屋形船と聞いて思わず食べていたものを吹いてしまった。
「もう、祐巳ちゃんたら」
「あぁ、す、すみません!!ですが、屋形船って何ですか?!」
「祐巳ちゃんは屋形船のこと知らない?えぇと、全長が……」
「いえ、そんなベタな話ではなくって」
一応、ツッコミを入れておく。
「あらあら、うふふ。それじゃ、灯里ちゃん説明してあげて」
アリシアさんは嬉しそうに笑って、話を灯里さんに振った。
「えっ?わわわ!!!え〜と、レデントーレっていうのは元々はマンホームのジュデッカ島にあったペストの守護教会の名で、ヴェネツィア貴族の夏の習慣がペストが治まったのを記念してお祭りに成ったとされ、このネオ・ヴェネツィアでは屋形船で友人達などと夜通し騒ぐのだけど、お祭りのピークは深夜十二時の花火なんだよ。それで祐巳ちゃんにはそのメインである屋形船を準備して欲しいの」
祐巳は話しを聞いて少し考えて……つまり、屋形船のパーティで飾り付けや料理の準備を任せるということらしい。
「そ、そんな大役……」
「あら、これもお客さまを相手する練習でもあるのよ。大丈夫、いろんな伝統料理とかワインとか、灯里ちゃんたちが教えてくれるから」
アリシアさんはニコニコと笑っていたが、どうやら断ることは許されないようで……。
「はい」
祐巳は承諾するしかなかった。
昼食を食べ終え、祐巳は灯里さんと借りる屋形船を見に向かう。借りる日数は今日から七日間。
まず、誰を招待するのか決めないといけない。
ARIAカンパニーのアリシアさんに灯里さん、これは当然。
「おーい」
そして、姫屋の晃さんと藍華さん。
「ごきげんよう、藍華さん。レデントーレのことを教えてくださいね」
「OK、任せておいて」
途中合流したのは姫屋の藍華さん。
あと、オレンジ・ぷらねっとのアテナさんとアリスさん。
三人とアリア社長にヒメ社長で屋形船の船着き場に向かうと、アリスさんが待っていた。
――ぶいぶい!!!「まぁぁぁ!!!!」
「ぷいにゅうー!!」
一瞬で、アリア社長のもちもちポンポンにまぁ社長が齧り付いていた。
「祐巳、遅い」
「ごきげんよう……遅いといわれてもさぁ。お昼に聞いたばっかりだから、仕方がないよ」
途中、聞いた話だと既にいつものメンバーには話が通してあるらしい。
屋形船の定員は十人。
いつものメンバー+祐巳で七人。
祐巳は灯里さんたちと屋形船に乗り込みながら、残り三人分の席をどうするか考える。
「グランマ!!」
「グランマ?」
「あぁ、そうだね」
「うん、外せない人だよ。祐巳ちゃん」
祐巳の相談に最初に反応したのはアリスさんで、即座に灯里さんと藍華さんも賛同する。
「あの、グランマさんと言うのは?」
「灯里〜、アンタ説明しておきなさいよ!!」
「あいたた!!」
藍華さんは灯里さんのこめかみをグリグリしてジャレ合っている。何だか藍華さんは由乃さんに似ている。
少し羨ましく、懐かしい。
「え〜と、アリスさん。グランマさんて誰?」
「グランマは……」
「グランマは名前ではないの、グランドマザーと呼ばれる伝説的なウンディーネで、アンタと灯里がお世話に成っているARIAカンパニーの創始者であり。アリシアさんの師匠よ!!」
「……う、うえぇぇ!!」
一呼吸置いて祐巳は叫ぶ、そんな人がいるなんて聞いていない!!
「そんな人がいるんだったら、ぜひ呼ばないといけないじゃないですか!!」
「そう、当然ね……さて、これで八人だけど。あと二人はどうする?」
少し考える。
「そうですね……あ!!アリア社長、ゴロンタ呼べますか?」
「ゴロンタって、灯里たちが言っていたケット・シー?」
「はい、そうです」
猫の王さまであるゴロンタのことは何度か話したが、直接見ていない藍華さんやアリスさんは半信半疑。
「ダメですか、アリア社長?」
祐巳はアリア社長を見るが、アリア社長はまぁ社長に噛まれたお腹を擦っているだけだった。
「アリア社長?」
「ぷいにゅ?」
灯里さんの言葉に首を傾げるアリア社長、どうやらダメなようだ。
少し……いや、かなり残念だ。
……だが、そうなると、あと二人の招待客どうしよう?
祐巳は灯里さんたちと屋形船をARIAカンパニーに漕いでいきながら、いっそのことアイちゃんをマンホームから招待しようかとも考えたりもした。
結局、二人の招待分を残し、祐巳は翌日から招待状の製作や伝統料理にお酒の選定など灯里さんたちに教えてもらいながら進めていく。
料理は材料や何を作るのかを決めておけば当日、灯里さんたちが手伝ってくれるとのこと。
「と、言うことで料理の選定とワインかぁ……あぁ、後二人の招待客も考えないといけないんだけ」
祐巳は灯里さんから渡されたメモを見ながら、リアルト市場を覗いて回る。
リアルト市場では、屋形船に飾る装飾品やワインなどを見て回る。
……で、ちょっと味見。
「ぷいにゅう!!」
アリア社長に怒られながら、他の店もやっぱり覗く。
「あっ、これ……」
それはアリア社長が乗るような小型のゴンドラを模した小さなゴンドラ型の器だった。
「せっかくのレデントーレだから、呼べなくてもお裾分けくらいはしたいよね……」
祐巳はゴンドラの器を見て、アリア社長を見る。
「アリア社長、これにお魚とか乗っけて海に流したらゴロンタに届くでしょうか?」
「……ぷいにゅ」
祐巳の言葉に、アリア社長が頷いてくれた。祐巳は嬉しくなり、早速購入してしまったが、持って帰るのに苦労することになり。
どうしてか、頭の中で祥子さまの怒った声が響いていた。
ゴンドラ型の器は三つ。
盛り付けるのはやっぱり魚介類だろうと、祐巳は大運河=カナル・グランデを通り魚市場に向かう。
ネオ・ヴェネツィアは本当に魚介類が豊富で食べ方も色々、基本的にイタリア料理が主だが寿司に刺身などの生魚を食べる習慣もあり。赤身より白身が好まれているようだ。
祐巳は伝統料理以外の料理として和食を考えていた。
こうして準備しているときに感じるワクワクは楽しく過ぎていく。
飾りつけなども、夜遅く眠いというのに楽しさが先に立ってもう少しと思っているうちに、灯里さんに怒られる時間になっていることもあった。
……。
…………。
「そういえば残り二人の招待状は誰に出したの?」
いよいよ明日がレデントーレと差し迫った日。祐巳はお手伝い兼指導者の藍華さんと準備を進めていた。
「うげぇ!!」
「祐巳ちゃ〜ん、その言い方はないと思うけど」
何だか呆れている藍華さんを見ながら、祐巳は大事なことを思い出した。
「うわぁぁ、忘れてました!!」
「何を?」
「あと二人、誰を招待するのか!!」
「あ〜」
「あ〜って何ですか!!あ〜って!!」
完全に呆れ顔の藍華さんは『ふっ』と笑い。
「祐巳ちゃん、アンタやっぱり灯里の後輩だわ。そういった抜けているところはそっくり」
「……はぁ」
溜め息をつく藍華さんと一緒に祐巳も溜め息をついた。
「まぁ、無理に呼ばなくても良いと思うわよ」
藍華さんの言葉に祐巳は頷いた。
呼びたいと思う人はそれなりにいるが、残り二つを考えるとなかなか難しい。
……やっぱり、ゴロンタ呼びたかったなぁ。
祐巳は、手元に残っていた残り二枚の招待状を見ていた。
「はぁ、ドキドキする」
夕暮れが近づいていた。昼の暑さを涼しい海風が吹き飛ばしていく。
いよいよレデントーレの本番。
屋形船は白を基調とした装飾でまとめ、様々な色の薔薇を少しずつ飾る。あまり多くは飾らず、だからと言って少ないほどではないように気を配った。
灯里さん、藍華さん、アリスさんの三人は一緒に手伝ってくれたので、既に船に乗っている。
そこにアリシアさんが最初にやって来た。
「祐巳ちゃん、期待しているわよ」
「は、はい!!」
祐巳の緊張は此処に来て少しピークに達していた。
少ししてアテナさんと晃さんが二人でやってくる。
「おー、がんばってるようだな」
「はい!!」
晃さんが祐巳を見てニッと笑う。
「……猫は?」
「ゴロンタはダメでした」
アテナさんはゴロンタのことを知っているので聞いてくるが、祐巳の答えを聞いて少し残念そうだ。
アテナさんと晃さんが屋形船に入り、あとはグランマが来られるだけだ。
「どういう人だろう?」
祐巳はドキドキしながら待つ。
そこに一人のおばあさんがやってきた。
「あっ」
「おや」
祐巳は、そのおばあさんを見て驚いていた。そこにいたのは、あの日本村のお稲荷さんに居たおばあさんの一人だったからだ。
……なるほど、この人がグランマならアリア社長とは古い付き合いも分かる。
「ごきげんよう、グランドマザーさま」
「あらあら、グランマでいいわよ。祐巳さん」
「そうですか……それにしても貴女がグランマと知っていればあの時のもう一方も呼んだのですが」
「うふふふ」
祐巳の言葉にグランマは笑った。
「あのね、それが呼んできているのよ。アリシアから席が空いているって聞いていたから、ダメかしら?」
よく見れば、後ろの方であの時あったもう一人のおばあさんがいた。
料理は多めに作ってある。
「えぇ、ぜひ」
祐巳の方からグランマにお願いし、グランマともう一人のおばあさんが屋形船に乗ると船をARIAカンパニーの先の方に出す。
「あ、お婆さん、これを」
「これは?」
「招待状です」
祐巳はグランマのお連れのおばあさんに招待状を渡すと、急いで食前酒を配り準備を進めていく。
そんな祐巳の姿をおばあさんは優しく見つめていた。
「よし!それでは」
祐巳もジュースを持って前に立つ。
「今夜は皆さまようこそお越しくださり感謝しています。特に、灯里さん、藍華さん、アリスさんには最後までお手伝いいただいてありがとうございました。代わりと言っては何ですが、レデントーレの夜をお楽しみください……乾杯!!」
「「「「「「「「かんぱーい!!」」」」」」」」
乾杯を言ってからが祐巳が本当に忙しくなる時間。
ゆっくりと楽しい時間が過ぎていく。
食事。
お喋り。
お酒。
ちょっとした楽しい時間。
その後に来るのは、静かな時間。
食事が終わり。
お喋りが止まり。
お酒も落ち着き。
ただ、皆がいるだけの静寂。
祐巳は、そっとゴンドラの器に招待状を付け運河に流す。
「それは?」
「私の古い友人に」
「そう」
なんでもない会話。
それ以上、聞くのも野暮。
祐巳は暗い闇が流れる運河に静かに消えていく小さなゴンドラを見つめていた。
――ヒュルルルルル……ドーン!!
暗い運河を明るく照らす花火が上がる。
――ヒュルルルルル……ドドーン!!
一時の光を浴びながら、小さなゴンドラは運河を進む。
「うっわー」
真下から見上げる花火は本当に丸く、祐巳は声を上げる。
――ヒュルルルルル……ドーン!!!
小さなゴンドラは、花火の光が届かない小さな水路を進んでいく。
「祐巳ちゃん」
祐巳を呼ぶ声に振り向く。
――ヒュルルルルル……ドドーン!!
ゴンドラは再び花火の光を浴びることの出来る広い廃墟を流れていく。
「今日は、素敵な夜をありがとう」
アリシアさんがワインの入ったグラスを掲げ、灯里さんたち皆もグラスを掲げていた。
――ヒュルルルルル……ドーン!!
小さなゴンドラの前は、コッンと壁に当たり止った。
「にゃー」
そこには猫の王様が座っていた。
小さく指を降って、乗っけられた招待状を受け取る。
祐巳もワインが入ったグラスを掲げ。
全員で『乾杯』と叫んだ。
花火が終わり。
レデントーレを楽しんだ船たちがゆっくりと動いていく。
祐巳も成れない屋形船を漕いでいく。
屋形船の上は、一時のお休み時間。
「ここ、良いかしら?」
「はい」
屋形船を漕ぐ祐巳の横にグランマが座ったので、祐巳も漕ぐのを止めそのまま座る。
屋形船は、波に揺られてユラユラ進んでいく。
「素敵な夜ね」
「そうですね」
空には満開の星空、祐巳はこちらに来て星を見るようになった。
向こうにいる頃は星なんてまともに見た記憶は無い。
彗星の接近とか。
月食などとTVで騒いでいても見ようという気分には成らなかった。
……そういえば七夕も幼稚舎のころ願いは書いても、星を見ようとはしなかったけ。
今、見ようとしてもAQUAから見る星は分からない。
「あの。グランマ」
「何かしら?」
「七夕ってご存知ですか?」
「……七夕、ごめんなさい知らないわ」
「そうですか」
祐巳は残念そうに呟いた。
「七夕って何かしら?」
祐巳は好奇心いっぱいの大先輩を見て小さく笑うと、七夕の御伽噺を語って聞かせる。
「なんだか切ないお話ね、でも、マンホームで一年に一度ならAQUAでは二年に一度なのかしら」
「さぁ、でも、それは些細な事のように思えます」
確かにそうかもしれないが、それは誤魔化しておいた方が素敵に思える。無理にそうだと決めることも無いだろう。
「そうね、でも、願い事を書くのは素敵だと思うわ。祐巳ちゃんは今願い事はあるのかしら?」
「そうですね……一人前のウンディーネに早くなりたいとかですか」
「そうなの?」
「はい」
たぶんグランマはアリシアさんから祐巳の話を聞いていて、事情も知っているはずで、聞きたかった答えはきっと違うことのように思える。
だが、祐巳はその答えを言うことはなかった。
もう、諦めているから……。
「祐巳ちゃん」
「はい?」
「願い事は、何で叶うか知っているかしら?」
そんな質問をいきなりされても答えは出ない。
「さ、さぁ」
「願い事をいつも願っているからよ」
グランマはニッコと笑って祐巳を見る。
「だから、願うのを忘れた願い事は叶わないのよ。別に口に出すことは無いわ……ただ、忘れないこと願っていることそうすれば小さな奇跡くらいは起こるから、例えば彼女のようにね」
グランマはそう言って連れの、おばあさんを指差す。
おばあさんは、グランマの声が聞こえたのか祐巳の方を見てニッコと笑った。
そして、グランマは祐巳の横から船の中に戻っていき、お二人で楽しく笑っていた。
祐巳は立ち上がり、また屋形船を漕ぎ始めた。
海の向こうに船の灯が集まっている。
レデントーレの最後は、リド島に集まって朝日を見ること。
「奇跡かぁ……」
願っていれば、小さな奇跡が起こる。
そう考えれば、あのお稲荷さまでの出来事は化かされたのではなく、小さな奇跡をお稲荷さまが起こしてくれたのかも知れない。
祐巳はもう一度空を見上げる。
まだ、日が昇るのには時間があり。空は星が広がっている。
祐巳は空を見上げ、どれか分からない彦星と織姫に祈りを捧げる。
かつてマリアさまの星と呼んだAQUAの海から。
言い訳。
七夕中にアップしたかったので、チェックが大雑把です。
変なセリフ等がありましたら、ビシバシ言ってください。
それにしても久々すぎてARIAの感じが掴めていない……とほほ。
『クゥ〜』
−Yumi−
カリカリカリカリ・・・と。
ノートにペンを走らせる。
長い時間そうしているように思えて、そうでもないようにも感じる。
別に、宿題が出ているとか、そういうわけではない。
こちらに戻ってきて一ヶ月がすぎ、この時どんな勉強をしていたのか思い出す為の復習。
「それにしても、結構憶えてるなぁ」
そう、教科書を開き、ノートに転写。
その一連の作業をしながら、私の記憶と重ね合わせる。
数学にしても歴史にしても、結構憶えているものだった。
10年以上の時間がたっていても、こういうものは忘れないものなんだろうか?
これならテストもそう悪い点は取らないで済みそうだ。
「ふぅ・・・」
公式を覚え直す為に開いていた数学の教科書を閉じ、ついでノートを眺める。
ノートには1冊まるまる写された、設問が無い以外は教科書と相違無い文字数字の列が並んでいる。
何処を開けても問題にそった公式が頭に浮かんでくることを確認して、満足してそれを閉じる。
色と、音を消して静寂の世界に入って数時間。
どのくらいの時間がたったのかと思っていたら、時刻はまだ9時半をまわった所。
始めたのが7時頃だったから約2時間半といったところか。
思ったより時間はたっていない。
まぁ、この能力使っている時は時間の感覚はかなりあやふやになるのだけど。
ぽふっ、っと。
教科書とノートを投げ出してベッドに倒れこむ。
少し、体が重く感じる。
あの能力は基本的に脳内での処理能力を上げるもの。
だから、基本的に身体能力が上がるわけではない。
それでも普段より速く動けるようになるのは、その遅く感じる体を、せめて速く動かそうと無駄の無い動きを意識するから。
始めは手を動かすにしても歩くにしても物凄く遅く感じたのだ。
今では、訓練の成果か、日常生活レベルの事なら使う前とそう違わない動きが出来るようになった。
走ったりは、まだ遅く感じるんだけど・・・
おかげで勉強なんかはかなり速く進める事ができた。
これで心配していた懸念の一つは解消できた、といえる。
そう、懸念の『一つ』は。
ごそごそと、机の上においてあった財布を拾い上げる。
仰向けに倒れたまま、財布を開き、中に入っている一枚の紙を取り出す。
長方形の紙切れで、右隅に切り取り用の点線が入っている。
私のもう一つの悩み。
紙をひっくり返してみる。
そこには一人の名前。
『紫藤 咲姫』
“前回”では、係わり合いにならなかった人物。
でも、近くにいた人の、大切な人。
もう一度、表を見る。
「・・・はぁ」
ため息が漏れる。
はっきり言って、予想外だった。
会うのはまだ先だと思っていた。
どんな顔して会えばばいいか・・・いや、むこうは私のことなんて知らないんだけど・・・判らない。
それに・・・今あったら私は・・・
「祐巳、風呂入らないのか?」
「え? あぁ、今行く」
祐麒の声で思考の渦から抜け出す。
時間は、もうすぐ10時になろうかという時間だった。
−Sei−
離れる事が怖かった。
「・・・栞」
呟いて見ても、私の近くに彼女は居ない。
私の所為だ。
そうやって、私はずっと、自分に責められる。
やらなくてはいけない事もやらないで、だからこんな事になった、と。
栞がいればいいと思った。
ほかに何もいらない、と。
それでも、二人だけで生きている訳じゃない。
そんな事も失念していた。
馬鹿だ、私は。
私の成績が下がった事で、担任は水を得た魚のように栞を責め始めた。
成績が下がったのが自分の責任と言われたくないのだろう。
今まで見ぬ振りをしてきたにも拘らず、いざなってみればこれ。
呆れて、ムカついて、でも。
一番呆れたのは。
一番ムカついたのは。
そんな事もわからなかった自分。
そんな事になっても何も出来ない自分。
助けて欲しい、とさえ、誰にもいえない自分自身。
・・・誰にもいえないと思っていた。
私自身。
助けてくれる人は。
私を見てくれている人は。
栞だけじゃないのに・・・
栞だけじゃなかったのに。
自分で、何もかも台無しにしていた・・・私自身。
助けてもらうまで、何も出来なかった。
私。
−Siori−
『春の頃から一緒にいた』
『今になって成績が下がってしまったのは、彼女たちどちらの責任でもない』
『山百合会は今一番忙しい時期だから』
『生徒が何をやっているのかも把握できていないのかしら?』
『ご自分の娘さんを、信用してあげる事もできないのですか?』
『先生が言っているような事実は、彼女たちにはありません』
『この学校特有の、スール制は知っておられるでしょう?』
そうやって、突然現れた薔薇様たちは、何も出来なかった、聖を守る事も出来なかった私の前で。
簡単に問題を解決していった。
成績が下がったのは、学園祭の準備があるから、と。
一緒にいるのは、二人とも山百合会の準備をしているから、と。
そもそも、気に入った下級生と一緒にいるのはこの学校では当たり前のことなのだと。
一時期成績が下がったくらいでここまで問題にするのはおかしい、と。
母親を納得させ、担任を言い負かせて、私がここにいる事を了承させた。
「一人でいる訳ではないのよ。
何もかも、一人で背負い込む必要は無いの」
聖を好きなのは、貴女だけじゃないんだから。
最後に、白薔薇様が私に向かって囁いた言葉。
・・・今まで私がしてきた事は間違いだったんだろうか?
でも、今は。
今だけは。
どうしても聖の顔が見たかった。
−Saki−
最悪の事態は、回避できただろう。
おそらく、聖と栞ちゃんだけだとどうにもならなかったと思う。
私だけでも、やっぱり無理だった。
ロサ・キネンシス、ロサ・フェティダ、ロサ・ギガンティア。
そして山百合会。
そのすべての名前、知名度を使っての荒業だったから。
実際には、先生方の言っている事のほうが正しい。
聖は栞ちゃんに対して、そういう感情を持ってるし、栞ちゃんだって・・・
でも、あの二人が傷つくところは見たくなかった。
だから。
「ありがとう。宮子、真雪」
そう、素直に言葉に出来た。
「うわぁ・・・咲姫が素直にお礼言ってる・・・」
「真雪・・・貴女ね」
人が素直にお礼言ってはいけないのか?
「あの捻くれものの咲姫がねぇ・・・」
「その言葉、そっくり貴女に返してあげるわロサ・フェティダ?」
「もう、何してるのよあなたたちは・・・」
真雪がからかって、私が食いついて、宮子が苦笑して。
それだけなのに、なぜか幸せだった。
聖たちのことが上手くいったからかもしれない。
「正直、ね。少しうれしかった」
宮子が少し困ったような笑顔で。
「咲姫は、今回の事で私たちに頼らないような気がしてたから・・・」
「まぁ、黄薔薇、紅薔薇、白薔薇は代々よその家の問題には関わらないようにしてたしね」
真雪が宮子の言葉につなげて、そういう。
そう。
私もその事があったから、始めは自分でどうにかしようと思ったんだ。
「でも、咲姫は私たちの事も忘れてなかったんだなって」
もっと早く相談していれば、ここまで荒れる事もなかったのかな?
