がちゃS・ぷち

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No.3589
作者:海風
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2011-11-15 12:55:13
萌えた:5
笑った:3
感動だ:44

『嵐の中で輝いた』

【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】
【No:3196】【No:3205】【No:3233】【No:3249】【No:3288】
【No:3327】【No:3380】【No:3397】【No:3443】【No:3464】【No:3498】【No:3501】 解説書【No:3505】
【No:3509】【No:3515】 【No:3538】【No:3541】から続いています。









"狐"は知っていた。
 今現在、誰が"契約書"を持っているのか。

"狐"は悟った。
 今、自分が何をするべきかを。

 だから"狐"は、今日も無責任な一言を放った。

「紅薔薇が"契約書"を揃えたぞ。護りに入られる前に奪わなきゃ」と――




「ここが薔薇の館かー」

 およそ緊張感のない呑気な声に、藤堂志摩子はゆっくり振り返る。
 軋む階段に音を発てず、彼女はまるで隠密のように現れた。ただし隠れるつもりがなかった、というより、行くことを宣言するかのように気配を漏らしていたので、彼女の接近には志摩子もちゃんと気付いていた。

「初めて入ったけどー、案外普通だねー」

 許可も遠慮も躊躇もなく、誰もが恐れ避ける薔薇の館会議室――山百合会の居場所に、彼女はずかずかと入り込んできた。笑いながら。
 一年生にしてこの度胸。
 大物か馬鹿のどっちかで間違いないだろう。

「あ、一応許可は貰ってるよー。祥子さまがいいって言ったからー」

 別に非難する気もなく、ただぼんやり見ていただけの志摩子に、彼女はそんな言い訳を漏らした。笑いながら。
 ――元白薔薇勢力隠密部隊副隊長"鼬"である。
 一応、志摩子の護衛を買って出た元同僚……ということになる。どんな理由で護衛に着いているのかはまだ聞いていないが、可能性なんて一つか二つくらいのものだ。

「待たせたかしら?」
「ぜーんぜん。まだ用事があるって言うならー、下で待ってるよー」
「……いえ、もう行くわ」

 窓から見ていた祥子の背中は、もう見えない。




 福沢祐巳の覚醒の話をした志摩子は、手遅れながらまた迷っていた。
 果たして小笠原祥子に話してよかったのか、と。
 結果として自分や姉の佐藤聖に迷惑が掛かるのはいいとして、祐巳の身を危険に巻き込む一端を担ってしまったのではないか。
 祥子の高潔さと人格者であることを考えれば、早々戦闘に巻き込むとは思えないが……

(……ダメね)

 今更迷っても仕方ないのに。
もう志摩子は手札を切ったのだ。迷ったところで出したものは戻せない。
 ティーカップを片付けて、"鼬"とともに薔薇の館を出た。
 と――

「また誰か派手に始めたもんだー」

 校舎からの爆発音に、"鼬"はいつもと変わらぬ呑気な声を漏らした。そして志摩子はまた増えるであろう怪我人、それも一般生徒が巻き込まれてやしないかと眉を寄せる。
 いつものことながら、やはり今日もリリアンは暴力に満ちている。

「これからどうするのー?」
「保健室ね」

 やることがなければ、志摩子はよく保健室に詰める。怪我人の"治療"に当たるためだ。今日だけでもだいぶ保健室に通っているものの、怪我人が途切れることの方が珍しいのでよくあることである。
 そして、そんな想定通り――または理想にして志摩子にはそうあってほしいという勝手な願望も含めた答えに、"鼬"は満足した。

「それでこそ志摩子さんだー」

"鼬"がここにいる理由はそれだ。
 自分だったら考えられない。終わりのない献身、果てのない善意、見返りを求めない奉仕なんて絶対にありえない。
 だからこそ"鼬"は志摩子に惚れ込んだ。
 きっかけはさておき、今"鼬"を惹きつけているのは、まぎれもなく志摩子の"反逆行為"である。そんな彼女の尊い行為を邪魔する全てを排除するため、傍にいることを決めた。
"鼬"だけではない。
 想いの大小はあろうと、同じ気持ちを共有しているから、志摩子のために立ち上がろうとしている者がいるのだ。

「……どうかしたー?」

 並んで銀杏並木を歩く志摩子の顔は、薔薇の館の会議室で会ってから、やや曇っている。二人だけ残って祥子と志摩子が何を話したのかを知らない"鼬"は、志摩子の悩みは当然わからない。

「色々と考えることがあってね」
「へえー? 試しに話してみればー?」

 志摩子は"鼬"を見た。"鼬"はいつも通り笑っていた。

「一人で悩むより二人で悩んだ方が解決法も見つかるってもんだしー。あ、安心してー。面倒臭い問題なら首突っ込まないからー」
「……ふふっ。親切なんだか突き放してるんだか」

 適当に思える発言だが、"鼬"の気遣いにはちゃんと気付いた。――どんな厄介事でも自分を巻き込むことはないから心配するな、と。
 冷たいようでそうでもない。
 重すぎる荷物を背負い込んで、あまりに重過ぎるから他人にはその一端でも任せられない。だから話せないこともある。
 それくらい離れてくれた方が、背負い込む性格の志摩子には丁度良かった。

「……そうね。"鼬"さんはこれからも私に関わるのよね。ならば"鼬"さんには話しておいた方がいいのかもしれない」
「そうなのー?」

 志摩子の悩みは色々あるが、一番解決したいのはやはり根本だ。
 志摩子は前だけを見て、話した。
 自分のやっていることの矛盾。
 怪我人を"癒す"ことで生じる暴力の連鎖。
 ――自分は正義なんかじゃないこと。
 ――白薔薇として相応しい要素など一つもないこと。
 今朝、思い切って祐巳に話したおかげで、二度目はすんなりと口にできた。いや、相手が"鼬"……自分の味方になろうとしている者だからだろうか。
 いずれ失望されて離れていくのなら、早い方がいい。
 語り終えるまで、"鼬"は黙って聞いていた。

「……え? それが悩みなの?」
「え?」

 いつもの間延びした口調ではないしっかりとしたそれに、志摩子は少しだけ驚いて振り返る。
 ――"鼬"の真顔を見たのは、初めてだった。

(いえ……二度目?)

