第一部【No:505】 No.530 No.548 No.554 No.557 No.574 No.583 No.593 No.656 No.914 No.916 No.918 No.972 【No:980】
第二部【No:1018】→【No:1027】→これ
「だって、すごく物欲しそうな目で私の着物を見つめてるんですもの」
なんて言われてしまったのだけど。
朝姫を部屋に案内する志摩子さんはなんか楽しそうだった。
志摩子さんのお部屋にお邪魔して、そこで着付けてもらうことになったのだ。
「あら?」
一通り着終わってそれっぽくなったところで志摩子さんが不思議そうに声を上げた。
「ん? どうかしたの?」
「いえ、私の着方なのに、綺麗に出来たから」
「私のって? 着付け方っていろいろあるの?」
「ええ、着付け方もそうですけど、体型に合わせていろいろ……」
どうやら着る時の布の折り方とか引っ張り方とかのコツのことを言っているらしかった。
朝姫の場合、志摩子さんが着るときのやり方ですっきり纏まってしまったそうだ。
「そうなんだ、じゃあ私の体型が志摩子さんのに似てるってこと?」
「そのようですね」
とりあえず志摩子さんの着方で着せて、無理があったら調整するつもりだったそうだ。
「どこかきついところとかありませんか?」
「ううん、別にどこも」
着慣れない和服ということで違和感もなきにしもあらずだけど、それはむしろ新鮮だった。
着心地も昔一度、記念写真かなんかで着せられたときの記憶と違って窮屈さも無かった。
それを言ったら、志摩子さんは「普段着なのに窮屈では困りますよ」といって微笑んだ。
「髪をまとめた方がいいですね」
「あ、だったら志摩子さんと同じがいいな」
そう言ったら、
「うふふ……」
志摩子さんは嬉しそうに微笑んだ。
髪をアップにして、姿見に映った自分を見て「わーい、志摩子さんだ」なんていまいち意味不明な言葉を口にしたあと、お茶にするので居間へ行きましょうと言うことで、また木の廊下を歩いて別な部屋へと向かった。
しずしずと一歩前を歩く志摩子さん。
朝姫はその足もとを見ながら言った。
「志摩子さん足音しないね。 なんか私、歩くとぺたぺたいうんだけど」
同じような着物着て、同じ足袋――ソックスでもいいって言ってたけど折角だから借りた――を履いてるのに、志摩子さんは殆ど足音を立てないのだ。
真似をしようとしているのだけど早く歩けなくて置いてかれそうになったりとか難しい。
こうかな? こうかな? なんてやっていたら志摩子さんは言った。
「歩き方にコツがあるの。 簡単だから朝姫さんにも出来ますよ」
「そうかな? 志摩子さんってもしかしてなにか稽古事習ってる?」
志摩子さんはなにかと立ち振る舞いが優雅なのだけど、和服になったらそれがさらに際立って気になっていたのだ。
「ええと、日本舞踊を」
「ええ!?」
なんかピアノを習ってるみたいな言い方でさらっとすごい単語が飛び出した。
「ど、どのくらい?」
「さあ、小さい頃からだから」
「……それ無理」
記憶に無いってことは物心つく前からってことじゃない。
そりゃ歩き方というか動きが洗練されてて当然だ。
衣服で見劣りがしちゃうなんて思ってたけど、これは着物を着たくらいじゃとても太刀打ちできないよ。
「あら、歩き方くらいなら踊りでなくても」
「いやいやいや、今日は志摩子さんとお話しに来ただけだし……」
なんだか、流れが立ち振る舞いのお稽古になりそうな気配だったので丁重にお断りした。
確かに、和服には興味を持ったけど、朝姫は礼儀作法とか堅苦しいのは苦手なのだ。
「そうですか?」
「そうそう。 今日は和服着れただけでも大満足だから」
しかし。
次なる艱難はすぐそこに控えていた。
『お茶にする』というのが実は『志摩子さんのご両親と一緒にお茶をいただく』ことだと判明したのだ。
それも居間に入る直前で、もう志摩子さんが襖の前で座っている時だった。
「し、志摩子さん!」
「はい?」
志摩子さんは襖を開けようとした手を止めて朝姫の方を見た。
「どうしよう、私、礼儀作法とか全然知らないよ」
知ってるのは『お部屋に入る時は座って襖をあける』とか『畳を歩く時は敷居を踏んではならない』とかいう程度のうろ覚えの作法だけだった。
「あら、朝姫さんたっら」
クスクスと笑われてしまった。
「だって……」
「和服を着たからってそんなこと気にしなくっていいいのよ」
お友達の家に遊びに来ただけなのに、と。
「それにしては志摩子さん礼儀正しすぎない?」
襖をあけてから三つ指を突いて「朝姫さんをお連れしました」なんて言いそうな勢いだ。
「これは癖みたいなものだから。 両親はそんなものには拘らないから心配しないで」
「そうなの?」
癖なのか。
それはそれで微妙だなぁ、などと思っていたら、襖が内側から開け放たれた。
……坊主だった。
いや、それはもういいから。
小父さんだ。
「なにをしている、早く入ってこないか」
「あ、お父さま」
話し声が聞こえたのになかなか入らないから見にきたようだ。
「えっと……」
「おお、和服を着たのか、よく似合ってるぞ」