そんな思いもよぎる。
でも、いい。
最悪は回避できたんだ。
だから。
「・・・ありがとう」
ここにいないもう一人の恩人にも、同じように呟く。
そして。
「ねぇ、宮子、真雪」
「なに?」
「紹介したい子がいるんだ」
きっと、今私は笑ってる。
名前も覚えてない。
お礼として学園祭のチケットを渡した(これは代々続く伝統)けど、来るとは限らない。
でも、来てほしいと思う。
きっと、来てくれると思う。
だから。
「きっと二人とも気に入ると思うよ」
また、会おうね。
−Yumi−
正直、これでいいのか判らない。
会ってしまえば、どうなるか判らない。
でも、もう逃げたくないから。
私は、ここで生きていくって決めたから。
机の上に置いたチケットを眺める。
『リリアン女学園高等部学園祭』
そう書かれたチケットを財布に戻し、私は布団にもぐった。
会うかも知れない、会わないかもしれない。
懐かしく、知らない人たち。
大切な、知らない人たち。
大丈夫。
私は、私だから。
きっと、大丈夫。
ゆっくりと、夢の中へと沈んでいった。
あとがき
と、言うわけで。
月刊『超能力カウンセラー祐巳』シリーズ最新刊をお届けします。
って、月刊かよ私・・・
と一通り乗り突っ込みした所で。
言い訳はしません(爆
書く(気になる)のが遅いんです(シテルジャナイカ
・・・次は出来るだけ早くお届けしようと思いますorz
それにしてもなんてタイトルだよ・・・orz
いや、まぁいいんですけどね。
「あれ、笹の葉?」
薔薇の館を訪れ、会議室に一歩足を踏み入れた紅薔薇のつぼみ福沢祐巳は、部屋の奥に立てられた七夕用の笹(竹)を見て驚いた。
「ごきげんよう祐巳ちゃん。町内会で余ってた笹を貰ってきたんだ」
「ごきげんよう令さま。じゃぁ、願い事を書いた短冊を吊るすんですね?」
「うん。テーブルの上に短冊があるから、好きに書いていいよ」
「はい」
黄薔薇さまこと支倉令に促され、数枚の短冊を手に取る祐巳。
でも、いざとなると、なかなか願い事なんて思いつかない。
いや、たくさんあるので絞り切れないと言った方が適切か。
「令さまは、どんなことを書くんですか?」
「んー? やっぱり受験のことかなぁ。それと、早く由乃に妹ができるように」
「さすがは令さまですね。ご自分のことだけでなく、由乃さんのことまで」
照れたような表情で令は、高い場所に短冊を括りつけた。
「ごきげんよう!」
「ごきげんよう」
必要以上にハイテンションで姿を現した黄薔薇のつぼみ島津由乃に、いつものように穏やかに微笑む白薔薇さまこと藤堂志摩子。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、由乃さん志摩子さん」
「あれ? 何してるの?」
短冊を前にしながら眉をしかめている祐巳に、問い掛ける由乃。
「ほら、あれに飾るの」
「ああ、今日は七夕だったわね」
合点が行ったように、頷く志摩子。
「良いわね。私も書こうっと」
「そうね、私も……」
笹の枝を整えつつ、そんな二年生トリオを微笑ましく眺める令。
「ごきげんよう」
『ごきげんよう』
そこに現れた、紅薔薇さまこと小笠原祥子と、白薔薇のつぼみ二条乃梨子、そして山百合会の助っ人松平瞳子。
「皆で、何をしているのかしら?」
カバンを置きながら、声をかける祥子。
「今日は七夕だからね、願い事を書いた短冊を飾ろうと思って」
親指で笹を指差しながら、祥子に答える令。
「なるほど。古典的ではありますが、面白そうです」
もちろん乃梨子からすれば、自分以外が書いた願い事が、特に祐巳と瞳子の短冊が面白そうと思っているのである。
志摩子の願い事が一番気になるのは内緒だが。
「そうですわね。私も書きたいです」
乗り気なようで、瞳子も早速短冊を数枚手に取った。
こうして、既に書き終わった令を除いた全員が、短冊を前に悩み始めたのだった。
「それじゃ、短冊は私が括っておくから、みんなは先に帰っていいよ」
「見ないでよね令ちゃん」
「由乃じゃあるまいし、そんなことはしないよ」
苦笑いを浮かべる令。
当然ながら、その辺の信用はピカイチの令なので、由乃も冗談を言っただけで、全員疑うような真似はしなかった。
「それじゃぁお先に。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
祥子を先頭に、皆一斉に立ち去って行った。
「……さて」
嫌な笑みを浮かべた令は、早速一枚目の短冊を手に取った。
「ええと、これは祐巳ちゃんか……。なになに?」
『早く妹ができますように』
「まぁ当然と言えば当然の願いだね。次は……」
ぺらりと次の短冊をめくると。
「志摩子か。えーと」
『銀杏』
またストレートな。
しかも、願い事か?
「まぁいいや。で、次は祥子か」
『男嫌いが治りますように』
やはり祥子も、このままではイカンと自覚はしているようだ。
でも、あまりに普通なので拍子抜けだった。
「で、次は由乃か。なになに?」
『令ちゃんのヘタレが無くなりますように』
大きなお世話だよ、と思ったが、自分のことを心配してくれているので嬉しい反面、由乃に関ること以外ではほとんどヘタレたことはないので、イマイチ納得が行かない令だった。
「はぁ。で、次は乃梨子ちゃん」
『志摩子さんと……ウフ』
「なに? なんなの? すっごい気になる! 志摩子とナニがあるって言うの?」
何故かクネクネと身悶えする令だが、彼女も多感なお年頃、変に興奮するのも仕方が無いだろう。
「ふぅ。気を取り直して、次は」
『祐……、いえ、やっぱり女優になりたい』
変なところで、意地っ張りな瞳子の願い事が書かれた短冊。
わざわざ残しているところが、瞳子らしいと言うべきか。
「ちゃんと消せばいいのに。まぁ気持ちは分からないでもないけどね……って、あれ?」
何故か一枚多い。
別に一人で何枚書いても構わないとは思うが、この短冊に書かれた字には、まったく見覚えがない。
「誰だろう? と言うより、いつの間にこんなものが?」
しかし、事実まで否定はできないので、とりえあえず願い事を読んでみれば、
『もっと出番を』
その短冊には、『桂』という名前が書かれていた。
「……誰?」
その呟きに答えられる者は、リリアンにはいなかった。
『仮面のアクトレス』ネタバレ有り。
「…由乃さんの、そういうところ好き」
志摩子さんは、あの時にそんな事をいったような気がした。
いや、しっかり覚えているし、ちゃんと私も反応していたから忘れてるわけじゃないのだけど。
その言葉は私の中で不思議な感情として処理されている。
なんというか、多分令ちゃんに言われても「ふーん」くらいにしか思わないだろう――それでも、
一応嬉しいことには変わりない――言葉を聞いてしまって、私は困惑しているんだと思う。
あ、祐巳さんに言われても破壊力高いよな〜…志摩子さんとドッコイドッコイって所かな。
「由乃さま、ニタニタと笑ってどうしたんですか?」
「え?あ、ごめん。なんでもない。アハハ…」
私はちょっと桃色のかかった思考を、菜々の言葉で一旦封印することに成功した。
ナイスアシスト、菜々。
さて。なぜ今菜々と喫茶店の中で向かい合って座っているのかというと、菜々が「以前のお礼をさせてほしい」
と言って来たことから始まる。
ここで言う「以前」というのは、令ちゃんとの試合の件だろう。私は別にいいと思ったんだけど、まぁこういうチャンスも
いかしていったほうがいいかな。って事で、二つ返事でOKした。
まぁ、そのお礼というのが喫茶店でおごり。というのがいかにも中等部らしくて可愛らしかったのだけど。
一応、「ケーキバイキング週間」とかいう事だから菜々もなかなか抜け目が無い。
私は数週間前に聞いた親友からのプチ告白は一旦置いておいて、今は菜々との会話に集中することにした。
ま、会話っていっても特になにもない、普通なものなわけで。あとは黙々とケーキを食べているだけだったりする。
菜々と会っている間はこんな感じなんだ。と学習した私としては、別に嫌ではないけれど。
果たしてこれで菜々は楽しいのか。変な義務感から誘ってコレでは、あまりにも菜々が可哀想だ。なにか糸口を…
なんて思ってしまった私を見越してか、菜々はすました顔で言った。
「これは、私がしたくてしている事ですから。由乃さまが変に考え込む必要はありませんよ」
「…どういう意味?」
その言い方が癇に障ったのか、私はちょっと棘のある言い方をしてしまった。
「……いつも通りの由乃さまでいれば、それでいいんです」
……ふむ、なるほど。僅かに。ほんの僅かにだけど、菜々の顔に恥じらいの色がみえた。
この感情の変化に気付けるのは私だけだ!なんて、今からお姉さま風を心の中でふかせながらも、案外違ってはいない気がした。
そして、私は思わずポロッと。こう漏らしていた。
「……菜々のそういうところ、私好きよ」
自分でも驚くくらいのいい笑みで(多分)そう言ってしまった。菜々の反応はというと……。
「ゴホッ!な、よ、由乃さま。いったい、何を…ッ!」
完全に不意打ちだったのか、菜々は真っ赤――とはいかなくても、ほんのりと頬を赤らめながらむせてしまった。
…その、まるで私自身がしたような反応を見たとき。なるほど、これは、ヤバいな。と思った。
今すぐにでもロザリオを渡したい衝動を、「姉(候補)としての威厳」をみせるため、あえて押さえつける。
・ ・ ・ ・ ・
「これからも、仲良くしましょうね、菜々?」
私は、なんとなくなるべく志摩子さんがそうしたように、菜々の手を取った。
「え、ああ、はい」
菜々は、まるで見てきたかのように私と同じ反応を見せてくれた。
つまりは、これが黄薔薇姉妹としての繋がりなわけだ。なんて、よく分からない事を考えながら。
私は未来の妹になるであろう、この子の顔をジッと見つめてみた。
菜々は、どこか嫌なところを見られた。みたいに恥ずかしそうな顔をしながら、私を見返してきた。
そこで、このポケットに入ったロザリオの重みがいくらか増えたのを感じながら、これをいつ渡すのか、どう渡すのか、
何を言うのか、菜々の反応はどんなものだろうか。
なんて事を考えてしまい、いやいやまったく。今の祐巳さんには悪いけど、早く3年生になりたいものだ。なんて思ってしまった。
さて、とりあえず。
明日になったらなかなかいいアプローチ方法を伝授してくれた親友に感謝の言葉を述べるとするか。
※この記事は削除されました。
その日の薔薇の館では、いとも簡潔かつ力強い言葉のやりとりが繰り広げられていた。
「…やるんですね、ちあきさま」
問いを発した少女の、赤みを帯びた濃い茶色の髪が、風にふわりと揺れている。
「…ええ」
ちあきさま、と呼ばれた少女が、身長174cmの位置にある唇で一言を紡ぐ。
手には紅薔薇秘伝の7つ道具。
機能性とデザイン性を兼ね備えた特注のユニフォームは、このミッションのために誂えられたもの。
その上に、まるで鎧のように赤いエプロンを身にまとい。
「どこへなりともお連れください!この大願寺美咲、どこまでもお供いたします!」
ふいに別のところから聞こえる声。
「あんたらだけで盛り上がんなよ。白薔薇代表小野寺涼子、使い勝手はいいはずだぜ」
不敵な笑顔で涼子がちあきを見つめれば。
「ミッション後のお茶菓子なら、私にお任せくださいな」
白きパティシエ、野上純子が自信たっぷり。
「後方支援は私たちの役目、ですわね。黄薔薇さま」
「ええ。さしあたっては智子を呼び戻すのが、私たちの最初のミッションかしら」
「そのようですわね、お姉さま」
さっそく携帯を取り出し、このミッションを完遂するのに必要な、もうひとりのメンバーを呼び出す菜々。
「智子、今どこにいるのかしら?1分以内に戻ってきなさい」
それからきっかり1分後に。
「セレブのことは、セレブに聞いてくださいな」
いと優雅に笑った智子。
ちあきは全員の顔をひととおり見渡すと、ミッションの内容を告げた。
『本日の我々のミッションは…秘境と化した我らが白薔薇、岡本真里菜の部屋の大掃除!全員個々の役割を完璧に果たせ!』
『ラジャー!』
ただ仲間の部屋を掃除しに行くだけなのに、なぜこんなに大仰な話になっているのか。
それは先週の日曜日のことだった。
ちあきの家に、ある1本の電話。
「美咲ちゃん、いったいどうしたのよ。泣きながら電話なんかしてきて」
「…だ…って…真里菜さまったら…」
美咲の話を聞いたとき、ちあきの中にいつにない激しい怒りが生まれた。
それによると、真里菜の部屋担当のメイドが、田舎の母親が病気とかで突然帰ってしまい、ここ1週間出てきていないのだという。
真里菜はそれにも動揺せず、
「だったら美咲ちゃんに掃除してもらえばいいやvv」
わざと散らかしまくった。
当然美咲は怒り狂うのだが、まったく動じる気配のない真里菜。
「私はよくても…ちあきさまはどうお思いになるか…」
「お願い美咲ちゃん、ちあきは勘弁して!」
ちあきに頭の上がらない真里菜は美咲にすがりついて懇願するが、後の祭り。
「もしもし、ちあきさま…!」
携帯で電話しているうち、こらえきれなくなって泣き出したというのが真相である。
「…美咲ちゃん、安心しなさい。私たちも協力するから」
ちあきの瞳には、この世のものとは思えない光が宿っていたという。
玄関までの長いアプローチを通り抜けて、いかめしい茶色のドアに吊り下げられた呼び鈴を鳴らす。
ややあって出てきたメイドは、疲れの見える表情でにわかメイド軍団を迎えた。
「お嬢様のお部屋のお掃除に来られた方ですね?こちらへどうぞ」
先導する彼女が、今にも倒れそうなのを見て、ちあきは心配になってしまった。
「あの…大丈夫ですか?」
「大丈夫です…少し疲れているだけですから」
メイドの様子を見ていた涼子が、ある推理をした。
「たぶんだけど…真里菜さまの部屋、Gが大発生してないか?
あの人がふらついてるのは、きっと殺虫剤で中毒起こしてるからなんだよ。
相当な量のバルサン使ってるな…真里菜さま、倒れてなきゃいいけど…」
そしてたどりついた真里菜の部屋は、涼子の推理どおりであった。
「ごきげんよう、皆様方」
真里菜がひきつった笑顔であいさつしてきたことを除けば。
「「「「「「「「………」」」」」」」」
そこに充満する、なんとも形容しがたい悪臭。
歩くという行為さえも拒絶する、モノの砂漠。
そこかしこを歩きまわり、また飛び回る黒いヤツら。
悲鳴を上げかけた理沙の口を、さゆみがあわててふさいだ。
「ここで悲鳴を上げたらおしまいよ」
ちあきは凄絶な笑みを顔に貼り付けて、真里菜にゆっくりと歩み寄った。
あまりの迫力に、真里菜はひたすらあとずさりするしかない。
「あ…あの…ちあき…」
「言い訳なんてしないほうが身のためよ?この部屋ごと爆破されたくなければ…ね」
「真里菜さま…そこまで私を怒らせたいんですか?」
「美咲やお姉さまがここまで怒るのって、よっぽどのことですよ?真里菜さま」
迫る紅薔薇、押される白薔薇。
「菜々!こいつを縛ってどっか放りこんどいて!さゆみと理沙はメイドさんを見てあげて!」
「「「了解!!!」」」
鉄の結束を誇る黄薔薇ファミリーは、あっという間に真里菜を縛り上げ、メイドさんを安全な場所に移し終えた。
ちあきの高らかな宣言が、岡本家に響き渡った。
「ミッション、開始!」
まずはこのおびただしいモノたちを処分して、動ける場所を作らなければならない。
途中で発見されたGは速やかに抹殺。
それは気の遠くなるような作業ではあったが、この作業を終えない限り、次の段階には進めない。
やがて本来の床が現れたとき、期せずして歓声が沸きあがった。
ちあきはそれを制して言う。
「まだ家具の裏が残っているわ…」
見るからに高そうな家具の裏に待ち受ける何かを想像して、メイド軍団は身震いした。
「こんなこともあろうかと、助っ人を用意してきたわ。
ごきげんよう皆様方、お入りになって」
ちあきがパチンと指を鳴らすと。
「久しぶりだね〜ちあきちゃん。ゴスペルガールズ選手権以来だね」
なんとそこにいたのは、聖を初めとする旧山百合会。
「ごめんなさいね、私の孫がとんでもないことをしでかしてしまって…」
「志摩子さんは悪くないよ!私のしつけがなってなかったんだから!」
相変わらずラブラブな志摩乃梨に。
「で、ちあきちゃん。私たちは何をすればいいの?」
ここに呼び出された理由が今ひとつ分かっていない祐巳。
「皆様方をお呼びしたのは他でもありません。この部屋にある重そうな家具…これらを
すべて移動させ、その上で掃除をお手伝いいただきたいんです」
「なるほど、季節はずれの大掃除ってわけね…」
「理解が早くて助かります、江利子さま」
さっそく家具の大移動が始まった。
「れ…令ちゃん、これ重い…」
「がんばれ由乃、もう少しだ」
東に天蓋付ダブルベッドを必死に移動させる令由あれば。
「瞳子、このあずきみたいなの何?」
「お姉さま、それを食べてはいけません〜!」
西にあずきの正体を知らない祐巳と、知ってる瞳子あり。
「この絵、鑑定団に出したいよね〜」
「素敵な聖母子像だわ」
南に仕事そっちのけで絵に見とれる白薔薇姉妹あれば。
北にひたすら掃除と防虫処理に熱中する蓉子と江利子あり。
そして再び家具が戻されたとき、聖とちあきは高らかに宣言した。
「皆さん、お疲れ様でした!ミッション・インポッシブル、完遂いたしました!」
「ちあきさま、真里菜さまをお連れしました」
さゆみに連行されてきた真里菜は、なぜか涙を流している。
そんな真里菜の前に、智子が真剣な表情で立ちはだかった。
今回の事件の顛末には、智子も怒りを禁じ得なかったのである。
「真里菜さま…これ以上、私の妹と姉に苦労をかけるのなら、どうなるか…お分かりですよね?」
「……分かってるわよ」
「じゃあ、皆さんの前で謝罪してください」
真里菜はため息をついた。
「言われなくても最初からそのつもりよ…皆さん、本日はお忙しい中、私の部屋の大掃除に来てくださり、まことにありがとうございました!
私の生活が至らないために、皆さんのお手をわずらわせるはめになったことは、本当に申し訳なく思っております。
美咲…こんな私だけど…これからも私の彼女でいてくれる?」
「はい…」
恋人たちがぴったり抱き合ったところで。
「すいませ〜ん、ここ開けてくださ〜い」
やや力のない純子の声。
台車に載せて運ばれてきたそれを目にした新旧メイド軍団は凍りついた。
「お茶会用にスコーン作ってきたんですけど…」
「もしかして、あなた、また…?」
ちあきの問いに、純子は観念したようにうなずいた。
「はい…これ、たぶん1年分あるかと思います」
「んなアホな〜!」
もうすぐ、選挙の結果が掲示板の前に張り出される。
今か今かと待ちわびる生徒達の中に特徴的な髪型の少女を見つけた。
その少女は掲示板を見るとあからさまにあわてた仕草を取り、その場から逃げ出そうとした。
「こぉら、またんかい! 瞳子」
「ぐぇっ……」
瞳子の首根っこをとっつかまえて逃げられなくする。
「乃梨子さん、離してください…瞳子はこんなつもりで……」
「おめでとう……瞳子。 あんたがどんなつもりで立候補したのかわからないけど」
そう、祐巳さま・志摩子さん・そしてもう一人の当選者は瞳子だった。
「ち、違うんです。 瞳子は瞳子はこんなつもりで立候補したんじゃないんです」
私に首根っこ掴まれてもなお瞳子は逃げだそうとしている。
はぁ? こんなつもりじゃなければどんなつもりだ。
瞳子が立候補して、瞳子が当選したのならこの結果は当然と言える。
私の志摩子さんが落選するわけもなく、一年生、二年生共に人気のある祐巳さまが落ちるはずもない……主人公だし。
そうなれば、気の毒だが落選するのは由乃さましか考えられない。
「だ、だから瞳子は初めから落選するつもりで……」
「ストップ、瞳子それ以上は言っては駄目。 瞳子に入れてくれた人に失礼だ」
「でも、………あ、由乃さま」
少し俯き加減の由乃さまは背中に炎を背負ってゴーっと激しく回りの大地を揺らす程怒りに燃えているかのように見えた。
よし、瞳子離してやる。
私まで殺されるわけにはいかない。
私はまだ後一年志摩子さんとラブラブで幸せな学園生活を送らなければならないのだ。
瞳子が逃亡できないよう、由乃さまの方に突き出す形で友達の最後を見送った。
「ゆ、由乃さま……あ、ああ……あの……その」
あの瞳子が信じられないくらい動揺している。
瞳子、ちゃんと墓参りぐらい行ってやるからな。
しかし、由乃さまは静かに顔を上げるとにっこり微笑んで……。
「黄薔薇はあなたに任せたわ」
そう言って、瞳子の肩をポンッと叩き笑顔を崩さずに去っていった。
でも、私は確かに見た。
由乃さまの目に輝いていた涙を。
☆
選挙の結果は、惨敗だった。
祐巳さん、志摩子さんと一緒に薔薇様になる夢は見事にうち砕かれてしまった。
瞳子ちゃんを恨むつもりはない。
しかし、ずっと続いてきた黄薔薇の系譜を私の代で途切れさせてしまったのは正直しんどい。
「おかえり、由乃」
「令ちゃん……私……私………」
結果を見てから必死に堪えた涙のリミッターを解除する。
令ちゃんの体にしがみついて私は子供のように泣きじゃくった。
負けたことが、選挙に負けたことがくやしくてつらくて悲しくてもう止まらなかった。
「落ち着いた?」
「うん」
令ちゃんが用意してくれた紅茶とクッキー。
今はあまり食べる気がしないはずなのに、おいしそうなにおいは私の手を無意識に動かしていた。
令ちゃんの入れてくれた紅茶は私の心を温めてくれたし、クッキーは傷ついた心を癒してくれた。
ううん、令ちゃんの存在自体が壊れそうな私を救ってくれている。
……でも、来年は。
薔薇様になれなかった私は、きっと菜々を妹にすることなんて出来ないだろうな。
令ちゃんの卒業したリリアンで私はひとりぼっちに戻るんだ。
考えてみたら、薔薇の館の関係者の他には私には友達も居ない。
そう考えれば、私が選挙に落選したのも当然の結果なのかもしれない。
「由乃……元気出して。 由乃は一人じゃない」
令ちゃんには私の考えていたことなんてお見通しなのかな。
「黄薔薇様なりたかったな……」
祐巳さんと志摩子さんと私が三人揃って薔薇様になった姿を思い浮かべる。
それは、今はもうただの夢でしかなくて……それでも諦めきれない私の願い。
「江利子さま……笑うだろうな」
「由乃……」
「これから……どうしようかな」
全てを失った、何もない私はこれからどうすればいいんだろう。
「由乃には私が居る」
「でも、令ちゃんは卒業しちゃうじゃない」
「祐巳ちゃんだって、志摩子だって、由乃が落選したってずっと友達で居てくれる…それに、菜々だって」
最後の所が少し、小声になる。
そう、令ちゃんだって菜々の気持ちを確かめた訳じゃない。
薔薇様になれなかった私のロザリオなんてきっと欲しくないはず。
「……マリア様の前で待ってるってさ」
私から、目線をそらしてぼそぼそと令ちゃんが言った。
え? 今、なんて言ったの?
「……だから、菜々がマリア様の前で由乃を待ってるって」
少し、拗ねたような顔をして令ちゃんが言った。
「え?」
「確かに伝えたからね」
そう言って、令ちゃんは私の部屋を出ていった。
☆
「来てくださったんですね」
「……うん」
もう、選挙の発表からずいぶん経っている。
日も落ちてこんなにも寒い中、菜々はずっと待っていてくれたのだろうか。
「……選挙、残念だったですね」
菜々はそう言って、選挙の結果が張り出されていた掲示板の方を見つめた。
「かっこわるいよね。 幻滅したでしょ?」
菜々が何を言いたいのかが私にはまだわからない。
「ほんの数票差だったって聞きました。 友人から」
薔薇様達が大好きで憧れている友人が居て、彼女がしつこく言ってきたと菜々は苦笑しながら言った。
その子は、由乃が落選したことを残念がってくれたという。
「……負けは負けよ。 現役の薔薇様の妹でならなおさら」
そう、票を持って行かれるだけでも十分なのに、負けたんだから。
菜々はきっと、こんな私の妹にはなりたくないよね。
「でも、私…嬉しいんです。」
「えっ!?」
突然、私は耳を疑った。
嬉しい? 私が選挙で負けたのが?
「か、勘違いしないでください。
確かに落選は残念ですけど、由乃さまが薔薇様にならなくてちょっとだけ私は嬉しいんです。
だって、薔薇様になったらみんなのお姉さまになっちゃうじゃないですか」
そんなかわいいことを言ってくれる菜々は、ちょっと照れたように私から視線を逸らして。
「由乃さま……私が高等部に進学したら妹にしてくださいますか?」
そんなことを言ってくれる菜々が愛おしくて。
「うん……私みたいなのでいいなら妹になって」
抱きしめた菜々の体はすごく冷たくて。
私のことをずっと待っていてくれた……私のかわいい未来の……ううん、それまでなんて待っていられない。
「ロザリオいまかけてもいい?」
私の腕の中で菜々は静かに頷いた。
「フライングは反則ですけど、今はマリア様しか見てないですからね」
「審判がマリア様じゃ、ちょっと恐いけど」
そういって二人で笑う。
「本当に、いいのね」
「赤信号、二人で渡れば恐くありません」
そうだ、私はいつもイケイケ青信号。
だから、もう迷ったりしない。
令ちゃんからもらった私の大切なロザリオ。
それを、首から外して目を閉じて待っている菜々の首にかける。
薔薇様には結局なれなかったけど、私は薔薇様になるよりも素敵な姉妹になる。
この菜々と二人で。
そんなちょっとフライング気味な姉妹の契りを月とマリア様が優しげに見守っていた。
☆
新学期になり、私こと松平瞳子は2年生にして黄薔薇様になってしまった。
今は、山積みにされた書類と格闘中。
何代も前の薔薇様である風さまが、
『書類みたいな事務作業は薔薇の色ごとに3等分』という余計なルールを作ってくれたおかげで、
たった一人で3分の1の書類を引き受ける事に……。
「というわけで、瞳子。 あんた薔薇様なんだから祐巳さまと志摩子さんとちゃんと仕事3分の1ずつだかんね」
「乃梨子さん……手伝ってくれないんですか!」
「そうね、手伝いが欲しかったら妹でも見つけたら? 私は白薔薇の「蕾」だから志摩子さんの手伝いしかしないよーだ」
「まだ、マリア祭前だってのに妹なんて出来るはず無いじゃないですか!」
「令さまは入学式当日に由乃さまを妹にしたんだってよ? 同じ黄薔薇になったんだから頑張れ」
こんなはずじゃなかったのに。
「乃梨子さん……。 ……って祐巳さまは何してるんですか!」
「え? 紅茶のおかわり」
祐巳さまは、あの後すぐに菊組の清水良さんを妹に迎えた。
笙子さんが祐巳さまのファンだった良さんを引き合わせたんだそうだ。
「瞳子さんも紅茶いかが?」
「い・り・ま・せ・ん!」
そんなに仲良さそうに寄り添って、祐巳さまもそんなにベタベタしない!
