がちゃS・ぷち

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No.3541
作者:海風
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2011-09-04 13:12:43
萌えた:6
笑った:4
感動だ:69

『ファントムハント』

【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】
【No:3196】【No:3205】【No:3233】【No:3249】【No:3288】
【No:3327】【No:3380】【No:3397】【No:3443】【No:3464】【No:3498】【No:3501】 解説書【No:3505】【No:3509】【No:3515】 【No:3538】から続いています。









 体育館裏に創られた存在しない“空間”にある、1対49の激闘。

 一言で表せば、嵐である。
 暴風に煽られて薔薇が踊り狂っている。
 紅い瞳が尾を引く――肉眼で確かに見えるのは、それだけだった。
 紅薔薇・水野蓉子と、49人の久保栞との闘いは、開戦直後からデッドラインを割っていた。四方八方、一撃必殺の数多の手足がそれこそ上からもやってくるという極限状態にありながら、しかし蓉子は冷静だった。

(きっと一撃で沈む)

 久保栞――“桜草”の操る思念体は、動きが甘い。闘い方は知っているが勝ち方と負け方を知らない、いわゆる駆け出しだ。
 しかしそれを補って余りある、数。
 彼女らの一人一人が蓉子の基礎能力を超えている。
 この物量と手数。それだけでもキツイのに、攻撃に併せて光る手足……ただ強化しただけなのだろう単純明快な一発一発が、基礎能力に上乗せされている。
 百近い拳と脚が縦横無尽に襲い来る。その圧倒的な数は、一対ずつの手足しか持たない蓉子を簡単に飲み込んでいた。
 だが。
 蓉子は攻撃の波に飲まれながら、それら全てを紙一重でかわしている。
“紅目”である。
 刹那の未来を“視る”それが、神業とさえ言えるような体さばきを可能としていた。
 が、それだけである。
 今は、まだ。

(この動きは……)

 じっくり、とまでの余裕はないが、わずかな時間この背水の極限をキープし、蓉子は考えている。
 拙いまでも統率の取れた動き。
 同時に仕掛け、またずらし、息吐く間を与えない連携を繰り返す思念体の動きは、ざわめく木の葉のように隙がない。何せ一人に群がる群衆なのに、同士討ちもしなければ互いにぶつかりもしないのだ。

(“自動”? いや、それにしては個々の目に意志を感じる)

 それこそ、一人一人が同じ顔、同じ体格、同じ指紋を持つ人間にしか見えない。これだけ同じ人間がいればかなり不気味だが、問題はそこじゃない。

(……そろそろかしらね)

“予知”を使っても避けるだけで精一杯だが、この状況を続ければ蓉子の敗北は確定である。
 幸いというべきか、それとも向こうの狙い通りか。
“封鎖結界”にいる以上、蓉子が異能を使わない理由はない――思念体使いに見せるのは少々癪だが、負けてしまえば元も子もない。

「"女王を襲う左手(クイーン・レフト)"」

 蓉子の力ある声に答え、左手に深緑の茨が発現した。
 薔薇の蔦である。
 それは鋭い棘を伴い、左手から腕にまで這い上がり絡みつく。
 思念体達がそれを見て一瞬のためらいを見せ――蓉子はその隙を見逃さない。
 高速の右拳で、正面にいた思念体の鳩尾を貫いた。
 肉を打つ感触が、人間のそれではなかった。見た目は人間でも、やはりこれらは人間ではなく、思念体なのだ。

 強烈な拳を食らった思念体は消え――その場にまた出現した。

「無駄です。私は力そのものですから」

 力そのもの――つまり物理的な干渉では倒せない、ということだ。
 この時点で、考えられるのは絶望だけだ。
 ここに“桜草”本体がいるならともかく、いない。
 49人の久保栞は、一人一人が蓉子の身体能力を超えている。
 そして今発覚した通り、彼女らは倒せない。というか倒す倒さないの概念にない。
 こういう場合は思念体使い本体である“桜草”を倒せばいいだけだが、少なくとも蓉子には見えないし、存在も感じられない。闇雲に探し回るなんて相手は許さないだろう。きっと彼女はここにいなくて、この“結界”は“逃走封じ”の意味もあるだろう。逃げることもできないし、外部からの助けも期待できない。
 もっとも、薔薇として窮地にある時の助けは求めないが。

「では、続きをよろしいですか?」

 49の絶望が迫る――




「すっごい嫌な予感がする」

 紅薔薇勢力突撃隊副隊長“鵺子”は、額に汗さえ浮かべていた。心なしか顔は青ざめ、唇の色が褪せている。

「嫌な感じね」

 答えたのは、同じく紅薔薇勢力二年生長“送信蜂(ワーク・ビー)”である。

「やーいざまーみろー」

 そして“夜叉”が下品に野次った。それはもう鬼の首を取った子供のように無邪気に。……いや、邪気はあるか。


 昼休みだけに留まらず、“戯言を囁く地図(バベル・クラフト)”を張り出した大盛況の掲示板前は、相変わらずの混雑だった。
 非合法会議を終えた紅薔薇幹部の二人は、出たタイミングも進行ルートも違ったが、示し合わせたかのようにここで再び合流してしまった。考えることが同じだっただけで特に不思議でもないし、一緒にいて不自然な場所でもないので、少し離れたところでなんだかんだ話しながら一緒にいた。

「――やあお二人さん。おそろいで」
「最近夜中の間食が癖になっててさ、体重計乗るの怖いのよ。太ったように見える?」
「全然。何食べてるの? チョコレートとか?」
「酢こんぶ」
「気持ち悪い」
「な、なんだよ! 酢こんぶバカにすんなよ!」
「いや、酢こんぶを夜中の間食に選ぶあなたと酢こんぶが個人的に気持ち悪くて」
「いいでしょ別に酢こんぶ食べても……ってだから酢こんぶバカにすんなよ! やっぱ酢こんぶバカにしてるでしょ!」
「バカにはしてない。個人的に嫌いなだけ」
「……“忠犬”は先輩を無視するなって教えないわけ? ちょっと。ねえ。おーい」

 若干声が悲しそうだったので、二人は面倒くさそうに振り返る。
“鵺子”と“送信蜂(ワーク・ビー)”の真正面やや下に、140半ばという身長の低い女生徒が立っている。声も高く身体も細く、リリアン高等部の制服を着ていても小学生に見えるという童顔。
 彼女こそ三年生・黄薔薇勢力副総統“夜叉”である。
 黄薔薇勢力総統“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”が戦闘以外ほぼ役に立たないので、実質黄薔薇勢力をまとめ、動かしているのは、この小柄な副総統ということになる。
 しかしこの人事。
 どう考えても黄薔薇・鳥居江利子の個人的な作為を感じる。
 ――もっとも、子供な見た目と子供みたいな性格とは裏腹に、“夜叉”の頭の切れも腕の良さも実証済みである。かつては紅薔薇の蕾の妹だった水野蓉子の膝を地につかせ(自分は負けたが)、白薔薇の蕾の頃の佐藤聖とは今も語られるほどの勝敗の着いていない死闘を繰り広げ、先々代の三薔薇には直接顔を出しての「ちょっとだけ欲しい」という直々のスカウトを受けたほどの人物だ。
 そして、あんな戦闘バカの総統“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”を立てるために、大部分を日陰で過ごすことに徹する黄薔薇勢力の土台とでも言うべき存在。もしその立場になければ、今も武勇伝を作りまくっているだろう。一年生に「あの人ほんとに強いの?」なんて陰口を叩かれたりしないだろう。見た目に寄らず苦労人なのだ。
 わりと洒落にならないドラマの末に黄薔薇勢力に所属し、今にいたる。
 見た目がかわいいのと案外気さくでわりと温厚なので、内外問わず知り合いも友達もライバルも多く、“鵺子”と“送信蜂(ワーク・ビー)”もそれらのどれかと認識されている。

