【1120】 祐巳分補給  (投 2006-02-13 19:46:41)


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【No:1119】の続き




先週、土曜日。

柏木さんを薔薇の館に案内した日。
姿の見えない祥子さまを追って、私は聖さまに聞いた通り、体育館へやってきた。
靴箱を見ると、上履きが一つだけ入っていた。
持ってきた体育館履きに履き替えて中に入る。

「祥子さま」

舞台の上に腰掛けている祥子さまを見つけて、私は駆け寄った。
俯き加減だった顔を上げて私を見る祥子さま。
私は舞台に手をついて飛び乗ると、祥子さまの隣に腰掛けた。

「スカートが汚れるわよ」

祥子さまが横目で笑った。

「だったら祥子さまは?」

「今、気がついたんだもの」

言うけれど、そのまま座り続ける祥子さま。
その横に私。今、この広い体育館に二人きりだった。

「どうして先にこちらに……?」

「……」

祥子さまはすぐに答えなかった。
けれど、そのまま沈黙していたらぽつりと零した。

「見てやろうと思ったのよ」

「え?」

「祐巳が迎えに行った花寺の生徒会長の姿をね」

「そうですか……」

「確かに花寺の生徒会長と踊るのは不本意だけど、私は逃げない。
 あなたが見ているから私はぜったいに逃げないわ。
 それに私は負けるのが何より大嫌いなの」

ふふ、そうですね。祥子さまはそうでなくっちゃ。

と、祥子さまが舞台からぴょんと飛び降りた。

「みんなが来るまでダンスの相手をしてあげるわ」

「えっと……、あんまり上手くありませんよ?」

遠慮気味に言った私の手を取る祥子さま。
少し強引に舞台の上から引きずり下ろし、左手で私の右手を取り、残った右手で腰を引き寄せた。

「ほら、はじめるわよ」

と言われましても……、ものすごく緊張するんですけど。

「一、二、三、一、二、三」

カウントを取られて仕方なく左足を下げる。
心臓が破裂しそうなくらい脈打ってる。
多分、顔も真っ赤。
なんだか手の平に汗までかいてしまってる気がする。
それでも、何回も練習で繰り返してきたので、ちゃんと踊れていると思う。
上手く踊れているかは自信ないけど……。
私は祥子さまの顔を見上げた。
やさしく微笑んでいた。
だったら、私も微笑んでいよう。
私達は無言で、お互いの顔を見つめ合ったまま踊り続けた。






