【1197】 野望と挫折まさに悲劇  (林 茉莉 2006-02-28 00:34:25)


「それでどうなの、瞳子ちゃんはおとせそう?」
「うーん、どうだろう。くもりガラスの向こう側ってとこかな」
「何それ? 意味わからん」
「由乃さんこそどうなの?」
「この間のパーティの時にさ、令ちゃんの進学のことで突っ走っちゃったじゃない、私。後で考えると、菜々の前であれは不味かったかなぁって内心ちょっと焦ってるのよ」
「うんうん、そうだね」
「……そうだねって、何気に非道いのね」
「あっ、ごめん。えへへ」
 年も明けた新学期のある日の放課後、特にこれといって急ぎの仕事もない薔薇の館で、祐巳は由乃さんと一緒にお茶を飲みながら他愛もないおしゃべりをしていた。


  ☆ ☆ ☆


「ごきげんよう」
 二人が姉妹談義に花を咲かせている会議室へ、ビスケット扉を開けて志摩子さんが入ってきた。
「ごきげんよう、志摩子さん」
「ごきげんよう。ちょっと聞いてよ志摩子さん。祐巳さんったら非道いのよ」
 冗談交じりに祐巳を非難して話の輪に誘う由乃さんに、いつも余裕を湛える志摩子さんらしからぬ真剣な表情で言う。
「それどころじゃないわ。大変よ、由乃さん」
「どうしたの?」
 訝しげに聞き返す由乃さんの前に、志摩子さんは一枚の紙を置いた。
「これ、さっき告示があって、選挙管理委員の人にもらったんだけど」
「なになに。次期生徒会役員選挙 立候補者名簿? って私たち以外にもう一人いるじゃない!」
「え! そうなの!?」
 リリアン女学園の淑女らしからぬ大声で叫ぶ由乃さんにつられて、祐巳もつい大きな声を出してしまった。でもその後に続いた志摩子さんはさすがに白薔薇さまだけあって落ち着いていた。
「ええ。去年の静さまみたいに、今年も対抗馬がいるってこと。ちょっと厳しいことになってきたわね、由乃さん」

「ねぇねぇ、誰が立候補したの?」
 そう言って由乃さんの持つ紙をのぞき込んだ祐巳はその名前を見るや、「どうして……」と一言呟いて沈黙した。
「大丈夫よ、二人とも心配性ね。私たちが負けるわけ無いじゃない。去年だって結局は大差で勝ったんだから」
 豪快に言い放つ由乃さんに、志摩子さんはいつもの笑みを取り戻して言う。
「そうね。でも油断は禁物よ、由乃さん」

 どっしりと構えている(ように見える)二人をよそに、子ダヌキが一匹、パニクって右往左往している。
「でも私も由乃さんも未だに妹もいないし、どうしよう」
 今の祐巳には全ての問題がそこに収斂されるのだった。そんなあわてふためく祐巳の肩を叩き、由乃さんは笑って勇気づけてくれる。
「バカね、祐巳さん。そんなの関係ないって」
 志摩子さんも微笑んでそれに続けた。
「そう願いたいわね、由乃さん」

 それでもまだ祐巳の動揺は収まらない。思うにこれは瞳子ちゃんにロザリオを拒否されたことの後遺症じゃないだろうか。ついつい悲観的な未来を想像して、こんな事を口走ってしまった。
「ねぇ、もし私が落選しても友だちでいてくれるよね」
「祐巳さん、何バカなこと言ってるのよ。当たり前じゃない。いい加減にしないと怒るわよ」
 祐巳の方に向き直り、両手を握って少し怒った風に言う由乃さん。
 そして同じく志摩子さんも、後ろから由乃さんの肩を抱いて優しく言った。
「ええ、その通り。例え落選しても私たちは友だちよ。由乃さん」

「由乃さん、志摩子さん!」
 感極まって泣きながら二人に抱き付く祐巳だったが、二人の方は少し様子が違うようだった。
 志摩子さんをキッと睨んで、由乃さんは言う。
「ところでさっきから気になってるんだけど、何で私ばっかり名指しなのかしら」
 しかし志摩子さんは意に介すでもなく、いつものように微笑んで応える。
「なぜかしら。フフフ」
「……あなたとはいずれ白黒つける必要がありそうね」
「ウフフ」
「え? あれ? 二人ともどうしちゃったの?」
 自ら狼狽するあまり、二人の間の妙な空気に気づかなかった祐巳は、今になってオロオロし始めたが、時は既に遅かった。
 大事な選挙戦を前に、別の意味で暗雲が立ちこめ始めた薔薇の館だった。


  ☆ ☆ ☆


 投票日を三日後に控えた水曜日、午後の授業をつぶして講堂では立ち会い演説会が行われていた。
 志摩子さん、由乃さんに続いてどうにか演説を終えた祐巳が演台から下がると、替わって第四の立候補者が登壇した。そして場慣れしていない一般生徒とは思えないような堂々とした態度で演説を始める。