「すみません“夜叉姫”さま。小さくて気付きませんでした」

 ちなみに本名の下の名前に「姫」の字が入っているので、呼び名はだいたい“夜叉姫”か“姫”である。皮肉と嫌味と挑発と親愛をこめて。本人は言われ慣れすぎていてもうどうでもいいが。
 更にちなみに、副総統がいるのは黄薔薇勢力のみだ。あの総統だからである。
 もう一つちなみに、二つ名の由来は某童話大人気RPGのヒロインから来ていることを、“夜叉”本人も含めて多くの者が知らない。ふざけて呼び始めて定着させた罪作りなお姉さま方はすでに卒業していないからだ。なお、ヒントは公式データ「身長144センチ」である。一年生の当時から2センチしか伸びていない。

「“忠犬”は人が気にしていることを率先して言えって教えてるわけ?」
「その“忠犬”って呼び方に腹を立てているから反応が刺々しいんだとは思えませんか?」
「“鵺子”」

 売り言葉に買い言葉でケンカを始めそうな“鵺子”を、“送信蜂(ワーク・ビー)”がたしなめる。――はっきり言って二人掛かりでも“夜叉”には勝てない。絶対にだ。わずかな可能性さえない。

「別にいいじゃない。やりあっても。どうせ明日からは乱戦になるだろうし、今日のところは軽く流すくらいで済ませれば? 今ならお姉さんが片手間で相手しちゃうよ?」
「白々しい冗談はやめてください」

“送信蜂(ワーク・ビー)”は冷静に言った。

「今潰しておいてリタイア宣言を取っておきたいんでしょう?」

 リタイア宣言。それは“契約書”争奪戦にあるたった二つのルールの片方で、以降の参加権を放棄することだ。
 全員忘れているわけではない。
 ただ、誰と誰が裏で繋がっているかわからない特殊すぎるこの状況で、リタイア目的での戦闘を仕掛けることができないだけだ。下手に手を出して報復の集団がやってきたり――何より誰かがやってくれれば自分が得をし、自分がやれば自分以外も有利になるので、それメインで動くメリットが少ないのだ。人によっては苦労とデメリットとリスクに見合わない。今は特に、解散した三勢力や組織の動きがかなり不規則なので、本当に誰と誰が手を組んでいるのかさっぱりわからないのが恐ろしい。最悪、事実上フリーになっている“氷女”や“宵闇の雨(レイン)”が出て来る可能性も考えられなくはない。
 しかし。
“夜叉”くらいの強者になると、乱戦が始まろうが、一人一人潰してリタイア宣言を取っていこうが、最終的に残るだけの実力があるので手段の一つにしてもいい。実際本人はそのつもりもある。――ネックは三薔薇と三勢力総統の存在だが。

「そうしたいのは山々だけどね。ちょっとやりづらいのも事実だよ」

 さらっと認めて“夜叉”は肩をすくめた。
 ――ネックは三薔薇と三勢力総統だ。
 彼女らが出てきたら、さすがの“夜叉”でもかなりきつい。一対一ならまだしも、それにプラスアルファ……ここにいる“鵺子”や“送信蜂(ワーク・ビー)”でもいい、本命の戦闘の邪魔をしない程度に腕の立つ助っ人が加わっただけで、その分だけ上乗せされただけでまず勝てなくなる。逆も然りだが。
 黄薔薇勢力も結束は堅いが、トップにいる鳥居江利子や“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”のせいで、かなり自由なカラーが浸透している。個人主義と実力主義という意識が強く、バラバラのままでまとまっているという印象がある。密集した個ではなく、適度に散開した状態とでも言うべきか――だからわりと火種を振りまくことが多い。島津由乃を筆頭に。そして上が自由にやるせいか、一年生長田沼ちさとを筆頭に一年生がしっかりしているのだ。二年生になるとだいたい緩むが。
 だが、紅薔薇勢力はかなり仲が良い。仲間が――たとえ解散していても、かつての仲間が苦戦したりしていれば、「とりあえず手を貸そうかな」くらいはすぐに思う。
 その「とりあえず手を貸そう」で紅薔薇・水野蓉子や“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”が首を突っ込んでくることも、低くない確率でありえる。そもそも“夜叉”を倒せれば競争率は確実に下がるのだから、よその組織や二つ名持ちもここぞとばかりになだれ込んでくる可能性も高い。
 ――とまあ、こういう人間関係のしがらみが理由で、“夜叉”も例外なく、皆がリタイア目的での戦闘を起こせないのだ。
 やる気はあるが、踏み切れない。
 勇敢と無謀は違う。
 時期的にはもうそろそろ仕掛けても悪くないとは思うが、メリットとデメリットを考えると先陣を切るのは難しいと言えた。

「まあそれより君ら、ちょっとかがんでごらん?」
「「え?」」
「掲示板が見えないのよ」

 人垣である。人の背中が沢山である。一般女子高生の平均は超えている“鵺子”と“送信蜂(ワーク・ビー)”でも見づらいのだ、小学生並の身長である“夜叉”が見えないのは当然である。

「私を担ぐ許可を与えよう。光栄に思い媚びへつらえ――あ、こら! 無視するな!」

“姫”らしく偉そうにふんぞり返る“夜叉”を置いて、二人は無言のまま同時に歩き出した――相手すると疲れるのであまり相手にしたくないのだ。見た目に寄らず三勢力の一つをまとめるだけあって頭が良く、軽はずみな会話で情報を漏らせないし、何より強い。あと見た目のせいでかなしそうな顔をされるだけで罪悪感があるし、“姫”の名に恥じないくらいかわいいのでついつい油断してしまう者も多い。言動云々ではなく、存在からしてトラップのようなものなのである。
 とにかく“夜叉”から離れようとした、その矢先だった。

「――んっ!?」

 背筋に電流のようなものが走り、昼寝中に尻尾を踏まれた猫のように“鵺子”は飛び上がった。

「どうしたの?」
「何? 口に出すのもはばかられる虫的なものでも踏んだの?」

“送信蜂(ワーク・ビー)”が問い、関係ない“夜叉”が下から見上げる。

「…………」

“鵺子”は答えない。
 顔は見る見る内に血の気を失い、冷や汗が噴出してくる。硬い瞳は眼前の“送信蜂(ワーク・ビー)”を通り越し、揺れながら遠くを見詰めていた。

「……“来た”の?」
「……“来た”」

 自然と堅くなる“送信蜂(ワーク・ビー)”の声に、疲れた声で“鵺子”は答えた。

「すっごい嫌な予感がする」

 ――あくまでも勘である。だが“鵺子”の勘は、きっと予知系能力の類を含んでいる。弱いか強いかはわからないが、ここまでの強烈な直感はそうとしか考えられない。
 本人はそれを“獣の第六感”と呼んでいる。
 自分の意志では使えないし、いまいちこれが“来る”法則もよくわからないし、いつ発動するかも二年生にしていまだ謎のまま。
 しかし、“来た”時は自分の身の回りにいる近しい人に、かなりの確率で悪いことが起こる。
 いつ、どこで、誰が。
 肝心の情報が抜け落ちている致命的な情報収集能力だ。しかも対象範囲が曖昧で特定しづらい。が、どんなに使いづらくても注意を呼びかけることならできる。
 実際それで救われたことも多々あるのだから馬鹿にできない。

「嫌な感じね」

 「やーいざまーみろー」と、紅薔薇関係の不吉な予感に喜びの声を上げる“夜叉”を無視し、“送信蜂(ワーク・ビー)”は掲示板を見た。人垣のせいで全く見えなかった。――もし見えていたら、あっと言う間に終わる中庭での島津由乃と“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”の一戦を観戦できていたかもしれない。
 可能性は、そう多くない。
“獣の第六感”が教える凶事は、怪我の類が通例だ。
 誰かと誰かが闘う、あるいは襲われ誰かが負ける、というのが基本パターンである。恐らく“鵺子”自身が突撃隊副隊長などという最前線に立つ武闘派だから、それに合わせて発達したのだろうというのが“送信蜂(ワーク・ビー)”の推測である。
 そして、そんな“鵺子”の周囲にいるのは、だいたいが背中を預けられる戦友である。例外で仲が良いのは、主に情報処理と指揮に関わる“送信蜂(ワーク・ビー)”くらいだ。
 冷静に、そして極自然に考えて、ついさっき会っていた“鍔鳴”と“bS”が思い浮かぶ。
 どちらも可能性はあるが、心配なのは“bS”だ。

