私はK。 ある時は諜報員。 ある時は探偵。 ある時は情報屋。
絢爛豪華なスポットライトを浴びる多くの人々を友人に持ち、それが故に悩める貴人たちからの依頼は引きも切らない。 高貴なる人々は、自分たちの醜聞が漏れるのを極端に嫌うが、同じ社会的階層に生きる真に有能な私に頼る事は躊躇しない。 だがしかし私自身が表舞台に立つ事は決してない。 闇に生まれ、闇に生き、闇に沈むが定めのイリーガル。
それがわたし。
今日も朝早くから依頼人に呼び出されていた。
穏やかな日差しが依頼人の背後から差し込んでいる。 だから逆光となる表情はしかとは見えないが、おそらくはいつものように穏やかな微笑を口元に浮かべているのだろう。 そして目は決して笑わない。 対峙する人間の心の奥底までを見通す、透徹した眼差し。
この女の前では、世間ずれしていない箱入り少女たちなど、自ら開いた書を指し示すかのように心の奥底までを見せてしまうのだろう。
私にとっても決して油断ならない相手だ。
リリアン女学園、学園長。 この地に棲まう最大の大だぬき。
「よく来てくださいました。」
「……」
「相変わらず、愛想の無いこと。 女の子はもう少し柔かくなくてはね。 」
「……」
「まあ、よろしいわ。 このたびの依頼ですが-----」
◆◆◆
やれやれ、随分と奇妙な依頼だった。
園長室を後にして、わたしは微かにため息をついた。
まあ、アノ学園長から来る依頼に、シンプルとか、簡単と言う言葉は無いんだけどね、いつも。
それに私以外にこの依頼を受けられるものはいないだろう。
なぜなら私は、閉ざされた秘密の花園、難攻不落のリリアン女学園でただ一人の探偵なのだから。 外部の男が、この学び舎の中に入れるわけも無く、またこの園には私のほかに人材がいない。 (パパラッチやブン屋、妄想小説家などバラエティに富む陣容では有るが。)
情報収集能力と、明晰な頭脳と、隠伏できる技術とそして正道を見失わない義の心。 探偵業というのは、目立ってはいけない。 姦計にはまってはいけない。 悪心に惑わされてはいけない。 噂話の好きな少女の園では、情報収集能力は取り立てて突出している必要が無い。
おかげで後継者には難儀をしている。
私が前任者から引き継いだのは中等部の2年の時だった。 お下げ髪も愛らしい、だが特徴の無い平凡な少女だった、と言う事しか覚えていない。
『よかった、卒業する前に貴女を見つける事が出来て。』 ---見つけられてしまった---あえて凡庸な生を楽しんでいた私は愕然とした。 考査では常に平均点プラスマイナス5点に収め。 一般的な少女の話題を常に押さえ、部活も最大人口の物を選び。 多数の中に完全に埋没してきたと言うのに。
『私も同じだから。』 そのお姉さんは、あえて解らぬふりで曖昧に微笑んで見せた私の表情の奥を読みぬく。
真実他人を恐怖したのは、あの時が初めてかもしれない。 そして、恐怖が尊敬の念へと昇華するのにさほど時間はかからなかった。 引き継ぐ時間が無かったと言う事もある。 高等部3年生の冬と言う貴重な時間を費やして、その人は私に、技能の全てと、人脈の全てを引き継いでくれた。
そして何よりも、道を過たない心を。
あれから3年が経つ。 あの愛しい人の顔を、私はもう覚えていない。 私にとって始めての”お姉さま”。 そう呼ぶ事は一度も無かったけれど。 多くのものを与えてくれた大事な人。 高い能力を持つが、目立ちたくが無い故に、常に中庸を歩んできた私に、新しい人生を与えてくれた人。
あの人から預かったものを、私もそろそろ後継に託さなくてはいけないのに。 なかなかその相手が見つからない。
春頃に一人、これはと言う外部入学生が居たのだけれど、隠身には長けていても、心が随分と押し曲げられているようにみえて断念したのだ。 この少女には力を与えては行けない、振り回されて暴走するだろう。 そう思えたから。
