きっかけは蓉子の漏らした愚痴だった。
「どうして江利子ってば才能の無駄遣いばかりするのかしら?」
支倉令なる一年生に会うため、常人なら三日はかかるような資料のまとめ作業を、ほんの数時間で成し遂げ、速攻で薔薇の館を飛び出していった江利子を見送った蓉子の一言は、その場にいた全員の心境を代弁するものだったに違いない。
「確かにその通りよね。文武両道、才色兼備。努力でカバーする蓉子と違って、才能のみであらゆる分野のトップグループにいるんだもの。ほんと、もったいないわね」
頷いたのは蓉子のお姉さまである紅薔薇さま。江利子のことを誉めているようで、その実、努力を惜しまない蓉子を誉めているのが、言外に漂っている。薔薇の館に集まったメンバーはその辺り心得たもので、蓉子はちょっと嬉しそうにしているし、黄薔薇さまは少し不満そうに紅薔薇さまを見る。
「江利子だってすぐに熱中する何かを見付けるわよ。その時は絶対凄いわよ。びっくりするわよ、みんな」
物凄い具体性を欠いた黄薔薇さまの主張だけど、それは仕方ないかな、と聖は思う。江利子が何かに熱中するなんて姿は、そうそう容易に想像できるものではない。
とは言え、黄薔薇さまはあの江利子を妹にするような豪胆なお方だ。優等生の蓉子を自慢する紅薔薇さまにも、果敢に戦いを挑む。
「そうよ、江利子は凄いんだから。本気になれば蓉子ちゃんなんて目じゃないわよ」
「ほほう……それは聞き捨てならないわね……」
黄薔薇さまの挑戦的な物言いに、紅薔薇さまが応戦する。黄薔薇姉妹もそうだが、紅薔薇姉妹だって姉妹の仲の良さでは負けていない。
ちなみに白薔薇姉妹――つまりは聖とお姉さまだが――は、こういう話題では蚊帳の外だ。
「でも、あの江利子ちゃんがそんな蓉子みたく努力する分野を見出せるかしら?」
「うく……、だ、大丈夫よ。江利子、この間言ってたもの。体育でやったバスケが面白いって。バスケ部に入ったら、間違いなくエースになれるわよ!」
力説する黄薔薇さまに、聖はちょっとそんな江利子を想像してみる。確かに江利子の運動神経は抜群だ。先日の体育でも、初心者にも関わらず、一時間ほどの練習でバスケ部と対等に渡り合っていた。
〜聖の想像〜
「江利子! ディフェンス!」
終了間際、恐らく相手の最後の攻撃。
ここを凌げば勝利という場面で、敵は当然のようにエースへとボールを回す。
スコアはここを凌げばリリアン女学園の勝利。弱小・リリアン女学園バスケ部だが、江利子の獅子奮迅の活躍で、大会初優勝は目の前だった。
「OK、任せて!」
ぐっと腰を落とす江利子。鋭い眼光に相手のエースが怯む。県内屈指のフォワードである彼女だが、江利子の超高校級のディフェンスを前に、この試合では完全に押さえ込まれている。
「鳥居江利子……これが最後の勝負よ」
「……そうね」
「まさかリリアン女学園にあなたみたいな人がいるとは思わなかった。全国でもあなたほどのプレーヤーはいないでしょうね。でも……リリアン女学園なんかにいたのが、あなたの敗因よ。私たちの学校にいれば、全国制覇も夢じゃなかったのに」
相手のエースのセリフに、江利子は不敵に微笑む。
「そうかもしれないわね。でも……私は最初から約束された勝利なんかに興味はないわ! 私はあなたを抑えて、リリアン女学園の仲間と一緒に全国へ行く!!」
「上等だわ!!」
鋭いドライブに入る相手のエースに向かって、江利子は素早く対応した!
