がちゃS・ぷち

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No.2616
作者:杏鴉
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2008-05-07 02:05:09
萌えた:8
笑った:3
感動だ:19

『しょんぼりしてるしっかりしないと』

つづいています。
【No:2557】【No:2605】→これ。


挨拶もそこそこに、祐巳は清子小母さまに切りだした。

「清子小母さま……、祥子さまは今どうされていますか」
『心配かけてごめんなさいね、祐巳ちゃん。祥子さん、まだ具合が良くないの。もう少し体調が良くなったら、電話にも出られると思うんだけど……』

清子小母さまのお声は、あきらかに沈んでいる。それは嘘を吐かなくてはならないからか、もう電話に出る事すら出来なくなっている我が子を思ってか……。
たぶん後者だろう。祐巳はそう思った。
もう声だけでも悟られてしまうほど、祥子さまの若返りは進んでしまっているのだ。

「……祥子さまから事情は伺っています。だから、どうか教えてください。祥子さまは今、どうされているのですか」
『そう……。一度だけ祥子さんが家を抜け出した事があったけれど、あれは祐巳ちゃんに会いに行っていたのね』
「はい。あ、でも私誰にも話してませんから! 祥子さまを叱らないであげてください……お願いです」
『大丈夫よ祐巳ちゃん。叱ったりなんてしないから。……そうよね。祐巳ちゃんは祥子さんの妹ですものね。頼って当然だわ』

しみじみとつぶやく清子小母さまの言葉には、何か思案しているような響きが感じられて、祐巳はじっと次の言葉を待った。

『祥子さんね……若返りが止まらないの。どんどん子供に還っている。今はもう6歳くらいの姿になっているわ……』

自分の想像が当たっていたのが辛くて、祐巳はうつむいてギュッと目を閉じた。だがそれは一瞬の事。
祐巳はすぐに顔を上げると、意志の強さを感じさせる声で言った。

「小母さまお願いです。祥子さまに会わせてください。私なんかじゃ何も出来ないかも……いえ、たぶん何も出来ません。でも……それでも、私は祥子さまのお傍にいたいんです」

自分にはどうする事も出来ない。祐巳はそう考え、何も行動を起こさなかった。
祥子さまが苦しんでいる日々を、祐巳はただ遠くで心配する事しかしなかった。自分にはそれしか出来ないと思い込んで。
しかしそれは間違いだと気付いた。夢の中の自分と幼い祥子さまに教えてもらったから。

――誰かを想う時、自分に何が出来るのかなんて関係ない。大事なのは、その人の為に自分がどれだけ懸命になれるか。それだけだ。

祥子さまに会ったとしても、結局は祥子さまの苦しんでいる姿を見つめる事しか出来ないのかもしれない。心配しか贈れるものはないのかもしれない。
それでも祐巳は、自分は祥子さまに会うべきだと思った。こんな祥子さまのいない場所ではなくて、祥子さまの傍で、目の前で、心配する方がずっといいのだと。

言葉にしなくても思いが通じる。会わなくても気持ちが伝わる――
それはとても素敵な事だが、甘い幻想とも言えるだろう。

祐巳は祥子さまが大好きだ。ならば会ってそれを伝えよう。言葉で、仕草で、あなたが好きだと伝えよう。
誰よりもあなたが大切だから、決してあきらめないでほしいのだと、全身全霊をもって祥子さまに伝えるのだ。

『ありがとう祐巳ちゃん。……改めて私からお願いするわ。どうか祥子さんに会ってあげて。あの子は祐巳ちゃんを必要としているの』





「――お願いお父さん、お母さん。祥子さまのお宅へ行かせて」

明日は日曜日。
祐巳は少しでも祥子さまの傍にいる為、さっきの電話で小笠原家に泊めてもらう許可をもらっていた。しかしそれを実行するには、両親を説得する必要があった。
すべてを話すわけにはいかない。
だから祐巳は差し障りがありそうな箇所を脚色して説明した。

1.祥子さまは今病気で自宅療養している。
2.精神的に参ってしまっている祥子さまを支えたい。
3.普段お世話になっている恩返しをするのは今!

