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土曜日。
リリアン学園祭の前日。
気分が悪い、と言って体育館を出たさっちゃんを僕は追いかけていた。
一年半もずっと僕を避けて、ようやく捕まえたと思ったら今度は初対面のフリをしてきた。
いったいどういうつもりなのか分からない。
いや、分かってはいる。
そうなるように仕向けたから。
ただ、誤算だったのが、正面からぶつかってくると思っていたのに逃げられた事だ。
そのまま事態は変わらずあやふやなまま。
さっちゃんはずっと不機嫌なまま。
もう一度、何か事を起こさないと駄目かな?
一週間前の土曜日。
リリアンの学園祭のゲストとして呼ばれた僕は学園の正門で迎えを待っていた。
三時ちょうどに話し掛けられる。
「失礼ですが、柏木さんですか?」
「あ、はい」
顔を上げ、声のした方を向いた僕は正直驚いた。
さっちゃん以外にこんな子がいたなんて。
道すがら少女と自己紹介しあった。
少女の名前は福沢祐巳ちゃんと言った。
他愛ない話をしていて気付いたが、よく表情の変わる子だ。
好感が持てた。
歩いているうちに二股に分かれた道でそれを見つけて足を止めた。
「あ、マリア像だ。リリアンの生徒はここを通る時、かならず手を合わせているんだろう?」
「よくご存知ですね」
「うん、どういうわけかうちの一族って、男は花寺、女はリリアンって感じだから。
母も祖母も叔母も従姉妹もみんなリリアン」
僕は形ばかりだけど、手を合わせて目を閉じた。
それにしても、祐巳ちゃんとはとても話し易い。
目を開けて隣を見ると、祐巳ちゃんが同じようにお祈りをしていた。
誰かに……、似ている?
どこかで……?
祐巳ちゃんのお祈りが終わって、僕は再び案内されながら話をする。
「ご兄弟とかはいるの?」
「ええ、一応。年子の弟が」
「ひょっとして花寺とか?」
「ええ、そうですよ」
ああ、ようやく納得した。
福沢……。
うん、多分そうだと思う。
なるほど、姉弟だったわけだ。
「こちらから入ってください」
来客用の玄関からスリッパを取り出してくれる。
「上履きを持ってくればよかったね。体育館で練習するって聞いたから、
屋内用の運動靴は持ってきたんだけど」
「大丈夫ですよ」
祐巳ちゃんは言うけれど、やはり居心地が悪い。
でも他にどうしようもなく、僕はそのまま案内される。
体育館で会ったさっちゃんは不機嫌だった。
笑顔だったが、それが引きつっていたからすぐに分かった。
「初めまして、小笠原祥子と申します。よろしくお願いいたします」
「……こんにちわ」
まるで初対面のような挨拶。
少なくとも一年半前はこんな挨拶はされなかった。
すぐにさっちゃんが離れていく。
この反応は考え付かなかった。
平手打ちの一つでも飛んでくると思っていたんだけど……。
そしてそのまま学園祭前日まで、ほとんど話もできないまま。
このままでは埒があかないと、少し荒療治をする事にした。
祐巳ちゃん達はきっと今ごろ僕達を探している。
特に祐巳ちゃんはさっちゃんの事、本気で好きだから、きっとここにいる事を見つけてくれる。
奇しくもここは以前、手を合わせたマリア像の前。
きっと少々の無礼も許してくれるだろう。
「さっちゃん」
「……」
さっちゃんの手首を掴む。
「何故、逃げるんだい?」
さっちゃんが振り返って僕を睨む。
「せっかく久しぶりに会ったんだから、ゆっくり話しくらいしてくれてもいいと思うけど?」
「そう……、ですね。ちょうどいい機会です。あなたとの婚約を解消したいのですけれど?」
うん、こっちを向いた。
けれど、まだ弱い。
「ようやく口を利いてくれたと思ったら何の冗談かな?」
「冗談ではありません!」
少し、腕に力を入れてみる。
「やめてったら、離して!」
さっちゃんが叫んだ。
「おのれ柏木、両刀だったか……!」
聞いた事のある声に二人して振り向くと、佐藤聖さんと祐巳ちゃんがそこにいた。
「白薔薇君、誤解されるような発言はしないで貰いたいなぁ」
「じゃ、その手は何だ?祥子から手を離せ!」
かなり頭に血が上っているようで、聖さんの言葉遣いは相当荒いものだった。
それは、さっちゃんのことを本当に心配しているからだろう。
「離してもいいけど、そうするとこの人が逃げるから」
「逃げなきゃならないのはあなたの方でしょ。たとえ女でもこれだけ人数が集まったら、
易々と突破できるとは思えないけど?」
なるほど、確かに。
次々に集まる関係者。
と、さっちゃんが僕の腕を振り解いて僕から離れた。
「どういうことか説明してもらおうじゃないの、柏木さん」
蓉子さんが僕を睨みながら言ってくる。
「説明なんか聞かなくてもいいわよ。痴漢の現行犯なんだから警察に引き渡せばいいわ」
「賛成。祐巳ちゃん、守衛さん呼んできて」
「……」
でも祐巳ちゃんは動かなかった。
だって、彼女は祥子の事が好きだから。
「行けません……、祥子さまが困るから」
「え?」
僕に集中していた視線が一斉にさっちゃんの方へと向く。
ん?