 どこかで見たことがあるような気もしたが、思い出せなかった。

「悩みって、本当にそれ?」
「え、ええ」

 しばらく黙って見詰め合い、"鼬"は笑った。いつもの作り笑いじゃなかった。

「あははー。なるほどねー。志摩子さんは私とはまるっきり違うんだねー」
「……違うの?」
「違うねー。感謝されこそしても、責められる理由なんて一つもないじゃないー。ましてや自分で責めるとかー。ないわー」
「でも私が"治療"した人は、その足で誰かを傷つけにいくわ。私はそれがわかっているのに"治療"するのよ。止めることもせずに」
「それはその人の責任でしょー。他人の責任まで志摩子さんが背負うことないじゃんー」

 そう、そんな風に考えることもできる。祐巳も似たようなことを言っていた。
 だが志摩子は承服しかねる。
 きっと本物の"反逆者"である久保栞を知ってしまったからだ。

「納得できないー?」
「残念ながら」
「そっかー。……その様子だとー、もう一つの理由にも気付いてないんだねー」
「もう一つの理由?」
「そー。みんなが志摩子さんを"反逆者"と認識している理由ー。私が……私達が志摩子さんを後押しする理由だよー」

 「志摩子さんはその理由を知らないんだねー」と、"鼬"は立ち止まり、志摩子に向き直る。

「案外本人は気付かないもんなのかもねー。……えっと、理想が久保栞さまなのー? あの未覚醒でずっと抵抗を続けたっていうー」
「え、ええ……」
「じゃあ大丈夫だよー。私は志摩子さんの方がよっぽど"反逆者"だと思うからー。絶対負けてないよー」
「……どうして? どうしてそう思うの?」

 切実に問う志摩子に応えず、"鼬"は進行方向に身体を向けた。

「答えをあげるのは簡単だけどー、私から聞いちゃダメな気がするかなー」

 伸びをし、頭の後ろで手を組み、歩き出す。
 渇望していた答えを持つ者の言葉は、単に出し惜しみや焦らしているという悪ふざけではなかった。口調は悪ふざけにしか思えないのに、不思議と言葉は信じることができた。

「そうだなー、誰かなー、誰から聞くべきかなー」

 本当に悩んでいるのか不安になるくらい軽い声で、"鼬"はああでもないこうでもないと思考をこねくり回す。

「……やっぱり一人しかいないかなー」
「誰?」
「島津由乃さん」

 意外な人物の名前が出たものだ。

「答えは由乃さんから貰うといいよー。由乃さんだったら変に志摩子さんの味方なんてしないからー、だからきっと信じられるよー」
「答えてくれないわ」

 というか、そもそも相談するような相手ではない。敵同士だ。少なくとも由乃はそう思っている。

「答えるよー。絶対答えるよー」
「なぜそう思うの?」
「志摩子さんが好きだからだよー。もう、超大好きだからだよー」

 …………

「ちなみに私も大好きだけどー。どれくらい好きかって一緒にお風呂に入りたいくらいだよー」
「…………」
「…………だめならシャワーでもいいけどー」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………わかったよー……軽いボディタッチだけで我慢するよー…………はぁ。テンション下がるわぁー……」
「"鼬"さんってやっぱりよくわからないわ」
「そうー? 私は本音だけで超不器用に生きてるつもりなんだけどなー。まっすぐにしか生きられないなにわの女なつもりなんだけどなー。あははー」

 それは完全ダウトである。にぶい志摩子にもわかった。なにわの女に怒られるレベルでふざけているのもわかった。
 そして。
 たぶんこれ以上の答えが貰えないことも、わかった。

「"鼬"さん、争奪戦は? 参加しないの?」

 この"鼬"は、次期白薔薇勢力総統と呼ばれた者である。やはり志摩子も"鼬"の実力は知らないが、推薦した"氷女"と"宵闇の雨(レイン)"が認めたのであれば、不相応なはずがない。

「んー。明日かなー。明後日かなー。はっきりしないけど参加はしないとねー」
「今、大事な時期でしょう? 私なんかと一緒にいていいの?」
「その点は問題ないよー」

"鼬"は自信満々に言い切った。

「"狐"がいるからー。誰も"契約書"を集めることなんてできないよー」

 笑いながら、瞳に真剣なものを覗かせる。

「たとえ三勢力総統でもー、三薔薇でもー、あいつがいる限り現状が動くことなんてないからー」




「こういうことかー!」

 紅薔薇勢力突撃隊副隊長"鵺子"は、叫んだ。
 それはもう、力いっぱい叫んだ。
 廊下のど真ん中で突然の襲撃、それも挟撃という逃げ場のない状況で、叫ぶしかなかった。

 ――事はほんの数分前。
 小笠原祥子と暗殺部隊所属"bS"と別れてミルクホールに駆けた"鵺子"は、ちょうど定食を食べ終わった白薔薇・佐藤聖と問題なく接触した。

「紅薔薇? 私をフッてどっか行ったよ」

 紅薔薇・水野蓉子の所在を問うと、ついさっき席を外したという。

「え? フラれたんですか?」

"送信蜂(ワーク・ビー)"がいたら確実に言っただろう――「そこじゃない」と。つっこむところはそこじゃないと。

「もう見事に。私との楽しい語らいより優先したいことができたみたい」

 その「楽しい語らい」とはブルマ談義のことだが、当然"鵺子"はそのことを知らない。知っていたら「そりゃフラれるわ」くらい言ったかもしれない。「時代はスパッツですよ」くらい意味深に聞こえるけれど実は浅い的外れなことも言ったかもしれない。

「そうですか……まいったな」

"鵺子"の目的は、紅薔薇勢力遊撃隊隊長"鍔鳴"と黄薔薇勢力総統"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"の戦闘を止めるために、紅薔薇・水野蓉子に協力を仰ぐことである。
 しかし、ここにいないとなると、

(時間的にもう手遅れじゃ……?)

 戦闘はすでに始まっている。これから蓉子を探して、頼んで、果たして間に合うだろうか。
 ――いや。

「紅薔薇の行き先は聞いてますか?」

 まだ諦めるのは早い。あの二人の戦闘が始まって5分も経っていない。長引くかどうかはわからないが、どちらも簡単に一撃必殺を食らい倒れるような存在ではない。

「聞いてないよ。何? 急ぎ?」
「私が白薔薇に聞いている時点で察してください」
「なるほど」

 個人的な遺恨はないが、本来、聖と"鵺子"は敵同士である。
 そんな相手に情報を求めているという現状は、緊急事態に他ならない、と。"鵺子"はそう言っている。

「いきなりだけど、"十架(クロス)"は元気?」
「え? 本当にいきなりですね」

"十架(クロス)"とは、"鵺子"の上役にあたる紅薔薇勢力突撃隊隊長の三年生である。現在、事情があって肩書きのみ残して実務と最前線から離れている。
 彼女がいれば、紅薔薇のナンバー2は"鍔鳴"ではなく"十架(クロス)"で間違いない。いや、戦闘力のみに限れば総統"紅蓮の魔犬(ケルベロス)"より優れているかもしれない。突撃隊隊長とはそういうものだ。
 しかし、有事の際に指揮は取れるが、"十架(クロス)"は今は闘えない。それは周知の事実である。
 そして事情を知る者の多くは、"十架(クロス)"をすでに一般生徒扱いとして情報網に入れていない。だから聖の耳にもあまり近況が入らない。