力が入りすぎるあまり最後はスローガンのようになってしまったが、祐巳の熱い気持ちはお父さんたちにも伝わったようだった。だが……、

「話は分かったが……、祥子さんがそんな状態なんだったら、祐巳ちゃんが行くのはかえってご迷惑になるんじゃないか?」
「そうねぇ。お見舞いならともかく、泊りがけっていうのは……」

二人は娘の勇み足をどうやって止めようか、アイコンタクトで相談しているようだった。

本当に祐巳が説明した状況なら、お父さんたちの意見は正しい。
けれど実際は、祥子さまは寝込んでいるわけではない。身体が若返っているだけなのだ(それが最大にして唯一の問題なわけだが)。

「祥子さまのお加減を窺って、もしご迷惑なようだったら帰ってくるから。だからお願いします」

あきらめるわけにはいかない。祐巳は頭を下げた。外泊許可が下りるまで、ずっとそうしているつもりだった。
祐巳の様子に驚きながらも、お父さんたちは「うーん」と唸り声を上げている。
このまま膠着状態に陥るかと思えた福沢家リビングだったが、キッチンの方からふと声が上がった。

「べつにいいんじゃないの?」

今まで話に参加していなかった祐麒だった。祐麒は牛乳をコップに注ぎながら、何気ない口調でつづけた。

「祐巳は祥子さんの事が心配なんだろ」
「それは父さんたちにも分かってるよ。でも――」
「祥子さんの迷惑になるの分かってて居座るなんてまね、祐巳はしないと思うけどな」
「……」

祐麒のこの一言が効いたようで、お父さんたちは渋々ながら首を縦に振った。
一気にテンションの上がった祐巳は、援護射撃をしてくれた優しい弟にお礼と共に抱きついた。

「ありがとう祐麒!」
「うわっ!? やめろよ牛乳がこぼれるだろっ!」

祐麒はなんだかムッとした顔で二階へ駆け上がっていった。
残された祐巳は、走る方がよっぽど牛乳こぼれちゃうんじゃないかなぁ、なんて事を考えていた。

「祐巳ちゃん。約束は忘れないようにね」
「うん。分かってる」

お父さんたちは祥子さまのお宅へお邪魔する許可はくれたものの、それには条件があった。
といっても泊まる場合は電話をお借りして報告する≠ニいう、すでに清子小母さまに宿泊許可をいただいている祐巳からすれば簡単な条件だった。



まとめた荷物を手に自室を出る直前、祐巳は一年前の祥子さまと自分の姿を見た。蔦子さんが『躾』と名付けたあの写真だ。
今よりもほんの少し若い二人の姿。……の筈だった。
祐巳は去年の祥子さまをそっと人差し指でなぞると、足早に部屋を出た。

「じゃあ、いってくるね」
「いってらっしゃい。気を付けてな」
「くれぐれも、あちらのご迷惑にならないようにね」
「うん」

揃って玄関まで見送りにきてくれたお父さんたちに手を振り、祐巳は家を出た。
ちなみに祐麒は二階から下りてこなかった。今頃、牛乳飲みながらゲームでもしているのかもしれない。

とりあえずM駅行きのバスに乗ろうと歩きだした祐巳の傍らに、黒塗りの車がすうっと近づいてきて停まった。
どこかで見たような……?
なんて考えている間に、運転席から男の人が出てきて祐巳に頭を下げた。

「お迎えにあがりました。福沢さま」
「えっ!?」

それはこの間、祥子さまが祐巳に会いにきた時の運転手さんで、夏に別荘にお邪魔した時にも運転してくれていた人だった。名前はたしか松井さんだ。
でも、その松井さんがどうしてここに……?
完全なる庶民の祐巳は、慣れない状況に軽くパニックに陥っていた。助けを求めるように視線をさ迷わせるが、あいにく誰もいない。後部座席にも誰も乗っていなかった。

誰もいない後部座席を見る祐巳の表情が、ふと曇る。
祐巳の前に松井さんの運転するこの車が現れる時、必ずと言っていいほど後部座席には祥子さまが乗っていた。
いつもと違い、ちょっと見上げるようにして祐巳の名前を呼んでくれる祥子さまがいた。
それなのに今日は誰もいない。祥子さまがいない。
祐巳にはそれが寂しかった。

「奥さまのお言いつけで参りました。さぁ、どうぞお乗りください」

そう言って後部座席のドアを恭しく開ける松井さんに会釈して、祐巳は車に乗り込んだ。
小笠原家の車はあいかわらず座り心地はいいし、松井さんの運転もとても上手だったが、祐巳は居た堪れない気持ちでいっぱいだった。

