「わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、
見えないもの、すべてのものの造り主を。」
乃梨子は礼拝の時間が退屈でたまらなかった。
リリアン生といっても、皆が皆クリスチャンというわけではない。
世間の平均よりは多いのは確かだが、それでも求道者を含めて半数に満たないだろう。
マリア様の像の前でお祈りをする生徒は多いけれど、敦子さんや美幸さんはともかく、
瞳子や可南子さんからその手の話を聞いたことはないし、
山百合会のメンバーにしても志摩子さんを除けば熱心な信者は見受けられない。
彼女たちは自分自身の内でどのように折り合いをつけているのだろう。
「主は、わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天からくだり、
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。」
マリア様は私たちをよりキリストに近づける存在だという。人でありながら神の子を宿し、
それでも人であり、しかしながら信仰、希望、愛の徳を実践した使徒の規範。
ならば、乃梨子にとっては志摩子さんこそが仲介者だ。
リリアン女学園という小さな世界に乃梨子を結び付けてくれた、大切な志摩子さん。
「苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、
父の右の座に着いておられます。」
志摩子さんの隣にずっといられるなら。
乃梨子は天にだって上れるし、死にそうな目に遭ったって必ず帰ってくる。
この気持ちは、変わらない。
「アーメン。」
アーメン。
乃梨子は礼拝の時間が少し好きになった。