「鳥居江利子! 勝負よ!」
「もらったわ! 凸りん・フラーーーーーーッシュ!!」
「ぶっふおおおおぉぉぉ!」
輝くオデコに相手エースが怯んでボールを取られたところが、聖の忍耐力の限界だった。
「せ、聖ちゃん!?」
「ど、どうしたの急に!?」
いきなり噴き出した聖に、どちらの妹が優れているか熱弁を交わしていた紅薔薇さまと黄薔薇さまが心配そうに振り返る。
「あ、いや……ぅぷぷ……な、なんでもないです……ぐふ……」
涙目で首を振る聖に、黄薔薇さまと紅薔薇さまはちょっと心配そうに聖を見たが、今はとにかく『どっちの妹が優れているか議論』の方が大事なので、再び激論に戻る。
「ぅわ、あり得ない……江利子とバスケ部……凸りんフラッシュ……あり得ないわ」
自らの想像図に、肩を揺らす聖を他所に、黄薔薇さまと紅薔薇さまは、更にヒートアップしながら「いかに江利子が本気を出したら凄いか」議論を続けている。
「江利子ちゃんは運動だけじゃないんだから! 芸術だってお手のものよ!」
「芸術ねぇ……堪え性のない江利子ちゃんに、芸術分野は厳しいんじゃない?」
力説する黄薔薇さまに、挑発的なセリフを吐く紅薔薇さま。
「うぅ……そんなことないわよ! 例えば陶芸なんて、いかにも江利子好みだもの!」
断言する黄薔薇さまに、聖は「確かに」と頷いた。絵画や彫刻よりは、陶芸の方がいかにも江利子好みの分野である。
さすがは江利子のお姉さま、と思いつつ、聖は陶芸に目覚めた江利子を思い浮かべた。
〜聖の想像〜
「完璧だわ……」
ゆっくりと動きを止めたろくろの上に鎮座する皿を見て、江利子は満足げに頷いた。
「この曲線……これこそ、私の求めていた優雅なライン。これよ……」
ろくろから大振りの皿を切り離す江利子に、同席した陶芸協会の会員は息を飲んだ。
巨大でありながら、繊細な印象を失っていないその大皿に、一同の視線が集中する。
女子高生にして、独自の世界観と完璧な技法を持った江利子の存在は、いまや日本美術の宝と言われるほどだった。その大皿となれば、正に国宝級とも言われる。
「問題は焼きだ……それほどの大物、完璧に焼くのはいかに江利子さんでも難しいのではないか?」
「しかし君、それを成し遂げてこその江利子君だよ」
固唾を飲む、日本陶芸協会の理事たち。彼らの期待と不安の視線を他所に、江利子は慎重な手付きで大皿を釜にセットした。
「……蓉子、準備は良い?」
「もちろんよ、江利子」
頷きあい、江利子は釜に真剣な視線を送った。
「蓉子……今よ!」
「はい!」
「凸りん・バーーーーーーーーースト!!」
「ぶっふおおおおぉぉぉ!」
輝くオデコの光に照らされた大皿が、その熱量で国宝級の皿に焼き上がったところが、聖の忍耐力の限界だった。
「せ、聖ちゃん!?」
「ど、どうしたの急に!?」
再び噴き出した聖に、どちらの妹が優れているか熱弁を続けていた紅薔薇さまと黄薔薇さまが心配そうに振り返る。
「げふ……ぐふ、ぐふふっ……な、何でもないです大丈夫です気にしないで下さい……」
体を痙攣させながら首を振る聖に、黄薔薇さまと紅薔薇さまは心底心配そうに聖を見たが、まだ辛うじて『どっちの妹が優れているか議論』の方が大事なので、再び激論に戻る。
「ヤバイ……江利子と陶芸……凸りんバースト……お、面白すぎる……」
自らの想像図に、全身を痙攣させる聖を他所に、黄薔薇さまと紅薔薇さまは、更にヒートアップしながら「いかに江利子が本気を出したら凄いか」議論をまだ続けている。
「江利子ちゃんは運動と芸術だけじゃないんだから! 勉強だってお手のものよ!」
「勉強ねぇ……集中力のない江利子ちゃんに、勉強は厳しいんじゃない?」
力説する黄薔薇さまに、挑発的なセリフを吐く紅薔薇さま。
「うぅ……そんなことないわよ! 例えば女医なんて、いかにも江利子にお似合いだもの!」
断言する黄薔薇さまに、聖は「確かに」と頷いた。白衣に身を包んだ江利子は、ちょっと想像しただけでもいかにも板についている。
さすがは江利子のお姉さま、と思いつつ、聖は女医となった江利子を思い浮かべた。
〜聖の想像〜
「はい、それでは口を開けてくださいねー」
江利子は風邪をひいた患者に優しくそう言って、扁桃腺の腫れ具合を確認する。
今年もインフルエンザは大流行で、的確な診断を下す鳥居総合病院の江利子先生は、全国的にも有名な名医だった。当然、その診察を受けたいと願う患者は後を絶たない。
「なるほど……この扁桃腺の腫れ具合……一見するとインフルエンザのようだけど、これは風邪ね。インフルエンザではなく、風邪の薬を処方しましょう」
自信をもって断言する江利子。
患者の喉を明るく照らす光源は、言うまでもない。
凸だ。
「ぶっふおおおおぉぉぉ!」
輝くオデコの光を頼りに扁桃腺を確認するところが、聖の忍耐力の限界だった。
「せ、聖ちゃん!?」
「大丈夫なの、本当に!?」
お腹を押さえてダムダムと机を叩きつつ、どうにかこうにか「大丈夫ッス!」と手を振る聖に、さすがの黄薔薇さまと紅薔薇さまも議論を中断して聖に駆け寄ってくる。
慌てる二人の薔薇さまに、聖は「そんな、大袈裟な」と思いつつも、二人の議論が中断したことに胸を撫で下ろした。
これ以上、妙な想像をさせられたら、ちょっと聖の生命が危うかったかも知れない。笑いすぎで。
「大変! 保健室に連れて行きましょう!」
「そうね。蓉子、アナタも手伝って!」
「は、はい!」
大騒ぎの3人に「だ、大丈夫ですから」と首を振った聖は、そこで事態を傍観していたお姉さまと視線が合う。
「……百発百中、お凸占いの占い師」
「おぶっふぅ!」
ポツリと呟いたお姉さまの一言に、聖の限界はあっさりと崩落した。
「おで……お凸占ひ……」
凶悪な想像に止まらない笑いと戦いながら、聖は思う。
やっぱり江利子は、今の江利子のままで十分だ。