「最近ようやく登校できるようになりましたよ。遅刻と早退が多いですけど、時々出てきてます」
「へえ、もうそんなに回復したんだ。前線復帰も時間の問題じゃない?」
「どうでしょうね。本人はもう引退気分で楽隠居だと思ってるみたいですし」
「そっか。"十架(クロス)"とは決着をつけたかったけれど、……まあしょうがないか。じゃ、情報交換成立ね」
「え?」
「立場上ただで色々教えられないからね。"鵺子"さんも私に貸りを作りたくないでしょ? ――ちょっと来て」

 聖があらぬ方に呼びかけると、遠巻きに見ている群れの中から一人出てきた。

「……白薔薇、私は紅薔薇の隠密なんですが」

 そう、同じ勢力にある"鵺子"も知った顔だ。
 蓉子が監視と、聖に万が一があった時に連絡が取れるよう付けた隠密だ。隠密本人も気付かれていないとは思っていなかったが、まさか堂々と話しかけられるレベルでモロバレしているとは思わなかった。弱っていてもさすがは白薔薇である。

「まあいいじゃない。それより紅薔薇の行方、わかる?」
「体育館裏に呼び出された、とは聞いています。それ以上は知りません」

 誰が、何の用で?
 そんな疑問はあるが、行き先はわかった。闇雲に探し回るのではなく行き先が判明したのであれば、まだ間に合うかもしれない。

「それじゃ白薔薇、失礼します」
「会えるといいね」

 聖に挨拶して、"鵺子"はミルクホールを飛び出した。
 そして聖は、次なる定食を注文するために立ち上がった。

"鵺子"が襲撃に遭ったのは、この直後である。

 ポケットにある"契約書"が呼んで来た兵達は、言葉もなく"鵺子"に襲い掛かってきた。
 数にして二十を越える。
 一年と二年の複合団体だが、連携の取れていない動きを見る限りでは同じ組織とか団体というわけではなさそうだ。数は多いし文字通りの四面楚歌だが、三年生がいないのはまだ救いか。

"複製する狐(コピーフォックス)"が、紅薔薇の蕾・小笠原祥子と"鵺子"の前に"契約書"を置いて行ったのは、追跡者がいたからだ。
 ――と、"鵺子"は解釈したが、実際は違う。
 違うというより、状況は理解した以上にもっと大変なことになっている。

「……ちっ!」

 もはや何がなんだかわからない大波に揉まれ、必死で攻撃を避け続ける"鵺子"は、呼吸の間を刺すように飛んできた片手斧を、避けきれずまともに腕で受けた――生身の腕なら、遠心力で速度と重量を増した刃に切断されていたかもしれない。
 しかし、刃は鈍い打撃音を残し、落ちた。
 瞬時に腕に憑依した"獣皮"には衝撃も刃も通らなかった。粘り強い毛並と柔軟性のある分厚い皮が、刃物さえも無効化した。ある程度熟練されればこれくらいたやすい。
 それを鍛えに鍛え上げた"鵺子"なら、できて当たり前のことである。

「おい」

 この一撃を受けて、"鵺子"の気配が変わる。
 頭の中でバチンとスイッチが入れ替わる音がした――意識が戦闘モードに切り替わったのだ。心構えができていなかった不意打ちに混乱し、戸惑いとともに現状確認を行っていた頭が、完全に周囲の敵を排除することのみに働き始める。
 瞳孔が縦に細長く広がり、鳶色の瞳が異様な光を放つ。

「なめるなよ、一年坊」

 片手斧を投げた一年生は、恐怖する間すらなかった。

  ドン

 意識の最後に残ったのは、視界一杯に納まる本物の獣の瞳。
 あまりの速さに、一年生は脇を駆け抜けた"鵺子"を視認できなかった。何が起こったのかさえわからなかった。衝撃音とともに身体が吹き飛び、きりもみしながら壁に叩きつけられる。
 右手の一閃。
 鋭利な四本の鉤爪が、殴るように脇腹を抉った。それが見えていたのは囲んでいる者達でもほんのわずかだ。間を見つけるのも大変なほどの密集した状況で、通れる空間を的確に探してジグザグに最短ルートを縫って迫った。
 それこそ人間には不可能なくらい正確な動きと、人間には不可能なくらいの速度で行った。普段の雑でどこか荒い"鵺子"からは想像もできないほど繊細な動きだった。
 それこそ、ネコ科の動物のように。

「フン。覚悟しろよ」

"鵺子"は不機嫌そうに鼻を鳴らし、右手を振って爪に付着した血を飛ばす。

「私に血を見せたんだ、半端じゃ済ませないから」

"鵺子"は獣と化す。

 そして本来の目的を忘れた。




「――誤報?」
「――にしては具体的すぎる」
「――なら信憑性は五分だね」
「――ですね。それくらいでしょう」

 掲示板前の"夜叉"と"送信蜂(ワーク・ビー)"は、瞬時に看破した。

「でも五分もあれば動かざるを得ないか」
「ええ。無視はできません」

 今ここは、混乱に満ちていた。
 様子見や情報収集を兼ねて集まっていた面々が浮き足立った。
 我先にと走り去った者達。
 仲間に情報を伝えようとこれまた走り去る者達。
 能力で誰かと意思疎通を図る者達。
 そして、状況を見据えて動かない者達。
 黄薔薇勢力副総統"夜叉"と、紅薔薇勢力二年生長"送信蜂(ワーク・ビー)"は、動かなかった。

 ――つい今し方、とある情報がもたらされた。
 曰く、「紅薔薇が"契約書"を揃えたぞ。護りに入られる前に奪わなきゃ」と。

 誰が言ったのかはわからなかった。
「誰か」がポンと、その情報を、どこかからこの場の全員に投げ放ったのだ。
 本来なら、出所のわからない情報なんて信じるに値しない。
 しかし誰かが反応した。

「そういえば、さっき"紅蓮の魔犬(ケルベロス)"が一枚奪った」と。

 誰かが詳細を訪ね、更に情報が追加される。

「"九頭竜"が持っていた"契約書"は白薔薇に移って、その後すぐに島津由乃に移って、ついさっきそれを"紅蓮の魔犬(ケルベロス)"が勝ち取った」と。彼女は中庭で行われた島津由乃と"紅蓮の魔犬(ケルベロス)"の一戦を観てからここに来たらしい。
 そして些細だが重要なこととして、「人垣の後ろにいてまだ"地図"を見ていなかった」という点だ。発生源が"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"と思しき爆発音による戦闘開始場所と、その直前に"契約書"がすごい速さで移動したことを見ていれば、情報が投げ込まれる前にそれに気付いていたかもしれない。

 それで疑惑が生まれた。
 小笠原祥子が一枚確保しているのは皆知っている。
 今の情報で、今朝からふらふらしていた一枚が、紅薔薇勢力総統"紅蓮の魔犬(ケルベロス)"に所持者が移ったことが判明。
 これで紅薔薇勢力が二枚確保したことがわかる。

 ならば、最後の一枚は?
"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"の持っていた"契約書"はどこへ行った?

