【1198】 花咲く乙女よ穴を掘れ暗いよ狭いよ怖いよ〜  (柊雅史 2006-02-28 00:51:48)


 某月某日。
 紅薔薇のつぼみこと福沢祐巳と演劇部一年松平瞳子は――


 落とし穴に落ちていた。


「な、なんでこんなことに……」
 自分の頭より遥かに高い位置にある出口を、祐巳は困ったように見上げた。
 穴の深さは約3.0M。運動神経抜群で高身長というスペックを誇る可南子ちゃんなら、ジャンプ一番穴の縁に掴まり、軽々とこの窮地を脱したであろうが、暗い穴の底にいる二人では、少々――いや、かなり――スペック不足である。
 祐巳は背格好も平凡で運動神経も平凡。普段なら色々と頼もしい瞳子ちゃんも、いかんせんこういう肉体的素養を問われる窮地では、持って生まれた才能がことごとく役に立たない。演技力も冷静さも頭の回転の速さも祐巳を遥かに凌ぐ瞳子ちゃんだけど、身長は祐巳より少し低いくらいだし、運動は瞳子ちゃんの数少ない苦手分野である。
「これは……少々、届きそうにありませんわね」
 瞳子ちゃんが出口までの距離を推し量って眉をしかめる。祐巳も同感だったけれど、念のためジャンプして力の限りに手を伸ばしてみた。
 もちろん、穴の縁には全然届かない。
「……どうしたものでしょうか」
「うーん……そうだ! 肩車なんてどうかな!?」
「肩車ですか……私たちでは少々高さが足りないと思いますし、そもそも肩車というものは、あれで中々体力が必要なのですよ?」
「大丈夫、大丈夫。瞳子ちゃんくらい持ち上がるってば」
 祐巳がさぁこい、とばかりにしゃがみ込むと、瞳子ちゃんが慌てて首を振った。
「ダメですわ、祐巳さま。やるなら私が下になります」
「でも瞳子ちゃんの方が小柄じゃない。良いからほら、早く」
 祐巳に促されて瞳子ちゃんが渋々しゃがんだ祐巳の肩をまたごうとして、はたとその動きを止める。
「……どうしたの?」
「いえ、その……スカートが……」
 片足を少し上げた姿勢で瞳子ちゃんが固まっている。リリアン女学園の制服のスカートは丈が長いので、そのまま祐巳の肩に乗るのは少々具合が悪い。
「そこはほら、私の頭をスカートに入れるつもりで」
「……は?」
「いやだから、私の頭を瞳子ちゃんのスカートに」
「ななな、何を言い出すんですか、祐巳さまは!?」
 両手で「こんな感じで」と、瞳子ちゃんのスカートを頭に被るジェスチャーをする祐巳に、瞳子ちゃんが慌ててスカートを抑えつつ祐巳から距離を取った。
「すすすスカートに頭を!? 祐巳さまが!? ダメ、ダメです! 早すぎます!」
「はやい?」
「いえ、違います! 早いとか遅いとかではなくて、淑女としてそんなことはできませんわ! 当たり前じゃないですか!」
「でもそうしないと肩車できないよ」
「それはそうですが……い、いえ、やっぱりダメですわ! 今日は体育もなくて着替える予定はなかったので、実用主義なのです! 絶対に不可、却下ですわ!」
「実用……?」
「と、とにかく! ダメなものはダメです! 何を変なことを言い出すんですか、祐巳さまは!」
 むきー、と顔を赤くして怒る瞳子ちゃんに、祐巳は「どこか変だったかなぁ」と首を傾げる。
「でも、それじゃあ、やっぱり瞳子ちゃんが下になる? 大丈夫?」
「うぅ……そ、それなら、なんとか。見られるよりマシのような……」
「みられ……?」
「何でもありませんわ! だ、大丈夫ですわ、瞳子は自堕落に青春を浪費している帰宅部な祐巳さまと違って、演劇部で日々精進しているのですわ! 発声の基本は肺活量なのです、走り込みも周回遅れですが、なんとかこなしております!」
「周回遅れって……ダメなんじゃ……?」
「瞳子は必死にやっています! さぁ祐巳さま、無駄口を叩いてないで、やるならやりましょう!」
 圧倒的に喋ってたのは瞳子ちゃんだと思いつつ、祐巳はしゃがみこんだ瞳子ちゃんの肩をよいしょ、とまたぐ。スカートが邪魔だったので、瞳子ちゃんにしたアドバイス通り、瞳子ちゃんの頭をすっぽりスカートに入れた。
「瞳子ちゃん、前見えないけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫ですわ! どのみち目は閉じています!」
「……本当に平気?」
「うぅ……今目を開ける方が危険なのです! 祐巳さまは良いから、黙ってバランスを取ってくださいませ! 瞳子は今、必死なのです!」
「う、うん……」
 瞳子ちゃんに叱られて、祐巳は両手を穴の壁に添える。祐巳の準備が整ったところで、瞳子ちゃんが気合いを入れて、上体を起こそうとする。
「んんー!」
 瞳子ちゃんの気合いが響き、両足がぐっと伸びて、ひょこっと瞳子ちゃんの腰だけが持ち上がった。
「と、瞳子ちゃん……?」
 祐巳の両足の間に突っ込んだ上半身と、祐巳の太股を抱えている両手が、ぷるぷると震えている。しかし一向に、祐巳の体は持ち上がる気配を見せない。
「むむ……むむむぅ……ぷはぁ!」
 ぷるぷるとしばらく奮闘していた瞳子ちゃんが、ついに諦めて再度腰を落とした。
 もぞもぞと祐巳のスカートから頭を抜いて、瞳子ちゃんは真っ赤に染まった顔で鋭く祐巳を見詰める。
「祐巳さま、やはり物理的に無理ですわ」
「え、いや、ピクリともしないって……」
 確かに瞳子ちゃんは小柄だし、細身だし、体育祭では気合いの割に活躍らしい活躍をしてなかったけど、どんだけ力ないんだろう、と祐巳はちょっと不安になった。
 今度演劇部に行って、ちゃんと瞳子ちゃんが体力作りのランニングについていけているのか、部長さんに聞いておこう。心配だ。
「や、やはり瞳子の言った通りでしたわ! そもそも瞳子の計算では、仮に肩車が出来たところで、私と祐巳さまでは穴の縁には届きませんとも! 全く、祐巳さまのせいで無駄な体力を使ってしまいましたわ!」
 自分でも予想外に情けない結果だったのか、そっぽを向きながらまくし立てる瞳子ちゃんに、ここはツッコミを入れるのは可哀想だな、と祐巳は判断した。
 先程の様子では、多分上下入れ替えての再チャレンジにも、瞳子ちゃんは応じてくれないだろう。
「うーん……どうしよう……」
 遥かな高みにある出口を見上げて、祐巳は不安げに溜め息を吐いた。


