がちゃS・ぷち

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No.2249
作者:まつのめ
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2007-05-02 23:33:14
萌えた:2
笑った:0
感動だ:8

『境遇がちょっと想定外な』

一連の『後味が悪い』連載作品の続き。
乃梨子編【No:2162】【No:2165】【No:2168】【No:2173】
朝姫編【No:2179】の続きですが何故か聖視点。旧白系のカップリングにこだわりのある方は読まないでください。苦情を言われても対処しかねます。





 秋も深まり、夕暮れ時には肌寒さも感じだした頃のことだった。
「朝姫ちゃん? ……だよね?」
 ノートを写させて貰う代償の学友への奉仕を終え、佐藤聖が家に帰ると、日も暮れて薄暗くなった家の前に、藤沢朝姫が佇んでいた。 
「……」 
 彼女は聖に気付くと首だけ振り返り、虚ろな目つきでこちらを見つめていた。
「どうしたの?」
 そう話しかけても、なにか心此処に在らずといった雰囲気だった。
 実は、最初見た時、一瞬志摩子かと思った。
 聖がそれを志摩子でなく朝姫ちゃんだと断定したのは、彼女がリリアンの制服ではなく、ブレザーにミニスカートの制服を着ていたからだった。


 彼女が近所に住んでいることを知ったのは数ヶ月前のことだ。
 街中で、聖は志摩子の後姿を見つけ、声をかけた。
 ところが、それが彼女、藤沢朝姫ちゃんだったのだ。
 二つ学年が離れた志摩子とは、高等部時代の終わりの半年程、リリアンで言うところの姉妹関係にあった。
 高等部の時は、それはいろいろあったのだが、彼女との出会いは聖を『良い方向』へ向けるきっかけとなっていた。
 そんな彼女を、聖が見間違えるはずが無いのだが、そのとき彼女は志摩子の顔をして『私は志摩子ではない』と主張した。
 会って暫く、彼女が志摩子らしからぬ表情で『リリアンのスール関係って良いですね』と語るのを見るまで、聖は目の前の相手が志摩子だと信じていた。
 それほど藤沢朝姫という人間は志摩子に似ていたのだ。


 聖はとりあえず、彼女を部屋に上げ、いつからあそこに立っていたのだろうか、冷え切った彼女の為に熱いコーヒーを用意した。
 『何故コーヒーなのか?』という問いには、「“この場合ホットミルクの方が適切ではないか?”と思い至ったのが、自分用と来客用のカップにインスタントコーヒーの粉末を入れ、熱湯を注ぎ切った後だったから」と答えざるを得ない。
 作り直そうかとも思ったが、彼女が以前来た時に聖の淹れたコーヒーに砂糖と粉末ミルクを大量に投入して飲んでいたことを思い出して、待たせないことを優先することにした。

 部屋に戻ると朝姫ちゃんは床に置いたクッションに座り込んでボーっとしていた。
「コーヒー淹れたわ。インスタントだけどね」
「……」
 そう声をかけても、虚空を見つめたまま放心する彼女を見て、聖は砂糖とミルクを前もって入れておいたのは正解だと思った。
「ほら」
 そう言って、彼女の為に淹れた砂糖ミルク3倍インスタントコーヒーのカップを持たせ、それから彼女の前に腰をおろした。
 彼女はカップを口に寄せて、ふーふーと冷ましながらそれをすすった。
「……あまい」
 そう呟く彼女には、以前来た時のような飄々とした態度がかけらも無かった。
 それでも、ようやく彼女の目の焦点が合って来た気がしたので聖は話しかけた。
「何か、あったの?」
「ええと……」
 朝姫ちゃんは、何処かへ行っていた意識を呼び戻すように瞬きをした後、次の言葉を紡いだ。
「……そうだ、手紙」
「手紙?」
 それは家の前に立っていた時からずっと大事そうに抱えていた封筒だ。
 今は彼女の膝の上に置いてある。
「うん、これ」
 コーヒーカップを置いて、その封筒を、聖の前に差し出した。
 封筒には『朝姫へ』と手書きで書かれていた。
 見ると封は開いていない。
 聖は一応受け取ったその封筒を彼女に返して言った。
「駄目よ、朝姫ちゃん宛ての手紙は朝姫ちゃんが読まないと」
「……そりゃ、そうよね。あはは」
 そう言って力無く笑って見せる彼女は不器用に封を千切って開け、四つ折になった白い便箋を取り出した。