――そこにいるべき人がいない。

小笠原邸にたどり着くまで、祐巳はただ黙って、あってはならない空席を見つめつづけていた。





「どうもありがとうございました」
「いいえ。これが私の務めですから」

これからまた仕事があるという松井さんに挨拶をして、祐巳が正面玄関に向かおうとすると、思いがけず呼び止められた。

「福沢さま」
「はい?」
「祥子お嬢さまの事、どうかよろしくお願いいたします」

松井さんがいったいどれくらい小笠原家の運転手さんとして働いているのかは知らない。けれど、きっと祥子さまが小さい頃から……いや、ひょっとすると生まれる前から勤めているのかもしれない。祐巳に届いた言葉は、本気で祥子さまを心配している人の声だったから。
表情を引き締めた祐巳は、松井さんに負けないくらいの本気の気持ちを込めて「はい」と短く返事した。



「来てくれてありがとう。祐巳ちゃん」
「いえ、私が祥子さまに会いたかっただけですから」

まずはお茶でも、という清子小母さまのお言葉を祐巳は丁重にお断りして、祥子さまの部屋へと案内してもらう。今は一分一秒でも早く祥子さまに会いたかった。

「祥子さんもきっと喜ぶわ」
「え? 祥子さま、私が来る事ご存じないんですか?」
「……あの子、検査の時以外はずっと自分の部屋で塞ぎ込んでしまっているの。きっと泣いている姿を誰にも見られたくないんだと思うわ。私が行ってもなかなか部屋へ入れてくれないの。だから祐巳ちゃんの事もまだ……」

しょんぼりしている清子小母さまを見て、祐巳は激しく後悔した。
どうして自分はもっと早く行動を起こさなかったのだろう。
走り出してしまいそうな衝動を抑えるため、祐巳は拳を強く握りしめた。



「祥子さん、私よ。入るわね」

ノックした後、清子小母さまがそう言いながら扉を開けようとすると――、

「入ってこないでください」

きっぱりとした拒絶の声が中から聞こえた。それは幼い子供の舌足らずな声なのに、妙に落ち着きのあるしゃべり方だった。
その声に聞き覚えはない。ないはずなのに……無性に胸が騒いだ。

開きかけた扉の向こう側はまだ見えない。わずかに部屋の中の空気が感じられるだけ。
かろうじて触れる事の出来たこの部屋の空気には、哀しみと絶望が溶け込んでいるように思えた。

「お姉さま……」

堪らずもらした祐巳のつぶやきに、扉の向こうの空気が動いた。

「あのね、祥子さん。祐巳ちゃんが来てくれたの。ここ、開けてもいいでしょう?」

返事は聞こえなかった。清子小母さまは一瞬の間をおいて、そっと扉を開いた。
ゆっくり目に入ってくる部屋の中に、祥子さまを捜す。

――いた。私のお姉さまは、ここにいた。

祐巳の夢に出てきた祥子さまと、ほぼ同じ姿の祥子さまが、こちらを見て……いや、睨みつけていた。

「お母さま。どうして祐巳を呼んだのですかっ。私は一人でも平気なのにっ」
「祥子さん、そんな……せっかく祐巳ちゃんが来てくれたのに……」
「私がいったいいつ、そんな事を頼んだというんです! 勝手なまねしないでいただきたいわ!」

祥子さまの言葉に、祐巳は今朝見た夢を思い出していた。
帽子を取るため湖に入った祐巳に、勝手なまねをするなと怒鳴った夢の中の祥子さまと、目の前の祥子さまがダブって見える。

あぁ……、この人はなんて優しい人なんだろう。

気付けば祐巳は祥子さまに駆け寄っていた。
入室の許可も得ず乱暴に押し入り、跪いてそっと抱きしめていた。

「私は清子小母さまに呼ばれたから、来たのではありません。私が祥子さまに会いたかったから、だから来たんです」
「……祐巳」

身体を離して祥子さまと目を合わせる。けれどすぐに逸らされた。さっきまで泣いていたのがバレバレの赤い目や、涙の跡を見られるのが嫌なようだ。
ぷいっ、とそっぽを向く幼い横顔が、夢の中の祥子さまを思い出させる。……胸が苦しくなった。

