【103】 図書館で  (琴吹 邑 2005-06-25 23:42:51)


 私は図書室の窓から外を眺めていた。
 最後にあの人とお話をしたのはいつのことだったろう?
 窓の外を見ながら、ぼんやりとあの方のことを考える。
 最後に話したのは、祥子さまが行方不明になったとき。そう、あれが確か最後だった。
 それからすぐ茶話会の話が出て、私はあの方を避けるようになった。
 避けるというか、隠れるというか、逃げるというか……。
 いやいや、その表現は私の中で不適切だ。
 あの方の妹の話題に、さらによけいな情報を提供しないように、あえて転進していたのだ。
 そう、転進。逃げたわけでは、決してない。
 あの方が行きそうな所には極力近づかない。
 あの方を見かけると、あの方に見つからないうちに、転進。
 危険は避けるモノである。
 かれこれ一月以上、そんな状態が続いている。
 茶話会が終わって、少しは下世話な流言も落ち着いたが、私とあの方の関係は何一つ変わっていない。
 薔薇の館の住人と、薔薇の館の仕事を手伝いを行った人。
 そう、その関係は全然変わっていないのに、なんでこんなに憂鬱なのか。

「ずいぶんと憂鬱そうね」
「ええ」
「原因は何かしら?」
「そんなの決まってます。祐巳さま……」
 ってそこまで口に出してから、あわてて、声のした方を見た。
 そこ座っていたのは、白薔薇さまだった。
 「白薔薇さま!」
 ぼんやりとしているところを、話しかけられて、うっかりと、答えてしまった自分に歯がみをしながら、ぷいっと先ほどと同じように、窓の外を向く。
「祐巳さんが原因なの?」
「別にそんなこと言ってませんわ」
「そう? それなら、別にかまわないの」
 そう言って、白薔薇さまが、にっこりと微笑んだ。
 横目でその笑みを見ながら、乃梨子さんが、マリアさまのようなという表現が一番似合うのは白薔薇さまだと力説したことを思い出した。
 それからしばらくの間、二人の間に沈黙が訪れた。
 その沈黙を先に破ったのは白薔薇さまだった。
「ずいぶんと憂鬱そうね」
「別にそんなことありませんわ」
「そんな風には見えなかったけど。原因は何かしら?」
「白薔薇さまには関係ありませんわ」
「祐巳さんが原因なの?」
「誰もそんなこと言ってませんわ」
「ええ、確かにあなたは言っていないわ。ただ、私がそう思っただけ」
 吹き出しそうになる感情を、相手が上級生かつ白薔薇さまという理由でかろうじて、制御する。
 その時の私の表情は、きっとかなりむっとした顔になっていただろう。
 そんな私を顔も見ながらも、白薔薇さまは知らん顔をして話を続ける。
「私は祐巳さんの妹が誰になろうが、あなたの姉が誰になろうが、かまわないと思っているのわ。でも、あなたの姉が祐巳さんになったのなら薔薇の館は賑やかになりそうね」
 私の姉が祐巳さまになったら、その言葉は祐巳さまの妹が私になったら、という言葉と完全に同義なはずなのに、なぜか私の心に波紋を広げなかった。
「確かにそうかも知れませんね」
 だから、私は素直にその言葉に同意することが出来た。
「祐巳さまの妹が瞳子だったら」といわれていたら、絶対に否定的なリアクションを返してしまうはずなのに。
 そしてまた、二人の間に沈黙が訪れる。
 沈黙を先に破ったのは、先ほどと同じように白薔薇さまだった。

「乃梨子が心配していたわ。あなたにちゃんと口をきいてもらえないって」
「それは……」
「乃梨子泣いていたわ。あなたのこと好きなのにって」
「乃梨子さんが?」
「乃梨子には内緒にしておいてね。こんな事瞳子ちゃんに言ったなんて知られたら怒られちゃうから」
「はあ」
 いつも素っ気ない態度で私のことを扱う乃梨子さんにそんなことがあるのだろうか?
 正直信じられなかった。しかし、信仰の篤い白薔薇さまが嘘をつくとはとても思えなかった。

 「さて、そろそろ、薔薇の館に戻らなくちゃ」
 白薔薇さまは、図書館にある掛け時計を見てそう言った。
 「そうそう、今度薔薇の館に遊びに来て。祐巳さんはなんて言うか知らないけれど。私は大歓迎よ」
「そこは祐巳さまではなく由乃さまではないのですか? 祐巳さまはいつ誰が来ても諸手をあげて歓迎なさる方ですわ」
「そうね。でも、祐巳さんはあなたが来たら諸手をあげてじゃなくて、じゃれつく子犬のように歓迎すると思うわ。最近あなたに会えなくてちょっと寂しそうだから」
「え?」
「それじゃあね」
「あ、はい」
『最近あなたに会えなくてちょっと寂しそうだから』と白薔薇様は言った。
 あの方も、わたしに逢えなくて寂しいと思ってくれるのだろうか?
 明後日ぐらいにも、薔薇の館に遊びに行こう。私はそう決心した。
 それは決して、子犬のように歓迎してくれるであろう祐巳さまに会いに行くのではなくて、白薔薇さまが遊びにいらっしゃいと誘ってくれたから。
 上級生の誘いを断るのは、良い下級生ではないだろう。
 そう決めると、今までの憂鬱とした気分が少し軽くなったような気がした。


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