 かさかさと手紙を開く音だけが部屋に響く。
 聖は手紙を読むのを黙って見ていた。
 彼女は表情を変えず、手紙を見つめていた。
 見た感じ長い手紙ではなかったが、随分と読むのに時間をかけているようだった。
 しばらく、頃合を見計らって聖は声をかけた。
「……なんって?」
 朝姫ちゃんは黙って便箋を聖に差し出した。
 白い便箋には短い文章が綴ってあった。


 『あなたは藤堂家の娘です。荷物はもう送ってあります。
  この住所に行ってください。今まで嘘をついていてごめんなさい』


 本文はそれだけだった。
 その下に、聖も知っているある住所と朝姫ちゃんの母親と思われる名前が書いてあった。

「……あはは」
 虚ろな笑いを漏らす彼女。
「朝姫ちゃん」
 聖は彼女の名を呼んだ。
「家の中ね、何にも無かったんだ」
 本当に、以前会った時とは比べ物にならないくらい脆くて。
「朝姫ちゃん」
「帰ってびっくり。私の部屋も綺麗さっぱりでさ」
 今にも崩れてしまいそうなくらいに、彼女は揺らいで見えた。
「朝姫ちゃん!」
「びっくりだよ。志摩子さんって、本当に私のお姉ちゃんだったんだ?」

 聖は彼女を抱きしめていた。
 壊してしまわないように軽く、優しく。

 片親であることは江利子から聞き及んでいたし、志摩子と血縁の可能性も聞いていた。
 志摩子の家の事情から、手紙のようなことも十分想定できたことだった。
「あはっ。私、捨てられちゃったみたい……」
 聖の胸の中で朝姫ちゃんはそう言った。
「朝姫ちゃん……」
 聖が、何と声をかけて良いのか判らないでいると、彼女は言った。 
「同情?」
「……そうよ」
 聖はそう答えた。
 そうだ、これは同情以外の何物でもない。
 そんな冷静な自己分析と共に、心の奥底から何か衝動のようなものが湧き上がってくるのを感じていた。
「へんなの。そこは嘘でも『違う』って言うとこじゃないの?」
「『お姉さま』だからよ」
「私が志摩子さんと姉妹だから?」
「そんなところ」
「なるほど。じゃあ得しちゃったかな?」
 こんな時でも、軽口を言って場を和まそうとするのは、それは彼女なりの防衛手段なのかもしれない。
 でも、かえってそれが痛々しかった。
「……泣かないのね?」
 聖がそう言うと、彼女は言った。
「泣けないよ」
「どうして?」
「わかんないけど……」
 聖の胸の中では泣けない、ということだろう。
 強い子だな。と思った。
 聖が彼女に魅かれた理由は、彼女がそんな『強さ』を垣間見せてくれたところだ。
 だからだ。
 決して親切なんかじゃない。
 不幸につけ込むような心がどこかにあった。
 そんな卑しい自分がたまらなく嫌になる。
 目の前で無垢な、こういう無防備な顔をされるのがたまらなかった。


