シリーズ志摩子のそっくりさん(まただらだらとつづきそうです)
第一部【No:505】 No.530 No.548 No.554 No.557 No.574 No.583 No.593 No.656 No.914 No.916 No.918 No.972 【No:980】
第二部【No:1018】→これ
「や、やっぱり帰る・……」
山門を前にして朝姫は言った。
志摩子さんの家はエライ遠かった。
リリアンの学生が良く利用してるというM駅から電車に乗って三十分余り。
「ここまで来ると空気が違うわね」なんて朝姫が感想を述べていたら、更にそこからバスで15分。
駅前はまだ賑やかだったのだけど、バスに乗ってから少しすると窓の外には緑が多いのどかな風景が広がっていた。
バスの行き先に小寓寺なんて文字があったのだけど、実際それらしきお寺の敷地が見えてきて、朝姫が「大きなお寺だなあ」などと思っていたら、降りた停留所はそのお寺の山門のすぐ前だった。
そして、まっすぐ山門に向かう志摩子さんの後を頭の上方にクエスチョンマークを貼り付けたままついていったのだけど、山門の前まで来て朝姫は我慢できなくなって聞いてみた。
「あの、志摩子さん? これはいったい……」
「私の家ですよ」
「へ? それ冗談?」
朝姫の問いに志摩子さんは真顔で答えた。
「いいえ」
そして、それを証明するように参道を掃いていた寺男が志摩子さんい向かって「お帰りなさい」と挨拶した。
朝姫が冒頭にあった台詞を吐いたのはこの直後である。
「あ、ちょっと、朝姫さんっ」
志摩子さんは朝姫を慌てて引き止めた。
「だって、聞いてないよこんなの……」
お寺だなんて。
大きいなんて。
「家の前まで来て帰るなんて言わないでくださいよ」
「迂闊だったわ……リリアンってお嬢様学校だもんね……」
渋る朝姫は志摩子さんに背中を押されつつ母屋の方へ移動した。
お寺が山の斜面まるごとってくらい大きい敷地だったのでお寺の建物とつながっている志摩子さんの『家』は最初、こじんまりして見えのだけど、それは比較の問題で、個人の家としてはやはり大きい部類に入るお屋敷だった。
朝姫は志摩子さんについてその家の玄関に入った。
「ただいま」
「お、お邪魔しまーす」
志摩子さんのお母様だろうか、奥から「お帰りなさい」という声が聞こえた。
そしてすぐにひたひたと廊下を歩く音が聞こえてきたかと思うと、和服姿の小奇麗な小母さまが現れた。
料理でもしていたのだろうか、布巾を手に持って。
「えっと」
朝姫は志摩子さんの方に振り返って聞いた。
「志摩子さんのお母さま?」
「ええ。 お母さま、こちらが……」
そう言って、小母さまに向かって朝姫を紹介しようとして何故か志摩子さんの言葉が止まった。
「……お母さま?」
再び小母さまの方を見て、小母さまには悪いけど朝姫はぎょっとした。
「あ、あの?」
小母さまは目を見開いて朝姫の顔を凝視していたのだ。
朝姫と目が合った小母さまはすぐに優しい表情に変わり、微笑んで言った。
「あら、いらっしゃい、朝姫さん、……だったわよね」
「あ、はい……」
「ゆっくりしていって下さいね」
そう言って小母さまはいつ落としたのだろうか、手にもっていた筈の布巾を優雅な動作で足下から拾って、また元来た方へ戻っていった。
小母さまが見えなくなってから朝姫は志摩子さんと顔を見合わせた。
「似てるから驚いたのかな?」
「……ええ、そうだと思います」
志摩子さんも今の小母さまの様子は意外だったようだ。
大きな家でビビっていたが、中に入ってみると、高級って感じじゃなくてちょっと年季の入った感じのいかにも日本家屋といった雰囲気。
もちろん掃除は行き届いていて綺麗なんだけど、生活感もあり、不思議と落ち着かないということは無かった。
朝姫は小奇麗な和室、床の間があるのでおそらく客間であろう、に通された。
「着替えてきますからここで少し待ってもらえますか?」
「うん」
『着替える』と聞いて朝姫も着替えを持ってきたことを思い出した。
これが学校の友達の家だったらまず部屋に押しかけて寛いだり着替えたりなんだけど、志摩子さんとはそんなに深い付き合いじゃないし、そんな雰囲気じゃない。