「でも、仕事終わってないの……瞳子ちゃんだけだし」
「そうね、私も乃梨子の分をチェックしたら終わりだから」
その時、扉が開いた。
「あら、また瞳子ちゃんのヒステリー?」
「あ、由乃さんごきげんよう」
「いらっしゃい、由乃さん」
由乃さまが妹の菜々ちゃんを連れ、薔薇の館にやってきた。
もう、剣道部の練習が終わる時間なんだ……。
「あ、由乃さま。紅茶いかがですか」
「あ、サンキュー。 いつも働き者だね、良ちゃんは」
由乃さんはこうして毎日のように、妹の菜々ちゃんを連れて薔薇の館にやってくる。
祐巳さまが掲げた公約を現実に近づけるため、一般生徒代表で薔薇の館に遊びに来てるそうだ。
本人に言わせると、さくらだとか。
でも、去年まで蕾だった人がその役をかってでてもあまり役には立たないような。
「いつもすみません」
しいて言えば、この菜々ちゃんのおかげで何人かの新入生が見学に来たことがあったぐらい。
結局は、祐巳さまと志摩子さまの二人と紅茶を飲んでお喋りをしに来てるだけ。
しかも、仕事はやらなくていいし、もしかして一番おいしい状態なのかもしれない。
「しかし、すごい仕事の量だね」
由乃さまは私の前に積まれている書類の束を手に取っていった。
「……私、計算とか書類仕事苦手なんですよね。 体動かす方が好きなんで……お姉さまが落選してくれて本当によかったです」
「ははは、そうだね。 考えてみれば薔薇様になってたら夏休みも半分無しだったしね。 今年の夏休みは二人でどっかに行こうか」
「うれしいです」
……はいはい、目の前でイチャイチャしないで下さい。 暑苦しい。
「うーん、そう考えると当選したのって不幸? まいっか、良。私達もどっか行こうね」
「はい、お姉さま〜」
「あ、そこ漢字間違ってる」
「あ゛っ」
「良は働き者だけど、もうちょっと慎重に作業しないと駄目だよ」
「祐巳さんもね。 まあ、祐巳さんがそう言うことを言うようになるなんてね」
「志摩子さん……もう」
そういって、笑いあう中ぽつんと作業をする私。
こんなはずじゃなかったのに……。
だいたい、祐巳さまの妹には私がなるはずだったのに。
……断ったのは自分だった_| ̄|○
……しかも、選挙に出たのも_| ̄|○×2
こんなはずじゃなかったのに……。
瞳子を嫌っていた一年生はみんな祐巳さまに投票して、
元々票の少なかった由乃さまは瞳子と接戦。
黄薔薇革命でお姉さまと破局し、復縁できなかった人達とその友人達が由乃さまを落選させるために瞳子に入れたなんて……。
そんなこと、ちっとも考えてなかったんです。
これって、BADエンドですよね?
くま一号さん助けてくださぁい(泣)
とりあえず、おわっとけ(w
※この記事は削除されました。
わ、出た。うそ。
ひとみ、言葉に気をつけなさい。
ちがうわよ、さとみ、別に登録キーワードが嘘だって言っているのではなくて、信じられないキモチが思わずウソ、と。
ごちゃごちゃ言わないの! 登録キーワードがあるってことは誰かが期待してるのよ。
そうかなあ。
そうなの! そういうわけで【No:1676】の続きにご指名にあずかりましたくま一号の瞳子ちゃんいじり変じて、キーワードが出ちゃったのでだれかさんいぢり。該当者はないんだけど該当者の苦情があったらさくっと削除いたしますわ。
・・・・・・・・・というくらい、悪乃梨してるのね。
・・・・・・・・・そうとも言う。
【もちろん】実在人物とは姓名筆名住所実年齢自称年齢見かけの年齢血液型髪型に至るまで一切関係ありません。客先で日付変更線を越えて宿にたどり着いた午前2時という状況が書かせた莫迦物と思って軽くスルーしてください。ただしアルコールは入ってないことを宣言します。
一部、一部の人にしかわからないネタと一部の人にしかわからないオリキャラがでてますが、ストーリーと関係ないのでさくっとスルーしてください。
† † †
3月。もうすぐ卒業式を迎える薔薇の館では、いつものようにまったりと紅薔薇祐巳さま、白薔薇志摩子さま、黄薔薇瞳子がお茶を飲む光景があった。紅薔薇のつぼみ良さんはまだ教室の掃除が終わっていないのか、来ていない。「一般人」由乃さまと「中等部」菜々ちゃんは部活だろう。なんだか、高等部中等部交流、とかいうイベントのあと、菜々ちゃんは高等部の剣道部に居座ってしまったらしい。
って乃梨子、あんたも完全にこの二人を人数に入れてるし、しかもティーカップあっためてあるし。うん、今日もセルフツッコミで実は他人につっこむテクニックのレッスン終わり。
ふぅ。それにしても瞳子、いいかげんあきらめなって。そうやってちらちら祐巳さまのほうを見たって祐巳さまには良さんって妹が、妹が……あのね。なにしてるんですか、祐巳さま。
祐巳さまが、積み上がった書類を必死で減らそうとしている瞳子の後ろにそ〜〜〜っと近づいて、いきなり……
「ぎゃあうぅ!」
「お、今日はA#。発声を鍛えてる瞳子ちゃんの怪獣の声はひと味ちがうねえ」
「いいいえ、今のはCです。祐巳さまに音感なんてないでしょう? 瞳子はバイオリンで鍛えてますから。 っっっって、問題はそこじゃなくてーーーーー。」
「そこじゃなくてどこなの?」
「ですから、瞳子は祐巳さまと同じ薔薇さまになるんですよ。薔薇さま同士で前みたいにあーしたりこーしたりまあこんなことまでされては困ります」
「どうして瞳子ちゃんがこまるのかなー?」
「ですから、薔薇さま同士なんですから、薔薇さまらしくもうちょっとですね」
薔薇さまらしくないのは、瞳子だって。
「じゃあ、瞳子ちゃんもわたしや志摩子さんに抱きついちゃえばいいのよ。ね、志摩子さん」
「そうねえ、乃梨子がかまわなければ、私は妹が二人いてもかまわないわよ。乃梨子も瞳子ちゃんの座布団にハアハアしてたそうだし」
「志摩子さん、それじゃ複数姉妹制、ってシリーズがちがーーう。だいたい、ハアハアってそういう単語をどこで覚えるんですか、お姉さま?」
「良ちゃんが教えてくれたわ」
「あーのー良〜〜〜〜」
「乃梨子さん?」
「なによ、瞳子」
「つっこむのはそこですか?」
・・・・・・・やるじゃないか、瞳子。
「ごまかさないでください」
・・・・・・・地の文に答えないでください。
良さんって妹を迎えて、瞳子が次期黄薔薇さまになった今、もはや祐巳さまに怖い物はないらしい。噂に聞く私のおばあちゃん、聖さまから受け継いだというセクハラ遺伝子を存分に発揮して、瞳子をいじるいじる。
そのうえに、良さん。
ときどき、なにか小説のような物を書いている、らしい、のだけれど……。SSって何?
まさかナチじゃないよなあ。
「とぼけても無駄ですわよ、乃梨子さん」
・・・・・だから地の文につっこむなって瞳子。
ちらっとのぞいて見たら、どうも、三奈子さまとは別の意味で、アブナイ。萌え? うーむ。あまり人前で語りたくない話題だなあ。しかも、瞳子が体育倉庫に連れ込まれてるし。
黄薔薇の押さえがなくなってしまった紅薔薇シスターズに勝てるのは、もはや志摩子さんしかいないんだけど、その志摩子さんがハアハアなどと言い出すようでは、来年度は最強の紅薔薇一人勝ちになってしまうじゃないか。
「瞳子ちゃん、私に抱きつかれるのがそんなにいや?」
「いえ、あの、ですから紅薔薇さまと黄薔薇さまが抱き合っている図というのは人には見せられませんと申し上げているんです」
「志摩子さんと乃梨子ちゃんがみてるだけだよ」
「でーすーかーらー」
「瞳子、顔ほんのり赤くして、演技なしのうるうる目で言っても説得力ない」
「乃梨子さん!」
志摩子さんと祐巳さまと由乃さま。トリオ三人の一角が欠けたらこうなるのは当たり前。山百合会のおもちゃとなって、祐巳さまの薔薇の館開放の野望に一役買う運命なのよ。
これが因果応報って言うのよ、瞳子。
と、思ったところへ。だんだんだんだんっ、と階段を駆け上がる音。
ばんっ、とビスケット扉が開いて、あらわれたのは、菜々ちゃん。
「見つけてしまいました!! あの、良さまが!」
「良がどうかしたの?」
のんびりたずねる祐巳さま。
「あの」
話そうとして、ふと、ビスケット扉の外をのぞく菜々ちゃん。
どうやら、メガネとか七三とかふわふわとかルーキーとかGとかKとか、そういうものをチェックしたらしい。そんなに重大な話なんだろうか。
ビスケット扉をきっちり閉めて、テーブルに乗りだしてひそひそと話し出す。聞き入る一同。
「えーーーーーー! 良ちゃんが年齢詐称ーーーーーー!」
「これ、見てください。私が中等部に入学したときの校内誌なんですけど」
菜々ちゃんが差し出したのは、中等部入学の時の、新入生各クラスの記念写真が載った冊子らしい。菜々ちゃんが指さしたところには。
「良……だねえ」
「良ちゃんにみえるわ」
「あ、名前もちゃんと清水良になってます」
「こっちのクラスに菜々ちゃんが写ってる。間違いなく、菜々ちゃんと同学年だわ」
「これはどういうことなのですか? 交通事故で意識不明になって、いきなり金髪になって留年した、なんていうのと違って、逆なのですわ、逆。リリアンに飛び級なんてありませんわよ」
「わからないです。両親も、戸籍や住民票もごまかさなければ、そんなことがあるはずがないのですが」
「ところが、あるのよ、皆の衆」
「由乃さん!」
「お姉さま、突き止めたのですか?」
「うん、たぶんね。ちょっと見てちょうだい」
で、また扉の外のメガネとか七三とかとかとかを確かめて、小声で話す由乃さま。
「あのね、良ちゃんって、一年カナダに留学してるの。お父さんのお仕事の都合でね」
「由乃さま、それもシリーズ違う。それで4月と9月の入学時期の違いで、行きと帰りで半年ずつずれて一年上の学年になっちゃった、なんて言ったら、ぐーでなぐりますよ」
「菜々、ちょっと竹刀持って、ここへ来てくれる? そうそう、乃梨子ちゃんの正面に」「はい、由乃さま」
「実はそうなの」
「ぐおおおぉぉ」
「どぉーーー」
「胴あり! 菜々!」
「いったーーい」
「乃梨子さま、峰打ちです。安心してください」
「竹刀に峰打ちがあるかああぁ」
「ありますよ。こっち側が斬る側でこっちが」
「痛さは同じだって言っとろおがぁ」
「良が……ほんとは中等部……」
「祐巳さん、そこで魂ぬけちゃだめよ。小公女も選挙の対抗馬も振り捨ててやっとつかんだ妹だもの、離しちゃだめ」
「なんか、とっても言葉に険があるような気がしますわ、由乃さま」
「あら、気のせいよ、黄薔薇さま」
「祐巳さん、祐巳さん、きっと深い事情があったのよ。実はお寺の娘だったとか」
「瞳子、ないと思いますわよ」
「うん、なんかしょーもない理由だと思うわ」
「その通り、しょーもない理由です」
「あ、出た、蔦子さん真美さん」
「うーん、油断も隙もないわね」
「私たちが出なきゃ、おわんないでしょ」
「ほら、証拠写真」
「良が、良が、マリア様の前でロザリオ受けてる!!」
「良ちゃんに、お姉さまが、いたーーーーーーー!!」
「ぐあふぅ」
「ちょっと、祐巳さま、呆けるのはちょっと待ってください。変です。中等部の制服ですよ、二人とも」
「フライングかなあ。でも、このお姉さまの方、どこかで見たような気がするんだけど」
「蕗夢さまとか芽衣さまとか、うわさはあったけど、なんだかロザリオ池の中に棄てられた上にネタにされて、良さんがキレて二人とも池に突き落としたとか、なんかで妹にはなってないはずだし、写真はちがいますね」
「志摩子さん、わかる?」
「ええ。和服、着せてみて想像してごらんなさいな」
「あ、茶道部の」
「どことかの家元を継ぐとか継がないとか」
「そうそう、図書委員で一年生の」
「手塚亜美衣さん!」
「そうよ」
「でもどうして? 同学年でしょ?」
「ちがうわ祐巳さん。さっきの菜々ちゃんの持ってきた写真が本物なら、良ちゃんの方が一つ下よ」
「……そう……そうなの……お姉さまもいたのね……ふふふふふふふふ……」
「祐巳さま、お気をたしかに」
「そうよ。なんだかんだ言っても小公女……」
「だああああ。小公女も山百合会に新風も関係ありませんっ! もし、もし良さんが中等部三年なら、祐巳さまのロザリオは受けられませんよね、ね、ね、ね」
「なに喜んでるのよ、瞳子」
「瞳子は、正論を述べているだけで、別に喜んでなんかいませんわ」
「露骨に喜んでるけど?」
「え、菜々、由乃さまの妹じゃなくなっちゃうんですか?」
「そんなことないわよ、菜々。そこのドリル、よけいなこと言わないっ!」
「よし」
「だいじょうぶ? 祐巳さん」
「こういうときは、本人に聞かなきゃいけないのよ。良はどこ?」
ぱたむ、とビスケット扉が開いた。
「ごきげんよう、みなさま」
「良!」
「良さん」
「良ちゃん!」
「良、この写真なんだけど」
「なんですか? お姉さま」
「ちょっと見て欲しいのよ。どういうことなのか説明してくれるかしら。中等部の入学記念写真、どうして菜々ちゃんと一緒に写っているの?」
祐巳さま、眼が怖いです。
「わ!」
「あなた、歳はいくつ?」
「じゅうよn、あ、ばれた」
「おい」
「ばれたって、良ちゃん、あなたどうやってそんなことができたの?」
「『4月と9月の入学時期の違いで、行きと帰りで半年ずつずれて一年上の学年になっちゃった』んです」
「ぐおぉぉぉぉ 気がつけよシスター上村ぁーーーー」
「乃梨子さま、お籠手!」
「いったーい」
「こてあり! 菜々、二本勝ち!」
「やりました、お姉さま」
「おーのーれーらー、由乃さまは狙ってないじゃない!」
「はあ、つい反射的に」
「乃梨子さん、キャラ変わってません?」
「キャラの書き分けができてないとも言うわね」
「ひどーい、志摩子さん」
「祐巳さん祐巳さん、そこで石像になってないで。もう一枚あるでしょ。こっちの方が問題よ。二つ下だって妹にはできるんだから」
「そ、そうよね、蔦子さん」
少しゲル化した石像になった祐巳さまがもう一度聞く。
「良。それじゃ、こっちの写真はなに?」
「あー、亜美衣お姉さま。よく撮れてますねー。蔦子さまが撮ったんですか? 一枚焼き増ししてほしいなー」
「良! あのね、どういうことかわかってるの?」
悪びれもしない良さん。いえ、良ちゃんの方がいいわ。乃梨子より一つ下なのよね、結局。
「わかってますぅ。だって、同じ学年になったんですもの、姉妹じゃないわよねって、お姉さまにロザリオ取り上げられちゃいましたあ、あはははは」
だめだ。だれかなんとかして、この子。
「そこで、どうして間違えられたって言わなかったのよ。あなたね、一年上の授業が受けられるくらい頭いいくせに、なにやってんのよ」
「あのお、由乃さま、ちょっと、暴走機関車になっちゃったものですから」
「あー、それはよくあるわね。わかるわ。うん、じゃそういうことで」
「ちがうでしょう、由乃さん。 ね、良ちゃん。怒らないから志摩子お姉さんに本当のことを話してごらんなさい。あなた、お寺の娘なの?」
「ちがーう。もう、こんなボケでウケるわけないでしょうに、深夜残業のあとのハイな状態でしか恥ずかしくて書けない文章よね」
その前に、普通、怖ろしくて書けない文章だと思います。
「で、良。どうして暴走機関車になっちゃったのかな」
「亜美衣おねえさまがひどいんです。だからどーーーしても一つ歳をとりたかったんです!」
「どうして?」
「だって、だって……」
赤くなってうつむく良さん、いえ良ちゃん。わ、かわいい。おもわず、ふにふにはにはにしたくなっちゃうじゃない。
「乃梨子さん、手が不気味ですけど」
「え? と、瞳子? 見た? 気にしないでいいわ。気にしないで」
「で、なんなの? 良」
祐巳さま、眼が据わってます。
「4ヶ月歳をサバ読んでるって、お姉さまにリクエストしたR指定に連れてってもらえなかったんですーーーー!」
・・・・・・・・・・・・沈黙が痛い。
って、いきなり祐巳さまと瞳子が帰り支度してるし。しかも、腕組んでるし。
「瞳子ちゃん、一緒に帰ろうか」
「はい、祐巳さま、帰りましょう」
「お、お姉さまぁ」
「んー、だれのことかなあ? 良ちゃん?」
「えーーーん」
「あ、ロザリオはもういらないわよね、もらってくわ。じゃあねー、ごっきげんよー」
「祐巳さまぁ」
「あーあ、記事にはできないなー」
「さっきの『だってだって』の表情で充分よ。モトは取れたわ」
「あら、モトってなに? 蔦子さん」
・・・・・さっきの入学式の写真、撮影:武嶋蔦子って書いてなかったか? 菜々ちゃんの入学の時だから、中等部三年のはずだよなあ、蔦子さま。そんなころから仕事してたのか?
「無償奉仕よもちろん」
地の文に答えないでください。それって、集合写真に写した良ちゃんを覚えてたってことですか。
「いい被写体は、逃さないもの。青田買いね、言ってみれば」
はあああ。
「私を誰だと思ってるの?」
写真部のエース、武嶋蔦子さまです。
「菜々、良い仕事じゃ」
「おほめにあずかりまして光栄でございます。由乃さまのお役に立つのがわたくしの務め」
「じゃ帰ろっか。ごきげんよう」
「しーまこさん」
「帰りましょうね、乃梨子。じゃ、良ちゃん、最後だからちゃんと片づけて帰ってね」
「ごきげんよう」
ばたむ。ビスケット扉が閉まる。
・・・・・・・・・・・
「芽衣さまぁ、蕗夢さまぁ、あ、だめだ、いまごろ夏コミの原稿で缶詰になってらっしゃるわね」
「ま、いっかあ。亜美衣お姉さま〜。次は大河ドラマの方に出してください〜♪」
† † †
翌日、当選辞退届を出した瞳子は、ロサ・フェティダ から ロサ・キネンシス・アン・ブウトンに変わった。
同時に公示された補欠選挙は信任投票になり、由乃さまがあっさり信任された、という。
そして、日本の学制とリリアンの規則には逆らえず、良ちゃんはもういちど高等部一年生をやることになった。シスター・上村から見返りになにをもらったかは、定かではない。
亜美衣さんからまたロザリオをもらえたかどうかも、定かではない。ましてリクエストのxxxを書いてもらえたかどうかなんて、乃梨子はぜんっぜんしりませんわ。
fin.
これって、バッドエンド?
「あなた方をだしにしたのよ」
洗礼堂での、元リリアン生で『リリアンの歌姫』の異名を持つ蟹名静によるワンマンショーの後。
紅薔薇のつぼみ福沢祐巳は、
「あのあの、私もやっていいですか?」
と、期待に満ちた目で静を見た。
「構わないと思うけど……。ちょっと待って、聞いてみるわ」
再びイタリア美人に問い掛ける静。
なにやら二言三言言葉を交わすと、静は振り向いて、左手でOKサインを出した。
祐巳は、洗礼堂の片隅に置いてあった椅子を運んで来ると、どこからともなくノコギリを取り出し、椅子に座って、ノコギリの握りの部分を太股に挟み、先端を左手で摘んで、右手に持った木琴用のばちを構えた。
そして、ノコギリの歯を揺らしながら、ばちで軽く叩けば、
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
『お〜ま〜え〜は〜、ア〜ホ〜か〜』
………
横山ホット○ラザーズで御馴染みののこぎり音楽が、洗礼堂に響き渡った。
(アホはお前だ……)
心の中で、そっと呟く静だった。
【No:1592】⇒【No:1594】⇒【No:1598】⇒【No:1612】⇒【No:1633】⇒【あるか分からない外伝】⇒【今回】
祐巳と乃梨子が実の姉妹の、通称『祐巳姉ぇシリーズ』第6話。
「ふんふふんふふ〜ん」
夏休みも終わって、なぜか祐巳姉ぇまで巻き込んだ、波乱の花寺での学園祭を終え、お次は体育祭。
なんて雰囲気を見ていると、やっぱりリリアンも普通の高校だな〜。なんて感じてしまう。
などと思いながら、昼っぱらから日課の仏像とかのサイト巡りをしていると、やけに上機嫌な祐巳姉ぇが
何故か台所に立っていた。祐巳姉ぇの手料理か……食べる人は、さぞかし後悔するだろうな。
ここで関係ない話を1つ。
大昔。まだ私と祐巳姉ぇが一緒に暮らしていたとき。まぁ、小学生くらい?だったっけ。
とにかく、そのときのバレンタイン。祐巳姉ぇがクラスの子にチョコレートをあげる。という事で
わざわざ手作りのものを作った。その名も、『びっくりチョコレート』。なにがどう『びっくり』なのかは、
私と食べたその子しか知らないだろう。ちなみに、祐巳姉ぇは食べてない。
そして、何を隠そうその『チョコレート』の部分を作ったのが私で、祐巳姉ぇは『びっくり』の部分を作った
に過ぎないのだ。まぁ、つまりはそういう意味の『びっくり』である。
そんなわけだから、どうも私は祐巳姉ぇの『手料理』に臆病になってしまうのだ。
まぁ、祐巳姉ぇが上達した。って可能性もありえなくもないけどさ。
と、凝視されていることに気付いたのか、祐巳姉ぇは私の方を見た。
「どうしたのノリ?変な顔して」
「変な顔ってのは失礼じゃないかな…まぁいいや。どうしてそんなに機嫌良いのかな〜ってね」
祐巳姉ぇは、待ってました。といわんばかりの顔をして私を見る。
あぁ、どうせしょうもない事だろうな。
「それはヒ・ミ・ツ。ノリには教えないよ」
「……そう。なら、別に気にしない」
え〜。なんて声をあげてる祐巳姉ぇを見て、知って欲しいのか欲しくないのか。なんてテンプレートなつっこみを
心の中でいれつつ、私はパソコンに顔を戻した。
まぁ。ここでもっと食いついてたら、あんなことにはならなかったのかもしれないんだけど。
当然、私はそんなことは露知らず。今日も明日も休みだ〜。なんて、土曜日特有の嬉しさをかみしめていた。
日曜日は、とくにコレといって何もなくて。志摩子さんの家に行って遊んでいたくらいかな?
で、帰ってくるとこれまた上機嫌な祐巳姉ぇがいて、あぁ。デートでもしてきたのかな。
なんて、そんな事を思っていて。
そして月曜日。の、放課後。
「乃梨子さん乃梨子さん」
「ん?どうしたの瞳子」
今日も今日とて白薔薇の蕾として仕事をまっとうしている私に、瞳子が話しかけてきた。
よく見ると、他のみんなもわりと喋りながら仕事をしていて、どうやら今日はそういう日のようだった。
よく見ると、瞳子はどこか嬉しそうな顔だった。女優ならもっと表情を隠せば良いのにね。
「今はプライベートですから」
「その線の引き方がよくわかんない……」
「もぅ、そんな事どうでもいいじゃないですか!」
そんなに怒らなくてもいいのに。
「ごめんごめん。で、なんなの?」
「祐巳さまって、料理お得意なんですのね」
は?祐巳姉ぇが料理得意?
