【1050】 絶賛販売中スーパードルフィー○沢祐巳  (柊雅史 2006-01-23 02:43:42)


「ごきげんよう、遅くなりましたー」
 祐巳が元気良くビスケット扉を開けた室内には、祐巳の予想に反してたった二人の人物しかいなかった。
「あら、ごきげんよう、祐巳ちゃん。いいところに来たわね」
 にっこり微笑む、額が見目麗しい黄薔薇さまこと江利子さまと。
「ごきげんよう、祐巳ちゃん。むっふふ〜、こっちいらっしゃ〜い」
 ぐふぐふと不気味な笑いを零している、白薔薇さまこと聖さま。
 祐巳はなんだか本能的な危険を察知した。
「あ、あの、蓉子さまや祥子さまは?」
 祐巳がこの二人に対抗可能な人物の行方を尋ねると、無情な答えが返ってくる。
「んー、蓉子と祥子は職員室。今日は遅くなるって言ってたわね」
「ぐふふ、そういうわけだから祐巳ちゃ〜ん。こっちへいらっしゃい?」
 満面の笑みの白&黄薔薇さまコンビに、祐巳の持つ小動物的本能が、一層激しく警鐘を鳴らしてくる。
(な、なんだろう。すっごく危険な気がする! だってだって、聖さまと江利子さまの、蓉子さま抜きコンビって言ったら、リリアン女学園でも最も危険なコンビじゃない! 祐巳、逃げるのよ! 絶対絶対、ロクなことにならないもん!)
 蓉子さまがいれば、この二人もおとなしくしているし、せめて祥子さまがいれば、二人を抑えることは出来なくとも、とりあえず祐巳を守ってはくれる。でもその二人抜きで祐巳がこの二人と対峙するというのは、ウサギが無手で完全武装したライオン&虎同盟に、真正面から戦争を仕掛けるようなもんだ。
「あ、あの! 私、ちょっと用事を……」
「こーら、逃げないの!」
 慌てて反転した祐巳を、いつの間に近付いたのか、聖さまが背中からぎゅっと抱きしめて捕獲してくる。
「ひぎゃあ! は、離してくださいぃ〜」
「落ち着いて、祐巳ちゃん。いきなり逃げるなんて酷いじゃないの」
 じたばた暴れる祐巳の肩を、これまたいつの間に回りこんだのか、逃げ道の前に陣取った江利子さまがにこやかに叩いてくる。
「う、うわ〜ん! 縮地でも使えるんですかぁ〜!」
「おほほほほ、このくらいは薔薇さまとしての嗜みよ?」
 江利子さまが笑って後ろ手に扉の鍵をかける。
「な、なんで鍵を!?」
「そりゃ、邪魔が入らないように、だよ?」
「う、うわ〜〜ん! 耳元で囁かないで下さいぃ〜〜〜〜!」
 悲痛な叫びを上げる祐巳を、聖さまはずるずると部屋の中へ向けて引きずって行く。
「はいはい、祐巳ちゃん。そんな人生に絶望した顔をしないで。もっと苛めたくなるから」
 江利子さまが聖さまと協力して、祐巳を椅子に座らせる。そもそもあの江利子さまが、あの聖さまと協力関係を結んでいること自体、危険度5割増しの非常事態である。
「祐巳ちゃん、大丈夫よ。別に祐巳ちゃんに危害を加えたりはしないから」
 祐巳の左隣に腰を下ろし、聖さまがにっこり微笑む。とても綺麗な笑顔だけど、この笑顔に騙されちゃいけない。
「そうよぅ。私たちは別に祐巳ちゃんを取って食おうなんて思ってないから」
 祐巳の右隣に腰を下ろし、江利子さまがにっこり微笑む。とても綺麗な額だけど、この美しさに騙されちゃいけない。
「そんなに警戒しないでよ。傷つくなぁ。祐巳ちゃんには指一本触れないってば。うん、蓉子に賭けても良いわ」
「そうそう。私たちが祐巳ちゃんに変なことしたら、蓉子に訴えて良いから」
「ほ、ホントに何もしないですか?」
 蓉子さまに賭けて、と言われて祐巳もちょっと安心する。蓉子さまは(少なくともこの二人の薔薇さまにとっては)絶対的な存在のはずだ。祐巳だって蓉子さまを敵に回すくらいなら、他の生徒全員を敵に回す方を選ぶ。
「しないしない。祐巳ちゃんにはな〜んもしないよ?」
「ええ、そうよ。祐巳ちゃんには、何もしないわよ?」
 ねー、と笑みを交わす聖さまと江利子さまに、祐巳は未だに本能的な危機を覚えていたけれど、それならまぁ、ちょっとくらい二人に付き合っても良いかな、なんて思ってしまう。
「そ、それなら、良いですけど……」
「よしよし、イイコだね、祐巳ちゃんは。んじゃ、ちょ〜っと祐巳ちゃんに見てもらいたい物があるんだよね」
「見てもらいたいものですか?」
 聖さまがにまにま笑いながら、テーブルに置いてあった鞄を引き寄せる。
「うん。昨日、たまたま街をぶらぶらしてて見付けたんだけど――」
 言いながら、聖さまが『それ』を鞄から取り出した。