祐巳ちゃんが僕を睨むように見てきた。
何故かひどく狼狽した。
一瞬だけ合った目を逸らし、祐巳ちゃんはさっちゃんの方へと近づく。
「柏木さんが警察に連れて行かれるの、嫌ですよね?」
「どうしてそう思うの?」
さっちゃんが不思議そうに祐巳ちゃんに尋ねる。
「顔に書いてあります」
「私のこと、よく分かるのね」
「……はい。どうしてだかすごく」
そう……、と一度頷いてさっちゃんが皆の方に向いた。
「皆様、お騒がせしてごめんなさい。柏木さんが痴漢だというのは誤解です。
どうぞ許して下さい」
さっちゃんが深く頭を下げると、今度は僕と祐巳ちゃん以外が慌てた。
けど、構わずさっちゃんは続ける。
「彼、柏木優さんは……、私の従兄なの」
「従兄!?」
聖さん達が声を上げて驚いている。
「それだけじゃなくて、私の……、婚約者でもあるの」
「ええっ!?」
祐巳ちゃんが大声を上げた。
他の面々は、この事実に声も出せずに大口を開けて驚いている。
「だから、警察沙汰はちょっと困るな。僕達は結婚を言い交わした仲なのだから、
手ぐらい握るし」
いくら婚約解消を確実なものにしてもらうのが今の目的とはいえ、警察沙汰は勘弁してもらいたい。
「肩だって抱くし」
さっちゃんの肩を実際に抱いてみる。
「キスだって」
さっちゃんの顔に自分の顔を近づけながら、ぐっと歯を食いしばる。
激しい平手打ちの音が銀杏並木に木霊した。
「調子に乗るの、おやめになったら!」
さっちゃんが自分の右手首を左手で押さえた。
身を翻し駆け出そうとして止まった。
さっちゃんが見てるのは祐巳ちゃんだ。
祐巳ちゃんがじっと、さっちゃんを見ている。
さっちゃんが息を大きく吸い込んだ。
「優さん……、好きでした」
「でも……、今は嫌いです」
僕の方は見ないまま、そう言って走り去っていく。
祐巳ちゃんが僕に近寄ってきて頭を下げた。
「ごめんなさい」
『わるかったわ』
え……?
祐巳ちゃんはもう、さっちゃんを追って走り出していた。
祐巳ちゃんに重なって一瞬だけ浮かんだのは、
ずいぶん昔に僕達が出会った、ある一人の女の子。
もう顔なんて覚えていない。
でも祐巳ちゃんにすごく似ていた気がする。
しかし、あの子は確かさっちゃんより年上だったはず。
では……、祐巳ちゃんのお姉さん?
結局、答えは見つからない。
そして、僕は、
「後輩が失礼いたしました。ところで、頬に立派な紅葉が咲いていますわ。
薔薇の館までいらして下さいな。お冷やしになりませんこと?」
そう皮肉たっぷりに言ってくる蓉子さんに、お願いします、と苦笑しか返せなかった。
まぁ、ほら……自業自得、因果応報って言葉もあるし……
もうちょっと!続く
柏木さん書いてて面白かった……