【1094】 貴女の温もりだけで  (林 茉莉 2006-02-07 20:13:52)


『聖夜の施しをなさりたいなら、余所でなさってください。とにかく、そのロザリオは受け取れません。戻して下さい』
 そう言い残すと、瞳子ちゃんはどんどん遠ざかっていく。
(待って。お願い、話を聞いて!)
 だが、その叫びは声にならない。追いかけるための足も動かない。雪の舞い落ちる夜空の下、ただその場に立ちつくし、静かに涙をこぼすより他に何する術もない祐巳だった。


  ☆ ☆ ☆


「うぅ……ん、夢、か……」
 窓から差し込んだ光で目を覚ました祐巳は、涙で濡れた頬を手で拭い、そしてまた沈み込んだ。
 クリスマスイブの日、瞳子ちゃんに姉妹の申し出を拒否された傷心の祐巳は、祥子さまのお気づかいで年末を祥子さまと二人きり、別荘で過ごすことになった。

「おかえりなさいませ。祥子お嬢さま、祐巳お嬢さま」
 松井さんの運転する車に乗ってやって来た別荘では、沢村さんご夫妻が夏休みの時と同じように温かく出迎えてくれた。きっとまた楽しい思い出を作ることが出来る。そしてお姉さまと二人、笑って東京に帰ることが出来る。祐巳はそう信じたかった。しかし楽しくあるべき最初の朝は、悲しみと共に明けたのだった。
 この気持ちはロザリオを拒絶されたことなのか、それともあの時の暗い瞳の瞳子ちゃんを思ってのことなのか、祐巳にはまだ分からなかった。

「私、どうしたら……」
 小さく溜息をつき、そっと呟いたその時。
「祐巳、どうしたの? 大丈夫?」
「え? お姉さま……、ってえぇぇぇぇぇ!」
「どうしたの? 怖い夢でも見たの?」
「どどどど、どうしてここに!?」
「あら、だってここ、うちの別荘ですもの」
 祥子さまは事も無げに言う。
「たた、確かにその通りですが、そういう問題じゃなくて、何で私のベッドに入っているんですか!?」
 昨夜ベッドに入った時は確かに一人だった。しかし今、祐巳の隣には祥子さまが収まっていたのだ。ちゃっかり自分の枕持参で。
 さっきまでの悲しい気持ちもどこへやら、すっかり狼狽する祐巳に、祥子さまはいつもと変わらない落ち着きで言う。
「そんな事より大変よ。私たち遭難してしまったの」
「へ? 遭難?」
「そうなんです」
「寒いです、お姉さま」
「そうね、だから急いでパジャマを脱ぎなさい」
 脱ぎなさいと言っておきながら祐巳のパジャマのボタンに手を伸ばし、祥子さまは自ら脱がせにかかる。あわててその手を掴み、祐巳は叫んだ。
「なっ、ちょっ、お姉さま! ちょっと待って下さい! さっぱり意味が分かりませんが!」
「バカね。冬山で遭難といえば肌と肌で温め合うのが常識でしょう。さ、早く脱ぎなさい」
「そこもかなり分かりませんが、もっと分からないのは遭難の部分です!」
「そうなん さう― 0 【遭難】(名)スル 生死にかかわる危険な目にあうこと。『アルプスで―する』 分かったかしら。さあ脱ぎなさい」
「そんな辞書を棒読みされても! ここ、建物の中なんですよ!」
「外をご覧なさい。すっかり雪に閉ざされてしまっているわ」
 促されて外を見ると、確かに二階の窓に届かんばかりの雪が積もっている。でも変だ。昨日はせいぜい1m程度しか無くて、しかも道路は除雪されていたのに。一晩でこんなに降るものなの?
 半身を起こしてさらによく見ると雪は降っているのではなく、「小笠原重工」と書かれた、何か巨大なホースのようなものから吹き出されているのが見えた。
「お姉さま、あれってスノーマシンじゃ」
「そうね。一体誰の仕業かしら。じゃあ脱ぎなさい」
 誰の仕業って、どう考えても一番怪しいのは私のパジャマを脱がせに掛かっている人だと思いますが!
「で、でも源助さんやキヨさんもいるから平気ですよ!」
「二人には休暇を与えてさっき帰って行ったわ。それより今は私たちが生き延びることが先よ。だから取り敢えず脱ぎなさい」
 いやあの、お二人が帰れるくらいなら、遭難では無いのでは!?
「そうだ! 電話で助けを呼びましょう!」
「それが今朝から電話が通じないのよ。雪で断線したのかしら。だから脱ぎなさい」
 そう言ったお姉さまの背後の机の上に、やけに大きなニッパーが置いてあるのが見えた。
「あの、私、こんな事もあろうかと、携帯持って来てるんです! ほら、ちゃんとアンテナ3本立ってますから大丈夫ですよ!」
 祐巳は目覚まし時計代わりに枕元に置いてあった携帯を取って言った。
「チッ!」
「チッてなんですか? とにかく今掛けますから、お願いですからちょっと待って下さい!」
「あなたこそちょっとお待ちなさい」
 祥子さまは自分の枕の下に手を入れると、何かのリモコンのようなものを取り出した。そしてカチッと音を立ててダイヤルのようなものを捻って言う。
「どう? まだアンテナは立ってるかしら」
「え? あれ? 2本になっちゃってます」
 それを聞いた祥子さまは、ダイヤルをmaxと書いてある方一杯に回す。
「今度はどう?」
「あぁ! 圏外になっちゃいました」
「ふぅ、やっぱり田舎はまだまだ携帯は通じにくいようね」
 手の甲で額の汗を拭うと、晴れ晴れとした笑顔で祥子さまはそう言った。