(“鍔鳴”は誰が相手でもそう簡単に負けないし、暗殺も許さない。でも“ヨンさま”は……)

“bS”は暗殺部隊所属である。彼女は正体の発覚を避けるために表立って闘えない。
 つまり“獣の第六感”の対象が“bS”なら、怪我をした上に正体がバレるという最悪のコンボが成立するだろう。
 逆に、もし“鍔鳴”が対象だったら。

(恐らく“契約書”絡みの戦闘。それが一番可能性が高いはず)

 今現在の所持者は、
 紅薔薇の蕾・小笠原祥子。
 元白薔薇勢力総統“九頭竜”。
 黄薔薇勢力総統“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”。
 今朝、“冥界の歌姫”蟹名静から“九頭竜”に所持者が移ったことは、休み時間で調べがついている――その後白薔薇・佐藤聖に渡り、更に“玩具使い(トイ・メーカー)”島津由乃に高速移動しているのは、さすがに知らないが。

(同じ勢力にある祥子さんと闘うとは思えないから、“九頭竜”か“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”のどちらか――いや、)

 今“九頭竜”は“契約書”争奪戦どころではないだろう。何せ勢力が解散した直後なのだから。彼女の動向は常に気になるが、“九頭竜”の動きは何度やっても“送信蜂(ワーク・ビー)”には読めなかった。あれは“送信蜂(ワーク・ビー)”の想像と発想を超えて動いているので、予想もできない。
 あの“九頭竜”が白薔薇勢力を解散させたのだって、きっとその先にある目的のためだ、という確信がある。彼女に限って統率が取れなくなってやむを得ず解散、なんて失態はありえない。
 敵勢力じゃなければ、傾倒していたかもしれない。それくらい“送信蜂(ワーク・ビー)”は“九頭竜”を強く意識し、高く見積もっている。

「よくわかんないけどうちの総統じゃない?」
「かもしれないですね」

“夜叉”は「なんてことない」という態度でそれを口にし、それくらいは考えるだろうことを知っている“送信蜂(ワーク・ビー)”もなんてことなく同意した。
 ごく自然に発言したが、これも“夜叉”の恐ろしさだ。紅薔薇勢力内でもまったく知られていない“鵺子”の“獣の第六感”をすでに知っている、ということだ。たとえそうじゃなくても、“鵺子”の異常な反応だけでどんな能力なのかを推測し、それを確かめるために発言した――そう考えると、これで一つ情報が漏れたことになる。
 だから一緒にいたくないのだ。

「やっぱり“鍔鳴”?」
「あの子以外に今誰が動くのよ」

 まだ争奪戦にのめりこむには早いと思っている“送信蜂(ワーク・ビー)”と、それはわかっている“鵺子”。“bS”は暗殺はできても戦闘はできない。
 基本的に“鍔鳴”は利益や立場を考えない。相手のも自分のも。常に主君の傍に置く護身の剣としては優秀だが、現状のような野に放った一個の駒としては扱いづらいと言わざるを得ない。
 まあ、今更だが。そんなことは全員納得済みだ。

「うちの総統、二階にいるらしいよ」
「え?」

“夜叉”は、更に「なんてことはない」という口調で情報を漏らした。

「今隠密が囁いた。中庭の観戦してるんだって。しかも“鍔鳴”と一緒にいるんだって。こりゃ推測が当たりそうだね」

 嘘をつく理由は、ないだろう。何せ確かめようと思えばここから1分だ。

「礼は言いませんよ」

 反射的に罠と誤報の可能性を考える“送信蜂(ワーク・ビー)”に、“夜叉”はつまらなそうに唇を尖らせる。

「いらない。というか正直なところ“鍔鳴”止めてほしいんだよね。いくらうちの総統でも、あいつを無傷では仕留められない。今怪我とかされても困っちゃう」

 なるほど合理的だ。それに、その理由なら裏もなさそうだ。しかも“送信蜂(ワーク・ビー)”達の利害と一致する。“鍔鳴”もまだ倒れられては困る、大事な大事な戦力だ。

「“夜叉姫”さまが止めればいいじゃないですか。おたくの総統でしょ」

“鵺子”のもっともなツッコミに、“夜叉”は激しく首を横に振る。

「あーむりむり。一度始めたらそう簡単に止まんないから。むしろ下手に止めたらターゲット私になるから。もう総統の相手イヤなんだよね。しんどいから」

 なんて放任主義だ。気持ちはわかるが。――なお、“夜叉”が“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”を止めた回数は一年生の頃から数えて軽く50回を越えており、さすがにもう止める気すら起きなくなっている。何せやれば骨一本で済むならまだ軽傷なのだから。お互いに。

「どうする“蜂”。止めるの?」
「私達が止めて聞くとは思えない。どっちも」
「だよね」

 そもそも「別行動を取ろう」と言って別れたのだ。どのツラ下げて闘いを止めるというのだ。

「なんだよ責任持てよー。君らんとこの遊撃隊長サマだろー。ちょっとー。先輩の言葉を聞きなさいよー。おーい。三年生だぞー。三年生のお姉さまなんだぞー。君ら二年だろー。聞いてるー? 聞いてないー? 聞けよー。……聞いてくださいよー」

 どこかの副総統が制服を引っ張って文句を言っているが、二人は無視だ。

「……仕方ない」

“送信蜂(ワーク・ビー)”は迷った末に、明らかに気が進まない表情で結論を出した。揺らされながら。

「紅薔薇に止めてもらおう」
「え、紅薔薇に頼むの?」
「そりゃいい考えだ。あの人ならうちの総統も止められるでしょーよ」

 勢力が解散している現在だが、誰でもいい、「誰かが止めるように頼んだ」という免罪符があれば水野蓉子なら動いてくれる。蓉子の面倒見の良さは相当なものだ。“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”の仲裁では、逆に“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”が対抗意識を燃やして油を注ぐ結果になりかねない。黄薔薇・鳥居江利子は面白がりそうで当てにならないし、白薔薇・佐藤聖には止めてくれる理由がない。
 部下として、トップにある紅薔薇を便利扱いするのは気が引けるが、優秀な駒が減るよりはマシだ。そういう意味で蓉子も納得してくれるだろう。

「“夜叉姫”さま、今紅薔薇どこですか?」
「“鵺子”さんさ、ストレートに私に聞くなよ。敵でしょ。せめて事前に漏らすまで待ちなさいよ。……で、どこ?」

 あらぬ方に顔を向けて誰かに問うと、誰かが「ミルクホールです」と答えた。やはり“夜叉”には隠密が張り付いているらしい。

「え、何? まさか食べてるの?」
「その情報はまだ。ただ、白薔薇と一緒です」
「ああ……白薔薇のエネルギー補給の付き添いかな。今朝かなり無茶したって聞いたし」

 ということらしい。
“送信蜂(ワーク・ビー)”は“鵺子”を見、意を察した“鵺子”は頷いて走り去った。――自然と動き出すこの辺は、部署柄の役割分担が決まっているからである。

「で、“姫”さまはこれからどうするおつもりで?」
「どうしよう? 暇だから話しかけてみたんだけど。なんか面白い話ない?」

 どうやら“夜叉”も、今は動くつもりがないようだ。……いや、“夜叉”のことだから、ここで様々な情報を集めているとも考えられる。
 「暇だから」と雑談なんてしない。暇なら己と組織の利益を考え動く。だから副総統なのだ。
 だが、それはお互い様である。
 副総統の“夜叉”は、ケチな情報屋とは違う。口を滑らせることはまず考えられないが、裏とたくらみ付きで有益な情報を漏らす可能性は低くない。その裏とたくらみを見抜ければ、情報は丸取りだ。
 油断したら搾取されるだけだろうが――“送信蜂(ワーク・ビー)”は踏み止まり、ここで“夜叉”からの情報収集を試みることにした。普通に情報を集めるよりきっと得るものは多い。