 全員が掲示板を見た。
 上階から断続的な爆発音がするので、誰かが……というよりきっと"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"が闘っているのだろうと考えると、

「「あっ!!」」

恐らく"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"は上にいる。上ではた迷惑な戦闘を始めたと仮定する。
 しかし、"契約書"はそこにない。
 ――この時点で、多くの者が走り出した。
 真偽の程はまだわからない。"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"から所持者が移ったらしいということがわかるだけで、紅薔薇勢力が押さえたと確信できるわけではない。
 だが、「誰か」が言った通りである。
 もし護りに入られたら厄介なのだ。それを防ぐために、今動いて一枚だけでも奪い、できれば誰か強い人に持たせておきたい。持っていてもらいたい。
 さすがにベテラン勢は勝負どころがよくわかっている。
 そう、今だ。今こそ動く時なのだ。
 ここに陣取っていた連中は、こんな時のために警戒態勢を取りつつ様子を伺っていたのだ。有事の際に出遅れることなく、隙あらば即座に動けるように。

「お、やたっ。見える見える」

 がらがらになった"地図"前に、"夜叉"は無邪気に喜んだ。

「"姫"さまは行かないんですか?」
「それを言うなら君の方じゃない? 仲間が待ってるかもよ」

 今は勝負どころである。それは二人にもわかっている。情報が本当だったら、今手を打たないと手遅れになる――情報の真偽を自分の目で確かめるだけでも、動く理由になる。
 だが、二人は動かない。
 なぜか?

「今、いろんな人を衝突させれば確実に利を得る人がいるから、でしょうね。だから行かないんです」

「誰か」、それこそ情報を放り込んだ者が有利になるから、さっきの情報が投げ込まれたのだ。そう考えるのが自然である。「誰か」、あるいは「誰かとその仲間達」は確実に得をするだろう。
 無視はできないが、全勢力を投入する場面ではないことは確かである。
 まだ早い。まだ先がある。
 どんな状況になろうと、残りの期間を考えると、派手に動くのは軽率だ――この辺は指揮者としての判断色が強い。目先のことも無視はできないが、勢力を解散した今でも結局は一歩引き、できるだけ視野を大きく取っている。
 それに、"送信蜂(ワーク・ビー)"も"夜叉"も、指令職にある。必要な情報は優先的に回ってくるし、必要ならば連絡がある。それがないなら通常業務として指令職を続行するのは当然である。

「サッチーが確保、"忠犬"が確保、……このミルクホールのがうちの総統が持ってた奴かな」

 細く小さい指で"地図"を差し示しながら、"夜叉"は現状を確認する。

「…………結構限られるよなぁ」
「何がですか?」
「うちの総統から"契約書"奪えるような奴、そう多くないだろうなーって」
「そうですね」

 あの好戦的にして圧倒的強さを誇る"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"を敵に回すなど、普通なら絶対に避けたいことである。リリアンで最も敵に回したくない人物の一人と言っても過言ではないのに、わざわざ睨まれるようなことをしたいと思う者も少ないだろう。よっぽどの理由がなければ"送信蜂(ワーク・ビー)"もパスだ。
 しかし誰かはやったのだ。それを。

「問題なのは、」
「奪って逃げたこと、ですよね」

 言葉を継いだ"送信蜂(ワーク・ビー)"に、"夜叉"は不敵に笑う。

「そう。奪うだけなら数でも質でも投入すれば割と簡単にできる。でも、問題は『逃げ切った』という点だよね」

 普通に考えて、奪われれば奪い返そうと追いかける。獰猛な"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"ならなおさらそうだ。盗られて大人しく引っ込むはずがない。
 というより、おかしい。絶対に。追いかけないなんてありえない。
 つまり、だ。

「追跡不可能な奴に奪われた、って感じ? ……"瞬間移動"の使い手かな? それとも"盗む"とかそれっぽいのに特化した"居眠り猫(キャットウォーク)"みたいなのかな?」
「意外な名前が出ましたね」
「知ってる? 一番最初に三薔薇から"契約書"を奪ったの、きっと"居眠り猫(キャットウォーク)"だよ」
「なんとなく当たりは付けてました。彼女一年生ですよね。すごい度胸ですね」
「その後の動向を見ても"契約書"が欲しかったわけじゃなさそうだから、遊び半分でやったんだろうね。悪ふざけ感がうち向きの人材だ。――まあそれはともかく、追跡ができない相手か追跡する気になれない相手だった、のどっちかだと思うんだけど」
「"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"さまが自分から誰かに預けた可能性は?」
「弱いかな。あの人、個人主義意識が強いから。たとえ自分がピンチに陥っていようとも、たぶん誰にも預けない。利益とか無視して負けて取り上げられる方を選ぶだろうね。周りや味方のことも考えろっての」
「なるほど。じゃあ、追跡不可能にして追跡する気にもなれないという二面を兼ねている黄薔薇に奪われたとか?」

 黄薔薇・鳥居江利子と"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"は同じ勢力……というかトップと部下という関係になるが、恐らくこういう事態も想定しての一時解散である。
 人それぞれだろうが、少なくとも"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"は"契約書"に執着心はないが闘う権利を放棄しないだろう。江利子でも例外なく闘おうとするに違いない。そんなことは親しくも詳しくもない者でもわかる。

「私もそれを真っ先に考えたんだけど。でも」
「紅薔薇勢力の誰かが手に入れた、ってところが引っかかりますね」

 そう。投げ込まれた情報も投げ込んだ「誰か」も、犯人と情報の信頼性からしてあやしいが、「紅薔薇勢力が揃えた」と言っていた。
 微妙なところだが「もし本当だったら大変」という保険で信じるとして、江利子が"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"から "契約書"を奪ったと考えると。
 最初の「紅薔薇勢力が"契約書"を揃えた」というあやしい情報と一致しなくなる。

「無理やり辻褄を合わせるなら、黄薔薇が"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"から奪った直後に、紅薔薇勢力の誰かに上げるだの譲るだの、ってところですか」
「無理やり感すごいね」
「自分で言ってなんですが、だいぶ無理がありますね」

"送信蜂(ワーク・ビー)"は、指を折って情報を整理する。

 一、紅薔薇勢力が"契約書"を揃えたと、匿名の情報が放り投げられた。
 二、現所持者は、小笠原祥子、"紅蓮の魔犬(ケルベロス)"、そして"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"から奪った誰か。
 三、一の情報から、二の「"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"から奪った誰か」は、紅薔薇勢力の誰かである可能性が高い。
 四、しかし"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"から"契約書"を奪い、しかも追跡を断念させるような紅薔薇勢力の人物に思い当たらない。

 そして小指を折ろうとしたところで、気付いた。

(あ、そう言えば)

"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"には天敵がいる。
 いつも彼女を出し抜き、小ばかにする、胡散臭さバツグンの二年生が。

("複製する狐(コピーフォックス)"……か)

