アヤさんの【No:955】『桜色の夏空狂い咲き』と微妙に関係しているようないないようなお話。
「真夏の桜、ですか?」
乃梨子は祐巳さまの話に首を傾げた。
薔薇の館には今、乃梨子と祐巳さましかいなかった。志摩子さんはじきにくるはずだが、それまでの暇つぶしの雑談で祐巳さまは不思議な話を聞かせてくれた。
セミの声が響く中、満開の桜を見たのだという。
最初は冗談かとも思ったのだが、どうやら真面目な話らしい。つい口を滑らせたといった様子は、祐巳さまだけに演技ということもないだろう。
そこでふと、乃梨子は思うところあって口をつぐんだ。
「どうしたの?」
「そういえば、こんな話をご存知ですか?」
少しだけもったいをつけて話し出す。
「どんな話?」
「銀杏並木に一本だけ立っている桜の木には、実はいろいろな伝説があるのだそうです」
「伝説?」
案の定というべきか、祐巳さまは興味を惹かれたように喰い付いてきた。
「そうですね。私が聞いた話では、かつてこのあたりには1年中咲いている桜があったそうです」
「え? 一年中? 夏だけじゃなくて?」
「はい」
乃梨子はこくんと頷いて話を進める。
「そしてその桜には人の願いをかなえる不思議な力があったといいます。
あるいは不思議な力が宿っているから一年中咲いていたのかもしれませんが」
卵が先か鶏が先か。乃梨子は心の中で少し笑った。
「へえ、それってなんだか素敵だね」
「そう、思いますか?」
「え? うん。素敵じゃない?」
予想通りの反応だ。
「それはとても危険な力でもあったといいます」
「え? 危険って?」
「例えば紅薔薇さま」
「お、お姉さまがどうかしたの?」
いきなり話が跳んだことに戸惑う祐巳さま。
「とても人気がありますよね」
「うん!」
今度は素直におもいきり頷く。その様子に思わず笑みをもらした乃梨子だが、すぐに表情を引き締める。
「姉妹になりたいと思う人はたくさんいると思いませんか?」
「え? でも……」
「ええ。もちろん今は祐巳さまがいるわけですが、感情というのは理屈通りにはいかないものですよね?」
「それは、わかるけど」
「それで、願ってしまうわけです」
「な、なにを?」
「もし紅薔薇さまにスールがいなかったら、あるいはもっと直接的に、もし祐巳さまが妹でなければ、と」
「ええっ!?」
「例えです」
「う、うん……」
「その桜の木は、純粋な人の想いや強い感情により強く反応するのだとも言います」
「そ、それで、どうなるの?」
「まわりから、二人が姉妹であるという認識が薄れていきます。そして最終的には本人達にもその認識が無くなります」
「………」
「二人が姉妹だと認識している人が一人もいなければ、二人は姉妹ではないということになります」
祐巳さまの顔が青ざめる。この反応も予想の範囲内だ。乃梨子はさらに話を続ける。
「祐巳さまには妹はいませんよね」
「う、うん」
「本当にいなかったのでしょうか?」
「え? いないよ。乃梨子ちゃんも知ってるでしょう?」
「誰も覚えていないだけということは無いでしょうか?
妹にしていても不思議はないくらい親しい下級生はいませんか?」
「………」
果たして心当たりがあったのかどうか。
「とにかく、それはとても危険な力でもあったので、ちからある人が一度その桜を枯らしたのだそうです。
それからは力を失い、春にだけ咲く普通の桜になったのだとか」
「そんなことがあったんだ……」
少しばかり長くなったと乃梨子は話を切り上げにかかったのだが、すっかり現実と混同している風味な祐巳さまである。
「その後も強い想いに反応してか、幾度か不思議な出来事が起こったりしたそうですよ」
「あ、じゃあ、あの時見た桜も……」
「かつての力の名残、なのかもしれませんね」
「そっかあ……、そういえば志摩子さんと乃梨子ちゃんが出会った場所でもあるんだよね」
「はい」
志摩子さんからロザリオを受け取った場所でもある。
「それじゃあ、やっぱり素敵なことだと思うな」
「………」
まいったな。なんとなく困ったような顔で乃梨子は苦笑いを浮かべた。
「ごきげんよう」
噂をすればなんとやら。ビスケット扉を開けて志摩子さんが入ってくる。
「ごきげんよう、お姉さま」
「ごきげんよう、志摩子さん」
志摩子さんにお茶を入れる為に乃梨子は立ち上がった。
「楽しそうね。なんの話?」
志摩子さんは穏やかな笑顔を二人に向ける。
「ええと……」
「桜の話」
少しばかりの罪悪感とともに口篭もった乃梨子の代わりに、祐巳さまが簡潔な応えを返す。
もしもあの桜が志摩子さんに出会わせてくれたというのなら、そんな魔法みたいな話も少しだけ信じてみてもいいかもしれない。
最近少しギクシャクしている祐巳さまと瞳子の関係がうまくいくように、あの桜にお願いしてみようか。柄にも無くふとそんなことを思う乃梨子だった。