早速、朝姫が和服を着ているのを見つけてそんなことを言った。
さあさあ、と小父さんが急かすので作法もへったくれもなく部屋に入りこんだ。
部屋では小母さまがお茶の用意をしていて、朝姫が入ってくると「あら」と志摩子さんとよく似た笑顔で微笑みかけてきた。
朝姫は『和服・ご両親・お茶』ってことで一瞬、茶道のお茶室を連想してしまったのだけど、考えてみれば、志摩子さんは『居間へ行く』と言ったのだ。
お部屋には大きな長方形の座卓がでんと置いてあり、小父さんはその一番奥の短い辺に座って、朝姫と志摩子さんは長い辺に朝姫が小父さんに近い側で並んで座った。
座卓の上には既にお土産で貰うような上品な包みの和菓子と、朝姫が生徒会室で見たことのあるような、スーパーで手に入るようなお菓子が一緒に菓子鉢のなかに並べられていた。
「足は崩してもいいですよ」
小母さまはお茶をふるまいながらそう言った。
「あ……」
朝姫は志摩子さんと一緒に正座をしていたのだ。
「堅苦しい席ではないのだから、くつろいでくださいね」
「……は、はい」
どうやら。
小父さんはお寺の仕事の休憩なのか、本当に家族団らんの『お茶』に招待してくれたらしかった。
だってお手伝いさんもいるのに小母さまが手ずからお茶をいれているし。
「おい、あの鈴木さんの姪っ子は来年受験だったかな」
「ええ、そう聞いてましたけど……」
小母さまが自分のお茶を入れて席についたところで小父さんたちは知り合いの姪っ子だかの話を始めてしまった。
家族が集まって思い思いにくつろいでお茶をする。
そんな時間だった。
「ねえ志摩子さん」
朝姫は小声で志摩子さんに言った。
「はい?」
「なんか私、浮いてるような」
ここに朝姫みたいなのがお邪魔していいのだろうかと。
「お茶菓子、どうぞ」
「あ、頂きます」
志摩子さんが返事をする前に小母さまが菓子鉢を寄せてくれたので和紙に包まれた饅頭っぽいのを一つ取った。
「ふっ……」
「え?」
包みを開いて一口齧って、おー白餡だーっていうのは、ほとんど無意識のうちに行ったのだけど、それを見て志摩子さんは噴出すように笑った。
「だって、朝姫さんったら、ふふふふ」
「あ、あの……」
「う、浮いてる、だなんて……」
そう言って、朝姫が持っていた食べかけの饅頭を見たあと「もうだめ」と、とうとう突っ伏してしまった。
「あっ」
饅頭がどうしたのだろうと思って気が付いた。
見ると小父さんと小母さまにも注目されていた。
思わず顔が熱くなる。
「浮いてる」といいながら迷わず一番高そうなお菓子に手を出して、しかも遠慮なく大口でかぶりついてちゃ、世話ないよね。
笑っているのだろう、突っ伏したままおなかを抑えてぴくぴくしている志摩子さんの横で朝姫は恥ずかしくなって下を向いた。
「いいのよ、遠慮しなくても」
「そうだぞ、志摩子は固すぎていかん。 親の前なんだから朝姫ちゃんのようにもっと寛げば良いものを」
「す、すみません」
緊張が足りなくて。
志摩子さんはしばらく復活できそうになかった。
というか、ようやく顔をあげたところで、朝姫が気遣って「これ食べる?」って饅頭を差し出したらまたそれがまたツボにはまったみたいで止まらなくなってしまったのだ。
「いやあ、しかし志摩子に朝姫ちゃんのような友達が出来て良かった」
「そうですね」
「いやあの……」
「志摩子が笑うのを見るのも久しぶりだしな」
いや、笑うといってもこの場合はちょっと違うような。
「ええ、でも乃梨子さんでしたっけ、妹が出来たって言ったときも良い顔をしてたわ」
「そうだな。 ときに、朝姫ちゃんは」
「はい?」
「学校が違うのにどうして志摩子と?」
「あ、いえ、以前にその乃梨子さんと偶然出会って」
「ほう」
「それで、ほら、私って志摩子さんと似てるでしょ? だから……」
ここでちょっと空気が変わった気がした。
でもすぐに小母さまがその空気を払拭した。
「まあ。そうだったの」
「ええ、乃梨子さんが凄く驚いちゃって、それで」
あの時の話を説明した。
乃梨子さんを心配した朝姫が彼女をお茶に誘い、そこで写真を見せてもらって志摩子さんを知ったこととかを。
朝姫の話が終わってから小母さまが言った。
「そうだわ、朝姫ちゃん」
「え?」
小母さまは立ち上がり、小父さんと朝姫の間に移動してきた。
そして、朝姫の傍に座りこう言った。
「お顔を良く見せて」
……不思議な感じがした。
それは珍しいものを見るような視線でも、奇妙な偶然を不思議がる視線でもなかった。
ただ、優しいまなざしで朝姫を見つめる小母さまは志摩子さんに似ていて、それは当然、朝姫にも似ていていた。
小母さまはそうっと朝姫の頬に手を伸ばした。
少し開かれた小母さまの口からなにか呟きが聞こえたような気がした。
でもそれは聞き取れる言葉ではなかった。
「さて、わしはそろそろ戻らねばならん」
小父さんがそう言って立ち上がった。
「朝姫ちゃんはゆっくりしてていいからな。 今日は泊まって行くのであろう?」
「え、あ、はい」
「では、夕飯時にまた話をしよう。 楽しみにしてるぞ」
「はぁ……」
濃いなあ。
小父さんの笑顔を見てそう思った。
(→【No:1037】)