「さあ、もうおとなしく脱ぎなさい」
 上半身を起こしていた祐巳をベッドに押し倒すと、祥子さまは再び祐巳のボタンに手を伸ばす。
 よく分からないけど、祥子さまは何があっても何かをヤル気だ。
 もうだめだ。遂に観念した子ダヌキは頬を桜色に染めると、そっと呟いた。
「私、初めてなんです。……優しくして下さい」
「もちろんよ」
 捕食者の目で満足げに微笑んで、祥子さまは応える。
 お父さん、お母さん、ごめんなさい。今から祐巳は大人の階段を上ります。でもお姉さまなら後悔していません。
 祐巳が覚悟を決めて、瞳を伏せたその時だった。

  ス パ ー ン !

 何かが何かをはたく小気味いい乾いた音が部屋中に響き渡り、二つめのボタンを外し掛かっていた祥子さまがドサリッと祐巳の上に頽(くずお)れた。
「ごきげんよう、祐巳さま」
 巨大ハリセンを携えてニッコリ笑うは、盾ロールの少女。祐巳が妹にと望む、しかしこの状況で現れてくれるのはちょっと微妙なその人、瞳子ちゃんだった。
「瞳子ちゃん! いいところだったのに! じゃなくていいところに!」
 祐巳は覆い被さっていた祥子さまをあわてて押しのけて、ゴロンとベッドの下に転がし、はだけ掛かったパジャマのみごろを整える。その様はまるで恋人に浮気現場に踏み込まれた時のそれだった。
「実は昨夜両親と喧嘩して、家を飛び出してしまったんですの」
「またなの?」
「それで当て処(ど)もなく歩いていたら柿ノ木さんちの角で、西園寺の曾お祖母さまとばったりお会いしまして」
「え〜っと、どこからツッコンだらいいのかな?」
 そんな話をしながら、どこから出したのか瞳子ちゃんは筵(むしろ)と荒縄で手際よく祥子さまを簀巻きにした。そして肩に担ぎ上げると祥子さまの部屋に運んでいったようだった。


  ☆ ☆ ☆


「とにかくありがとう。助かったよ」
 最後は同意の上だったことを棚に上げて被害者面で、戻ってきた瞳子ちゃんに祐巳は愛想笑いを浮かべて言った。そんなベッドの祐巳に歩み寄りながら、瞳子ちゃんは真顔で応える。
「礼には及びませんわ。祐巳さまがご無事で何よりです。それより大変ですわ」
「大変? っていうか何でベッドに入ってくるの?」
「瞳子たち、遭難してしまったんですの。ですから脱いで下さいませ」

(終)



次回

 待ってろ祐巳! 俺が温めてやるからな!
  ――遭難救助・祐麒編――

をお楽しみに!


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