今週、水曜日。

蔦子さんが私の元にやってきた。
そして一言、

「祥子さまがおかしい」

失礼な。祥子さまはおかしくないです。

「いや、ごめん。だからそんな顔しないで……」

それは私に失礼です。

「昨日、部室に祥子さまがふらっと現れてね、
 あの時の写真、学園祭で展示してもいいわよっ、て……」

それは確かにおかしい。
あの祥子さまが自分で出向いて……?
頼みごとをする本人が来なければ徹底無視するような厳しいところがある人なのに。

「そういうわけで、これは祐巳さんのもの。良かったわね」

渡されたのは例のツーショット写真。
嬉しいけど、なんだか複雑。
今は祥子さまの様子の方が気になる。
今日、薔薇の館でそれとなく尋ねてみようか……。

というわけで放課後、薔薇の館。
会議室に入ると、そこには祥子さまが一人窓辺に椅子を寄せて外の景色を眺めていた。
私が入ってきたことにさえ気付いていない。

「あの、祥子さま……」

声をかけてみると、ゆっくりとこちらに振り向いた。

「祐巳……、いつ来たの?」

「つい先ほどですけど……」

「そう。皆さんは?」

「掃除当番とかではないでしょうか?
 志摩子さんは環境整備委員会のお仕事で遅くなるそうです」

「そう……」

それきり沈黙。会話が続かない……。
えっと、頑張れ私。

「あの、祥子さまはクラブは?」

「やってないわよ」

非常に簡潔に答えが返ってきた。
祥子さまは再び、窓の外を眺め始める。
私は、意を決して尋ねてみる事にした。

「祥子さま、何をお悩みなんですか?」

「……」

「……私には言えない事なんですか?」

「……私の問題よ」

小さく呟いた。
それが何を意味するのか分かったから続けた。

「柏木さんに関係のある事ですか?」

祥子さまが少し驚いたような顔で私を見た。
でもすぐに顔を逸らす。

「……会ってみたら大丈夫かも、って期待したんだけれど。でもだめだったわ」

祥子さまがそう言って大きく溜息を付いた。






土曜日。
学園祭前日。

ちょっとした、ううん、大きな事件が起こった。
私達が打ち合わせしている最中に祥子さまと柏木さんが二人でいなくなったのだ。
二人一組で捜索隊を組んだ私達は由乃さんを留守番役に残して、
祥子さまを探してあちこち探し回っている。
私は聖さまと組んで、消えた二人の事を話しながら探していた。
話していたのは祥子さまが柏木さんのことが好きとか、そういう事。
それは、いつも祥子さまの事を見ていたから分かってた。
悔しかったけど、仕方ない。
そんな時、祥子さまの悲鳴が聞こえてきた。

その場所に急ぐと、祥子さまの手首を掴んでいる柏木さんの姿があった。
聖さまと柏木さんの二人が言い合っていると、結局みんなが集まってきた。
『守衛さん呼んできて』と言われた時、私は動けなかった。
だってそれは非常に困る。
祥子さまも、その祥子さまの好きな人である柏木さんも。
だから『行けません……祥子さまが困るから』と言った。
柏木さんを見ていた全員の視線が一斉に祥子さまの方へと向く。
私はすぐに祥子さまの方を向かずに柏木さんを睨んでみた。
そんな私の視線と、こちらを向いた柏木さんの視線が交差した時、柏木さんがひどくうろたえた。

 祥子さまにあんなことしたんだから、その罰です。

すぐに視線を祥子さまに向けた。
それから、祥子さまが柏木さんとの関係をみんなに話し始めた。
二人が婚約者だって話には驚いた。
それから、柏木さんが祥子さまにキスをしようとして……。

「調子に乗るの、おやめになったら!」

祥子さまの平手打ちが柏木さんに見舞われた。
そして、身を翻してその場から逃げようとした祥子さま。
私はじっと祥子さまを見た。

逃げるんですか?

私の前で、今このまま、ここから逃げるんですか?

そんな想いを込めて。
そんな私に気付いたのか、祥子さまと視線が合った。
と、目を閉じて、祥子さまが息を大きく吸い込んだ。

「優さん……、好きでした」

「でも……、今は嫌いです」

その言葉は、私が一番大切な人に言ってしまった言葉。
だから、どれくらい悲しくて辛かったか、よく覚えている。
祥子さまは駆け出した。
私はすぐに追わずに、尻餅をついている柏木さんの方に近寄った。

「ごめんなさい」

柏木さんに頭を下げた。

祥子さまの事は私に任せてください。

そのまま、柏木さんの方は見ずに私は祥子さまを追い始めた。




第二体育館に行く途中に古びた温室がある。
教室よりも少し小さな温室。
祥子さまがそこに飛び込んで行ったのが見えたので、私も後を追う。
扉を開けると、祥子さまの声が聞こえた。

「祐巳?」

「はい」

返事をして中に入る。
小さな室内には机や棚を使って、プランターや植木鉢がゆとりをもって置かれている。
室内は西日が入ってかなり暖かかった。
通路を進むと、一番奥の棚に、祥子さまは座っていた。
泣いてはいなかった。
泣きそうではあったけど、たぶん私の前では泣かない。

弱いところも見せてくれたっていいんですよ?