「そんなハズないよ。だってあの『びっくりチョコレート』を作り上げた祐巳姉ぇが……」
「びっくりチョコレート?」
「っと、なんでもない。忘れて」
いや、まぁそりゃあ祐巳姉ぇだって料理の腕くらいは上達するしね。うん……って、
「なんで瞳子が祐巳姉ぇの料理知ってるの?」
「え?聞いてないんですの?昨日、祐巳さまと一緒にお出かけしたの」
「――――ううん、聞いてない」
どしっ。って。なんだか重いものが私の中に落ちてきた。
「あら、そうでしたの?てっきり言ってるものかと思って……祐巳さまも、『ノリに教えたいなぁ、この楽しさ』とか
言ってましたのに……あ、行ったって言ってもちょっとした買い物と映画だけですよ?」
「ふーん」
自分でも驚くくらいに、あきらかにどうでもいい。って感じの生返事だった。
瞳子も、様子がおかしいな。くらいは思っているかもしれない。
「……それでですね、祐巳さまの作った玉子焼きの絶妙なさじ加減といったら……」
「へー」
かきかきかき。
「見た映画も、とってもおもしろくって」
「ふーん」
かきかきかきかき。
「見た後に喫茶店で祐巳さまといろいろ話してて、それはもうおもしろくておもしろくて」
「ふ〜〜ん」
かきかきかきかきかき。
「……ちょっと、乃梨子さん?さっきから生返事ばっかりじゃないですの。もっとなにかいう事はないんですか?」
そんなことより、瞳子も仕事仕事。
「もぅ!はぐらかさないでください!」
「……楽しそうで、よかったね」
まぁ、実際それくらいしか感想ないしね。人のデートの話なんて嬉々として聞くものじゃないでしょ。
「も〜。そんなに怒らないくても。いくら祐巳さまが大事だからって…」
「そんな事言ってないでしょうが」
ちょっと言葉が強い調子だっただろうか。瞳子は体をピクッと振るわせた。
……なんとなく、重い沈黙が流れた。
「……なんで、そんなに怒ってるのかしら?」
「だから、怒ってないから」
うん。怒ってるわけじゃない。じゃあなんなのか。って言われるとちょっと考えないといけないけど。
別に、親友である瞳子が実の姉である祐巳姉ぇとデートしたからって……そんな。
「……そんなに、自分が知らなかった事がご不満?」
「―――なに、それ」
さすがに、瞳子のその言葉にはカチンときてしまった。
自分だけ知らなかったのが不満?なにを言ってるんだ瞳子のやつは。
「そのままの意味ですわ。乃梨子さんが、さきほどから寂しそうな顔をしてましたので」
「考えすぎだよ、瞳子。ちゃんと話も聞いてたし、楽しそうで。ってのも本心だよ」
だけど、私はカチンときていてもその後の一歩は踏み出すまいとがんばった。
喧嘩無くして友情無し。とか祐巳姉ぇが言っていた気がするけど、そんなの必要なしに友情があったほうが
いいに決まってる。
「……そうですか。では、今度からはちゃんと、乃梨子さんに一言言ってから祐巳さまと出かける事にしますわ」
なのに。瞳子はその一歩をあっさりと踏み出した。
なにがそんなに瞳子は不満なのか。私には理解不能だった。
「だから、そんなこと言ってないって言ってるでしょ?」
「どうかしら。乃梨子さんってば、表情じゃ分かりづらいんですもの。祐巳さまと違って」
祐巳さまと違って……ね。
「そんな、祐巳姉ぇと比べられてもね。私は祐巳姉ぇほど百面相してないって自覚もあるし」
まぁ、誰かさんに言われたような気がするけどね。
「……そんな、私はなんでも祐巳さまのことは知ってます。みたいな顔して…」
やけに食いついてくるね。なんて、言えなかった。
瞳子の目は、いつも私を見ている目じゃなかった。言うならば……そう、『あの』可南子さんを見ているような目……
……あからさまな、敵意だ。
「乃梨子さんがどれだけ祐巳さまを好きでも、意思は祐巳さまにあるんですのよ!」
そして、瞳子の叫びが、会議室にこだました。
みんなは何事かと、私達を見ている。
無理も無い。明らかに激情している瞳子と、それをなぜか冷ややかな目で見て―――いや、見れている私がいるんだ。
大体、そんなことは分かっている。分かりきっている。人類にとって当然のことじゃない。
「…ねぇ、瞳子。私なにか貴方にした?したなら謝るから、そんな顔……」
「乃梨子さんなんて!……なにが大事とか言わずに、ヘラヘラヘラヘラして……祐巳さまとか、その他にも……迷惑かけすぎです!」
バタン。
と、そのまま瞳子は部屋を出て行った。
去り際に感じた水滴は、多分、瞳子の目から出ていたのだろう。
「…どうかしたの、乃梨子?喧嘩かしら?」
「し…お姉さま」
少しの間の沈黙の後、瞳子が出て行った時に思わず立ち上がっていた私の肩に志摩子さんの手があった。
「……なにも。私としては、普通にしていた……ん、ですけど」
半分は嘘だった。
明らかに、私は祐巳姉ぇと瞳子の話を聞いているとき、上の空どころか聞く気すらなかったのだから。
「そう……でも、瞳子ちゃんはそうでもないって感じだったわね…それに」
それに。その言葉に、私はなぜかゾクリとして。思わずバッと志摩子さんの顔を見た。
「……瞳子ちゃんの最後の言葉。あれは正しいって思うの。私」
…後になって考えれば、それは当然の言葉だったのかもしれない。
だけど、その時の私には。その言葉が、瞳子の言葉と同じく『私の拒絶』。それを感じてしまったのだ。
一番大事な親友と。一番大切な、お姉さまから。
志摩子さんが何か言っているけど、私はほとんど聞こえなかった。
そして、気付くと、私は扉に向かって歩き出していた。
「乃梨子?」
志摩子さんの、心配そうな声が聞こえた。だけど、
「……そうですね……私、頭。冷やしてきます」
それだけを残して、私は薔薇の館から逃げるように歩き出した。
これも、後で思った…というか、後で由乃さまから聞いた話だけど。
この時の私は、今にも死にそうな顔をしていたらしい。なんとなく、わかる。
なんで瞳子は怒っているのか。
なんで私は志摩子さんに拒絶されたのか。
……なんで、私は今。こんなに罪悪感を感じているのか。
そんなことを考えながら歩いていると、視線の先に特徴的な2つの突起をつけた親友が歩いているのが見えた。
そして思わず
「瞳子ッ!」
と、叫んでしまう。が、勿論反応はあるはずもなく。
「瞳子ッ!!」
少し強めに言っても、無反応。私が足を速めるけど、瞳子も足を速める。
「瞳子ッ!ごめんってば!!謝るからさ!だから……」
私の言葉の途中で、瞳子はリリアンの敷地を出て、曲がっていった。瞳子の姿は私に見えない。
―――それは明らかに。完全な、拒絶だった。
私は、このまま薔薇の館に戻る気はなかった。
ただただ脱力感を感じていて、いつのまにかその辺りにあたベンチに腰掛けていた。
なんとなく、遠くの方にマリアさまの像が見えた。
―――マリアさま。私は、なにかおかしな事を言ったでしょうか?
なんて、心のなかで問いかけるけど、当然返事は返ってこなかった。
だけど今の私にはそれがあまりにも癪で、なぜだか右手を所謂拳銃の形にして、マリアさまに向かって、『発砲』していた。
「あー、ノリいけないなー。リリアンの生徒がそんな事して」
背後から、声が聞こえた。
なんとなく、今一番会いたくない人の声だった。
「……祐巳姉ぇ」
「っと、どうしたのそんな顔して。なんかあった?」
……瞳子の嘘つきめ。やっぱり、私は祐巳姉ぇと一緒じゃないか。
「ほら、元気出して。ね?」
祐巳姉ぇの声が、なぜか私の心の重しを後押しする。
「そうだ。今度さ、誰かと一緒に遊ぼうよ、ね?ほら、例えば祥子さんとか、由乃さんとか、令さんとか
あ、花寺の人でもいいんじゃない?あとは……」
私の中の重しが、さらに押される。
だめだ。祐巳姉ぇ。次に出てくるであろう名前を言ってしまったら、私は……
「瞳子ちゃんとか、志摩子さんとかとさ!」
……本当に、こんな自分が嫌になってくる。
祐巳姉ぇは何も悪くない。悪いのは、全部私なんだ。瞳子が怒ってるのも、志摩子さんに怒られたのも。
でも、この時の私は、精神状態が悪い。としか言い様が無くて。
思わず、祐巳姉ぇを睨みつけて、言ってしまった。
「……バカ!!!」
「え?ちょ、ノリ…」
「祐巳姉ぇなんかに、私の気持ちは分かんないんだッ!!!!」
そして、私はそのまま。走り出していた。
後ろから祐巳姉ぇの声は聞こえない。あっけにとられているんだろう。
突然、妹がこんな事を言い出すんだ。そりゃあ当然だよね。
でも、今の私には追ってこない祐巳姉ぇにすら、志摩子さんたちと同じなんだ。という思いにさせてしまっていた。
本当に、自己嫌悪と共に悲しさがこみ上げてきていて。
私が1人で騒ぎまくってこのざまだ。なんて自分を皮肉しながら。
私は、泣きながら志摩子さんと出会った桜へと、走っていた。
マリアさま……いえ、この際、誰でもかまいません。
私を―――
《続く》
とっとっと、と。
石段を叩く足の音。
少し長めな神社の石段。
上りきればほら、綺麗な朝日が雲間に輝く。
火照った体に風が気持ちいい。
今日もきっと、一日晴れになるだろう。
神社から眺める街並み。
薄暗い街の中、ちらほら見える明かりは早起きなお母さんが朝食でも作っているのか・・・
今日は日曜日。
でも、今日は平日と変わらないくらいに多くの明かりがともっている。
私立リリアン学園。
今日は高等部の学園祭。
お年頃の娘さんを持つお母さんは、日曜日なのに大変だなぁ、と思いました。
軽く運動をして、家に帰宅。
我が福沢家はシンと寝静まっている。
現在午前6時ちょっと過ぎ。
日曜日は基本的に別々に起きるから、あと2、3時間は誰も起きないかもしれない。
休みの日にはルーズな一家なのだ。
私は両手両足に巻いていたアンクルをはずしてテーブルの上にポンとおく。
別に体を鍛えるつもりも無いけれど。
カウンセラーというのはアレで結構体力がいるのだ。
精神的にも、肉体的にも。
だから、休養と体力向上のために始めたこの運動。
帰ってきて数日はやらなかったのだけど、習慣になっていた為、目が覚めるのだ。
ぼー、としているだけなのはアレなので、結局今も続ける事にした。
それに、やってみると結構楽しい。
色と音を消して体を動かし、如何動かせばスムーズに動けるのかを研究したりとか。
初めの内はお母さんに心配されたりしたんだけど・・・
ほら、朝起きるのが突然早くなったから・・・
そんな事を取りとめも無く考えながら、着替えを箪笥から出し、汗で湿った服を脱いでシャワーを浴びる。
鏡に映る自分の姿を見て、そろそろ髪が伸びてきたな、と思う。
そういえば、帰ってきてから一度も美容院に行ってない。
まぁ、たった一ヶ月ほどなので気にするほどでもないかもしれないけど。
いや、そういえば私はどのくらい髪を切っていないんだろう?
帰ってくる前に切りに行ったのは何時なんだこの時代の私?
まぁ、聞いても答えが返ってくるわけでもないんだけどね・・・
今髪の毛は肩と肘のちょうど中間くらいまで伸びている。
高校に入ってからは肩にかからないくらいの長さにしていたはずだけど・・・
中学の時はどうだったかな?
まぁ、このくらいの長さでも困る事は無いから、もうしばらく伸ばしてみようか。
と、髪の毛を洗いながら考える。
うん。
まぁ、髪の毛伸ばしてみるのも悪くないかもしれない。
そういえば私、ロングにした事無かったし。
お風呂から出て。
時間を確認すれば6時半。
外来の受付は、確か9時からなのでまだまだ時間はある。
とりあえずご飯が炊かれているのは確認したので、冷蔵庫を開けて何があるか見てみる。
まぁ、そういったことに関しては手を抜かない母なので、冷蔵庫の中身が空になるなんてありえないんだけど・・・
ふむ。
卵と、野菜と・・・あ、ハムがあるか。
それなら、と。
野菜とハムをみじん切りにして、バターを入れて中火で暖めてあるフライパンに投入。
野菜に火が通るのを待つ間に適当にちぎった野菜をお皿に並べておく。
ある程度火が通ったところで弱火にして溶き卵を入れる。
クルクルと箸を回しながら卵がある程度固まるのを待つ。
手首をぽんぽんと叩きながら、固まり始めた卵をくるくる回すように形を整えて・・・
お皿に移してケチャップをかければ、朝食のオムレツ完成。
ご飯をよそって・・・今日の朝食はライスとオムレツ、それからサラダ。
あぁそうだ。
牛乳ももってこないと。
テレビをつけてニュースを見ながら朝食。
・・・この辺も習慣だよね。
大学入ってからは一人暮らしを始めたし・・・
7時。
着ていく服を決めて(あえて制服はやめておいた。在校生は制服着用と決まってる訳ではないので)髪型を整える。
何時も通りツインテールで良いか、とも思ったんだけど。
それじゃあつまらないから、違う髪形にした。
首のすぐ後ろで髪を縛り、髪の先端付近でもう一度リボンで縛る。
上のリボンの結び目を大きく、下のリボンを小さめにするのがコツ。
カウンセラーになって、美容院に行く時間が取れなくて髪が長くなった時にしていた髪型。
長いと邪魔なんだ、ツインテール。
後は・・・伊達眼鏡でもかけてみる?
・・・私は変装してるのか?
さすがに眼鏡はやめました。
因みに。
お母さんには一瞬私だって気づいてもらえませんでした。
チケットがちゃんとあるかを確認して、バッグに財布、ハンカチ、ティッシュ、携帯電話を入れて家をでる。
携帯電話はこっちに来て真っ先に買ったもの。
型は古いけど・・・仕方ないか。
時間は8時少し前。
ここからなら30分程度で学園までいけるから、まだ時間に余裕がある。
ゆっくり歩いていこうか・・・
そう思い、随分と久しぶりな朝の街を散策する事にした。
思い出にある景色と、随分違っている。
仕方ない。
私の記憶はどんどん書き換えられていったのだから。
また、あのとおりの景色になるのか、もうわからない。
私一人で何が変わるのか、とも思うけど、私一人で変わる事も、やっぱり少なくは無いだろう。
人間関係についても、同じ。
私がここに来た事で、前に付き合いの無かった人との絆が、今出来ている。
同じように、絆が出来ない人もできるのかもしれない。
それは・・・とても寂しい事・・・
でも。
私は覚えてる。
あの記憶を。
信じてる。
あの人たちを・・・
記憶が変わろうと時間が変わろうと。
私達の絆は、また結ばれる。
また、結ぶ。
なくしたくない。
変わるかもしれないけど。
私が知っている人じゃないかもしれないけど。
でも、私達の絆が、この程度のことで消えてなくなるなんて、思わない。
お姉さまは言った。
何処にいても、どんな姿でも、私を見つけると。
それは、幻想のようなものなのかもしれない。
いや、今ここにいること自体、夢なのかもしれない。
でも、今ここにいることを信じて。
あの世界を信じて。
私は歩いていく。
一歩。
また一歩。
あの輝かしい未来へ向かって・・・
後書き
終わりません。
何か最終回っぽい終わりかたしてますけど、まだ続きます。
次回は学園祭。
今回は祐巳独白に戻りましたけど、次回は一気に人増える予定です。
あと、毎回コメントありがとうございます。
コメントに返信したいとは思うのですけど・・・
確認する時には遥か下までログが流れてしまっているので・・・
週間なら何とかなるかもしれませんが、日刊はちょっと無理っぽいです^^;
それから、一読者様の言う事はもっともなので一行開けない事にしました。
ではまた次回お会いしましょう。
↑なんか、タイトルがバグっちゃってますので
一応引いたタイトルは『実は○○○がついてる目が覚めたらそこは』です。
(7/15:タイトル修復していただきました。 ありがとうございます)
……しかし、何ちゅータイトルやねんw
※この物語はフィクションです。
登場するキャラクター・発言・年齢性別職業ツベルクリン反応郵便番号の如何を問わず全て架空の物です。
……ってゆーか、もうマリみてSSですらありません(w
☆
ぼんやりと世界が切り替わっていくのがわかる。
そう、夢の中から現実へ。
そして、俺を呼ぶ清楚なメイド服を着た女の子が……って、おい。
「あ、お目覚めですか? 旦那様♪」
「朝っぱらから、何メイド服なんて着ちゃってやがりますか、綾さん」
家賃35,000円のボロアパートにはっきり言って似つかわしくない格好の少女は、
俺の彼女と言うことになっている松ノ芽 綾(まつのめ あや)高校3年生。
妹の友人だった彼女に、半分脅迫に近い形で交際を迫られ、今に至る。
「え? 良ちゃん、こういうの好きかなと思って♪」
そう言って、メイド服のスカートを左右に広げてくるりと回ってみせる。
……確かに、メイド服はいい。
リリンの生み出した文化の極みだ。
「だから、確かにメイド服は嫌いじゃないけど、誰かに見られたら誤解されるだろうが!
ただでさえ、お前と俺は7つも歳が離れているんだからな」
そう、女子高生を連れ込んでメイドやらせてるなんて世間にしれたら非常にヤバイ。
まだ、とある事件の記憶も新しい今ならなおさらだ。
「ぶぅ、せっかく良ちゃんのために買ってきたのにな」
綾はぷぅっと頬を膨らませて拗ねている。
まあ、その……似合っていない訳じゃない。
世間体という物がなければ、思い切り喜んでしまうところだろう。
しかし、俺は分別のある社会人だ。
うん。
「分別のある社会人は、
部屋にE○Aの綾波フィギュアとか涼宮ハ○ヒのポスター貼ったりとかしてないと思うよ」
……だから、綾さん。 モノローグにツッコミはやめて。 エスパーじゃないんだから。
そう、俺はオタクだ。
しかも、隠れオタク。
家族にも職場の人間や友人達にも秘密。
大学卒業と共に就職→一人暮らし。
それからはもう給料の半分はオタ趣味に費やすぐらいの勢いでオタライフを満喫している。
コミケにもサークル参加し、秋葉原も常連だ。
それでも、誰にもバレずにうまくやっていたはずなのに……それなのに。
そう、出会ってしまったのだ。
コミケ、3日目の東館で。
それからは半ば彼女の下僕のように過ごしている。
「だーかーら、誰が下僕にしてるのよぉ。 かわいい彼女が出来たんだから喜んでよ」
……自分からかわいいって言う女にろくなのは……痛っ、痛いです……綾さん。
「かわいい彼女が出来てとっても嬉しいです(棒読み)」
「そうでしょう、そうでしょう。 うんうん、良ちゃんとアタシは超ラブラブだもんねー。」
……あんた、いつの時代の女子高生だ(w
「あー、もうこんな時間!? 良ちゃん早く朝ご飯食べないとヤバイよ」
そう言われて時計を見ると結構ピンチな時間だった。
あわてて布団から出ると、着替え………
「……あの、綾さん? 俺、着替えるんだけど」
「うん」
「出来れば、向こうに行っててもらえないかな?」
「えー、別にいいじゃん。 減るもんじゃないし」
……えっと、俺の神経がすり減ります。 それも、すごーく。
もっとも、ワンルームのアパートでキッチンまで待避してもらっても見えるって言えば見えるんだけど、
近場でじろじろ見られるよりはなんぼかマシだと思う。
ぶうぶう文句を言いながらも、ようやく彼女はキッチンへ。
……ああ、余計なことをしていたらまた時間が(涙)
ちなみに、お前が鍵を渡したのが悪いんだろと思われると思いますが、
鍵を勝手に渡しやがったのは俺の悪妹です。
一人暮らしになってようやく妹から解放されたと思ったら今度はこれですよ。
俺って、つくづく女運悪いよなぁ……。
「あ、ところで綾は学校行かないのか?」
ようやく、ネクタイを締め始めた俺はふと気になって聞いてみた。
「良ちゃん、今日は土曜日だよ、もしかしてまだ寝ぼけてる? アタシはお・休・み♪」
……ゆとり教育だか何だか知らないけど、学生が休みなのに働かされる俺って何?
社会人にもゆとりをくれよぉ……。
大体、コミケの原稿がまだ……(泣)
「さあ、召し上がれ♪」
食卓の上には、ちょっと焦げ気味な焼き魚とみそ汁と炊きたてのご飯と海苔。
何だかんだ言っても、一人暮らしの俺がまともな朝飯にありつけるんだから、
やっぱりそこは感謝すべき所なんだろう。
たまにこうして魚を焦がしたりもするが、それはご愛敬。
「うん、うまいよ」
結構焦げてるように見える魚もまあまあうまかった。
みそ汁なんてお袋よりうまいかもしれない。
お袋は結構永○園の世話になってたからなぁ。
「えへへ」
メイド服を着た女の子と純和風な朝飯を食べる俺。
何となく、ミスマッチな感覚ではあるんだけども。
嬉しくないわけはないじゃないか、男として。
「そういえば、夏コミの原稿終わったの?」
「ぐへっ」
……みそ汁が気管に。
「……その様子じゃ、終わってないんだ。 一応、今回もちゃんとリリアン女学園の制服着て売り子してあげるけどさ大丈夫?」
「……終わってない。 でも、一体さんに頼んだ表紙も、タイヨーカ先生やがちゃS管理人の柊雅史先生のゲスト原稿はとっくにもらっちゃってる(爆)」
「うわ、落としたら責任重大じゃん」
「そう、でも予定してる、『記喪天が異!瞳子ちゃんと一緒♪』が全然進まなくて、コピー本の『キエタキズナとアラタナキズナ』の方ばっかり進むんだ」
「じゃあ、オフセットの方に『キエタキズナとアラタナキズナ』入れれば?」
「『記喪天が異!瞳子ちゃんと一緒♪』の方で一体さんにめっちゃ綺麗な表紙描いてもらちゃってるから……変更不可」
「……バカ。 自分の原稿終わらないうちに表紙やゲスト原稿依頼しちゃってどうするのよ……しかも、みんなちゃんと早めに仕上げてくれてるし」
そう、締め切り破りは100%俺の責任。 俺最高。
しかも、この本が売れたら売れたで一体さんの表紙のおかげで売れたんだよなぁとか、
ゲスト原稿のタイヨーカ先生や柊雅史先生の原稿があるから売れたんだってへこむんだぜ、俺。
どうだ、最高だろ? ……俺って、やっぱりマゾなのかなぁ。 綾に虐められると時々嬉しいし……。
「……ふっふっふ、じゃーん。 これ何だ」
某猫型ロボットが秘密道具を取り出したかのように取り出したそれは、今やコンビニでも売ってるUSBメモリー。
「USBメモリー? まさか、休日出勤なのをいいことに会社で原稿やるつもり!? この、給料泥棒」
「バ、バカ。 く○一号さんじゃないんだから、仕事中にやったりしない……っていうか、そんな勇気無い」
「このヘタレ」
「う、うっさい。 もう、崖っぷちなんだよ。 ギリギリなんだよ。 印刷屋の締め切りは本当は昨日なんだよ」
「うわっ、割増料金コース?」
「しかも、月曜までに入稿しないともう知りませんよとか言われてるんだよ」
「……なんでそこまでになるまでやらないかなぁ。 良ちゃんて、夏休みの宿題とか8月31日の夜になってあわてるタイプでしょ」
「ふっ、お前にはわからないのさ。 同人屋のロマンってやつが」
開場時間ギリギリまでコピー本の製本をしているドキドキ感こそ同人の醍醐味。
印刷所の早期割引で印刷済ませるようないい子ちゃんにはわかるまい。
このギリギリの崖っぷち感を乗り越えた時の感動こそ至福の刻。
たとえるなら、フルマラソンを完走した時のような感動だ。
「……すごくわかりたくないんだけど」
ふっ、しょせん小娘にはわからないのさ。
……げ、時間やばっ!!