これでは着替えはおろか、どういう流れで自分がこの家に『お泊り』するのかさえ想像もつかなかった。
「まあ、待つしかないか」
そこに置かれた座布団にちょこんと正座して、朝姫は志摩子さんが戻ってくるのを待った。
部屋でで待つこと数分。
廊下を歩く足音が近づいてくるのが聞こえた。
小母さまではない。『どすどす』といった感じの豪快な足音だ。
その足音の主は客間の襖に影を落として立ち止まり、襖を開けはなった。
坊さんだった。
剃りあげた頭に袈裟を纏ったその姿。
鋭い眼光は幾多の試練を乗り切った修行僧のよう。
それはもう、頭のてっぺんから足のつま先まで悔しいほどに坊さんそのものだった。
朝姫はその坊さんとしばし睨みあった。
そして坊さんが先に言葉を発した。
「……なんだ志摩子じゃないか」
「へ?」
言葉を発した時、その坊さんの厳しい眼光は緩んでいた。
坊さんは客間に入ってきて、朝姫の前にどっかりと腰をおろした。
「いえ、私は……」
「どうしたんだ、そんな破廉恥な格好して」
「は?」
「わしはな、学業に専念すべき年頃の婦女子達が、近頃挙って煽情的な服装に走ることを憂いておったのだぞ」
制服のスカートのことを言っているらしい。
破廉恥か。 確かに、坊さんからすればそうなのかもしれない。
考えたこと無かったけど。
「いえあの・……」
「それをなんだ? おまえはキリストの教えに傾倒してリリアンに入ったのではなかったのか? それとも教えの中にそのようにして男を誘惑せよという教えがあったというのか?」
「あのですね、わたしは志摩子さんじゃ……」
「いいから、聞きなさい志摩子、そもそもおまえがリリアンに入ることを許したのは………」
なんだか坊さんの話は説教モードに入ってきた。
「……おまえがキリストの教えに失望したというのであればわしは別にそれでも良いと思っておる。 それならばそのまま学業に励み見識を広めればよいのだ。 おまえは昔からひとつの事に固執して周りが見えなくなるところがあるからな」
「はぁ」
話の内容から、志摩子さんがお寺の娘にしてシスター志望だということが判った。
でもこの坊さん何者だろう。
志摩子さんのことは良く知ってるみたいだけど……。
なんて思っていたら。
「お父様!」
「ええ!?」
襖が開いて志摩子さんが。
っていうかこの坊さんが志摩子さんのお父さん!?
「おお、志摩子じゃないか? はて、ということはこちらの志摩子は誰かな?」
「お父様には昨日言っておいた筈でしょう?」
「おお、そうであった」
坊さんはなにやら大げさに手を打った。
「では朝姫ちゃんかな?」
そういってにぃっと笑ってみせる。
「あ、はい。 藤沢朝姫です。 お邪魔してます……」
「いやいや、参ったな、てっきり志摩子だと思って志摩子の事をいろいろ話してしまったぞ」
などとわざとらしく剃りあげた頭をぺしと手で叩いた。
「ええ!? お父さま、一体何を話されたのですか!?」
「朝姫ちゃん」
「は、はい?」
「さっきの話、志摩子には内緒にな?」
なんていいながら、人差し指を口の前に立ててウインクして見せた。
そして坊さん、というか小父さんは立ち上がり、
「では、あとは若い者に任せて、年寄りは退散することにするかな」
「はっはっはっ」と豪快に笑い声を残して、客間を出て廊下の向こうに去っていった。
「………」
「………」
小父さんが去ってからしばらく沈黙があった。
「……あの」
「すみません、父が……」
「い、いえ、素敵なお父さまで……」
言われてみれば、学校に入るのを許すとか、父親らしいことを言っていたのだけど、その容姿とかあと放ってるオーラとでも言おうか、が志摩子さんと余りに結びつかない『お父さま』だった。
「あの」
「はい?」
「父とはなん話を?」
「あ、いや、リリアンがどうの、キリストがどうのと……」
「……そうでしたか」
「うん、べつに恥ずかしい秘密とかは聞いてないよ?」
「ええ!?」
「だから聞いてないって」
「ホントですか?」
「ホントだって。 疑うんならまた小父さん探して聞いちゃうよ?」
「いえ、それは止めてください」
部屋を用意したので来てくださいとのことだった。
朝姫は志摩子さんの後をついていった。