だけど半年くらい経って、私の大事な祐巳さんが何かをしたらしく、その少女は自身の身の丈さながらに、心を正しく素直に大きく成長させる事が出来たようだ。
実のところ、最近気になっている。 彼女なら正当な後継になってくれるのではないかと。
◆◆◆
物思いにふけっている間に、2年生の廊下まで来てしまった。 まだ朝が早いので、朝連の終わった運動部員がちらほらといるだけの教室。 藤組みへと向かう途中、松組の前を通りかかると、祐巳さんがいるのに気付く。 珍しい。一人だ。 朝が早いとはいえ。 べったりの由乃さんも。 ストーカの蔦子さんや真美さんもだれも傍にいない。
なにを思い悩んでいるのか、椅子に座ったまま頭を机の上にのせて、グリグリと振り回している。 可愛い。 彼女は感情の発露が本当に素直だ。 笑っているときも、はにかんでいるときも、泣いているときも、怒っているときも。 妬心に苦しんでいる姿でさえ、とても愛しい。 心を秘めてしまう自分とは正反対な、まぶしい少女。
「祐ー巳ーさん! ごきげんよう、、、でもない? 」 普段殺している気配を、少しだけ表に出して明るく声をかける。
「あー、ごきげんよう。 うーん、でもない、かも。 ---さんは早いね。 朝練? 」 たはは、と苦笑いしてばつが悪そうにしている祐巳さん。
彼女は紅薔薇のつぼみと言う号を、いつも深刻に受け止めすぎている。 だから『ああ、紅薔薇のつぼみに相応しくないところを見られちゃったよ。 しっかりしなくっちゃ。 でも、彼女だったら見られても大丈夫か。 不幸中の幸いだよ。』などと考えている事が、顔が口ほどに物を言い、全部解ってしまう。 ついでに『あの件で凹んでいるのは気付かれないようにしなくっちゃ。 まだ、一般生徒に知られちゃまずいよね。』とも考えているんだね。
「うん、まあそんなところ。 で、祐巳さんの悩み事は難しい事? さしずめ山百合会がらみ!でしょう。」
「えええ、どうしてわかっちゃうの?」 って、解りやすすぎなんだけどな。 さて、今時分に山百合会で挙がる深刻な問題か。 さっきの学園長のアレかな。
「もしかして、眼鏡事件?」
「どどどど、どうして知ってるの?」 驚く様子が、尻尾を毛羽立てている狸みたいで、思わず微笑んでしまう。
「いや、ちらほら話題になってるし。」
「あー、そっか。 そりゃそうだよね。 うち(山百合会)にまで話が来るくらいだもの。」
「PTAのほうでも動揺してるって聞いたけど…?」
「うん、そうみたい。 中等部生や私たちなら、それなりに対応できるからこんなに動揺しないんだろうけど。 なにしろ幼稚舎生じゃあね。 お母さんたちがナーバスになっちゃうのも仕方ないよ。 最近物騒だし。」 わたしがかなりの事を知っているのに観念したらしい。 素直に話しに応じてくる。
◆◆◆
最初に事件が起こったのは一週間前の事でした。
と、いっても不穏な話でなく。 優しいお姉さんにお礼が言いたいが、どなたか判らないだろうか、という問い合わせでした。
ある一人の幼稚舎の少女が、エスコートガードに伴われて帰宅したとき、少女の顔には、ちょっと大き目のトンボ眼鏡と手には玩具のポラロイドカメラが合ったという事です。
眼鏡は度の入っていない伊達でしたが、カメラの方はちゃんと映す事の出来るものだったとか。 もちろんご両親が買い与えたものではありません。
お母様は、最初はてっきり幼稚舎のお遊戯の持ち帰りと思ったそうです。
エスコートガードの女性は、リリアンの校門を出るときから少女が携えていたので気にも留めなかったとか。 むしろ、道すがら少女に何枚かの写真を撮ってもらったそうです。
玩具とは言えちゃんと映るものを娘がもらったことを気にしたお母様が、翌日の連絡帳にこう書いていらっしゃいます。
『大き目のトンボ眼鏡は可愛らしくて、娘もお気に入りですし。 玩具のカメラも、そこいらじゅうをはしゃいで撮って回るほど悦んでいます。 とはいえ、幼稚舎生に与えるには若干高価すぎるのではないでしょうか』