 その固有名詞が引っかかる。
 彼女ならできるだろう。"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"から"契約書"を奪い逃走するくらい、朝飯前で。彼女は"瞬間移動"も使える。
 それに、引っかかる理由は、きっと今朝の情報だ。
 今朝、白薔薇狩りを決行し、"鍔鳴"を先頭にした即席の紅薔薇集団が体育館になだれ込んだ時。
"複製する狐(コピーフォックス)"や"鋼鉄少女"他、島津由乃と仲の良い無所属の異能使いが体育館内から出てくるのを確認したとか。
 最初は「島津由乃のついでに一緒に連れて来られた」という理由で納得しようとしたが、そもそもなぜ今朝の騒ぎに島津由乃が関わったのか。そこら辺からしてものすごく不透明である――厄介事に首を突っ込む由乃なので、いちいち理由なんて割り出そうとも思えないが。
 しかし、何かが引っかかる。
 恐らく本日二度目の固有名詞の登場だからだろう。関連付ける理由も根拠もないが、同じ名前同士が引き合って、"複製する狐(コピーフォックス)"という人物が歩んだ軌跡に思考が引き込まれる。

(今朝、由乃さんが体育館にいたのは、なんとなくわかる。邪魔だから誘拐したとか、邪魔したから一時拘束したとか、そんな感じだろう。でも――)

 それに"複製する狐(コピーフォックス)"や"鋼鉄少女"、"小さな暗殺人形(ミニチュアドール)"まで関わっていたのはなぜだろう?
 由乃の周りにいるあの連中は、どいつもこいつも一筋縄ではいかないような強者だ。あの辺のが集まっただけでちょっとした組織に匹敵する。だからいつも気にかけている。由乃はともかく、あの連中が理由もなく軽はずみに動くとは思えない。それも三薔薇勢力が関係する揉め事に首を突っ込むとは余計に思えない。
 今朝のことは追々情報を集めるつもりだった。由乃や"複製する狐(コピーフォックス)"達、噂の華の名を語る者"竜胆"もいたというのだから、気にせずにはいられなかった。体育館内で行われた白薔薇・佐藤聖と元白薔薇勢力の闘いも無視できない。
 今それらの情報が抜けているのがもどかしい。
 そして、だ。

「あー、気になる」

 奇しくも、というか、案外必然というべきなのか。
 隣の"夜叉"も、"送信蜂(ワーク・ビー)"とほぼ同じことを考えていた。

「あいつならできるしやりそうだし。でも理由がないな……」

 あいつ。

「まさか"狐"?」

 俯いて考え込んでいた"夜叉"の大きな瞳が、"送信蜂(ワーク・ビー)"を捉える。
 目が合った瞬間、お互い同じことを考えていることを確信できた。

「あいつならできるしやりそうだ。でもうちの総統を馬鹿にするだけが理由なら納得できるけど、それだけじゃ済まない問題に手を出すかな?」
「出しませんね」

"契約書"に手を出すこと。
 即ちそれは、個人間のやったやられたではなく、勢力方面の問題にも抵触する行為だ。三勢力の一時的解散なんて情報を鵜呑みにする情報屋などいない。解散と銘打ってあろうと、勢力の肩書きはちゃんと背負っているのだ。

「彼女は情報屋で、狡猾……いえ、慎重です。理由もなく危険は冒さない。だから逆に言えば」
「理由があればやるかもしれないと。いや、理由があるなら必ずやる、か」
「ですね。必要ならば遠慮なくやると思います」

 その理由とはなんだ?

「……あ、わかったかも」
「え?」
「そう考えると、他の情報も繋がるし」
「どういうことですか?」
「……聞きたい? お願いしますは?」
「お願いします教えてください」
「……」
「……」
「つまんない。ちょっとは渋れよー。嫌そうな顔しろよー」
「すみません。時間が惜しいんで早くしてもらえます?」
「しかも冷たいわー。何それ」

文句を言いながら"夜叉"は打算する。
 恐らくは、自分の推測で間違いない。
 そしてそれを"送信蜂(ワーク・ビー)"に伝えるメリットとデメリットは?
 ――考えるまでもなかった。
"送信蜂(ワーク・ビー)"ならば、きっと自分が考える通りの結論を出す。

「つい先日だけどね、"神憑"と"鼬"が、"狐"達に接触したらしいんだ。ちょうど白薔薇勢力解散直後かな」

 たったそれだけの情報で、"送信蜂(ワーク・ビー)"にも同じ推測が立った。

「もしかして、この騒動は新勢力発足の足がかり?」

 白薔薇勢力解散直後に、有力な人材への接触。通常なら解散前に押さえておくのがセオリーだが、よっぽど解散は急だったのかもしれない。もしくは今後の方針を固めるのが遅かったのか。
 とにかく、焦点はここだ。

「"神憑"と"鼬"という元白薔薇勢力幹部と、無所属である"狐"達との接点は? この二つを結びつけるものは何?」
「うーん……"反逆者"でしょうか?」

 無所属のあの連中は、よく藤堂志摩子の世話になっている。というかそれ以外の接点、それ以外の関係を探す方が難しいのではなかろうか。白薔薇勢力の内部事情まではわからないので、あくまでも外から見た印象では、だが。

「そう、私も志摩子さんだと思う。そう考えると見えてくる」
「白薔薇・藤堂志摩子と、それを支える新白薔薇勢力」
「その新白薔薇勢力に"狐"がいるとすれば」

 危険を冒して"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"から"契約書"を奪い、わざと手放して紅薔薇勢力に三枚持たせ、紅薔薇勢力にリリアンの全砲門を向けさせるという一手を打つ可能性がある。
 発足の情報、その周辺の怪しげな動きさえまだ耳に入らないというのは、それだけ情報が漏れていないということだ。つまり規模が小さい――まだ関わっている者の数が少ないということになる。情報を発する口が少ないのだ。
 少数精鋭では、個々の実力はともかく、単純な意味で手が足りない。
 単純に言えば、十人必要な案件を五人くらいで処理せねばならない。手足の数が足りないのはどうしようもない。それは努力や個人的能力の有無ではなく、ただ可能か不可能かという問題になってくる。だから外部からの助っ人という文化が自然と考えられるくらい浸透しているのだ。
 新白薔薇勢力がまだ少数精鋭の集まりならば、敵同士が潰し合ってくれれば、手数の足りない少数でも対応できる状況に近づけることはできる。結果有利になる。もちろん他の勢力や組織も等しく有利になるだろうが、今のままでは対抗できないとわかっているなら、デメリットに目を瞑ってやるしかないだろう。
 まあ、何より、仕掛けた者の労力がまったく掛からないというメリットは、デメリットを大きく上回るはず。身体を張らなくていいしメリットもあるならやってみてもいいだろう。
 ここまではただの推測である。今まで無所属を通してきた"複製する狐(コピーフォックス)"達が新しい白薔薇勢力を立てる可能性も考えられる、というだけの推測だ。
 ただ、立場的に考えなければいけない。出遅れることがないように。それが指令の役目だ。
 ――まあ、当たっているが。