「面白い話と言えば……あ、ちょっと失礼」

 脳に直接訴えかけるような声――どうやら誰かが“通信機”で声を掛けてきたようだ。




 図書室の片隅に集う者達は、眉を寄せていた。

「いったいどれほどのものなのか」

 先の「わからにゃいよ」の返答から、本気で信憑性の疑惑が発生した。
“冥界の歌姫”蟹名静、無所属最強“鴉”、そして華の名を語る者“雪の下”の三名は、話し合った末……というわけでもなく、“鴉”の問題提議に静が同意した形で方針を決定した。
 確かに静は、かなり虫の良い質問をした。
 返答にはそんなに期待していなかったが、想像以上に心配するしかない答えが出てしまった。
 いったいどれほどのものなのか。
 このふざけた存在の“雪の下”の即席占い“マリアさん”が、どれほどの当確率と精度を持つのか、まず確かめる必要があると判断した。
 まず、確かめよう、と。
 まず、この“マリアさん”占いがどれくらい正確なのか確かめよう、と。

「答えはふざけていたけれど、内容自体は問題ないと思う」
「そうね」

“鴉”の推測に静は頷く。
 「わからにゃいよ」という答えには、二つの可能性がある。
 一つは、“マリアさん”の精度の問題だ。単純に力が強いだけでまったく役に立たない、棒倒し並の正解率である可能性。
 二つ目に、“雪の下”が知識として持っていない答えであること。「わからない」の言葉通りの意味である可能性だ。
 一つ目はこれから確かめるとして、問題は二つ目だ。
“調停の魔女”や“月面流星(ムーンフェイス)”という最高レベルの占い使いは、自分の知識にないことも答えに反映するが、そこまでできるのは才能だ。ただ力を注ぎ込んだだけで精錬も鍛錬もしていない即席の、それも初体験の占いで、多くを求めるのはさすがに酷だ。

「“雪の下”さんが知っている質問をすればいいのね」
「それも微妙。こいつ勘違い多いから、答えや認識自体がズレてたり間違ってたりするのよ」
「わかる」
「……悪口を言ってますよね? 二人で私の悪口を言ってますよね?」
「「いいから続けて」」




「――そこのあなた!」

 戦線から脱出して一目散に一階まで駆け下りる。
 また一般生徒の中に紛れ込んだ矢先、断続的に響き渡る破壊音を遮るような凛とした声が、“bS”の足を止めた。
 この声は聞き覚えがある。
 そして「そこのあなた」が自分を呼び止めていることも、自然とわかった。
 振り返った先には、やはり紅薔薇の蕾・小笠原祥子が走ってくるのが見えた。

「誰かに会えてよかった。今大丈夫?」
「ええ、大丈夫」

 ――祥子は“bS”の正体を知らない。祥子の認識では、“bS”は目覚めていない紅薔薇勢力の協力者、である。

「悪いけれど、これからすぐに福沢祐巳さんを呼んできてほしいの」
「福沢祐巳さん? シンデレラの練習に立ち会っていた?」
「そう、その一年生」

 頼まれごとの納得はできている。
 山百合会の一員である祥子が行くより、目覚めていない(と思っている)一般生徒を伝言に行かせた方がいいだろう。そうじゃないとまた祐巳の周囲が騒がしくなってしまう。……決して祥子が大物ぶっているわけではない。
 だが、祥子はなぜ祐巳と接触しようとしているのだろう?
 そこがわからないし、そこが一番気になる。

「あの、どうしてか聞いてもいいかしら?」

 できるだけ気弱を装い、訊ねてみる。

「ごめんなさい。頼んでおいてなんだけれど、まだ誰にも言えないの」
「誰にも、って、紅薔薇にも?」
「ええ。まだ言うべきじゃないと思っているわ」

 そこまでか。そこまでの理由があるのか。福沢祐巳との接触に。
 この頼みを聞くべきかどうかで迷っていると、断続的に聴こえる爆音に逆らうような高い足音が高速でやってくる。
 目を向けると、もう近くに足を止めていた。

「お、ヨンさ…………やあサッチー! 元気!?」

“鵺子”だった。――出会い頭で危うく“bS”を呼びそうになったが、あからさまに強引にわざとらしく豪快にごまかした。

「……誰がサッチーなの?」

 冷め切った祥子の視線が、向けられていない“bS”にも痛い。我が友人ながら今のはかなりきついと思ったからだ。
 まあ、幸い気にしないでくれたようだが。たぶんあえて。

「ははは。それより何やってるの? え、私? 私はこれからミルクホールに行くところ」
「聞いてないけれど」
「あれ、“鍔鳴”と“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”っぽいのよ」

 あれ、と言いながら天井を指差す。狙ったように爆音が一つ鳴り響いた。

「わかるでしょ? まだ早いから紅薔薇に仲裁してもらおうと思って」
「別に異論はないし、それも聞いてないけれど」
「サッチーは何してるの?」
「だからサッチーはやめ……あ」

 あ。
 本当に、「あ」という感じだった。“鵺子”も、“bS”も。

「あ」

 相手も同じだった。
“鵺子”に続き、二人目の乱入者と言うべきだろうか――いきなり目の前に出現したのは、“契約書”の通った紐を咥えた「胡散臭い」が制服を着たような輩“複製する狐(コピーフォックス)”だった。
 この登場は“瞬間移動”でのものだ。そして口に咥えている“契約書”が意味するのは、両手を使える状態にしておくこと。
 二つの理由を考えれば、自ずと答えは出る。
 誰かから奪って逃げてきた直後、または最中なのだ。
 ――本当なら、更に“瞬間移動”を続けて逃げるつもりだった“複製する狐(コピーフォックス)”は、予想外の顔ぶれの真正面に出てきてしまったことで、一瞬動揺してしまった。距離にして1メートルの間隔さえない。
 特に、小笠原祥子には驚いた。
 それに加えて、祥子が首から掛けている“契約書”にも視線が吸い込まれる。
 だから反応が遅れた。

 ほとんど反射的な動きだった。
 祥子が瞬時に具現化した“紅夜細剣(レイピア)”。剣線が真紅の流れ星のように空をよぎり尾を引いたと思えば、それは“複製する狐(コピーフォックス)”の右足に流れ込んでいた。
 時同じく、“鵺子”も動いていた。
 反射的な動作と肉体的な能力に限れば“鵺子”の方が祥子より上のはずだが、なぜか実際にはこういう場面で微妙な差が出る。
 祥子の攻撃に併せるかのように、“複製する狐(コピーフォックス)”の左側面にステップを踏んで、憑依し強化した“豹”の右手を振るう。鋭い爪が制服を通して左の二の腕をえぐり――消えた。

 メキ、と小さな音がした。

「――いきなりご挨拶だね、紅薔薇の蕾。“鵺子”さん。びっくりしちゃった」

 音と声に三人が振り返ると、“複製する狐(コピーフォックス)”は逆さになって天井にしゃがみこんでいた。
 右手の指先が天井に突き刺さり、めり込んでいる。どうやら腕一本で身体を支えているようだ。
 そして左手には“契約書”。
 間違いなく“契約書”だ。