 聖は彼女を抱きしめる手を緩め、身体を離した。
 そして、まっすぐ彼女の目を見つめて言った。
「どうしたい? 志摩子の家に行く?」
「ええと……」
「それとも、お母さんを探す?」
 そう言うと、朝姫ちゃんは一寸目を見開いた後、こう答えた。
「両方」
 語調もしっかりとしたその答えに聖は驚いた。
 純粋さと強さ。
 そう。こういう打たれ強さだ。
 聖でさえ、つい志摩子と重ねてしまうのだけど、彼女は似ているようで違う。こうして色々なことを一人で受け止めても壊れないだけの強さを持っているのだ。
 ――彼女なら自分を受け止めてくれるかもしれない。
 そう思わせるだけのものを彼女の中に感じてしまった――。
(まずい)
 そう思った。いろんな意味で。
 聖が固まっていると、何を誤解したのか彼女は言った。
「……何で絶句するかな?」
 どっやら呆れたと思われたらしい。
「強いのね」
 聖は平静を装ってそう言った。
「薄情なだけかも」
「少し安心したわ」
「どうも心配をおかけしまして」
「いえいえ」
 表面、おどけているようで、彼女の拳がきつく握られていることに聖は気付いていた。
 たった一人の家族に出て行かれた彼女の心境は、聖には察しがたいものがある。
 でも、彼女は何もしないで泣いているような子では無かったのだ。


 輝きを取り戻した瞳で彼女は言った。
「ねえ、今日佐藤さんのところに泊まって良いかな?」
 その申し出は聖にとって少々複雑だった。
 正直、少しでも長く彼女と一緒に居たい気持があった。
 だかそれを肯定することは、聖にとっては不謹慎なことだった。
 何故なら、一人でその不幸に敢然と立ち向かおうとする彼女の崇高な姿勢を、聖のエゴで汚すことに他ならないから。
 でも彼女が困っていることもまた事実だった。
 これは『人助け』だと自分に言い聞かせつつ、聖は答えた。
「一泊くらいなら何とかなるかな? 親にばれると面倒だけど……」
「厳しいの?」
「ううん、逆よ。朝姫ちゃんが私のことを根掘り葉掘り聞かれると思うわ」
「気にしないよ?」
「私が気にするの」
 もう一つ、聖の心境を複雑にしている理由だ。以前からそうだったが、聖の親は、どういうわけか聖の友人と話をしたがるのだ。
 ちなみに聖はあまり親と話をしない。だから『本人が駄目なら友人に』ってことなのかも知れないが、聖にとってはあまり心地の良いことでは無かった。
 先にあげた理由と比べたらこれは些末な問題ではあるが。
「なるほど。でも一日だけ泊めて」
「それでどうするの?」
「明日、お母さんの会社に行く。お姉ちゃんに会いに行くのはその後にするから」
「一人で大丈夫?」
「多分」
 まあ一泊くらいなら、と安請け合いしたが、そう簡単にはいかなかった。
 いや、判っていた。問題が在るのは聖の方なのだ。


「いやー、悪いねぇ、お風呂頂いちゃって、服まで貸してもらって」
「気にしないで。困った時はお互いさまってね?」
 不謹慎にも浮かれ気味な心を静めるため、朝姫ちゃんには風呂に入ってもらい、その間に聖は彼女の為の換えの下着を買いにひとっ走りコンビニまで行ってきたのだった。
 だったけど……。

「良いなあ、佐藤さんの家は風呂が大きくて」
「そう?」
 ベッドのところに並んで座っていた。彼女はタオルで髪の水分を取りながら話をしている。
「そうよ。家の風呂なんて志摩子さんと並んで入ったらきつきつだったし」
 なにやら気になる言葉が聞こえたので聞き返した。
「志摩子と?」
「うん」
「って、最近よね?」
「うん。ついこの間、家に招待してその時に」
「志摩子がねぇ……」
 志摩子の性格を知っている聖は、少し感心した。
 聖が感じているように、志摩子にもこの朝姫ちゃんに魅かれるものがあるのかもしれない。
 そう考えると、なにか納得できた。
「羨ましい?」
 朝姫ちゃんはそう聞いてきた。
「ううん。ただ、仲が良いんだなって」
「実はね、その時、互いに双子の姉妹だってことにしようって決めたんだ」
「決めた?」
「うん。この前、江利子さんにDNA判定しないかって誘われててさ」
「ああ、その話なら聞いてるわ双子判定だっけ?」
「そうそれ。でもね、身体見たら、もうするまでもないって感じだったし。でも戸籍上は他人みたいな」
「うん」
「だから、志摩子さんと私でそう思っておけばそれで良いかなって……」
 そこまで言って朝姫ちゃんは俯いてしまった。
「……もしかして、それが原因?」
 聖がそう聞くと朝姫ちゃんは小さく「多分」と返事をした。
「……」
 聖は黙ってまた朝姫を抱き寄せた。
 朝姫ちゃんはまだ母に対する苦言を一つも言ってなかった。
 ただ「明日、母の会社に行く」と言っただけだ。
 それは、聖に対する配慮なのか、絶対母を探し出すという決意なのか。
 何れにせよ、決して不幸に浸らない彼女の姿勢が、聖にはとても崇高なものに思えてならなかった。
 湿った彼女の髪が頬に当たる。
 風呂上りの彼女の匂いが鼻をくすぐる。