「さすがですね」
「うーん……欲しいなぁ"狐"。有能だわ。特にうちの総統をあやせるってのがいい」
「あやせるって。子守のように」
「同じようなもんだよ。"狐"に限らず他の連中も、由乃ちゃんが口説き落とせなかったってことだよなぁ……結構期待してたんだけどなぁ……」
「私も意外に思ってますよ。あの人達、由乃ちゃんも含めてかなり結束が堅そうでしたから」
「紅薔薇勢力から見たらそんな感じか。……で? ここまでの推測が当たってるとして、君はどうするの?」
「……やることないな、って感じですね」

 新勢力発足は、無視できない。見過ごせない。
 しかしその頂上に据えるのが藤堂志摩子なら、無視してもいい気がする。志摩子に限って野心旺盛にバリバリ侵略方針を打ち立てるとは思えない。
 それに、何より白薔薇勢力は必要だ。
 まず優先されるべきは、志摩子が白薔薇になる前に立ち上がり、現白薔薇で只今絶賛孤立中の佐藤聖を支えてもらうことだ。そうしないと三すくみの均衡が崩れる。各薔薇の指揮にも寄るが、もし一つの勢力がなくなったとすれば、間違いなく二勢力の全面抗争が始まってしまう。それを望むなら別だが、望まないなら白薔薇勢力は絶対に必要なのである。

「そう言うと思った」

"夜叉"は"送信蜂(ワーク・ビー)"の言葉に頷いた。
 そう、「放置」でいいのだ。
 他の勢力は知らないが、"夜叉"が指揮を取る以上、黄薔薇勢力は新白薔薇勢力を潰すつもりはない。「こっちは上の命令次第ですけどね」と言う"送信蜂(ワーク・ビー)"の言葉はもっともだが、それこそ上にいるのは温厚にして人格者である水野蓉子や"紅蓮の魔犬(ケルベロス)"である。全面抗争を始めたいとは思っていないだろう。
 あとは世論か。
 新白薔薇勢力として恥ずかしくない実力を見せないと、方々の反感を買うのは必死。いつまでも安定しない。黄薔薇・紅薔薇勢力はあまり関わらないだろうが、他の組織や個人は違う。白薔薇のポストを狙う野心旺盛な子羊だって当然いるだろう。今は"契約書"争奪戦があるから争奪戦に注力するが、終わればきっと白薔薇狩りがまた起こるだろう。案外、争奪戦そっちのけで動く者もいないとは限らないし。

「"姫"さま、この件に"九頭竜"さまは関わっていると思いますか?」
「わかんない、ってのが率直な意見。あいつの行動はいまいち読みきれないんだよね。無関係とは思えないけど、全精力を注いでるって感じもしないし」
「そうですか……」
「でも今なら確かめることはできそうじゃない」
「……そうですね。今ならできるかもしれませんね」

 もし新勢力発足に関わっているなら、元白薔薇勢力"九頭竜"の今後の動きには大体の予想がつく。
 ずばり、戦力の補強。いわゆるスカウトだ。
"夜叉"が仕入れた情報では、元白薔薇勢力特務処理班長"神憑"と元白薔薇勢力隠密部隊副隊長"鼬"が、解散直後に"複製する狐(コピーフォックス)"達に接触したという。つまり解散前に充分な準備が行われていないことを意味している。
 だから、これからしばらくは、戦力補強に飛び回る可能性が高いということだ。

「ところでさ」
「はい?」
「"鵺子"さん遅くない?」
「ああ……そうですね。なんか間に合いそうにないですね」

"送信蜂(ワーク・ビー)"がそう言った瞬間、ベキベキと天井を突き抜けて女生徒が落ちてきた。落ちてきたというより、突き刺さるという勢いで落下してきた。彼女は二人の足元に背中から叩きつけられ、床板を突き破る。
"鍔鳴"だった。
 人数こそ少ないものの掲示板前は騒然となった。
 が、"夜叉"と"送信蜂(ワーク・ビー)"は一切動じない。
 来ることがわかっていたからだ。

「早く立て! まだ遊び足りない!」

 大穴の上で、凶悪なざらつく殺意を振りまく"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"が吠えた。ギラギラした瞳で楽しそうだ。

「……」

"鍔鳴"は無表情で立ち上がる。制服はもうボロボロだが、見た目ほど怪我は負っていないし、ダメージも受けていない。
 そして、その瞳にはもう"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"しか写らない。この並外れた集中力こそ"鍔鳴"の真骨頂だ。こうなった"鍔鳴"はとにかく強い。

「"鍔鳴"って美人だよね」
「祥子さんと並ぶと圧巻ですよ。本当に」
「こういう妹欲しいなー」
「え? 姉じゃなくて?」
「見た目が子供だからって中身や好みまで子供だと思うなよ」
「コ●ンくんみたいですね」
「真実はいつも一つ!」
「はあ」
「(パラパラ)」
「上手いですね」
「プシュッ! プシュッ! ……寝ろよ!」
「すみません、麻酔効かない体質なんです。黒の組織的なところに改造手術されたから」
「ほんとかよ。……じゃあしょうがないな」

 1メートルもない身近で、しかも微妙に"鍔鳴"を挟んでどーでもいい会話をする二人になど見向きもせず、"鍔鳴"はまた強敵の前へと歩む。

「どう考えても不毛な闘いだよね」
「どう考えても不毛な闘いですよね」

"契約書"を賭けての勝負ならまだしも、それですらないことがわかってしまった。
 だから、これはとてもとても不毛な一戦であるとしか、言えなかった。

「もう幹部らしさとか期待してないけれど、少しくらい暴れどころを選んでよ」

 と、"送信蜂(ワーク・ビー)"は言わずにはいられなかった。
 もちろん"鍔鳴"からは返事も反応もなかった。




"鴉"はハッと我に返った。

「遊んでいる場合じゃない」

"マリアさん"占いに夢中になっていた図書室の三人は、ようやく本題に戻った。

「"雪"のせいで無駄な時を過ごした」
「いい加減にして、"雪の下"さん」
「……なぜ私が責められるのかかなり疑問ですが、この際それはもういいです」

 非難げな"鴉"と"冥界の歌姫"蟹名静の視線を受けるも、"雪の下"は納得いかない顔で無理やり納得した。
 そう、そんなことはどうでもいいのだ。

「それよりどうです? 何かわかりましたか?」
「大丈夫。伊達に遊んでいたわけじゃない」
「私もだいたいわかった」

"鴉"と静は、遊びながらもちゃんと"マリアさん"のことを調べていた。まあ当然である。丸投げで遊ぶわけがない。

「使用者と参加者の知識が複合した感じね。信憑性についてはまだわからないけれど」
「私もそう思う。信憑性について補足するけれど、質問の重要度によって確率が左右されるみたい。だから安定してない」

 要点を分けると、こうだ。

「まず、"雪"と参加者……今回は私達だけど、私達三人が知らないことは占いの結果には反映されない。単純に言えば、このメンツが知らない誰かの名前を占ったところで『わからにゃいよ』くらいの結果しか出ないってことね」
「知識にはあるけれど本人が関連付けていない場合は?」