「祥子さま。私、最近とても怖い夢を見るんです」
「……あなた何を言っているの?」

訝しげな顔で祥子さまが祐巳を見た。
そんな表情でも、自分を見てくれた事が嬉しくて、祐巳は祥子さまの小さな手をキュッと握ってつづけた。

「だから一人で眠りたくなくて……。祥子さまと一緒だったら、きっと安心して眠れると思うんです」

だから一緒にいてください、と言う祐巳を祥子さまはポカンと見返している。いきなり何を言い出すのだ、この妹は……。と考えているに違いない。
けれど祐巳はそんな祥子さまをジッと見つめるだけで、あとは何も言わなかった。

祐巳が言う怖い夢とは、今朝と数日前に見た小さい祥子さまの出てくる夢。
あの夢は祐巳をとても幸せな気持ちにさせる。けれど、同時に切なくもさせるのだ。

――もしも私が、あの夢の世界にいなかったら。

きっと祥子さまは私の名を呼びながら、ずっと一人ぼっちで泣きつづけていただろう。風に揺れる帽子を見つめながら、一人で途方にくれていただろう。
おこがましいと思いながらも、祐巳はそう考えずにはいられなかった。

自分はうっかり者だから、祥子さまが困っているのに、気付かずべつの夢の中にいるかもしれない。そして祥子さまは、祐巳のいない世界で祐巳の名前を呼びつづけているのかもしれない。
そんな事を考えると、なんだかとても切なくなってくる。……怖くなってしまう。

――でも、一緒に寝ていれば、ひょっとすると夢も一緒に見られるかもしれない。

恐ろしく単純な考えだが、祐巳は結構本気だった。
それにもし夢で逢えなくても、傍で温めてあげる事は出来る。内側に入れないなら、せめて外側だけでも温めてあげたい。祐巳はそんなふうに考えていた。

言うだけ言って、じーっと返事待ちをしている祐巳を、祥子さまは呆れたように眺めていたが、やがて気が抜けたように笑うと、

「仕方がないわね。じゃあ、私が一緒に寝てあげるわ」

そう言って祐巳の頭を、小さな手で撫でてくれた。
嬉しくてしかたない祐巳は、見えない尻尾をぶんぶかダイナミックに振っている。見えないのが残念なほどの振りっぷりだ。

「ねぇねぇ、祐巳ちゃん、祥子さん。私も一緒に寝ていいかしら?」
「へ?」

今までそっと二人の様子を見守っていた清子小母さまが、突然言い出した。
思いがけないお願いに、祐巳は尻尾の動きをピタリと止めて振り返った。そこには『なんだか楽しそうだから乗っかってみた』という顔をした小母さまがいた。
どうしようかな……。でも、それはそれで楽しそうだなぁ。なんて祐巳が考えていると、祥子さまがため息混じりに却下した。

「……お断りいたしますわ」
「ひどいわ、祥子さん……。三人で川の字になって寝たっていいじゃないの」
「狭いから嫌です」
「祥子さんのいじわる……」

口をへの字にして拗ねる母親と、その様子をやれやれと見上げている、妙に大人びた幼い娘。
そんな不思議な光景を眺めながら、やっぱりお二人はこうでなくちゃ、と祐巳は笑った。

「祐巳。ニヤニヤするの気持ち悪いからおやめなさい」
「あ、はい……」

いつものように叱られて、祐巳がうつむきながら見えない尻尾をパタタと振っていると、清子小母さまがポツリと言った。

「祥子さんって、嬉しい感情を表すのが下手よねぇ」
「お、お母さまっ!」

どうやら一緒に寝るのを拒否された事を、小母さまはちょっと根に持っているらしい。
慌てる祥子さまがすんごい可愛い。

「なに笑っているの祐巳っ!?」
「い、いえ、笑ってなんて……」

油断していた祐巳に、矛先が向いてしまった。
清子小母さまはニコニコ笑っているだけで助けてくれそうにない。

「祐巳ーっ!!」
「は、はいーっ!」

叱られて直立不動になりながら幸せを噛みしめている自分は、ちょっと変かも……。
知らない方が無難な人生を送れそうな己の内面に、うっすら気付いてしまった福沢祐巳(17歳)であった。







(コメント)
無名。 >続き待ってました。お姉さまの操縦うまい。(No.16443 2008-05-07 10:39:45)
杏鴉 >無名。さまコメントありがとうございます。操縦というか、天然ですから…。逆に計算より質が悪いかもしれません(笑)  (No.16444 2008-05-07 14:38:24)

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