「あのタイミングでよく避けられたわね」

 祥子は“紅夜細剣(レイピア)”を下げつつ、盗人に賞賛の声を送った。

「いや、ほんとに危なかったよ。ギリギリだった」

 ほんのわずか身を引いて、なんとか裂傷に済ませたが、それでも軽傷ではない。“複製する狐(コピーフォックス)”の反応が少しでも遅れていたら、右足は貫かれて縫い付けられていただろう。
 だが、問題はそこではなく、直後だ。
 そんなギリギリの紙一重をこなした直後に、怪我をしてなお“瞬間移動”を使用できたこと。
 予想外の動揺と、不意打ち同然の斬撃と怪我、そして“鵺子”の追撃。
 これだけのイレギュラーが一度に重なっても集中力が途切れず冷静に対応したのだから、“複製する狐(コピーフォックス)”の曲者ぶりが嫌でも際立つ。

「八つ裂きにしてやるから降りて来い! 別に私から行ってもいいけどね!」
「“鵺子”さんもだいぶ強くなったよねー。今や紅薔薇の……なんだっけ? サッチー親衛隊の副隊長だっけ?」
「突撃隊だバカ野郎! 誰がサッチーの親衛隊なんかするか! ……あ、サッチーのこと嫌いって意味じゃないよ!?」
「そうなの? じゃあ誰の親衛隊ならいいの?」
「“鍔鳴”が三年か一年だったらなぁ……って何言わせんのよ!」
「わかるよ。“鍔鳴”さん美人だし。でもサッチーも美人じゃない」
「でもサッチーきつそうじゃん。顔からしてドSじゃん。もうちょい可愛らしさが残ってた方が好みだわ」
「そこ突かれると痛いよね、サッチー?」
「……だからサッチーはやめなさいよ……」

 ダメだ、と祥子は首を振った。“鵺子”は強いが挑発に乗りやすい。すっかり“狐”に化かされている。

「それより“狐”さん。その“契約書”だけれど」
「誰から奪ったか、って?」
「教えてくれる?」
「誰からでもいいじゃない。調べればすぐにわかるんだし――すぐ気にならなくなるし」

 曲者の妙な言葉に、祥子は首を傾げた。

「へっへっ。ではごきげんよう」

 意味を聞く前に、フッと“複製する狐(コピーフォックス)”は消えてしまった。
 だが、本当に、そんなことも気にならなかった。

「あ、あいつ……何考えてんだ……」

“鵺子”が唖然と呟き、祥子も化かされたような気分になった。

 ――“複製する狐(コピーフォックス)”は、奪ったばかりであろう“契約書”を捨てて行ったからだ。

「……サッチー、これどうしよう?」

 ひらひらと落ちてきた“契約書”を拾い上げ、“鵺子”はそれを祥子に差し出す。一瞬贋物かと思ったが、この禍々しい紫のオーラと強すぎる力まで贋物として再現するのは不可能だろう。
 本物だ。間違いなく。

「まずサッチーをやめて、それから“鵺子”さんが持っていけばいいわ」
「え? 私が?」
「これからお姉さまに会いに行くのでしょう? その気があるならお姉さまに渡せばいいわ」

“鵺子”は「あ、そうか」と手を打った。
“鍔鳴”と“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”の勝負を止めてもらう報酬に、“これ”を渡せばいいのだ。これなら明確な蓉子の動く理由となってくれる。

「サッチーはそれ、どうするの?」

 と、“鵺子”は祥子の胸元にある“契約書”を指す。紅薔薇に渡す気があるのか、と訊いているのだ。

 ――実は、この時点で紅薔薇勢力が“契約書”を三枚押さえていることになる。この場に二枚と、島津由乃から奪った“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”で三枚である。その事実を知らないだけに、一人蚊帳の外っぽい“bS”はともかく、祥子と“鵺子”の思考は気楽なものである。

「渡すつもりではあるけれど、でも私の手からはお姉さまは受け取ってくれないわ」
「そうなの?」
「争奪戦参加はお姉さまの命令。そして参加する以上は私個人が女帝を目指せ、自分に遠慮するな、って。そういう意味だから」

 祥子はもう蓉子に付き従うことを決めているが、蓉子は己の誇りにかけて、無条件で“契約書”を受け取ることはないだろう。妹である祥子からは特に。
 いずれ祥子は紅薔薇に――自分の跡を継ぐと思っているから、だからこそ蓉子は祥子に、自分を越えてもらいたいと思っている。
 もし蓉子が“契約書”を受け取ることがあるとすれば、祥子を倒した上で奪い取る。そんな方法を選ぶはずだ。
 真面目で堅物で誇り高いのも結構だが、状況に併せた融通くらいは利かせてほしいものだ。
 まあ、そんな蓉子だから、祥子が認めたお姉さまなのだが。

「急がなくていいの?」

 今まで蚊帳の外だった“bS”が言った。“鵺子”に。

「あ、そうだった! じゃあねサッチー! あとヨ……じゃあねそこの人!」

“鵺子”は走り去った。「やべっ」って顔をして。
 もうバレバレだ――“bS”は溜息をついた。
 祥子が触れないのは、もうわかっているからだ。さすがにもう“bS”がどんな存在なのかは察しているだろう。察することができないようでは紅薔薇の蕾として、紅薔薇の後継者として皆に認められていない。
 ――だが、そろそろ良い機会なのかもしれない。
 先程の咄嗟の“複製する狐(コピーフォックス)”強襲を見て、なるほど紅薔薇の後継者だという確信を得た気がする。相手の動作を封じ、かつ情報収集に支障をきたさない攻撃……あんな咄嗟の場面にこそ本質が現れる。非常に冷静で的確な判断をしたと思う。
 そろそろ紅薔薇の蕾として、暗部の使い方を学んでもらいたい。
 水野蓉子でさえ全てを把握できていない、紅薔薇勢力の闇のことを。

「話を戻すけれど、頼めるかしら?」
「……連れてくればいいの? それとも伝言?」
「できれば連れてきて。ここで待っているから」
「わかった。それと、祥子さん」

“bS”の気配が消え、その瞳に刺すような無機質な殺気が生まれる。
 だがそれを見ても、祥子は微塵も動じない。
 ――“bS”が本気で紅薔薇の蕾を認めたのは、この時点でだった。
 たとえ水野蓉子が卒業して代が変わろうと、小笠原祥子ならば自分は付いていける。そう思った。

「まだ名乗れないからあなたの頼みは聞けないけれど、隠密はやるから。目と耳が欲しければ連絡を」
「憶えておくわ」

 ――暗殺部隊所属メンバーは、個人個人で幹部の権限を持つ。その暗部が誰かに身分を明かすことは、即ち行使権を与えることに他ならない。暗部の上役は別にいるので、これは個人的な繋がりである。暗殺依頼は上役から回してもらうことになるが、蕾のポジションは幹部としての権限を持たないので、まだそっちで働くことはできない。
 リリアンの闇でしかない暗部だが、暗殺だけしかできないわけではない。それを知ることが使役する者の第一歩だ。優秀な将に従えば闇だって輝く。現に代々の三薔薇のほとんどは、暗部と上手く付き合ってきた。蓉子も例外ではない。
 きっと祥子も、祥子なら上手く使ってくれるだろう。




 図書室の片隅に集う者達は、眉を寄せていた。

「いったいどれほどのものなのか」

“冥界の歌姫”蟹名静、無所属最強“鴉”、そして華の名を語る者“雪の下”の三名は、話し合った末……というわけでもなく、“鴉”の問題提議に静が同意した形で方針を決定した。
 訊いた質問は――

「“雪”のバストサイズは?」

 ひとまず、この辺から攻めてみた。
 数字に誤認はない。本人なら知っていて当然の質問で、“雪の下”は「えー」と微妙に嫌がりながらも“マリアさん”占いを執行した。
 そして、疑問が再び浮上する。
 いったいどれほどのものなのか。
 確率ない身でも、サイズ的な意味でも。

「…………九十越えって」
「…………そんなに成長してるの?」
「…………いえ、その、最近ちょっと胸回りがきつくなってるので、もしかしたらもう少しだけ大き――あっ、やめてっ! いやっ!」