「瞳子ちゃん、もうちょっとこっちにおいでよ」
 すっかり日も暮れ、穴の底は完璧な闇に包まれていた。見上げても穴の縁が夜空に溶け込んでしまって定かではない。しかも季節は既に冬――互いにコートを着込んだものの、寒さはかなり厳しくなってきた。
「祐巳さま……私たち、このままずっと出れないのでしょうか……」
 寒さに身を寄せ合いながら、瞳子ちゃんが弱気なセリフを口にする。
 瞳子ちゃん自慢の腹式呼吸によるSOS発声も効果はなく、ちょっと声が掠れ気味なのが痛々しい。
「大丈夫だよ。そろそろお父さんたちも変だと思うだろうし。お姉さまとか、由乃さんとかも、きっと探してくれてるから」
 さすがにいつもの強気な態度も消え失せて、意気消沈している瞳子ちゃんの肩を、祐巳はぎゅっと抱き寄せる。いつもなら嫌がる瞳子ちゃんも、黙ってされるがままだ。
 いつもは強気一辺倒の瞳子ちゃんだけど。本当はずっと打たれ弱いことを祐巳は知っている。その辺り、祥子さまと瞳子ちゃんは似ているのかもしれない。
「瞳子ちゃん、大丈夫だからね。――ほらほら、見てみなよ。星が見えるよ」
「……」
 元気付けようとする祐巳の呼び掛けに瞳子ちゃんは穴の出口の向こうに広がる夜空に視線を向けて、僅かに微笑んだ。
「本当ですわ……星なんて、随分見ていなかったですわ……」
「うん、そうだね」
 武蔵野の自然が残るこの辺りは、まだまだ夜空に星をたくさん見付けることができる。けれど普段は、めったに星空を見上げるなんてことはしないのが現実だ。
 それこそ、こんなトラブルに陥らなければ、星を見るなんてこと、祐巳はしなかったかもしれない。
 少なくとも、瞳子ちゃんと星を見る機会なんてものは、なかっただろう。
「……そう考えると、ちょっと得した気分」
「何が得ですか……こんな目に合ってるのに」
「うん。でも……得した気分なんだもん。こうやって、瞳子ちゃんと星を見れるなんて」
「……バカじゃないですか、祐巳さまは」
 瞳子ちゃんがちょっと笑いながら言う。
「そのくらいのこと……普通に誘ってくだされば、瞳子は喜んで付き合いますのに」
「え……?」
 ちょっと意外な瞳子ちゃんのセリフに祐巳は瞳子ちゃんを見る。
 ちょうど祐巳を見上げていた瞳子ちゃんと、祐巳の視線が重なった。
「瞳子ちゃん……」
「祐巳さま……」
 瞳子ちゃんの長い睫毛がゆっくりと下りて――
 ゆっくりと二人の距離が近付いて行った……。



     †   †   †


「かくして! ちょうどタイミングよく救出された二人! そして救い出された瞳子ちゃんの手には、祐巳さんのロザリオが握られてるって寸法よ!」
 力説する由乃さんは、嬉々として両拳を振り回す。
「危機を乗り切った二人に芽生えた愛! これよ、これしかないわ!」
「い、いくらなんでも、そんな上手くいくとは」
「いいえ、祐巳さん! この私の計画に狂いはないわ!」
「そ、それに3Mの穴に落ちて怪我でもしたら」
「大丈夫よ! なんなら地面に布団とか敷いておけば安全だし! あ、乃梨子ちゃん、布団を敷いておくと言っても、変な意味じゃないわよ?」
「……私は何も言っておりませんが」
 冷静に首を振る乃梨子ちゃんだけど、由乃さんは聞いていない。
「ああ、我ながら素晴らしいアイデア! 題して紅薔薇のつぼみの妹レース・大穴展開! ヤバイ、私ネーミングセンスも凄い! 凄いわよね、志摩子さん?」
「ええ、そうね」
 にこにこ笑って頷く志摩子さんは大物だと思う。
「第一、そんな大穴掘るのにどれだけ時間がかかるか分からないよ」
「祐巳さん、何を言うのよ!」
 もっともなことを言った祐巳に、由乃さんがぐいっとスコップを突き出してくる。
 由乃さんの準備は万端だ。
「祐巳さんの瞳子ちゃんへの愛情は、3Mの穴以下とでも言うつもり!?」





 祐巳の瞳子ちゃんへの愛情は、
 さすがに40センチが限界だったことを報告しておこうと思う。


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