「じゃあ、俺仕事行ってくるからな。 くれぐれも、その格好で外に出たりするなよ。 誰かに見られたら大変なんだからな」
「……あ、ごめん。 さっき、ゴミ出しに行ってお隣の奥さんに挨拶しちゃった」
がーん。 ……もう、引っ越したい(涙)
☆
駅への道をひたすら走る。
そんな時、ふと今朝見た夢を何となく思い出した。
『清水 良 リリアン女学園一年菊組15番です』
しかし、何であんな夢見たんだろうな。
やっぱり、マリみて原稿の書きすぎかな。
松野 芽衣さまがお姉さまって、やっぱり綾の影響か。
思いっきり尻に敷かれてるから夢の中ではお姉さまなんだろうか。
まあ、それはともかく誤解の無いようにいっておくが、俺は女装趣味とか無いからな。
さて、今日も一日頑張って仕事するか……。
今夜は徹夜だ。
おしまい
※最後にもう一度繰り返しますが、この物語は誰がなんと言おうとフィクションです。
登場するキャラクター・発言・年齢性別職業ツベルクリン反応郵便番号の如何を問わず全て架空の物です。
後書き
【No:1648】『約束の時が近づく身を焦がす未練さよならだけが人生』に始まる悪のりシリーズ。
ROM人が書くのは多分、今書きかけの【No:1648】直系の外伝話で終わりにすると思います。
まあ、さすがに悪のりしすぎて収集つかなくなっちゃいそうですし、
そろそろ良さんに体育館裏に呼び出されてボコられそうだしw
根性焼きは嫌ですぅ。
※この記事は削除されました。
※この記事は削除されました。
※この記事は削除されました。
※この記事は削除されました。
※この記事は削除されました。
『仮面のアクトレス』
某乃梨子が瞳子を呼び出したシーンより
「私、瞳子のこと好きだよ。どんなときでも味方になりたいと思ってる………」
けれど、選挙に関してだけはそういうわけにはいかないのだ。だから言った。「お姉さまを応援する」と。
瞳子は軽く笑った。
「そんなの当たり前じゃない」
「それから」
なぜだか、涙が出た。これでお別れというわけでもないのに。
「恋人だって言ってくれて、うれしかった」
「おめでたい人ね……って、ちっがーう!」
「あなたの恋人に相応しいくらいには」
「だからそんなこと言ってません!」
そう言って瞳子は両腕をバタバタと振り回した。
きょとん、とした顔で乃梨子は首を傾げる。
「………愛人?」
「さらに違う!」
顔を真っ赤して怒っているように見せているけど、中身はまちがいなく照れているに違いない。
そんな瞳子を見ながら、乃梨子は思った。
愛情って難しい。
すぐそばで、誰かの声がはっきりと耳に届いた。
「楽しそうだねえ」
「「ひぃっ!」」
乃梨子と瞳子は揃って悲鳴をあげた。
「そうか、そういうことになってたんだ。瞳子ちゃんにふられたわけだよね」
「「ゆ、祐巳さま!」」
「息もぴったりだし。っていうか余裕あるよね。こんな時に、こんなところで、秘密の逢瀬!」
「ち、違うんです。さっきのは乃梨子さんが勝手に」
「というか、何故ここに?」
「そりゃ乃梨子ちゃんの様子を見てたらね。何かあるって思うじゃない」
と、わきから出てきたのは由乃さま。
「私は止めたのだけれど……」
って志摩子さんまで!
「でも、来てよかったわ」
志摩子さんはゆっくりとそう言って、静かに笑った。
「!!」
あたりの気温が3度ほど下がった気がした。
「し、しまこさん?」
「なあに? 乃梨子」
遺言は決まった? とその目が言っている気がした。
「ち、違うの! 志摩子さんはお姉さまで、瞳子は恋人ぶごがっ」
気が付くと、乃梨子は血反吐を吐いて地面に横たわっていた。
志摩子さんの腕が、かすかにぶれたように見えたけど、何が起きたのかわからなかった。
薄れゆく意識の中で乃梨子は、一言「志摩子さん、すごい」とつぶやいた。
ああ、それから。「瞳子、逃げろ!」と言ってやりたいけど、もう声も出せないからしょうがないよね。
「私、結果発表の瞬間、瞳子の顔だけを見ていたんです。 そうしたら、……そうしたらわかってしまいました」
乃梨子ちゃんの顔は蒼白だった。 多分、祐巳も同じような表情をしているはずだ。
「瞳子の目的は、負けることだったんです」
ああ、やっぱり。 祐巳は思った。
自分だけではなく、乃梨子ちゃんがそう言うのだから、多分間違いないのだろう。
瞳子ちゃんはマゾだったんだ。
☆
ああ、もう……だから瞳子に姉妹の申し込み断られるんだよ祐巳さまは。
瞳子のことなんて何にもわかってないんだから。
私は、祐巳さまに一礼すると急いで瞳子の後を追った。
まだ、そんなに遠くに行っているはずはない。
たぶん、今じゃなきゃ駄目なんだ。
私の本能がそう言っている。
今、瞳子を追わなくちゃ……多分私はもう瞳子に会うことが出来なくなる気がしていた。
瞳子、瞳子、瞳子!
「で、何をして居るんだ瞳子」
「自棄食いですわ」
瞳子は公園でコンビニの袋に沢山詰まったチョココロネを貪っていた。
「自棄食いって、瞳子は負ける為に選挙に出たんだろ?」
「はぁ? 何を言ってるんですの、乃梨子さん。
確かに現役の皆様に勝つ自信はなかったですけど、由乃さまといい勝負が出来る自信はあったんですのよ」
おい、コラ。
名指しで由乃さまとか言うな。
確かに、志摩子さんが落選するはずなどこれっぽっちもない。うん。
あれで一年二年と満遍なく人気がある祐巳さまが落ちる事もまず無いだろう。
って、マジで薔薇様狙っていたのかこいつは。
「……なんてね。 たぶん、勝てるはずなんて無いと思ってたんですよ。 ただ、いい勝負ができたならと思ってたんですけどね」
「瞳子?」
「これで、薔薇の館に未練はなくなりました」
そう言った瞳子はどこか儚げで。
だから、私は自然に瞳子を抱きしめていたのだ。
「の、乃梨子さん…こ、こんな所で……誰かに見られたら……」
「バカ……こんな事をしなくたって祐巳さまのロザリオを受け取ってれば一緒に蕾になれたじゃないか」
そう、薔薇の館の住人になる方法はちゃんと残っているじゃないか。
祐巳さまは多分まだ瞳子を妹にすることを諦めていない。
「……それは、できません」
しかし、私の腕のなかで瞳子はつらそうにそう漏らした。
「祐巳さまは多分まだ諦めてないと思うよ」
「……だから、駄目なんです。 瞳子が祐巳さまの妹になったら祐巳さまに迷惑がかかります」
「迷惑なんて……」
「瞳子は皆に嫌われて居るんです。 瞳子なんかが妹になったら祐巳さまにまで」
それは、きっと茶話会の…いや、もっと前からあった瞳子への陰口がそう言わせるのかもしれない。
はっきり私がそれを知ったのは茶話会の頃だったが、瞳子はきっとそれより前からそれを知っていたのかもしれない。
梅雨の頃、紅薔薇様と祐巳さまの仲違いの原因になり、祐巳さまにきつい言葉を投げかけた。
きっと、祐巳さまのファンに瞳子はきっと疎ましく見えたことだろう。
ちょっとへそ曲がりで、自分に素直じゃなくて、お節介で。
瞳子は誤解されるタイプなんだ。
みんな本当の瞳子を知らない。
仮面の隙間から見える瞳子はいいやつだ。
「でも、私は瞳子が大好きだ」
瞳子を抱きしめる力を強くする。
へそ曲がりの子猫は私の手の中をすり抜けてしまいそうだったから。
「離してください。 そして、瞳子にもう近づかないでください。
瞳子なんかと一緒にいたら乃梨子さんにまで……」
「いいよ」
そう、別に私はみんなの人気者になりたい訳じゃない。
そんなことで疎まれるなら別に本望だ。
「だって! んっ……」
もう、これ以上瞳子の口から自分を責める言葉を紡がせたくなかった。
傷だらけの心に自分でさらに傷を付けないで。
私は、瞳子の唇に自分の唇を重ねた。
「あ〜あ、その役目は私の予定だったのに」
か、可南子さん!
「決定的な一枚を撮ってしまったけれど、さすがにこれは発表していいものか」
つ、蔦子さま!
「選挙の裏にあった一つの恋物語。 キスシーンはカットするにしても去年のイエローローズを超える名作を書き上げる自信はあるわ」
ま、真美さま!
「……選挙に勝ったけど……乃梨子ちゃんに負けたぁ」
ゆ、祐巳さま、こ、これは……その。
「乃梨子……まるで、お姉さまのようだわ」
し、志摩子さんまで! こ、これは違うんです……だ、だから、その……。
「キスまでしてちゃ、もはや逃げようもないわね」
「……羨ましいな(ぼそっ)」
「な、菜々(真っ赤)」
よ、由乃さま……それに、菜々ちゃん。
「ううっ、剣道の交流試合で瞳子さんの悩みを聞いて、一生懸命支えて……瞳子さんの恋人には私がなるはずだったのに。
祐巳さま、やっぱり妹にしてください」
「……しかたないか、瞳子ちゃんは乃梨子ちゃんに取られちゃったし」
こ、こらそこ! いきなり大どんでん返しでロザリオの授受とか始めないっ!
「……乃梨子さん。 瞳子を幸せにしてください。 赤ちゃんは男の子と女の子がいいです」
うわっ、上目遣いで頬をほんのり赤く染めて……瞳子すげーかわいい。
……って、そういう問題じゃないし女同士だし。
「こんな、学園のすぐ側の公園でこんなことしてりゃ、こうなるのは当然でしょ? 写真楽しみにしててね」
……そうでした_| ̄|○
それに気がつかない私が愚かでした。
こうなりゃ自棄だ。
「瞳子、愛してる」
「はい、乃梨子さん」
私と瞳子はもう一度、深く熱い口づけを交わした。
これって、ハッピーエンド?
おしまい
(後書き)
妄想万歳!
読者のほとんどがどん引きでも、私が楽しければいいんです、ええ。
可瞳、乃瞳、瞳子受万歳!
仮面のアクトレスの続きがどうなろうとも、これだけは譲れません。
そういえば、これで27作目らしいんですが、
100作超えてる方々はどんだけ書いてるんだろうと
こないだ自分のを全部読み返してて思いました。
結構書いてますねぇ、ROMのくせに(w
そんなわけで、目指せ50作なあくまでもROMな人でした。
※この記事は削除されました。
ご好評につきイニGシリーズ開始いたします。
【No:1675】「トルネード大掃除白い地獄」の続編です。
昼休み。
薔薇の館では、先日のミッション・インポッシブルをお茶を飲みつつ振り返る
次世代メンバーの姿があった。
「まったく…真里菜もよくあそこまで散らかせたものよね」
ちあきがため息をつきながら言う。
「だってまさかあんなことになるなんて思わなかったから…」
真里菜はバツが悪そうだ。
その言葉に、美咲は実に素早いタイミングで突っ込んだ。
「それはこちらのセリフです」
菜々が智子の顔を見ながら言う。
「ねえ智子、あなたの部屋はあんなふうになっていないわよね…?」
「ま、まさか!お姉さまが毎日通ってくださるんですもの、嫌でも維持されますわ!」
言ってしまってから「まずい!」と口を押さえたが、時すでに遅し。
ちあきがまたものすごい笑みを浮かべている。
「智子〜、嫌でもってどういう意味なのかしら〜?」
「あ、ですからこれはその…」
逃げる智子に追うちあき。
「待ちなさい!」
「うわ〜ん、ごめんなさ〜い!」
ドタバタと走り回る紅薔薇姉妹。
あまりの光景にうなだれる美咲の肩に、涼子はポンと右手を置いた。
「あんまり気にするなよ」
平和な薔薇の館。
だがそこに、1人だけ平和ではいられない人間がいた。
その名は安西理沙。
黄薔薇のつぼみの妹であった。
その夜。
理沙は自室でひそかにおびえていた。
「来〜る〜、きっと来る〜、きっと来る〜」
ここ最近、夜毎何かをこするようなガサガサという音に悩まされて寝不足気味。
睡眠時間の足りなさは脳にもなにがしかの影響を与えるようで、最近口をついて
奇妙な言葉や歌が出てくるようになったのだ。
「うふふふ…あはははは…なんて素敵なのかしら、イニシャルGって…素敵なわけないじゃん」
理沙の兄、純也はそんな妹を1割の同情と9割の醒めた目で見つめていた。
(無理もないよな…部屋の中でポテトやらケーキやら食べてちゃ。
あ〜あ、こいつ、ベッドの上にまでチョコレート持ち込みやがって…
知らないぞ、どうなっても…)
そして真夜中に悲劇は起こった。
ガサガサガサ。
ブ〜ン。
ピタッ。
「ぎゃああああああ!!」
突然の悲鳴に飛び起きた家族が見たもの。
それは部屋中を闊歩するGと。
ゴミの中で悲嘆にくれる娘の姿。
先ほどの悲鳴は、飛んできたGが理沙の顔にピタリと着地を決めたためであった。
あまりの情けなさに、理沙の母は絶叫した。
「理沙!今すぐ掃除しなさ〜い!」
いやお母さん、今すぐは無理ですから。
真夜中だし。
翌日の昼休み、薔薇の館のメンバーは保健室にいた。
体育の授業中に倒れた理沙の見舞いのためである。
「あきれたわね、本当…真里菜の次は理沙ちゃんだなんて」
ちあきは深々とため息をついた。
「少なくとも、ベッドルームでお菓子食べるのはよくないと思うよ?」
さゆみは淡々と伝える。
「またやるの?ミッション・インポッシブル」
心なしか菜々の額に光が増している気がする。
「やらなきゃ理沙ちゃんが死んじゃうでしょ…このまま放っておくのは、
世話薔薇さまの良心に恥じるわ」
ちあきは覚悟を決めていた。
日曜日の安西家の前。
ちあきが号令をかけた。
『本日のミッションは、黄薔薇のつぼみの妹、安西理沙の部屋の防虫処理と大掃除!
全員個々の義務を完璧に果たせ!』
『ラジャー!』
まずは理沙の部屋全体を見回す。
6畳ほどの部屋は真里菜の部屋ほどではないが散らかっており、床の上にあるものは大半がスナック菓子やチョコレートの袋、アイスクリームの容器などだ。
しかもそれらの一部はベッドにまで侵食してきている。
家具といってもベッドとミニコンポ、低いガラステーブルしかなく、
白と淡いピンクが基調のシンプルでかわいらしい部屋だが、これでは台無しである。
「まずはこのゴミを全部捨てましょう」
自分のためにみんなが動いてくれていることをよく知る理沙は、文句ひとつ言わず
黙々とゴミを捨てていた。
特別ミッション用のユニフォームの上に、黄薔薇ファミリーであることを示す
黄色のエプロンを身につけて。
ちなみにこのエプロン、紅薔薇家は赤、白薔薇家は白で、特殊加工が施され、
水や汚れに極めて強い。
「涼子ちゃん、力はあるかしら?」
「任せてください。こう見えても俺、けっこう力あるんですよ」
さゆみと協力しあい、分厚く重いマットレスを階下の庭まで運んでゆく。
ベッドにかけられていた布団などは、すでに智子がベランダに干していた。
大した家具がないためか、家具の移動は簡単で、掃除もしやすかったのだが。
「ねえ、なんかこのミニコンポの裏、虫の墓場みたいになってるけど…?」
純子が多少青ざめながら指差した先では。
Gだけではないあらゆる種類の昆虫が、無残な最期をとげていた。
「さっさと処理しなさい」
ちあきはテーブルを拭きながら言う。
仕方なく、それらの虫のうち大きいものをあらかじめほうきで集めておいてから、
残った小さめの死骸を掃除機で吸い込んだ。
「『あずき』はこっちの機械で吸い込んでね」
真里菜のときにも活躍した、害虫駆除業者が使う専門の機械を手にするちあき。
ちなみにこれは、祥子さまとの秘密裏の交渉(脅迫ともいう)の末に、
小笠原グループの業者から譲り受けたものである。
「す、すみませんちあきさま…それ、こっちに吸い込んじゃいました」
「…今すぐ紙パック取り替えなさい!」
純子はドタドタと紙パックを取りに走り、大急ぎでパックを交換した。
(ちあきさま、いったいどんな手段使ったんだろう…)
(って言うか、祥子さまと互角に渡り合うなんて…)
(紅薔薇家はある意味すごい人たちばっかりだよ)
掃除をしつつもひそひそ話に興じるブゥトンズに、ちあきの大声が飛んだ。
「3人とも、しゃべってないで手を動かす!」
「「「は、はい!申し訳ありません!」」」
階下から涼子の声がする。
「誰でもいいんでこのマットレス運ぶの手伝ってくださ〜い!」
美咲が動いた。
「行ってきます」
やがて運ばれてきたマットレスと布団と枕に、ちあきは丁寧に掃除機をかけた。
「ダニが潜んでる可能性大なのよね…ベッドの上でお菓子食べてたっていうし」
部屋の中はだいぶきれいになった。
あとは要所要所に毒餌を仕掛けて、ミッションは終了…の、はずだったが。
「あれ、さゆみさん、それなあに?」
「分からないけど…さっきからこれ、時計の音がしてるんだよねえ…
しかも時計と一緒になんかのコードがつながってるし」
あの…それって…
「えっ、ちょっと、どうすればいいのっ!?」
「知らないよ、そんなの…!」
なんとなく話は見えてきた。
どうやらこの話の作者は、「アレ」をやりたいらしい。
「これ配線早く切らないと…はさみどこ?」
「…やだ、この部屋はさみないじゃん!」
5…
「おいお前ら、何やってんだ!早くしろ!」
「そんなこと言ったって、手が震えて…!」
4…
「誰かカッターとか持ってないの!?」
「薔薇の館に置いてきちゃったよ!」
3…
「えっ、な、何?」
2…
「理沙、どうしてこんなもんがあんたの部屋にあるのよ!」
「知りませんよ、うちの兄貴が勝手に作って置いていっただけなんですから!」
1…
「ああもうダメだ!」
ドッカーン!!
安西家、消滅。
あまりにも予想しなかった結果に、ちあきはこうつぶやくしかなかった。
「…だめだこりゃ。次行ってみよう」
【No:1592】⇒【No:1594】⇒【No:1598】⇒【No:1612】⇒【No:1633】⇒【あるか分からない外伝】⇒【No:1680】⇒【今回】
祐巳と乃梨子が実の姉妹の、通称『祐巳姉ぇシリーズ』第7話。そして、最終回。
「祐巳姉ぇなんかに、私の気持ちは分かんないんだッ!!!!」
そう叫ぶように言って、ノリは私の横を駆けて行った。その目には涙が溜まっていたように見えた。
……まぁ、見えた。というか実際そうなんだけど。
さてどうしたものだろうか。まさかあんなになるとは。おっと、なんでもないなんでもない。
なんだかんだで、けっこう私も傷ついてるんだよね。
ノリから、あんな言葉聞くなんて……バカは言われなれてるけど、気迫が違ってたし……
あー……ちょっと憂鬱だな。
「こーら。何してるんだ」
ふと目の前を見ると、聖さんがいた。
けど、いつもとは違って、けっこう真面目な顔つきだ。
「……はは。ごきげんよう?聖…さま?」
「そんな茶化しはいらないの。なに人の孫を泣かせてんのかな?」
見てたのか……
「見てたのか。って顔はいいからさ」
「勝手に人の表情読み取らないでほしいな〜。
それに、私にとっては実の妹だよ?私のほうがもっと悲し…」
「実の姉だったら、泣かすな」
ごもっとも。
「ほら、さっさと追いなさい」
「……なんだか、聖さんって先輩っぽいね。今度から聖さまって呼んでいい?」
心から思ってそう言ったら、さっきまでの真剣な顔がどこにいったのか、聖さんはニパッと笑って、
「しょうがないな〜祐巳ちゃんは〜。せっかくだからそう呼ばせてだげるよ」
とりあえず、鼻血拭こうよ聖さん。せっかくの雰囲気が台無しだよ。
「……………………………………………………」
ちょっと日が落ちてきただろうか。
何分くらい経ったのか私には分からないけど、すくなくとも10分は経っているはずだ。
で、誰も追いかけてこない、と。
あ、ヤバいヤバい。また涙出てきそうだ……。
なんて。卑しい人間だ、二条乃梨子という人間は。追ってきて欲しいから逃げるなんて、
卑しいにもほどがある。
あぁ、だめだだめだ。何を考えても、それがずべて自虐の方に進んでしまう。
明日から私はどうやって生活していけばいいんだ。というか、今日家に帰ってから、か。
一応、この10分のお陰でまだそれなりに精神的に回復したと思ったのに、これだ。
もういっそ、このまま消えてなくなりたい。
なんて考えていた私の耳に、
「はは、やっぱりここに居た。ノリって案外桜好きだもんね」
祐巳姉ぇのいつも通りの声が聞こえた。
いつも通り。私が突然変なこと言い出したのに、いつも通り。
まぁ、それが祐巳姉ぇらしいって言えばらしいんだけど。
「………」
でも、私は振り返らず、桜の木にもたれかかるようにして顔を隠した。
最悪だ。こんな顔を、祐巳姉ぇに見られたくない。
「どうかしたの?悩み事なら私が聞くよ?」
祐巳姉ぇは親切心から言っているのだろうけど、このことだけはこの人に言いたくない。
言っちゃだめだ。私としては。
ずっと無言でいる私に対して、どう思っているだろうか。
なんて思っていると、祐巳姉ぇがどんどん近づいてくる気配がした。なにをする気なんだこの人は……。
「私はノリのお姉ちゃんだよ?たまには、頼って欲しいんだけどなー」
言いながら、祐巳姉ぇは私の頭を撫でた。子供にするように、優しく。
さて。精神的には落ち着いているつもり。なんてさっき言ったけど。
まだ冷静そうに心の中で語っている感じだけど、私の中の『たが』は、とうに外れたままだった。
それを、今になって感じた。
「…祐巳姉ぇは、なんでもできる」
「え?」
私の呟きに、祐巳姉ぇが反応して撫でる手を止めた。
「唯一、料理はダメだと思ってたけど、瞳子がいう限りじゃ良くなってるから、私にとって祐巳姉ぇは完璧な人なんだ」
祐巳姉ぇからの返事は無い。だから、私は続けた。
「それに、すぐにその手を広げるんだ。瞳子とも、志摩子さんとも、聖さまとも…あの、祥子さまでさえ、
祐巳姉ぇはすぐに仲良くなれるんだ……どんな人でも、祐巳姉ぇは……
それを。それを……不器用で、可愛くない私は、嫉妬してたんだ。と思う」
それは、10分の間に考えた、私の祐巳姉ぇへの評価だった。
前、祐巳姉ぇは言った。『ノリがうらやましい』って。
そんな感情は、私はずっと持っていた。祐巳姉ぇがうらやましい。祐巳姉ぇみたいになりたい。って。
私は、そんな祐巳姉ぇは見たくない。って思った。
嫌だった。完璧でいて、私なんかを目指す祐巳姉ぇは、私の祐巳姉ぇじゃなかったから。
前、瞳子は言った。『どうしてそんなに祐巳さまを悪く言うんですの?』って。
無茶させられた。とか、トラウマが。なんてのは、もちろん嘘じゃない。
けど、その時の私は思っていたんだろう。嫌だったんだ。
可愛げのない私に、見た人は誰でも見とれる、満面の笑みを見せてくる祐巳姉ぇが、嫌だったんだ。
祐巳姉ぇは好きだ。もちろん。
だけど、それだからこそ。私は祐巳姉ぇが嫌いだった。私の理想像すぎたこの人が。
なんてことはない、ただの嫉妬心だ。そのために、瞳子はわざわざ『乃梨子さんと祐巳さまを仲良くしようの会』
なんてものを作ってしまったんだ。お笑いもいいところだ。
「…そんなことないよ。ノリは、むしろその不器用さが可愛いよ」
不器用なのは否定しないのか。なんて思いつつも、私は涙の溜まった目で、祐巳姉ぇを見た。
「でも! っぐ…でも、そのせいで大事な友達のはずの瞳子には愛想尽かされて……うっぐ……
大切なはずの、志摩子さんにも……ひっ……バカだ。私って…もう、ほんとに……」
なにからなにまで、いやになる。
ゴスッ!
……一瞬、本当に何が起こったのかわからなかった。
数秒の後、私は祐巳姉ぇから特大のチョップをおみまいされていることに気付いた。
「な、なにして……」
「バカ!ほんっとに、バカ!!」
そして、祐巳姉ぇは怒っていた。
祐巳姉ぇに怒られるなんて何時以来だろうな。なんて考えてしまった私を、祐巳姉ぇは睨んだ。
「そりゃあ愛想もつきるってものだよ。ノリなにも分かってないじゃない。
不器用で可愛くない。なんて、いったいどんな教育受けたの?」
まぁ、4割は祐巳姉ぇだと思うけど。
「そんな4割は私。みたいな顔するな!だったら、昔の私を殴りに行くよ私は。
ノリが不器用なはずないじゃん。だったらなんであの気難しい瞳子ちゃんとうまく付き合えてるの?
だったらなんであの聖さんにべったりだった志摩子ちゃんの妹になれてるの?