「皆さま、初めまして。いえ、ことによると私をご存じの方は、大勢いらっしゃるかも知れません。それについては私自身も少しばかりの自負があります。なぜなら私は最初期からの一人だからです。
 然るに、時経(ふ)る毎に、片隅へと追いやられ、忘れ去られ、今では好事家にのみ関心を寄せられる、零落した身の上です。さらに言えば、傍系はともかく、本流においては私の肖像すらありません。あまつさえ、リリアンのフェイムたる薔薇さま及びその眷族と、一般生徒とを対比させるためとはいえ、お嬢さまにあるまじきミーハーの代表選手の如く扱われる始末です。
 皆さまはこんな私をお笑いになるでしょうか。そのとおり。確かに私は滑稽な存在です。しかしよく考えてみて下さい。私の姿は、実は鏡に映った皆さまの姿なのです。明日は我が身と申しますが、まさに今現在の私が皆さまそのものなのです!
 この世界における皆さまは路傍の石なのでしょうか。リリアン女学園という舞台において、皆さまの役どころは生徒Aなのでしょうか。もちろん否です。誰です、そこで生徒Kと言っているのは。(笑)
 そうです。私たちは全員、主役なのです。確かに私たちは大輪の薔薇ではありません。しかし麗しき薔薇さま方を縁取るだけのかすみ草でもありません。それ自身、愛でるに値する、名も無き花なのです!
 ……ここで皆さまには誤解をなさらないで頂きたいのです。私は今の、そして来期の薔薇さま候補を不信任と言っているわけでは決してありません。むしろ愛すべき友人たちでさえあります。
 しかし世襲制による支配の弊害は、歴史上あまねく知られるところであります。このままではリリアン高等部は何も変わりません。今こそリリアンの学舎に真の民主主義を確立するため、世襲によらない一般生徒出身の薔薇さまが必要なのです! 私はその最初の礎となるために、我が身を省みずここに立ち上がりました。皆さま、私と共に手を携えて、明日のリリアンの輝く主役となりましょう!

 薔薇さま世襲支配に終止符を!
 一般生徒にもっと光を!!
 そして私にもっと出番を!!!

 以上、ご静聴ありがとうございました!」

 しばしの静寂の後、初めはパラパラと、それが徐々に膨れあがり、最後には万雷の拍手となって講堂を包み込んでいった。
 祐巳は、イノセントなお嬢さまたちのスタンディングオベーションに送られて演台から立候補者控え席まで戻って来る第四の人を、腕組みしたまま睨みつける由乃さん、いつものように微笑んでいる志摩子さんとともに迎えた。

「すごいよ。よく分からないけど感動した! 当選したら応援するからね!」
 自分の立場を完全に忘れて、まるでじゃれつく子犬のようにうれしそうに祐巳は言った。
「けっ!」
 由乃さんはなんだか機嫌が悪そうだ。
「私たち、上手くやって行けそうね」
 そして志摩子さんは相変わらずの微妙な発言。

 そんな三人に、第四の人は笑顔で応える。
「ありがとう。精一杯やったからスッキリしちゃった。でも本当のところ、あなた達に勝てるなんて思ってないわ」
「そんなことないよ。こんなにすごい拍手なんだもん、きっと当選するよ!」
「私もそう思うわ。ね、由乃さん」
「だから何で私を名指しするんだぁぁぁぁぁぁ!!」
 由乃さんの怒号は、未だ鳴りやまぬ拍手の音に負けないくらい大きかった。


  ☆ ☆ ☆


 迎えた土曜日、一、二年生の各教室では投票が行われ、その後投票箱は選挙管理委員会の部屋へ運び込まれて直ちに開票、集計が進み、今や掲示板の前には結果を待つ人だかりが出来ていた。

「ああどうしよう、すごくドキドキして来たよ」
「どんな結果でも、これからもずっと友だちよ。由乃さん」
「もういい……」
 そんな期待と不安の交錯する祐巳たちの前に貼り出されたのは、しかし至極真っ当と言えば真っ当な結果だった。

「あーよかった。これでお姉さまに顔向けが出来るよ」
 祐巳は満面の笑顔で言った。
「色々ご心配お掛けしたようだけど、これからもよろしくね。志摩子さん」
「私は由乃さんのこと、信じていたわ」
 祐巳の傍らで握手を交わしている由乃さんと志摩子さんの腕は、なぜかプルプルと震えていた。

「うぅ、こんなのって非道いよ……」
 喜びを分かち合う(?)三人から少し離れたところで、絶大な支持を受けたはずの第四の人が、地に膝を付いてがっくりとうなだれていた。
 そんな傷心の人に歩み寄り、手を取って立ち上がらせると、祐巳は微笑んで言った。
「こんな結果になっちゃったけど、私たち、これからもずっと友だちだよ」
「ありがとう、祐巳さん。出来れば出番もお願いね」
(無理! それ無理だから!)
 世の中には憐憫の情だけではどうしようもないこともあるのだ。心の中でツッコンだ祐巳だったが、涙目で訴える人を突き放すことも出来ずに、辛うじて言葉を絞り出す。
「あーと、うーと、じゃあ取り敢えずマリア様にお願いしておくね」





(でもよく考えてみれば、立候補自体が無謀だったよね)
 その後、彼の人の出番をマリア様にお願いしつつ、祐巳は一人ごちていた。
(だって生徒会選挙の投票って、フルネームで記名制なんだもん)


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