私は祥子さまの隣にあった鉢植え除けて、そこに座った。

「お話、しませんか?」

「……?」

「あの日の朝に会ったとき、祥子さまがご自分でおっしゃいましたよ。
 『あなたとは今度ゆっくりと、お話してみたいわね』って」

「そうね……」

と、祥子さまは呟いた。
それから、祥子さまは柏木さんのことを教えてくれた。
親同士が決めた婚約者であること。
悪い人ではないが、自分本位で他人の気持ちが理解できない人ってこと。
祥子さまが高等部に入った時にとても衝撃的な事、『男の人しか愛せない』と言われたこと。
そして婚約解消を切り出したら、あんな騒ぎになってしまったこと。

よく柏木さんのこと見てますね。
よく柏木さんのこと知ってますね。
柏木さんのこと好きだったんですね。

ここのところ、祥子さまを見ている時に柏木さんの事も見ていたから分かった事がある。
だから少々、訂正したい部分もあったけれど、
わざわざライバルの有利になるような事をしなくてもいいだろう、と私は黙っておくことにした。

「祥子さまは、もう大丈夫ですね」

「え?」

「だって、ちゃんとご自分のお気持ちを柏木さんに伝える事ができたから」

「ふふ、そう?それなら、それはきっとあなたのおかげね」

祥子さまはそう言って立ち上がる。

「祐巳、ありがとう」

「はい」

結局、祥子さまは泣かなかった。
それはきっと強くなったから。
自分の心とちゃんと向き合えたから。
自分の想いを柏木さんに伝えたから。

そして、私が傍にいるから……、と少しは自惚れてもいいですか?

いつまでもここにいて、みなさんに心配かけるわけにもいかなくて、
私と祥子さまは出口へと向かう。
その途中、

「気が付いて?この温室にある植物の半分以上が薔薇なのよ」

「え?そうなんですか?」

全く気付かなかった。
祥子さまにばかり気を取られていて、それには気付けなかった。
なるほど、見てみるとほとんどが薔薇の花のようだ。

「これが、ロサ・キネンシス」

そう言って祥子さまが目の前の気を指した。
派手では無いけれど、美しい紅い花がいくつも開花している木だった。

「四季咲きなのよ。この花のこと、覚えておいてね」

はい、忘れません。だって祥子さまのことですから。

せっかく急いで帰ったのに、薔薇の館にはもう誰もいなかった。






日曜日。
学園祭当日。

午前十一時時頃、祥子さまが一年桃組の教室に訪ねてきた。

「あ、じき交代の人が来ると思うので……」

祥子さまをお待たせするのは気が引けたけれど、
さすがに受付を放って行くわけにもいかない。

「いいわよ。私は待ってる間にこの展示を見せてもらうから」

そう言って『十字架の道行』の十四枚の絵を眺めていく。
ちなみに『十字架の道行』とはキリストの死刑宣告から死に葬られるまでの、
十四の場面を黙想して終わる祈りのこと。
我がクラスでは十四枚の絵を複製し、解説を付けた物を展示している。

「で、どうなの?」

一緒に教室でお留守番をしている桂さんが、祥子さまを見て飛んできた。

「?」

「ロザリオはもう貰ったの?」

「ああ、ううん。まだだけど……」

「そうなの?何してるのよ、早く貰っちゃえば?」

「え〜っと、貰っちゃえばって言われても……」

頂戴、って言って貰えるようなものでは無いと思うんだけど。
と、そこに交代の生徒がやってきたので、私は受付の椅子を立った。

座布団に付いたお尻の跡をパタパタと叩いて消していたら、祥子さまが戻ってきた。

「あ、祥子さま。記帳していってください」

仕事納めにノートを開いて差し出すと、筆ペンで達筆に小笠原祥子と記される。

「それじゃ行きましょう。皆さん、失礼」

桂さんも他の生徒も、祥子さまに圧倒されてしまったようで、何も言えないままに私達を見送った。


二人、手をつないで歩く。
まずは劇を手伝って貰ったクラブの出し物から見て回ることにした。
発明部、手芸部、美術部。
ダンス部はさすがに展示物は無かったけど。
それから忘れてはならないのが写真部。
あの写真の特大パネルの前でなんと、再び二人でツーショット写真を蔦子さんに撮ってもらった。
それから二年桜組、桜亭のカレー。
食べ終わって、さすがにお腹がいっぱいになって少し休憩。
その時に祥子さまが話かけてきた。

「祐巳、訊きたいことがあるの」

「あ、はい。なんでしょう?」

祥子さまの真剣な表情に思わず私も身構える。

「あなた、実のお姉さまはいらっしゃる?」

「へ?い、いえ、いませんけど?」

「……そう」

なんだか妙な事を尋ねられた。
どうして私に姉がいるって思ったんだろう?