“雪の下”は直で確かめられた。ぶっちゃけ揉まれた。二人掛かりで揉まれた。

 驚愕の事実がそこにあった。




 随分身軽になったと実感する。
 本当に肩が軽くなるような、誰に憚ることない心のまま周囲が明るく見えるような。
 思えば、高等部に入ってからずっと、気を張り詰めていたような気がする。
 ――元白薔薇勢力戦闘部隊隊長“氷女”は、そんなことを考えていた。心なしか表情が優しいのもそのせいだろう。
 生真面目で堅物で融通が利かなくて、だからずっと幹部であることを、力を持つ者の責任を果たすことを考えていた。強いられる氷の意志と本質である激情が常にせめぎ合い、知らず“氷女”を重責に縛り付けていた。
 そう考えると、どこかふざけている“宵闇の雨(レイン)”と親密になったのも、なんだか頷ける。彼女が適度に油を差し、“氷女”の意志や思想を巡らせてくれなければ、精神的な意味で“氷女”は擦り切れていたかもしれない。
 見た目と二つ名に反する元来の情深さで揺れていた。それは上に立つべき人間じゃないことを訴えていたのだろう。たとえ能力は優秀でもだ。
 まあ、ずっと前から気付いていたことだ。
 それに今は解散直後。平気なようで放心していて、まだ冷静になれていない部分もあるのかもしれない。

「白薔薇勢力が解散した感想はいかがですか?」

 薔薇の館から出てきて、そのまま歩き続ける護衛対象“瑠璃蝶草”は、顔も向けずに、左やや後方にいる“氷女”に訊ねた。
 彼女は、冷徹な見た目通り感情が見えない。声も温もりを感じさせない。
 ついさっき教室まで迎えに行き、初対面を果たした“瑠璃蝶草”のことは、まだ何も知らない。できれば色々聞きたいところだが、その冷たい瞳を見た時点で半分は諦めた――あの感情を殺した瞳は、情報を扱う者の思慮深い瞳だ。そうだとすれば簡単に情報を漏らすわけがない。

「肩の荷が下りた。元々上役には向いていない、ずっとそう思っていたから」

 だが、決して白薔薇勢力が嫌だったわけではない。
 慕ってくれる部下や後輩は可愛いし、成長を見守るのも楽しかった。自分がやるしかないこともわかっていたし、自分にしかできないことがあり、持っている力が何かの役に立つことに喜びも感じていた。だから今まで我慢と無理ができたのだ。
 好きだった、とは思う。
 不思議と執着心がないのは、やはりまだ実感がないからだろうか。

「お互い、力の責任は重いですね」
「私はあなたほどじゃない」

 いったい“瑠璃蝶草”がどういったポジションにいるのかわからないが、力の強さだけはバッチリ感じている。余裕で三薔薇を越えていたりするのだから、山百合会もそこらの組織も方々で重要視するだろう。そして誰しもが簡単に触れられないだろう。
 少なくとも、“瑠璃蝶草”は力の責任を自覚している。今はそれだけわかればいい。
 銀杏並木を歩く。
 目的地は聞かない。
 どこに行こうが“氷女”は付いていくだけだ――姿の見えない“影”も。

「ところで“氷女”さま、ずっと気になっていたことがあるんですが、聞いてもいいですか?」
「何?」
「冬って寒いですか?」
「普通に寒い。平気なのは自分の“氷”だけ。それでも下がった気温の方なら寒い」
「でも夏場は大人気でしょう?」
「人気かどうかはわからないけれど、一年生の頃の夏に、物理的にも精神的も冷たいとは言われたことがある」
「モテます?」
「妹はいない。それが答え」

 見た目によらず意外とおしゃべりな“瑠璃蝶草”と、そんなどうでもいいことを話しながら、向かう先らしきお聖堂が見えてきた。
 ここに来ると、嫌でも今朝のことを思い出す。
 ――佐藤聖に負けたのは悔しいが、判断と決断には何一つ後悔はなかった。
 聖のことにしても、ケジメは取ったのだ。聖も最後の白薔薇の務めを果たし、やり遂げた。だからもういい。いずれ再戦は望むかもしれないが、個人的な恨みなどは皆無だ。
 それはそれとして。

「ここに何か用が?」

 お聖堂は、三薔薇や山百合会が表に出せない勝負をする時によく使用される。山百合会専用というわけでもないが、知っている者は避けるのだ。多くは山百合会と関わって良いことはあまりないから。
 場所的にも闘っていい場所ではないのだから、普通に避けもするだろう。

「“氷女”さま」

 扉の前で“瑠璃蝶草”は振り返った。無機質なメガネのレンズが光る。

「ここで待っていてもらえますか?」
「できない。私は護衛だ」

 即答した。
 これが“瑠璃蝶草”に頼まれた護衛なら本人の意向に沿うが、そうじゃない。いない間に襲われるのもアウトだが、それより護衛対象に逃げられたりはぐれたりする方が心配だ。
 三薔薇を越える力を持つ者である。目を離してはいけない。何をするのも確かめる必要がある――それも込みの護衛である。だから最初から“影”が付いているのだ。
 しかし“瑠璃蝶草”もその答えを予想していたようだ。

「知らない方がいいと思います。知ったら三薔薇に睨まれますよ。それでもいいですか?」
「私はあなたの護衛。何度も同じことを言わせないで」
「忠告はしましたからね」

 そして“瑠璃蝶草”はお聖堂へと踏み込み――あとを追おうとする“氷女”に、

「“氷女”さま」

“影”が姿もなく声を掛けた。

「彼女の言うことは本当です。三薔薇に睨まれる覚悟はできてますか?」
「あなたは知っているの?」
「はい」
「まずいの?」
「かなり」
「忠告はありがたいけれど、最初から選択の余地がないから」

 そういうのも含めての護衛である。
 そこらの駆け出しや新人、慣れてきて油断が生まれる中堅ではない。やると決めたらやるだけだ。
“氷女”はありがたい忠告を胸に、“瑠璃蝶草”を追ってお聖堂に踏み込んだ。

 ――結論から言うと、「なんか納得」だった。

 お聖堂は、今朝の佐藤聖と蟹名静の一戦のせいで、ひどい有様だった。
 目を覆いたくなる破壊の跡、直視に耐えない空気に滅びの臭いがした。絶対にここにあってはならないものばかりで染まっている。あまり信心深くない“氷女”さえ眉をひそめるような惨状だった。
 ほぼ半壊。
 外見は問題ないが、中は平気なところの方が少ない。
 本来なら神聖な場所であるべきなのに、大切に守る場所であるべきなのに、罰当たりにも程がある光景である――それでも主の像には傷一つないところに、リリアンらしさがあるといえばあるような、ないような。どちらにしろ罰当たりか。
 こういうのの修繕は“創世(クリエイター)”使いの仕事である。少々時間は掛かるかもしれないが、このままにはしておけないだろう。リリアンの子羊として。

「“氷女”さま」

 瓦礫を避けながらお聖堂の中央へと向かう“瑠璃蝶草”は、振り返らず言う。

「侵入者に注意してください。誰にも見られるわけにはいかないので」
「…? もちろん気をつけるが」

 よくわからないが、元からそれを許すつもりはない。侵入者には気を配っているが、それより“瑠璃蝶草”の動きの方が気になる。いったい何の用でここに来たのか。

「“影”さん、手伝ってくれる?」
「……まさか私に“契約”しろと?」
「お願い」
「……………………はぁ」

 憂鬱そうな溜息とともに、“氷女”の隣にいた“影”が現れた。

「“契約”の内容はきっちり確認するから」

 珍しく顔を見せたばかりか若干嫌そうな“影”は「警戒してます」とばかりに言い、“瑠璃蝶草”は「ええ」と頷きながら笑っていた。
“瑠璃蝶草”が右手を上げ、そこに力が生まれた。
 紫のオーラを放つ一枚の紙の具現化――紛れもなく“契約書”であった。

(そういう関わりか!)