だったら、なんで祥子さんと喧嘩できるような態度がとれるの?」
この人は、どこで見ていたのかわからないけれど、今までの私を見ていたようだった。
瞳子と友達なったのなんか……成り行きにすぎない。そう、成り行きなんだ。
志摩子さんだって……
「可愛くない?だったらなんなの。ノリの周りは、みんな笑ってるでしょ。
山百合会の人達も、菫子さんだって、それに、私だって」
………なんとなく沈黙が流れる。
そんなのは、祐巳姉ぇが思ってるだけのことであって、正しいなんて限らない。
「……じゃあ、完璧なお姉さんから言わせて貰うわ、乃梨子」
私は、名前を呼ばれて、一瞬だけ体をビクリと振るわせた。
そして、ジッと私をみつめる祐巳姉ぇを、チラリとだけ、上目で見た。
「あなたは、私の妹だよ?それがみんなが嫌うような、不器用で可愛くない子なわけないじゃない……ね?乃梨子」
祐巳姉ぇは、今まで見たことない、太陽みたいな笑顔だった。
…………私は、祐巳姉ぇのこういう所が嫌いなんだ。
なんでも知ってるように、なんでも自分が思ってる通りだと思って、自分に絶対の自信がある。そんな祐巳姉ぇが。
だったら、私はどうだろうか。
私は、祐巳姉ぇと自分を比べているだけの、それこそ本当に卑屈な人間なんじゃないのか。
私は、自分に絶対の自信が持てるだろうか。それがどんなことであれ。だ。
……私は、完璧で、可愛くて、かっこいい祐巳姉ぇが嫌いだけど……
小さいときから私の面倒を見てくれて、ちっちゃいドジは日常茶飯事で、表情に考えがすぐに出て、
どんなことででも笑いあえて、私の親友に優しくて、私のお姉さまと仲良しで、私のいる山百合会のみんなとも仲が良くて、
それで、私を本気に怒ってくれる、祐巳姉ぇが好きだ。それだけは、自信がある。
だから私は、なぜだか涙を流しながら、笑ったんだ。
「……うん、そうだよね……お姉ちゃん」
お姉ちゃんは、黙って、笑顔で、私を抱擁してくれた。
数分くらい経っただろうか。私は急に恥ずかしくなって、祐巳姉ぇを弾くように離れた。
祐巳姉ぇは、一瞬キョトンとしたけどすぐにしたり顔で笑った。くそぅ。
「と、瞳子と志摩子さんに謝ってくる」
とっさに、私はこの10数分間思っていた事を言った。すると、祐巳姉ぇは優しい顔になり、
「…そうだね。行った来たほうがいいよ」
と、言ってくれた。だけど、なんとなくその言葉が拍子になって走り出しそうな私の後ろで、祐巳姉ぇは言った。
「まぁ、すぐそこに居るけどね」
「へ?」
祐巳姉ぇの指すほうには、草陰から出てきた瞳子と志摩子さんがいた。
2人とも、どこかばつの悪そうな顔だった。
「ごめんね、乃梨子……」
「お〜ほっほっほっほ!やっぱり瞳子ってば天才女優なんじゃないかしら〜」
ど、どういう事だ!?
祐巳姉ぇの説明によると、私に嫌われてると思った――まぁ、実際嫌っていたけど――祐巳姉ぇは、私がどう思ってるかを
知りたくて、一計を案じたという。そのために、協力者として瞳子と志摩子さんを呼んだらしい。
「……つまり、日曜日の遊びっていうのは」
「そう。計画をね。まぁ、本当に遊んでたんだけどさ」
「薔薇の館で言ったことは本当ですのよ?」
そんな事はどうでもいいんだよ松平。
「でも、志摩子さんはずっと私といたし…」
「志摩子さんは追い討ち係を任命してたからね。ありがとね、志摩子さん」
「ごめんなさいね、乃梨子。不愉快な気持ちにさせちゃったわね?」
いえ、ホントどうでもいいですよ志摩子さん。私はその笑顔が見れれば。
その後、ひたすら謝る志摩子さんや、後日私に奢るって(一方的に)約束させた瞳子と別れ、私と祐巳姉ぇはマリアさまの像の前にいた。
「……祐巳姉ぇ、やっぱり嫌いだ」
「あぁん!ごめんってばノリ〜!冗談、ほんの冗談!ね?」
私にすがるように、猫なで声を出す祐巳姉ぇを無視して、私はマリア様の像に祈りをささげた。
祐巳姉ぇも、急に離れたと思うとどうやら同じように祈りだしたらしい。
「……ノリといつまでも一緒にいられますように」
「そういうのは祈らないでよ…というか、祐巳姉ぇってばもしかして結婚しない気なの?」
なんで今私思ったこと分かってるの!?みたいな顔をするんじゃない。口に出してたからさ。
「結婚しても、ノリの家で暮らすつもりだしね」
「すっごい迷惑だから、やめて」
本気で止めてほしい。切実な願いだ。
「もう…私ちゃんと祈ってくから、祐巳姉ぇ先行っててよ。気が散るから」
「ひっどーいノリ!!」
言いながら、祐巳姉ぇは歩いていく。どっちなんだ。
さて、というわけで、私は1つ祈ることにした。
好きで嫌いな祐巳姉ぇだけど。どっちかというと好きの割合の方が大きいお姉ちゃんだけど。
あの人が私の理想なら、目指してやろうじゃないか。祐巳姉ぇみたいな女に、なってあげようじゃない。ってね。
で、お祈りも終えて歩いていくと、校門で瞳子の取り巻きだった同じクラスの子達をナンパしている祐巳姉ぇが見えるわけで。
しかたなく。本当に仕方なく。私はもしかしたら学園中に聞こえるんじゃないか。って大声で、叫んだ。
「祐巳姉ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええ!!!!人のクラスメイトになにやってんだぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!」
あぁもう。とにかく。私がいえるのは1つ。
ノリに怒られちゃった。でも、これもノリから嫉妬心を引き出すための愛情表現だよ?って言ったら、
どんな顔をするだろうか。驚くといいな。
……ノリがどれだけ私を嫌いでも、それ以上に好きでいてくれたら、私はそれでいい。私が望むのは1つだけ。
「「貴女が幸せでありますように」」
きっと、祐巳姉ぇも/ノリも、同じことを願っていると思う。なんていうのは、姉妹バカってやつなのかな?
【No:1669】の続き?のようなものです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
クリスマス・イブの朝、ビスケット扉を開けると凸が居た。
「なんだ、江利子だけか」
「随分なご挨拶ね。ご・き・げ・ん・よ・う、白薔薇さま」
「はいはい、ごきげんよー」
「心が込もってないわ」
なんだと?よし、みてろよ。
「おお、麗しの黄薔薇さま。そのご尊顔を拝謁できるとは恐悦至極に「誰がそんな薄っぺらな挨拶をしろと言ったのよ」
どうやら江利子はご機嫌ナナメのようだ。
お茶でも淹れてやろう。
「まあまあ、落ち着いて。紅茶でいいよね?」
「茶葉から淹れてよ」
(…この凸)
ティーパックを出しかけていた手をピタリと止め、紅茶の缶を探す。
棚に見覚えの無い物があったので取り出してみると。
『福沢専用』とシールが貼ってある、コンデンスミルクのチューブ(徳用250グラム)だった。
…祐巳ちゃん、お姉さんは君の血糖値が心配だよ。
そういえば、江利子の機嫌が悪いのは疲れているせいかもしれない。
疲れている時には甘い物がいいって言うよね。
祐巳ちゃんは、これを機に甘い物断ちするのもいいかも。
祐巳ちゃんと江利子、二人の体調を考えると、このコンデンスミルクを使わざるをえないだろう。
江利子の紅茶にコンデンスミルクを全部入れると、得体の知れない物が出来上がった。
「はいよ」
江利子にティーカップを渡し、マグカップを持って自分の席に着く。
「…何よ、これ」
「佐藤聖特製紅茶“祐巳ちゃんスペシャル”」
恐る恐る、かつては紅茶だった液体に口を近づける江利子。
相変わらずのチャレンジャーだ。
骨は拾ってやるから、一気に飲め。
「……!!」
江利子は元・紅茶を一口飲むとテーブルに突っ伏した。
やっぱり疲れているようだ。好きなだけ眠らせてやろう。
コーヒーを半分くらい飲むと、江利子が復活した。
「おはよう、江利子」
「…何が、おはようよ」
「じゃあ、ごきげんよう?」
「挨拶の種類を問題にしてるんじゃないわよ!!」
おかしいな、甘い物を補給したのに、まだ機嫌が悪いようだ(棒読み)
「…聖は何を飲んでるのよ」
「これ?インスタントコーヒーのお湯割り」
「口直しに一口飲ませなさい」
「嫌。江利子と間接キスだなんてゴメンだね」
一度は断っても江利子のことだ、しつこくコーヒーを狙うだろう。
飲まれる前に全部飲んでしまえ。
残りのコーヒーを急いで口に含んだ瞬間。
「蓉子とならキスするんでしょ」
…危うく水芸を披露するところだった。
唐突に何を言い出すんだ、この凸は。急激な糖分の摂取で脳味噌がとけたか?
「…なんで蓉子が出てくるのよ」
「いつ告白するの?」
「人の話を聞け」
「三猿(さんえん)って知ってるでしょ」
なんで、こう話題がポンポンとぶんだ。
まあ、江利子だから仕方ないか。
「“見ざる聞かざる言わざる”でしょ。それが何」
「本当の意味とは違うけど、私達も三猿だと思うのよ」
江利子はそう言うと、一本ずつ指を折りながら話す。
「私は“人の話を聞かない、聞かざる”、蓉子は“一つの事に囚われると周囲を見ない、見ざる”、聖は“本当の気持ちを言わない、言わざる”よ」
確かに江利子は人の話を聞かない。自覚してるんなら直せ。
それより私の話だ。
「私の本当の気持ち、って何よ」
「蓉子が好きなんでしょう。どうして告白しないのよ」
「告白なんてしない」
「蓉子を好きなのは否定しないのね」
っ…しまった。
「ああ、好きだよ。親友だからね」
「ほら、“言わざる”」
思わず、むっとして江利子を睨むと、溜め息を吐かれた。
「あんな瞳で見つめていたらバレるに決まっているでしょう。貴女達二人が想い合ってるのに気付いてないのは、祐巳ちゃんと由乃ちゃんと当人どうしよ」
私が蓉子を好きだ、って山百合会の皆にバレてた!?
いや、待て、他に江利子は何て言った!?
「想い合ってる…?」
「そうよ。蓉子も貴女が好きなの」
…信じられない。
「蓉子は私みたいに“こっち側の人間”じゃないのに」
「あのね。蓉子は貴女を好きなだけで、同性を恋愛の対象としているわけじゃないの」
だから、と江利子は続ける。
「このまま何もしないで卒業したら、男に攫われるわよ?」
外部の大学、ましてや法学部に進めば周りは男だらけだろう。
あの魅力的な蓉子の事だから、すぐに彼氏ができて、いずれは結婚して子供を産んで…。
「…聖。聖!」
顔を上げると江利子がぼやけて見えた。
「貴女が私の前で泣くなんてね」
泣く?私が?
頬に触ると確かに濡れていて。
慌ててゴシゴシと擦りかけると、江利子に手を掴まれた。
「そんな風に擦ると、目の下が腫れるわよ」
せっかくの顔が台無しになるわ、と呟きながらハンカチで涙をそっと拭いてくれる。
「泣くくらい好きなんだから、告白すればいいのに」
目を閉じているせいかもしれない。
江利子の問いに素直に答えられる。
「告白して、どうするのよ?」
例え私達が両想いだとしても、おままごとのような恋愛ごっこなどリリアンという箱庭の中でしか通用しない。
進学しても、いずれは実社会にでなければいけない。
同性愛者だと公言しようものなら、世間の好奇と侮蔑の視線に曝されるだろう。
好きなだけでは生活していかれない。
蓉子を幸せにする自信がないんだ。
そう言うと、江利子は呆れたようだった。
「幸せにするなんて傲慢な考えよ」
男女のカップルにだって障害はあるわ。
でも、お互い好きだから、一緒に居たいから、頑張るんじゃないの。
貴女と蓉子が幸せになる努力をするのよ。
「ねえ、聖」
涙の止まらない私に、子供に諭すようにゆっくりと。
一年前の事が無かったら、貴女こんなに悩んだ?
あの頃の貴女は栞さん以外を拒絶していた。
でも今は周囲を見る余裕がある。
『栞さんに会って良かったのよ』
(!?)
『会って良かったって思える未来にすれば、それでいいのよ』
(お姉さま!!)
去年のクリスマス・イブ、お姉さまに言われた言葉。
何故、江利子が知っていたのか、そんなのはどうでもいい。
お姉さまの声が聞こえた、それが大事。
「江利子、ありがとう」
「心は決まった?」
「うん」
「早く言ってあげてね。ずっと蓉子は待ってたんだから」
『待っているからね』
蓉子の声も聞こえた。
ああ、そうだ。
去年の山百合会のクリスマス・パーティーに誘ってくれたのに、行かなかったんだ…。
「江利子」
「何」
「クリスマス・パーティーは派手にやろう」
「面白そうね」
顔を見合わせてニヤリと笑う。
(楽しくやろう、蓉子。去年の分まで)
「泣き虫さん、喉が渇いたでしょ?次は私が淹れてあげるわ」
「お願いしようかな」
涙を見られた私は恥ずかしくて、江利子の顔を見れなかった。
だから見逃したのだ。
悪企みしている凸の顔を。
「おまたせ」
「ありが…?」
目の前に置かれた物体に私は言葉を失った。
「江利子、これ何…?」
「インスタントコーヒーのコンデンスミルク割り」
「こんなもの飲めるかーっ!!」
「あ」
「あ」
M駅前に集まった面々の中に、福沢祐巳がいた。
リリアンの学園祭の後、山百合会関係者一同が、打ち上げのため集まっていたのだが、彼女たちの前に突然現れたのは、祐巳にとってある意味敵である(あった?)西園寺ゆかりだった。
「あら、ゆかりちゃんじゃない。お久しぶりね」
「こ、こんばんわ、祥子さま」
以前とは違い、まるっきり逆の立場であるせいか、ゆかりの表情には若干の動揺が見え隠れしていた。
さもありなん、初めて会った時は少なくとも二人の味方がいたが、今では一人としておらず、しかも周り全員が敵に等しい状態なのだから。
だが、暢気な我等が紅薔薇のつぼみは、過去の諍いなど大して気にしないタイプ。
せっかくだから、赤い……じゃない、ご一緒しません? と半ば強引に誘い、祥子共々両手を取って、無理矢理引っ張って行った。
建物の前で、口を開けたままポカンと見上げるゆかり。
その目には、『焼肉牛太郎』と書かれた看板が光っていた。
「えーと、その、まさか……」
「そのまさかよ。ひょっとしてゆかりちゃんも初めてかしら? 私も初めてなのよ。楽しみだわ」
珍しく感情を隠そうともしない祥子、嬉々として入り口をくぐり抜けた。
予約していた十人掛けの個室に、小笠原祥子と支倉令、藤堂志摩子に島津由乃、二条乃梨子と松平瞳子、細川可南子と福沢祐巳、そして飛び入りゲスト西園寺ゆかりが納まった。
ゆかりは、祥子と祐巳の間に座っている。
扉に一番近い席には令が座り、注文を一手に引き受け、焼肉ルールを教えるって寸法だ。
「ちなみに、初めての人手を上げて」
令の問いに、祥子、志摩子、そしておずおずとゆかりが手を上げた。
「瞳子ちゃんは来たことあるんだ」
「ええ、意外と思われるかもしれませんが、演劇部の皆でたまに食べに行きますのよ」
瞳子の言葉に、祥子とゆかりは眉を顰めた。
「じゃぁ、最初はドリンクから頼もうか。とりあえずはビール……はマズイから、全員ウーロン茶で良いかな。あとは自由にジュースでも頼めばいいから」
とりあえず、メニューを開く一同。
慣れた令は、由乃や自分が好きな皿を頼むし、志摩子は乃梨子に、祥子は瞳子に、ゆかりは祐巳に教えられながら、めいめい好きな肉を注文していく。
次々にやってくる肉を、ジュージュー音を立てながら焼きまくる。
「そろそろ頃合だね。焼肉初心者に行っておくけど……」
「なんなの?」
初心者を代表して祥子が問えば、
「焼肉は……、戦いだから」
『!?』
「気を抜いてると、酷い目に会うよ」
ニヤリと嫌な笑みを浮かべた令に、祥子たちの表情が強張った。
初めは和気藹々と、穏やかな雰囲気で始まったが、由乃が志摩子の肉を奪ってから、急に雰囲気が一変した。
お返しとばかりに志摩子と乃梨子が、由乃から肉を奪ったからさぁ大変。
それからはもう、全員を巻き込んで、凄まじい肉の奪い合いになった。
オタオタしているうちに、あっさりと横から掻っ攫われて行く。
じっくり育ててきた肉も、いつの間にかなくなっている。
リリアンの乙女らしからぬこの狂態は、ハッキリ言って、他人に見せられたものではない。
一人、片隅の肉や野菜をちまちまと食べていたゆかりは、ホンマにこれが真性お嬢様製造機であるリリアンに通う生徒なのかと、始終首を傾げっぱなし。
たまに当たる大きなロースやカルビの味も碌に分からないまま、存在感が薄いのをいいことに、人の皿から肉をこっそり取ってゆく、結構要領の良いゆかりだった。
「あー、美味しかったなぁ。ねぇ祥子」
「ええ、ちょっと我を忘れてしまったけど、なかなか興味深い体験だったわ」
「志摩子さん、燃えすぎ」
「焼肉だけに?」
「瞳子、結構食べてたよね」
「育ち盛りですから」
「その割には全然育ってない……、ゴホン」
「ゆかりさんはどうだった?」
急に祐巳から話を振られ、きょとんとするゆかり。
「え? ええ、美味しかったですわ。あんなに騒々しいものとは知りませんでしたけど」
「あはは、普通はあんなに騒がないけどね」
この店、幸いにも令の両親が親しいので、追い出されるようなことは無かったが、そうでなければとうにお開きになっていたぐらい騒がしかったのだ。
「これでスタミナもついたことだし、明日は休みだし、明後日からはまた頑張って行こう」
令の締めの言葉で、解散することに。
「それじゃ、ゆかりちゃんは私たちが送って行くから」
ゆかりを祥子と瞳子の二人に任せ、それぞれ帰宅していった。
「ふぅ……」
自分でも分かるぐらい大蒜臭い溜息を吐きながら、もそもそと制服を脱ぎだしたゆかり。
想像を絶する体験ではあったが、確かに焼肉は美味かった……かな?