連絡をもらった修道女達は大いに困惑しました。 全く覚えが無いからです。
といっても、翌日からその少女はトンボ眼鏡をかけて登校しましたし、暇さえ有ればパシャパシャと写真を撮っています。
だれかがその2つを与えたのです。
それを聞いたお母様が少女に問い質したところ、『きれいなおねえちゃまにもらったの〜』という答えが返ってきたとか。
伝え聞いた私たちの困惑はさらに深まりました。 幼稚舎では修道女たちを『シスター』と呼ばせます。 『おねえさん、おねえちゃま』とは呼ばせていません。
それで、改めて少女に相手の風体を問い質したところ、どうやらリリアンの生徒が与えたらしい、と言う事が判りました。
タイかリボンかは少女が記憶していなかったのでわかりませんが。
それで、取り敢えずは優しいリリアン生のおねえちゃんが、可愛い幼稚舎の後輩に玩具をあげた。 と言う事で向うさまとの事は収まるはずでした。 3日前までは。
3日前に1人。 2日前に4人。 昨日には7人の幼稚舎生が新たにトンボ眼鏡をかけて帰宅し。 その手にはカメラが握られていました。
貴女も承知のとおり、リリアン生の母親はやはりリリアン出身者が多い上に、同世代の娘を持つ親はやはり年齢が近い事が多いせいで、親の連絡網は密で、強固です。
今回の件も、母親ネットワークであっという間に広がり、その中から不安の声も少なからずあがっております。
いくら相手がリリアン生らしいとは言え。
しかも、もらった幼稚舎生達は、いずれの例外も無く”とても可愛い”容貌をしているのです。 聖職者がこういうことを言うべきではないのでしょうが、親御さんから大事な娘さんをお預かりしている事を考えると。 その、いわゆる変質者、が入り込んでいる可能性も無視できないと言う結論に至りました。
今後暫らく、各方面の協力を得て学園周辺のガードレディを増員しますが。 それは外部の人間に対しては有効ですが。『きれいなおねえちゃま』が本当にリリアンの生徒だった場合も考えておく必要があります。
◆◆◆
学園長の説明を思い返しながら、祐巳さんの話に相槌を打つ。
「それで、朝の集まりでお姉さまがいきり立っちゃって。 武嶋蔦子さんをお呼びなさい! って。 宥めるのに一苦労したの」
「それは大変だったわね。 紅薔薇さまの一喝ってすっごく、怖そう。 良く宥められるわね」
「まあ、妹(すーる)やって、結構それなりに経ってますから、これくらいは」 心なしか胸を張っているみたい。 薄くてよく判らないけど。
「それにしても、蔦子さんは違うと思うな。 すっごく怪しいけど、確かに」
「そうなんだよね。 違うとは思うよ。 でもやっぱりすっごく怪しいんだよね」
「普段が普段だけにねー」
「普段が普段だもんねー」
意見が一致しちゃったか。
「私の普段が、何だって?」 私の背後から蔦子さんが現れ、祐巳さんの驚く顔をパシャリ。
わたしは気配に気がついていたから、特に驚かないけど。 顔だけは驚嘆させてておく。 祐巳さんに不審に思われないように。
「ごきげんよう、祐巳さん。 ---さんも。」 どどどどど、と土木工事を始めた祐巳さんに、気にせずにこやかに挨拶する蔦子さん。 わたしはついで。
「ご、「ごきげんよう、蔦子さん」」
「で、?」 普段は噂話に無頓着な蔦子さんも、流石に自分の噂は気になるらしい。
祐巳さんの正面の席は私が使っていたので、隣に腰を落ち着けて話を促す。
そして赫々云々、と祐巳さんが説明するに連れて、蔦子さんの眉間にしわが生まれ。 段々と深くなっていく。
祐巳さんの話が終わる頃にはがっくりと肩を落とした蔦子さんは、珍しくカメラを机の上に手放し、両手でこめかみを揉み始めた。 相当頭痛がしてるのかな? ……と、いう事は。
「それ、あたしじゃない」
「うん、だとおもった」
「やっぱりねー」 口々に同意する私と祐巳さん。 え? なんでかって?