“氷女”は、山百合会と“瑠璃蝶草”の関係を察した。
 突然降って湧いたような“契約書”と争奪戦。“氷女”が現物を見た限りでは、確かに“契約書”は絶大なる力を有していて「本当に力を与えてくれるものかもしれない」と思うことはできた。
 だが、疑問は多々ある。
 ない方がおかしい。
 色々とあるが、一番大事なのは“契約書”の出所だ。
 あんなものを具現化する能力者の存在こそ、誰もが気になるところだった。しかし山百合会が関わる以上、探りを入れるには難易度が高すぎるし、何より、一番女帝に近いであろう三薔薇を気にするより争奪戦へ注視するべきだ、と考える者がほとんどだ。知恵を寄せ力を合わせ争奪戦を勝ち抜ければ、一気に三薔薇を追い越せる。諸々の疑問なんて勝ったあとで解消してもいい。
 それにベテラン連中はすでに知っている。
 あれだけの力を具現化する者がいる――ならばいずれわかるだろう、と。時間さえあればどうとでも調べられることを知っている。

(それにしても、“契約書”とはいったい何なんだ?)

“氷女”は字面としてしか理解していない。
 だがあれほどの力となると、「字面としてしか理解できない」という事実に、恐ろしい可能性を見出してしまう。
 ――聞きたいが、聞かない。
“氷女”はただの護衛だから。

(“レイン”だったらこれを見ただけでも、多くの推測を立てただろうが……)

 しかし“氷女”は、そこから先を考えるのをやめ、“瑠璃蝶草”と“影”に背を向けて出入り口に注視する。
 本人や“影”の言う通り、これは誰にも見せてはいけないものだ、と判断したからだ。

 ――この判断こそ、かつて白薔薇勢力総統にと噂された“氷女”の優秀さの表れである。
 もし“氷女”がこの判断を取っていなければ、確実に目撃者が増えていたからだ。




 図書室の片隅に集う者達は、眉を寄せていた。

「いったいどれほどのものなのか」

“冥界の歌姫”蟹名静、無所属最強“鴉”、そして華の名を語る者“雪の下”の三名は、違う意味で夢中になっていた。

「“鴉”さん、二十二歳で結婚するんだって」
「ふうん……大学出てすぐかしら」
「その前に交際相手が気にならない?」
「あまりならない。別に高望みしないし、本が好きならそれでいいから」
「クールね……」
「じゃあ次は静さんを“占って”みましょう」
「え、やめっ……あ、でも、ちょっと気になる。相手とか」

 だいぶ話が脱線していた。




 背を向けた“氷女”に気付かず、“瑠璃蝶草”は“契約書”と“専用万年筆”を“影”に差し出す。
“影”は嫌そうな顔を隠そうともせず、不吉なオーラを撒き散らす“契約書”を受け取る――大まかにどんな内容かは予想できていた。
 そして“契約書”の内容は、予想通りだった。

「『一時的に“創世”の力を与える』……か」

 ――“瑠璃蝶草”がここにきた理由は、お聖堂の修繕である。
 ほとんど注目されないし、誰も見ていない時を狙っているんじゃないかと疑いたくなるくらい、“創世(クリエイター)”使いは目立つことなく校舎や器物を修理する。時には敗者回収も行う。
 派手な破壊と、地味な再生。
 永遠とも無駄とも言える無為なループは、今日もリリアンを支配している。
 だが、虚しい繰り返しであろうと、やらないわけにはいかない。
 もし修繕を怠れば、一ヶ月で校舎は瓦礫の山と化す。地味で目立たないが、“創世(クリエイター)”使いがいないとリリアン女学園はすぐに崩壊するのだ。
 今現在、特にやることがない“瑠璃蝶草”は、自分にできることでリリアンに貢献しようと考えており、その一つが器物損壊の修繕だった。周囲の目があるので表立っての使用はできないが、密室内で人の目を盗んでならばこうして使用もできる。

「私は“創世(クリエイター)”の能力は使えないから、力を得ても使い方がわからない」
「大丈夫。“契約”すれば“わかる”から」
「……………………はぁ」

 いくら待っても「嫌ならいい」と引かずじっと“影”を見詰める“瑠璃蝶草”に根負けし、“影”は嫌そうな顔で嫌そうな溜息をつくと、自分の左の掌を下敷きにして署名欄に名を記した。
 途端、“契約書”と“万年筆”が消え、代わりに“影”の右手が紫の光を放ち出す。

 ――なるほど、と思った。確かに“契約”したら感覚的にやり方は“わかる”。

 やり方は、この右手で触れるだけでいい。
 元々“創世(クリエイター)”による修繕は、特別な能力ではない。基本的に触れた物質に仮初の生命を与え、その生命が起こす自己修復機能に任せるだけでいいのだ。
 能力ではなく、力を込めるだけ。
 そんな単純明快な能力なだけに、“影”は一時的に得たこの力の奥深さを感じていた。
 そしてもう一つ、気付いたことがある。

 ――力を込めるだけ。力を与えるだけ。

 この“創世(クリエイター)”の力の使い方と、その形。奥深さ。
 あるいは方程式と言うべきか。
 ――この力の使い方は、正体不明・意味不明の“契約書”と、どこか似ている気がする。
 「覚醒を人工的に行う」と言えば、リリアン史上類を見ない信じられないような高次元の能力としか思えない。いや、実際そうなのかもしれない。システムは繊細にして複雑で、仮に“瑠璃蝶草”と同じくらいの力を持っていたとしても、“影”には“契約書”の能力を使いこなせるとは思えない。そのシステムを理解できたとしてもだ。多分に才能に抵触していると思う。
 だが、考え方を変えたらどうだろう?
 ただ力を吹き込むだけ。
 ただ力を与えるだけ。
 そう考えるだけで、「ありえない異能」が、非常にシンプルな構成をしているように思えた。

 手近な物に触れ、仮初の生命を吹き込んでいく。
 やはりただの“創世(クリエイター)”能力と違い……いや、根本は同じなのだろうが、力の強さが桁違いなせいで、信じられない速さで再生と結合と融合が進んでいく。
 遠い物は浮き上がりゆるやかにあるべき所へ向かい、目に映らない塵に等しいほど粉砕された粒子さえ、集まってはまた一つの物質に戻っていくのが、今の“影”には理解できた。

 後から思うと、珍しく浮かれていたのだろう。
“影”は久しぶりの失態を犯していた。

「――誰か来るぞ!」

 注意深く周囲を警戒していた“氷女”が激を飛ばし、“瑠璃蝶草”と“影”はぎょっとした。
 特に“影”の驚きは、“瑠璃蝶草”の比ではない。
 己の失敗に気付いたからだ。

 一時的な力に浮かれて、“戯言を囁く地図(バベル・クラフト)”による周囲の警戒を怠っていた。

“影”は常に、“戯言を囁く地図(バベル・クラフト)”で主要人物、要注意人物の位置を確認している。遭遇しないように迂回したり接近する者を警戒したりと、その有用性は非常に高いことを自覚している。
 だからこそ、わずかな時間でもそれを怠っていた自分を悔いた。
 今朝の久保栞のように“戯言を囁く地図(バベル・クラフト)”に“登録”していない存在は警戒しようもないが、あれは例外中の例外だ。どうあれターゲットに張り付いている間は常に確認していなければならないのに。

「“影”さん、動かないで!」
「えっ」

 違和感も感覚もなかったが、とにかく驚いた。
 いつか見たあの現象――“瑠璃蝶草”の右手が“影”の胸に突き刺さり、ずるりと毒々しいオーラを発する“契約書”を引きずり出した。
“契約書”を“瑠璃蝶草”が回収し、消すと同時に、扉が開いた。

 ――隠匿が間に合わないと解釈した“氷女”が、有無を言わさず侵入者に殴り掛かることを決めた。
 この距離まで気配を感じさせないような輩は一般生徒ではないし、外でもお聖堂から感じられるだろう強大な“瑠璃蝶草”の力量を感知し、知った上で来るのなら間違いなく相応のベテランだ。
 とにかく“契約書”のことを漏らすわけにはいかない。
 運が悪かったと諦めてもらい、何かを見る前に意識を奪うのだ。
 ……と、思ったのだが。