 ――強く。
 彼女と一つになる程に強く抱きしめたい――。

 聖は、そんな衝動が湧き上がってくるのを感じて、慌てて彼女の肩に手を置いて身体を離した。
「……どうしたの?」
 抱きしめられることには抵抗が無い様子だった朝姫ちゃんだけど、不意に手を解かれてちょっと戸惑っていた。
「えーと……」
 朝姫ちゃんの肩を掴んだまま聖も混乱していた。
 彼女の『強さ』に魅かれていながら、『自分だけのものにしたい』とか、『もっと頼って欲しい』とか思うのは明らかに矛盾だった。
 ましては志摩子に嫉妬なんて……。
(駄目だ。絶対駄目)
 聖はその強くなる一方の衝動を抑えきる自信がなかった。
 今ならまだ冷静さが残ってる。でも夜中に泣かれでもしたら……。
「佐藤さん?」
「あ、朝姫ちゃん、出かけましょ!」
「え?」


  †


 結局、あの後、車を出して向かった所は。
「あのさ……」
「ごめん、言いたい事は判る。でも何も言わずにこの子、一晩泊めてあげて」
 朝姫ちゃんを伴って離れの玄関口に立つ聖に、加藤景は『驚く』とか『呆れる』とかも通り越してしまったのか、ただこう言った。
「……はぁ、良いわよ」
「良いの!?」
 思わずそう返してしまった。
 ちゃんと理由を説明してお願いすれば断られることは無いだろうとは思っていた。
 だが、何も言わずにOKしてくれたのは聖にも予想外だったのだ。
「ええ、一晩だけでいいのね?」
「恩に着るわ。頼れるのはあなたしか居なかったのよ」
「別に持ち上げてくれなくても良いわよ。ちゃんと泊めてあげるから」
「でもどうして? まだ理由を言っていないわ」
「なんだかね……」
 といいつつ、景は意味ありげに朝姫ちゃんの方を見た。
 景は朝姫ちゃんとは勿論、志摩子とも会ったことが無い筈だ。
「なんだか、何?」
「“今回”は佐藤さんの人助けって言うより、佐藤さんが『助けて欲しい』って顔してるから」
「ど、どんな顔よ?」
「鏡、見る?」
 ……恐るべし加藤景。
 正直、祐巳ちゃんのときと違って助けて欲しいのは確かに聖の方だった。
 それはともかく、訳も聞かずにOKしてくれるのならそれに越したことは無い。
「じゃ、気が変わらないうちに、この子は藤沢朝姫ちゃん。訳あって今晩泊まるところが必要なの。宜しくね?」
 聖は早口気味にそういって、帰る体勢についたが、景はこう言った。
「ちょっと待ちなさい。訳を聞かないとは言ってないわよ?」
「え?」