     †   †   †


「お姉さま、早く参りましょう。なんだか嫌な予感がするのです」
「嫌な予感って何よ? 少しは落ち着きなさい、祥子」
 職員室での用事を済ませた蓉子と祥子は、早足で薔薇の館に向かっていた。
「お姉さまはのんびりし過ぎですわ! 聖さまと江利子さまのところに、可愛い私の祐巳が一人で迷い込んだらどうするのです!?」
「いや、どうもしないと思うけど……」
「ああ、祐巳! 今すぐ助けに行くわ!」
 せかせかと足を動かす祥子に、蓉子はちょっとため息を吐いた。ここまで心配性の姉というのは、どうなんだろう。祥子がこんな風に蓉子以外の子に執着するのは、良い傾向のような気もするし、悪い傾向のような気もする。
 どうしたものかしら、と思いながら祥子の後をついて薔薇の館に戻った蓉子は、そこで妙な光景を目撃する。
「――あら? どうかしたの、みんな?」
 それは執務室のビスケット扉の前で、固まって扉に耳を当てている山百合会のメンバー――令・由乃ちゃん・志摩子の姿だった。
「あ、紅薔薇さま!」
 由乃ちゃんが蓉子の姿を確認して顔を輝かせ、祥子の姿を認めて「あちゃあ」と顔をしかめる。祐巳ちゃん並の百面相だ。
「由乃ちゃん、どうしたの? 令、何をしているの? 志摩子、そこをどきなさい!」
 ずんずんと祥子が突進し、志摩子を押しのけて令と並んで扉に耳をつける。
「祥子ってば……。志摩子、何があったの?」
「いえ、扉が鍵をかけられているらしくて、開かないのですけど……」
 志摩子が困ったような表情で、志摩子を押しのけた祥子を見る。
「その……扉の向こうから、変な会話が」
「変な会話?」
 蓉子は首を傾げて、令が譲ってくれたスペースにしゃがみ込んで扉に耳をつけた。
 そうすると、扉の向こうからかすかな会話が聞こえてくる。


『ふっふっふ……じゃあ今度は、スカートをめくっちゃおうかしら?』
『そ、そんな、止めてください、聖さま! は、恥ずかしいです!』
『くすくす……じゃあ私は、上着をこう、ピラッと』
『あああ、江利子さまぁ! そ、そんな、酷いですぅ!』
『むふふ……祐巳ちゃんってば、可愛らしい下着つけてるじゃない?』
『や、やぁ〜ん、どこ見てるんですか、聖さまぁ!』
『あら? 祐巳ちゃんってばこんなに小さいのに、ちゃんとブラもしてるのね?』
『え、江利子さま、酷いですぅ〜』
『ちょっと江利子、見て見て。祐巳ちゃんってばちゃんとピンク色よ!』
『わ、本当だわ! 凄いわね〜』
『し、下着までめくるなんて、二人とももう止めてください!』