「…っ!」

 相手の顔を認識した瞬間、“氷女”の方が止まった。駆けた“氷女”と扉を開く彼女との間は、30センチもなかった。“氷女”的にもギリギリの停止だった。
 ――別に、知った顔だから止めたわけではない。味方だから止めたわけでもない。
 ただ、このまま攻撃を仕掛けていたら、返り討ちに遭いそうだったからだ。

「あ、びっくりした。誰かと思ったわ」

 彼女は元同僚、元白薔薇勢力特務処理班長“神憑”だった。

(……危なかった……)

 もし“神憑”に危害を加えていたら、ただでは済まなかっただろう。“神憑”の実力は相当なものだ。それも戦闘用異能ではない分、何をするか、どんな闘い方をするのか検討もつかない。そして不意打ちだけに神経を注いで勝てるような相手でもない。
 ましてや今は、今朝の白薔薇戦の後遺症がある。いつもの状態ならまだしも、今一戦交えることになったら勝てる気がしない。

「“神憑”……何か用?」
「私の仕事をしにきたのよ」

 修繕である。“神憑”はリリアン最高クラスの“創世(クリエイター)”で、白薔薇勢力にあった頃もそれを専門に動いていた。
 現在フリーにあるだろう状態なので、厳密には仕事ではないはずだが、恐らくは彼女が自身に課している努めなのだろう。

「……今は遠慮して」
「中に誰かいるから?」
「察しているなら余計に引いて」
「あなた、忘れたの?」

“神憑”はずいっと顔を近づけ、“氷女”の両目を覗き込む。

「言ったわよね? 私の仕事を邪魔しなければ大体のことは任せる、って」

 当然憶えている。
 その主義と主張があるから、後輩に舐められようが軽視されようが、“神憑”はほとんど闘わない。それを知っていて、尊重したから、“神憑”を戦闘部隊ではなく特務処理班長などという雑用係に置いていたのだ――何よりよその勢力に渡せなかったから。
 ただし、自分の邪魔をされるなら、話は別だ。
 例えば、一年生の頃に揉めた“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”とか。彼女は破壊の痕に破壊を重ねようとした。だから“神憑”が抵抗したのだ。
 それにしてもまずい。
“神憑”の気配が段々重くなってきている。
 これは戦闘態勢に入る直前のようなもの。殺気じゃないところが独特である。

「10分、いや5分でいい。待って」
「私の邪魔をするのね?」
「しない。少しでいいから待ってほしいだけ」

 近すぎるほど近い間合いで、“氷女”と“神憑”は見詰めあう。いつも優しげな“神憑”の瞳が、無機質なガラス玉のように光と色を廃していく。
 まずい。本当にまずい。
 今の“氷女”に“神憑”を押さえる力はない。
 闘うことになれば、勝ち負けなんて関係なく、確実にお聖堂に強行突破されてしまう。
 そして、問題の力を見られてしまう。
 殺意と敵意の存在しない独特の緊張感が辺りに漂い――

「……他の誰かが言っていたら、拒否したけれど」

“神憑”は一歩下がった。

「三年間、あなたにはお世話になったから。あなたが頼むと言うなら断れないわ」

“神憑”が雑務長として充実した毎日を送れたのは、“氷女”や“宵闇の雨(レイン)”が“神憑”の周囲で起こる揉め事を解消してくれていたからだ。
 白薔薇勢力幹部にして、雑用係。
 白薔薇勢力にケンカを売るなら、一番最初に選ぶなら手頃な獲物だと“神憑”も思う。そんな“神憑”を一手間加えてでも擁護し、後ろ盾になっていたのが“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”、そして“九頭竜”だ。
 口にこそ出さないが、“神憑”はこれでも恩を感じている。そうじゃなければ本当に強行突破しているだろう――己の正義の下に。

「でも、一つ確認させて」
「何?」
「中で何をしているのかは聞かないけれど。でも“壊して”はいないわよね?」
「ああ……その、逆」

 言っていいのかどうか迷ったが、“氷女”は低く呟いた。

「一応“直して”いるところ。ただ、……人に見せられない理由があって」
「“直して”るのね?」

“氷女”が「そうだ」と頷くと、“神憑”は「だったらいいわ」と肩の力を抜き、微笑む。

「“氷女”さんと闘うことにならなくてよかった。あなたには勝てる気がしないもの」

 今はこっちのセリフだ、と“氷女”は思った。だがまあとにかく多少は待ってくれるようなので安心した。“氷女”も肩の力を抜き、――遠くに爆発音が響いた。
“氷女”と“神憑”は振り返り、空へ舞う残響に耳を澄ます。

「校舎かしら」
「もし校舎の爆破なら、やる者はわずかだ」
「ふふ。あの人は一年の頃から変わらないわね」

 きっと“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”だろう。誰も彼も無差別に巻き込むような無茶は、普通はしないしできない。

「それより、中の人だけれど」
「情報は与えられない」
「休み時間にも少しずつ修理していたのだけれど、まとまった時間があるから本腰を入れてやりに来たのよ」
「…………」
「私と、元部下も手伝って、丸一日掛けてようやく“完成”というレベルよ。それくらいひどい有様だったわ」
「……何が言いたい?」
「任せていいのか、って。向こうにも仕事ができたみたいだから」

“氷女”は、“神憑”がどこまで読んでいるのか計りかねた。
 まるで中の様子がわかっているような口ぶりでもあるし、単純に外から感じられる“瑠璃蝶草”の力の強さだけで判断しているのか。

「答えられない。気になるなら放課後に見に来てほしい」
「そう」

“神憑”は背を向け――振り返った。

「あなたの言葉じゃなければ引かなかった。忘れないで」
「わかった」

 正義。
“神憑”の言葉と行動に、“氷女”が久しく忘れていた正義を見た。

(私の正義はなんだったか……)

 一年生の頃から白薔薇勢力に属し、脇目も振らずに――そんな余裕さえなく、張り詰めたまま必死で生き抜き、もう三年生になってしまった。
 この力で、自分は何をしたかったのか?
 残り少ない高校生活で、何をするべきか?

 背負うものも寄りかかるものも失くしてしまった今、“氷女”はゆっくりと自分を見つめ始める。




 色褪せた“空間”に、息吐く間もないほどの物量と闘気が溢れていた。近い者で1メートル以内の、98の瞳が囲み、見ている。
 そんな中にありながらも、しかし蓉子は誇り高く、立っていた。

「では、続きをよろしいですか?」

 49の絶望が迫る――直前、蓉子は口を開いた。

「その前に問題」
「……はい?」
「もしあなたが長期戦に挑み、勝ち抜かなければいけない場合、何が必要だと思う?」

 何が?
 ほんの少し気が逸れた瞬間、蓉子の連続突きが一気に3体を消し飛ばした。

「無駄です」
「そうかしら?」
「……?」

 久保栞――いや、“桜草”は、違和感に気付いた。
 消えた思念体が、再生しない。
 だから先の質問の答えにも、気付いた。

「異能には相性があるわ。あの人には勝てるけれどこの人には勝てない。そんな相性がね」

 でも、と蓉子は続ける。




「だから私は選んだ。全ての異能に対応し、有利に導く能力を」

 紅い瞳が、一層強く輝く。

「――長期戦に必要なのは補給よ」

 女王を襲う左手は、甘美な棘で少しずつ“削り”取るのだ。















(コメント)
海風 >祭りだ祭りだー! イエー! 詳細は掲示板でイエイです。 某SSリンクにもなんとか広報とかしたいですね。参加者増えろ!(No.20153 2011-09-04 13:14:49)
愛読者v >祭りじゃ〜〜〜〜〜(No.20155 2011-09-04 23:24:05)
ピンクマン >図書室の三人…なにやってんだよw脱線しすぎてただのガールズトークになってる。(No.20179 2011-09-21 18:06:44)

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