それ以上に、かつてあんな仕打ちをしたと言うのに、そんなこと億尾にも出さなかった祐巳に対し、評価が180度変わりつつあった。
大騒ぎしていたにも関らず、親身になって相手をしてくれた彼女のことを思い出すと、今までの自分がバカらしく思えて仕方がない。
「……」
考えるのも嫌になり、さっさと風呂に入って、ゆかりはベッドに身を横たえた。
朝、着替えようと制服を纏った途端、強烈な匂いがゆかりの鼻を突いた。
そうそれは、おそらく多くの人が体験するはずの、衣服に染み込んだ焼肉の煙の匂い。
「やっぱりあのアマ嫌いだ〜」
叫びながら、慌てて予備の制服を取り出すゆかりだったが、お陰でもう少しで遅刻するところだった。
予想してはいたけれど、初夢には祐巳さまが出てきた。
自宅の瞳子の部屋の窓の外が、どういうわけか祐巳さまの部屋になっているのだ。二人の部屋の間にある、透明ガラスは曇っている。
曇っているのに、自室の隣に祐巳さまの部屋があると確信出来るなんてことはとてもおかしなことだけれど、夢の中の瞳子は納得する。
「夢ですものね」
自分が夢を見ていると理解出来る夢、であるからだ。
結局は夢なのだ、なんでもありである。
くもりガラスを眺めていた瞳子は、やがて重い溜息を吐いて部屋の中に視線を戻した。
ガラスを見上げていても曇りが晴れることはないし、曇りを晴らしたいとはどうしても思えなかった。
水滴を拭き取ってガラスを綺麗にしてしまえば、祐巳さまの部屋を覗くことが出来る。
そこに祐巳さまがおられることは間違いがないのだ。
手を振ったり、窓の向こうからきっと笑いかけてくれる祐巳さまに笑みを返したりも出来るだろう。
でもそれは同時に、瞳子の部屋の中も覗かれてしまうということだ。
耐えられなかった。
部屋が煩雑でみっともないからというわけでは決してないけれど、夢の中の瞳子の部屋を誰かに覗かれることは、想像するだに恐ろしいことだった。
理由は良くわからない。きっと、夢だからだ。
顔を戻した部屋の中には、使い慣れたベッドや机が現実と同じ所定の位置にあった。
本棚には瞳子が今までに買った本がずらりと並んで、その綺麗に整頓された様が、夢の中で落ち着かない瞳子の気をそっと静めてくれる。
いつもは気にもしない、むしろ時には忌々しく思うくらいに整った部屋に救われたのは初めてのことだった。
瞳子は薄く笑う。大切なものは意外に身近にあるものだ、なんて良くいわれる言葉が身に染みる。それもまた、初めてのことだったから。
下ろした髪を肩の前で弄びながら、瞳子は部屋の中をゆっくりと歩き始める。
歩き慣れた部屋だけれど、夢の中の部屋は家具のどれもが微妙に古かったり、あるはずの傷がなかったりと些細な違いがあっておかしくなる。
思い出したように傷の出来た机をそっと撫でて、隣においてある教科書用の本棚に目をやった。
そこには勿論、今使っている高等部の教科書が並んでいた。
現国、数学、化学に英語。もう半年以上も使っている馴染みの教科書達だ。何かが足りない気がしたけれど、そのすぐ下の段に並んでいた別の本に気を取られて瞳子はそれをすぐに忘れてしまった。
すぐ下の段。そこには本当はもう仕舞ってしまったはずの中等部の教科書が並んでいたのである。
英語があって、理科があって。国語もあったけれど、数学はなかった。きっと、その背表紙を瞳子が忘れてしまったからなのだろう。
中等部で使っていた薄いけれど少し大き目の理科参考書をそっと撫でて、瞳子は微笑む。
そして更にその下の段に視線を落とすと、予想通りにそこには初等部で使っていた懐かし過ぎる教科書が立てられていた。
国語。
算数。
社会。
そこにあった教科書はその三冊だけだった。初等部なんて流石にもう記憶の彼方だ、それら三冊を覚えていただけでも瞳子的には驚きである。人の記憶は意外に凄い。
しかし、本棚のその段にあったのは教科書だけではなかった。それ以外にももう二冊、本があった。そのうち、一冊をそっと手に取る。
それは忘れもしない瞳子の地図帳。キラキラ輝く未来や、色鮮やかな世界が描かれる筈だった瞳子だけの白地図帳。
瞳子がその手で”駄目にしてしまった”白地図――の、成れの果てだった。
開けば、砂を食むような地図がそこには広がっていた。
きっと市販の地図を”頑張って真似した”のだろうと予想出来てしまう、非常に稚拙な彩色と書き込みがされた地図。
小学生の地図に違いなかった。
誰がどう見ても、それは小学生の地図だった。
綺麗でなければ、面白みもない。小学生としては上手い方かも知れないが、中学生で描いたとすれば笑いものだっただろう。
でも瞳子は知っている、それを描いた者は決してそんなものが描きたかったわけではないことを。
その地図を描いた小学生は、そんな拙い地図が作りたかったわけではないのだ。
描きたかったのは中学生の地図でも、高校生の地図でも、大人の地図でもなかった。
描きたかったのは完璧な地図。
色は線からはみ出さず、都市の名前は整った文字で綺麗に書き込まれているような地図。
印刷されたような、けれどそれは印刷ではなくあくまでも本人の手による手描きの地図。
それが欲しかった。描き上げたかった。
無理だった、けれど。
出来上がったのはただの小学生の地図だった、けれど。
今でも瞳子は思うことがある。
もう一度あの白地図帳を渡してくれたら、と。
今度はきっと完璧な地図を完成させてみせる。でもそれは、印刷されたように完璧な地図ではなくて。今となっては、そんな地図は機械ではない瞳子に出来ないと判っているから。
だから、観た人がびっくするような地図を描き上げてみよう。カラフルに、鮮やかに、艶やかに。
瞳子は絵が得意だから、大きなオーストラリアの陸地などには何か模様を書き込んでも良いかも知れない。
とてもおかしくて、とても綺麗で、でも、世界で一つだけの地図。
それは完璧な地図だ。完璧に瞳子の地図だ。
「でも本当の私の地図は、こちら」
そう呟いた瞳子は初等部の地図を棚に戻して、その隣に置かれていたもう一冊の本を手に取った。
それもまた地図帳だった。
但し、今度は学校の授業で使うような地図帳ではない。
図書館に置かれているような、或いは本屋の奥のほうに並んでいるような、本物の地図帳だ。
そこには最新の地図が精巧な印刷技術で描かれている。
都市の名前は邪魔にならないように考えつくされた配置で、しかも日本語と英語の両方で載っていた。
主要航路も描かれていて、色分けされた世界は鬱陶しくないくらいにはカラフルだ。
眺めていればそれだけで卓上旅行が可能な、有用かつ綺麗な地図。
一番初めに瞳子が望んだような地図だ。
小学生の瞳子が一番初めに欲しがった地図だ。
そしてそれが、今の、瞳子の、地図だ。
眺めていれば眺めているだけ、その精巧さが鼻につく地図。
地図を持つ瞳子の手が震えた。
怖くなって目を逸らしても何故だか地図は目の前から消えることなく、瞳子は思いっきりに目を閉じる。
その場に座り込んで、顔を覆って。
声を上げなかったのは、夢の中だと判っていても捨て去れなかった最後の矜持だろうか。
瞳子の地図、未来の地図は既に完璧に描かれている。
綺麗に、慎ましくもカラフルに、そして正確に。
出来上がった地図は既に瞳子の手の中、胸の内。
もう、一点一線たりとも継ぎ足したり変更したりすることなんて出来ない完成品だ。
そこに製作者の愛情を感じないほど、瞳子は愚者ではない。
でも、それで満足出来てしまうほど、瞳子は賢者でもなかった。
綺麗な地図が欲しかった。
自分だけの地図、自分が描き上げた地図が欲しかった。
そしてそのための、真っ白な地図が欲しかった。
初等部で駄目にしてしまったような、あんな純朴で誰の手も入っていない地図が。
泣きながら目を開けた瞳子は、いつのまにか一年椿組の自分の席に座っていた。
そして目の前には、何故だかとても懐かしい――乃梨子さんの姿。
「哀しいことがあったの、瞳子?」
そっと伸ばしてきた右手に握られていたハンカチで瞳子の涙を拭って、乃梨子さんは聞いた。
瞳子を覗き込むその表情が心配そうに歪んでいることに胸が痛くなる。
「いいえ、悪い夢を観ただけです。いつのまにか眠ってしまっていましたから」
だから瞳子は嘘を吐く。
乃梨子さんの心配を少しでも拭いたくて、安心させたくて、いつもの可愛げのない瞳子を装って。
でも乃梨子さんは笑ってくれなかった。
それどころか、より眉根を寄せて今にも泣きそうになる。そんな、瞳子の胸をぎゅうぎゅう締め付けてくる顔で言った。
「哀しいことが、あったんだね」
その言葉に、拭ってもらったばかりの目尻から再び涙が零れる。
判っているよ、って。
哀しかったね、って。
言外に伝えてくれる乃梨子さんの手が優しかったから。
次に目を開けた瞳子は、いつのまにか自分の部屋に戻ってきていた。
そして隣には、これは流石に夢以外で有り得ないだろう、細川可南子の姿。
「ここがあなたの部屋? 詰まらない部屋ね」
口を開くや否や可南子さんはそんな雑言を吐く。
瞳子はむっとしたけれど、その言葉が何の意味もない嫌味でしかないことに気がつくと落ち着いた。
単に褒めるということが出来ない人間だから、可南子さんは何でも良いから悪口が言いたかったのだ。
部屋が詰まらないなんて当たり前だ、むしろ面白い部屋を探す方が大変に決まっている。
「それはどうも。けれど、あなたに面白がってもらう為の部屋などではありませんから、当たり前ですわ」
だから瞳子も嫌味を返す。
あなたは世界の中心などではありません。そう言ったのはいつだっただろうか、もう随分と昔の話のように思えてしまった。
小さく笑ってそんな感慨に耽る瞳子を尻目に、可南子さんは再び口を開いた。
「でも良い部屋だわ。こんなに広いなんて、羨ましいわね」
驚いた瞳子が隣を見ると、高い位置にある可南子さんの顔は何だか悔しそうに、でも面白そうに歪んでいた。
瞳子の部屋は瞳子の部屋だが、瞳子が用意した部屋なわけではない。用意したのは両親だ、部屋の間取りも家具の多くも。
それでも、何故だか嬉しかった。
でもそれが可南子さんを羨ましがらせたからか、それとも可南子さんが”良い部屋”だと褒めてくれたからか。
どちらなのかまでは、判らなかったけれど。
続いて目を開けた瞳子は、いつのまにか薔薇の館のサロンにいた。
けれど部屋にはいつものメンバーが揃っていることはなく、座席にはお一人で座っておられる志摩子さまの姿。
「ごめんなさいね、瞳子ちゃん。あの時、相談に乗ってあげられなくて」
殊更申し訳なさそうに目を伏せて、志摩子さまは仰った。
物憂げな表情が絵になるお方だな、と少しやっかむ自分の役者魂に苦笑する。
あの時、と仰るのはクリスマスパーティーの時のことだろうか。
「いいえ、とんでもありません。そのお気持ちだけで十分です」
だから瞳子は首を横に振る。
瞳子と志摩子さま、生まれも育ちも違うのだ。個人的な悩みごとをそのまま当て嵌められる筈もなかった。
それになにより、志摩子さまにはお兄さまがおられる。その違いは余りにも決定的だったから。
「私には何も出来ないけれど、また、お話しましょうね。きっと、また薔薇の館で」
でも、哀しそうにそう微笑まれる志摩子さまはお綺麗で。
心底に瞳子の事を慮ってくれていること、そして瞳子の悩みを聞くことすら出来なかった自分を悔いていることが判る声だった。
乃梨子さんが骨抜きになってしまうのも頷ける、正に”お姉さま”の声だ。
大輪の華を咲かせる白薔薇を前に、瞳子は胸が一杯になる。
そして目を開けた瞳子は、いつのまにかマリアさまのお庭にいた。
いつも変わらぬ優しい微笑を掛けてくださるマリア様の像の前には、仲睦まじげに立っておられる令さまと由乃さまの姿。
「瞳子ちゃん、どうしたの? 元気ないじゃない」
由乃さまがハキハキとした声で仰った。
聞いているだけで元気が出てくるような、張りのある声だ。由乃さまの元気が一杯に詰まっている気がした。
その元気さが、でも、今は辛い。
「そんなことはありませんわ。いつだって瞳子は元気さんですもの」
だから瞳子は軽口を言った。
自分で言っていて気持ちの篭らないセリフだ、役者失格だなとは思ったけれど仕方がない。
由乃さまには何となく、そんな軽口も許されるような気がしたから。
でもその隣の方には通じなかったようで。
「またそんなことを言って。駄目だよ、ちゃんと言ってくれないと私達にはわからないんだから」
仰って、めっ、と窘めるように顔を顰める令さまと。
合わせるように慌てて眉を寄せる由乃さまのユニゾンがなんだか可笑しくて瞳子は笑った。
怒られているのに笑い出した瞳子に、由乃さまが「こらっ」って仰りつつも笑われる。
先輩お二人の暖かい空気が胸に染みた。笑いながらも泣きたくなる、くらいに。
更に目を開けた瞳子は、いつのまにか祥子お姉さまの部屋にいた。
正面には勿論、いつも麗しい、優しくも厳しい祥子お姉さまの姿。
「馬鹿ね、瞳子ちゃん」
小さく笑って、祥子さまは仰った。
シンプルで辛辣な言葉だけど、でもそれは一杯のいたわりに満ちた「馬鹿」だった。
祥子さまはなんだってご存知だから、今だって勿論瞳子の悩みをご存知だ。
「酷いですわ、祥子お姉さま。瞳子は真剣に悩んでいますのに」
だから瞳子は唇を尖らせる。
祥子さまに甘える時の常套手段、最近はご無沙汰だった”可愛らしい妹のような瞳子ちゃん”の面目躍如だ。
可愛らしく振舞っても、振舞わなくても、祥子さまは変わらず可愛がって下さるけれど、このあたりは気分の問題。
瞳子は元々、こういうキャラクターが好きなのだ。
「悩むことなんてないわ。瞳子ちゃんに出来ること、すべきこと、本当は判っている筈でしょう?」
祥子さまは小さく被りを振って仰った。
それは決して大きな声ではないけれど、揺るぎない自信に裏打ちされた断言。
恐るべき説得力を持ったお言葉だった、流石は瞳子の祥子お姉さま。
瞳子は素直に嬉しくなった。
最後に目を開けた瞳子は、真っ白な世界にいた。
床も天井も壁もない。
真っ白で、途方もなく広くて、とてつもなく無垢な世界。
そこにはただ一人、祐巳さまがいた。
「瞳子ちゃん」
困ったように眉を寄せて、祐巳さまはただ瞳子の名前を呼んだ。
「はい」、と答えそうになった自分を押し止める。
幾ら夢の中とはいえ言葉を返す資格は無いと思った、それに。
答えてしまったら、その場で泣き崩れてしまいそうだったから。
言葉を返さない瞳子に小さく息を吐いて、祐巳さまは仰り始めた。
「ねえ、瞳子ちゃん。あの時、地図の話してくれたよね。白地図の話。あれから私、一所懸命考えたんだ、聞いてくれないかな」
瞳子は頷くことも、首を横に振ることもしない。
ただ、見慣れたその愛くるしいお顔が少しずつ真剣になっていくのを眺めるだけだった。
「一度色塗ってしまった地図は、もう戻らない。そうだよね、初等部で塗ってしまった地図をもう一度白地図にすることは出来ないんだ。だって、それにはもう未来を描く余白がないから」
祐巳さまの仰る白地図。未来を描く地図。
それは真っ白だからそう在れるのであって、誰か、例えば瞳子自身の手によってでも点一点、線一線を書き込んだだけでそれはもう未来の白地図で在れなくなってしまう。
白地図は白地図だからこそ未来を描けるのだ。そして描いた瞬間にそれは未来でなくなる。哀しくも矛盾した、でも事実だと瞳子は思った。
「だからね、瞳子ちゃん」
祐巳さまはそうして、いつの間にか手に持たれていた一枚の紙を胸の前に出された。
真っ白な紙だった。
辺りの白さに溶けてしまいそうな純白で、でもはっきりとそこに紙があるとわかる不思議な白紙。
差し出された祐巳さまの手から無意識に受け取る。
それは真っ白な紙だった。間違いなく、何の変哲もなく、ただ白いだけの紙だった。
「これをあげる。これは瞳子ちゃんの地図だよ」
そして、そんな言葉に瞳子の顔が曇る。
こんな真っ白なだけの紙が地図だなんて、今時幼稚舎の子供だって納得はしないだろう。そう思ったから。
でも。
「この地図にはまだ何も描かれていないんだ。国や陸の輪郭だってない。だから好きに描いて良いんだよ、瞳子ちゃんの思うように」
祐巳さまのその言葉にはほんの少しの希望が乗っていた。それはもう一度、世界を創造する権利を貰えるのかも知れないという希望。
けれどそしてそれを遥かに凌駕する恐怖も、また乗っていた。
それは今、もし、本当に白地図が渡されたとして。未来を好きに描くことが出来る白地図が実際に手渡されたとしても。
地図を再び駄目にしてしまう、なんてことはないだろうか。いいや、本当はきっとそっちの可能性の方が高いのではないだろうか。
そんな恐怖だった。
そんな、足が震えてくるほどの圧倒的な恐怖だった。
「失敗しても構わないよ」
そんな瞳子の葛藤を知るように祐巳さまは絶妙のタイミングで仰った。
真っ白な紙、いや、白地図を前に怖気づく瞳子を安心させようと、祐巳さまは「良いんだよ」と前置きして続けられる。
「その時はまた新しい地図をあげる。白地図はいつだってどこにだってあるんだから、気にしなくて良いよ。失敗したら描き直せば良いんだ。それは大変なことかも知れないけれど、でも、自分の手で地図を描くってそういうことだもん。瞳子ちゃんだって知っているよね、初等部の時に一度描いたんだから」
そうだ。
瞳子は一度白地図を前にして、それを駄目にしてしまったことがある。
思い描いた世界とは似ても似つかない世界を載せてしまったことがある。
だから瞳子はまたそうしてしまうかも知れない。白地図を駄目にして、何の魅力もない世界だけを描いてしまうかも知れない。
でも祐巳さまは仰った。その時は描き直せば良い、と。
なんて魅力的な言葉なんだろう。
それが本当なら瞳子は何度だって白地図に取り掛かってやる。
失敗しても、納得のいく出来に仕上げることが出来なくても、何度だって描き直してみせる。
繰り返しても繰り返しても、きっと頭の中で想像するような完璧な瞳子の地図には出来ないだろうけれど、仕上げる度に描き直してしまえば良いのだ。
瞳子は渡された白地図を抱き締めた。
薄っぺらい、今は何の魅力もない、でもとてもとても尊い未来の白地図を。
祐巳さまから手渡された、たった一枚の紙切れを――まるで、掛け替えのない宝物のように。
〜〜〜
瞳子はそこで目を覚ました。
祐巳さまから白地図を貰って、お礼の言葉どころか何の言葉も発することも出来ないまま途切れた夢から、停滞した空気が部屋を占める現実の世界へ回帰した。
そっと目の下に手をやる。伸ばした指にはひやりと冷たい水の感触、瞳子は泣いていた。
部屋の暖房が誤魔化す冬の冷気は瞳子にまだまだベッドの中で休んでいる事を勧めてきていたけれど、敢えて体を起こした。
体温で温もった毛布から出ると、薄着の肌にひやりと冷たい空気が纏わりつく。急激に目が覚めた。
「随分と、小賢しい祐巳さまでしたこと」
瞳子はそうして吐き捨てる。
それは学校の先輩である祐巳さまを容赦なく罵倒する言葉、だが、実際のところその棘は全て完璧に瞳子自身へ向いていた。
何故なら、あの夢は瞳子の夢であるから。瞳子の中で生まれ、瞳子の中で滅するだけの狭窄な妄想に過ぎないから。
このところ邪険に扱っている乃梨子さんには、無言のうちに許されて、理解されて。
同様に扱っている可南子さんには、決して両親が悪なだけではないとフォローをされて。
ちらと相談を持ちかけた志摩子さまには、薔薇の館に誘われて。
今では殆ど接点のない由乃さまと令さまには、怒ってもらって。
祥子さまには、現実でもそう仰るだろう説得力と共に助言をされて。
祐巳さまには。
祐巳さまには、新しい白地図を手渡されて。
あくまでも夢の中の出来事とはいえ、何て都合の良い、自分勝手な考えだろう。
乃梨子さん達の人格を全否定したようなものだ、妄想という言葉以外に何が当て嵌まるだろうか。
あなたは世界の中心などではありません。
それは誰の言葉で、誰に向けた言葉だったか。瞳子はぎりと歯軋りした。
「馬鹿馬鹿、しい。本当に。本当に――っ」
首を振り振り、繰り返した瞳子の目にでも、信じられないものが飛び込んできた。
それは机の上に置かれていた一枚の紙。
真っ白な紙だった。そう、夢の中で祐巳さまに貰ったあの白地図を髣髴とさせるような白紙。
たかだか一枚の紙切れをそんな夢と都合よく結びつけることこそ馬鹿馬鹿しい、と思いながらも高鳴る胸を抑えられない。
瞳子は視線を彷徨わせながら、髪を指に巻きつけて放す、ということを三度繰り返した。
その際一瞬視界に入った窓ガラスが、瞳子にあの夢のガラスを思い出させる。
祐巳さまが確かに向こう側で待っていたあのガラス。思い出したガラスの曇りは、何故だか少し薄くなっていた。
そして、ゆっくりと机に向かって歩き出す。
そこに置かれている白地図を手に取る為に、真っ白な未来に自分の夢を描くために。
もしくは、再び胸に抱いてあの真っ白な世界での出来事を思い出すために。
瞳子はゆっくりと歩む。
その一歩一歩が未来を刻むようにゆっくり、しっかり。
やがて机の前にまで辿り着いた瞳子は、その白紙を手に取った。
正確には、それは白紙などではなかった。
当然、白地図などではなかった。
ただの、終業式の日に渡された学校のプリントだった。
瞳子が昨晩、何の脈絡もなく新学期のことを少し考え、その流れで始業式の日に必要な道具の確認をした、その名残。
その時、どうして裏返したのかは今の瞳子には判らない。
本当の意味でただの紙切れだ。
笑えた。
大いに嗤えた。
昨日の自分に、そしてうろたえた今日の自分に、心の底から。
だから一頻り嘲笑った瞳子は。
「――下らない」
そんな一言と共に、未来の白地図(学校のプリント)を真っ二つに引き裂いてしまった。
くもりガラスの向こう側は、もう、見えない。
※このSSは、新刊「仮面のアクトレス」のネタバレを含みます。
生徒会役員選挙を数日後に控えたある日、2年松組の教室に、細川可南子が訪ねてきた。
「 可南子ちゃん? 」
突然の来訪に驚きつつも、祐巳はいそいそと扉へと歩み寄った。
「 ごきげんよう。何か用かな? 」
「 ごきげんよう祐巳さま。ちょっと由乃さまに用があって・・・ 」
「 由乃さんに? 」
何だろう?可南子ちゃんが由乃さんに用だなんて珍しいかも…などと祐巳が考えていると、すかさず可南子に「確かに私が由乃さまに用事があるだなんて珍しいですよね」と突っ込まれた。いつもながら全てを語る便利な百面相だ。
「 ごきげんよう可南子ちゃん。首尾はどお? 」
いつのまにか祐巳の背後に立っていた由乃が、可南子に問いかける。
「 ごきげんよう由乃さま。準備は整っています 」
そう言いながら、何かトランシーバーのようなモノを見せる可南子。
「 ただ、久しぶりなので上手く作動するか… 」
「 そう。まあ、実際試してみれば解ることよ 」
そう言うと、由乃は可南子からトランシーバーのようなモノを受け取った。
「 由乃さん、それ何? 」
そんな問いかけに、ふたりは祐巳へと向き直る。
「 コレが何か説明する前に、まずは何故可南子ちゃんがここにいるのかを教えるわ 」
由乃はぴっと親指を立て自分を指し示すと、ニヤリと男らしい笑顔で宣言した。
「 私達は、『山百合少女探偵団』を結成したのよ! 」
「 ・・・・・・・ふ〜ん 」
「 リアクション薄っ! 」
ものすごくどーでも良さそうな祐巳の反応に、大げさに驚く由乃。
「 ちょっと祐巳さん! せっかく祐巳さんのために結成したんだから、もう少し興味持ちなさいよ! 」
「 いや、急にそんなこと言われても・・・・・・・・・・・・って、私のため?! 」
「 そうよ! 」
由乃は腰に手をあて、やけに偉そうに宣言する。どうやらこの直進しか知らない超特急は、今日も順調に暴走を始めているらしい。乗客の命なぞお構いなしに。
勢いに乗った由乃は、可南子を指差して叫ぶ。
「“あの”可南子ちゃんが、わざわざ休み時間削ってまで動くって言ったら、祐巳さん絡みしか無いでしょうが! 」
「 ・・・・・・由乃さま。“あの”可南子とはどういう意味ですか? 」
ゆらりと怖い顔で由乃に詰め寄る可南子だったが、由乃の「あの“祐巳さんのストーカーで、他人にはまるで興味が無かった社会不適合者な”可南子ちゃんて意味よ!」という直球でストライクで危険球なセリフに撃沈されてしまった。
「 か、可南子ちゃん! もう気にしてないから! 」
慌ててフォローに入る祐巳。だが、可南子は廊下の壁にのの字を書きながら「良いんです・・・ どうせ私は・・・ 」と、鬱に入ってしまった。
「 それで、何で私達が山百合少女探偵団を結成したかって言うと・・・ 」
「 ・・・・・・由乃さん。ほんの少しで良いから、周りに気を使うってことを覚えようよ 」
可南子を撃墜したままほったらかしな由乃に、さすがに注意をする祐巳だったが・・・
「 ある疑問を解決するために、協力者が必要だったからよ! 」
豪快にスルーされた。
祐巳はなんだか、可南子と一緒に壁にのの字を書き始めたくなった。
「 ちょっと祐巳さん、聞いてる? 」
「 聞いてる。・・・で、疑問て何? 」
祐巳は「聞いてないのはオマエだ」というセリフをぐっと飲み込み、半ばヤケになりながら由乃に話の続きを促す。
どうせこっちが聞きたくないって言っても無理矢理にでも聞かせる気なんだろうし。
「 松平瞳子についての疑問よ 」
その言葉を聞いた瞬間、祐巳の表情が苦しげにゆがんだ。
「 由乃さん、瞳子ちゃんのことは・・・ 」
祐巳がそう言うと、由乃は祐巳を教室の扉から少し離れたところへと連れていった。
どうやら、クラスメイト達(主に7:3とメガネ)に聞かせたくない話らしい。
「 祐巳さん聞いて。私だって最初は様子を見ようと思ったし、こんなことはお節介だって判ってる。でもね?私なりに考えてみたら、ある可能性に気付いたの 」
「 可能性? 」
「 松平瞳子は焦っている可能性 」
「 焦ってる? 」
祐巳は由乃の言っている意味が判らず、首をかしげた。
「 話をむし返して悪いけど、“何故今じゃなければいけないのか”ってことよ 」
「 それは・・・ 」
それは、考えても判らないこと。
瞳子の胸の中にしか正解が無いこと。
祐巳はそう言おうとしたが、由乃はこんなことを言い出した。
「 思うに、松平瞳子には残された時間が少ない 」
「 時間? 」
「 このリリアンに居られる時間よ 」
「 え? 」
祐巳は、由乃の言っている意味が理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
「 何故今なのか。何故1年生の身で現役の薔薇さまを含む2年生に闘いを挑まなければならなかったのか。・・・つまり、どうしても薔薇さまになりたいのなら、何故あと1年待って、2年生同士の対決となる時を・・・ 少しでも選挙を有利に進められる時期、“来年”を待てなかったのか 」
祐巳は、由乃の話の続きを聞くのが急に怖くなった。由乃の話を聞いているうちに、気付いてしまったのだ。
つまり・・・
「 つまり・・・ 松平瞳子には、その“来年”が無い可能性がある 」
「 そんなこと・・・ 」
「 無いって言い切れる? 」
「 ・・・・・・・・・ 」
祐巳は由乃の仮説を否定できなかった。
そして、由乃の仮説は、あのクリスマスイヴの日の記憶すらも、強制的に祐巳に思い出させていた。
瞳子は祐巳の妹になりたくないのではなく、妹になり祐巳と過ごす時間が残されていなかったのではないのか?