 そこまで聞いて、蓉子はそっと祥子の様子を見た。
 鬼がいた。
「ふ、ふんぬぬぬぅ……」
 祥子がノブを握って鬼の形相で回そうとしている。
「お、お姉さま、手伝って下さいませ! 令も! 志摩子も! 由乃ちゃん……は、非力だから応援でもしてて!」
 何気に酷いことを言って由乃ちゃんを追い払い、祥子は令と志摩子を巻き込んで全力でドアノブに戦いを挑む。気持ちは分かるけど、いくらなんでもか弱い女子高生三人で、鍵のかかった扉を壊すなんてことは、出来ない――

 ごばき。

 ……見事にノブを破壊した三人に、蓉子は目を丸くした。
「さ、さすがよ、令! ありがとう!」
「え? いや、私まだ力入れてない――」
「祐巳! 今助けるわよ!」
 呆然と壊れたノブを握る令を放置し、人間の底力を見せてくれた祥子がビスケット扉に体当たりを食らわす。
 扉はあっさりと開いた。転げるように室内に飛び込んだ祥子に続き、犯行現場(?)に踏み込んだ蓉子が見たのは――

 祐巳ちゃんを左右で挟み込み。
 お人形の洋服を嬉々として脱がしている、聖と江利子の姿だった――


「はぁ〜、見れば見るほど、祐巳さんにそっくりねぇ」
 江利子から借りた人形をまじまじと見て、由乃ちゃんが感心している。
「令ちゃんが前、雑誌を見せてくれたことがあるけど、その時はここまで似てるとは思わなかったけど」
「そうねぇ……ツインテールに、丸顔、童顔。確かに祐巳ちゃんそっくりだわ」
 蓉子も思わず感心するほどに、その人形は祐巳ちゃんに似ていた。もちろんあくまでも人形なのだから、限度はあるにしても、百人のリリアン女学園の生徒にこの人形を見せれば、99人は「祐巳さんの人形ですか?」と思うだろう。
 しかも名前がまた、奮ってる。
「スーパードルフィー『深沢祐巳』かぁ。私も買おうかな?」
「由乃さん、止めてよー!」
 由乃ちゃんの呟きに、今もセクハラを受けている祐巳ちゃんが反応する。
「ほれほれ、祐巳ちゃ〜ん。お召し変えしましょうね〜」
「聖、今度はスクール水着にしましょうよ」
「ぐふぐふ。水着じゃ全部脱がさないとダメよね〜」
「あぁあ……止めてください、聖さまぁ〜」
「あら? 私はあくまで人形遊びをしているだけよ〜。ね〜、祐巳ちゃん?」
 聖がわざとらしく人形の祐巳ちゃんに向かって話しかける。
 そんな様子を――あくまでこれは人形遊びで、しかもこの人形はデフォルトで『深沢祐巳ちゃん』なのだと言う主張に、沈黙せざるを得なかった祥子が、ぷるぷると震えながら睨んでいる。
「は〜〜い、祐巳ちゃん。脱ぎ脱ぎしましょうねー」
「はぁはぁ……聖、早く早く。脱ぎ脱ぎさせて〜〜〜」
「う、わぁ〜〜〜〜ん!」
 左右から、オヤジと化した二人の薔薇さまのセクハラ攻撃を受けて泣きそうな祐巳ちゃんに。
 祥子がぶち切れるのは、時間の問題だと思われた。


『絶賛販売中! スーパードルフィー深沢祐巳!』
 蓉子の眼前で、そんな煽り文句に次々と追加の赤札が貼り付けられる。
 曰く『完売しました』『次回入荷時期不明』の文字。
「祥子……買い占めたわね……」
 ギリギリ、滑り込みセーフで手に入れたスーパードルフィー深沢祐巳の箱を抱きかかえ、蓉子は呆れたようなため息を吐いた。
 さすが、小笠原家。恐らく新発売のこの人形は、二度と市場に出回ることはないだろう。いずれ幻の一品として、なんでも鑑定団に登場するかもしれない。
「ふふふ……まぁ、お宝買いますのコーナーに出て来ても、売らないけどね」
 蓉子はるんるんとスキップなど踏みつつ、スーパードルフィー深沢祐巳の箱を抱えて帰路に着いた。


 蓉子が滑り込みでスーパードルフィー深沢祐巳を購入したのも。
 祐巳ちゃんの眼前で人形遊びに興じる聖と江利子を見て、ちょっと羨ましいなんて思っていたのも。
 とりあえず、祥子には秘密である。


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