「何も聞かずに泊めてくれるんじゃなかったの?」
 結局、一緒に部屋に上がって、「話があるから」と朝姫ちゃんだけ部屋に残して、景と二人で外に出てきた。
「うん、深く追求はしないわ。でも言いたい事は言わせて」
「は?」
「『駆け落ちしたけど行くところが無くて転がり込んだカップル』」
「なにそれ」
「佐藤さんたちの今日の第一印象よ」
 そう言い切った景は眉をハの字に歪め、困惑顔をして続けた。
「私は気のせいであってほしいんだけど、なんか今日の佐藤さん、中高生の男の子みたいに見えるのよね」
「……」
 聖は返答できずに目を逸らした。
「ちょっと、どうしてそこで赤くなるわけ? ……ってマジなの?」
「いや、その……」
 と口ごもった聖。
 ここで気の利いた言い訳でもすれば、誤魔化せたのかもしれないが、残念ながら今の聖にはそんな余裕が無かった。
「はぁーっ……」
 額に手を当て、景は大げさにため息をついて見せた。
「な、なに?」
 俯いた姿勢から僅かに顔を上げ、景は言った。
「彼女、美人よね」
 何を言い出すのだ。
「う、うん?」
「佐藤さんって意外と面食い?」
「……た、たまたまよ」
 前例からして完全に否定は出来ないが、聖はそういうところだけを見ているわけではない。
 と、言い訳がましいことを心に思っていると、
「まあ、良いでしょう」
 何が良いんだか。景は偉そうにそういって頷いた。
「ずっとリリアンってことで、相手が女の子な所も不問にしてあげるわ」
「とりあえず、ありがとう、って言っておくわ」
「いえいえ。まあ、判らないでもないし……」
「え? もしかして加藤さんってそっちの人?」
 そうなると、聖も景との付き合い方を考えなければならないだろう。何故なら聖は彼女のことを一寸たりともそんな対象と考えたことはないのだから。それに……。
「誰がよ。同性にあこがれる気持ちは判らないではないってだけで、私はノーマルよ?」
「そうなんだ。まあ、そうじゃなきゃ困るんだけど……」
 景の答えを聞いて取りあえず安心した。そうでないと彼女を預ける先を他に探さなければならなくなる。
 それで聖はホッとしたが、景の疑問は解消していなかった。
「……でも、どうして? 佐藤さんってそっち方面で家の人の信用無いとか?」
 そう聞かれて聖は選択を誤った。
 ここは嘘でも「実はそうなの」と言っておけばよかったのだ。
 だが、とっさに口から出た言葉は「言わなきゃダメ?」という反問だった。
 これでは問題が環境ではなく聖自身にあったことを認めたようなもの。
 いや、多分、聖の中に「聞いて欲しい」という心があったのだろう。だからこんな景に興味を持たせるような答え方をしたのだ。
 案の定、景はこう言ってきた。
「『追求しない』って言ったけど、出来れば納得できる程度には話して欲しいわ」
 聖は少しの間逡巡して、それから言った。
「彼女を、壊してしまいそうだから」
「……あのさ、話すなら、もう少し私にわかるように説明してくれない?」
 景は今日会ってから最大の困惑顔でそう言った。