確かに蔦子さんは眼鏡をかけている。 カメラを手放さない。 それに眼鏡を外すと大美人だし、美少女好きだ。 守備範囲は幼女から少女、熟女に老女までとても手広い。 まったく条件にはぴたりと当てはまるようだが、ここで問題になるのは”美”少女好きという蔦子さんの、その好みであるわけ。
蔦子さんは、真剣な眼差しの少女が好きだし、汗を飛び散らせて運動する少女が好きだし、照れてはにかんでいる少女が好きだし、ぽかんとした顔の少女も好きだし、わたわたしている少女の顔も好きだ。 みんなみんな”美しい”といっていつも連写に余念が無い。
むしろ世間一般的超絶美少女の紅薔薇さまや黄薔薇さまの写真はそれほど多くなく。
なにより蔦子さんにとって一番”美しい”被写体は誰あろう祐巳さん自身なのだから。
「ようするに、世間一般的”美”少女しかターゲットにしていない時点で、蔦子さんは容疑者リストから外れてるよ。」 私はわかってるから。 お姉さまに説明するのには苦労したけど。 との祐巳さんの説明に、何故かほんのり頬を染める蔦子さん。
「ありがとう。 わかってくれる人がいるのは嬉しいものだね」
「いや、蔦子さんの趣味自体は理解できないんだけど」 「ねー」 とまたまた意見が一致する私たち。 うふふ、嬉しい。
まあ、蔦子さんの苦悩っぷりで、犯人が誰かは目星がついたし。 動機がわからないのは、自分で何とかしましょう。
「あ、いけない。 予鈴までにノートを写さなきゃ。 今日は当りそうなんだ」 じゃあね、ごきげんよう。 さりげなく席を立ち藤組みに向かう。 おしゃべりしているうちに、だいぶ生徒の数が増えている。
廊下の向うから、真美さんが腕組みをしてやってくる。 一応挨拶をしたけど、考え事に夢中なのか、私が気配をまた殺していたせいなのか、気付かずにいってしまった。
新聞部も嗅ぎ付けたのかもしれない。 早目に決着をつけたほうがよさそうね。
◆◆◆
ああやっぱり、内藤笙子さん、貴女が犯人だったのね。
その日の夕暮れ時。 幼稚舎から正門へ向かう並木道から少し脇に入ったところ。
金色の光の中で描き出される光景。
大きな木の影からのぞく私の視線の先では、愛らしい少女と愛らしい幼女が、”素敵なお姉さまを陥落させるための眼鏡の効用と留意点” というてーまで熱い討論をしていた。
2人の顔にはおそろいのトンボ眼鏡。
そこへ、
夕暮れの並木道で戯れる美少女と美幼女。 普段なら迷わずシャッターを切るはずの蔦子さんが、フラフラと現れてうめいた。
「笙子ちゃん、一体何故こんな事を」
と、その前に立ちふさがる小さな影。 笙子ちゃんを庇うように大きく両手を広げ、その幼女は声を張り上げた。
「あなたね、わたちの かわいいしょうちゃんを いじめているのは! しょうちゃんはね。 おっきくなったら よーちゃんがいもうとにしてあげるの。 あなたはおよびでないの。 あっちいきなさい。」
……つまり、眼鏡分とカメラ分の枯渇した内藤笙子ちゃんが。 自分にも装着した上で、舌先三寸で巧く言い包められそうな幼稚舎生をターゲットに、ミニ蔦子を作って回っていた、と。
さらに今日に至っては、幼稚舎生のよーちゃん(推定5才)のほうが、笙子ちゃんの身の上話に同情した上義憤に駆られて、将来の姉妹(すーる)を誓い合って、誓いの眼鏡を交換したところに、丁度悪の根源。 武嶋蔦子が現れて、三角関係の弩修羅場に突入した。 訳か。
まあ、おませな女の子ならば、きれいなお姉さんとの『2人だけの秘密』は絶対に守るよなあ。 だから、最初にはっきりとした人物像が浮かばなかったのか。
とりあえず、報告すべき点は一通り押さえたかな。
なんだか凄く疲れてきたけど、まああの学園長なら悪いようにはしないだろうし。
あのひとは大だぬきだけど、女の子が大好きな(真性の)ひとだから。 少女(や幼女)を守るために労苦を惜しまないしね。
それじゃあ、報告を済ませたら、この事件はこれでおしまい。 やれやれ、妹問題か。
私も後継者を何とかしないとね。 ふう。難問だ。
私はK。 ある時は諜報員。 ある時は探偵。 ある時は情報屋。
我がふたつ名は、ロサ・トリビウム(Rosa Trivium)。 雑踏の中に埋没し、溢れかえる平凡の中から真実の花を見出すもの。
誰も私の調査から逃れる事は出来ない。