黒っぽい木の廊下を上品に歩く志摩子さんに朝姫は言った。
「志摩子さんって、家ではいつも和服なの?」
そう。 志摩子さんは今、地味めの柄の和服を着ていた。
小父さんの強烈なキャラクターのせいで色あせてしまったけど、「着替える」といって当然のように和服に着替えてきた志摩子さんも朝姫にとってはなかなかカルチャーショックだったのだ。
「ええ、家にいるときは大体。 おかしいかしら?」
「う、ううん、なんか旅館みたいで新鮮」
というか。
朝姫が持ってきた着替えはGパンにトレーナだった。
もともと朝姫はおしゃれに余り気を使わない人間だ。
素材がいいから適当な服でもそれなりに栄える、とは友人の言葉だが、持っている服は安物が多かった。
高校に入ってからはその性格も相まって友達から『無駄に美人』とかよく言われたものだ。
しかし。
「これは無理だ」と思った。
先に述べた理由により、志摩子さんの和服に対抗できる衣服なんて朝姫の部屋のどこを漁ったって出てきようがないのだから。
朝姫は一つの和室に案内された。
さっきのいかにも客間って感じの部屋じゃなく、ちょっと広めの普通の和室。
「志摩子さんの部屋……じゃないよね」
何も置いてないし。
「ここは子供部屋なんです」
「子供部屋?」
「ええ、お客様のお子さんの遊ぶ場所だったり、私はそういうことは無かったですけど、お兄様が学生のころお友達を呼んだりとかにも使っていましたね」
「ふうん。 でも志摩子さんお兄さんがいるんだ」
「ええ、歳の離れた兄が一人。 いまは家を離れてますけど……」
つまるところ、ここは子供の遊ぶ場所としてあけてある部屋だそうだ。
志摩子さんによるとご両親はお客様用のお部屋を一つ用意するつもりだったとか。
でも、お友達として呼ぶのだからと志摩子さんが断ったそうだ。 うん、断って正解。
とりあえず、ここで落ち着くことになるらしい。
「あ、そういえば」
「はい?」
ちょっと気になって朝姫は聞いた。
「あのさ、学校(リリアン)の友達とかはここに来たことあるの?」
「え? いえ、乃梨子が一度」
「乃梨子さん?」
「ええ、でも乃梨子の時は私に会いに来たわけでも私が呼んだわけでもなくて、ある人の紹介で家にある仏像を観に来たのだけど」
仏像!? そっちも突っ込みたいけど、今、聞きたいのはそこじゃないから我慢して。
「じゃあ、志摩子さんの関係者で遊びに来たのって……」
「朝姫さんが初めてということになりますね」
「ええっ? それはちょっと……」
「なにか不味いことでもあるんですか?」
「というか、こういうのって普通もっと親しい人から順にしない? ほら、佐藤さんとか。あと福沢さん、だっけ」
「順番ではないでしょう? それにもうお部屋でくつろいでますよね?」
そう言って志摩子さんは微笑んだ。
「いや、それはそうなんだけどね」
やっぱり気になっちゃうじゃない。
「それより、着替えますか?」
「あ、そうだね……」
朝姫はカバンを開けて、そのまま『一応用意してきた着替え』とにらめっこ。
カバンを開けたまま動作が止まっているのを見て志摩子さんは心配そうに声をかけた。
「あの、朝姫さん?」
そして、朝姫は無言で志摩子さんの方に振り向いた。
朝姫の視線は志摩子さんの着ている和服だ。
「はぁっ」
いきなりため息をつかれて志摩子さんは困惑していた。
いや、そんなに気にするタチじゃないけど、やっぱりお父さんは袈裟で、小母さまは優雅な和装美人。
んで志摩子さんもシックに和服を着こなしてるとなるとなんかね。
「どうかされましたか?」
カバンの中には他にパジャマ代わりのジャージも入っているのだけど。
「制服が一番マシかな……」
といいつつまた志摩子さんの和服に注目する。
「え?」
「いや、Gパンとトレーナーより」
朝姫は制服のスカートが短い反動か普段着はパンツルックが多かった。
それはともかく、なまじ顔がそっくりだから衣服で見劣りがしてしまうのは避けられないのだ。
そんな朝姫の葛藤に気付いたのか志摩子さんは言った。
「あの、和服、着てみます?」
「え? いいの?」
そう、それ!
朝姫は『普段着の和服』ってのにとても興味があったのだ。
(→【No:1033】)