「あの、どうしたんです?」

「昔、ずっと昔ね。女の子と会った事があるの」

それはとても不思議なお話。

 お父さまの仕事関係で連れられて行った遊園地だったと思うのだけど……。
 私と優さん、柏木さんの事ね。それから親戚の女の子と三人でいた時にね、
 そこで一人の女の子に会ったのよ。
 その時のことはあんまりはっきりとは覚えていないけれど、
 その子の事は覚えていてね。笑顔が祐巳にそっくりなのよ。
 でもその子は私より年上で、だから祐巳ではないし。
 それで、もしかしたら祐巳の実のお姉さまかなと思ったの。

 少しだけその子の言葉も覚えているわ。
 『ふーん、じゃあ、さっちゃんてよぶわね』
 優さんはそれまで祥子ちゃんって呼んでたのに、
 その子の影響でさっちゃんって呼ぶようになったのよ。
 あと、覚えているのは私の言葉ね。
 『あなたのほうがとしうえだったの?わるかったわ』
 
「この間、シンデレラの衣装を祐巳が着て髪を下ろしていたとき、どこかで見たような……、
 そんな気がしたの。それから柏木さんのことがあって忘れていたけど、今ふっと、思い出したの」

「なるほど。不思議な話ですね。私は年上ではありませんし……」

本当に不思議な話だと思った。
と、祥子さまが慌てて椅子から立ち上がる。
どうしたのかと尋ねてみれば集合時間をとうに過ぎているとのこと。
私も慌てて時計を見る。
集合時間は十二時半。
現在十二時四十五分。

うわ、遅刻っ!


舞台は午後の二時からだった。
現在、一時五分前。
蓉子さまに怒られ、二人で素直に謝る。
急いで衣装に着替え、次は髪をセットしなければならない。
江利子さまがやってくる。

「二人ともこっち!まったく」

祥子さまの髪も祐巳ちゃんの髪も、結い上げるのに時間がかかるのに遅れてくるなんて!
と、江利子さまの愚痴を聞いて苦笑いを浮かべる私。
尤も、祥子さまより短いぶん、私の方が早く終わったけど。
しばらくして祥子さまの方もなんとか結い終わった。

「ところで、柏木さんは?」

「約束の二十分前に到着して、体育準備室で待機してもらっているわ」

近くにいた令さまに尋ねてみると、そんな答えが返ってきた。
あ、ちゃんと来てたんだ……。

「祐巳、口紅忘れてるわよ」

祥子さまが、筆でピンクの口紅をつけてくれた。
お揃いの口紅。

幕の間から客席を見ると、かなりの人数のお客さんが見えた。
もうほとんど満席に近い。

「昨日は叩いてごめんなさいね」

舞台の袖で柏木さんに会うと、祥子さまは自ら進んで歩み寄った。

「いや、僕の方こそ、すまない。今日は完璧に役を演じてみせるよ」

そう言ってさわやかに笑ってみせる柏木さん。
む、ライバルは強敵です。

「始まるわ」

祥子さまが言った。
舞台の上には既にシンデレラの家のセットが準備されている。
私は祥子さまの手をとった。

「私、がんばります」

「ええ、がんばりましょう」

手を離す。
祥子さまが舞台中央に歩み出る。
開演の挨拶。
照明が消えてスポットライトが舞台を照らす。
私達のシンデレラが始まる。さあ行こう、あの場所へ。




 大好きな人のいるあの場所へ……




長い……次で最後です。


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