 名前は知っている。しかしその相手を「関係者」と認識していない場合は反映されるのか。

「微妙ね。短時間じゃそこまで調べられないと思う。それに繰り返し使い込むことで精度が上がったり、より便利に進化したりするから。生まれたての能力には大きな期待はしない方がいい」
「なるほど」

 静はあまり占い系異能に詳しくないので、この先は静よりは詳しそうな"鴉"の意見を尊重する方向で意を固めた。

「とにかく、知らないことはわからないってことで。――次に、静さんが言った質問の重要度について」

 これは"雪の下"、つまり使用者の問題意識に関わっている。

「簡単にいえば、本人が答えづらい質問と判断し、その抵抗感に比例して正解率が落ちるってところか。本人の迷いだのなんだのの心理状況が直結して反映されると考えるとわかりやすいかな」

 それらの情報を踏まえると。

「……あんまり役に立たない?」
「…………」

 静の判断に"雪の下"が微妙に悲しそうな顔をする。知っていることしかわからない、使用者に左右される形で信憑性も左右される、そもそも占い自体が安定していない。
 そう考えると、あまりにも頼りない。
 が、"鴉"の判断は違った。

「そうでもない」

"鴉"は「人類に可能なのか」ってくらい残酷さに満ちた視線を漂わせた。――ただの思案顔である。

「"マリアさん"は、逆に言えば『知っていることは教えてくれる』んだから、そこを踏まえて外堀を埋めればいい」
「というと?」
「それを考えるのは静さん。私達は詳細を知らないから口出しも難しいし」
「……そうか。そうよね」

"鴉"と"雪の下"はあくまでも手伝いで、察しはついているかもしれないが、静が誰を探しているかの説明もしていない。というか本人達に聞く気がない。
だから調査方針を決めるのは静の役目、情報の取捨選択を決めるのも静の役目だ。

「でも共通して言えることは、どんなに遠回りでもちゃんと埋めていけば、最終的に答えかそれに近いものだけが残るはず。知っていることでも見落としがあるかもしれない。その辺を意識してみれば辿り着けるかも」
「そうね」

 どの道、手がかりはほとんどないのだ。正攻法の聞き込みという手段も、対象が人間ではなく思念体と思しき時点で収穫はあてにならない。せいぜい「有力情報なし」くらいの情報しか得られないだろう。
 そう、わかりきっていることから埋めていこう。
 そこからスタートだ。
 ――と、思っていたのだが。

「"雪の下"さん、お願い」
「はい」

"マリアさん"占いの準備を整え、静は質問した。

 そして、またしてもいきなり核心をついてしまった。

 今度はまるっきり意図せず、完全に偶然だったが。

「今朝現れた久保栞さんは、能力の産物なのか否か」

 あまりにも遠く、わかりきったところからスタートを切った。それはもう"鴉"が「え、そこから?」と呟くくらい遠くから。能力なのか否か、能力者の業なのか否か。そんな基本的すぎるところから始めたからだ。
 しかし、返ってきた答えは、衝撃だった。


 ち
 が
 う

 に
  ゃ
 ふ


「おい」
「あっふ」

 ――とりあえず"雪の下"が揉まれたりアレされたりと制裁を受けたが。
 しかしその答えは決して無視できるものではなかった。

「……違うの? じゃあ、あれは何なの?」

 静は悩むしかなかった。
 聞いていた話では、久保栞は自分が生み出す"冥界の歌姫"のような思念体だったはず。
 しかし占いでは「違う」と出た。
 いや、待て。

「"雪の下"さん、もしかして正体を知っている?」

 この占いは、知識にないことは反映されない。だとすれば「違う」という答えが出る以上、「知っている上で判断された答え」であるはずなのだ。あるいは「知っているが関連付けていない」のかもしれない。
 恐らくは、久保栞のことは、華の名を語る者関係の話である。あくまでも勘だが、静もそう思っている。今まで噂も聞かず突然現れて新人の能力とは思えない高度な思念体を操るなど、これまでの常識を超えている。だから「いきなり強い力を持っていて信じられないような使い方をしている」という共通点から、この"雪の下"や"竜胆"のような存在だ、と。
 だから"鴉"は最初から除外し、華の名を語る"雪の下"こそ知っている可能性が高いと考えるが。

「わかりません。心当たりもありません」

 もしかしたら"雪の下"達の仲間か、とまで考えたが、"雪の下"は首を横に振る。付き合いは短いが彼女は嘘をつけるタイプには見えないので、信じていいだろう。

「……占いで否定が出た以上、久保栞さんは能力者関係ではない、ということになるのですか?」
「そうなるわね。そんなわけない、と……思うんだけど……」

 頭がこんがらがってきた。
 能力者関係ではないと占いは言う。
 だとすれば、久保栞とはいったいなんなんだ? 思念体ではないのか? まさかの本人? いや、それはないだろう。小笠原祥子の目は節穴じゃない、彼女が思念体と判断したのなら思念体と思った方が限りなく正解に近いはずだ。むしろこの"マリアさん"占いより、その目と耳、肌で感じた祥子の判断の方が信じられる。
 せめて自分の目で実物が見られれば、とは思うが、見るためにもなんとかここから前進しなければならない。

「いよいよ奇妙な話になってきたわね」

 一人"鴉"だけが酷薄な笑みを浮かべていた――別に普通に面白がっているだけの顔だが。

「で? あなたも久保栞さんに興味が?」
「「え?」」

 静と"雪の下"が振り返る。

「……さすがですね。"鴉"さま」

 本棚の影から、新聞部部員・山口真美が現れた。――さすがは新聞部というべきか、いずれ新聞部部長になるべき器というべきか。静はまったく接近されていることに気付けなかった。いくら消耗しているとはいえ、これは潜伏や尾行のみに限れば、三勢力の暗部クラスの実力があるのではなかろうか。
 一年生にしてこれである。
 公平、公正であることが頼もしくも恐ろしい組織である。

「久保栞さまのことをお調べに? ならば少しだけお力になれるかと」
「何か知ってるの?」
「情報交換なら受け付けます。私も『久保栞は能力者関係じゃない』という情報が、これからどこに向かうのか、非常に興味深いですから」

 つまり、仲間に入れろと。そういう意味か。

「……あなたの持っている情報次第、としか言えないわね」
「ではある程度お話しします。有用だと思えば取引を」
「OK、それでいいわ」

 リリアン最高の情報機関まで巻き込み、推測は広がる。




 時を同じく、この人物も同じことを考えていた。

「さすがです」

 ここではない空間にある体育館裏での一戦は、早々に決着が付こうとしていた。
 つい1分前には、紅薔薇・水野蓉子の前には49もの思念体がいた。
 しかし1分後の今では半数以下、残り8名ほどにまで減っている。