だからこそ、祐巳の申し出を断ったのではないのか。そして、何も知らずに瞳子を妹にしようとした祐巳に、怒りすら感じたのではないのか。
“今更妹にされても、もう遅い”から。
由乃の仮説を基に、自らの胸のうちに湧き上がった更なる仮説を、祐巳は否定できなかった。いきなり突きつけられた、瞳子と過ごす時間の“タイムリミット”に、目の前が真っ白になる。
「 ちょっと祐巳さん、しっかりしなさい! 」
由乃の言葉にも、祐巳は反応できずにうつむいている。
反応の無い祐巳に、由乃はあえて静かに問いかける。
「 このまま瞳子ちゃんが居なくなっても良いの? 」
「 !! 」
祐巳は弾かれたように顔を上げた。
そんなことは、耐えられなかったから。
「 もう一度言うわ。お節介だってのは判ってる。でも、このままで良いの? これはあくまで私の仮説だけど、このまま瞳子ちゃんがリリアンから去ってしまうかも知れないのよ? 」
祐巳は、無言で首を横に振る。
「 私は・・・ 私達は祐巳さんに、最後かも知れないチャンスをあげたいの。瞳子ちゃんと和解できるチャンスを 」
「 由乃さん・・・ 」
祐巳は、由乃のセリフに感動して、少し涙が出そうだった。
なかなか前に進むとこのできないノロマな自分の手を引いて、無理矢理にでも前へ進ませようとしてくれる友人の心意気に。
お節介と判っていても、あえて汚れ役を買って出ようとする友人の心意気に。
「 だから、少しでも瞳子ちゃんの情報を集めるために、彼女のセーラー服に盗聴器を仕掛けてみたの 」
「 ・・・由乃さん? 」
なにやら不穏な単語が飛び出してきた。
「 別に、松平瞳子の弱みを握ろうとか、あわよくば祐巳さんに対して優位に立とうなんて、少しも思ってないのよ? 」
感動して損した。
祐巳は素直にそう思った。
普通なら正直は美徳だが、ここまで正直だと馬鹿にされているとしか思えない。
少しはタテマエというモノを知らないのだろうか? この暴走超特急は。
「 選挙の準備もひと段落して、あまりにもヒマ・・・ いえ、祐巳さんのことが心配だったから、可南子ちゃんを脅迫・・・いえ、協力をお願いして、この子のストーキング・・・ いえ、特技を生かして山百合少女探偵団の結成と相成った訳よ 」
今まできっぱり無視していた可南子を廊下の壁際から引っ張ってきて、そんなふうに探偵団結成の様子を語る由乃。
どうやら少しはタテマエというモノも知っているようだ。
本当に少しだし、無いほうがよほどマシな代物だったけれども。
「 そんな訳で、コイツの出番なのよ 」
由乃は先ほど可南子から受け取ったトランシーバーのようなモノを振りかざす。
由乃のセリフから推測すると、どうやらこれは盗聴器の受信機らしい。
「 上手く作動すれば良いのですが・・・ 」
やっと由乃から受けたダメージから回復したらしい可南子が呟く。
「 感度はどのくらい? 」
「 以前、ゆ・・・ とある場所に仕掛けた時には半径500m以内ならクリアな音質でした 」
「 いま何か“ゆ”って言いかけなかった?! 」
祐巳が慌てて問いかけるが、可南子も由乃も無表情にスルーした。
「 それなら十分でしょ 」
「 ねえ可南子ちゃん、今“ゆ”って・・・ 」
「 ええ、恐らくクリアな音質で聞こえるかと 」
「 私の名前は福沢“ゆ”巳なんだけど、無関係じゃないよね? 」
「 じゃあ、さっそく聞いてみましょうか 」
「 ふたりとも人の話聞こうよ! 」
祐巳の話を聞こうとしないふたりは、受信機のスイッチを入れた。 しかし、受信機からは、ザザっというノイズしか聞こえてこない。
可南子は何やらダイヤルを回して微調整を始めた。すると・・・
『 ・・・・・・・祐巳さま・・・・・嫌い・・・ 』
突然、受信機から飛び出したノイズ混じりのそんなセリフに、3人は思わず固まる。
『 祐巳さまには・・・・・・美貌や・・・知性や貫禄はない・・・・・・・・・これからも・・・期待できない・・・・・・・・・・・・・・・・・私・・・そう・・・・・・・思う・・・ 』
あきらかに祐巳に対する批判にしか聞こえないソレに、祐巳は激しく落ち込んだ。
「 ちょっと可南子ちゃん、これ松平瞳子なの? 」
「 いえ・・・ 瞳子さんの声とは違うようですが・・・ 」
ヒソヒソとささやき合う二人の前で、祐巳の顔色はどんどん青くなってゆく。
「 祐巳さん・・・ 」
由乃もさすがに祐巳をフォローしようとするが・・・
「 今更そんな判りきったこと気にしちゃダメよ! 」
「 ・・・・・・・・・判りきったことなんだ 」
全くフォローになっていない由乃のセリフに、祐巳は力無く突っ込む。
「 嘘でも良いからせめて否定しましょうよ・・・ 」
「 否定・・・ 嘘なんだ 」
可南子までがフォローになってないフォローを由乃にして、祐巳に追い討ちを掛けた。
祐巳は一瞬、ふたりに何か言いかけたが、砂漠にジョウロで水をまくような無力感に包まれて、再び口を閉ざした。
その間にも、受信機からは声が聞こえてくる。
『 祐巳さま・・・・・・・・・・立候補するなんてどうかしている・・・自分・・・が優れているとでも思っているの? 』
どう聞いても冷たい口調の祐巳批判であるソレに、かすかに震えている祐巳。
そんな祐巳を見て、さすがに由乃と可南子も「これはマズい」という顔になった。
( どうすんのよ、この状況 )
( 私に言われても・・・ )
( 何よ! 私のせいだって言うの?! )
( 少なくとも、盗聴器を仕掛けようと言い出したのは貴方です )
( くっ!・・・ )
一瞬のうちにアイコンタクトでそんな会話を成立させたふたりに、祐巳がぎこちない笑顔を見せた。
「 もうよそうよ・・・ こんな盗み聞きみたいなこと。瞳子ちゃんのことは、私自身で何とかするから・・・ 」
祐巳は受信機から聞こえてくる言葉に耐え切れなくなったらしく、そっと可南子から受信機を取り上げてそう言った。
「 そ、そうね 」
「 判りました 」
祐巳がぎこちない笑顔で言う言葉に、ふたりとも素直にうなずくしか無かった。
「 じゃあ、山百合少女探偵団は解散ということで・・・ 」
由乃が「あ〜あ、せっかく面白そうなネタだったのに・・・」という表情を隠しもせずそう言いかけると、突然「ばきょっ!!」という音が響き渡った。
何事かと思い、由乃が音の出所を探すと、何と祐巳の手の中で受信機の砕け散った音だった。
『 ひいっ! 』
思わず抱き合いながら悲鳴を上げる由乃と可南子。
「 ・・・・・・解散ですって? 」
祐巳が笑顔のまま由乃に問いかける。
「 え、ええ・・・ 」
由乃が何とか答えると、祐巳はヒクヒクと笑顔を引きつらせながら言った。
「 その前にやることがあるでしょう? 」
「 い・・・いったい何を? 」
異様な迫力を見せる祐巳の笑顔に、由乃は恐る恐る問い返す。
「 可南子ちゃん 」
「 は、はいっ!! 」
「 今、私について色々言ってくれた人物を特定して。放課後までに 」
「 あ、あの・・・ 特定して何をする気ですか? 」
「 “何を”ですって? 」
可南子の問いに、ますます笑顔が引きつる祐巳。口元がピクピクと引きつっている。
どうやらぎこちない笑顔で隠していたのは、悲しさではなく怒りだったようだ。
「 私が何をするか聞きたい? 」
「 き・き・き・聞きたくありません! 」
何故か敬礼しながら答える可南子。横にいた由乃も真っ青な顔色になっている。
ふたりとも、さっきまでの祐巳をダシにして楽しんでいた姿が嘘のようだ。
「 由乃さん? 」
「 な・な・何かしら? 」
カクカクと震える膝を自覚しながら由乃が問い返すと、
「 ついでだから、全学年で今の山百合会に不満がありそうな・・・ ぶっちゃけ瞳子ちゃんに投票しそうな人物をリストアップして。放課後までに 」
「 む、無理よ! そんな短期間で・・・ 」
さすがに無茶な要求に由乃が反論するが、祐巳は相変わらず笑顔のまま由乃の肩にポンと手を置くと、由乃の目を見ながら一言だけ言った。
「 がんばれ 」
と。
「 ・・・・・・・・・・・・・がんばります 」
祐巳の目が全く笑っていない事実に気付かされ、反論する気力を根こそぎ奪われた由乃は、ただ素直にうなずくことしかできなかった。
祐巳の中で眠る“何か”を目覚めさせてしまったことを、由乃と可南子は死ぬほど後悔していたが、もはや後の祭りである。
こうして、暇つぶしで結成されたはずの山百合少女探偵団は、最初で最後の活動に突入したのだった。
文字通り、命がけで。
ちなみにこの後、1年椿組でひとりの行方不明者が出た。
投票日直前にひょっこり帰ってきた彼女に、椿組のほぼ全員が事情を聞こうと群がったところ、行方不明中の記憶は無いらしいのだが、“祐巳さま命”な部分だけが破滅的に悪化していたそうである。
色んな意味で怖かったので、誰もそれ以上は突っ込まなかったそうな。
「瞳子ちゃん、がちゃS一周年記念イベント、『聖夜のjoker杯争奪 Best of がちゃSらー』中間報告なのよー」
「ちょーっと待ってください、祐巳さま。最初は6月30日発表って言ってらっしゃいませんでした?」
「うぐ、まあ細かいことは気にせずに」
「そのあと、7月6日の仮面のアクトレスネタバレ解禁日に発表するって言っておいて、集計データをなんと社有のノートパソコンに入れたまま仕事先に忘れるという、大危機」
「あれはまずかったわねー。『を』なフォルダーを覗かれていたらアウトだったわ」
「結局ノート取り戻して、原稿書くのは三連休までかかってしまったのですわね」
「うー、ごめんなさい」
「さて、本題です。祐巳さま、どうぞ」
「今回の集計対象は、去年のjoker杯対象以後。No.996『orz今日のドリティック・』六月さま 2005-12-26 〜 No.1648 『約束の時が近づく身を焦がす未練さよならだけが人生』ROM人さま、まででーす、ってげー。あの悪ノリで締めなのね。」
「まあ、なんてがちゃSらしいんでしょう。おほほほほほほ。削除されたものを除いて573本でーす。」
「あれ? 去年の6月のスタートからクリスマスまでが千本近いのに、この半年は600本いかないの? 少し投稿数が減ってきているのかしら。」
「そんなことありませんわ。月ごとの投稿数にばらつきがあるのは、お仕事が忙しかったり、試験があったりするころには投稿がすくないだけだと思いますわよ」
1月 52本
2月 118本
3月 82本
4月 87本
5月が一気に137本
6月が29日まで84本
「減ってないわね」
「減ってませんでしょう?」
「それではこの半年の投稿数ベスト〜(敬称略)」
1位 69本 翠(投さま名義と合算)
2位 47本 朝生行幸
3位 37本 まつのめ
4位 33本 クゥ〜
5位 29本 六月
6位 24本 良
7位 20本 Y.
20本 風
9位 16本 いぬいぬ
16本 雪国カノ
「2月に驚異のハイペースで登場した投さまこと翠さまが投稿数一位でーす」
「うっわー、世代交代?」
「柊さま、冬馬美好さま、萌えのますだのぶあつさま、琴吹さま、jokerさま、くまも、去年の聖夜の入賞者が半分以上消えてしまいましたわ」
「それでも、がちゃSがこれだけ盛り上がっているのは、どんどん新しい人が入ってくるからなのね」
「それでは、まず、ベスト作品から発表」
「じゃーん」
●ベストオブ『笑』
笑い275票 【No:1404】 『人目を引くディープインパクトスーパーヒロインズ』 いぬいぬ
「うっわー、笑いはもう、いぬいぬさまに勝てる人はいないのでしょうか、なんとベスト5作品を独占していますのよ」
●ベストオブ『萌』
萌え181票 【No:1478】 『白薔薇もう我慢しない』 いぬいぬ
「『笑』の帝王 邪神いぬいぬさまが、初めてなすびを振り捨てたとらちゃんシリーズで、萌えも制覇か?」
「なすびってなんですの?」
「連作が効かないんですって」
●ベストオブ『感動』
感動186票 【No:1362】 『二人でなら生きられる君と2人でいる時間ただ声を聞いていたい』 若杉奈留美
「来ましたねえ。後に世話薔薇さまになってしまうとは思えない、一年生の佐伯ちあきちゃんが瞳子ちゃんの妹になるエピソード」
「うーん、ずいぶん未来の話ですわ」
●ベスト作品中間はっぴょー
総得票なんと、400票
【No:1478】 『白薔薇もう我慢しない』 いぬいぬ
「400票だよ。すっごーーい。やっぱり、とらちゃん、もう一回出してほしいなー」
「祐巳さま祐巳さま、ちょっと見てください、『萌え』がいぬいぬさまのワンツーで3位が若杉さま」
「うん」
「『笑い』がいぬいぬさま5位まで独占、6位が柊さま、そして7位から12位まで若杉さま」
「うわ」
「『感動』が、一位が若杉さま、二位がいぬいぬさま」
「わお」
「そして、総得票がいぬいぬさまがベストスリーを独占していますけど、その次に若杉さまがぴったりとつけているのですわ」
「おー、これは、『笑いの帝王 邪神いぬいぬ』対 『Gの女神 若杉奈留美』の一騎打ちになるのか? 半年間の集計発表は、次の投稿だよ」
「ひっぱりますね、祐巳さま」
始めに気づいたのは瞳子ちゃんだった。
唐突に立ち止まった瞳子ちゃんをに気づいて、乃梨子ちゃんと可南子ちゃんが。
「どうしたの?」
止まった三人をいぶかしんで私は声をかける。
驚いた顔で手で口をふさいでいる瞳子ちゃんは可愛いな、と思いつつ。
そうっと、瞳子ちゃんの肩に手をかける。
・・・何時もならここで大慌てで反応してくれるんだけどなぁ・・・
その声で気がついた前を歩いている志摩子さんと由乃さんが振り返り、驚いた顔で立ち止まる。
由乃さんが口をパクパクさせて私を指差したり、その指を車道を挟んだ反対側の歩道を指差したりしてる。
如何でもいいけど、人指差しちゃいけないって言われなかった?
なんて思いつつ。
私もその指の先を見てみる。
「・・・ええええぇぇぇぇええっ?」
「祐巳様、声大きすぎですわ!」
瞳子ちゃんが注意してくるけど、そんな事にかまっていられない。
「え? え? え?」
対岸に居る人物を指差して。
自分を指差して。
周りの人が何事かと振り返る事も気にならないほど驚いて。
「な、なんでぇ!?」
対岸には、色素が薄めで、光加減によっては茶色に見える髪をツインテールに縛っている子狸顔の少女が・・・つまりは。
鏡かと見紛うほど、私とそっくりの娘が歩いていた。
その数秒後。
騒ぎに気づいてこっちを見、ほんの少し驚いた顔でこっちに手を振ってきてくれたのは・・・
まぁ、別の話。
後書き
でたタイトルが悪いんです・・・
って言うか、短いなぁ
※この記事は削除されました。
調子に乗ってイニGシリーズ、第3弾。
【No:1675】→【No:1691】→今作。
「…やられたわね」
「やられましたね」
「人間ども…思ったより手ごわいわね」
「すでに犠牲者は140匹を越えています!」
「次なる手が必要かしら」
「必要ですね…それも、人間たちの度肝を抜くような対策が…」
何やら冷蔵庫の下で密談する声。
しかしその2匹は、その場所が佐伯家の冷蔵庫の下だということを、
すっかり忘れていた…。
「暑い〜」
「あちゅい〜」
ちあきの母親、佳代子と妹、はるかは同時に声を発した。
2人ともこの暑さで動く気力を奪われたのか、朝からぐったりとリビングの床に横たわっている。
「暑いのは私だっておんなじよ。さあ、お掃除するから向こうへ行って」
ちあきは掃除機を手に2人を促した。
「しかたないわね…はるか、向こうで遊ぼうか」
「うん」
うなずいてよちよちと歩いてゆくはるかを止める声ひとつ。
「はるか、ストップ!」
「な〜に?」
ちあきははるかを捕まえたまま、リビングの奥に目をやった。
そこに見えるのは、おもちゃの電話と絵本。
傍らにはピンクのおもちゃ箱がある。
「遊んだらあの箱に『ないない』しなさいって、いつも言ってるでしょ?
あそこに置きっぱなしにしたら捨てちゃうからね」
しゃがみこんで、目を見て伝える。
これがちあき流。
大好きなお姉ちゃんに怒られるのも、おもちゃを捨てられるのも嫌なはるかは、おもちゃ箱まで歩いていくと、
そこにあったおもちゃと絵本を箱の中に入れた。
「はい、おりこうさん」
すべてを見届けたちあきは一転して柔らかい微笑みをたたえ、はるかの頭をそっとなでた。
「ほら、お母さんのとこいっといで」
「おかあしゃ〜ん」
やれやれ、と1つ息をついて、ちあきはリビングの掃除をし始めた。
(家事が苦手な母親に、小さいとはいえ散らかし魔な妹。
父さんは忙しい人だし、これで私がいなくなったらこの家はどうなるのか…)
修学旅行から帰ってきたときも、妙に両親の態度がよそよそしい。
不審に思って問い詰めると、母親はあっさりと白状した。
「ごめんちあき…洗濯物もお皿も、全部ほったらかしなのよ…」
台所の奥の方で今にも崩れ落ちそうな食器の山。
洗濯カゴには洗濯物がこれまた山積み。
おまけにはるかが落書きしたあとの紙がリビングに散乱し、壁には現代アートと思しき
カラフルな模様。
ちあきは携帯を手にした。
「もしもし、ごきげんよう蓉子さま。ごぶさたしております。
今からお時間大丈夫ですか?…ええ、ちょっと手伝っていただきたいことがあるんですけれど…
はい…はい。分かりました。ありがとうございます」
しばらくして現れた蓉子さまは、洗剤やらモップやらをたくさん持っている。
「ちあきちゃん、もしかしてお掃除手伝ってほしいのかしら?」
「申し訳ありません…どうしても1人じゃ終わりそうになくて…!」
「気にしないで。大切な後輩のためだもの」
くしくも蓉子さまもちあきと同じ目に何度もあっているらしく、
「お互い大変よね」
なんていたわってくれたものだ。
(まあ、台所は私がきちんと掃除してるから、何とかなるだろうけど…)
確かに『台所』はこれ以上ないほどきれいになっていた。
が…その悲劇のシナリオは深く静かに始まっていた。
「岡本家と安西家には、まだ残存勢力はいるのかしら?」
「それが…岡本家にはあと2匹、両方ともオスです。
安西家は前の家が爆発により消滅し、その際我々を残して一族は絶滅いたしました。
今いるのは我々とは別系統の、比較的小規模な一族のため、戦力としてはどうかと…」
「…それをうまく使うのが、G一族の参謀たるあなたの才覚じゃなくて?」
「うっ…分かりました。例のプロジェクト、発動いたします」
「あれを?」
「ええ…『プロジェクトG』です」
「対殺虫剤耐性を強化し、人間を殺虫剤中毒にするという、あれね」
「そのために特別な免疫注射を全員に打っておきました。
我々は3億年も前からこの地球に生きる、いわば大先輩なのです。
たかだか100万年しかたっていない人間などには負けません」
「ずいぶん強気に出たわね…勝算はあるのかしら」
「なければこれほど大掛かりなプロジェクトは組みません。
ボス、あとはボスの決断次第です」
「…分かったわ。プロジェクト遂行を許可します。全員に伝え、記録しなさい」
「御意!」
掃除、洗濯、布団干し。
ちあきは17歳にして、すでに普通の主婦にも見劣りしないほどの家事の技術を
身につけている。
それもこれも生きるために必要な技術だったが、制服を着ていないと高校生に
見られなくなったのもまた事実。
要するに、あまりにもエプロンが似合いすぎるのだ。
そのせいか、最近では智子にまで
「ごきげんよう、お母様」
なんて言われてしまうほど。
(あ〜あ…いったいいつから、私はこんなふうになったんだろう…)
今は昼の12時。
台所で今日のお昼ごはんを作りながら嘆くちあきを、史上最大の悲劇が襲うまで、
あと6時間。
夕方になり、洗濯物を取り入れ、アイロンがけをしているちあきを、
なんともいえない嫌な予感が襲った。
(そういえば…去年の冬に防虫対策したけど、あのとき冷蔵庫の下ってどうしたかな…)
去年の冬。
主に台所や水周りを中心に、大規模な防虫対策をほどこした。
その近辺の大掃除と、殺虫剤での処理。
それが効いてか、今年は比較的Gの発見回数が減っている。
ただ、冷蔵庫の下がどうであったのか、どうしても思い出せないのだ。
(こうなったら、ミッション・インポッシブル、開始かも…)
ちあきは智子に連絡した。
「いいこと、今日のミッションの舞台は…うちかもしれないわ。
ユニフォームと必要な道具を用意して、待機していなさい」
「…了解しました。全員に伝えます」
それからわずか数分後。
ミッション・インポッシブルのメンバーたちは、緊張した面持ちで
佐伯家前に集まっていた。
今日はかなり重要なミッションらしいため、旧山百合会も呼ばれている。
「…ついにちあきちゃんちもGの洗礼を受けたのね」
江利子の口調はどことなく面白そうである。
「むしろ、佐伯家に私たちがいるということ自体が緊急なのですわ」
瞳子が眉間にしわを寄せた。
「確かにそうだよね、これほどのきれい好きな人から救援要請なんだもん」
乃梨子が同意する。
ちあきは内心の動揺を隠すように、メンバーたちに向かって言った。
「大丈夫です皆さん、今までのミッションと中身はそう変わりません。
ただ…」
「ただ?」
言葉を繰り返した祐巳に、ちあきは一筋の汗を流しながら答えた。
「今回の敵は、かなり手ごわいんです」
今回の号令は、瞳子がかわりに発した。
『今回のミッションは、パワーアップしたG軍団を紅薔薇こと佐伯ちあきの家から
完全追放することですわ!全員個々の役割を完璧に果たしてくださいな!』
『ラジャー!』
冷蔵庫の下に、何匹かGが潜んでいるのが確認できた。
「うっぷ…こりゃ確かに手ごわそうだ」
懐中電灯を手にした令が青ざめる。
「ちあき、1つ聞いてもいいかしら?」
「何でしょうか、お姉さま」
「去年の冬に防虫処理をしたと言っていたわよね。そのときここはどうしたの?」
「…ここは対象外にしたのよ、この家の娘は」
答えがなぜか冷蔵庫の下から聞こえてきた。
「…ちょっと、こ、このG、しゃべってる…」
祐巳は震えていた。
「しゃべってるというより、あなた方の脳に直接働きかけているのよ。
言ってみればテレパシーというやつ」
「なんですって!?」
「ちあき、それは本当なの?」
「…はい、その2匹の言うとおりです」
全員絶句した。
3億年を生き延びるうち、人間には決して身につくことのないであろう能力を
彼らは持つようになったのだから。
「私たちは他のGとは違う…殺虫剤とか毒餌にはすでに耐性ができてるから、
使ってもムダよ…倒せるものなら倒してごらんなさい」
「去年彼女が大掛かりなことをやっていたのは知っていたから、我々も対策は
怠らなかった…でもここを逃したのは致命的なミスね。
まあそのおかげで私たちが生き残ることができたのだから、彼女には感謝しないとね」
ボスと参謀の言葉に、いち早く反応したのは由乃だった。
「くらえスリッパ!悪即斬!」
2匹はあっという間にキッチンの壁に逃げた。
「なんてすばしっこいのかしら…」
由乃をあざ笑うかのように、2匹はさらに逃げる。
「残党ども!全員集合!」
岡本家のミッションの残党と、安西家のミッション後に住み着いていた別の一族が、
いつの間にかこの家に集まっていた。
っていうか、どこから入ってきたんだ。
「全軍出撃!」
自由自在に動き回り、メンバーたちをかく乱するG軍団。
佐伯家のキッチンはすでに戦場と化していた。
「エッセンシャル・ボール!」
聖がタイムのエッセンシャルオイル入りボールを投げつけると、ボールはボスの体を
かすめて破裂した。
「こざかしい!消えよ!」
ボスは聖の顔に向かって高速で飛んできた。
「うわ〜っ!」
なんとかその攻撃を避けた聖は怒りに燃えていた。
手にはなぜか育毛剤のビン。
「殺虫剤がだめなら、これでどうだ!」
なんとボスはその一撃に、激しいダメージを受け、動きが鈍り始めた。
「なんなのこれは…並みの成分じゃないわね」
別の場所では、動きを止めた1匹に、すかさず志摩子が熱湯を浴びせる。
「ぐわっ!…無念…」
「ちあきちゃん、1匹しとめたわよ」
優雅なしぐさで触角をつかむと、そのまま庭へ放り投げた。
「卵は産んでませんか!?」
「大丈夫、これはオスだから」
続いて由乃が叫ぶ。
「討ち取ったり!」
「安西家の一族がやられたわ!」
手にしているのは、スリッパではなく丸めた雑誌と古い辞書。
どうやら辞書を上から落としたあと、雑誌で滅多打ちにしたようだ。
G軍団の足並みが、傍目にも分かるほどに乱れ始めた。
「参謀!人間の力を見くびっていたわね!」
「そんなはずはありません!」
これを見たちあきは叫んだ。
「今よ、一気にいくわ!」
小笠原家から分捕ってきたプロ仕様の機械で、残ったGを全部捕獲する作戦に出た。
機械がうなり声をあげる。
「さあ、あんたたちの最後よ!」
機械の中に次々吸い込まれていく残りの敵たち。
「おのれ…我ら死すとも、Gは死せず!」
ボスはそう叫んで、機械に吸い込まれていった。
史上最大の作戦は、ちあきたちの勝利に終わった。
「…今年の冬は、冷蔵庫の下も処理しなくちゃだめね」
すべてが終わって、ちあきはほっと息をついた。
「これおいしいね。トマトのケーキ?」
祐巳の無邪気な言葉に、なぜか純子が青ざめている。
ちなみに祐巳以外のメンバーは一口は食べたが、そのあとが続かない。
それもそのはず、このケーキ、やたらに色が毒々しいのだ。
しかも甘くもないらしい。
「皆さん、申し訳ありません!今日作ってきたお菓子はそちらです!」
今食べているお菓子とは別の、見るからにおいしそうなお菓子。
「じゃあ、私たちがさっきまで食べていたのは…」
純子は力なく告げた。
「キャロットケーキです…以前大量に作ってあったのを持ってきたんですが…」
「その以前ってのは、いつごろ作ったものなの?」
蓉子の迫力の前に、純子はすべてを白状した。
「去年です…しかも色が足りなくて食紅で補うつもりだったのに…
中身が唐辛子だったんです…!」
「純子ー!!」
「ごめんなさ〜い!」
白薔薇ファミリーとちあきに追いかけられる純子を見て、涼子はボソッとつぶやいた。
「お姉さまのドジを直すのが、一番ミッション・インポッシブルかもな…」