「はあ? 母親が居なくなった?」
 聖はしかたなく、朝姫ちゃんの事情を説明することにした。
「うん、ずっと母子家庭だったらしいんだけど、今日ね」
「ちょっと、『居なくなった』ってどういうことなの?」
 景は、青くなってそう聞き返してきた。
 彼女の経験からか、事故とか誘拐とか不穏な方向に想像力が働いたらしい。だから聖は言った。
「置手紙を残してよ?」
「ああ、つまり家出なのね」
 そう聞いて、景はちょっとだけ安心したようだ。
 でも、聖は続けていった。
「まあそんなとこ。学校へ行っている間に家を引き払われちゃったらしいわ」
 聖がさらっと言ったせいか、景はちょっと遅れて反応した。
「……ってどんな家出なのよ?」
「いろいろ複雑なのよ。詳しいところは私も知らないんだけど」
「いろいろって……」
 言いかけて、『深く追求しない』と言ったのを思い出したのか、景は言葉を止めて言い直した。
「それで、彼女、大丈夫なの?」
 その言葉の意味は精神的にってことだろう。
「ショックは受けてるけど、彼女は前向きよ。気を遣うことはないから」
「まあ、佐藤さんがそう言うなら大丈夫なんでしょうけど……」
 実際、聖は朝姫ちゃんを初対面の景の所に泊まらせることに関して特に心配はしていなかった。景は二つ返事で『泊めてあげる』と言ったのだし、朝姫ちゃんの性格ならば景と容易く打ち解けるであろうから。 
 景はなにやら聖の顔を伺っていた。
「なに?」
「肝心なことをまだ聞いてないわ。結局なんで私なんかに預けるわけ?」
 好きなら自分で面倒見なさいよ、とでも言いたげな表情だった。
「それは……」
「って、そういえばあの子より佐藤さんの方が困った顔してたわね。どういうこと?」
 いろいろ前提として話さなければならないことが多くて遠回りしたが、ようやく話が最初に戻ったようだ。
 そう。
 最初に朝姫ちゃんより聖自身の方が困っていることを見抜いたのは景だった。
 聖は言った。
「ええと、私とあの子会ったのってまだ3回目くらいなのよ」
「それで?」
「だから別に付き合ってるとか、『そういう』関係とかじゃなくって……」
 そう言うと、景は眉を眉間に寄せて考え込んだ。
 そして、何かに思い至ったように言った。
「つまり、佐藤さんって惚れっぽい?」
「……」
 これはまた一足飛びに結論を出したものだ。
 聖はまた目を逸らした。
 その表情を見ていた景は。
「まあ、よく判らないけど、つまり端的にいって佐藤さんが襲っちゃいそうなのね?」
 更にもう一段跳んだ。
 というか何でこの女はこんなに勘が良いのか。
「……面と向かって言われるとなんか腹立つわね」
「肯定なのね」
「……」
 景の呆れ顔に、聖は目を逸らして赤面するしかなかった。
「それがここに連れてきた理由?」
「そ、そうよ」
 なんとかそう答えた。
「判ったわ」
「……納得してくれたのかしら?」
 景は聖の問いに答えて言った。
「まあ、佐藤さんが意外な面を見せてくれたことだし、良しとするわ」
「一応、聞いておくけど、どんな?」
「意外とナイーブ」
「あら私は元から繊細よ?」
「それでいて、もしかして、普段見せている顔と正反対で本質は激情家なのかしら?」
 景は「それだと面白い」くらいのつもりで言ったのかもしれないが、聖は絶句してしまった。
「あら、当たり?」
 ううむ加藤景、恐るべし、恐るべし。
 聖は朝姫ちゃんをここに連れてきたことを少しだけ後悔した。
 普段から講義のノートを貸してもらったりと借りの多い聖だったが、今日ので決定的に頭が上がらなくなってしまったようだ。
 でも、毛布を持たせて家具も無い家に一人で帰すなんて事は選択肢としてあっても、聖には絶対出来ないことだった。


「服返すのはいつでも良いって伝えておいてくれる?」
「あら、このまま帰っちゃうの?」
「もう私に出来ることは無いわ。そうね、足が必要だったらいつでも……って、まあそれは良いか」
 ポケットを探したが、メモできるようなものは持ち合わせていなかった。
 その様子を見た景が気を利かせてこう言ってくれた。
「佐藤さんの携帯教えとけば良い?」
「え? あ、うん、そうしてくれる?」
「承ったわ。あんまり待たせちゃあの子も落ち着かないわね」
「うん、必ず埋め合わせはするから」
「そうね、期待しておくわ」
「じゃっ」
 後ろ髪引かれる思いもあったが、これがベストだと自分に言い聞かせて、聖は加藤景の家を後にした。
 名前は判っているから、聖が独自に朝姫ちゃんの母を探すことは出来る。
 でも一緒に探すことは出来ない。会えばおそらく判断を誤ってしまうから。
 だからこの先、聖が朝姫ちゃんに直接会って出来ることはあまり無いと考えるべきだろう。
 あるとしたら、精々彼女が志摩子の家に行く時に、交通手段を提供するくらいだ。


  †


 この時が最初だった。
 聖はこの事件を機に、以前から考えていた、しかし考えているだけだったある事を、実際に実行する気になったのだ。






(コメント)
計架 >うわぁ……物凄い唐突な展開ですね……朝姫ちゃん哀れ(No.15042 2007-05-03 13:37:30)

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