【10】 世界中の誰よりも嬉しい蓉子  (冬馬美好 2005-06-08 22:42:34)


バレンタインデー。体調不良ながら、『プゥトンの宝探し』イベントを一目見ようと、リリアンを訪れた蓉子であったが、貧血をおこしてしまった為に、現在はトイレの個室を一つ占領して休んでいた。

「何だったのかしら」
祐巳ちゃんがトイレの窓から侵入してくるという、江利子が聞いたら大喜びしそうな愉快なイベントの後、祐巳ちゃんの友達は独り言をいいながら退場したのだが、入れ替わりに誰かがトイレに入ってきてしまった。・・・うーん、ちょっと個室から出るタイミングを失っちゃったわね。でもまぁ、まだちょっとふらふらするし、もう少し休んでいく事にするとしよう。ふぅ。
「しゅーびどぅびどぅび、ぱぱーやー」
 再び、一つ置いた個室に入る気配がした。ゲームの最中にトイレ休憩とは余裕がある。他に誰もいないと思ったのか、鼻歌なんかうたっている。かなりご機嫌なようだ・・・って、また鼻歌? 最近リリアンでは、鼻歌が流行しているのかしら?
「どぅびどぅ・・・び」
 おや? 何やら鼻歌の調子がおかしくなってきたわね。今、半端じゃないスタッカートが入ったわ。一体、どうしたのかしら?
「ぱっ、ぱっ、ぱぱ・・・あやぁぁぁ」
 はっ! あの気張り方は、あの、その、もしかして・・・大きい方? しかもかなりの難産? ずっと便秘だったんだけど、今日宝捜しで走り回ったから腸が刺激されて、何かいけそうって感じなの? がんばって! 誰かは分からないけれど、がんばって!!
「しゅーび、しゅぅ、ひぃん、えぐっ」
 泣かないの、あと少しよ! ほら、がんばりなさい! 楽になりたいんでしょう?!
「どぅび、どぅび、どぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
 うわ、すごいウーハー。壁がビリビリ。もう少しなのね? がんばって! とにかくがんばるのよ! その苦しみは、もうすぐ喜びに変わるのよ! お願い、がんばって!
「ひっ、ひっ、ふー。ひっ、ひっ、ふー」
 ラマーズ法?! 産まれそうなの? 産まれそうなのね?! お湯を沸かして! ありったけのタオルを用意して!・・・って、水洗だし、トイレットペーパーがあるから大丈夫か。もうすぐよ! もうすぐ楽になれるわ! がんばって! 私は応援する事しか出来ないけど、とにかくがんばって!
「しゅーび、どぅ・・・だめだわ・・・うぇぇぇぇん」
 おねがい! 自分に負けないで! 涙が乾いた後には、夢の扉が開くわ! がんばって! ああ、マリア様! どうか彼女をお救いください! おねがいです、マリア様!!
「しゅーびどぅびどぅび、ぱぱー・・・・・・やぁ!!!」

「・・・バレンタインデーに試験なんて最悪だったね」
 聖が笑う。だが蓉子は首を横に振った。
「最良よ」
「え?」
「今日は、今までの人生で最良の日だったわ」
 蓉子は活気の溢れる薔薇の館と、生徒が集まってくる中庭を歓喜の表情で眺めやった後、校舎の入口に一番近い、一階のトイレの方に視線を向ける。

「・・・マリアさまの奇跡も見られたし」
「なんじゃ、そりゃ?」


一つ戻る   一つ進む