「恐ろしい能力ですね」

 本体である"桜草"は、薔薇と呼ばれる存在の強さに驚いていた。
"女王を襲う左手(クイーン・レフト)"を使い始めて、あっと言う間に絶対的有利がひっくり返った。
"桜草"自身は、己の能力を「誰にも負けない能力」だと自負していた。それはそうだ、物理法則の上では無敵である。どんなに倒されようと復活し、これだけ数があれば圧倒的に足りていない経験だって覆せると思っていた。
 にも関わらず、これだ。
 ――早めに会えてよかったと本気で思った。
 負けられない場面で出会わなくて、本当に良かった、と。

「まだ続ける?」

 そして蓉子も考えている。

(この能力、力の制御、統率力、そしてこの人格……)

 どれを取っても気に入らない。
 空間外からの遠隔操作が可能で、49もの人間と見分けがつかないほど精巧にして完璧かつ基礎能力の高い思念体を駆使し、それら全てを指一本、髪の毛一本に至るまで再現し不足なく操る。
 どんな冗談だ。
 まるで、子供の遊びに大人が本気で参加しているような、一方的に不利なゲームを強いられている不公平さを感じる。それくらい納得が行かない。それもバランスを崩壊させるようなチートデータで参加している。
 人格はともかく、戦闘に使う要素のどれもが現リリアンのトップクラスを大きく引き離している。最強の一人である蓉子でさえ、"桜草"に勝っているのは経験と知識と相性だけ。それ以外は何もかもが負けていると冷静な自己判断を下した。
 今リリアンを騒がせている華の名を語る者達とは、更に違う上の次元にいる。
 そう、たとえば、

("瑠璃蝶草"と同じくらいの理不尽さに近い、かしら)

 どれを取ってももう人間業じゃない。
 全てが人間のレベルを超えている。
 そんなバカな、なんて陳腐な言葉を吐く気も失せた。

「……そうですね。勝負は見えたので、ここまでにしておきましょうか」

"桜草"の言葉に従い、8体残っていた久保栞は1体になった。

「お相手、ありがとうございました。またいずれお会いしましょう」
「その時は"あなた"に会えるかしら?」

 質問に柔らかな微笑みを返し、久保栞は消えた。
 そして、世界に彩が戻った。

「……ふう」

 厄介なことになったな、と蓉子は溜息をつく。
 ――とりあえず、方針を変更せざるを得なくなった。それは確定だ。

(確か白薔薇が"宵闇の雨(レイン)"さんに情報収集を頼んでいたわね)

 昼、それもついさっき、蓉子は「まだ敵対していないから」という理由で、久保栞――"桜草"の対応を見送った。
それは妹である祥子の判断を信じてのことだった。
 祥子が危険信号を出さなかったから、久保栞とその使い手は「その程度の腕の者」として放っておいていいと判断したのだ。
 だが、今は違う。
 1体1体なら何ら問題はないが、強さ以外の要素でも放っておけなくなってきた。
 そう、放置はできない。
 あんなものが、そしてあんな数が本気で"契約書"を狙って暴れ出したら、確実にリリアンは崩壊する。アレにまともに対抗できるのは、自分も含めてほんの一握りだ。あまりにも理不尽すぎる。

「……あれ、なんなのかしら……」

 あれはたぶん、人間じゃない。
 リリアンの子羊にできることを、いとも簡単に超えている。
 そうとしか思えない。それしか判断を下せない。どんなに荒を探しても認識を変えることができない。

(危険だわ。それもかなり。……彼女に頼るべきかしら)

 どうやら楽しそうな争奪戦は、おあずけを食らいそうだ。
 そんなことを思って苦笑し、保守的で温厚な腰の重い紅薔薇は、ついに行動を開始した。




 蟹名静、水野蓉子が久保栞の正体に迫る中。
 独自に動いている"宵闇の雨(レイン)"も、蓉子と同じ結論に達していた。

「残念だったわね」

 そんな"調停の魔女"佐々木克美の言葉を背に、"宵闇の雨(レイン)"は廊下に出た。

「……ま、そんな気はしてたけど」

 こちらは空振りだった。
休みを取っている生徒には該当者なし、ついでに言えば「今リリアンに蟹名静を越える思念体使いはいるか?」という根本に触れる質問も、答えは「NO」だった。
 つまり、何もわからなかったということだ。
 ――話を聞いた時点から、色々とおかしいとは思っていたのだ。
 細々指摘することはできるが、"宵闇の雨(レイン)"にとって何より最大の疑問だったのが「"冥界の歌姫"を超える思念体使いの存在」だった。
"宵闇の雨(レイン)"は、「"冥界の歌姫"」という二つ名が蟹名静に付けられた由来を知っている。だからこそ、遠い過去から見ても前例のない、天才としか言い様のない存在だと認識していた。そして今後も、静以上の使い手が現れるとも思っていなかった。
 並ぶくらいならいい。
わずかに超えた、というのも、信じがたいという想いとともに許容する。
 しかし、大きく超えるのは絶対に不可能だと判断している。それはもう人が成せる領域にない、文字通りの「神業」だと。
 あくまでも私見である。
 個人的な意見だと"宵闇の雨(レイン)"もわかっている。
 だが、多くの情報を仕入れ、幅広く異能を知り、それこそ三薔薇の能力さえある程度掴んでいる"宵闇の雨(レイン)"だからこそ判断できることもある。
 ――人にしか見えず、言語を操り、しかも恐らく使用者は近くにいないという遠隔操作も可能。
 この三つだけ取っても、確実に静を超える存在である。そもそも思念体に無駄な機能(しゃべるだのリアルな姿形だの)を追加できる時点で相当すごい。戦闘用じゃなければギリギリで認めなくもないが、その上闘えるとなれば、もうおかしいことだらけである。
 だから「神業」である。
 大袈裟でもなんでもなく、本気でそう思う。

「これ、考えてる以上にまずいんじゃない……?」

 思わず自問する。
 人の業を超える存在の出現は、何を意味する?

(切り札を投入した方がいいかもしれない。それも早めに。今すぐにでも)

 今手を打たないと、大変なことになるかもしれない。
 長く情報を扱ってきた者としての経験則に基づき、勘としか言えないが、しかしどこまでも確信を突いた先読みをした。

 そう、今動かないと。




 遠い場所で同じ結論を出した水野蓉子と"宵闇の雨(レイン)"は、部室棟前で克ち合った。
 二人が見出した切り札は、リリアンで最も公平で公正な最大の情報機関のトップ。




 全ての異能使いを知っているとまでいわれる、築山三奈子の投入である。










(コメント)
海風 >ふと気付けば1話で5分くらいのことしか書いていないという……結構無茶なペースなのかもわかりませんね。あ、それと、遅ればせながらあらためて、皆さん祭り乙でした!! もう遅すぎるけどね!!(No.20342 2011-11-15 13:00:52)
オルレアン >続きがみれて嬉しい!!(No.20343 2011-11-17 23:21:58)
ピンクマン >とうとう三奈子さまの本気が見れるのか(No.20350 2011-11-20 20:57:43)

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